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2007年 05月 20日

アグラ城から望む…水と建築(4)

 アグラ城というムガル朝の城がある。
ヤムナー川岸に建つ、ムガール帝国第3代皇帝アクバルによって1564年から築かれた。イスラームの王朝であるが対話と融合の政策であったため、ここのアクバル帝による建築には、ヒンディーならではの象の柱飾りもある。また、ここはシャー・ジャハーン帝になってからシャージャハーン宮殿を増築している。赤砂岩の城だが、内装はシャー・ジャハン好みの白大理石に貴石象嵌である。

 そこからヤムナー川を挟んで斜め前方にタージマハルが見える。
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広大なアグラ城でもとくに川面に面したところは川を渡ってくる風で涼を楽しみ、川の風景を楽しむ。大理石の縁台や透かし彫りの窓など何通りもの見方を楽しむことができる。

 
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城からの遠望・・・ヤムナー川とタージマハール
 タージの一部が赤茶けて見えるのは手前にあるモスクと奥にある迎賓館の色である。ヤムナー川は乾季・雨季で表情が変わる。砂州がたくさん見えるのは水が少ないときの様子だからだ。
 こうして、皇帝はここからムムターズへ思いを馳せ、また、最高の材料と技術者を集めて築いたこの最高の建築物の姿を見守り満足したに違いない。

 シャー・ジャハーンの晩年には政変が起きて、息子アウラングゼーブによってムサンマン・ブルジ(囚われの塔)に幽閉された。この塔はもともと涼風の通りもよく、大理石と貴石象嵌で華麗に作られたシャーの部屋であったという。ヤムナー川を見渡すことのできる東向きのところであるため上の写真と同じようにタージマハルを見ることができ、閉じ込められた状態でこの霊廟を7年間見守ることになった。

 シャー・ジャハーンは自分自身の廟をヤムナー川の対岸へ黒大理石で建てるという望みをたたれたが、今、彼は彼の建てたタージ・マハルの地下で最愛のムムターズの隣で眠っている。

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by miriyun | 2007-05-20 00:55 | インド | Comments(0)
2007年 05月 19日

タージマハルとヤムナー川…水と建築(3)

  タージマハルはヤムナー川のほとりに建てられた。シャー・ジャハーンはそこの土地を選び地ならしして基盤を作り、現代の大建築家にも思いも及ばぬほど壮大な建築群を一点のすきもないように作り上げた。政治そのものよりも更に熱き思いでこの建造物を作ったに違いない。
 
 ここに行くと真っ白なタージだけに目を奪われてしまいがちだ。しかし、タージマハルは門とタージマハル・モスク・迎賓館と四分庭園を組み合わせた大建築コンプレックス(複合体)なのだ。
 
◆ 広大な敷地へは東・西・南の門から入る。そしてタージ・マハルの正面にある正門をくぐると前出の水路の先にはるかタージ・マハルがある。南が正門であり、日本で言うところの南大門に当たる。
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しかしこの正門も赤砂岩に白大理石を組み合わせ、入口のアーチの上には準貴石による花模様の象嵌がなされている。
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この模様はタージ文様と私の心の中でかってに呼んでいるのだが、この花の雰囲気でこの建築コンプレックス全体がやわらかく飾られている。この建築のテーマを表すかのような模様なのだ。
 ・・・・この建築のテーマは「愛しさ」だろうなと思う♡。

 中には権威を示したかったのだという説もあるが、この建築群全体への細やかな気の配り方と、後に述べる川と宮殿の位置から考えると、やはり后への愛おしさというテーマの存在抜きにタージ・マハルを語ることはできない。

☆ また、この正門のアーチ上部のカリグラフィーにはクルアーンが象嵌されている。その最後の句は次のように書いてある。

      ・・・(前・中略)・・・      ・
(善行を積んだ魂に言われるであろう。)おお,安心,大悟している魂よ,

あなたの主に返れ,歓喜し御満悦にあずかって。

あなたは,わがしもべの中に入れ

あなたは,わが楽園に入れ
   
              (日本ムスリム協会訳のクルアーンより引用)

 いかにも正門にふさわしい章句ではないか。また、四分庭園と廟に至る道で楽園をイメージしていることがわかる。
 大悟している魂とはシャーにとっては亡くなった后のムムターズであり、ここをくぐる良民でもあるのではないだろうか。

◆ さて、縦・横300mの四分庭園を歩きながら見る角度を変え、時に立ち止まり見ながら行くと印象が変わってくる。日のさし方、私のように雨にぬれた表情を見ることになるかもしれないし、何しろ様々なタージが見えてくる。小さくかわいらしく見えた建築がまもなく稀有な規模の建造物だとわかってくる。高さ66メートル、4隅に建つ塔の大きささえ近くでは驚異的だ。
 
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 ←タージより正門をのぞむ
 水面に映る姿はタージから正門を見てもある。
正反対にある赤砂岩の正門はタージと同じようにその一部を映し出しているのだ。




タージの左、西側にはモスクがある。これもタージの花とカリグラフィーによって装飾されて美しい建築物だ。隣がタージでなければこのモスクがもっと知られたであろうが・・・。
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 タージの基壇には靴は脱ぎ、はだしになって上がっていく。大理石と赤砂岩の石畳が冷たく心地よい。
 
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 ↑タージの東側には迎賓館がある。

 そして、タージの北にはヤムナー川が流れている。洪水に負けないように高くしっかりと作られた基壇の上からここでUターンする川の全貌を見渡すことができる。もちろん、迎賓館では心地よい涼を感じ、またタージの見事さ、夕日を背にした西のアグラ城を見ることができる。なんて心にくいつくりなんだろう。
 
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by miriyun | 2007-05-19 10:49 | インド | Comments(2)
2007年 05月 18日

タージマハル…水と建築(2)

類まれな美しさで讃えられるタージ・マハル。シャージャハーンが亡き后のために建てた世にも美しい白大理石の建物。 
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 この建築については一言では言い表せない。四方どこから見ても同じに見える完璧なほどの左右対称の構造美・白大理石の美しさ、そのほかの建築群とのバランス、近づいてはじめてわかる花の模様の貴石象嵌、黒大理石象嵌のカリグラフィー・・・などすべて語らなければならないだろうが、今は水との関係だけに絞っておこう。

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    基壇の上の幾何学文様は赤砂岩と白大理石によってくっきりとした模様となっている。

 この建築が美しいといわれる理由がもう一つある。真っ白な建築物が四分庭園の中央を貫く水路に映るのだ。実像のほかに水に映る姿があると幻想的な美しさも加わってくる。 そういう意味で、この廟は確かにフユマーン廟を見習っているし、どの建物より効果的に庭園を配置しているのだった。
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スコールにあってしまったので青空のタージと水面に写るその姿は撮ることがかなわなかった。雨でゆらめいた水面であったが、かすかに水に映る姿の片鱗を見せている。
 この水あってこそのタージマハル・・・インド・イスラーム建築の最高峰なのだ。

 晴れた日の最高のタージは撮れなかったが、スコールによって赤砂岩がとんでもなく鮮やかになったのを見た。赤砂岩の濡れた美しさにも驚かされる。
 
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by miriyun | 2007-05-18 07:07 | インド | Comments(5)
2006年 03月 03日

タージマハルの花

 タージ・マハルの霊廟内には八角形の墓室がある。中央にムムターズ・マハル、その隣に大き目のシャー・ジャハーンの仮の棺がある。(本当の棺は多くの廟と同じように地下にある。)部屋は、八角形の大理石の透かし彫りのついたてに囲まれていいる。そして棺の周りは素晴らしい植物文様が貴石で象嵌されている。
 
 この墓室は見ることが許されていなかった。いつもそうなのか、特別な日に見ることができるものなのか知りたいものだ。何しろ期待していただけに見れないのはざんねんだった。そこで、岩波書店版『タージマハル』から、一枚の写真のほんの一部を引用させてもらう。↓
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 この花は、歴代皇帝のインド動植物への傾倒に、ヨーロッパから持ち込まれた写実的植物のかきかたが影響し、ペルシア・インドのパルチーン・カーリーが高度に発達して作られたものといわれる。そして、このような花々が数知れず装飾されている墓室を想像してみてほしい。
ムガルの皇帝は自分の帝国にどれほどの貴石がとれて、どれほどの国から金やラピスラズリやヒスイを集められるかを熟知していたのだろう。物を作るには、どんな材料をどれだけ使えるか、技術者がいるか、維持管理できるかが大事である。少なくとも、傷心のシャー・ジャハーンは悲しみの中でもそれらを把握しきっちり指示できる力を持っていたことになる。

 ☆どんな貴石を集めてどこに使ったのかをはっきりあらわしている資料はみつからなかったが、貴石の名前だけはいくつかの資料に少しづつ載っている。
 そこで、それらの貴石の色を調べ、どこに使われたかを想像して材料名を入れた画像を作ってみた。 
 
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 色から推測するにおおむねこのような材料だっただろうと推測する。このほかにトルコ石・紫水晶・しまめのう・玉髄・ブラックストーンなどの名があげられている。

 この花をしばし眺めて、ムガル帝国の力と、そしてムムターズへのシャー・ジャハーンの思いに触れてみようか・・・。
                  
                   (参考・・・「タージマハル」岩波書店・「インド」・「地球の歩き方」)


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by miriyun | 2006-03-03 21:32 | イスラームの工芸 | Comments(0)
2006年 03月 02日

アーグラー城と略奪

 ムガル帝国は初代バーブルが北インドのローディー朝を破って築いた。ムガルは前半、ムガルの建築と工芸がみごとに発展していった。とくにアーグラー城やタージ。マハルは所有する宝石・貴石をふんだんに使い、皇帝の意図を汲んだ完璧なまでに工芸技術が高まった。
 しかし、1707年7代皇帝がなくなると、諸州の独立が相次ぎ、、皇帝は統制力を失い、一時はマラータ王国によって、アクバル以来のアーグラー城を略奪されている。日本で言うなら、戦国大名の群雄割拠した時の足利政権とのようなものである。
1代 バーブル 
2代 フユマーン
3代 アクバル・・・インドのほとんどを征服。アーグラー城を建設
4代 ジャハンギール
5代 シャー・ジャハン・・・タージ・マハル建設
6代 アウラングゼーブ
・・・以後群雄割拠、皇帝は力を失う。
   *マラータ王国・・・アーグラー城占拠・略奪

17代 バハードゥール・シャー2世・・・1857年インド大反乱(独立戦争?セポイの反乱?)
                ・・・アーグラー城略奪

 こうして、インドはイギリスの支配下に置かれ、アーグラー城とタージマハルは当然のごとく略奪を受けていったのである。現在、タージマハルは貴石は修復してある。したがって、略奪のあとは大理石への無数の細かな傷やひびまで見ないとわかりにくい。

 しかし、アーグラー城は違う。
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↑これは宝石が象嵌されていたのが無理やりこそげ撮って言った後である。花のデザインであるだけにそのうつろさが寂しい。

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 ↑ 指で指し示した大きな穴は巨大なダイヤがはめ込まれていたという。(ほんとに~?)

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 ↑ 壁・天井画も金箔を貼っていたが、すべての金もはがされていた。ここの一角だけあるのは見本として張ったのかもしれない。
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↑ アーグラー城。アクバル大帝が築いた赤砂岩の堂々たる砦
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↑シャー・ジャハーンはこの城からタージ・マハルを眺められるように廟の建設地を決定したという。


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by miriyun | 2006-03-02 17:01 | イスラームの工芸 | Comments(2)
2006年 03月 01日

現在のパルチーン・カーリー(貴石の象嵌)

 インド、アーグラーにはタージ・マハルで最高の技術までいった貴石の象嵌技術が生きている。現在はみやげ物中心だろうが、世界の富裕層はシャー・ジャハーンの頃をおもい、特別注文で邸宅をこの技法で飾っているところもあることだろう。
 
① 大理石の表面に色を染める。
② その上に図案を描く。
③ 図案にきっちりとそって一定の深さに削る。ここを雑に行うと緻密な作品はできない。
④ 図案にあわせた色の貴石を幅・長さ・カーブ・厚みに気をつかいながら機械で削る。けずる  機械といっても砥石代わりであって、どんな厚み・カーブというのはすべて手作業であり、よい目とよい腕と勘がなければできない。↓
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⑤ 大理石の彫ったところにこの貴石を張りつけていく。接着は何でやっているのか質問したが、「これだけは企業秘密で、答えるわけにはいかない」ということだった。
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張りつけると、やや表面より浮き出るくらいに作ってあるので、それを大理石部分と水平になるまで削っていく。
⑥ 全部できてから、さらに仕上げの削りをして、最初の染を落として出来上がり。
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*こうして、貴石を象嵌する技術をパルチーン・カーリー(貴石の象嵌)という。




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by miriyun | 2006-03-01 14:02 | イスラームの工芸 | Comments(0)
2006年 02月 28日

タージマハル(2)…カリグラフィーと大理石

 タージマハルカリグラフィーはすべてクルアーンの章句である。ふつう、場所にあわせてそれぞれの章の一部、時には1節の一部をデザイン化することが多いが、ここのカリグラフィーは1つの章を1つの場所にきっちりとおさめるように作っている場所が何箇所もあるという。
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↑外側と内側にカリグラフィーの枠がある。きっちりとおさめるには相当のデザイン力がなければならない。
 
これらのみごとなカリグラフィーを書いた書家はアマーナト・ハーンである。この書家の本名はアブドゥル・ハックといい、ペルシアのシラーズからインドにやってきて4代皇帝ジャハンギールに仕えた。5代皇帝シャー・ジャハーンは1632年にみごとな書をかく彼にアマーナト・ハーンの名を与えた。(「タージマハル」岩波書店発行 より引用)
 イスラームの世界で,は、書家はカリグラフィーを書くことで神の言葉を再現していくという崇高なる仕事をするため、たいへん尊敬されている。このタージマハル建設・装飾にあたった当時の最高の知恵と技術をもった多くの人々のうち、タージマハルに署名を残すことを許されたのはこのアマーナト・ハーンただ一人だったようだ。彼の署名は南のイーワーンの文字群の最後のほうに記されている。

 
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       ↑内側の枠
 タージマハルで使われている大理石はマクラーナ大理石といわれている。ジョドプールのマクラーナ村の石切り場から切り出された乳白色の石で、そのため、ただの無味乾燥な白ではなく光のあたり具合で変化していく乳白色なのである。白大理石にくっきりと黒い文字が浮かび上がる。
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 ところで、この文字の黒は何でできているのか。これはもちろん黒大理石を白大理石に象嵌しているのだ。優美な曲線でできているこのたくさんの文字をこれだけ美しく象嵌している建築を見たことがない。
 シャー・ジャハーンは自らの廟はヤムナー川をはさんだ向かいに黒大理石で建てるつもりだったと伝えられるが、その黒大理石はすでにここで使っていたのだ。

 シャー・ジャハーンは自分の黒大理石の廟のカリグラフィーに白大理石で象嵌して対比させるつもりだったのではないだろうか・・・・
  

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by miriyun | 2006-02-28 18:05 | イスラームの工芸 | Comments(0)
2006年 02月 27日

タージマハル(1)・・・空間の使い方

 タージ・マハルムガル帝国の皇帝、シャー・ジャハン(1592~1666年)が最愛の后を亡くしたことにより、帝国の財力をかたむけて建築した廟である。
 后の名は「ムムターズ」という。ムムターズはアラビア語では{優れた・素晴らしい}を意味する言葉であるが、実はムムターズ・マハルはペルシア語で、「宮廷で選ばれし者」という意味があるという。このムムターズ・マハルが、タージ・マハルに変わってきたのだ。

≪追記*タージ・マハルの名について ≫
・シャー・ジャハーン時代の史家たちが、ただロウザ(墓)とよんだこの廟は、やがてタージ・マハルとして歴史に残るようになる。タージ・マハルはムムターズ・マハルの変形であり、・・・・
(タージ・マハル・岩波書店より引用}
・タージ・マハルの名のいわれは、ムムターズ・マハルの変形したものだといわれている。しかし、現地のガイドたちは、タージは「王冠」、マハルは「宮殿」の意味であると説明している。仮の墓をとりまく壁が王冠の形(八角形)をしていることを考えるとガイドの説明が正しいような気がする・(インド・○○出版、忘れてしまった・・・失礼!)

 一般に広がっているのはムムターズがタージになっていったという説で、現地から聞こえてくる声が王冠の宮殿説という。確定するような現地資料が見つけられなかった。結局はっきりしていないという状態なので、今後も注目していこうと思う。

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 この廟の建築美はまた別の機会にして、まずはアラベスクに注目してみる。 
つる草の文様は数多くあるが、絵でもなくタイルでもなく貴石の象嵌によるものなのでその微妙な色合いの石を組み合わせたアラベスクはほんの一部をみても見事な工芸品である。

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 カリグラフィーもこのインドのところでこれほどのアラビア語カリグラフィーが象嵌で作られているとは思ってもいなかった。もちろんペルシアの職人をはじめ各地の材料・職人を集めての業績だ。
 各地の技術を駆使しているとはいえ、他とは異なる美的空間を演出している。それは壁の白い空間である。この写真の場合では文字の下の白い空間は格好のデザイン場所であり、トルコ・ペルシア・アラブいずれでもここに文字または文様をいれるだろう。しかし、ここでは壁のすべてを文字と文様と色タイルで埋め尽くすことをしていない。

 結果的にはこの白さが生きて、遠くから見ると真っ白に輝く廟であり、また、近づくにしたがって、繊細華麗なアラベスクが見えてくる。更に近づけば花びらのひとひらさえ鑑賞にたえうる美しさをたたえている。
 同じく、中ほどからみても入り口の枠にしか見えなかったものがじつは文字であり、近づくにつれアラビック・カリグラフィーであらわされたクルアーンがイスラームの世界へといざなう。
 
 白い空間があることによって、アラブ・ペルシアとは異なる芸術に高めた、そんなムガルの栄えたころの建築家と職人たちとの清新な息吹を感ずる。



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by miriyun | 2006-02-27 19:00 | イスラームの工芸 | Comments(7)