写真でイスラーム :シリア
2019-09-07T03:37:18+09:00
miriyun
*写真を使って、イスラーム地域や日本の美しい自然と文化を語ります。日本が世界に誇る人物についても語ります。フィギュアスケーター高橋大輔さんの応援ブログでもあります。
Excite Blog
パルミラの目覚めのとき
http://mphot.exblog.jp/9109276/
2008-06-25T07:19:00+09:00
2009-10-04T08:50:07+09:00
2008-06-25T07:19:58+09:00
miriyun
シリア
パルミラがささやくように目覚めを見せていく
じわりと色が変化する
・・・・・・・そんな一瞬に酔いしれる
☆ パルミラはシリア砂漠の真ん中にある。 シリア砂漠は単調に走り続けるしかない。砂丘もなければ奇岩もない、ひたすら乾いた大地の続くシリア砂漠を行く。
ここはシルクロードの西端に近い。
はるか東からやってきた旅人にとっては苦しい山越え・砂漠越えをした後に更に続く変化のない大地である。これはつらいものだ。
そうしたところに突如現れる375本の列柱とその柱の台座にのっていた彫刻群がキャラバンを歓迎するかのように居並ぶ。もちろん、水の湧くオアシス都市である。豊かに穏やかに暮らす人々、商売の活気、こういった姿がどんなにか旅人を元気付けたことか。
パルミラはこうしてシルクロードのバラと讃えられた。
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天井の美
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2007-09-04T07:20:00+09:00
2009-10-04T09:05:14+09:00
2007-09-04T07:20:51+09:00
miriyun
シリア
オスマン・シリアの融合建築の天井、ご覧ください!!
↓
このグリーンを基調色とする花の天井が好きだ。絨毯の柄にもして見たいような柄だ。
日本でこのように天井にこだわったのは豊臣秀吉だが、中東ではオスマン朝での天井はことに複雑だ。
イスラームではドーム天井をモスクで採用するようになってからは天井装飾は当然のことになっていったと考えられる。
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スレイマン大帝の建てた学校
http://mphot.exblog.jp/6865781/
2007-09-03T00:26:00+09:00
2019-09-07T03:37:18+09:00
2007-09-03T00:26:01+09:00
miriyun
シリア
1行目にスレイマニエ大帝が建てさせた学校と明記している。下には西暦1566年、ヒジュラ暦で974年としてある。
こういう年号表記は大変ありがたい。数字だけであるとヒジュラ暦か西暦か迷うことがある。このように列挙してあると迷いなくその時代を考える助けになる。
この由来を表記した文字は下の写真のアーチの上の装飾文字で表されている。実際、学校、スレイマニエまでは肉眼で確認できたが、それ以上はわからなかった。磨耗し確認しにくいためこうしてあたらしい表記が脇に作り直されたようだ。
スレイマニエ大帝はオスマントルコ帝国の最盛期を築いた人物(1520~1566 )。彼は帝国として軍事的成功を修めただけでなく、芸術や文学、哲学等を愛し、数多くのモスクや公共施設をつくった。そのスレイマニエ1世が前スルタンの時に版図に加えたばかりのダマスカスにモスクと学校をつくっていたのだ。
もちろん、建築家はミマール・ スィナン(シナン)である。
ここのアーチ状の門の特色は白黒に職の大理石によるものであること。そして、白いほうに象嵌模様があることである。
ここから、進んでいくとぶどう棚に緑あふれる細い通路があり、その先に中庭を中心に回廊とアーチでぐるっと囲まれた建物がある。
ここが1566年から、子どもや青年たちの学び舎であったのだ。現在は学び舎の役目は学校になっているので、ここはハンド・クラフト・センターとなり、ダマスカスの工芸品のスークになっている。
◆ 大理石の2色あるいは3色使いのボーダー柄(つい、シマシマといってしまうが・・・)の建物を探して、ダマスカスの東から西へと歩いてしまった。
この様式はオスマン朝の建築で、ただし直前までシリアを治めていたアイユーブ朝からマムルーク朝の間のシリア文化・文様が混ざりこんだ形での建築文化になったのではないだろうか。そして、その混合型文化としては1566年創設のこの門がとくに古い時代のものと思われる。
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ダマスカス歴史古文書館のつくり(1)
http://mphot.exblog.jp/6858054/
2007-09-02T07:00:00+09:00
2009-10-04T09:08:07+09:00
2007-09-02T06:57:18+09:00
miriyun
シリア
☆ダマスカス歴史古文書館
ここにはダマスカスに残る多くの貴重な文書が集積されている。NHK文明への道でワクフの研究者として紹介されていたオラビー氏と出会ったのがここの中庭である。
オラビー氏はモスクや病院などの公共施設が周辺施設がともにつくられ、後々までもモスクが修繕運営していくことができるしくみを研究している研究者である。
この出会いをきっかけに自分自身もこのしくみに大変興味を持つようになった。
ザンギー朝ヌールッディーン
アイユーブ朝のサラーフッディーン
マムルーク朝
オスマン朝のスルタンたちの間で実例が多い。
☆さて、オラビー氏の立たれているのが古文書館の建物であるが、ボーダーとは少し異なる配列であったが黒と赤と白の大理石が使われていた。
入り口のアーチの上には装飾象嵌がある。
☆室内も壁と床は同じ大理石で、
また、室内には泉水を楽しむ場がやはり大理石でしつらえてある。
室内に泉水・・・これがこの建築方式の特色なんだろうか。エイト・ポイント・スターのアラベスクが石の色味を使って表されていた。
◆大理石と水の関係◆
大理石はもともと熱が伝わりにくい。触るとヒヤッとする。酷暑の夏に大理石の部屋に入るとそれだけで涼しいのだ。泉水があるとそこを通る風によって気化熱が奪われるから、尚更涼しい。
また、水に濡れると、大理石は色が冴える。だから泉水の色大理石は大変美術的効果が高いことになる。せっかく水を使うのに大理石で文様を作らないなんてもったいないということになる。
建設年は不明であるが、建築様式がアゼム宮殿との共通点が多いので、これもオスマン朝の支配時代のものかと思われる。
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*PCの件、ご心配をおかけしました。気持ちの上では立ち直りました。ありがとうございます。
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高度な絵付けタイルと大理石
http://mphot.exblog.jp/6852597/
2007-09-01T14:57:00+09:00
2009-10-04T09:13:11+09:00
2007-09-01T14:57:46+09:00
miriyun
シリア
シリアではもとよりウマイヤドモスクがそもそも大理石象嵌である。その伝統によるものであろうが、アゼム宮殿のみならず、サラディン廟も内壁は大理石象嵌である。
しかもよくよく見れば、アゼム宮殿と全く同じ色のシマシマ柄なのだ。
この廟はイスラームでは廟は緑色の照明にしている場合が多い。ここも全体が緑がかっているので、実際の色がわかりにくい。そこで、赤と青の補正をかけて本来の大理石の色に近づけている。そうするとアゼム宮殿と同じ色になることがわかった
残念ながらサラディン廟を作ったのは、サラディンの息子だとわかっているが、その後改築があったかどうかは聞いていない。だから、建築された時代がいつかわからないが、非常にアゼム宮殿との類似点が多いのは明らかなことである。
装飾の中には、横縞のきつさを和らげるなんとも可愛い模様もある。
絵付け文字焼きタイルを見よう!
サラディン廟の中では、人々はサラディンの棺に向かって祈っている。そして、一部にはサラディンの肖像画を仰ぎ見る者もいる。しかし、緑色に染まった壁をじっと見ている人はまずいない。
しかしこの中に見事な絵付けタイルがある。
シリアはさほどタイルでは有名ではないが、ここのタイルを見てまず文字を表したタイルが非常に美しく描かれていることに驚かされた。
文字は少しでもにじめば形はぼけて美しさが無くなってしまう。タイルの絵付けとしては最も難しい分野だと思う。
植物タイルの柄はペルシア風と思われるものもある。
さらに花模様のタイルはトルコのトプカプ宮殿の花模様に酷似している。(象嵌の中にはチューリップ柄まである。)
この素晴らしいタイルを見るに及んで、なおさらサラディン廟の建築・改築の流れを知りたいものだと思った。(どなたかご存知でしたらお教えをいただきたく・・・。)
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アゼム宮殿…宮殿建築の傑作
http://mphot.exblog.jp/6849035/
2007-08-31T23:16:00+09:00
2009-10-04T09:13:31+09:00
2007-09-01T00:21:54+09:00
miriyun
シリア
横じま状に組んだ大理石はともすると猛々しくなったり、落ち着かない雰囲気をさせたりしてしまう。とても芸術的とはいえない印象になる。
それなのに、なぜこの建築が傑作といわれるのか?
壁面やイーワーンへの大理石象嵌細工、そして窓辺にも透かし模様が入っている。横じま模様の中で、大胆に入れられた円形の窓や装飾が目に入る。窓ごとのランプも心憎い。透かしの装飾がシルエットとして浮かび上がるしくみだ。
そして、イスラームの建築に共通の中庭方式をとっており、、モスクではないがイーワーンがおかれて風格があり、連続性のある建築となっている。
そして、壁のみでなく足元の石も見事なデザインとなっており、壁面装飾と同じだけの意識を持って島であったり、円形デザインであったり、場所ごとにデザインを変えて、きっちりと隙間なく敷きつめられている。
そして、中庭であるから当然のごとく泉水があり、木々が緑なすのである。
イーワーン方式の建物、泉水(この時、水は入れていなかった)、そして緑の多い中庭
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大理石象嵌の泉水
http://mphot.exblog.jp/6812645/
2007-08-27T01:48:00+09:00
2009-10-04T09:14:11+09:00
2007-08-27T01:48:33+09:00
miriyun
シリア
とうとう、我が家でも・・・。調子が悪かったPCのハードディスクがとうとう壊れてしまいました。まだ、購入してから2年半、確かに膨大な量のデータは入れていたけれど、そんなに酷使したつもりはないのです。
デジタルデータ・・・アナログ物より保存に優れ整理もしやすい、それを当てにして使っていたのですが、壊れるときはなんともあっけなく・・・。(心で泣いて~)
ノートPCを持ってきてインターネット設定から行い、そしてぱらぱらとバックアップしたデータを拾い集めていますが、まだ思うように必要なデータを探せないでいます。
◇更新・お返事など遅くなっていてすいません.しばらくスローペースですがどうぞよろしくお願いします。
~・~~・~~・~~・~~・~~・~~・~~・~~・~~・~~・~~・~~・
アゼム宮殿の泉水
ダマスカスの著名な建築としてはウマイヤドモスクがあり、その近くにウマイヤ朝のカリフやアイユーブ朝・マムルーク朝の君主たちが居住してきた。
そこに1749年,オスマン朝の総督アサッド・パシャ・アル・アゼムが宮殿を造った。
この宮殿はイスラームの中庭方式のもので、そこに泉水を設けている。水こそがイスラームの建築の要なので噴水や泉水が作られている。水が豊富にあることをアピールしているつくりだ。
その泉水は室内にも作られている。
そして、大理石象嵌、ダマスカスでは大理石象嵌が極めて多い。ここでも文様がすべて色の異なる大理石でできている。4つある水の出口の造詣がおしゃれだ。
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エェ~ッ!?忍者?…イスラームの街角
http://mphot.exblog.jp/6566307/
2007-07-26T16:17:00+09:00
2009-10-04T09:14:40+09:00
2007-07-26T16:17:33+09:00
miriyun
シリア
ダマスカスの街角で見つけた映画のポスター。
題名は、もろに『NINJA』だ。 Jの文字の上が日本刀の柄とつばになっているのがデザインの工夫をしたところらしい。よく見ると、車が吹っ飛ぶアクションものらしいが、その上をシュルシュルと手裏剣が飛んでいる。(いったい、どこの映画か?よもや日本ではないだろうと思っているのだが・・・)
よく日本にやってきた日本通の外国人が、当初は街の中に普通に忍者とかいるのだと思っていたという。それほど、一部には忍者は日本を代表する文化の一種と考えられているようだ。しかし、車やハイテク産業で名だたる日本のイメージと同居していることが、妙におかしい。
◆ ところで、日本に来た外国人は忍者はいなかったとがっかりしているが、この武芸?がまったく廃れてしまったのかというとそうではない。
実は・・・・!
実は、身近にも日々、古武道および手裏剣技などを伝える家柄の人がいて、そういう家に生まれた人は日々子どものころから鍛錬しているという。
手裏剣などもかなりの威力がある反面、下手に扱えば自分でも怖いものらしい。その人は長い槍も使うし、吹き矢も使う。この人の家に泥棒など入ったら、泥棒のほうが散々な目に会うだろう。
なお、この人は先日,飛んでいるハエを素手で捕まえ(つぶしたわけではない)、また放してやっていた。後で詳しく聞くと、なんでも指と指の股にはさんで捕まえるそうだ。
簡単そうに言っていたけど、そんなこと普通はできない!
この人の家は忍者の家ではないが武道を伝える家ということだ。しかし、忍者の家柄も続いているそうだ。
あなたの隣にも実は普通の格好をした忍者がいるかもしれない・・・。
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クイズ*ハンマームとウード職人…メディナ(旧市街)散策
http://mphot.exblog.jp/6240162/
2007-06-04T18:07:00+09:00
2009-10-04T09:18:48+09:00
2007-06-04T18:07:53+09:00
miriyun
シリア
メディナといったら、白壁に囲まれた細い路地。強い日射しをさえぎる緑涼やかな昼下がりを歩く。ここはダマスカス。私が好きな町。
Al selselahというハンマームの入口の文字。ハンマームはローマ風呂、すなわちサウナ。ローマ帝国のきれい好き、風呂の習慣はヨーロッパには残らなかったがイスラームではハンマームという文化として定着した。イスラーム都市の旧市街には必ずある。
◆クイズ◆ ハンマームはモスクのそばにあることが多い。それはなぜか? (答えは、きょうの最後に記載するのでご覧あれ!)
な~んていう問題を考えながら、更に路地をすすんでいく。
路地の奥に迷い込んだらウード職人の店があった。表通りの店と違って、観光客がめったにくることのないところ。近所の人まで次々とやってきて、「すごいだろう、こいつは腕がいいんだ。」「ぜひ写真を撮れ」といってくる。最初から買ってくれるとは思っていないようで、ウードの写真を撮ったらそれで満足していた。
夕闇濃くなってから出会ったのは、人なつこい子どもたち。(真ん中の子は目が大きくてインド舞踊をやっている女の子のようだ。)いい一日はこの笑顔で締めくくられた。
さて、ここで◆クイズの答◆
ハンマームやスークをモスクと共につくり、そこからの収益の一部を永久に公共の建造物であるモスクの修繕費・運営費にあてる。そういうことを最初から計画しているので、モスク建設と共にハンマームも計画するのだ。
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地形の不思議(1)
http://mphot.exblog.jp/6182309/
2007-05-28T23:44:00+09:00
2009-10-26T10:11:58+09:00
2007-05-27T09:44:14+09:00
miriyun
シリア
何年もかかって、そうやって暖めてきたものをこれからは少しづつ出していこう。地学・火山学というのだろうか・・・・その用語さえ定かでないが、どうやってできたのか、こういう山や岩の呼び名があるのかなど詳しい方にご教示願えれば幸いと思う。
↑シリア西方マアルーラ近郊
この山の形は中東地域でここ以外でも見ている。延々と衝立のように山の峰に続く様子は、驚異である。
このあたりの子どもたちは、山の絵を描くときはこの形を描くのだろうとふと思ったりした。
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光の技(3)・ボスラー遺跡の採光
http://mphot.exblog.jp/5711224/
2007-03-13T22:20:00+09:00
2009-10-04T09:19:35+09:00
2007-03-13T22:20:43+09:00
miriyun
シリア
シリアのボスラー遺跡は黒玄武岩を用いたローマ遺跡、その中でもとくに劇場は舞台部分がしっかりと残っている事で知られている。
劇場建築の下はこのように回廊になっている。やはり暗い。しかし、一定の間隔でうがった四角い穴によって採光されている。
採光口から入った日の光はすとんとスポットライトのように回廊に差込み、床にぶつかって一面を照らす。
☆太陽光の力強さをエジプト以来、感じ入っていたので、その光の筋に直角にさえぎることをそこにいた人に依頼した。
すると、
強烈な日差しはその人物の腕全体を光る剣のごとく光らせた。
見慣れている日の光であるはずなのに、非日常的な光の存在感に圧倒されてしまった。
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シリアのとんがり屋根の家
http://mphot.exblog.jp/5366200/
2007-01-25T22:14:00+09:00
2009-10-04T09:20:06+09:00
2007-01-25T22:14:28+09:00
miriyun
シリア
ここはシリア。アレッポとホムスの間にテル・マルディック村という小さな村がある。
ここの形は四角のプランにとんがり帽子を載せたような独特の形。これに似たものはハラン村やイタリアのアルベロベッロの石造りのものがある。
ここのとんがり屋根の建物は現在ではもう使われなくなり、倉庫としてのみ使用されている。
モスクの白い石はもちろん、家・倉庫も含めて土壁としっくいが目にまぶしい。シリアの農村地帯の青空にくっきりと映える風景をつくっていた。
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モスクの絢爛たる大理石象嵌
http://mphot.exblog.jp/5222348/
2006-12-30T11:45:00+09:00
2013-01-19T22:30:38+09:00
2006-12-30T11:45:46+09:00
miriyun
シリア
まず、大理石象嵌とはどういうものか。
1.壁・その他の象嵌
壁のわずかなところにもきっちりと作っている。
アラベスクは複雑になっていく。
ミンバル(説教壇)の入口の柱部分に白大理石・黒大理石にグリーンの大理石でくっきりと象嵌。
3.脇ミフラーブ
このモスクは規模が大きく、しかも横に長いバシリカ建築である。後にキリスト教教会で多用されたため、キリスト教伝来かと思ってしまいやすいが、実はローマ建築に由来する。中央回廊と両袖の長い回廊で、列柱によって支えられる。
その長辺の中央にミフラーブがあるが、もちろん中央部が全く見えないほど、左右は離れている。何しろ広いのだ。
したがってミフラーブの左右にそれぞれキブラをあらわす聖龕がうがたれている。キブラをあらわしていればそれをミフラーブという。このモスクは3つのミフラーブを持っているということだ。中央部の装飾豊かなものに対して、仮に脇ミフラーブと呼ぶこととする。
↑脇とはいえ、他のモスクなら十分中央に置かれそうな立派な象嵌細工である。それに遠くから見ても実にさわやかな感じのするミフラーブだ。
4.中央のミフラーブ
中央のミフラーブはもっとも装飾象嵌が細かくなされ、上のこの部分にはムカルナスにレリーフもあわせた手のこんだものだ。中にはローマの遺跡のあったところだけに、その影響もありイオニア式柱頭を持つ小さな白大理石の柱がミフラーブの装飾に組み込まれている。
↓(拡大してみよう)
そこにクルアーンの文字と文様からなる装飾が石・貝などによって多彩な展開を見せながら続いていく。s白く光っているのは貝であり、要所は大理石だが、その他の材料についてはあまりそばによって触るわけにもいかないので、多様な材料としておこう。
もとよりダマスカスは貝や木など様々な材料を使った象嵌でも名を馳せているところであり、職人が多い。 そういった歴史と職人の意気込みを感じさせられる場所である。
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小松義夫氏のエッセイ&ホブズの話
http://mphot.exblog.jp/5124153/
2006-12-11T23:37:00+09:00
2010-02-04T22:14:22+09:00
2006-12-11T23:56:51+09:00
miriyun
シリア
「JICA」の12月号にカメラマン小松義夫のエッセイが書かれていた。
小松義夫氏といったら、世界各国の人々の暮らしを取材していることで名高い。とくに住居をテーマに世界中の家を撮り歩いている。
氏の写真集『地球生活記 −世界ぐるりと家めぐり』で世界の家の面白さや知恵を知ったし、私たちの生活には無駄なものが多すぎることに気づかされたりもした。
そのエッセイは「心を満たす温かいホブズの味」という題名であり、ホブズの生地をこねて焼いている少女の写真とともにあった。
場所はシリア。
「トルコからシリアに入ったとき、心がなんだかなつかしい気分に満たされたことを思い出す。」
という。また、最近再度シリアを訪れて、民家に招かれてホブズを焼くところをみせてもらったという。
ここから、一概にイスラームだからといって女性と話せないわけではないこと、このときもらったホブズ(パン)が温かく美味しかったと語っている。
シリアについて、その素朴さ・あたたかさ・そして魅力あるシリア人について、これまでシリアについて書いてきた自分の感じてきたことと通じてとても共感するところだ。
また、エッセイは続く。
「母親と娘さんがホブズを焼いている。・・・ブタンガスで熱した半球の鉄板に伸ばしてのせると、すぐに焼きあがる」
おおっと、気になっていた言葉が出てきた。つい先日書いたブタンガスである。このガスはやはりホブズ焼きの半球鍋(てんぷら鍋をひっくり返したような形のホブズ焼き釜)につなげて日常使うものであった。チュニジアで見かけたブタンガス・・・思わぬところで使い方を確認できた。
そういったことがうれしかったが、それ以上に小松義夫氏のエッセイと写真を楽しむことができてよかった。
私の見たホブズいろいろ
☆ 小松氏が紹介していたのと同じタイプのホブズ焼きの半球鍋
これは、レバノンに住むパレスチナ人が使っていたものである。ホブズを焼き、その上にスプーンでザータルを塗っている。パレスチナらしいホブズである。
☆ エッセイにちなんで、シリアの様々なホブズを紹介しよう。
↑ふっくら焼けておいしいゴマ?を振りかけて焼いたホブズ
これは、中東でよく見るもので中は空洞である。さめるとぺしゃんとへこんで薄くて丸いパンになる。ただし、一回空洞ができたものであるから、すきまができている。これがポケットパンともあだ名されるもので、このホブズは半分に切って、ポケット状のところに野菜や肉を挟んでソースをかけて食べる。
↑ スークで必ず売っているリング状に焼いたパン
↑住宅が密集したところの無人販売所。ホブズは一枚いくらという売り方ではなく、必ず数枚1セットで売られ、しかも値段は極端に安い。日常生活にかかわるものは安いのが当たり前なのだ。
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青年たちとシリアの国
http://mphot.exblog.jp/5001286/
2006-11-21T20:53:00+09:00
2009-10-04T09:25:09+09:00
2006-11-21T21:57:01+09:00
miriyun
シリア
彼らは高校生と大学生であるはずだが、そう聞いていなければもっと年齢が上かと思ってしまう。これは日本人が他国と比べてありがちなことだが、このときもそれを強く感じる。また、中東などイスラーム諸国はひげを生やすので尚更そう感じてしまう。
ただ、女性についてももっと年が行っていると思ったら高校生であったりということがあるので、やはり日本人は童顔なのだろう。喜ぶべきかどうかは時と場合による。
こんな中でかろうじて高校生かなと思える青年の一団が賑やかに歩いている。
↑イェナールとウマルの二人が中心になってうたって踊りながら歩く。陽気ですべてを楽しみながら踊り、おどけてみせる。
一方やや落ち着いた雰囲気を漂わす一団は大学生のようだ。
↑オルワ・・・その中でも、彼はユーモアと親切心に長けていて言葉の通じにくい外国人にも積極的にいろんな話をしてくる。
☆こんな青年たちと交流しながら思ったことがある。時は2006年8月7日、10キロ西はもうイスラエルによって空爆されて国民が逃げ惑うレバノンである。新聞はレバノンとシリア・イランのつながりを書きたて、今にもシリアはヒズボッラー支援に乗り出すか、そうなれば中東戦争一気に拡大か?という取り上げ方をしているところもあった。
その中で、国境近くのシリア人は固唾を飲んで隣国との境を見守っているのかいるのか、戦争への心の準備をしているかも知れない、見えない緊迫感のようなものにおされて、環境教育どころではないかもしれない。・・・と多くの人は思っただろう。自分にとってもそんなイメージだった。
ところが、この国境が目の前のこの町で青年たちは屈託のない笑顔で歌い踊りおしゃべりを楽しみ、自然の中でのヒーリングもやっていた。これって何なのだ。
そういえばダマスカスの行政府警備の兵隊も実にのんびりムードで戦争なんて自分たちがするとは思っていない。(もちろん、TVに登場してくる大統領はいざという時イスラエルが攻撃したら戦うといっていたが・・。)
☆そして、9月~11月の日本の新聞では、国連からその非道ぶりを非難されたイスラエルへの追求はゆるいままに消えてしまった。一方、レバノン難民を制限することなく人道的に受け入れつづけ、挑発されても一切戦争に入ることをしなかったシリアは相変わらず[悪の枢軸]扱いを受けていたのである。
そういう新聞を読まされていたら、絶対にこんなやさしくおどけた青年たちが平和を好んで暮らしているとは感じないんだろうなと思ってしまった。まことに残念である。
◆なお、今日のニュースでシリアとイラクが国交回復・・・シリアとイラクが国交回復し両国の関係正常化が実現することになる。背景にはイラク情勢の泥沼化を受けシリア・イランの関与を求める声が欧米諸国で高まっていることがある。
アメリカのイラク政策見直しの提言を準備している超党派の「イラク研究グループ」は、イラクの治安安定のためシリアやイランとの協力を検討しており、これに呼応することにもなる。
シリア側はこの機をとらえて国際社会からの孤立脱却を図るねらいがある。
シリアを悪の枢軸と決め付けたブッシュ政権の弱体に伴い、新しい動きが始まりだしている。
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≪追記≫
これを書いた翌日にレバノンのジェマイエル工業相が銃撃で暗殺されたとのニュースが入った。まだ、何の証拠がないにもかかわらず、レバノンの政府側の一部とイスラエルが暗にシリアの名を匂わせている。
しかし、政治・外交の素人が見てもわかる。この国際社会の孤立から抜け出そうとしていたその最中に、暗殺なんぞすること自体考えられない。そんなタイミングなどありえない。メディアは暗に名指しにする情報を載せる場合、その裏を取るか、その自信のない場合は、状況解説をもっと丁寧にやるべきで、メディアが都合のいい情報伝達手段に使われてはならない。]]>
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