写真でイスラーム :日本
2023-10-14T10:01:14+09:00
miriyun
*写真を使って、イスラーム地域や日本の美しい自然と文化を語ります。日本が世界に誇る人物についても語ります。フィギュアスケーター高橋大輔さんの応援ブログでもあります。
Excite Blog
しだれ桜の昼と夜
http://mphot.exblog.jp/32942568/
2023-04-05T15:22:00+09:00
2023-04-08T16:33:50+09:00
2023-04-08T16:16:47+09:00
miriyun
日本
下まで届きそうなしだれ桜草木も人もやさしく包み込む
2.夜
ライトアップが始まる黄昏時も華麗。
暗闇の夜
風吹くごとに花びらがひらひらと落ちていく
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東寺の水辺に・・・夜間拝観
http://mphot.exblog.jp/32835679/
2022-11-30T22:25:00+09:00
2022-12-08T15:21:19+09:00
2022-12-08T14:52:22+09:00
miriyun
日本
これまで、京都駅から歩いて15分でしかも京都のシンボルというべき五重塔をもつ東寺に行ってみたことがなかった。夜間のモミジにさほど大きな期待は持たずに行ったのだが・・・
東寺の長い塀に沿って早くから拝観の列ができているし
近づくほどに外観だけでも壮観美麗なライトアップの姿が見えてきた。
おもったよりワクワク~宝蔵を囲む堀に映る
門を入ってすぐに、松ヶ枝の間からもすでに水辺に映る姿が見えてくる。
左手には宝蔵と呼ばれる蔵があるのだが、平安後期につくられた校倉造の蔵があり、東寺においてはもっとも古い建造物として残っている。それはこの蔵の四方をぐるりと囲んだ防火用の堀が作られていたからだろう。
そのおかげでこのような光景も見られる。
瓢箪池に映る五重塔
北東の慶賀門から入り、庭園を南へ進むが大小の池が連なる瓢箪池があり、その一番奥に五重塔が見える。水辺に映るモミジと五重塔、絶句!
2.歴史をちょっと振り返り
かって「鳴くよ、うぐいす平安京」と覚えた平安京遷都が794年。
東寺の造営そのものはその2年後には始まっている。
しかし本格的造営は唐から真言密教を学び帰国し、高野山を開創していた空海(弘法大師)に、823年に下賜されたことにより、真言密教の道場として大伽藍となっていく。826年には五重塔の造営に着手し、完成は883年なので多くの年月を経ての完成であり、空海はその完成を見ていない。
赤モミジの枝の下から塔を望む
ローマ帝国をはじめ西国の石造建築は2000年を経てもその栄光を示しているが、木造建築は度重なる戦乱・地震・火災などで焼失しているものが多い。1200年にも及ぶ東寺の歴史の中で五重塔も落雷などによって4度焼失した。だがその都度、空海が行ったように多くの僧が奔走し五重塔再建という大事業を成し遂げてきた。
いまの五重塔は、1644年に徳川家光の発願により再建した5代目にあたる。
高さは54.8m。古塔として日本一高い木造建築であり、純和様の守った手法で建築されているので江戸時代初期の秀作として国宝として指定されている。
3.瓢箪池の美
五重塔の前の瓢箪池北から見ると五重塔が移る姿に心奪われるが、五重塔がある側の南からみると、純粋に植栽と池の美しさを感じられる。
久々に寺の起源や創始者の思いまでさかのぼってみたくなる思いに駆られた風景だった。
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澄んだ空・・北海道
http://mphot.exblog.jp/32578442/
2022-05-06T09:50:00+09:00
2022-05-07T08:51:53+09:00
2022-05-06T09:50:10+09:00
miriyun
日本
空と大地を見るのが好きなので、とても気になる空の色。
日本の中で、空に驚かされたところがある・・・それは北海道!
その北海道で、何より『澄みわたった空』に驚愕。雲一つない空に出会ったわけではない。常に雲がいっぱい。山のほうが国はいつも雲が湧いていたりもしたが、それにしても空が清い。コントラストを強めたポスターのような空、それ以上のものが実際にそこにある。
透明感というか色の純粋さといういうのは映像・画像には表せないのかもしれない。
こんなに雲が多くても空の違いは感じていた。
この澄んだ空の奥行
2.空の広さ・大地の広がり 実は北海道に足を踏み入れたのはつい最近で、富良野・美瑛地域。
きれいなところだというのはわかっていたがそれは丘陵や花畑がきれいというのであって、それ以前に空で驚かされたのは予想外だった。
ブドウ畑と山と。
広い土地で見る空は違うものなのだろうか。
駐車場の黄色いバイクモニュメントも空に映えていた。
さすが北海道と思うものはいくつもあるが、
自分のとって初北海道の衝撃は、空の色味と大地の美しさだった。
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高台寺(3)五七の桐文
http://mphot.exblog.jp/32561634/
2022-04-12T14:06:00+09:00
2022-04-24T07:24:41+09:00
2022-04-20T11:48:22+09:00
miriyun
日本
それだけに豊臣の名残りがあるが、中でもわかりやすいものには家紋がある。
秀吉の妻の霊屋(おたまや)にて。
秀吉は千成びょうたんを馬印にするなどいくつかのしるしを使ってきたが最終的に桐文を使った。
秀吉は百姓の子であることは自他ともに認めるところであったが関白になるにはどうしてもそれなりの家格が必要で高貴なる家の生まれであるとした。これに見られるようにそもそも高貴な桐文を天皇家の菊門とともに装飾としている。
もちろん菊文が上で、下に秀吉の桐文を置いていた。
桐文にはいろいろな種類があるが、豊臣秀吉は『五七の桐文』
3枚の桐の葉の上に。花茎が3本。
その花茎に5・7・5の花がついているのが五七の桐文と言われる文なのだ。
(3・5・3の花がついているのは五三の桐文と呼ばれる)
霊屋(重要文化財) - 開山堂の東方、一段高くなった敷地に建つ、宝形造檜皮葺きの堂。慶長10年(1605年)の建築
2.高台寺蒔絵 寺に所蔵される、北政所所用と伝える調度品類にも同じ様式の蒔絵が施され、これらを『高台寺蒔絵』と称している。高台寺蒔絵の特色は、金の平蒔絵(文様部分の漆を盛り上げずに、平滑に仕上げたもの)を主体に秋草などの絵画的な文様を描くことである。
高台寺蒔絵⇒https://www.kodaiji.com/makie.html
この蒔絵の中には秋草とともに、五七の桐文をデザインの一部に取り入れているものもある。
↑ひさげ(酒器)メトロポリタン美術館蔵
これは、左の黒地のところに秋草、右の赤地のところに五七桐文を入れて豊臣家の蒔絵道具であることを示唆している。さりげなく秋草には菊を選んでいる。高台寺蒔絵のわかりやすい一例であり、工芸的にもデザイン的にも優れてる。
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高台寺(2)寧々の寺
http://mphot.exblog.jp/32561618/
2022-04-11T13:12:00+09:00
2023-10-14T10:01:14+09:00
2022-04-20T11:24:17+09:00
miriyun
日本
高台寺は豊臣秀吉の妻が晩年を過ごした寺である。
豊臣秀吉の妻「寧々(ねね)」(1548~1624)は、正室、北政所(きたのまんどころ)と呼ばれ、秀吉亡き後は落飾して仏門に入り後陽成天皇から高台院という号を賜られた。この寺は慶長11年(1606)太閤秀吉の菩提を弔うために、寧々が建立した寺で、豊臣家の名残りが感じられる寺院である。
激動の時代に生きた寧々(北政所)は、その人柄を慕う多くの人々に囲まれながら、当地で高台院さまとして後半生をおくった。
上の図で下から観月台ー開山堂ー臥龍廊ー霊屋(おたまや)と連なる部分が見える。
高台寺は広大な敷地を持って隆盛を極めたが、江戸時代の度重なる火災などで焼失したり、廃仏毀釈で寺領を狭められたりしている。しかし池の水に守られたのかこの絵図の一帯は創建当時からの建造物が残っている。表門・観月台・開山堂・霊屋、そして山の上にある茶室、時雨亭・笠亭は創建時からの建造物であり、国の重要文化財となっている。秀吉の城、伏見城からの移築物が多く、寧々が秀吉を偲んでいたことがうかがえる。
手前の庭園に張り出した屋根付き廊下の中ほどにある屋根が高くなっているのは観月台で月を眺め、開山堂で秀吉の菩提を弔って生活していたという。
廊下は東西に連なり右が南側なので、観月台で右側の池と庭園越しに月を眺めていたのだろう。
観月台の屋根は景色の中に溶け込みながら印象的な落ち着いた赤褐色になっているそうだ。
周りの池を含む庭園は小堀遠州が手掛けている。
この開山堂の裏山の上に霊屋(みたまや)に向けて山を竜が上るかのような臥龍廊が設けられ、この屋根付きの階段廊下で霊屋に行くことができるようにしつらえられている。
ここから上るようになっている。
外から見ると竜の背中が山に向かってうねっているようで臥龍廊と呼ぶ。
その昇る廊下の両脇にも池が見えシャクナゲの花が目を楽しませる。
ここは通れないので、今度は霊屋のほうから回って見下ろしてみた。
↑霊屋の門の屋根
霊屋の地下には寧々こと高台院が葬られている。
霊屋には高台寺蒔絵と呼ばれる見事な蒔絵が見られるがここだけは霊屋なので撮影禁止。
↑ 参拝チケットとともにいただいたしおりより
霊屋の中は写真撮影不可であるが、内部は菩薩像を安置し、向かって右には豊臣秀吉の坐像、左には北政所の片膝立の木像がそれぞれ安置され、心通わせた夫婦の面影を伝えている(茶々をはじめ側室がいっぱいいたことはしばし忘れて、寧々の人生に思いを寄せた)。厨子の扉には秋草、松竹など、須弥壇には楽器などの蒔絵(まきえ)が施されている。
なお、1624に亡くなった北政所は自身の像の約2メートル下に葬られている。
2.茶室
これよりさらに上にいくと、
やはり伏見城から移築したという利休好みの茶室がある。
笠亭
時雨亭(しぐれてい)
伏見城から移築し、高台院が愛用した茶室。珍しい二階建てで、下に待合。二階部分に小上りがあってそこでお茶をする。押し窓を大きく明け放すと、当時は大阪城まで見えたという。
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高台寺の後藤典生・執事長は、
「大坂城が落城した夜、北政所は燃え上がる炎が大坂の夜空を赤く染める様子を
時雨亭から見つめていたと寺に伝わっている」と話す。
(日本経済新聞より引用)
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晩年の高台院が豊臣家の存続だけを願っていたであろうに、豊臣秀頼の住む大阪城のその滅亡を大阪の空に見たのは言葉にならない無念さであっただろう・・・。
だが、人々に慕われるようなお人柄であったことはこの寺のやわらかな優美さとなって雰囲気が残されており、私が好きな寺の一つとなった。
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高台寺(1)枝垂れ桜
http://mphot.exblog.jp/32560577/
2022-04-10T14:16:00+09:00
2022-04-20T11:46:34+09:00
2022-04-19T12:49:12+09:00
miriyun
日本
天皇家からのお使いだけを迎えるための勅使門の銅さびた色合いの屋根に桜色が美しい。
京都は特に枝垂れ桜がおおいが、ここの枝垂れはことのほか美しい。
大きくなった桜は自重に耐え切れなくなるため、回り中に支えをたてた桜木が多い。ここの桜は自力だけで立ち、すがすがしくも甘く切なく美しさを堪能できる。
無粋なものも和歌の一つも詠じてみたくなるだろう(いや、自分には和歌は出てこなかったが、気持ちの上ではそんな感じだったということで・・)
その枝のそよぎと白砂の庭園に落ちる影をいつまでも見つめていたくなる。
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床板を見てきた知恩院
http://mphot.exblog.jp/32560241/
2022-04-09T14:15:00+09:00
2022-04-20T11:45:53+09:00
2022-04-19T03:15:22+09:00
miriyun
日本
知恩院は東山区にある浄土宗の総本山だ。
浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた。
国宝を多く持つ歴史的に見ても興味深い寺院だが、今回は壮大な山門を通らず、裏山から入り脇に抜けるという短時間の訪問だった。
2.床板
現在のような大規模な伽藍が建立されたのは江戸時代以降である。
「御影堂(みえいどう)」は寛永16年(1639)に徳川3代将軍家光公によって建てられた。
周り廊下を歩いていく。
木造で、これだけの建物が今に残るというのは本当にすごいものだ。
歩きながら気になったのは床板の凸凹。
横に渡した木材の節が至る所に見られ、板目にも凹凸が見られる。
何百年も使われ続けていくうちに、平らに切られた木材も固いところだけを残して摩耗していく。これが節が残ったもの。
硬い節ではあるが、それがさらに傷んでくると中心部がぽろっと砕ける。そうすると床に穴が開いたようになって歩きにくい。そうしたところはきちんとのこぎりでカットし木材を同じ大きさにカットしたものを作り埋め込んでいく。
こうした修復跡も数限りなくあり、古き建物を修復しながらしっかりと残し、次に伝えていく。それを床板から感じた。
◆渡り廊下の修復
その廊下の先には、御影堂からほかの建物を結ぶ渡り廊下があり、全長550mに及ぶ廊下が建造物間をつないでいる。この廊下は「うぐいす張り」で知られている。二条城では忍びなど敵がそっと近づいてくるのを防ぐものだといわれてきた。
しかし、この長い廊下を床板や金属も外して修復したことにより一部の廊下は音がしなくなり、音が出なかった廊下が老朽化で音がするようになったという。これにより、知恩院については廊下を支える部材の老朽化により音がするのではないかという説も出ている。
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祇園白川の花の道
http://mphot.exblog.jp/32557062/
2022-04-06T03:33:00+09:00
2022-04-20T11:43:02+09:00
2022-04-16T04:42:12+09:00
miriyun
日本
京都の桜を見たい。長年の願いだったので、桜を見に行く旅を決めた。
テーマは、『京都の桜を自転車で巡るひとり旅』。
まず調べたのは京都のレンタサイクル事情だ。
京都にはレンタサイクル屋やシェア自転車がある。ただ宿から遠いと、そこまで行くのに時間がかかる。また滞在中に連続借りっぱなしも考えてみたが、駐輪場が全くないホテルも多い。
こう考えた末、ホテルがレンタサイクルを貸出しているところがベストだと考えた。
初めて、京都の地名と道路名を意識しながら走ったら南北に走る烏丸通などの固有の名前の道路、そして東西に走る七条、五条、四条などの名前で距離感もわかってきた。道の名前を意識し、条里制の便利さを初めて実感することができた。
2.祇園白川
祇園四条から少し北に行ったところから東側に桜が美しく、その下に人々が座ってくつろげる場所もあり、祇園という混みあう場所ながらゆったりと桜を楽しむことができる場所だった。
白川南通 白川は祇園のお茶屋さんなどが点在し、時に舞妓さんなども通る風情のある場所だ。
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丸山公園の景色
http://mphot.exblog.jp/32553165/
2022-04-05T11:50:00+09:00
2022-04-20T11:42:15+09:00
2022-04-12T11:50:15+09:00
miriyun
日本
話には聞いていた丸山公園、近めの駐輪場に自転車を預けて、行ってきた。
八坂神社を越えてすぐ北が丸山公園。
2.
この公園随一の桜の大木。
枝垂れた枝は地面につかんばかり・・
桜の丸山公園、いいね~。散策しながら見られる感じがよかった。
公園の中にせせらぎがあって家族連れもカップルも一人旅も誰もがゆったりみられる。
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青き池の静かさよ
http://mphot.exblog.jp/32338972/
2021-10-15T00:43:00+09:00
2021-10-15T01:15:06+09:00
2021-10-14T10:43:09+09:00
miriyun
日本
池の水は川よりもさらに青く、そして幸いにも湖面は静かだった。
枯れた立木の影が白く映る
2.なんと水たまり この池は1988年に噴火した十勝岳の堆積物による火山泥流災害を防ぐため、美瑛川本流に複数建設された堰堤のひとつに水が溜まったもので、なんと国土地理院の地図では水たまりとみなされて~池とはなっていない。
美瑛川から離れた両岸の森林内部まで堰堤が造られた結果、川の左岸側のブロック堰堤に水が溜まるようになった。
そのため自生していた木々は水没し、立ち枯れた。
それが今水面に映る白樺やカラマツなのだ。
遠くからでも池の底の藻が見えるほどの透明感
この池の水は美瑛川の水だけでなく、このあたりの湧き水も含まれるという。
湧き水には水酸化アルミニウム (Al(OH)3)など、白色系の微粒子も含まれており、美瑛川本流の水と混ざることによって分散され一種のコロイドが生成される。
水中に差し込んだ太陽光がコロイドの粒子と衝突散乱して水の吸収による青色の透過光が加わり、美しい青色に見えると言われている。(Wikipediaより引用)
川も上流では青かったが、それ以上の青さと映り込む木々の美しさは見る人をのめりこませる。
これが、そもそもが水たまり扱いだったということに何より驚かされた。
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道
http://mphot.exblog.jp/32311669/
2021-09-20T11:16:00+09:00
2021-10-20T17:51:57+09:00
2021-09-20T11:16:26+09:00
miriyun
日本
人は穏やかに幸せに生きていきたいと誰しも思う。
まっすぐな道を歩み、清々しく育っていく。
その中で人は自分の個を確立していく。
一個の人間としての尊厳も確立していく・・・。
2.岐路と時計
でも人生のどこかで岐路は現れ、どんなにつらくても決断しなくてはならないこともある。
人との出会いは新たな幸せをもたらす
互いへの敬意と思いやりをもつもの同士の出会い
これ以上はないと思える絆
ところが、まさかのシェイクスピアの時代のような難問が時計を持ってやってきた。
二つの道がある。進もうとした道は全く想像していなかった道だった。苦しくても先が見えなくてもその道に光が当たる何かがあれば、その二人の努力で何とかなるだろう。しかし、その道にはとうとう光がなかった。心の糧にして歩むためのほんの少しの光もなかった。
しかも第三者によって期限を決められての決断を迫られた。
その道の岐路がもう目の前にぐんぐん迫ってくる。
あと三日、
あと一日、
あと一時間と岐路は迫ってくる。
その時のその人の絶望に接して体が震えた。
こんな選択が現代でもあるのだろうか。
決して、その人の相手が悪いわけではない。相手は人として素晴らしい人物だ。
相手の周囲が悪い人というわけでもない。ただ、
江戸時代のようなあっけにとられるような文化?の違い、常識の違い。
崖から飛び込むように明かりのないその中に飛び込む道もある。しかし、それには自分の尊厳を捨てるにも等しい。
・・・その人は慟哭の中で自分の尊厳を残す道を選んだ。
正しい道を選んだと思っている。
本人と相手、こんな困難な中でも一歩も揺るがなかった互いへの思い。
しかし、土壌文化の違いの中で刷り込まれた常識は根強かった
ゆるぎない思いをもってしても太刀打ちできないものがあった。
最後まで互いに敬意をもって話をした二人の心に泣く
だが、
今度は追いかけてくる恐怖の時計でなく、
ゆっくりと時を刻んでくれる癒しの時計が、傷ついた心をいやしてくれるだろう。
その時にまた一歩ずつでいい、新しい道を歩んでいってほしい。
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家庭菜園とスマホのあれやこれや
http://mphot.exblog.jp/32289730/
2021-08-31T23:56:00+09:00
2021-09-01T19:44:28+09:00
2021-09-01T09:14:54+09:00
miriyun
日本
野菜が大好きで食に生野菜は欠かさない。
そんな自分が、長いこと放置してある場所があるがどうかと突然誘われた。
ごく狭い場所なので軽い気持ちで年間使用を申し込んで、ミニトマトときゅうり栽培を頑張った。
実は最初、見に行って驚いた。放置されていたというだけあって、すごい状態だったのだ。石はごろごろ雑草茫々という状態で、周りのちゃんとした菜園の中で際立つ異質感・・。木の根とドクダミの地下茎が50cmの深さまでびっしりはびこっていたのだった。
そこを掘って掘って石ころも根もそれぞれ10袋以上を捨てて土だけにするのに1か月超。それからの苦土石灰、数日おいて肥料を入れて更に耕す。しかも菜園の中でもここだけ傾斜している土地なので平らに土を盛らないと雨水が表土を押し流していくことになる。そもそも斜めっている場所にいるのだから水平器がないと平らな感覚が持てない。iPhoneに水平器があることに気付き、これで水平を測りながら畝立て完成。家庭菜園にも使えるiPhoneだった(土汚れ注意)。畝の向きはiPhoneのコンパスを使って決めた。
更にマルチで覆い、支柱を立てる。種から育てたミニトマトのアイコの苗も待ちくたびれてヒョロヒョロになってしまっていたが、購入してきた別種のミニトマト・中玉トマトと一緒に育て始めた。また、ネット情報で見つけたトマト苗(ゲノム編集でギャバ含有量の多い)栽培モニターを事前申し込みしていて、それの栽培については発送元からいろいろな最新栽培情報がLINEでもたらされてとても役にたった。
その間にも、youtubeでトマトの栽培方法を学び(解説がわかりやすい塚原農園さんのを特にみていた)。梅雨の長雨で、トマトの葉の病気が起きればgoogleさんにお世話になり、必要な農業資材はヨドバシドットコムで注文し、そして一部メルカリでも購入した。
根が呼吸できなくて弱り茎が気根だらけになったり、さらに虫が出始め、また赤く色づき収穫のころになるとカラスがトマトを房ごと引きちぎって食べ散らかす・・・などいろんなことを経験しながらも、何とか収穫期を迎えた黄緑・黄色・オレンジ・赤へと変化する様子が、早朝から汗を流しに行くモチベーションになる。
このくらい手をかけるとかわいいよ
畑に行くには、天気予報も大事。
今は雨雲レーダーが5分刻みで雨雲の動きを予報してくれるから、この20分だけの雨が止むところで収穫だけしてこようとか、細かな動きをすることができる。
自然の色の美しいこと、
今日までに、トマトの収穫は886個(わざわざ数えているということがいかにも素人で、我ながら笑ってしまうwww)
遠隔地の子どもに房どりトマトを送ったら、LINEでトマト料理の写真と笑顔の動画がかえってきたよ。
大地よ、ありがとう!
ーーーーーーーーーーーーーー◆すべて手作業の家庭菜園であっても、ふと気づくとスマホとネット・SNS環境にかなり助けられているなと実感した夏だった。
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静かなる夕暮れ
http://mphot.exblog.jp/32282120/
2021-08-25T23:43:00+09:00
2022-05-14T01:47:31+09:00
2021-08-26T09:31:58+09:00
miriyun
日本
静かに赤く染まる空を、
ねぐらへもどる鳥が過ぎゆく・・・
写真としての要素は少ないが、
この静かなる「 時 」をそっととどめておきたいと思った。
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水鏡
http://mphot.exblog.jp/32135332/
2021-05-14T17:59:00+09:00
2021-05-14T18:34:05+09:00
2021-05-14T17:59:21+09:00
miriyun
日本
めったに出会うことのない満開・青空・無風の日に感謝。
2.いろいろな場面で
これまでに様々な巨大な建築物や朝夕の空は撮ってきた。水に写しこむと壮大さが胸に迫る
睡蓮は水と共に生きる植物さから、もちろんこうした姿が美しく感じる。
水に映る姿は特徴のある建造物や睡蓮の細い花弁など輪郭がはっきりとしたものが向いている。
でも、輪郭のはっきりしない桜が珍しくくっきりと水に映る姿を見て、「こんなのあり?」とうろたえるほど美しいと気づかされた。
~~~~~~~~~~~~
*いつも伝えたいものを時系列バラバラで書いているのでどんどん時季外れになっていますが、寛大な心で見てくだされ~。 m(_ _"m)ペコリ
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ローソンの青い看板が雅に見えた
http://mphot.exblog.jp/32118479/
2021-05-04T08:45:00+09:00
2021-05-04T12:50:07+09:00
2021-05-04T08:45:32+09:00
miriyun
日本
ローソン・ファミマ・セブンなど主要なコンビニはどこに行っても目に付くし、看板も見慣れている。水に映ったローソンの看板も散り初めの桜とともに雅な一風景として楽しんだ。
そして初めてなぜローソンの看板は白い牛乳缶の絵柄なのかと思うに至る。
調べてみたら、アメリカのオハイオ州が起源だった。J.ローソンさんは牛乳販売店をいとなんでおり、ローソンさんの牛乳屋さんとして地域の評判を呼び、たくさんのお客さんが買いに来る湯になった。彼はローソンミルク社を設立後、日用品も売るようになっり、チェーン展開したという。のちに大手のコンソリーデーテッド社の傘下となりコンビニエンスストアの運営システムを確立した。日本のダイエーがその会社とコンサルティング契約をして1975年に大阪の桜塚店がローソン1号恬としてオープンした。
今、アメリカにはローソンを名乗るコンビニはないという。
日本全国のローソンという名前と、看板のローソンさんの牛乳屋さんの名残りの看板があるのみである。
2.雅(みやび)といえば
桜に囲まれた橋もみやび。
自分にとって自然の中で赤の建築物は強すぎる印象となることが多いのだが、これだけの桜に囲まれると普通になじんでしまう。
現代のリュックをしょった若者もそぞろ歩きの老夫婦も実に絵になる。
平安の大宮人が歩いたらどんなだろうとも想像する。
本当に雅な空間だ。
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