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  <title>写真でイスラーム　　:エジプト</title>
  <category scheme="http://mphot.exblog.jp/i27/" term="エジプト" label="エジプト"></category>
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  <modified>2021-05-31T09:39:18+09:00</modified>
  <author><name>miriyun</name></author>
  <tabline>＊写真を使って、イスラーム地域や日本の美しい自然と文化を語ります。日本が世界に誇る人物についても語ります。フィギュアスケーター高橋大輔さんの応援ブログでもあります。</tabline>
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    <title>アオサギの冠羽とヒエログリフ</title>
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    <issued>2021-05-31T01:49:00+09:00</issued>
    <modified>2021-05-31T09:39:18+09:00</modified>
    <created>2021-05-31T01:49:32+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>エジプト</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[１．冠羽　　　　<br />
<br />
一部の鳥は頭部に冠羽（かんう）を持つ。　<br />
青い羽根に、冠羽、赤いルビー色の目が特徴のオウギバト<br />
<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202105/31/90/c0067690_04062349.jpg" alt="_c0067690_04062349.jpg" class="IMAGE_MID" height="388" width="500" /></center>あまりにゴージャスな身体の羽色に目を奪われてしまうが、くじゃくは身体と同じ色の冠羽を持つ。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
２．アオサギの冠羽とヒエログリフ<br />
<br />
<br />
<br />
あまり目立たないが、成熟したアオサギにも冠羽がある。<br />
（１）アオサギの冠羽<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202105/31/90/c0067690_02102318.jpg" alt="_c0067690_02102318.jpg" class="IMAGE_MID" height="690" width="500" /></center><br />
<br />
アオサギは通常は羽を立てず、2本の冠羽は頭の後ろに流しているが、<br />
<br />
<br />
<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202105/31/90/c0067690_01005581.jpg" alt="_c0067690_01005581.jpg" class="IMAGE_MID" height="640" width="490" /></center>時にこのように冠羽を立てることがある。黒い冠羽と白の胸の羽が立派だ。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202105/31/90/c0067690_03410820.jpg" alt="_c0067690_03410820.jpg" class="IMAGE_MID" height="331" width="500" /></center>クジャクやオウギバトのように頭部に常に目立つように立っている冠羽と、アオサギのように伏せた状態にできる冠羽もある。<br />
<br />
<br />
（２）エジプトの壁画<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202105/31/90/c0067690_02112848.jpg" alt="_c0067690_02112848.jpg" class="IMAGE_MID" height="340" width="500" /></center>↑紀元前1250年ごろのネフェルタリ王妃の墓の壁画<br />
<br />
なお、アオサギの姿は、古代エジプトで絵にあらわされている。古代エジプトでは動物たちの多くが神として考えられた。アオサギはベヌウという聖鳥として描かれている。その絵には冠羽を後ろに流し、胸の羽毛がふさふさしている姿が現されている。<br />
<br />
（３）鳥の形のヒエログリフ<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202105/31/90/c0067690_03151624.jpg" alt="_c0067690_03151624.jpg" class="IMAGE_MID" height="143" width="160" /></center><br />
<br />
そして、古代エジプト文字であるヒエログリフにおいても、このように頭の後ろに2本の冠羽を持つ鳥として書かれている。<br />
ヒエログリフには表音文字と表意文字があるが、これは表音文字ではないので音はあらわさず、決定詞としてアオサギを意味する表意文字である。<br />
ヒエログリフにあらわされている鳥はなんと50あまりある。小さな文字を書くのに、それが人に判別されるように特徴づけなければならないのだから大変だ。<br />
その中でアオサギと特定する特徴が、後ろになびかせた冠羽だったのだ。<br />
いやいや～、よくぞ、鳥だけでも50もの文字を考えたよくぞ、特徴をとらえて書き分けたすごいぞ、古代エジプト人！！<br />
<br />
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  </entry>
  <entry>
    <title>ナイルの恵みと試練</title>
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    <issued>2012-02-22T19:53:00+09:00</issued>
    <modified>2012-02-22T19:56:06+09:00</modified>
    <created>2012-02-22T19:54:35+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>エジプト</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[ナイル川沿いの農業<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201202/22/90/c0067690_19542434.jpg" alt="_c0067690_19542434.jpg" class="IMAGE_MID" height="322" width="500" /></center><br />
乾燥帯であっても川と運河があれば農業ができる。<br />
それどころかメソポタミアは農業、特に小麦栽培の発祥の地であるし、ナイル川沿いはその川のもたらす水で豊かな農産物を得て強力な王権が成立した。<br />
<br />
やっとそだつだけだろうとおもわせた乾燥した大地は想像よりも豊かに実りをもたらす。16世紀末にコロンブスがアメリカ大陸から持ち込んだトウモロコシは17世紀にはまたたく間にヨーロッパからアフリカ・アジアへと広がった。<br />
  ここエジプトでも育ちは良かった。<br />
川沿いに灌漑水路が広がり、畑にはグイグイと天に向かってのびていく。そんなにのびてどうするというくらいにのびている。<br />
<br />
一般的にとうもろこしの草丈は2mくらいだが、ここはちがう。<br />
  人の背丈に比べて伸び過ぎの感があるこの作物も十分過ぎる日の光に十分な水という条件さえ揃えば豊かな産物をきたいできることをしめしている。<br />
<br />
  現在世界の中でエジプトのとうもろこし生産量は15位、消費量では8位に入っている。<br />
<br />
  ここではスイカもナスもよく育つ。しかしながら、ナイルの恵みはいつも同じというわけではない。<br />
アスワンハイダムによって5000年もつきあってきた洪水の害から逃れられるようにしたら、塩害で苦しんだ。そして今は上流での降水量が減り、水を必要とする人と畑は増えている。<br />
<br />
  当然のごとく水は不足する。<br />
こうした中、ただ灌漑の用水路をつくるという従来の考えでなく、いかに蒸発してしまう水を無駄なく使えるかということを工夫しながらやっていかなければならない時代になりつつある。<br />
<br />
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  </entry>
  <entry>
    <title>シャドゥーフ・タンブール・・・古代からの知恵は消えたのか</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/17173904/" />
    <id>http://mphot.exblog.jp/17173904/</id>
    <issued>2011-12-05T23:10:00+09:00</issued>
    <modified>2011-12-09T00:22:48+09:00</modified>
    <created>2011-12-06T05:11:54+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>エジプト</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[シャドゥーフ＊はねつるべ　　<br />
　エジプトでは古代文明発生の５０００年前にはもう灌漑農業を行ってきた。<br />
ナイルの賜物といわれるように、ナイル川あってこそのエジプト文明であるが、そこに皮があるというだけで農業ができるわけではない。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201112/06/90/c0067690_4232146.jpg" alt="_c0067690_4232146.jpg" class="IMAGE_MID" height="345" width="500" /></center><br />
　　　　　　　　　↑　ナイル川沿い。<br />
　そこにある水をいかに汲むか。勿論わずかな水であれば腰をかがめて川の水をくみ壺に入れて運ぶのは今でも行われている。だが、それを少しでも省力化するために使われているのがシャドゥーフ、すなわちはねつるべである。てこの原理でごく軽く水をくみ上げることができる。<br />
<br />
<br />
タンブール＊アルキメデス揚水機　<br />
次に、いかに農地まで引くかということが重要になる。<br />
　水は低い位置にあるものだ。それを大量に高い位置にあるのうちに流し込まなければならない。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201112/06/90/c0067690_4232689.jpg" alt="_c0067690_4232689.jpg" class="IMAGE_MID" height="500" width="341" /></center><br />
　川が手前にあり、そこからの内への小さな水路に水を入れ畑に引き込む。手前が低くて農地が高い。そこに渡した円筒形の筒。エジプトは１９８０年代、この揚水機を使っていた。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201112/06/90/c0067690_4233126.jpg" alt="_c0067690_4233126.jpg" class="IMAGE_MID" height="500" width="408" /></center><br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　       　↑　この２枚はいただいた写真（by kuroiwa氏)<br />
<br />
このつくりは、円筒形の筒の中を見るとわかる。わずかにらせんになっている構造が見える。実はこのらせん構造が水をくみ上げる仕組みだった。現在、この形のものはアルキメデス揚水機（アルキメデス・ポンプ）という言い方をするが、実は古代からエジプトに原型があった。<br />
　らせん構造が内部にあり、それを回転させることで水が人力で上へ上へと回転しながら移動していく仕組みである。これをタンブールという。<br />
　このエジプト人はこの水を農地に入れる時間にはずっとここに座り、中のらせん構造全体を回すためのバーを回すための金属レバーを前後させて用水路に水を入れるのだ。<br />
<br />
　じつは1980代にはこの場所は農地であったが、最近では農地ではなくなっていた。むろんこの揚水機もない。そして、湾岸等へ働きに行く人が増えてからはこうした仕事をする人が減り、逆にお金を持つ人が増える。その結果電動ポンプがとってかわってきたというわけだ。<br />
　また、人口の増加により、遺跡がポツンとあったところの周辺も農地をつぶして住宅にしていくことも加速されていきそうだ。<br />
<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
　農業でもどんな分野でも問題に直面したときこそ、人間は知恵を絞り、学者でなくとも工夫を重ねるものだ。<br />
こうして生み出された道具たちは改良されながら世界各地で使われていったものがある。<br />
日本でも、はねつるべは各地にあったのであるし、揚水機は南蛮文化が入ってきたころにその考え方が入り、佐渡金山で排水に用いられていた。<br />
　だから、珍しいというわけではないのだが、古代からくふうされ、つい最近まで現役で使われていたものが、すっかり消えてしまったのではないかと心配になって、この記事を書きたいと思った。<br />
<br />
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]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>ナイルの水</title>
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    <id>http://mphot.exblog.jp/11712910/</id>
    <issued>2009-06-09T06:32:00+09:00</issued>
    <modified>2009-06-20T11:31:07+09:00</modified>
    <created>2009-06-09T06:32:38+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>エジプト</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200906/09/90/c0067690_6195995.jpg" alt="_c0067690_6195995.jpg" class="IMAGE_MID" height="532" width="500" /></center><br />
<br />
　　　　　　たゆとう川の流れ<br />
　　<br />
　　　　　　　　　遥かに遠き岸辺に素焼きの水がめを見出す・・・<br />
　　<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　古代から変わらぬ恵みのナイルよ！<br />
<br />
～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～<br />
　ナイルの水といっても、いろいろな微生物混じりの水は、私たちのような塩素消毒された水を飲むものにとっては、飲めばたちどころに腹痛のもとになるだろう。<br />
<br />
　強烈な太陽と、仕事を無理につめて片付けてきてそのままの強行ｽｹｼﾞｭｰﾙでピラミッドめぐりなどをしようものなら、ミネラルウォーターだけを飲んでいても、具合が悪くなるのだから川の水などとんでもない。　<br />
<br />
　では、だれもが無理かというとそうでもない。汲んできた水を素焼きの甕に入れ、街角で自由にお飲みくださいと置かれている。イスラームの地域では甕にしろ水道にしろ公共的な水の施設はあちらこちらに見ることができる。水をどうぞと４０度、５０度の中でも屋根つきの場所におかれた素焼きの甕はほどよく気化熱を奪って冷える。だから外気の暑さの割には飲みやすい。地元の人たちは普通にこれを飲む。<br />
<br />
　そして、ごくまれにだが、こうした水を飲んでも大丈夫な日本人もいる！<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　                                                　                                                             　　　　                                                                                                               　⇒　⇒応援クリックお願いします。 <br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br />
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<br />
<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>丸木橋</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/11701543/" />
    <id>http://mphot.exblog.jp/11701543/</id>
    <issued>2009-06-06T18:07:00+09:00</issued>
    <modified>2009-06-20T11:31:36+09:00</modified>
    <created>2009-06-07T18:06:56+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>エジプト</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200906/07/90/c0067690_1874422.jpg" alt="_c0067690_1874422.jpg" class="IMAGE_MID" height="340" width="500" /></center><br />
<br />
ヤシの木が生えるところならば、木材もこうして橋にも使うこともできる。<br />
丸木橋を架け、ロバを飼って農作業にいそしむ。<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ゆったりと時の止まったような風景とは、このようなものだろうか・・。<br />
<br />
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]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>謎のトゥグラー・コイン</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/11429041/" />
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    <issued>2009-04-29T14:46:00+09:00</issued>
    <modified>2009-06-20T12:47:30+09:00</modified>
    <created>2009-04-29T14:45:07+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>エジプト</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　それは、某インドカレー屋から始まった。<br />
インドカレー屋で、なぜかスーダンの話。<br />
　　　　　　もっともスパゲッティ屋でも蕎麦屋でもアラブの話はするが・・・。<br />
<br />
１．スーダンのコイン?!　<br />
　アラビア書道をしておられる方がスーダンにいったお話、いつも楽しく聞かせてもらっている。さらになぜかお財布に入っていたスーダンコインが2つで、さらに盛り上がる。<br />
　　１つは１０、そして、スーダーンは読み取れる。　<br />
<br />
◆だが、ふと興味を持ったのは、5のほうだ。<br />
　それは見覚えがありすぎるトゥーラの3本のたてのラインや弧や右へのびるラインを持つれっきとしたトゥーラ、いや、アラブなので、『トゥグラー』デザインだったのだ。<br />
　　　＊（注）トゥグラー・・・トルコのアラビックカリグラフィーのスルタンの署名。トルコ語ではトゥーラという。独特の形にデザイン化された。のちには、この形でｊコーランの言葉を書いたり、名前を書いたりすることが行われるようになった。<br />
<br />
　スーダンはさほどアラビア書道国とも聞いたことがない。それなのに、コインにトゥグラー、珍しいものだと感心してコインの写真を撮らせていただいた。　写真はこの文の最後に掲載。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br />
<br />
◆帰宅後、早速トゥグラー入りのコインを読んでみたらスーダンの文字はない。<br />
<br />
　それどころかジュムフーリーヤトゥ・ミスラトゥ・アラビーヤではエジプトではないか。でも所有者はスーダンに行って、その時のお釣りとしてもっていたのだからスーダンのはずだ。混乱する。古代エジプトの時代ならスーダン北部まで力を伸ばしてエジプトの一部であったこともあるが、近年ではないはずだ。トゥグラーの読み方を間違えているのかと見直す。思考はさまよう。<br />
<br />
　そうしているうちに、共に興味を持ち写真を撮ったＹ氏からエジプトでしたねとメールをいただいた。あぁ、やっぱりそうだったのか、と納得。（　ありがたいメールに感謝！）<br />
　ナイル川上流であるスーダン、エジプトコインが流通しているのだろうか？<br />
<br />
<br />
２．エジプトのコインから歴史を見る<br />
<br />
　ではエジプトのコインはどうなっていたのか？<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　・・・・・比較してみよう。<br />
＊エジプト近代史<br />
1882～1922までイギリス領。<br />
1922～1953年　エジプト王国（ムハンマド・アリー朝）<br />
1953～58年　エジプト共和国<br />
<br />
そして、いよいよ複雑な他国との連合・連邦の時代がやってきた。<br />
①　１９６７年のコイン<br />
1958～1971　シリアと連合してアラブ連合共和国となる。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200904/29/90/c0067690_23175384.jpg" alt="_c0067690_23175384.jpg" class="IMAGE_MID" height="289" width="500" /></center><br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　↑　1967年発行の10キルシュと5キルシュ<br />
<br />
　大きい数字の下は単位のキルシュ。<br />
数字の上に弧になっている文字が国名である。　<br />
<br />
　الجمهورية العربية المتحدة　<br />
<br />
Al-Jumhūrīyah al-ʿArabīyah al-Muttaḥidah　となる。<br />
　訳すとアラブ連合共和国<br />
シリアと連合を組んだエジプトは1958～1971年までこの名を名乗る。ミスルというエジプトをあらわす語句はないので日本語にもエジプトという語句は出てこない。以前に国旗の問題で複雑な克明の変遷とシリアの関係について述べたが、それがここにも関係していたわけだ。<br />
<br />
<br />
②1972年のコイン<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200904/29/90/c0067690_2318824.jpg" alt="_c0067690_2318824.jpg" class="IMAGE_MID" height="266" width="500" /></center><br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　↑　1972年発行の10キルシュと5キルシュ（台紙が異なるので色が明るくなってしまったが、本来は①と同じ色）<br />
<br />
　一見、上と同じように見える。これまで同じだと思い込んでいたが、今回のスーダンからの硬貨の件でじっくり見比べたら、こちらにはミスルとある。<br />
<br />
　جمهوريّة مصر العربيّة　<br />
Jumhuriya Misγr al-‘Arabiya　エジプト・アラブ共和国となる。<br />
1971年の途中から、現在のエジプト・アラブ共和国になったので、コインもミスルという文字が入ることになる。<br />
<br />
③　1984年のコイン<br />
　では、この謎のトゥグラーデザインのエジプト5キルシュはどうして発行されたのだろうか？<br />
<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200904/29/90/c0067690_1226280.jpg" alt="_c0067690_1226280.jpg" class="IMAGE_MID" height="233" width="320" /></center><br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　↑　Ｊさん所蔵。スーダンにあった1984年発行エジプト5キルシュコインの数字側<br />
　これは、オスマンのスルタンの署名であるトゥグラー型にデザインしているが、書いてあるのは②と全く同じことばである。<br />
　جمهوريّة مصر العربيّة　<br />
Jumhuriya Misγr al-‘Arabiya　エジプト・アラブ共和国<br />
　この語句を下から上へと積み上げている。<br />
<br />
同じ国であるなら、なぜこの1984年に全く異なるデザインのコインを作らねばならなかったのだろうか？<br />
<br />
◆一応現在のエジプトの硬貨を調べてみたが、ここまでにのせたコインはのっておらず、すでに過去のコインとなってしまったようである。<br />
エジプトの現在のコイン<br />
<br />
・・・・トゥーラコインについてこれ以上わからないので、次回は裏面の絵に注目してみよう。<br />
<br />
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]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>「死者の書」は語る・・・パピルス（６）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/9306630/" />
    <id>http://mphot.exblog.jp/9306630/</id>
    <issued>2008-07-27T11:06:00+09:00</issued>
    <modified>2008-07-29T00:15:31+09:00</modified>
    <created>2008-07-27T10:56:26+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>エジプト</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　パピルスに書かれたものに何が多いかというと、「死者の書」、数学の勉強を教えている教科書タイプのもの、そして時代が下ってギリシア文明が現れてからは哲学や文学もあるし、もっと後にはキリスト教の聖書も書かれた。<br />
<br />
　だが、エジプト文明の中で最も力を入れて描かれたのは冥界への道を示した「死者の書」であろう。では、どのように書かれているものであったのか。<br />
<br />
１、パピルス文書｢死者の書｣は語る<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200807/27/90/c0067690_951218.jpg" alt="_c0067690_951218.jpg" class="IMAGE_MID" height="375" width="500" /></center>　　　　　　　　　　↑パピルス文書を逆光で見る。<br />
　縦横にパピルス繊維がはしっているので、水平に書くことなどには便利だ。<br />
左側から右へと見ていく。<br />
①　この絵の前段階で３６か条の否定の告白をおこなってきている。<br />
　「人に対して悪事を働いたことはありません」<br />
　「神を冒涜したことはありません」<br />
　「家畜を虐待したことはありません｣<br />
　｢人を殺したことはありません｣・・・・・・など<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（①・⑤は『ナイルの王墓』講談社より引用）　<br />
②　３６か条の否定の告白をした白衣のフ・ネフルはアヌビス神に手を引かれ審判の場にやってくる。<br />
③　天秤ばかりの中心には正義と真理を表すマアト神が描かれ、この女神の頭の上にある羽毛が右の天秤皿におかれている。また、左のてんびん皿には死者の心臓が置かれる。　<br />
④　中央に座ったアヌビス神は死者が申し述べた「否定の告白」が正しいかどうかをはかっている。<br />
⑤　文字の上の段に居並ぶ４２の神が告白の真偽を最終的に判定する。<br />
⑥　その結果天秤ばかりの右に立ち、葦ペンを持った書記の神トート神が記録する。<br />
⑦　そして偽りを述べていたならば、死者はこれ以上進むことを許されず、天秤の下にしゃがんでまっているワニが襲いかかってくる。<br />
<br />
　　・・・・・・・・かなり、リアルに感じとれる絵であり、まずいことをして生きていてはいけないと思うこと必定であろう。　<br />
<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200807/27/90/c0067690_952813.jpg" alt="_c0067690_952813.jpg" class="IMAGE_MID" height="241" width="500" /></center><br />
　　　　　　　　　　　　　　↑死者の書全体像を見る（写真は自己所有のレプリカを撮影したものである。）　<br />
<br />
　続きを全体像で見てみよう。<br />
⑧　死者の告白が正しいと認められると次の段階に入っていく。死者はオシリス神の息子、ホルス神（隼の神）神に導かれて、祠堂のなかのオシリス神のもとに行く。<br />
⑨　ここまでくると、死者はオシリス神に化して復活が約束される。<br />
<br />
◆　 これは、フ・ネフル（第１９王朝、大英博物館蔵）の死者の書。時代は新王国、紀元前１３００~１２００年であるが、傷みも少なく優れたパピルス文書として所蔵されている<br />
 　多くの宗教書がそうであるように、ここでも善なるものだけが来世での幸福を約束される。こういった内容や呪文が延々と長くつづられているのが死者の書なのだが、この１２５章がもっともエジプトの審判と来世への希望を表しているといわれている。<br />
<br />
　これを廟墓や棺の中において、死者が迷いなく旅立ち、オシリスに化して、いつか復活してくることを願ったのである。だから、未盗掘の墓からは発見されるべき物であるが、なぜか未盗掘のツタンカーメン王の墓からは発見されていない。<br />
<br />
２、ツタンカーメン王墓の謎　<br />
◆まず、謎とされること。<br />
・ツタンカーメンの死因は？・・・・ツタンカーメンの父アンクアテンはアテン神への一神教への強引な変革と首都移転によって、神官から恨みをかっていた。そのあとをついだ少年王の周りは政争のまっただなかにあった。<br />
・盗掘されかけてなぜかその後閉じている。・・・普通の泥棒はそんな放置の仕方はしないだろう。<br />
・きちんと普通なら整頓して納めていたはずの日用品が乱雑に動かされている。・・・何かを探した後のようだ。<br />
・一番目の厨子の封印まで開けられている。なぜ、ここだけなのか？ここまでで目的のものを見つけたのか？<br />
・普通ならあるはずの死者の書がない。<br />
<br />
　これについて、吉村作治教授の推理がTV番組で紹介されていた。<br />
これらから吉村教授が予測したこと。<br />
　ツタンカーメンは何らかの政争の中で命を失った。このとき、それを察知したアンケセナメン王妃は、この赦されない行為がおこなわれたことを｢死者の書｣に書き、それをこっそりと一番外側の厨子の中に人目を盗んで入れたのではないだろうか。それを察知した人が、自分の悪事を冥界の王オシリスや真実の神マアトに知られては自分の来世が失われてしまうことを恐れた。そのため、いったん墓を封印した後、盗掘のようにして、入り込み文書を探すがみつからず、第一の厨子まで探してようやく発見、これを持ち去り、他の宝物には一切興味を示さず、また埋め戻して去った。<br />
　なにぶんだいぶ前にTVで見たことであり、言葉や解説が吉村教授の解説と異なってしまっているところもあるかもしれないので、おおよその紹介ということでお許しいただきたい。（詳しくは吉村先生の著書やレポートでご確認ください。）<br />
<br />
３．語る　<br />
　吉村教授の話を聞いて思った。<br />
　｢死者の書｣が語る古代エジプト人の死生観、そして｢死者の書｣の重要性を知っている専門家ならではの発想である。それに考古学者には絶対必要な自由な発想、これがあってこその推理だと感嘆したものだった。<br />
<br />
　｢死者の書｣は、エジプト人の来世への望みを語り、<br />
　　　　｢死者の書が見あたらない｣ことが、このドラマのような話を吉村教授に語らせた・・・<br />
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    <title>パピルス（３）…パピルス紙の製法</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/9174519/" />
    <id>http://mphot.exblog.jp/9174519/</id>
    <issued>2008-07-06T12:53:00+09:00</issued>
    <modified>2008-07-07T07:07:14+09:00</modified>
    <created>2008-07-06T12:43:41+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>エジプト</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　エジプト王国では、ナイル川の岸辺に生えたパピルスをどうやって筆記の媒体としたのであろうか。<br />
　１、パピルスのつくり<br />
　パピルス紙のつくりは透かしてみればすぐにわかる。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200807/06/90/c0067690_12102388.jpg" alt="_c0067690_12102388.jpg" class="IMAGE_MID" height="375" width="500" /></center><br />
　このように繊維は縦方向と横方向に並んでいるのがわかる。しかし、織物のように編んでいるわけではない。編んだときのようなうねりは見当たらないのだ。<br />
<br />
　前回は、たまたま我が家のやせたパピルスでやってみて見事に失敗してしまったが、今度はきちんとしたつくり方を説明してみよう。<br />
　<br />
◆　はじめてパピルスに興味を持ったのは高校時代だった。1時間以上かけて県立図書館まで行って調べた。何しろインターネットなんてなかったから調べるということは歩くことと思っていた。それはやはりパピルスに興味を持った著者が地道に自分でやってみてこうだったということを記録してあった貴重な本だった。残念ながらなんとう言う本だったのか覚えていないが、図書館で唯一のパピルス研究をしてある本だった。<br />
　調べることが大変だったもの程よく覚えているものだ。その頃調べたことを土台に現地で聞いたことを加えて述べてみる。<br />
<br />
　２、☆詳細☆パピルス紙の製法<br />
<br />
①　パピルスの茎は２５～４０ｃｍ位に切りそろえる。この切った長さでほぼ紙の大きさが決まる。<br />
<br />
　　<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200807/06/90/c0067690_12185480.jpg" alt="_c0067690_12185480.jpg" class="IMAGE_MID" height="342" width="320" /></center><br />
②　三角形をした茎の緑色の外皮は使えないのでそぎ落とす。<br />
<br />
③　中の白い部分を糸や細いナイフでうすく切片にしていく。幅は広いのから細いのまでできてしまう。<br />
<br />
④　そして、その切片を3日間水に浸す。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200807/06/90/c0067690_1219242.jpg" alt="_c0067690_1219242.jpg" class="IMAGE_MID" height="384" width="500" /></center><br />
<br />
・・・実はこの水につけることがやはり肝心のところだった。実はパピルスには一切接着剤は使われていない。ヨーロッパがパピルスを輸入し、品不足で仕方なく一回繊維をばらして再生紙にしたときは接着剤にオあたるものを使ったというが、本場エジプトでは使わない。<br />
<br />
　それは長いこと謎だった。ところがこの水に浸すことに答えがあった。真っ白な繊維が黒ずんでくる頃には川の水の中の細菌によって粘性の物質ができてきてこれが繊維同士をくっつけることになるのだ。<br />
<br />
⑤　この3日間（Ｗｉｋｉｐｅｄｉａでは2日間と表現していた）さらしておいた切片を布の上にずらりと横に並べていく。その次に縦に並べていく。<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200807/06/90/c0067690_12351771.jpg" alt="_c0067690_12351771.jpg" class="IMAGE_MID" height="302" width="500" /></center><br />
　↑この写真は、簡単に説明するために少し横に並べてからすぐに縦を並べているが、本来は横をすべて並べてからおこなう。<br />
<br />
これを布で挟んで水分を取ることを繰り返す。そして木槌で叩いて繊維をつぶしてなだらかにしていく。<br />
<br />
⑥　圧縮機にかけて、強力に圧迫する。表面を石で磨いてつるつるになるまでみがき、葦ペンで文字を書くことができ、筆では絵を書きやすいところまで加工する。<br />
<br />
☆　これだけの作業が必要で大量生産もできないので、パピルスは古代から中世まで高価なものであった。<br />
<br />
　それにしても、よくこの植物からこのような紙を作ろうという発想が成り立ったものだ。こんなところからもエジプトの文明力を見直してしまう。<br />
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  <entry>
    <title>パピルス(2)…原生地</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/9173046/" />
    <id>http://mphot.exblog.jp/9173046/</id>
    <issued>2008-07-05T23:21:00+09:00</issued>
    <modified>2008-08-22T15:47:29+09:00</modified>
    <created>2008-07-06T03:16:11+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>エジプト</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　　パピルスは古代エジプトで紙の原料となったことで有名だが、実際はエジプトで生えていたわけではない。原産地はナイル川のずっと上流に当たるウガンダ・ケニアであった。<br />
　そこには今も、たくさんのパピルスが一面に繁茂している。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200807/06/90/c0067690_3331157.jpg" alt="_c0067690_3331157.jpg" class="IMAGE_MID" height="214" width="399" /></center><br />
<br />
　しかし、古代エジプトでは必ず毎年洪水が起きて、上流からパピルスの株が流されてきてエジプトで増えていった。<br />
<br />
　今、日本に入ってきている観賞用のパピルスはごく小さいものであるが実際は４～５ｍにもなり茎もさしわたしで６ｃｍにもなる。十分太いので、紙もつくりやすかった。<br />
<br />
◆　ナイル川上流の湿地帯の人々は舟をパピルスでつくる。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200807/06/90/c0067690_333337.jpg" alt="_c0067690_333337.jpg" class="IMAGE_MID" height="256" width="378" /></center><br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（↑写真2点は、ＴＶ「ガイアの夜明け」より引用）<br />
<br />
手指の大きさとパピルスの太さとを比較してみよう。<br />
　この太さならば三角形の茎からでも幅の広い茎の切片がたくさんとれたわけだ。<br />
<br />
　しかし、後に紙としての存在価値がなくなるとパピルスを意識して植えることもなくなり、またアスワンハイダムの建造により自然に流れ着き増えることもなくなったのである。<br />
　従って今はもう、せいぜい博物館や研究所にある程度になってしまい、エジプトではかっての壁画に残るようなパピルスが茂るようすはみられなくなった。<br />
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    <title>パピルス(１)</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/9133125/" />
    <id>http://mphot.exblog.jp/9133125/</id>
    <issued>2008-06-29T13:49:00+09:00</issued>
    <modified>2008-07-06T23:06:59+09:00</modified>
    <created>2008-06-29T13:49:44+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>エジプト</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　パピルスは筆記具の材料として古代エジプト王国から、ヨーロッパまで広く長く使われたものである。<br />
そもそもパピルスとはどういう植物なのか。そして、どうやってつくるものだろうか。<br />
<br />
　◆パピルスという植物<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200806/29/90/c0067690_1330941.jpg" alt="_c0067690_1330941.jpg" class="IMAGE_MID" height="483" width="500" /></center><br />
　　　　↑パピルスの穂先<br />
　パピルスはナイル川などに繁茂するカヤツリグサ科の植物である。これをもとに古代エジプト王朝では「記録するための紙とした。<br />
<br />
　◆エジプトに於けるパピルス<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200806/29/90/c0067690_14295726.jpg" alt="_c0067690_14295726.jpg" class="IMAGE_MID" height="214" width="500" /></center><br />
パピルスは文字ともなり大切にされ、死者を弔う葬送でさえ重要な役割を果たした。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200806/29/90/c0067690_1345869.jpg" alt="_c0067690_1345869.jpg" class="IMAGE_MID" height="550" width="439" /></center><br />
                        <br />
　◆パピルスのみわけかた<br />
　川辺では上の絵のように穂先が開いた形になる植物はたくさんあって、パピルスを初めてみる人には判別しにくい。　<br />
　そういう時、迷ったら茎をみることだ。はじめてパピルスを調べ始めた頃の百科事典などのパピルスの図には度々、丸い茎のパピルスがのっていた。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200806/29/90/c0067690_1341188.jpg" alt="_c0067690_1341188.jpg" class="IMAGE_MID" height="254" width="400" /></center><br />
　　　　　　　　　　　　　↑我が家の痩せやせパピルス<br />
　実はパピルスは茎を切ってみれば鈍三角形なのであって、普通の植物のように丸い茎ではない。丸みを帯びた三角形であったなら、それこそがパピルスである。<br />
<br />
　◆パピルス実験<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200806/29/90/c0067690_14261749.jpg" alt="_c0067690_14261749.jpg" class="IMAGE_MID" height="154" width="500" /></center><br />
<br />
我が家の大切にしてきた観賞用パピルスが冬を乗り切れず、あるいは手入れの悪さに耐え切れずダウンした時に、実験用に供してしまった。<br />
<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200806/29/90/c0067690_13593080.jpg" alt="_c0067690_13593080.jpg" class="IMAGE_MID" height="277" width="400" /></center><br />
　この皮をそいでから中の白い部分をうすくそいで、同じ幅のリボン状にする。<br />
　過去において読んだ本によると３日ほど水につけてから布の上で、縦・横に並べて加圧するという。残念ながら上の実に実験ではパピルスが細すぎて大阪県民の友人がそばにいたら、「お前はパピルスでかやをつくっとるんか～｝と突っ込まれそうな出来で大失敗だった。乾燥による収縮が激しかったのですきまだらけで紙とは言えなくなってしまったのだ。<br />
<br />
　まあ、成功の裏にはいつもこういう失敗があるものだと実感したのであった。<br />
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  <entry>
    <title>ワニの神様ミイラになる</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/7316258/" />
    <id>http://mphot.exblog.jp/7316258/</id>
    <issued>2007-11-02T07:16:00+09:00</issued>
    <modified>2007-11-03T10:44:57+09:00</modified>
    <created>2007-11-02T07:16:11+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>エジプト</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[ワニはエジプトにおいてはナイル川に住む神様でセベク神という。神聖化されたワニは神殿で飼育された。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200711/02/90/c0067690_7122873.jpg" alt="_c0067690_7122873.jpg" class="IMAGE_MID" height="550" width="417" /></center><br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　↑コム・オンボ神殿壁画<br />
<br />
神様はみな最後はミイラになりあがめられる。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200711/02/90/c0067690_7134156.jpg" alt="_c0067690_7134156.jpg" class="IMAGE_MID" height="252" width="320" /></center><br />
<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200711/02/90/c0067690_7124851.jpg" alt="_c0067690_7124851.jpg" class="IMAGE_MID" height="357" width="500" /></center><br />
そして、ワニはミイラになった。<br />
<br />
＊なお、ナイルワニは、ナイルだけに生息するというワニではなく、アフリカ全体に生息する。ワニの中でも大きいほうで、全長３～６ｍに達するという。人間を襲う地域と襲わない地域があるという。獲物を捕らえられる地域であるかどうかがおおきなよういんであり、住民がワニと共存できる場合は良い神としてとらえられ、頻繁に襲われる地域では恐れを持って、神をあがめたという。<br />
<br />
　現代においてのナイル川沿いでも子供が教われ食べられたという話が残っている。<br />
　アスワンハイダムができたころから、乱獲によりナイルワニはいったんいなくなったといわれていた。だが、近年ナセル湖の湖畔に緑地が復活し、そこにナイルワニが戻ってきているという。住みやすくなったエジプトに上流から移動してきたものと思われる。<br />
<br />
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]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>意外に写実的</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/7298713/" />
    <id>http://mphot.exblog.jp/7298713/</id>
    <issued>2007-10-31T07:07:00+09:00</issued>
    <modified>2007-11-02T23:06:06+09:00</modified>
    <created>2007-10-31T07:07:15+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>エジプト</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　古代エジプトでは様式化された絵の描き方が決まっていて、特に神や王については向きや装飾にいたるまで決まりにそって描かれる。<br />
　だから、2000年以上の隔たりがあるというのにどれを見ても似たような印象を受ける。<br />
　しかし、そういったまつりごとに直接関係しないところを見ると、一定のルールに従いながら、ちょっとしたところに、意外な写実性を見つけてうれしくなることがある。<br />
<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200710/31/90/c0067690_6573277.jpg" alt="_c0067690_6573277.jpg" class="IMAGE_MID" height="374" width="500" /></center><br />
　『草食む牛』たくさんの牛がいるのを、コピーを重ねたように後ろに並べて描くのは、古代エジプトの様式の一つである、しかし、手前のスポットをあてた牛の口を見ると舌を使って草を食む様子が描かれている。ちょっとしたことだが、エジプトの絵師が物や動物をよく見ていたことがわかる。<br />
<br />
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]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>古代エジプトのレリーフ技術の見事さよ！</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/7290317/" />
    <id>http://mphot.exblog.jp/7290317/</id>
    <issued>2007-10-30T07:19:00+09:00</issued>
    <modified>2010-08-13T17:47:16+09:00</modified>
    <created>2007-10-30T07:19:48+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>エジプト</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　エジプトの数あるレリーフの中でも豪華ではないが見ごたえのあるラモーゼの墓の婦人像。<br />
<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201008/13/90/c0067690_1747219.jpg" alt="_c0067690_1747219.jpg" class="IMAGE_MID" height="348" width="500" /></center><br />
<br />
　貴族の夫婦の墳墓であるが、首都移転のため、彩色せぬままレリーフが残ったもの。<br />
<br />
この彩色のない像が髪の毛（古代エジプトの習慣から、かつらである可能性が強い）の繊細さ、眼だけ彩色したことによる印象の強さで、一度みたら忘れられない美しさがある。<br />
<br />
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<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>エジプシャン・ナショナルデー</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/6486143/" />
    <id>http://mphot.exblog.jp/6486143/</id>
    <issued>2007-07-13T08:16:00+09:00</issued>
    <modified>2016-10-22T10:48:54+09:00</modified>
    <created>2007-07-13T07:16:53+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>エジプト</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[ <img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200707/13/90/c0067690_71535100.jpg" alt="_c0067690_71535100.jpg" align="left" class="IMAGE_LEFT" height="276" width="368" />　<br />
<br />
　先日、ナショナルデーとバトル大使のお別れを兼ねた会が大使館で行われた。日本通で日本との関係を深めるのに力を注いできた大使があとわずかで日本を離れるということで、多くの来客が列をつくって並び別れを惜しんだ。<br />
<br />
　大使夫人もエレガントで気さくで魅力的な夫人である。もう帰国されるということは実に残念な気がする。<br />
<br />
　多くの料理が出されてビュッフェ式のパーティであるが、アラブのパーティはひたすら食べて歓談する。日本では当然の途中での挨拶も終わりの言葉もなく、帰りたいときに挨拶して挨拶して後は流れ解散というものだ。<br />
<br />
<br />
　☆さて、この夜はお別れも兼ねているためか実によく吟味された料理が並び、おいしいアラブ料理の夕べとなった。<br />
<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200707/13/90/c0067690_9234820.jpg" alt="_c0067690_9234820.jpg" class="IMAGE_MID" height="500" width="400" /></center><br />
　ピーマンの肉詰めだが、並の大きさではない特大ピーマンと赤ピーマン・・・まるでナイル河畔の特大野菜群の様で1つでかなりの満足感になる。右奥はミニオクラの香辛料風味（つまりカレー風）左奥はぶどうの葉のドルマ。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200707/13/90/c0067690_9242342.jpg" alt="_c0067690_9242342.jpg" class="IMAGE_MID" height="231" width="399" /></center><br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200707/13/90/c0067690_9261760.jpg" alt="_c0067690_9261760.jpg" class="IMAGE_MID" height="375" width="500" /></center><br />
　串にさしたチキンシシカバブ。レモンの風味がさわやかでおいしい。レモンハーブなどで漬け込んでから焼いたのだろう。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200707/13/90/c0067690_9263569.jpg" alt="_c0067690_9263569.jpg" class="IMAGE_MID" height="375" width="500" /></center><br />
チキンをまろやかな味で照り焼き状にして、仕上げにゴマをたっぷりとまぶしてある。つけあわせに、さやえんどうとオレンジとみかんが添えてある。<br />
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<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200707/13/90/c0067690_926538.jpg" alt="_c0067690_926538.jpg" class="IMAGE_MID" height="375" width="500" /></center><br />
パスタの上にヒヨコマメの組み合わせは面白い。豆と言うのは国が異なると使い方やあじつけが異なる代表だろう。日本のように豆と言えば砂糖を使った小豆や煮豆が多いが、アラブではシャワルマのソースから、ホンモス、スープ、サラダ、そしてこれのようにパスタと一緒など、かなり異なる。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200707/13/90/c0067690_9303956.jpg" alt="_c0067690_9303956.jpg" class="IMAGE_MID" height="375" width="500" /></center><br />
シャワルマは中東関係ではいつも登場。このあぶり焼きの機械は電動で肉を刺した軸の棒が回転しながら横からあぶり焼きするもので、肉をそぎながら食べていく。焼け焦げ色が食欲を誘う。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200707/13/90/c0067690_9311668.jpg" alt="_c0067690_9311668.jpg" class="IMAGE_MID" height="413" width="500" /></center><br />
　エジプト特有のターメイヤやスープももちろんある。子羊の丸焼きにさくさくのアラブ菓子も揃い、大使館は大音量のＢＧＭと共にすっかりアラブになっていた。<br />
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　ただし、日本のものもあった。かまぼこと伊達巻が出されていたが、甘いもの好きのアラブ人は伊達巻が気に入ったようで、かまぼこは一部残り、伊達巻はすべてきえていたのだった。<br />
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◆最後に――この中に何か？<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200707/13/90/c0067690_931429.jpg" alt="_c0067690_931429.jpg" class="IMAGE_MID" height="253" width="500" /></center><br />
　デザートはピスタチオを星型に散らしたらミルクプディング様の物がおいしい。<br />
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<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200707/14/90/c0067690_5331654.jpg" alt="_c0067690_5331654.jpg" align="left" class="IMAGE_LEFT" height="320" width="221" /><br />
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　よく見ると中央部にピスタチオでファラオが描かれていた。ファラオの冠に鎌首を持ち上げるコブラ像（ウラエウス）を頭の上に立てたピスタチオの一粒であらわしている。まっすぐに立てたピスタチオは雰囲気をしっかり出している。<br />
・・・いかにもエジプトらしい趣向である。しかし、ちょっと暗かったデザートテーブルで気付かず食べてしまった人も多いのでは？<br />
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    <title>光の技（２）…ライトアップ</title>
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    <issued>2007-03-12T07:17:00+09:00</issued>
    <modified>2009-12-06T10:18:05+09:00</modified>
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    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>エジプト</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200703/13/90/c0067690_775919.jpg" alt="_c0067690_775919.jpg" class="IMAGE_MID" height="358" width="500" /></center><br />
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 エジプトのセティ1世葬祭殿の壁面が明るく照らされる。３３００年の長い時を経てもなお、彩色豊かに残る壁面・・・ルクソールなどと異なり天井があるために、供物の一つ一つまで鮮やかに残っている。<br />
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　ただし,照らしているのは人工のライトではない。<br />
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　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　白い帽子なのだ！！<br />
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　天井のわずかな採光穴から入ってくる太陽光がくっきりと一定の幅の光の軌跡をなして床へ落ちている。そこに何かが当たると強く反射する。<br />
　その光によって壁面は見事にライトアップされる。<br />
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