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カテゴリ:トルコ( 129 )


2020年 09月 05日

バルバロス・ハイレディン提督の名を残す場所

1.バルバロス・ハイレディン خير الدين بربروس   

バルバロス・ハイレディン提督の名を残す場所_c0067690_05093318.jpg
イスタンブール、朝焼けの海にたくさんの船が浮かぶ。
小さな船でもこれだけ朝の光とともに目の前の海に浮かび上がれば壮観だ。
今は平和な光景だが、イスタンブールの町を囲む海は、ギリシア・ローマの時代から行きかう船は多く、時に戦端が開かれ歴史的な海戦が行われてきた。

今から500年前、
多くの船長・将軍らが行きかったこの海で、いまだにその名を残す提督がいた。
エーゲ海の島出身でフズール・レイス(のちのバルバロス・ハイレディン)は兄弟とともに船に乗り、チュニジア・シチリア・スペイン・アルジェなどを荒らし、また各王朝と渡り合い、したたかに勢力を伸ばした。
 次第に、オスマン帝国とのつながりを深め、ついにはトプカプ宮殿に呼ばれ、スレイマン1世から大提督(カプタン・パシャ)、北アフリカの知事(ベイレルベイ)、ロードス島の県知事(サンジャク)にも任命されて、完全にオスマン帝国に忠誠を誓うことになる。
バルバロス・ハイレディン提督の名を残す場所_c0067690_05091669.jpg
                         ↑wikipediaより引用(名前の表記がバルバロッサとイタリア風になっている)

 バルバロスは地中海を何十隻、何百隻のガレー船を駆使して支配し、プレヴェザの海戦で教皇やスペイン・神聖ローマ帝国・ヴェネツィア・マルタ騎士団の連合軍を撃破して、この後オスマン帝国の33年間にわたる地中海支配をもたらしたのだった。
 ほぼ海賊に近い立場からオスマン帝国の海軍提督としてその任務を達成し、イスタンブールの自分の屋敷に引退してから亡くなった。


~~~ドラマ:「オスマン帝国外伝」では~~~~~~
*海軍提督としての業績で、スレイマン大帝に信頼されていた。しかし、第一皇子であるムスタファ寄りであったためにリュステム大宰相によって、毒をもられたとなっていた。
視聴者として見ていて、イブラヒム大宰相、メフメト皇子に続いてスレイマン大帝の周囲の人物がそがれていく様子が寂しい。

 物語の中でバルバロスが亡くなった時に、海峡にとどまる船から一斉に礼砲が放たれみおくられた。
その様子が映し出されたのが何やらジーンと胸を打った。


2.バルバロスの名が残る場所    

バルバロス・ハイレディン提督の名を残す場所_c0067690_05093847.jpg
イスタンブールは西から東に向けて、旧市街、新市街、アジア側と呼ばれる。
その中央、新市街のベシクタシュ地区の海峡に面するところにバルバロスの記念碑と墓廟がある。
墓廟は1541年にミマール・スィナンによって建築され、1944年には改装されたという。その西には海軍博物館、東に少し行けばバルバロス図書館。
 そしてこのバルバロス関係の地域から北に行く大きな通りはバルバロス通りという名前である。


 オスマン帝国の中でも勢いがあったスレイマン大帝の時代
 優れた人物が綺羅星の如く現れた時代

 その中でも、地中海とその周辺を制圧し続けたバルバロスへの敬意をもって、
現代においても海軍が海戦などに出向する際は、バルバロスに向けての礼砲を放ち、敬礼をする。

 バルバロスへの敬意は500年たっても受け継がれている。




                                       
                                                    
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by miriyun | 2020-09-05 06:44 | トルコ | Comments(2)
2020年 08月 08日

オスマン帝国外伝~イブラヒムパシャの密葬

1.オスマン帝国外伝 シーズン4    
トルコの世界的ヒットの大河ドラマ「オスマン帝国外伝」のシーズン4が8/4から始まった。(CS放送 銀河チャンネル 火曜~土曜深夜0:00)
1シーズンごとに切れるので、果たして続きはきちんと放映されるのかとやきもきするのだが、視聴者が増えてきたのでおそらく最後までやってくれるだろう。

最初のテーマ音楽からワクワクして見ていたら、イブラヒムパシャの声から始まって驚いた。
シーズン3で大宰相イブラヒムが亡くなってしまって、もうあの声が聞けないと思っていたのでうれしいような怖いような・・・。
実は、イブラヒムが亡くなったところで、ドラマなのに意気消沈してしまった。その後のこの話について書けなかったのだが、声を聴いたことでなんとか再開してみようかと。

 

2.イブラヒム・パシャの死    
前シーズン3で、イブラヒムパシャの発言を、リュステムパシャが讒言してはスルタン・スレイマンを怒らせていた。妻の皇帝妹ハティジェとの仲もうまくいくようになり、むつまじい生活に暗雲が押し寄せて、いよいよ命が危なそうというところで止まっている。

その後、スレイマンがイブラヒムを殺す命令を下した。どんなことがあろうとイブラヒムの命はとらないと誓っていたスレイマンだった。しかし宗教指導者の、スレイマンが眠っている間に部下が手を下せば、誓いを破ったことにはならないという言葉を頼りに命令を下してしまったのだ。かなりひどいこじつけだが、この言葉を頼りにスレイマンはイブラヒムを宮殿内に泊まらせ、首を絞めて殺させる。これがのちのハティジェの悲劇につながる。


◆ここまでが物語だが、史実はどうだったのだろう。

家臣であり盟友でもあったイブラヒムの命を取らないと誓ったのは史実である。そしてスレイマンは地元宗教指導者のファトワーにより、モスクを建築することで誓いを取り消す許諾を得ていた。
 *ファトワーفتواとは・・・イスラームにおいて、イスラム方角に基づいてイスラム法学者によって発令される勧告・布告・見解・裁断のこと。


では死因は?
オスマン帝国外伝~イブラヒムパシャの密葬_c0067690_07171141.jpg
イブラヒムパシャの館にミニアチュールがあり、そこに次のような解説があった。
「1536年3月15日の夜、グランドヴィジエ(大宰相のこと)イブラヒム・パシャがトプカプ宮殿で絞殺され、遺体をおさめた。」

従僕が運ぶのが棺なのだろう。そして、ドラマにあるように絞首されていたということになる。

尚、ドラマの上で秘密裏に埋葬されたように、実際イブラヒムパシャの墓の位置は明らかになっていない。

___________
 また、ドラマに戻ろう。こうして、陸のイブラヒムパシャ、海のバルバロス(フズル・レイス)という猛者のうち片輪を自ら葬ってしまったスレイマン大帝。
スレイマンは愛したはずの誠実な第一皇子ムスタファを疑い遠ざけ、次に愛する明敏なメフメト皇子を病で亡くし悩んだ挙句に、放蕩な第3皇子セリムを皇太子と決定した。それがまた波乱を起こしていく気配を見せる。もしやバルバロッサも皇帝妃ヒュッレムに狙われるのか?チェチーリヤという貴族の娘も後宮に入り、権力を狙いそうな雰囲気もある。

 これが昨日までの動きだが、ドラマながら史実とかなり絡んでいるのでこれからがますます楽しみだ。
                                                                                                                        
                                       
                                                    
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by miriyun | 2020-08-08 19:54 | トルコ | Comments(2)
2020年 03月 19日

オルタキョイの朝

1.オルタキョイの位置    

オルタキョイの朝_c0067690_06594376.jpg
ボスポラス橋を背景にイスタンブルヨーロッパ側にたたずむモスク
オルタキョイの朝_c0067690_07034069.jpg
この衛星写真では左岸の黄色く着色した位置にある。橋を背にした姿が、海にも映り美しい。決して歴史が古いわけではないが、この橋を背にしたモスクの姿とこのあたりから見るボスポラス海峡全体の眺めが素晴らしい。

 
オルタキョイの朝_c0067690_07325188.jpg
1854年に建てられたネオバロック様式
オルタキョイの朝_c0067690_06593191.jpg
モスク内は歴史ある大モスクを見慣れた目には小さい。
中央に下がる大シャンデリアはここのヨーロッパ風デザインの象徴ともなっている。

オルタキョイの朝_c0067690_06592220.jpg
オルタキョイ ビュユック メジディエ ジャーミィ
Büyük Mecidiye Camii (Ortaköy)が正式名だが、地図などにはオルタキョイモスクと表されていることが多い。
オルタキョイの朝_c0067690_06592840.jpg
夜明けなので明るくなり始めた空に間接照明をしたモスクの姿が美しい。

                                                                          2.ボスポラス大橋の眼下に   

オルタキョイの朝_c0067690_06590717.jpg
ボスポラス大橋を渡ると眼下にオルタキョイジャーミィを見ることになる。

大橋は1973年の建築であるが、よくぞこのモスクのそばに建ててくれたと思ってしまうほど、
モスクと大橋の相互の位置関係は絶妙である。
もちろん橋なので地政学的にこの場所に架橋することにしたのだろうが・・。)

                                                                                                                             
                                       
                                                    
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by miriyun | 2020-03-19 18:41 | トルコ | Comments(4)
2020年 02月 05日

イスタンブルの三つの空港

1.イスタンブルの空港の位置
イスタンブルには3つの国際空港がある。
イスタンブルの三つの空港_c0067690_12461180.jpg
A イスタンブル空港
黒海沿岸に開港したばかりの新空港。空港のIATAコードも移行して「IST」と表示されるのはここのことである。2018年に一部開港、2019年4月に全旅客機がこの新空港に移された。
(ここはとんでもない規模であり、簡単に書けないのでまたの機会に。)

B サビハ・ギョクチェン空港
アジア側にあるイスタンブルの空港である。コードは「SAWトルコ初の女性宇宙飛行士でアタチュルクの養女であったサビハ・ギョクチェンにちなんだ命名である。

C アタチュルク空港
トルコの英雄アタチュルクの名を冠したイスタンブル国際空港だった。航空機と利用者の増大に耐え切れなくなくなったがこの空港を拡張する土地はなく、新空港建設となった。今は貨物に利用しているが将来的には、閉鎖していく予定だという。

 *紫の〇の地域がイスタンブルの中心地であり、イスタンブルに向かう人は主にここを目指して動く。(おおよその位置を示すもので厳密ではない)
 アタチュルク空港は中心部からわずか15km、地下鉄も通っていて便利であったが、いかんせん狭くなりすぎて完全に新空港に移転してしまった。
現在は主にAのイスタンブル空港が使われるが、バスで100分(渋滞すればさらに時間がかかる)。とくに渋滞の多いイスタンブルだからこそ、地下鉄の完成が待ち遠しい。サビハ・ギョクチェン空港はタクシム広場からバスが出ていて料金も安い。時間は1時間弱で着くはずだが、ここもイスタンブルは渋滞に巻き込まれると到着時刻は遅くなる。

 

2.航空写真(サビハ・ギョクチェン空港→バルセロナ)    
日本とトルコ間を移動するには新空港を使うことになる。新空港の滑走路はすべて南北につらなり、黒海側からまっすぐに着陸することになるので、操縦室ならともかく横から眺める旅客はボスポラス海峡を空から見ることはできない。

この時、スペインでの乗り継ぎ時間の関係でサビハ・ギョクチェン空港発の早めに着く便にたまたま変更した。このアジア側の空港からヨーロッパ方面に向かう機会はもう二度とはないだろう。ならばボスポラス海峡を見られる最後のチャンスかもしれないと乗り込んだ。もちろん席は右の窓側にしておいた。

イスタンブルの三つの空港_c0067690_12520279.jpg
↑露天掘りの鉱山
トルコは石炭をはじめ露天掘りで掘ることができる鉱山をいくつも持っている。


イスタンブルの三つの空港_c0067690_12522709.jpg
サビハ・ギョクチェン空港から飛び立つと、いったん南下して海に出てから西へと進む。サビハに近い手のような形と、細長く突き出す特徴的な二つの半島がまず見える。その半島の向こうにいくつかの島が見えてくる。

車が走っていない観光・保養地として知られているプリンスィズ諸島である。イスタンブルから近く気楽に訪れることのできる島だ。



◆さて、その先に進めば、ボスポラス海峡が見えてくるはずだと窓を覗いていた。ぼうっと霞んでいたのでうっかり見逃しそうになったのがこれ。
イスタンブルの三つの空港_c0067690_18301832.jpg
トルコ航空のこの便はサビハギョクチェン空港から飛び立ちこの写真の右から左へと飛んでいる。
大地の裂け目のように見えるのがボスポラス海峡で手前からエーゲ海から連なるマルマラ海、そして海峡を越えた向こうに広がるのが黒海である。
この海峡の入口にイスタンブルの中心トプカプ宮殿などがあり、軍事・交通・流通の要に当たるところであることが素人目にもわかる。

 そして奥の黒海に面したところで写真の左端のほうに(見えないが)、イスタンブル新空港があることになる。


 更に、手前に白い三角のように見えるのがアタチュルク空港
1953年に開港されて以来、昨年まで実に66年間に渡り、トルコと世界をつないできた空港である。           
 「長いこと、ご苦労様でした」・・・惜別の思いで見つめた。
 
                                                                                                                                                                                                     
                                       
                                                    
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by miriyun | 2020-02-05 13:35 | トルコ | Comments(2)
2019年 10月 08日

イブラヒムパシャパレス

1.イブラヒムパシャパレス(サラユ)    

 16世紀のオスマン帝国の最も重要な作品であるイブラヒムパシャサラユ(サラユはトルコ語、宮殿の意味)は、スレイマン1世、ザマグニフィセント(壮麗王)の2番目の大宰相パルガル・イブラヒム・パシャにちなんで名付けられた宮殿で、英語ではイブラヒムパシャパレスと紹介される。

  イブラヒムパシャパレスは16世紀に建てられた唯一の王室建築物であり、 他の宰相・官吏・王室の宮殿とは異なり、石造りで作られており、そのため、何世紀もの試練に耐えることができ、現存している。
イブラヒムパシャパレス_c0067690_14105131.jpg
↑ヒポドロームには、高木がたくさんあり、
そのためイブラヒムパシャの宮殿を一望することはできない。これは西側の一角である。

 実際にはヒッポドロームに面したファサードは幅140mあり、ユニークな形をした宮殿である。
 宮殿は、ローマ時代に遡る歴史的なヒッポドロームの層の上にあり、 正確には知られていないが、最初の建設はバヤジット2世の治世中に行われたと考えられている。(1481 -151 2)。( 歴史文書では、ヒッポドローム宮殿、軍事バンドハウスマンション、ロイヤルテントキーパーズマンション、またはテントマンションとも呼ばれていた。 )

 ヒポドロームはトプカプ、アヤソフィアに連なる広大な土地である。スルタンの住むトプカプ宮殿に参上するには近距離でありながら、それでいて独立した一区画をもつその場所の利便性・重要性がある。政務をするにも、バザールや諸外国からの船の様子を視察するにも近い場所だった。
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ヒポドロームはローマ時代の馬による戦車の競技場だったところから、現在に至るまで整備された平地で石畳の公園のようになっている。トプカプ宮殿方面からくればこの石畳の奥右側にパシャの宮殿が見えてくる。



2.側壁から形状を見る

イスタンブールに海まで丘が連なっており、北のバザール方面からヒポドロームは坂を下るようになっている。そこに立てた宮殿なのでその坂から見ると思い切り坂に添って建築された様子が見られる。
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かなりな坂に添って基礎を増やす形で、下るほど高さがある形になっている。
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頑健な厚い壁に小さめな窓。側面なので1階部分に窓はなく壁だけ。
下側の四角い窓は2階の窓。
上の四角い窓とアーチ型窓は3階の窓。

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3階の窓を内側から見る。天井が高い。この窓からの採光は中から見るとなかなか明るい。


 

 イブラヒムパシャは、皇女ハティジェと結婚してこどもを持ち、スルタンスレイマンの信頼を得て、実に13年間もその地位を保った。(今、放映中の「オスマン帝国外伝」では、その命が風前のともしびになりつつあるところが描かれているが・・・)

 彼は、陸での戦いはイブラヒム、海での戦いはバルバロスと讃えられ、ヨーロッパ各国とそこからの使者への扱いにも長けていたようだ。
 イブラヒムパシャの宮殿ではさまざまな式典やイベントや外国の大使を招待しての主催した会などが行われた。

 スルタンの妹の家でもあるので、スルタンスレイマンはたびたび訪れたはずである。

                                                             
                                       
                                                    
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by miriyun | 2019-10-08 14:33 | トルコ | Comments(0)
2019年 10月 04日

イブラヒムパシャの庭にて

1.イブラヒムパシャ

 トルコは今自分の中では16世紀がテーマになっていて、とくにスレイマン1世とその大宰相であったイブラヒムに注目している。もろにオスマン帝国外伝の影響下にあることを認める。
 現在のギリシャ領パルガに1493年に生まれ、デヴシルメにより強制徴用され、奴隷階級から大宰相まで上り詰めた人物である。最も当時のデヴシルメという仕組みは外部から連れてきたキリスト教徒の子供をイスラム教徒に改宗させ、各種の素養から技術まで徹底的に教育して、将来の官僚・官吏・軍人などに育てあげる仕組みだったので、いわゆる鎖につながれた奴隷というイメージとは異なる。
 条件は異なれど出世ぶりだけをみれば、百姓の息子日吉丸が織田信長に見いだされ羽柴秀吉(のちに豊臣)という戦国大名になっていく様を見るような痛快なほど出世した人物だ。
 
 大宰相イブラヒムパシャの家は石造りで、そのため、家の盛衰はあっても、建物としては現代まで残された。

2.イブラヒムパシャの庭園    
まずは、あまりの居心地の良さにどっぷりはまってしまった庭園から。
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オリーブの木の下に、ラベンダー
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ラベンダー通りと言いたくなるほど高さのあるラベンダー
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蝶が無数に飛び交い、蜜を吸う。
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東屋のようでもあるが、長さが廊下のような屋根つきのところにすわれば、夏の暑さの中でも心地よい。
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風が吹きわたる。

なぜなら、イブラヒムパシャの庭園は2階部分にある空中庭園。
ここにある写真は全て2階なのだ。

女性たちはむやみに見られることなく風景を眺めることができる。
イブラヒムパシャの庭にて_c0067690_21442635.jpg
 屋上かというとそうとも言えない。

この庭園の横に3階への階段があり、そこには広い部屋や小さな部屋が庭園を見おろすように連なっているのだ。
皇女ハティジェとイブラヒムパシャが愛しんだ庭園、もちろん今ある植物や配置が同じだったわけでないだろう。ドラマのように中央にあずまや、あるいは噴水が置かれたのかもしれないし、彫像を置いたのかもしれない。

 時を遡って妄想できる~そんな空間だった。
                                                                                                                                                                                                        
                                       
                                                    
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by miriyun | 2019-10-04 22:09 | トルコ | Comments(6)
2019年 08月 22日

詩人でもあったスルタンスレイマン

1.スレイマン1世は色々な呼び名を持つ    

 オスマン帝国の帝位は連綿と血筋において36代にわたって繋がりを見せるが、その長い歴史の中で長く人々の記憶に残っているのは、7代メフメト2世(1444-1446,1451-1481在位)と10代目スレイマン1世(1520-1566在位)と言える。

 ビザンチン帝国は、陸には長い城壁、海には船の侵入を大鎖で阻み外敵を寄せ付けない大国であったが、メフメト2世は1573年にオビザンチン帝国を滅ぼし、コンスタンティノープルをイスタンブールに改めオスマン帝国の礎を築いた勝利者でメフメトは「征服の父」「2つの海と2つの大陸の支配者」という称号を用いた。
 
 10代スレイマン1世の治世は46年間も続いた。13回の遠征を行い、軍事的に数多くの成功を収め、彼の時代はオスマン帝国の最盛期にあたる。
 壮麗王(the Magnificent)と呼ばれ、日本ではスレイマン大帝と称されることが多い。また、軍事面だけではなく、法典の編纂を行い、帝国の制度を整備したことで立法を行った皇帝という意味で「カーヌーニ」と尊称される。スレイマンという名は、オスマン皇帝の家系図にスレイマン2世をはじめ、皇族にその名が複数登場するが、カーヌーニというだけでスレイマン1世のことだと分かる。

 

2.スレイマンは才ある人を登用    

 スレイマン1世は長く治めただけではなく人を見る目が合ったと思われる。元の身分にかかわらず、優れた才能を愛した。

 スレイマン自身が皇子であったころにパルガ人で漁師の子であったイブラヒムを見出し、のちに大宰相に抜擢した。イブラヒムはのちにパルガル・イブラヒム・パシャと呼ばれる。
 軍事戦略で、工兵隊を使ううちに、ミマール・スィナンの困難な課題を次々とクリアして、戦勝に寄与する才能を見出し、スレイマンの治世で皇帝のモスクや廟建築もまかされ、それ以後5代にもわたってスルタンにつかえ、生涯を通してトルコの偉大な建築を作り続けた。
 海賊出身のフズル・レイスを海軍提督バルバロス・ハイレッディンとしてとりたて、その結果地中海の制海権を握った。

2.スレイマンは
オスマン帝国外伝で、スレイマンは日常的に金と宝石の装飾品を趣味のように作っていた。実際それをよくやる人だったのだろう。もうひとつ、ハレムの中で女性に対して詩の一節をささやいたり、一人で思考するときの言葉がとても詩的だったりする。
詩人でもあったスルタンスレイマン_c0067690_20232130.jpg
さらに、スレイマンは、「おお ムヒッビー、かくも太陽に惹かれるならば~」とつづける。


このドラマを通してたびたび出てくる「ムヒッビー」という言葉。

更に、側室フィルーゼとのやり取りで
フズーリー、ルーミー、サアディ、シーラーズのハーフィズと女性がつぶやき、突然
「かの人の光の輝きに我を忘れ」とハーフィズの詩を唱え始めると、
すかさず、スレイマンが「恵みの栄光の酒杯より聖水を与えられた」とその続きの句を続ける。
そんな場面が先日の放送の中であった。教養ある人はハーフィズの詩などを暗記していて、ここぞというところで自然に出てくる。
これは日本でも平安貴族の恋の歌にも通ずる。そういった素養がないと気の利いた返歌も返せず恋も成就しない。国は異なってもそういう詩や歌を素養としているのだ。

しかし、スレイマンの素養はドラマのだけのことなのか。

実はこれは本当。
ムヒッビーは「恋する人、愛の人」のような意味で、その名前をもって詩を書いていた。

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↑スルタンスレイマンの詩集
(写真は「Three Great Civilizations in Turkey 」より引用)

それぞれの右上の装飾文様の中に、名前がある。
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花に飾られた枠の中。その最下段に、右から
スルタン スレイマン ハーン(このハーンはチンギスハーンのハーンと同じで、オスマン帝国では尊称の一部をなす)とある。
書いたのは書家と細密画家であろうが、スルタンスレイマンの詩集 ムヒッビーの詩集は現存しているのだった。

スルタンは厳格な軍人であり、統治者、法の支配者でありながら、
詩の心ももつ多彩な人だったと思われる。
                                                                                                                                                                                                           
                                       
                                                    
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by miriyun | 2019-08-22 20:50 | トルコ | Comments(4)
2019年 07月 18日

群れるハト、群れないハト

1.目が優しいストレプトペリア・セネガレンシスStreptopelia senegalensis)    

イスタンブールの博物館に敷き詰められた石畳の上を、右に左に警戒心なく歩いていたのは笑い鳩と呼ばれる小さめの鳩。サハラ以南のアフリカ、サウジアラビア、レバノン、シリア、UAE,トルコ、イスラエル、イラン、アフガニスタン、パキスタン、インドの多くで見られる。



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笑い鳩と呼ばれるハトは尾が長く頭も小さく目は黒い。
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そして羽の色、赤茶から暗い茶へ、そして藍色まで羽が重なっている。
そして、胸には黒く市松文様のような文様が浮き出ている。
  
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↑UAEの笑い鳩
この種は大きな集団にならずにたいていは小集団、特につがいで活動していることが多い。


 

2.ドバト   

かたやドバトは集団で群れていることの多い鳩だ。

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↑イェニ・ジャーミーの壁に群れているハト。
(今現在は工事中のため公開されていなかったので、前回撮影した写真から)

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   ↑ 日本のどこにでもいるハト
これはたまたま単独の鳩を撮ったが、周りにやはり群れがいた。

集団でいても食べていくことができるのは寺院・仏閣・モスク・駅などで、
人間がいる環境の中で群れて生息することが多い。

ハトにも生活スタイルというか、種特有の習性がある。
                                                                                                                                                                                                           
                                       
                                                    
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by miriyun | 2019-07-18 05:03 | トルコ | Comments(2)
2019年 07月 14日

パシャたちの足跡

1.パシャとは    
久しぶりのイスタンブールでは、有名どころで混みあうジャーミィ・アヤソフィア・トプカプは避けて、自分の足でじっくりと見て回ることにした。

スレイマンとその周辺の人々とパシャをめぐる旅というのが、今回の旅のテーマの一つである。

パシャとはーオスマン帝国の高官や知事、高位の軍人を呼ぶ場合の尊称に当たる。
スルタンに使える臣下、他の国で大臣に当たる人たちはパシャと呼ばれ、その中でも特に力を持ったのは大宰相(グランド ヴィジィエ)だが、その人たちもパシャと通称される。大宰相までなったパシャは特に力があったので、関連の建築物も残している。


2.シヤヴシュパシャのマドラサ    
これについては事前情報がなかったのだが、歩いているうちにとても地味な入り口があり、入っていいのかさえ迷うな感じだったが、歴史的なものなので一目見てみようと入ってみたものだ。
シヤヴシュ・パシャ(Kanijeli Siyavuş Pasha)とはムラード3世につかえ、47代大宰相となり(1582-84)、その後(1586-89)(1592-93)にもその職を務め、権勢を誇った。彼は今のボスニアのサンジャクというところの出身だが、セリム2世の娘ファトマ・スルタンと結婚した。

その名を冠したシヤヴシュパシャのマドラサは、1591年にスレイマニエ・ジャーミィからゴールデンホーン(金角湾)に向かう坂道の途中の海を見下ろすところに建てられた。

三角形の中庭を囲み、いくつもの小部屋が周囲を囲むつくりのマドラサだった。
(マドラサとはアラビア語由来の「学ぶ場」という意味で、そこから学校という意味にも発展する。イスラーム地域全般にこれを基とする言葉が存在する。)

オスマン帝国時代には、マドラサとして高校や大学のような学習場所として存在し、共和国になってからは陶芸作品のために使用されるようになった。しかし、1950年以降、ここはすたれたままに放置されていた。

◆マドラサ前の解説に掲載されていた元の写真↓
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財団の理事会がこの場所を手に入れ修復作業を開始した。       
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修復途中の中庭と廊下・・・施工会社より引用
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・エルドアン大統領の方針のもと、イスタンブール芸術文明財団の支援を得て、Hilye-i-ŞerifとTasbih博物館として使われることになったという。DAILY SABAH)

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↑ Marmara紙より引用(2016年)
見出しにHilye ve Teşbih Müzesi が Açıldı(オープン)したとある。
やはりエルドアン氏が参加してオープニングを行っている。

政治的なものもあるが、エルドアン大統領を中心に、放置されてきたトルコの文化遺産を本気で観光資源・文化遺産として手入れしていこうというプロジェクトが進んでいるのだろう。

                                                                                                                                                                                                           
                                       
                                                    
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by miriyun | 2019-07-14 23:10 | トルコ | Comments(2)
2019年 07月 09日

イスタンブールは絵になる

霧のイスタンブール    

イスタンブールは絵になる_c0067690_19004509.jpg
ほとんどは朝であるが、イスタンブールは時に湿度が高い。
黒海とマルマラ海とボスポラス海峡とゴールデンホーン、これだけの海に囲まれているのだから、霧も発生するだろう。

ただ、多いのは秋と冬で、深い霧が午後までボスポラス海峡をはじめ、陸も含めて地域の交通を混乱させることもある。

霧はイスタンブール中心地よりもレヴェントと呼ばれる北部地域に多い。
海からの霧は特に朝に集中するので、昼間は日本よりずっと湿度が低く感じる。
↑はこの時期としては珍しく旧市街にまでかかった霧。

霧が出ても、
街がシルエットになる夕刻になっても、
       ・・・イスタンブールは絵になる。

                                                                                                                                                                                                       
                                       
                                                    
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by miriyun | 2019-07-09 19:29 | トルコ | Comments(4)