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  <title>写真でイスラーム　　:中東について</title>
  <category scheme="http://mphot.exblog.jp/i10/" term="中東について" label="中東について"></category>
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  <modified>2026-02-11T20:22:43+09:00</modified>
  <author><name>miriyun</name></author>
  <tabline>＊写真を使って、イスラーム地域や日本の美しい自然と文化を語ります。日本が世界に誇る人物についても語ります。フィギュアスケーター高橋大輔さんの応援ブログでもあります。</tabline>
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    <title>インターネットと地域別在留邦人</title>
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    <issued>2010-04-01T23:58:00+09:00</issued>
    <modified>2010-04-03T10:17:40+09:00</modified>
    <created>2010-04-02T00:10:35+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>中東について</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[一年前、Flag Counterを何気なく入れてみた。<br />
2009年3月28日と導入した日付を入れておいた。それは1年間でどのくらいの国とネット上でつながっていくのか興味があったからだ。<br />
　また、世界の在留邦人の数はどのくらいになっているのだろうか。統計的興味を持って数字を見た。<br />
<br />
100万人を超える海外在留の日本人<br />
　<br />
　海外在留邦人は平成17年に100万人を超えて平成20年には111万人となった。そのうち、永住者は36万人に対して長期滞在者75万人である。<br />
<br />
　その中で、外務省は世界をアジア・大洋州・北米・中米カリブ・南米・西欧・中欧東欧旧ソ連・中東・アフリカ・南極の１０の地域に分けて統計をしている。<br />
　<br />
　平成19年と20年とを比較すると最もその邦人数が増えたのはどこか。前年比＋10.28％の中東だった。ドバイやカタール・サウジアラビアなどの産油国の景気のよさに、仕事等で渡った人が多いからだろう。とくに邦人の伸び率が高いのはドバイであり、さもありなんと思う。ただし、ドバイショックはこの統計のあとなので当然その後はやや減少しているはずである。<br />
<br />
　ところで、伸び率と実数は異なる。絶対数はまだまだ少なくて海外在住の邦人数のうち39％の43万人が北米に住む。　それに対して、伸び率は高いとはいえ、中東全体で9000人台である。まだまだ、中東の邦人は貴重な存在なのだ。　　　<br />
<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201004/01/90/c0067690_2339298.jpg" alt="_c0067690_2339298.jpg" class="IMAGE_MID" height="310" width="500" /></center><br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　↑　外務省領事局政策課の海外在留邦人調査統計（Ｈ20.10.1現在）の数値をもとにmiriyunがグラフ作成<br />
<br />
　　◎ここでのテーマとは関係ないが、南極が調査地域としなっているのは面白い。<br />
　　　　詳しく言うと邦人は29人である。<br />
　　　　これは南極観測の昭和基地とみずほ基地の観測隊員の人数であろう。<br />
　<br />
<br />
◆さて、国・地域別での在留邦人数の多い国を見ると<br />
１．アメリカ　　　　２．中華人民共和国　　　３．オーストラリア　　　　４．イギリス　　　　５．ブラジル<br />
６．カナダ　　　　　７．タイ　　　　　　　　　　　８．ドイツ　　　　　　　　　９．フランス　　　　１０．大韓民国<br />
１１．シンガポール　　１２．台湾　　　　　１３．フィリピン　　　　　１４．ニュージーランド　　　　１５．アルゼンチン<br />
１６．イタリア　　　　１７．インドネシア　　　１８．マレーシア　　　　１９．スイス　　　　　　　２０．ベトナム<br />
２１．スペイン　　　　２２．オランダ　　　　　２３．ベルギー　　　　　　２４．メキシコ　　　　　２５．グアム<br />
２６．パラグアイ　　　　２７．アラブ首長国連邦　　　　　　　　　　２８．インド　　　　２９．ペルー　　　　　３０．スウェーデン<br />
３１．ボリビア　　　　　３２．オーストラリア　　　３３．ロシア　　　　　３４．チェコ　　　　　　３５．アイルランド<br />
３６．トルコ　　　３７．ポーランド　　　　　　38．南アフリカ　　　３９．ハンガリー　　　４０．コロンビア<br />
４１．デンマーク　　４２．フィンランド　　　　４３．チリ　　　　　４４．北マリアナ諸島　　　４５．サウジアラビア<br />
４６．カタール　　　４７．エジプト　　　　　48．パキスタン　　　　　４９．ドミニカ　　　　　　50．イスラエル　　<br />
<br />
◆　これらの邦人が多い国50各国を並べてみるとイスラームの国はなかなか登場してこない。アラブ連盟加盟国では27位のアラブ首長国連邦が一番最初に登場してくる。やはりドバイに集中して邦人が増えた影響が大きい。<br />
<br />
Flag Counterに見る世界ネット事情　　　　　　<br />
このブログでFlag Counter をおいて一年、2009.03.28～2010.03.29で、130カ国になっていた。<br />
<br />
　日本語ブログであるため、日本人が多い国が多くなるとも考えられるが,数でいうなら北米・アジア・西欧中心になるものだ。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201004/02/90/c0067690_1504659.jpg" alt="_c0067690_1504659.jpg" class="IMAGE_MID" height="798" width="266" /></center><br />
<br />
　訪問者が多い順にのっている。<br />
　日本・アメリカは当然として、3番目にアラブ首長国連邦、7番目にトルコ　8番目にマレーシア　以下、50番目までにエジプト・サウジアラビア・インドネシア・イラン・カタール・ヨルダン・アルジェリア・モロッコ・シリア・イエメン・チュニジア・バーレーン・クウェート・パキスタンと続く。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201004/02/90/c0067690_1511610.jpg" alt="_c0067690_1511610.jpg" class="IMAGE_MID" height="605" width="500" /></center><br />
51番目からあともほとんどのイスラーム国が入っているかなと思われるくらいにイスラーム諸国が多い。<br />
<br />
　内容がイスラームであるために在留邦人の人数比どおりにはならなず、イスラーム国からの訪問が多いことが特色として現れてきた。<br />
<br />
　また、インフラ整備の具合などがまだまだか国の間で影響しているのが見て取れる。さらに治安の悪化している国・国家的にインターネットが自由に動いていない国も登場してきにくい。<br />
<br />
そして、たった1年間で、１９３ほどの世界の国（地域）のうち、130ヶ国にあたるところに在住の方と接することができるインターネット時代の潮流・・・それを、この小さなブログでさえ感じられる世の中になったことに驚嘆している。<br />
　インターネットは確実に世界を輪の中に取り込んでいる。<br />
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  </entry>
  <entry>
    <title>受難・・・またも難民キャンプの人々</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/6184342/" />
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    <issued>2007-05-27T16:29:00+09:00</issued>
    <modified>2007-05-28T00:07:25+09:00</modified>
    <created>2007-05-27T16:29:19+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>中東について</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　レバノンにはパレスチナ難民が三十数万人が住んでいる。難民キャンプのうち、もっとも北にあるナハル・エル・バレド難民キャンプが攻撃され、電気・水道・医薬品もなく包囲されている。パレスチナ過激派ファタハ・イスラムがパレスチナ難民キャンプに冬から押し入り、そこを一週間前からレバノン軍によって砲撃されている。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200705/27/90/c0067690_16245213.jpg" alt="_c0067690_16245213.jpg" class="IMAGE_MID" height="400" width="315" /></center><br />
　◆難民キャンプは60年前のイスラエル建国、強制的な追い出しによって自分たちの村から追い出され、さらに逃げ込んだキャンプからもその後の中東戦争での危機やレバノン内戦による難民の虐殺から逃れてきた人々だ。<br />
<br />
　逃れ逃れてようやく、キャンプで生活。充分な教育が受けられない。教育熱心なことで有名なパレスチナ人であるから、何とか家族で頑張って高校や大学まで行かせることもある。しかし、レバノンでは就職制限などあり、収入を得ることが難しい。国民としての公共サービスもないので水も電気も自分たちで引く。<br />
<br />
☆　そういった中でも頑張り、思いやり前向きに生きようとしていたナハル・エル・バレドの人々。まず感じ取って欲しい・・・苦しいながらできるだけ気持ちを明るく保ち頑張って生活していた人々の話だということを！<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200705/27/90/c0067690_16265275.jpg" alt="_c0067690_16265275.jpg" class="IMAGE_MID" height="375" width="500" /></center><br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200705/27/90/c0067690_1618687.jpg" alt="_c0067690_1618687.jpg" class="IMAGE_MID" height="410" width="500" /></center><br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200705/27/90/c0067690_16183311.jpg" alt="_c0067690_16183311.jpg" class="IMAGE_MID" height="371" width="500" /></center><br />
　　　　↑ナハル・エル・バレド・・・希望を持ち印象的な笑顔をみせていた人々<br />
　｢衝突の発端は、銀行強盗事件を捜索していた治安部隊が20日、トリポリ市内のファタハ・イスラムの味とを襲撃したことだった。同組織はその報復としてキャンプ前の軍詰め所を襲い、兵士を殺害。（中略）治安部隊はキャンプを包囲し、戦車がキャンプに向かって絶え間なく砲弾を撃ち込む。キャンプの住人にも怪我人がでたのはもちろん死者も81人に上る。｣（2007.05.23読売新聞）<br />
　ナハル・バリド（新聞ではこう表現していた）の大工さんの家に武装したファタハ・イスラムの民兵が押し入った。断ると銃を向けられた。彼らをレバノンを国軍が戦車で砲撃。その家の2回に住む親戚が重傷を負った。また、要所要所に武器をもったっメンバーが立ち、住民が逃げられないようにした。一時的休戦になった23日、徒歩や車で5000人のナハルの人々がバダウィ難民キャンプに逃れてきて、バダウィ難民キャンプは人であふれている。（2007.05.24読売新聞）<br />
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  </entry>
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    <title>礼拝用絨毯とモーフル</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/5946112/" />
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    <issued>2007-04-24T22:16:00+09:00</issued>
    <modified>2007-04-25T07:10:14+09:00</modified>
    <created>2007-04-24T22:16:55+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>中東について</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　前出のようにイスラーム地域では、ホテルにキブラシールが張ってある。クルアーン（コーラン）はおいてあるのは見たことがないが、祈りのために礼拝用絨毯が部屋ごとには用意してある場合もある。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200704/24/90/c0067690_21583991.jpg" alt="_c0067690_21583991.jpg" class="IMAGE_MID" height="640" width="480" /></center><br />
　　　　　　　　　　　　　　↑　イエメンのホテルのプレイヤーマット<br />
　　礼拝用マットは必ず向きがわかるようなデザインであり、上下対称ではない。これも上にモスク、下にモスクランプの図柄に名ｔｙ手いる。　　　　　　　　　　　　　　　　<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200704/24/90/c0067690_2212456.jpg" alt="_c0067690_2212456.jpg" class="IMAGE_MID" height="640" width="455" /></center><br />
　　　また、イランはヤズドのホテルでは、やはり、モスクにモスクランプという図柄になっている。そしてさらに、モーフルもおかれていている。モーフルはカルバラの土からつくられたという。シーア派ならではであり、じゅうたんの上におき額につくまで前に頭を下げるのだ。<br />
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　まことに礼拝することを大切にしているものだ。<br />
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  </entry>
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    <title>ラマダン月にあたり・・・</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/4621304/" />
    <id>http://mphot.exblog.jp/4621304/</id>
    <issued>2006-09-24T19:16:00+09:00</issued>
    <modified>2026-02-11T20:22:43+09:00</modified>
    <created>2006-09-25T19:54:52+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>中東について</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　24日をもってイスラームでは、ラマダン（ラマザン）にはいった。<br />
　年に１１日ほど太陽暦とずれていくので、毎年ラマダンの時期が早まってくる。昨年は１０月だったが、今年は９月というようになってくるのだ。<br />
　　ラマダンが涼しい冬場にあたるのと酷暑の夏にあたるのでは、身体への負担も激しく異なる。そもそも、ラマダンは日中だけは何も口にしないというものなので、断食するというよりは、日のあるうちは何も口にしないことになる。水も食糧も水タバコも口にしないのだ。<br />
　　現象として見えるのはそれだけなのだが、ラマダンはもっと内面にかかわりがあると思う。貧しい人や食べれない人の気持ちも察することができる。人の苦しさを知り、思いやる気持ちを持つことができる。<br />
<br />
　イスラームの中では、もとより相互扶助の精神が顕著で、コミュニティがしっかりしておればたとえ親をなくした子どもがいようとストリートチルドレンになる可能性は、きわめて低い。もてるものは、持たざるものにふるまうのは当たり前で、それを享受するほうも当然のこととして受ける。けっして卑屈になることはない。<br />
<br />
　そういう社会があるということを感じていこう。これには憶えることではなくていろんな人と接していくことが何よりだ。<br />
<br />
　以前、あるＮＧＯがパレスチナの子どもたちに日本のアニメ『蛍の墓』をみせたそうだ。戦争孤児になってしまった兄と妹が苦しみさまよう姿がけなげで涙なしではいられない映画であった。そのアニメを見ての、パレスチナの子どもたちが日本人に投げかけた質問が印象に残っている。<br />
<br />
　・・・・「なぜ、あんなに大変な状態の子どもがいるのに大人が助けようとしないの？」<br />
そこがどうしても理解できないというのだ。彼らは、苦しい時必ず誰かが手をさしのべてくれていたからだ。<br />
<br />
　そういわれて初めて気づくこともある。ときおり、このように考え方の基盤が違うことに気づかされる。異なるものに接するのは驚きである。暖かい心に接すれば、こちらも心が豊かになる。<br />
　そんなことを考える機会のひとつであるラマダンを祝おう。<br />
　<br />
　ラマダン・カリーム！<br />
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　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br />
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　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　↑　一日一回、ポチッと応援していただけると励みにもなります　　　　　　<br />
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  </entry>
  <entry>
    <title>大使館の移転…エルサレムから退去</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/4449351/" />
    <id>http://mphot.exblog.jp/4449351/</id>
    <issued>2006-08-27T22:44:00+09:00</issued>
    <modified>2007-07-29T14:53:40+09:00</modified>
    <created>2006-08-29T23:43:25+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>中東について</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　　Ｎｅｗｓ――在イスラエルの大使館移転のニュースに釘付けになった<br />
<br />
　イスラエルが、自ら称して首都といっているエルサレムは、国連はもちろん、どこの国もそれを認めてはいない。<br />
<br />
　もともと、１９４７年、国連がイスラエルへの土地の割譲・独立を認めたが、三大宗教の聖地、であるエルサレムは国際管理のもとにおき、いずれにも帰属させなかった。それを中東戦争で周辺への染料を進め、とうとうヨルダン川東岸、つまりパレスチナに帰属する土地を占領する。<br />
　1980年にはイスラエル議会は占領によって手に入れた東西エルサレムを統一エルサレムとよび、首都とする法律を制定た。そして、ここに首都機能を移した。<br />
　だが、東エルサレムはムスリムの聖地アル・アクサー・モスクがあり、スークが繁栄し、あまたのパレスチナ人が住み、スークで売り買いし、昔からの家に住み子どもを育てていたのだ。<br />
<br />
　その状態で世界の国々は一カ国もエルサレムをイスラエルの首都とは認めなかった。<br />
　国連総会は、これを非難する決議を百四十三カ国の圧倒的多数で採択。アメリカでさえ、｢棄権｣するのがやっとだったのだ。このとき、棄権は４カ国。反対はもちろん当事国イスラエルだけであった。<br />
<br />
　もちろん日本も非難決議に賛成し、エルサレムをイスラエルだけがとるなどということは認めていない。だから、首都機能が西エルサレムに移転してからも日本大使館はテルアビブにある。他の国もそうなのだ。<br />
　しかしながら、少しでもエルサレムに大使館を置いてもらえれば、国際社会において既得権のようになっていく可能性がある。だから、エルサレムに大使館を設置といったら、政府は大喜びで便宜を図るに違いない。実際、どういう事情かはわからないがコスタリカ・エルサルバドルの２カ国がエルサレムに大使館を置いている。<br />
<br />
　　だが、コスタリカは今月１６日、エルサルバドルは２５日にテルアビブへの大使館移転を発表した。いずれの国もレバノン戦争停戦とその後の中東諸国との関係を考えてのことだという。<br />
<br />
　これは、レバノン戦争において、各国が何を考えていたのかを象徴的にあらわすことだ。<br />
　つまり、これまで赤子の手をひねるように一方的に勝っていたイスラエルがどんなに強力な爆弾を使って町を廃墟にしても、相手はあきらめはしなかった。目的をあらわにしながらの一般市民の殺戮などに対して、即停戦はできなかったものの国連も欧米各国あきらめはしなかった。周辺諸国もイスラエル国内の平和団体も黙っていなかったということなのだ。戦争が停戦に近づくほどに各地に逃げたレバノン人とそれを支援する各国の人々も声を出していったのだ。<br />
<br />
　これはできるだけ挑発してもっと徹底して力を伸ばそうとしたイスラエルにとっては誤算となったようだ。<br />
　そして、思いもかけない大使館移転というささやかなニュースによって、頬の辺りを横切る風の向きが変わっていくような微妙な中東情勢を感じさせられた。<br />
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]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>難民キャンプの中のＵＮ</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/4057543/" />
    <id>http://mphot.exblog.jp/4057543/</id>
    <issued>2006-06-22T20:02:00+09:00</issued>
    <modified>2011-09-19T07:46:46+09:00</modified>
    <created>2006-06-23T20:24:42+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>中東について</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　キャンプ地には当初からＵＮＲＷＡが入って国連としての援助活動が行なわれている。だから、建築物、とくに学校は国連がつくり、正確に言えば『国連立○○小学校』ということになる。<br />
　現地で見かけた小学校の看板を見ると国連マークが入っている。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200606/23/90/c0067690_20105173.jpg" alt="_c0067690_20105173.jpg" class="IMAGE_MID" height="349" width="500" /></center><br />
↑　女子児童のための小学校<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200606/23/90/c0067690_2010301.jpg" alt="_c0067690_2010301.jpg" class="IMAGE_MID" height="349" width="500" /></center><br />
↑　男子児童のための小学校<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200606/23/90/c0067690_20112482.jpg" alt="_c0067690_20112482.jpg" class="IMAGE_MID" height="500" width="457" /></center><br />
↑　元気な顔で家の手伝いの野菜運びをしている子どもたち。小学校は比較的整っていて就学率も高いが、そのあとの上級学校までは国連も手が回らない。受入国の学校に通うには、経済的な負担及び法律上の規制が厳しい。したがって、親は学ばせたいが、続けることができなくなってくる場合が非常に多い。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200606/23/90/c0067690_20114384.jpg" alt="_c0067690_20114384.jpg" class="IMAGE_MID" height="400" width="386" /></center><br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200606/23/90/c0067690_2012011.jpg" alt="_c0067690_2012011.jpg" class="IMAGE_MID" height="400" width="363" /></center><br />
↑町にはＵＮＲＷＡの車（あっ！三菱だ！）がたびたび通っているし、ごみ収集の仕事をしているのも国連に雇われたパレスチナ人である。このように、生活のいたるところに国連・ＵＮＲＷＡの姿が見える。<br />
　しかし十分というわけではない。難民が減る状況は全くないのに、予算は減っているのだ。だから、ＮＧＯも各国から入ってきている。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200606/23/90/c0067690_20121731.jpg" alt="_c0067690_20121731.jpg" class="IMAGE_MID" height="139" width="500" /></center><br />
↑　ところで、ＵＮＲＷＡは「アンルワ」と解説されていることが多いが、現地では「ウヌルワ」と聞いている。英語だとアンと読むが、上の写真のアラビア語で確認するとたしかに「ウヌルワ」と書いてある。だから、アラブでは「ウヌルワ」なのだ。<br />
　略号も読み手によって言い方が異なってしまうことになる。ドイツ語やスペイン語などではなんというのだろう。<br />
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    <title>難民の町の水道管</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/4055073/" />
    <id>http://mphot.exblog.jp/4055073/</id>
    <issued>2006-06-21T00:13:00+09:00</issued>
    <modified>2006-06-24T07:20:46+09:00</modified>
    <created>2006-06-23T00:09:06+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>中東について</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200606/23/90/c0067690_082858.jpg" alt="_c0067690_082858.jpg" class="IMAGE_MID" height="375" width="500" /></center><br />
パレスチナ難民キャンプ、<br />
　もとはテントがどこまでも続くようなところであっても、そこに住むこと何十年となると町はがらんどうのブロックやレンガで詰まれた町になる。しかし、難民となって命を保つことができても水道・電気の設備を受入国がやってくれるものか。<br />
　そこには受入国の事情・自国民と難民の割合、などが関係する。<br />
それぞれ１万人とか２万人が住む町でインフラ整備をしないままでは生活できない。そこで、初期においてUNRWAが水道管のおおもとを引く。<br />
　その後、占領され、逃げ出してくる難民で数倍に膨れ上がってくる。すると写真のように、水道管もたこ足配管をしていくようになる。この水道管がすべてむき出しのまま狭い路地をつながって各家庭へと送られる。<br />
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<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>世界難民の日</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/4048616/" />
    <id>http://mphot.exblog.jp/4048616/</id>
    <issued>2006-06-20T00:28:00+09:00</issued>
    <modified>2006-06-21T00:59:40+09:00</modified>
    <created>2006-06-21T00:48:31+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>中東について</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　6月20日は国連が定めた世界難民の日だ。<br />
<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200606/21/90/c0067690_0414898.jpg" alt="_c0067690_0414898.jpg" class="IMAGE_MID" height="345" width="500" /></center><br />
<br />
そこで、まずは難民について。<br />
<br />
１、難民（Refugee)とは？<br />
　「難民の地位に関する条約」（難民条約）では、、「人種・宗教・国籍・政治的信条などが原因で、自国の政府から迫害を受ける恐れがあるために国外に逃れた者」を難民という。いわゆる政治難民（英：PoliticalRefugee）のことである。<br />
<br />
　近年、この定義に該当しないが保護が必要な人が急増している。<br />
天災、飢餓や伝染病・内戦・部族対立のため、国外に逃れた人々を避難民（displaced person)という。本国の国内にあって、同様の状況に置かれた人々を国内避難民(internally  displaced person)または内部難民（InternalRefugee）という。さらに現代では経済的貧困を逃れるため理由での難民も経済難民（英：EconomicRefugee）と呼称されている。<br />
<br />
２、日本人難民<br />
　戦争の延長線上ではあったが、満州・朝鮮に開拓団として国によって送り込まれた人々は日本が敗戦したとき、まさしく難民だった。（国内難民・政治難民かはそのときをどうとらえるかで異なる）だから。このとき命からがら食べるものも飲むべき水も得られない状態にあったのだ。だから新田次郎と藤原ていという作家夫婦とその息子藤原正彦など、難民になるということはどんな状態なのかよくわかっている人たちもいる。その反面、日本もそういう状態があり、極限状態を経験した人たちがいたことを全く知らない人もいる。<br />
<br />
２、世界の難民<br />
　ＵＮＨＣＲ（国際連合難民高等弁務官事務所）によると、2004年12月31日時点で世界の難民は923万6500人とされている。地域別ではアフリカが最大で全難民の30%が居住している。ただし、ここにはもう60年間も難民生活を強いられているパレスチナ難民は含まれていない。国連でもUNRWAが担当するところなので、各種統計に含まれている場合、含まれない場合などがあるので要注意だ。<br />
<br />
＊なにやら、定義ばかりになってしまった。<br />
キャンプの公共水道から。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200606/21/90/c0067690_042317.jpg" alt="_c0067690_042317.jpg" class="IMAGE_MID" height="640" width="448" /></center><br />
　フィラスティーンの少年が手をかけているのは、難民キャンプの中にある共同の水道。アラブでは、聖者廟、町の記念碑の前などいろいろなところで誰もが自由に飲むことができる水のみ場を作って提供していることがよくある。ここでは亡くなった青年の写真とともに、水道をみんなが使えるように提供していることを書いてある。<br />
<br />
　今年は、国連では「希望」 がテーマで、6月19日(月)から7月14日(金)まで、UNハウスにて恒例の「世界難民の日」写真展が開催されるという。<br />
<br />
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<br />
<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>ナスレッディン・ホジャの笑い</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/3941036/" />
    <id>http://mphot.exblog.jp/3941036/</id>
    <issued>2006-05-21T02:35:00+09:00</issued>
    <modified>2009-05-30T08:19:12+09:00</modified>
    <created>2006-05-23T04:07:47+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>中東について</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　中東の笑いの世界について<br />
１、まずは次のブログを紹介させていただく。<br />
　　中東ぶらぶら回想記・・・｢ニュースのお時間です｣は最新のニュースが独自の視点で語られていて、中東情勢　について読み応えがあるので、おすすめだ。また、笑のつぼが異なることや、ジョーク・　エジプトのノクタなど最近楽しませてもらった。<br />
　<br />
　＊エジプトのノクタではサイーディーが主人公として登場してくることが多いらしい。日本でも、落語なら八っつぁん、とかよく使われる名がある。頓知なら一休さん話とかが有名。<br />
<br />
<br />
２、そういった楽しい話はどこの国でも何かしらあるのだろうが、かなりの国に翻訳されて読まれ愛されていると思われるのがナスレッディン・ホジャだろう。<br />
<br />
　トルコの頓知話なのだが、ナスレッディン・ホジャは１２０８年、トルコ・アナトリアの中央部のシブリヒサールの町の近くのホルト村に生まれたという。のちに、アクシェヒールに移り住み、一生のほとんどをすごすことになる。幼い頃から頓知に富んだ子どもであったらしいが、年をとるほど味のあることを言ったというのだ。１２８４年になくなったということなので７６歳という当時としては長寿であったわけだ。<br />
<br />
☆ホジャの小話とはどんなものか。<br />
　　　　　ーーーーー　心づけーーーーーー<br />
<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200605/23/90/c0067690_233775.jpg" alt="_c0067690_233775.jpg" align="right" class="IMAGE_RIGHT" height="200" width="132" /><br />
　ホジャはハンマームにいった。みすぼらしいなりをしていたので、風呂番たちはホジャをいい加減にあしらい、ちっぽけな石鹸と、やぶれた手ぬぐいをよこした。<br />
　風呂を終えてから、ホジャは一人一人に金貨を配った。風呂番たちはびっくりした。ていねいにもてなせば、もっとたくさんの心づけをくれたかもしれない。<br />
　次の週、ホジャはまたハンマームにいった。今度は、風呂番たちはホジャをスルタンでもきたかのように丁寧にもてなした。マッサージをしてもらい、香水を振りかけられた後で、ホジャは、風呂番たちに使いでもない小さな銅貨を渡してやった。<br />
　一同がっかりしているところで、ホジャはしたり顔で言った。<br />
「こいつは、この前の時の分じゃ、この前渡した金貨は、今日の分じゃ！」<br />
　　　　　　ーーーーーー　重荷ーーーーーー<br />
<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200605/23/90/c0067690_2333442.jpg" alt="_c0067690_2333442.jpg" align="right" class="IMAGE_RIGHT" height="176" width="200" /><br />
 ホジャは、市場で袋いっぱいのジャガイモを買い、袋を肩に担ぎ、ロバに乗って家路に着いた。しかし、途中で出合った友人が声をかけた。<br />
「ホジャ、片手で袋を担いで、片手で馬の手綱を取るなんて大変じゃろ、なぜ、袋をロバの背に背負わんのかね？」<br />
「ロバはわしという大きな荷物を運んでいるんじゃろうが。それ以上負わせたらかわいそうじゃから、わしが、荷物を運んでおるんじゃ」　　　<br />
　　　　　　　　　　（小話・絵ともイスタンブルで購入の『ナスレッディンホジャ小話集』）より引用　　　　　　　　　　<br />
<br />
☆上は見た目で判断する人々・人物そのものを見ない人を笑い飛ばしている。<br />
下の重荷は、どの世代でも無心に笑えるロバもの。<br />
<br />
　ホジャのお話の笑いには、このほかにもいろいろな笑いがふくまれているが、人をおとしめるものではなく朗らかに笑い、苦しい生活の民衆を励ますような笑いだ。だからこそ、時代を超えて長く伝えられてきたのだろう。<br />
<br />
　トルコにはホジャにまつわる銅像や記念のものが当然多いのだが、下の銅像は他の国のものである。　<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200605/23/90/c0067690_2335960.jpg" alt="_c0067690_2335960.jpg" class="IMAGE_MID" height="500" width="398" /></center><br />
　これはウズベキスタンのブハラ（ブハーラー）、ナディル・ディワン・ベギ・モスクの前の公園にあったかなり大きな銅像。すると少なくともウズベキスタンの人にとって馴染み深い人物なのだろう。<br />
<br />
　もともと東から西へと移動してきたトルコ民族であるので中央アジアから東はトルコ語（又は類似点の多い言語）が思った以上に使われている。例えば、アゼルバイジャン、カザフスタン、キルギス、トルクメニスタン、ウズベキスタンや中国ウイグルなどである。<br />
　<br />
　以前に、東京ジャーミーでであったウィグル自治区からの留学生は、トルコ系の人たちとは不自由なく話せると言っていた。　するとこのホジャの話もシルクロードの各地に知られている可能性が高い。<br />
<br />
　工芸や建築のほかに、こうした話も文化の伝播の一つなのだ。<br />
　<br />
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]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>ペルシア湾</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/3737088/" />
    <id>http://mphot.exblog.jp/3737088/</id>
    <issued>2006-03-31T15:18:00+09:00</issued>
    <modified>2009-03-07T09:59:50+09:00</modified>
    <created>2006-04-02T15:59:09+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>中東について</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　ペルシア湾（あるいはアラビア湾）はいわずと知れた石油の埋蔵が圧倒的なもので、経済的に豊かになった国が今大発展している。その躍進ぶりはすごい。<br />
　空から見ると、ほんとうにきれいな海なんだけど、紛争のタネにもなる。<br />
<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200604/02/90/c0067690_1548385.jpg" alt="_c0067690_1548385.jpg" class="IMAGE_MID" height="323" width="500" /></center><br />
<br />
↓　アッ、何か見つけた！海底油田へのパイプラインか、天然ガスパイプラインだろう。<br />
陸地側には、タンクが並んでいる様子が見える。すると天然ガスのほうだろうか。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200604/02/90/c0067690_15504589.jpg" alt="_c0067690_15504589.jpg" class="IMAGE_MID" height="341" width="500" /></center><br />
　　　　　　　　　　　↑　パイプライン　右下の黒い枠は航空機の窓枠<br />
<br />
　さすがに晴れわたった地域である。<br />
　　　　　　　　　・・・・・・・・・・１万ｍの高さからなんて鮮明に見えるんだろう！<br />
　　　<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br />
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]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>カアバ神殿のキスワ</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/3472084/" />
    <id>http://mphot.exblog.jp/3472084/</id>
    <issued>2006-01-30T23:42:00+09:00</issued>
    <modified>2006-02-03T23:21:13+09:00</modified>
    <created>2006-02-03T00:52:03+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>中東について</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　カアバ神殿はイスラーム第一の聖地マッカにある。この神殿の形ムカッアブ（立方体）から名が由来する。実際は１２×１０×ｈ１５ｍの直方体であるが、すぐそばで見れば立方体のように見えることだろう。日に５回の礼拝（シーア派は３回）ここに向かって祈る。また、巡礼（大巡礼八ッジュ・小巡礼ウムラ）の場でもある。<br />
<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200602/02/90/c0067690_23444451.jpg" alt="_c0067690_23444451.jpg" align="left" class="IMAGE_LEFT" height="157" width="250" /><br />
←世界歴史シリーズ９「イスラム世界」より引用<br />
<br />
　カアバは預言者イブラーヒームとその息子イスマーイールによって建造されたとクルアーンにある。この最初の建造の時に使われたとされる黒石が現在のカアバの盗難の角にある。磨りへったこの石は現在は銀色の長楕円形の金属の内側にはめ込まれている。<br />
<br />
　建物の中は６３０年にムハンマドが偶像を破棄してからは空になっている。この建造物の外側をキスワという一枚布が覆っている。<br />
<br />
　カアバ神殿とその領域はムスリムでないとはいれないから直接見る機会はないのだが、テヘラン考古学博物館ではじめてキスワを目にすることができた。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200602/02/90/c0067690_2345567.jpg" alt="_c0067690_2345567.jpg" class="IMAGE_MID" height="289" width="400" /></center><br />
　　　　　　　　　　　　↑　テヘラン考古学博物館蔵のキスワ　<br />
　以前はいろいろな材質と色の布が使われたということだが、現在は黒地に文字が金色で刺繍されている。これはキスワの中の上部の帯状のところの文字である。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200602/02/90/c0067690_2347488.jpg" alt="_c0067690_2347488.jpg" class="IMAGE_MID" height="640" width="396" /></center><br />
　　　　　　　　　　　　↑　2005年の名古屋万博・サウジアラビア館で展示されたキスワ　　<br />
　この大きなキスワは神殿の入口の金色の扉前にかけられる部分で、下から中央部のオベリスク型のところまでは分かれるようになっているのだ。たくしあげておいて巡礼者が金の扉も見ることができるようになっている。<br />
<br />
　また、金色の刺繍でクルアーンの言葉が縫いこまれている。大きい銀の円形カリグラフィー及びオベリスク型カリグラフィーの下の横カリグラフィーの左右にシャハーダ（信仰告白）の言葉が表されている。<br />
　右には「アッラーの他に神はなし」、左には「ムハンマドはアッラーの使徒である」の語句が含まれていることが確認できた。これだけの大きさに一部の文様を除いてあとは文字ばかりなのであるから、圧倒される。　　　<br />
<br />
　キスワは年に一度、巡礼月（ズール・アルヒッジャ）の9日目に新しいものととりかえられる。13世紀から１９６２年まではエジプトによって提供されていた。現在はサウディアラビアの巡礼省が管理している。」<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200602/02/90/c0067690_23482663.jpg" alt="_c0067690_23482663.jpg" class="IMAGE_MID" height="271" width="400" /></center><br />
　　　　　↑キスワの刺繍作製中　<br />
　　　　　　（サウジアラビア大使館からもらった広報用ポスターから引用）<br />
　このようにキスワの製作は現在メッカ近郊で行われている。この写真のように金糸を使って大きな文字の形に刺繍を仕上げていく。<br />
<br />
　一年が経過し取り外されたキスワは、細分されサウディ・アラビア政府から各国のムスリムや団体に無償で配られるという。そのためこうして私たちがキスワを見る機会が得られるのだ<br />
<br />
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　　　　　<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>Arabic map を読む（２）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/3402284/" />
    <id>http://mphot.exblog.jp/3402284/</id>
    <issued>2006-01-19T23:14:00+09:00</issued>
    <modified>2012-01-09T22:52:35+09:00</modified>
    <created>2006-01-20T00:48:35+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>中東について</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　地図の表記には第三国経由で知ったことによるちがい、紛争中であるがゆえの本質を世界に向かって問いかけているちがいなどがある。<br />
<br />
①　日本語表記とはだいぶ違うアラブ名<br />
<br />
＜国＞<br />
エジプト・・・ミスル<br />
チュニジア・・・トゥーニス<br />
<br />
＜都市＞<br />
カイロ・・・アル・カーヒラ<br />
ダマスカス・・・ディマシュク<br />
アレッポ・・・ハラブ<br />
パルミラ・・・タドゥモール<br />
エルサレム・・・アルクッズ<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200601/20/90/c0067690_0155650.jpg" alt="_c0067690_0155650.jpg" class="IMAGE_MID" height="433" width="500" /></center><br />
<br />
②　フィラスティーン表記<br />
　左のピンク色を注目する。すると、そこには<br />
فلسطينという文字が見られる。これはフィラスティーンとよみ、パレスチナをあらわす。<br />
そこには、イスラエルは存在しない。（あくまでも、この地図の場合であるが・・）<br />
<br />
これが、中東の抱えている問題を端的に表している<br />
<br />
<br />
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  </entry>
  <entry>
    <title>Arabic map を読む(1)</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/3401295/" />
    <id>http://mphot.exblog.jp/3401295/</id>
    <issued>2006-01-18T22:40:00+09:00</issued>
    <modified>2012-01-29T09:45:15+09:00</modified>
    <created>2006-01-19T22:43:53+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>中東について</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[①　アラビア語の地図はもちろんアラビア語だがその中で国や湾など大きい地域をどのように書いているか――<br />
下のArabic map（シリア発行）をみてみよう。その中にひときわ長く伸びた文字が目立っている。<br />
<br />
　これはアラビア文字の特色をうまく地図に使った例である。アラビア語は、文字を連結する場合にいくらでも横線を延ばすことができる。（もちろん書体によっては認められないものもある）　<br />
　長くのばすことによって、他の都市名などと混同しないで見分けることができるわけだ。<br />
たとえばオレンジ色の国の中には斜めの文字がある。この「アルムマッリカトゥ・アルアラビーヤトゥ・アルサウディーヤトゥ」とあるのがサウディアラビア王国をあらわしている。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200601/19/90/c0067690_2250894.jpg" alt="_c0067690_2250894.jpg" class="IMAGE_MID" height="405" width="500" /></center><br />
②　地図の右上の湾を見よう。<br />
　日本の地図で、ホルムズ海峡の内側の湾を見るとペルシア湾となっている。ペルシア湾の海も沿岸の国も石油の埋蔵量の多い土地として新聞やテレビでもたびたび使われる地名である。　<br />
　この地図でペルシア湾を探して次の文字のうちどちらを発見できるだろうか。　　　<br />
　　　　　　　　　　　　　≪↓下記の文字を参照↓≫<br />
　　　　　　　　　　　　　　الخلیج العربی　・・・・・・・・・アラビア湾<br />
<br />
　　　　　　　　　　　　　　خلیج فارس　　・・・・・・・・・ペルシア湾<br />
<br />
　★この地図ではアラビア湾となっている。<br />
　<br />
　☆　イラン・イラク・クウェート・カタル・バーレーン・サウディアラビア・アラブ首長国連邦・オマーンに囲まれている湾である。それぞれの国が自分の国の前の海としての思い入れや歴史的な経過もあるだろう。その結果、当然イランがペルシア湾と呼び、アラブ諸国がアラビア湾とよぶのだ。<br />
<br />
　☆　このように、日本でこれが万国共通と思っている地名が、実は異なる呼び方がされているという例は数多い。<br />
<br />
　(地図は国家の主張と思惑が関連し、実は数多くの難しい問題もはらんでいる。しかし、ここではあくまで地図の見方として文化面からの取り上げ方だけにとどめておく。)<br />
<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br />
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]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>イスラームのインターネットカフェ紹介＆雑感</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/3349061/" />
    <id>http://mphot.exblog.jp/3349061/</id>
    <issued>2006-01-08T23:01:00+09:00</issued>
    <modified>2009-03-07T08:28:29+09:00</modified>
    <created>2006-01-09T03:31:13+09:00</created>
    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>中東について</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　　中東・アフリカのインターネット普及率は低い。もちろんアラブ首長国・カタール・クウェート・バーレーン・サウジアラビアなど湾岸諸国は高い。レバノンもまあまあ高いほうだし、これからもっと伸びていくだろう。<br />
　　かたや、農業・遊牧中心のイスラーム諸国は出遅れている。いわゆるデジタル・デバイトに直面している。そんなことを調べていたら、時間がまたたく間に過ぎていってしまった。これではいけない。自分の使える時間と能力をわきまえて身近な話題を取り上げていくことに徹しよう。<br />
　　<br />
　これから、イスラームの国でであったインターネットカフェとその国に関する雑感を述べよう。年代も場所も様々なので比較もできないのだが、各国の雰囲気が伝わればと思う。<br />
<br />
①　インドの富裕層だけ IT 化すすんでいた（インドはイスラーム諸国ではないが、イスラーム教徒もいる関連国として取り上げさせてもらう）<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200601/09/90/c0067690_0171387.jpg" alt="_c0067690_0171387.jpg" class="IMAGE_MID" height="292" width="500" /></center><br />
　２０００年、一般国民の電話普及もままならなかった時に国際電話をするためにウダイプールの街中の商店２階にあるＳＴＤに行った。当時、自分はＰＣもメールもさわれなかった。だから、ＰＣもおいてあるんだという認識しかなかったがＩＴ大国インドはインターネットの配置も早かった。<br />
　<br />
　インドのマハラジャとその奥様が運営する舞踊団が２００２年に日本にやってきた。その時、連絡を取り合うようになった舞踊家はＷｅｂデザイナーとして、当時の日本では見たことのないような高度な企業ＨＰを作成していた。舞踊団の裕福そうな少女たちはメールアドレスを持っていた。<br />
<br />
②　レバノンのキャンプの中で驚く！<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200601/09/90/c0067690_0173010.jpg" alt="_c0067690_0173010.jpg" class="IMAGE_MID" height="506" width="500" /></center><br />
　レバノンの中でも、社会資本の投入が全く行われず、住所がなく郵便の配達も行われない取り残された地域―――それが、パレスチナ難民キャンプである。しかし、通信が不自由であればあるほど次の方策を練るものだ。２００１年当時で、キャンプ内にインターネットカフェがいくつかあった。<br />
A:子どもたちがＰＣでゲームをして楽しみながらインターネットをしている。<br />
B:ビリヤード台とＰＣを置いて客を待つインターネットカフェ、ただし日本へのメールを送れなかった。<br />
C:国際電話を探してここにきた。オペレーターがＰＣ画面の電話に番号を打ち込むのを見て驚く。ＩＰ電話だ！今でこそ、日本でもＩＰ電話という語句が当たり前に使われているが、当時は聞いたことがなかった。それを難民キャンプで見たのは驚きだった。料金国際電話に比べて安い！音質・音量も良好、国際電話にありがちだった、高い・つながりにくい・聞こえにくいの世界とおさらばだ・・・と他国でＩＴに目覚める。それと同時に手紙が届く場所かどうかということと、ＩＴに接する機会があるかどうかと言うことは連動するものではないことに気付かされた。<br />
　<br />
③　空港の有料ラウンジにて<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200601/09/90/c0067690_0175263.jpg" alt="_c0067690_0175263.jpg" class="IMAGE_MID" height="300" width="400" /></center><br />
マレーシアのクアラルンプールKuala Lumpur 空港<br />
　トランジットのため５時間待ち。その時に家に連絡するために使ったのが<br />
Plaza Premium Lounge<br />
RM75、つまりアメリカドルで１８㌦で、軽食、飲み物、ソファー、マガジン、シャワー、インターネットなどが自由に使える。１８ドルという安いホテルに充分泊まれる料金を空港で使うのは無駄と思うかもしれない。しかし、自分は言葉が不自由なうえに小心者で、じっくり準備して石橋をたたいて行くほうなので、安全と情報収集や家族への連絡についてはお金をかけなければと思っている。<br />
<br />
④　チュニジアはPUBLINET<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200601/09/90/c0067690_1332580.jpg" alt="_c0067690_1332580.jpg" class="IMAGE_MID" height="356" width="500" /></center><br />
  チュニジアでインターネットカフェを探す。こればかりは「地球の歩き方」にも載っていなかった。<br />
Ａ：奥まったところであり、表示も小さいのでしっかり見ないとわからない。アルファベットでPUBLINETとあるのは、もしかしてフランス語か？フランス語がわからないので不明。でも、一番上の行にアラビア語でインタルナートゥと書いてあったので安心した。<br />
　５台ほどＰＣがあり、デスクトップからフランス語になっていた。チュニジアでは何度このフランス語に悩まされたことか！ここから英語を想像してたぶんこことか思いながら何とか家にメールを打つ。当然日本語サイトにはならないからローマ字として打つ。一時間かかった。しかし、どうやったのか覚えていないので同じことは二度とできない。<br />
<br />
Ｂ：ホテルでどこにあるか地図を出して聞くが、地図もおおざっぱであるし、教える側も地図をよく使えない。だからわかったつもりで探してもなかなか見つからない。そんな中で周囲のチュニジア人に教わりながらたどり着いた。<br />
　わかったことーーチュニジア人はすご～く親切だ。公衆電話と一緒に経営。看板が目立たないが、ここはアラビア語と珍しく英語で表記されていた。・・・店主が来ないので結局つかえなかった。<br />
<br />
＊チュニス新市街はフランス化したオシャレな町だ。でも通信面はまだまだ弱そう。そういえば、ここから出した葉書３通は結局届かなかった。<br />
<br />
⑤　イエメン…ホテルのビジネスセンター＆町のインターネットカフェ<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200601/09/90/c0067690_0183330.jpg" alt="_c0067690_0183330.jpg" class="IMAGE_MID" height="411" width="500" /></center><br />
Ａ：イエメンの中で一番高級だったアデンのホテル。このくらいだとビジネスセンターがあって<br />
　使える。表記はアラビア語と英語。ただし高い、そして何とかＳＤカードのデータをＵＳＢディスクに移したくていろいろ触ってみたが無理だった。<br />
Ｂ：サナアの街を散策中に見つけた。ガラス越しにアラビア語表記が見えた。店の名前はザフラ、その名前がデスクトップに書かれていた。<br />
<br />
⑥　Ｕ．Ａ．Ｅ.のドバイ・・・リビエラホテルのＩＴ度<br />
　きれいな調度のビジネスセンターがあり、２台のピカピカの高速インターネット回線のＰＣがあった。ただし、ＦＡＸはすごく高い。シリアに１枚送って１５００円くらい。いっぱいになったカメラのＳＤカードの中身を移すのはできない。仕方ないので、ホテルのすぐ裏が電気街なのでＳＤカードを買いに行く。日本製ではないが購入してみたら日本で買うのと同じくらい。今でも使っているので品物も確かだ。<br />
<br />
⑦　シリアのあるホテルの場合？<br />
　最初から最後まで上手く行かなかった。それどころか見覚えのあるgoogle/<br />
yahooにも届かなかった。いろいろさわって、あるリカバリソフトがあればというところまでわかったがホテルの従業員が何もわからなくてソフトもわからなかった。<br />
　この後、忙しくて町のインターネットカフェには行かなかったが、使えるのが数軒あることがわかっている。旅をしながら、次々と日本語環境を作っている達人がいるらしい。<br />
<br />
★雑感<br />
　　こうしてみると旅行者もホテルやインターネットカフェを使えばどこの国でもそこそこ情報をやり取りすることができる。また、日本から青年海外協力隊員や商社マンとして住みついても必要なネット回線をつないで交信できている。（二ジェールとかは厳しいらしいが・・・）<br />
　ただし、だからと言って一般の国民まで普及しているかと言えば、そうではない。<br />
<br />
★　現在、インターネット普及率が低い国もいつかは普及してくる。　しかし、ビジネスでは違う。世界は狭くなり、世界の資源を食いつぶしながら先進工業国がばく進している。<br />
　相手がどんなことを考え、世界がどうなろうとしているのかを知ることは必要だ。そのビジネスの中でインターネットがほぼ全面的に使える国と１０％ほどの企業しか使えない国とでは歩み方が違ってしまう。<br />
　その辺を考え機敏に動いている国、動かない国、別の価値観を持ってゆったりとすすむ国に分かれているように見える。<br />
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]]></content>
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    <title>車事情・・・日本と中東、そして中国・韓国</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mphot.exblog.jp/3343948/" />
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    <issued>2006-01-07T01:33:00+09:00</issued>
    <modified>2009-03-07T08:26:45+09:00</modified>
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    <author><name>miriyun</name></author>
    <dc:subject>中東について</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　　各国の車事情はどんなものだろう。それは、傷だらけのシバームの車からはじまった疑問だ。<br />
★タイ・・・まずA.K.さん協力による画像から。協力に感謝。<br />
　　タイでは、急速な車社会の発展で都市部は渋滞も激しい。日本車の販売店がずらりと並び、走っている車の画像でわかるように日産・いすず・トヨタ・写真はないが本田など日本車は次々と目に入る。ただし、他国の車を意識していないのでその点は不明。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200601/07/90/c0067690_23465861.jpg" alt="_c0067690_23465861.jpg" class="IMAGE_MID" height="158" width="500" /></center><br />
　このように、日本の輸出産業の花形である自動車は各社とくに大きな差はなく売り込んでいるようだ。<br />
<br />
★イエメン<br />
　①まずはどんな車が走っているか？<br />
イエメンでは車の９０％は日本車である。2002年イエメン大統領アリ・サーレフも日本車を絶賛している。中東調査会の中の現地報告の中に次のような一文がある。　<br />
<br />
アリ・サーレフ大統領が車を運転。私は助手席、英、独、仏の大使が後部座席に座って、ソコトラ島巡回の旅が始まった。日本製ジープのハンドルを握った大統領は、「やっぱり車は日本製に限る。この間はハドラマウトでランドローバーを運転したが2日で故障した。」英大使は苦笑してノーコメント。「大統領閣下、メルセデス・ジープをご存知ですか」と独大使。大統領曰く、「知っている。しかし日本車にはかなわない」<br />
　　　(駐イエメン特命全権大使　大木正充氏のイエメンだより引用）<br />
<br />
　更にそのうち８０％はＴＯＹＯＴＡである<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200601/07/90/c0067690_23541671.jpg" alt="_c0067690_23541671.jpg" class="IMAGE_MID" height="395" width="500" /></center><br />
↑　＊左上：大人も子どもも大勢で乗りあわせる。座れないほど乗り込んだり後ろにしがみついているのはよくあること。ただし、自分がこれまで見た範囲ではしがみつき度が高いのはインドだった。クーフィーヤで顔を隠している様子を見ると、この人はなんで顔を隠しているのかと思う人もいるかも知れない。実は土ぼこり舞うところや日差しの強いところではどんな布でも巻きつけたほうが賢い。自然環境次第で服装は変わる。<br />
<br />
　＊右上：ライトエース。舗装していない道路ではほこりがもうもうとなる。日本なら霧で見えないときがあるがここでは土埃で視界５０ｍかというときもある。後ろのガラスのアラビア語は「アッラーは唯一、ムハンマドはアッラーの使徒である」　ムスリムの国ではよくこのように車に書き込むことがある。そういえば、日本ではお正月に車に安全祈願のお札を飾ることがある。あれは神社でもらうから神道によるわけだ。<br />
<br />
　＊下：ジャンビーアダンスをしている運転手さんたちの後ろにランドクルーザーが並ぶ。イエメンは山岳と無舗装道路が多い。砂漠もある。なんといっても４ＷＤがもっとも有用であり、しかも多くがＴＯＹＯＴＡである。<br />
<br />
　②では、その他のメーカーはどうなのか？<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200601/08/90/c0067690_0213874.jpg" alt="_c0067690_0213874.jpg" class="IMAGE_MID" height="216" width="500" /></center><br />
↑　＊左：三菱のトラック（ただし、①ナンバープレートがない　②車の装飾に関心のない<br />
　　　　イエメンらしくない装飾がある。だから、パキスタンあたりから入ってきた車かもしれない。<br />
　<br />
　　＊右：いすゞのトラック・・・ビニール関係のものを運んでいたが、積載量や積み上げの<br />
　　　　高さや幅制限はないのか？と疑問がでてくる。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200601/08/90/c0067690_0221610.jpg" alt="_c0067690_0221610.jpg" class="IMAGE_MID" height="375" width="500" /></center><br />
↑この車はどこのメーカーか不明。なぜならエンブレムを注目！<br />
　　ライトの間にはＳのスズキのエンブレム<br />
　　その上のほうを見るとＴをデザインしたトヨタのエンブレム<br />
　　　　　　　　　「エンブレムを飾りに使ってないかーッ!?」<br />
<br />
　③イエメンの中古車<br />
　ここでは、中古車の流通ルートも確固としたものとしてあるようで、相当な数の中古営業車が入っている。多くの車がほこりだらけなのに、どうして中古とわかるのか？<br />
　イエメンには、ここは日本かと思うほどに「＊＊幼稚園」「＊＊商事」「＊＊温泉旅館」なんていう名前や絵が入っている車が走っているからだ。<br />
　どういうルートで入ってくるのかはわからないが、一つわかるのはイエメン人は家を飾るほど車には気を使ってないということだ。<br />
<br />
　④パトカー↓　<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200601/08/90/c0067690_1382899.jpg" alt="_c0067690_1382899.jpg" class="IMAGE_MID" height="344" width="500" /></center><br />
　イエメンではいっせいに新車を購入したらしい。しかし、少々気になるのは、最近導入したパトカーはすべて韓国のヒュンダイであることだ。　<br />
<br />
　　　　<br />
★アフガニスタンの車情報<br />
　　　　　　　・・・『アフガニスタン駐在日記』のkentaさんからいただきました。<br />
　　　　　　　　　　　ご協力に感謝いたします。　　　　　　　　　　　　　<br />
　　kentaさん曰く、<br />
    「アフガニスタンではトヨタ車が圧倒的に多いですね。一番多いと思います。 国連、NGOなどはランドクルーザーが多く、一般の人は、カローラ、 カローラワゴンに乗っている人が多いと思います。」　　　　<br />
<br />
＊　期せずして、アフガニスタンもトヨタが圧倒的という貴重な情報をいただいた。４ＷＤ人気ということもあるが、それにしてもくここまでＴＯＹＯＴＡが普及するには並大抵のことではなかっただろう。<br />
　　もちろん、国や地域によって需要が異なるわけで、日本のどのメーカーも、得意とする地域を持っている。そして、世界の多くの国で日本車を売り込むためにプロジェクトＸ並みの営業マンの努力があったに違いない。<br />
<br />
　　しかし、最近の国際情勢で日本人の商社マンやメーカーの営業マンもやや中東への進出を抑え気味なのに対して、前述したように韓国車が強力に売り込み、日本の市場だったところに食い込んできている。この事実と、０４年に中東を歩いたほんの少しの日数でさえ各地で中国人ビジネスマンが闊歩するのが目に付いたこと、この２点から、今後も日本という国が貿易面で優位にたち、資源の不足する点を補っていかれるのかいささか不安を感じた。　<br />
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