写真でイスラーム  

mphot.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2008年 08月 17日

西陣織

1、日本の機織りの歴史
 日本への機織の伝来は、5~6世紀頃で渡来人の秦氏によってもたらされ、山城の国の太秦(うずまさ)のあたりに住み着き、養蚕業と織物業を伝えた。
 奈良・平安では織部(おりべ)という職人組織を朝廷がつくらせて、国産の錦を織っていた。いうなれば、官営工房で国の職人として働いていたのだ。もちろん、聖武天皇の天平の時はとくに盛んであったに違いない。

 律令政治が衰え、武士の時代になると共に、国のもとではなく一般の職人として大舎人町で機織りに精を出すようになる。室町時代には座を組織して、注文も受けて生産していった。ところが、1467年、応仁の乱が起こり戦乱の中で京都は焼け野原になり、大舎人町の機織職人も戦火を逃れて移動していった。

2.西陣織とは 
 11年もの戦乱がおさまると、もとの大舎人町のそばの今出川付近で織物業を復活させていった。ここが、応仁の乱における西軍の本陣跡であったため、西陣織と呼ばれる。
  先染めの糸で紋意匠を織り上げることを中心に西陣織は現在に至るまで発展してきた。
西陣織_c0067690_2292715.jpg

 手前にあるのは紋様の図面であり、これを見ると絨毯折りでの図面をおもいださせられる。やはり絵の具などで簡単に色をぬったようなものであり、脇においてあるがあまり見てはいない。
西陣織_c0067690_230168.jpg

 縦糸をあげさげを頻繁におこないながらそのあいだに横糸を通していく。これが錦を作る場合ほんとうに大変な作業なのだが、かなり前からコンピューターによって紋紙というパンチ穴の開いたものを作成しておいて、それによって自動的に紋様に沿った縦糸だけが持ち上げられるようになっている。
西陣織_c0067690_2301853.jpg

 こうして出来上がったのが、この帯である。最初の写真の中の図面をもう一度見てからこれを見ると、作製した人々の苦労と誇りを感ずることができる。
 
                                             応援クリックお願いします。  

by miriyun | 2008-08-17 02:38 | Comments(0)


<< ダマスク織~シルクロード西進      錦とは・・・ >>