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2008年 05月 25日

繁栄とかげり…イエメン略史2

1.幸福のアラビア
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 イエメンが最も栄えていた時代には、ここは「幸福のアラビア」と呼ばれていた。アラビア半島において、国土は山岳により守りが構えがかたく雨が降り緑が豊か、そして紀元前と紀元後で交易ルートは変わるがヨーロッパから見て燦然と輝く国だったのだ。
 
2、ダムの建設と繁栄
 シバ王国は交易キャラバンから通行税をとることによって莫大な税収があり、それをもとに栄え続けていた。イエメンは雨が多い。7~8月は思った以上に雨が降る、しかし、乾季は乾燥するから、水の確保が重要なことはほかの国と同じだ。
 マーリブは交易ルートと好位置にあったが、やや低地の砂漠地帯であったので、増える人口を支える食糧生産をおこなうには水が不可欠であった。では紀元前800年ごろに、当時としては』世界最大規模の公共事業をおこなっていた。高さは16mにも達する巨大ダムで長さも680mあったという。
 これによって農地の灌漑を行ったため、この後シバ王国はもちろん、王国が衰え、他の支配となってからもダムが壊れると補修してマーリブの水を確保し続けた。
(*なお、マーリブなど国土の北部・東部などの一部は依然、安全が確保されていない)

3.交易の変化とアデン
 紀元1世紀になると大きく変化したことが2つある。
 さしもの乳香を中心とする交易ルートも航海術の発達と共にアデン港、更に紅海、ナバテア人のペトラからガザ、あるいはエジプトへのルートに変化してくる。 ローマ帝国の時代となり、民族や文明を超えて便利なルートがとられだしたのだ。
 また、宗教的にも乳香を大量に生じする在来の種々の宗教からキリスト教に変化してきて受容は減少し、ナバテア経路で十分に足りるようになってしまったのだった。
 これによってマーリブは急速に衰え、歴史から姿を消していった。次々と外敵がやってくる中、570年にはダムも崩壊して、今度は修復されることもなく住民も離散して言った。

一方新しい交易の中心地になったアデンは水確保の公共事業でも活況を呈した。水確保のタンクがアデンで作られている。
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↑アデン・タンク
 1世紀にアデンに作られた18の貯水池のうちの1つ。3層の濾過装置も付いていた立派なものであり、4500万tの水を蓄えるようになっていたという。長いことゴミ捨て場になっていたのを19世紀、イギリスがこの地に勢力を伸ばした。イギリス人サールーン・バートが発掘して、現在はこの歴史的タンクを見学できる公園のように整備されている。

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 アデンはこの後、海のシルクロードの要として、常にアフリカ・インドをつなぐ船が行き来することとなる。鄭和の艦隊もここに来ているし、また今でもアフリカの舟など停泊して荷おろししている様子が見られる。

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by miriyun | 2008-05-25 18:01 | Comments(2)
Commented by ぺいとん at 2008-05-28 23:24
そんな大昔にダムがあったなんて信じられないくらいです。 

「幸福のアラビア」という言葉は遠い昔の思い出を語るようで、なんとなく寂しい響きも届きます。 
いろいろな時代を経験し、いぶし銀のようになった素敵なおばあさんみたいで。 
そうすると今もやっぱり「幸福なアラビア」なのかもしれないな~。
Commented by miriyun at 2008-05-29 22:14
どこでも治水・灌漑を制したところに文明が栄えますが、ここイエメンでも水を制する歴史が眠っていて、驚きました。
 そして幸福のアラビアは、長いこと憧れを持って呼ばれた時代があったことを物語っていました。治安は一部まだ良くないですが、人と自然は創呼ばれた当時のままではないかと思います。


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