写真でイスラーム  

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2008年 04月 20日

一枚の絵の思い

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この子どもたちが遊んでいたのはこの建物の上の階だった。縄跳びも行ったほど広々とした部屋で子どもらが屈託のない笑顔でいられたときがあった。

 この建物はNPO法人が1990年に建てたものであり、それぞれのこの町で住民の福利厚生の中心的役割を果たしていたのだ。したがって、度々日本からボランティアが訪れ、交流していく。
 子どもの家には子どもたちが集まり、心のケアを受けたり、歯科治療を受けたり、遊んだりしていた。

◆しかし、今朝写真を見ることができた。
参考:
写真
このasahi.comの記事
忘れられたパレスチナ難民キャンプの悲劇


ここは、レバノン国内の難民キャンプだが、50年もの歴史がある4万人の町だ。
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 この街はどこにあるのか?地図中の青文字で表した町である。

 2007年5月の記事に記載したようにパレスチナ難民キャンプが昨年来、武装組織とレバノン軍との紛争の中で 爆撃を受けて街は破壊され、人々は近隣に待避したまま衣食住に困難な状態なままである。
 難民としての立場、レバノン戦争の砲撃・同胞であったはずの過激派の異常な行動・・・いずれも一般の難民にとっては、自分たちに何ら責任のないところでおきている。悲嘆と苦悩のもとでしかない。
 
その破壊度が想像以上に激しく、一般の家はもちろん日本のNPO出資の『子どもの家』さえも破壊されたときいていた。新聞のほうで「子どもの家」の写真を見るとまだまだつかえそうに一瞬思えたりしたが、HPの写真で街としての生活基盤が失われた様子が完全に破壊されていることがわかった。

 シリア国境に近いところで、公共の設備が利用できない状態に置かれ、就学・就職・医療なども思うようにできないところであり、自治区周辺国のキャンプとしては生活しにくいところであった。閉塞感があり、将来に夢も持ちにくいながら、誠実に勤めて明るく暮らそうとしている姿が印象的であった。

 ところが、拠り所の一つである『子どもの家』が完全に破壊されてしまった。あの町に住んでいた人々は隣の町に移っても暮らしていかれるんだろうか、子どもたちは無事だろうか・・・。祈るばかりである。


◆ 一枚目の写真の子どもたちが遊んでいた階の廊下に絵が飾ってあった。
ここの青年の描いた作品である。
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                                       ( 転載禁止)
 女性と子どもが心のふるさとの町を待ち望みながら、木に寄り添う。木の葉は故郷の町の名である。明るく希望を持って待つ気持ちが表情に表される。平和の象徴の鳥が首から下げているのは各難民がそれぞれ、家から追い立てられたときに我が家の鍵を閉めた鍵であり、これは我が家へいつかは帰るという思いが込められている。

 青年は素晴らしい絵と文字をたくさん描いていた。誰もが絵を見たが、自分は彼の文字のセンスを見た。この画材やペンも不自由な中で自己流ではあるがいろいろな書体で文字を書いていた。書道ではなくて必要に応じて書いているのだが、生き生きとした文字だった。他の民族に生まれたならゆうゆう美術大学などでいかれたはずである。
 子供たちにも勇気と希望を与えていたこの絵や文字はどうなったのだろう。あの破壊され方からすると失われてしまったかもしれない。

 しかし、一枚の絵に込められた気持ちは読み取っていきたいと思う。

また、あの子どもの家には別の若者が描いた見事なペン画もあった。
   あれらの作品に発表の場はあったのだろうか、
          大勢の人に見せたい絵が埋もれ、
                  時に消えていってしまっている・・・。
 
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by miriyun | 2008-04-20 11:11 | Comments(6)
Commented by Azuki at 2008-04-20 13:16 x
子供の絵には素直な気持ちが表れますよね。この絵も素晴らしいです。人の表情はよく描き手に似ると思います。
レバノンは芸術家の集まる町で才能が詰め込まれレバノンの国を愛する国民性とでお互いに刺激しあっている印象があります。私はそんなレバノンが好きだから良い方向へ変わって欲しいと願っています。
Commented by miriyun at 2008-04-21 02:17
Azukiさん、世界には、絵を描いたり、字を書いたり、当たり前と思っていることができない人がいます。書くことはできてもそれで世に問うことも出来ない人たちもいます。
 でもそういう人の絵こそ世に問うことが必要なことが多いですよね~!
Commented by kiwidinok at 2008-04-21 10:34
私は娘の高校を選ぶ際、地域で最も難民の受け入れに力を入れている学校を選びました。子供のみならず、私も世界の現状をしっかり把握して物事を考えなくてはならないと思ったからです。
実際、苦しい経験をしてきた子供達は、そうでない子に比べて努力を惜しまず、当然忍耐力もあります。言葉もわからず、授業にもついていけなかった子供達が、3年、4年と居る内に、地元の子と同じ授業をこなせるようになるんですから、たいしたものだと思いますよね。
難民を出す国ではなく、受け入れる国に住んで、どんな環境に生まれ育った子供にも同じように、安心して生活でき、教育を受ける権利を与えなくてはならないことを痛感しました。
今回の記事を読み、リンクされていた写真を見て、心底腹が立ち、実際こちらに難民として命からがら祖国から逃げて来た子(母親と妹はアメリカに、姉と当時8歳の自分はNZに来る事になったんだと話してくれたミャンマー出身の青年)の話を思い出し、また、アルバイトをしながら頑張るコソボ出身の子の笑顔が脳裏に浮かんで、涙が出てきました。
子供達の心が荒んでしまいませんように、いつか希望が叶えられますようにと祈るばかりです。
Commented by miriyun at 2008-04-22 06:55
kiwidinokさん、苦しい思いをしてきた子どもたちは、周りのケアがあれば、純な心で時を大切に生きていきます。だから、そういう学校も、国も素晴らしいです。
 それに何よりもkiwidinokさんの深い心で学校の選択をされた話に感銘を受けました。リンクまで探ってみていただきありがとうございます。ここの子どもたちはかろうじてしっかりした大人たちの間で支えられていましたが、今はどうなっているのか心配です。こういった世界のことは知っていただくことが大切だと思っています。
Commented by Joe at 2008-04-22 10:19 x
しかし、一枚の絵に込められた気持ちは読み取っていきたいと思う。
Watasimo Sou Omoimasu.
Tikaradeno Seiatuwa Muridearuto Ituninattarakidukunodarouka.
Monogotoniwa Ryoumenseitoiumonogaarutameni Dotiraka Ippouwo Sijisitajoutaideno Gironno Fumousa.
Itunoyomo Ippanno Sasaina Siwasewo Motometeiru Hitobitoga Nakiwominakerebanaranai Genjitu.
Sukikatte Yattesimattayatuga Katinanoka.
Watasiwa Sou omoukotogadekinakattakeredo Souomouhitono Ningentositeno Kimotiwa Nantonakuwakarimasu.
Wakarukeredo Sonotikarawo Tigattahyougen Houhoude Simesiteitte Moraeruhigakurukotowo Inorimasu.
Commented by miriyun at 2008-04-23 21:08
ジョーさん、そうなんです。いつの世も困るのは善良な人々、力のない人々なんです。結局宗教の問題ではないんです。人間と人間、他をどう思い、自分のところだけよければいいと考えるかどうか・・・、生活できないほど追いつめるほどだんだんと解決できない方向に行ってしまいます。
 今、生活できるのか、わが子を育てられるのか、そういった原点ができていない人々のことを考えると、自分の無力さに心がえぐられる気がしています。


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