写真でイスラーム  

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2007年 10月 26日

ウルグ・ベク天文台…イスラームの科学

 西洋史を通して世界史を学んできた日本にはなじみがないが、15世紀、まだコペルニクスもガリレオも現れないころ、中央アジアの美しいオアシス都市・サマルカンド郊外の丘に精緻な観測を行なった科学者がいた。
(参考*コペルニクス…16世紀初頭、ガリレオ…16世紀末、ケプラー…17世紀初頭 )

 その科学者はティムール王朝4代目君主(1447~1449)のウルグ・ベグである。もとより、イスラームの技術は当時天文学・科学・医学・薬学などは世界最高水準であったが、彼が作り上げた天文表は、思わず絶句するようなものであった。
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 ウルグ・ベグ天文台のわずかに残った六分儀の地下部分の保存場所。地下部分から上部を推定すると直径48m、高さ地上部分29m、地下に11mの深さとされる。

ウルグ・ベク天文台…イスラームの科学_c0067690_551978.jpg

 その中に六分儀を地下に掘りさげてつくった地下部分が現存している。
  ウルグ・ベクはここで観測を続け、1018の星をはじめ、太陽系惑星の並び順、その惑星の周期などを明らかにしていった。

★ また、すなわち1年間は365日6時間10分8秒
とされ、今日の天文学で計算された場合とわずか1分の誤差しかない。いかに精度の高い観測であったかがわかる。
*〔参考〕当時のヨーロッパが使っていたアルフォンソ天文表(1270年~16・17世紀)・・・365日5時間49分16秒。今日のと20分も違う。

 彼が作り上げた天文表は当時最も正確なものであった。これをキュレゲン天文表と呼ぶ。キュレゲンとは女婿という意味で、テームール朝がモンゴルのチンギス・ハーンの家系の女性と結婚することによってその権威を高め、帝国を維持していった。これによって、キュレゲン王朝であるということによる。
ウルグ・ベク天文台…イスラームの科学_c0067690_545081.jpg

 マジかに見てみると目盛りに当てるところは石で作られ、目盛りを読みやすくするために石に刻みが入っていることがわかる。実用を考えた上での細かな配慮がなされた例である。

 ウルグ・ベグはイスラームの学問だけでなく中国の文化や学問も保護または奨励し、天文台のほかに学校などを多数建設した。このウルグ・ベグの治世に、サマルカンドはイスラム文化の一大都市として大いに栄えたのだった。 
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by miriyun | 2007-10-26 05:24 | 中央アジア | Comments(10)
Commented by orientlibrary at 2007-10-27 09:28
ティムール朝の魅力の一面を、写真でわかりやすく教えてくださって、どうもありがとうございました。
理科系が苦手なせいか、こういうところをきちんと見ていないことが多い私、なるほどこうなっていたのか、と感慨新たです。
Commented by peque-es at 2007-10-27 18:35
確か、古代ギリシャやローマの文明・学問をある意味受け継いだのが、アラブだったんですよね?
古代(エジプト?)にも地動説を唱えた人、いたんじゃなかったんでしたっけ? それが中世のヨーロッパでは闇に葬られてしまった…ちょっと記憶が曖昧なのですが…
Commented by Azuki at 2007-10-27 19:47 x
1分の違い、すごい@。@あの降り積もるような星を観測することを考えるだけで気が遠くなりそうです。君主が・・・この功績があったからこそ栄えたのでしょうね。石に目盛りの工夫からもその大変さが伺えますね。
イスラームで天文学とか科学がその一部のように学ばれていたということが垣間見れた気分です。
Commented at 2007-10-28 19:57 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by miriyun at 2007-10-29 00:45
Orientさん、ここは中央アジアでもライオンの入ったメドレセと同じくらい気になるところです。ここはツアーで訪れたのですが、じっくりとその研究成果をメモしてきたかったのにそれさえできないほど駆け足の見学だったのです。団体の弱点ですね~。残念でした。
Commented by miriyun at 2007-10-29 01:08
pequeさん、おっしゃるとおりイスラームではギリシア語の書を国をあげて翻訳事業を行い知識の吸収をしました。そればかりでなくギリシア以上の実測の記録をずっと積み重ねていった所が優れたところです。元前3世紀にアリスタルコスが太陽中心と初めて唱えたとされますが、誰からも信じてもらえず、そのうちプトレマイオスによるなかったといいます。これが再認識されたのは17世紀になってからでした。この間の研究成果は後のヨーロッパ・ルネッサンスへと大きな影響を与えたのです。
Commented by miriyun at 2007-10-29 07:29
Azukiさん、イスラームの科学領域は取り上げようと思いつつなかなか思うようにまとめられないでいます。だからあちらこちら不完全燃焼なのですが、コメントありがとうございます。
 ほんとにいつも突拍子もなく前後の見境なく書くもので・・・(汗)読みづらくてすいません。
Commented by miriyun at 2007-10-29 07:31
鍵コメ様、
 お引越しでは、お忙しいところですね。またの再開を楽しみにしています。連絡くださいね。
Commented at 2007-10-29 21:23 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by miriyun at 2007-10-29 22:33
早くできてよかったですね。どこに行かれたのかしら。いまからうかがうのが楽しみ~!!
 ブログ名も変えたんですね。
 私のほうは色はいいんですが、写真の大きさが本来の大きさより圧縮してしまうためかえって不鮮明になっているのが気になるところです。一日限りで幅のあるシンプルなスキンに戻るかもしれません。動機も皆さんがきれいなところに移ったので、私もちょっと移ってみたくなったという浅い動機なもので・・・。


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