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2007年 09月 17日

太陽とライオンと…中間報告

 中央アジアには謎がたくさんある。その一つを追った。

◆太陽とライオン 
 カリグラフィー&ミニアチュールの一部を見てもらおう。
太陽とライオンと…中間報告_c0067690_10542894.jpg

          ↑イラン芸術博物館蔵。19世紀「Golestane Khial」より引用
 
 ワーゥの文字の中に、中央アジアで見かけたものがある。
        ↓
   それは、ライオンと太陽だ。

 以前に紹介したシールダール・マドラサやナディール・ディワン・ベギにはイスラーム地域には珍しい絵がある。とくにモスクに人面は珍しすぎる。
 しかし、サマルカンドとブハラの2箇所で人面の太陽が見られる。いずれにも人面太陽があり、一方にはライオンが他方には孔雀が描かれている。時代は同じ17世紀で不仲で争っていたサマルカンドとブハラの君主が対抗意識を持って作らせたという説がある。

 サマルカンドの場合はシールダール(ライオン)のマドラサという名がついている。

太陽とライオンと…中間報告_c0067690_13144629.jpg

以前にまとめたように見た目はトラ模様に表のヒョウのようなテンの模様もあり、タテガミもついている。
 トラのメドレセといってもよさそうなのにシールダールというには何か理由があるのだ。これにかかわるものはないのか調べてみた。

◆広がっていったミトラ教
 ミトラ信仰が古代のペルシアや中央アジアにあり、これがインドやローマ帝国にまで広がっていた。ミトラ神はライオンと同化する姿で描かれ、その周りをへびで囲う姿の彫像があるという。
 
 太陽信仰であるため太陽の生まれる時冬至を祝う習慣はイスラームになっても残り、シャベ・ヤルダーという名で今でもスイカやざくろなど赤いものを食べながら、一晩お話などを聞きながら家族で過ごすという行事だった。
 この冬至の祝いにあわせて決めたのがクリスマスだといわれている。アジアの西端ヨルダン川のそばで生まれたイエスの正しい誕生日はわからないという。しかし、当時のローマ帝国内で最も栄えていたのはミトラ教であり、その影響で冬至のあとにクリスマスを持ってきたといわれる。

 ミトラ教はローマ皇帝も信仰していたが、その後ミトラ教とキリスト教のどちらかを国教としようというあらそいを経て、キリスト教のほうが国教となったのは周知のとおりだ。

◆ミトラ信仰の残されたもの
  こうして、シルクロードからローマ帝国まで幅広く影響を与え続けたミトラ教は徐々に衰えていくのだが、消えたわけではない。
 ゾロアスター教の中に組み込まれた部分もある。
太陽とライオンと…中間報告_c0067690_11264166.jpg

なんとよくみればゾロアスター教のしるしには日輪が含まれているではないか。

 また、民衆の生活感の中にも残っている可能性がある。何よりも、暦の問題がある。アラブ圏はヒジュラ暦を使っている。ヒジュラ暦は太陰暦である。だから、ラマダンなどでも、伝統的方法で物事を決まるときは月を見る。
 しかし、文化の異なるイランではヒジュラを基にした暦とキュロス王建国から数えるイラン暦を用いており、それ太陽暦である。一年の初めを春分からはじめる暦なので、新年を祝うのは3月21日なのだ。(王政のときと、ホメイニ政権になってからでは異なる。大変複雑なので、ここでは深入りしない。太陽暦をイランではもともと使っていたということだけをおさえておきたい)

◆セルジューク朝のタイル

 このように、太陽というもので見ていくと関連するものがシルクロードにはまだ出てきそうだ。
トルコ民族はシルクロードを東から西へと移動していった民族なのでその精神に、こういったものが残る可能性があるのではないかと探してみた。

 するとセルジューク朝のタイルにそのあとがあった。

太陽とライオンと…中間報告_c0067690_1054288.jpg

↑13世紀 制作地カシャーン又はダームガーン『世界美術大全集イスラーム』小学館発行より引用 
 セルジュークのものだが、産地はイランなので文化としてはその影響下である。

 この高度な技術で焼き上げたタイルは有名なものだが、その中の一つに注目してみた。
太陽とライオンと…中間報告_c0067690_10541749.jpg

 エイトポイントスターのタイルの中央に、捜し求めていたライオンと人面太陽があった。話はそれるが、このライオンのチロリンとこちらを見る目がミョーに可愛いくて気に入ってしまった!!
 
 制作は13世紀なので、シールダールのメドレッセより3世紀前にはこの文様はペルシアで確立していたということになる。     
 すると、サマルカンドの人がライオンを想像して初めて作ったわけはなく、昔からある柄として取り込んだということだ。
 
 この太陽とライオンの起源はミトラ教から派生した民間信仰からきたものではないだろうか―――  
            ・・・これを中間報告として、さらに追ってみたいと思っている。

                            地道な追求に応援をよろしく

by miriyun | 2007-09-17 11:17 | 文様の伝播 | Comments(6)
Commented by Azuki at 2007-09-17 18:14
文字の中に絵、なかなか思いつきません。綺麗ですね☆
イランの絵本のなかで太陽は人面でたびたび描かれているそうで、いつも人々を見守ってくれるおばさんキャラです。前回のお話の後でそれを見たので、これもか~~~と思いました(笑)
太陽神と権力者を表しているのかなとか追求していくと面白そうです。
太陽神ミトラの誕生日が12月25日とされていたので、クリスマスだなぁと思ってましたが、こういうことだったのですね~
Commented by miriyun at 2007-09-17 20:44
Azukiさん、もうごく自然体でいろいろ使われているんですね。顔はこれと同じようなんでしょうか。カリグラフィーのライオンと太陽の上に王冠があるのも気になりますね。
 あちらこちらでみたりきいたりしたものがつながっていくのが面白いものです。
Commented by Azuki at 2007-09-17 23:51
見つけました~私が見たのはこれです。(http://salamx2.exblog.jp/6289741/)
ホクロみたいのも似ています。そういえば、日本の「お日様」って言葉も人のようですよね♪人は光り輝く太陽にそれぞれの思いを描いていたのでしょうか。
Commented by miriyun at 2007-09-18 21:50
Azukiさん、ありがとうございました。ほんとにイランでは太陽の顔を一般的で愛着を持って呼んでいるようですね。お日様というのも日本独特かと思っていたけれど似た感覚かもしれませんね!
Commented by yokocan21 at 2007-09-19 06:28
うわぁ、こはまた面白いお話を伺うことが出来ました!なるほど、ライオンのモチーフはミトラ教まで遡っていくんですね。歴史は繋がっていますね。
それにしても、ペルシャの人たちって、なんて独創的で素敵なものを作り出していたんでしょう!イスラムなんだけど、それ以前の先祖代々伝わってきた民間宗教の部分もしっかりと伝えていってるって、すごいです、深いです。
Commented by miriyun at 2007-09-20 06:41
yokocanさん、まだまだ確かなものが出てこないのですがかんり歴史がさかのぼることは確かなようです。それにしても、ミトラは手ごわい。あまり資料がないんです。
 ペルシアもトルコも置くが深いですよね~。


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