写真でイスラーム  

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2007年 08月 03日

テオドシウスの城壁&イスタンブールの位置

☆海路から見たイスタンブール
 地中海のなかでトルコ半島西部とバルカン半島・クレタ島に囲まれたあたりをエーゲ海という。

 そこからイスタンブルへは大変細いダーダネルス海峡を進まなければならない。この海峡の極めて細い部分だけでも50kmはある。 
 その海峡を抜けたところにヨーロッパ側のトルコとアジア側の間にマルマラ海がある。さらにそこから、またまた極細のボスポラス海峡を20kmくらい進むと黒海に出る。黒海はロシア帝国の時代、エカテリーナ2世らが耽々と南下のための土地を狙っていた地域と面する。

 イスタンブールはマルマラ海を南に睨み、ボスポラス海峡を東に睨む位置にある。海防上これは大変有利な位置にあるといえる。実力者がここを抑えたなら、他を寄せ付けないだろう。

☆陸からみたイスタンブール では陸はどうかというと、ヨーロッパに位置し、陸路でいくらでも攻めてくることができる。そういう意味で東ローマ時代にテオドシウス2世よって412年テオドシウスの城壁がつくられた。

テオドシウスの城壁&イスタンブールの位置_c0067690_3242835.jpg

 この城壁は6.65kmにわたってコンスタンティノープル(現在のイスタンブルの旧市街)をすっぽりと囲うようにつくられた。
テオドシウスの城壁&イスタンブールの位置_c0067690_3244673.jpg

 峡間胸壁と矢狭間が見て取れる。陸側は建造物と塀と堀を用いた三重の構えであったという。
テオドシウスの城壁&イスタンブールの位置_c0067690_325422.jpg


 この、コンスタンティノープルが要衝の地であり、このテオドシウスの城壁と海路をじっと見下ろす場所を占めていることで船によって、強い力を持ったことが容易に想像される。
 つまり、このコンスタンティノープルは同じキリスト教徒に攻められラテン王国を作られたときを除いて、なんとフン族のアッティラ大王の厳しい攻めにも鉄壁の守りを誇ったのだ。 
    
 ただし、この鉄壁の守りが1453年、メフメット2世によって破られるまでは・・・。

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by miriyun | 2007-08-03 02:18 | トルコ | Comments(4)
Commented by peque-es at 2007-08-03 12:24
トルコ紀行が始まるのでしょうか? 地中海文化、ヨーロッパとアジアの両方を持ち合わせた、興味深い国…と思っています。その実、どういう国なのか、そしてどういう人たちなのか、殆ど知識がない。楽しみにしています!
Commented by miriyun at 2007-08-04 08:47
pequeさん、東西をつなぐ国としてとても重要な国ですよね。トルコ民族は東アジアからのつながりはあるし、その言葉はシルクロードでかなり通じます。そして、ローマ帝国とのつながりなど歴史も深くて深くて・・・。
 でも、じわじわと語っていけたらと思います。それにしてもここを語るには地図が不可欠という気がします。地図作りからやろうかなどと思っているので気が長い話で・・・。寄り道しながらゆっくり進んでいきますね!
Commented by 履歴書の志望動機 at 2007-08-04 21:55 x
貴重な画像を有難う!記事参考になりました。
Commented by miriyun at 2007-08-05 11:33
志望動機さん、ようこそ!
何か参考に成ったようでよかったです。


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