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2007年 07月 07日

インド・アショカ王のライオン像…ライオン紀行(16)

 ライオンは完全な写実まで描ききったメソポタミアからどのように変わっていくのだろう。

 美術史上、インドで最も知られているのはアショカ・ピラーズといわれる一連のアショカ王建立の見事な柱である。マウリヤ朝3代目の君主アショカ王(在位B.C.268~232ごろ)はインド南端を除くインドとネパールやアフガニスタンの東部まで初めて広範に支配した王であり、仏教保護者であるが他宗教へも寛容であった。
 政治上は、もともと王位簒奪者であり、王位を争う親族を倒して王となったといわれている。暴虐の君主であったが、仏教に帰依しまた、カリンガ国征服のおりの惨状に深く心を痛め、武力による統治から法(ダルマ)による統治に改めた。

 ダルマとは人間の守るべき普遍的な理法であり、この方による統治を知らしめるために領内各地に石柱を立てさせたのだ。 
 アショカ王の詔勅を刻んだ大小の石柱とその柱頭に飾られたコブ牛・像・ライオンの像はとくに美しい。 技術が高度に発達し、見事な造形を示している。
インド・アショカ王のライオン像…ライオン紀行(16)_c0067690_11592394.jpg
 ←アショカ王の石柱(インド観光局配布資料より引用)
 柱頭の高さは10m前後の一本の石柱であり、下部の方にアショカ王の布告文が刻まれている。
 
ここには「父母には従順なるべし、・・・生類には慈悲を示すべし。真実を語るべし。弟子はその師を尊崇すべし・・・」など普遍的な心の持ちようをとくと共に王自身もそれに向かって努力したという。


インド・アショカ王のライオン像…ライオン紀行(16)_c0067690_1201656.jpg
   この像はインド美術史に残る作品なのでお札にもデザインとしてのっている。細部は上のインドルピーの絵が見やすい。
 サルナートのライオン像は洗練された獅子像であり、ライオンの肉付けと王者としての威厳が現れた目や口元が印象的な優れた像である。

 ただ、目の造形と座っている姿勢であるのに威厳が漂う雰囲気はパルミラのアラート神殿のライオン像に共通する。
インド・アショカ王のライオン像…ライオン紀行(16)_c0067690_1205386.jpg

                 ↑サルナートのライオン像(世界文化社「インド文化圏」より引用)
 さて、この柱頭のライオンの下には法輪とコブウシが表現されていてこのためすぐにインド美術とわかる。

 ◆さらに鐘型蓮華と呼ばれる花びらを下に向けたような飾りがその下にある。これはペルセポリスにも類似するものがある。
インド・アショカ王のライオン像…ライオン紀行(16)_c0067690_13353949.jpg

↑こちらはペルシアのペルセポリス。人が3人は乗ることができる大きさ。この柱頭こ動物像を載せていた。

 円柱の上の洗練された動物像をのせるというつくりと共にお手本としたことが想像される。
 なぜならペルセポリスが炎上してからまだ数十年しかたっていないときであり、それまでインドからも貢物を持ってペルシアの王の下に挨拶に行っていたのだから、美術的に当然影響を受けているといえる。

★なお、アショカ王はインド史上とくに尊敬される王であり、その彼が他宗教に寛容であり、それどころか保護さえしたということは、その後のインドにおける支配者の宗教上の支配感に少なからず影響を与えることになった。                             ポチッとワンクリックお願いします。  

by miriyun | 2007-07-07 12:01 | 文様の伝播 | Comments(0)


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