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2007年 03月 14日

ナバテア人の交易地図

 ペトラの都をつくったナバテア人は、交易で豊かな富を得た。
 高価な香料を中心とした交易である。ではそれを運んだ交易路はどういう道なのか。約2000年前のナバテア人が活躍した頃の地図を作成してみた。 
ナバテア人の交易地図_c0067690_21591920.jpg

 乳香などの交易品は南からやってくる。
アラビア半島の南端にアデン港がある。アフリカ・インド方面からの船はアデンに入港し、宝石・乳香などを荷揚げする。ここから半島の西岸をキャラバンを組んで北上する。 
 その途中にマッカ・ヤスリブの都市が連なる。ヤスリブからペトラは厳しい砂漠地帯が続く。その途上にマダーイン・サーレフの遺跡が存在するのだ。

 ペトラはこの交易で自分たちが交易品を得て喜んで使っていたわけではない。交易というのは自分のところで使っているだけだったら富をもたらさない。
 ナバテア人はシルクロード・アラビア交易路・海のシルクロードから集積した交易品を何処へ最終的に持っていくのか?

 まず、ペトラは内陸であるので、そこから近距離で使える港を探し、船を調達しなければならない。ペトラから近い港はガザである。アカバは近いが地中海に出ることができないので、「ガザ」なのだ。
 (あの、パレスチナ自治区のガザである。ガザというと自治区民が検問所によって経済活動ができない状態に置かれ、アラブ社会の中でもとくに低所得の状態で経済が壊滅状態になっているガザである。今はイスラエルの封鎖により、貧しさが際立っている。しかし、本来ここは地中海に出る重要な港があり、オリーブや小麦を作り、羊を買い交易も盛んな豊かな土地であったのだ。)

 このガザからアレクサンドリアに交易品は運ばれる。そして大型の船でローマへと運ばれていくのだ。

 さらに、後にナバテア人の来たの都と呼ばれたボスラーもペトラから交易上重要な歴史的な都市ダマスカス、さらにアンティオキアも延長線上にあることがわかる。

 戦争による占領と異なり、交易による発展は交易路沿いに中継地として都市が発展していく様子が地図から見えてくる。
                                                   
                                                   
                                       
                                                    
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by miriyun | 2007-03-14 22:14 | ヨルダン | Comments(2)
Commented by orientlibrary at 2007-03-15 09:21
いままでバラバラで見ていて、関連性がわかっていなかった各地の地名、なるほどお!、という気持ちで拝見しました。アラビア半島がイキイキとして見えてきます。ガザ、、豊かな場所だから目を付けられてしまうんでしょうか。ずっと暮らしてきたのに、、監獄のようになっているなんて、、
Commented by miriyun at 2007-03-16 23:41
お役に立てたようでつくった甲斐がありました。なんだか嬉しいです。シルクロードは日本人の脳裏に地図帳で見たような3通りほどの地図が思い浮かべられるのですが、アラビア半島というと、まず道のイメージがないというところです。私もそれらを確認しながら、じわじわとつくって生きたいものです。
 


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