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2006年 12月 15日

3B政策とヒジャーズ鉄道…ヒジャーズ鉄道(5)

 ヒジャーズ鉄道は1900年から建設が始まり、1908年9月1日に完成した。オスマン朝のスルタン、アブドゥル・ハミドがこれを作らせた。
 もちろん、ヒジャーズ鉄道はオスマンが作っているのだが、その技術者はドイツ人であった。ベルリンーバグダッドをつなぐドイツの鉄道とほぼ同じ時期に敷設されており、。ドイツの3B政策の流れの中でつくられていったことがわかる。
 
 3B政策はのちに言われるようになっただけで、当時その呼び名があったわけではない。19世紀末から、ヴィルヘルム2世がベルリン・イスタンブル(過去においてビザンティウムと呼ばれた)・バグダードをつなごうという世界戦略をもったことによる。鉄道によってこれらをつなぎ、中近東に進出し、ドイツとの一体化した経済圏として世界の中で覇を唱えようとしたものである。

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 ↑砂漠地帯の鉄道の駅。石やレンガを積み重ねた駅舎
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  ↑ トルコによって急ピッチで作られた鉄路
現在はもう変わりつつあるが、創業時の枕木はレバノン杉であった。

◆エジプト・メソポタミア・ギリシアなど有史以来利用し続けてきたレバノン杉の森も、この鉄道用枕木に大量に切り出され、壊滅的な打撃を受けた。

 ☆ヒジャーズ鉄道は1912年には、それは1年あたり3万人、1914年には30万人の乗客を運んだという。
 この鉄道を後にアラビアのロレンスことT.E.ロレンスがアラブ軍とともに鉄道爆破工作場面が映画にあらわされていた。

 ヒジャーズ鉄道はあと1年半で100周年となるわけだ。しかし、今その鉄道は繋がった形では存在していない。 鉄道はひとたび建設されたなら長く運用されていくものだ。もちろん日本の中でも、採算が採れずに数年で終わったとか、鉱山用だったが必要性がなくなってとかあるいは大手に吸収合併されてもとの名前は短命に終わったというものはたくさんある。
 
 しかし実際に多くの客を乗せていながら約10年という短命な鉄道に終わったのは、鉄道史上でも珍しい。

                                       
                                                    
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by miriyun | 2006-12-15 10:53 | ヨルダン | Comments(3)
Commented by ぺいとn at 2006-12-17 23:38 x
アガサ・クリスティの「春にして君を離れ」もこのような砂漠でおめでたい主婦が考え事したのかな、と思ってしまいました。 
もしもここで足止めを食ったら何を考えて過ごしましょう?
Commented by miriyun at 2006-12-21 22:47
アガサ・クリスティ私も好きで全部読みました。夫君が考古学者だったこともあって、中東を舞台とした作品も多いですよね。
Commented by ガーゴイル at 2021-05-01 22:05 x
3B政策は本当はイラクのバグダットの中の三角地帯の政策という意味である。


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