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2006年 12月 10日

ナバテアの建築に融合される各地の文化

 エル・ハズネの高さは掘り込んだ岩の天井まで約40メートル、屋根近くで30数メートルといったところだろう。
ナバテアの建築に融合される各地の文化_c0067690_22264843.jpg

 表面には繊細な女神像がレリーフとなっていた。
今は写真のように風雨によって削れてしまっており、面影がないが、上の段の中央に掘られたエジプトの女神イシス、羽のあるギリシアの女神ニケなど各地の女神像が掘り込んであったという。

 ◆ その遺跡の屋根近くの柱頭の文様と塔のボーダーを見てみよう。上の全体像の中の青い四角の位置である。
ナバテアの建築に融合される各地の文化_c0067690_23235636.jpg

 柱を見ると溝のないローマのトスカーナ式円柱、その上のオーダーは梁を支える横のラインと中央に何らかの彫刻がついていることと、コリント式の上部のくるくると巻いた模様とアカンサスが使ってある。しかし、本格的なコリントのように何重にも重ねたアカンサスではなくやや控えめなアカンサスの葉が一葉張り出している。

 屋根の突起している飾りは長い歳月と風雨により、その姿が損傷していてどのような模様なのか判別できない。
 だが、屋根下のたての溝の入ったボーダーの下にやや奥まって草木のレリーフが見事だ。ここにはローマの槍と卵文、ブドウ文などとは全く異なる文様がある。
 また、コリント式オーダーのアカンサスとアカンサスの間にはつる草が伸び実がなっている。これらの豊かさが象徴された植物と実の文様はローマの遺跡にはないもので、これこそが当時交易でさかえたナバテアを表現する文化ではないだろうか。

 紀元前2世紀、南に荒涼の産地であるアラビア、西には当時栄えていた富裕なエジプト、北にはシリア王国、そして北西にはギリシア、そしてローマ帝国が栄え始めた。

 その中でナバテア王国は「大きなキャラバンを組んで高価な香料をはじめ、金・銀・鉱物・織物などの交易を独占した」と紀元前1世紀のカエサルと同時代を生きたギリシアの歴史家ディオドロスは「神代地誌」に記録している。
 また、ナバテア人は遊牧民の中でもとくに穏やかで、外来者をよくもてなし、異文化もうけいれたという。
 こうして、ペトラは独自な生活と文化に外来の文化も柔軟に受け入れて形成されていった。これが謎の都ペトラなのだ。
 
 ただし、右上と左下に見える穴は、銃弾による損傷である。ここが発見されてからの盗賊たちの乱射によるもので無数に見られる。これほどの文化融合の跡が傷つけられていることが実に残念である。
                                                   
                                       
                                                    
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by miriyun | 2006-12-10 23:30 | ヨルダン | Comments(0)


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