写真でイスラーム  

mphot.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2006年 09月 03日

シリアという名の赤ちゃん

 
シリアという名の赤ちゃん_c0067690_2157397.jpg

  ↑ 避難先のシリアで生まれた赤ちゃん。シリアと名づけられた。(sariさんより写真提供) 
 
 ☆レバノン避難民の件で、イスラームの相互援助の精神以上のものを知った。さらにヌールさんの話を聞こう。

 レバノンの空港や港は12日からすぐの攻撃を受けた。道路も前述のごとくダマスカスへの道を最初に、次にレバノン山脈をバールベク方面を通る道が爆撃で使えなくなる。
 最後に残ったのはキリスト教地区を通るホムスへの道だ。そこさえも橋が爆撃され、通りかかった車は橋のはるか下に落下し大地にのめりこんだ。(確かにこのニュースの時、シリア人もレバノン人も食い入るようにTVの画面を見続けていた)このときの亡くなった人のうち数名はレバノンに働きに行っていたシリア人だという。

 こんな中で、後になればなるほど車は狙い撃ちされるとのことで徒歩でシリアへと逃げてくる人が増えてきたという。
 国境でシリアはこれらの避難民をどうしたのか?ヨルダンは国境通貨をを厳重にして受け入れないらしい。ところがシリアは受け入れている。宗教も宗派も関係なくすべて受け入れている。昔、パレスチナ難民が逃げてきた時もすべて受け入れたというのだ。確かにシリアにおいて就学・就職など差別なくうけいれられ、実際にパレスチナ人が高度な仕事に就いている。
 だから、避難民は続々とやってくる。少し前までハリーリ問題をめぐって、シリア批判をしていたレバノン人も多かろうに、・・・・すべて受け入れている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
注)
★シリアとレバノンの歴史をふり返ろう。もともと大シリアとか「シャーム」といい、シリアもレバノンも一緒の地域であった。そこを今日のように紛争だらけの土地、多くの民族が寛容の心を持ち住んでいた土地を分断したのは20世紀初頭のヨーロッパ諸国、とくにフランスであった。
 小さな宗派・宗教で分かれていたたレバノンはシリアから引き離されたことによって、安定した状態ではなくなったのだ。PLOが北部キリスト地域を攻めようとした時に、キリスト教徒たちがシリアに助けを求めていたのだ。(それ以来、1万数千人の柔らかな占領がいおこなわれてきた。)
 ところが、昨年のハリーリ首相暗殺以来、何ら証拠がないにもかかわらず、ハリーリが対立していたのはシリアだということから、暗殺はシリアがやったとアメリカが騒いだ。これによってレバノンでシリアの撤退を要求する集会も開かれ、シリア軍は撤退したのである。この事件については証拠はないし、うわさだけで進んでいることもあって、私は判断材料を持たないので何もいえない。ただあの大量破壊兵器がイラクにあるといって攻め込み、後にそんなものはなかったということを言う国と、敵の主要人物を暗殺することを正当なことだと主張する国が、シリアを集中して批判し、影響を与えていたのが気になったのだった。(大まかな流れだけなので、説明不足な点や言葉の使い方は厳密ではないのは勘弁していただきたい。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 すべての人を受け入れる―――これはどういうことなのか、ヌールさんに聞いてみた。
シリアとレバノンも、確かに仲が悪い時、喧嘩するときがある。でもこのように爆撃があって大勢の人の命が危険な時、小さなことは考えない。小さな問題が両者の間に存在しても宗教が違っても、こういう場合は関係ない。誰もがヒューマン・ホスピタリティーで動く時なのだ。それは当然のことなので、どうする?などという迷いはなかったというのだ。

  こんなシリアに住む人たちの心に支えられ、かろうじて逃げてきた女性が避難先で赤ちゃんを産んでいる。そのとき、母親たちがなずけた名前、それが冒頭の写真にある「シリアちゃん」である。そのほかにも「シャーム」・「アサド」・「アルワード・ハク(ほんとうの規則=正義の意味)」
などという名を付けられている。

 シリアに関わる名はここで助けられたという記録からなのだろうか・・・。



Blog Ranking この記事が気になったらポチッとお願いします。


by miriyun | 2006-09-03 21:48 | シリア | Comments(6)
Commented by orientlibrary at 2006-09-04 09:16
危険な国と喧伝されている国の普通の人々のこのような心持ちが、miriさんのレポートで報告されたことに感謝します。
貧しい人ほど受け入れる、メディアを通しても実感としても、これを感じるときがあります。
安定してくると、人間どうしても保身に走り勝ちで、面倒なことに巻き込まれたくないという判断が働いてしまいます。実際以上に自分を良く見せたいという思いから、自分をオープンにすることを避けることがあります。日本の家庭でホームステイの受け入れが少ないのも、狭いからという理由が多いそうですが、海外で家に招いてもらったとき、その家の狭さに驚いたことが何度かあります。それでも、無垢な心から招いてくれたという、そのことが心に沁みてくるときがあります。
宗派やこだわりを超えて、誰もがヒューマンホスピタリティーで動くとき、という大きな心、大局的な視点を持っている、紹介されたようなシリアの人々を尊敬します。
Commented by caffetribe at 2006-09-04 17:19
ヌールさんからの貴重なインタビューの報告、感銘を受けました。
orientlibraryさん同様、家の大きさではなく心の大きさが左右するのだろうなあと思いました。かつての日本は旅人や困った人になどにも優しく家を提供するという事があったのだと思います。
ブログで紹介されていたウズベキスタンの『マハラ』などイスラム社会には生活するための知恵が生きていると思います。それらの精神的ベースがいざという時にヒューマンホスピタリティーを自然に発揮できるのではないのでしょうか?イランも経済的に今より厳しい時代にアフガンからの難民を600万人以上受け入れていたようです。
島国の日本では少し理解しにくい難民や移民の問題ですが、今後大変に重要なテーマになるように感じています。
Commented by valvane at 2006-09-06 04:11 x
…シリアのことは、ビザのことと観光地のことしか、知らなかったクチです;; A^^;)
社会主義の国なんですか~! それすら、知りませんでした。びっくりです。
でも、宗教とか関係なく、異国の全く見ず知らずの人たちを泊めることができるなんて、すごいですね。本当に…、日本だったらどうかと考えてみると、日本だったら何も出来ない気がします。日本は「難民を受け入れない国」として、世界では知られているみたいですし(かのアルバニア住民がいっせいに避難し始めたとき、日本にも打診があったけど、断固として拒否したそうです。)、また政府間のことじゃなく、各家庭でも…きっと受け入れは難しいでしょう。miriyunさんが指摘されているとおり、日本人には閉鎖的文化が、芯から染み付いていますから…。
Commented by miriyun at 2006-09-06 21:30
Orientさん、もともとほとんど日本に知られていなかったシリアは、レバノン報道よくない印象をメディアによって植えつけられたように思います。でも、ふれあうほどにその印象とは異なるものが見えてきました。
  少しでもその国の人を感じとっていただければ幸いです。また、貧しい人ほどやさしいというのはいろんな国で見ることができますね。
Commented by miriyun at 2006-09-06 21:49
Tribeさん、島国と陸続きの国の違いというのは、これまで敵が攻めにくいという元寇の例のようなとらえ方多かったものです。
 でも、命が危ない難民が止めようもないほど、おし寄せてくる。そんな時腹をすえて原則受け入れとしたのがイランという気がします。
 ヌールさんの話は、こういったイスラームの相互扶助的な考えが国境を越えて確かに存在するということの例になるかも知れません。丁寧に読んでいただいて嬉しいです。話をしてくれたヌールさんにも伝えたいと思います。
Commented by miriyun at 2006-09-06 22:01
valvaneさん、習慣の違いということで、日本は日本らしく出いいとは思います。でも遠い国・見知らぬ国のことを知らないままにするより、どんな人々が住んでいるのか、どんな考え方をしているのかを知ることはとても大事なことだと思います。そのお手伝いができたら嬉しいです。


<< ★避難民少女たちの心の内      ヌールさんの話・貧しき人ほど~ >>