写真でイスラーム  

mphot.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2006年 08月 27日

大使館の移転…エルサレムから退去

  News――在イスラエルの大使館移転のニュースに釘付けになった

 イスラエルが、自ら称して首都といっているエルサレムは、国連はもちろん、どこの国もそれを認めてはいない。

 もともと、1947年、国連がイスラエルへの土地の割譲・独立を認めたが、三大宗教の聖地、であるエルサレムは国際管理のもとにおき、いずれにも帰属させなかった。それを中東戦争で周辺への染料を進め、とうとうヨルダン川東岸、つまりパレスチナに帰属する土地を占領する。
 1980年にはイスラエル議会は占領によって手に入れた東西エルサレムを統一エルサレムとよび、首都とする法律を制定た。そして、ここに首都機能を移した。
 だが、東エルサレムはムスリムの聖地アル・アクサー・モスクがあり、スークが繁栄し、あまたのパレスチナ人が住み、スークで売り買いし、昔からの家に住み子どもを育てていたのだ。

 その状態で世界の国々は一カ国もエルサレムをイスラエルの首都とは認めなかった。
 国連総会は、これを非難する決議を百四十三カ国の圧倒的多数で採択。アメリカでさえ、「棄権」するのがやっとだったのだ。このとき、棄権は4カ国。反対はもちろん当事国イスラエルだけであった。

 もちろん日本も非難決議に賛成し、エルサレムをイスラエルだけがとるなどということは認めていない。だから、首都機能が西エルサレムに移転してからも日本大使館はテルアビブにある。他の国もそうなのだ。
 しかしながら、少しでもエルサレムに大使館を置いてもらえれば、国際社会において既得権のようになっていく可能性がある。だから、エルサレムに大使館を設置といったら、政府は大喜びで便宜を図るに違いない。実際、どういう事情かはわからないがコスタリカ・エルサルバドルの2カ国がエルサレムに大使館を置いている。

  だが、コスタリカは今月16日、エルサルバドルは25日にテルアビブへの大使館移転を発表した。いずれの国もレバノン戦争停戦とその後の中東諸国との関係を考えてのことだという。

 これは、レバノン戦争において、各国が何を考えていたのかを象徴的にあらわすことだ。
 つまり、これまで赤子の手をひねるように一方的に勝っていたイスラエルがどんなに強力な爆弾を使って町を廃墟にしても、相手はあきらめはしなかった。目的をあらわにしながらの一般市民の殺戮などに対して、即停戦はできなかったものの国連も欧米各国あきらめはしなかった。周辺諸国もイスラエル国内の平和団体も黙っていなかったということなのだ。戦争が停戦に近づくほどに各地に逃げたレバノン人とそれを支援する各国の人々も声を出していったのだ。

 これはできるだけ挑発してもっと徹底して力を伸ばそうとしたイスラエルにとっては誤算となったようだ。
 そして、思いもかけない大使館移転というささやかなニュースによって、頬の辺りを横切る風の向きが変わっていくような微妙な中東情勢を感じさせられた。

Blog Ranking 興味をもったら一日一回ポチッとお願いします。


by miriyun | 2006-08-27 22:44 | 中東について | Comments(2)
Commented by valvane at 2006-08-30 23:37 x
大使館移転…。
ほんのちょっとしたことですが、少しずつ、、イスラエルを取り巻く情勢が
変わりつつあるのでしょうか。
いいこと教えていただきました。ありがとうございます。
Commented by miriyun at 2006-09-01 17:48
これでこの国が変わるとは思えません。でもどんなに大きな歴史上のできごとも最初はちょっとした変わり目からですから、周りの国が変わっていくというのもなんらかの価値を持つものと思います。でも、すんなり移転できるといいのですが、心配ですね。


<< レザー・ルージュの行く渓谷      古文書修復と和紙の世界 >>