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2006年 05月 22日

白瑠璃の椀とペルシア

 白瑠璃椀(はくるりのわん)は大仏に奉献されて正倉院に納められてから1250年、当時の姿をとどめている。高さが8.5cm、さし渡し12cmほどのこのガラス器は、その歴史をぬきに見たらなんら感慨をもたらさないかも知れない。意識して想像力を持ってみていかないとその魅力はわかりにくい。

 色は淡い褐色で透明なカットグラスである。厚手につくったガラス椀の表面は底も含めて全面にカットを施している。のちの日本ではこのような細工を切子と表現している。底部には中心に大きな円形文その周りに7個の円を配している。側面には四段、72個の円形文を配している。合わせて80の円形文をその段に応じて均一に削りだしている。
 しかもこの円形のカットが互いに周辺部が接しているために、亀甲文のようになり、よりいっそう華麗で完成した姿になっている。1つのカット部分に写る亀甲文様を見れば、ここに飲み物が入ったり、陽光やろうそくの明かりがあたれば見事にきらめいただろうと思いあたる。。
 カットといっても電動グラインダーがあるわけもなく一つ一つ回転するやすりで固いガラスを削りだしていくのだが、確かな技術がなければここまで端正な姿にはならない。
白瑠璃の椀とペルシア_c0067690_51413.jpg


 テヘランの国立博物館蔵のカットグラスは、白瑠璃の椀と形状が酷似している。
白瑠璃の椀とペルシア_c0067690_512959.jpg

 ギーラーン州出土のカットグラスで、6世紀のササーン朝ペルシアではこれがさかんにつくられた。だが、土に埋もれていたため、このようにガラス質そのものが変化してしまう。どうもガラスは変質しやすいものらしく、ガラスの含有物によっては銀化という美しく趣のある変化をすることもあるが、多くはこのように土色になってしまう。
 
 劣化してしまったが、よく見るとこれもかなり精巧にできており、亀甲文のようになっている。椀のカーブも類似しており、このつくりのものがシルクロードをとおり唐の国を経て日本に伝来している。吹きガラスで作った繊細な白瑠璃の瓶も正倉院には伝わってはいるが、どちらかというと輸送に耐えるこの厚手のカットガラスが遠方へ運ぶには好まれたという。

 アーブギーネ博物館にも下記のようなカットグラスがある。
白瑠璃の椀とペルシア_c0067690_5111935.jpg
 
 このように、数は多く出土しているが、いずれも劣化の度合いが激しい。形状は正倉院とテヘラン博物館のものが緩やかなカーブをなしているのに対して、これはカーブが急で湯飲み状に垂直になっているので広がり感がなく。こじんまりした様子になっている。カットは三段で、当然円形文の総数はずっと少ない。左は亀甲文になっているように見える。右の椀はそれぞれの円を離して削ったため亀甲文にはなっていない。

白瑠璃の椀とペルシア_c0067690_524232.jpg

             (日本のもの2点は「日本美術全集 正倉院 」学研より引用
 模様の置き方がアーブギーネの右と似ているのが、安閑天皇陵から発見された白瑠璃椀である。上の二段は円形が離れて置かれ、下の2段は亀甲文になっている。
 安閑天皇の陵は6世紀前半に作られ、そこに副葬されていたものである。(東京国立博物館蔵)

 正倉院解説には正倉院の椀と安閑天皇陵の椀は同時に作られ一対をなして伝来した後、それぞれ伝わったのではないかとあるが、それには疑問を感ずる。
 同時に作られたとするにはあまりにも技術の違いが感じられるからだ。すなわち、正倉院のほうがこれ以上はないくらいまでのカットの素晴らしさを見せているのに対して、安閑天皇のほうは透明感は素晴らしいのだがカットのほうは過渡期であるように見えるのだ。

★日本へ伝来したものを見なければ、その透明感とカットがあることによる美しさはわからない
 赤いぶどう酒などを注いだ時のテーブルに、日を透かして赤みを帯びたカットが模様となって映し出されたであろうなどとは想像さえできない。上のモノクロ写真にできた影を見るとその中にカットが写っていることがわかる。ここにその美しさを想像する断片があるのだ。

★なお、何百・何千とつくられたガラス器が一つとして前の姿でイランで発見されないということから、いかに保存が難しいかということがわかる。民族の興亡の激しいシルクロード沿いはとくにそうだ。文化遺産の建造物が破壊され、略奪が行なわれるなかで、金製品は常に次の権力者が持ち出したりするが、ガラスはのちに美しいガラスも次々と作られるようになったから、いたみはじめたカットガラスに興味を示さなかったのかもしれない。割れる・傷つく・燃える・劣化するということが多かっただろうことが考えらる。

☆ それに対して、日本は島国であり異民族支配がなかった。正倉院に目録とともにきちんと保存され、明治政府が正倉院を開け文化財として確認するまで火災にもあわずよくぞ残ったものだと思う。正倉院の建物としての保存性の素晴らしさと、文化の交流のあとを見事にあらわしている。そういう価値を考えさせられるわかりやすい事例といえよう。
  
 源流としてのペルシア文化と残された正倉院御物を比較することによって、語り尽くせぬ魅力が見えてくる・・・・・

                                                     
                                       
                                                    
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by miriyun | 2006-05-22 23:37 | イラン(ペルシア) | Comments(7)
Commented by maririnn at 2006-05-26 15:12 x
す、す、凄いです。感動しました。。又良くお調べになってますね。。
ホントにこの世には驚かされるものがたくさんあります。
ポチッ
Commented by miriyun at 2006-05-29 02:20
コツコツ調べるのが好きなもので・・・。地味な話題をじっくり読んでいただいて嬉しいです。マリリンさんのところの話題にもよく驚かされます。
Commented by charsuq at 2006-05-30 21:59
あらためて正倉院の所蔵物の貴重さを再認識させていただきました。近くなので前回は久しぶりに正倉院展に行ったのですが、「もの」としての存在感に強く惹かれました。インドの更紗がいい状態で他国に残っていたりするように、この正倉院のものを見ていると当時の人たちが異国のものをどれほど大切にしていたかを感じます。最近コメントすることができなかったのですが、いつも楽しみに拝見させていただいています。ポチッ!
Commented by miriyun at 2006-06-02 00:42
charsuqさん、正倉院展に一度も行った事がないので、本物を見たことがないのが弱点です。いつかは見たいと思うのですが、なかなかチャンスはなさそう・・・
 ところで正倉院の宝物・・・確かに存在感たっぷりです。
Commented by CROKO at 2011-09-05 20:58 x
すばらしい~ ちゃんと探求されてたんですね。
ありがとうございます。聞きかじりで申し訳ございませんでした。
実は、めったに行かない正倉院でこのガラス器、見ました。

miriyunさんの語り口もさることながら、知識>研究 ? 
びっくりします。
文字オタクですか? 文字中毒とは違いますね。
いやあ、ガラスがなぜ日本に来たのかわかりました。

今日、デパートの企画展<日本の匠> に行って来たんですが
薩摩切子の復元版を展示即売していました。
グラインダーで実演もやっていました。
いとも簡単にカットされていく色ガラス、値打ちが半減しますね。
昔の人は何を使ってたんでしょう?

去年、清水の舞台から飛び降りて黒切子を買ったのですが
日本の匠は、伝統を(渡来であろうが無かろうが) きちんと守ろうとしていますね。
正倉院は日本人が地球にいる限り、大丈夫でしょう


Commented by miriyun at 2011-09-06 05:54
CROKOさん、大分以前に書いた記事で、久しぶりにガラスの件で思い出したものです。わたしもじつぶつみてみたいな~!
 薩摩切子のグラインダー実演ですか、それは気になるものです。
こういう技って見て納得というものなのでつくっているのを見るのが一番ですね。
 正倉院・・・ほんとに日本が世界に誇れるものです!!
Commented at 2021-09-09 10:54 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。


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