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2006年 04月 10日

ヒッティーンの戦い

  休戦・和平の約束をないがしろにしたフランクに対してサラーフッディーン(サラディン)はジハードへの参加を呼びかける、。あらゆる地域から幾千もの歩兵や騎兵がダマスカスに集まり、サラディンはティべリアめざして1万2000の軍勢をもって進む。
 かたや、フランクはアッカに終結、ルノーとギーが指揮するこちらも1万2000のフランク軍が動き始める。サッフリーヤを通りティベリアへと向きを取る。
 
 ★日本であれ、世界であれ戦略的なもの見るには、時と場所を確認すべきであろう。
 ① まず時は、夏。フランク軍が東へ決戦のため動いたのは7月3日のことであった。 この地域の夏は降水がほとんどないため、多くがワディ(ワジ)になってしまう。

  ↓夏のワディの例・・・この写真はヨルダン南部。夏にはこの幅が100m以上あるワディも完全に干上がって水は一滴もない 
ヒッティーンの戦い_c0067690_23363516.jpg


 ② 次に、場所については、地図を見てみよう。
ヒッティーンの戦い_c0067690_2336097.jpg

 まず、青色に塗ったところがティベリウスの湖であり、アラビア語でアル・ブハイレット・ティブリーヤ(タバリヤ)と表記されている。ヘブライ風にいうとガリラヤ湖となる。ここが水源となってヨルダン川へと流れ、その水は最終的に死海へとそそぐ。水源が湖であるからヨルダン川は夏でも枯れない。ところが、地図中のベージュに色づけしたところは川ではあるが、ワディである。これがフランク軍に大きな影響を持つことになる。

 サッフリーヤとティベリアの間の距離は、ふつう4時間の行軍で到達できる。サッフリーヤを早朝出発したフランクは、地図中の茶色の線であらわしたルートを進む。昼過ぎにはティベリア湖で渇きを癒せる、と考えていた。しかしサラディンは緑の線で表したルートでいちはやくヒッティーンの丘に陣をはるとともに、別働隊は1日中彼らの前後左右から矢を浴びせかけたのだ。もちろんフランクの行軍の速度を遅らせるためだ。これによって、本来ならフランク軍は乾きに耐えられる範囲で湖にたどり着き、その日のうちに決戦もできたはずであるのにそうはいかなくなった。

 フランクは日没の前にようやくヒッティーンにたどり着く。フランクはここまでの行軍はワディ沿いにきてはいるが、そのワディ(枯れ川)は完全に干上がっていた。そのため、フランクは疲れきり渇きで死にそうになっている。そして目の前にティベリア湖の水が彼らを誘うようにきらめいている。しかしその水の手前にサラディンの軍が見事に布陣している。
 翌日、7月4日、渇きでふらふらになったフランクはやみくもに湖に向かって押し出す。サラディンの軍は、干からびた草原に火を放ちフランクの軍に火の粉と煙を吹き付ける。フランクはそれでも必死の形相で武器を振り回して突進してくる。
 とうとうサラディンの軍はフランクの軍が大切におしたてていた「十字架」を奪い、最後に残ったエルサレム王の幕舎は崩れた。するとサラディンは自分の馬から降り大地にひれ伏して神に感謝した。

 歓喜の叫びの中でサラディンが自らの幕舎に向かう。そこへ、ギー王とルノー・ド・シャティヨンが連れてこられた。王は命を助けられたがルノーには違う結末が用意されていた。ルノーが犯してきた悪行の数々・・・キャラバンの商人たちの虐殺・略奪・メッカに向けての略奪行動・巡礼船を撃沈、誓約・協定を片端から破ってきたことなどを思い出させられた。そしてついにサラディン自ら剣をもってルノーを倒した。

 ★レイモン伯についてのエピソード
 和平派のレイモン伯はこのヒッティーンの戦いに不本意ながらギー王について参戦していた。戦いのさなか、レイモン伯はサラディン軍を突破していこうとするが、顔を見知ったサラディン軍は彼の逃亡に目をつぶったので、生きながらえてトリポリの領地に戻ることができた。
 また、サラディンはヒッティーンの戦いの直後、ティベリアを攻める。ここに立て籠もっていたレイモン夫人はあきらめて無抵抗で開城する。
 すると、サラディンはレイモン夫人と守備隊を全財産とともに送り出してやったのである。

こののち、サラディン軍は西のアッカを降伏させ、その他のパレスチナ各地の要塞を攻め始めた。サイダ・ベイルート・ジュバイルも次々と攻略していったのである。


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by miriyun | 2006-04-10 23:25 | サラディン紀行 | Comments(2)
Commented by suusuu at 2006-04-16 03:00 x
サラッフディーンのお話、読みごたえ充分でした!
写真もたくさんあり、面白く読ませていただきました。
Commented by miriyun at 2006-04-16 08:34
この長いのをよんでくださったのですか、それだけで嬉しいです。あまりに長い・・・というかあまりに面白い時代なので省略できなくなってしまったのです。途中で別の話題で中休みしながら、あと2回ほどで完結にしたいと思っているのですが・・・、やはり予定は未定ということで。


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