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2006年 03月 02日

アーグラー城と略奪

 ムガル帝国は初代バーブルが北インドのローディー朝を破って築いた。ムガルは前半、ムガルの建築と工芸がみごとに発展していった。とくにアーグラー城やタージ。マハルは所有する宝石・貴石をふんだんに使い、皇帝の意図を汲んだ完璧なまでに工芸技術が高まった。
 しかし、1707年7代皇帝がなくなると、諸州の独立が相次ぎ、、皇帝は統制力を失い、一時はマラータ王国によって、アクバル以来のアーグラー城を略奪されている。日本で言うなら、戦国大名の群雄割拠した時の足利政権とのようなものである。
1代 バーブル 
2代 フユマーン
3代 アクバル・・・インドのほとんどを征服。アーグラー城を建設
4代 ジャハンギール
5代 シャー・ジャハン・・・タージ・マハル建設
6代 アウラングゼーブ
・・・以後群雄割拠、皇帝は力を失う。
   *マラータ王国・・・アーグラー城占拠・略奪

17代 バハードゥール・シャー2世・・・1857年インド大反乱(独立戦争?セポイの反乱?)
                ・・・アーグラー城略奪

 こうして、インドはイギリスの支配下に置かれ、アーグラー城とタージマハルは当然のごとく略奪を受けていったのである。現在、タージマハルは貴石は修復してある。したがって、略奪のあとは大理石への無数の細かな傷やひびまで見ないとわかりにくい。

 しかし、アーグラー城は違う。
アーグラー城と略奪_c0067690_1711548.jpg

↑これは宝石が象嵌されていたのが無理やりこそげ撮って言った後である。花のデザインであるだけにそのうつろさが寂しい。

アーグラー城と略奪_c0067690_17485992.jpg

 ↑ 指で指し示した大きな穴は巨大なダイヤがはめ込まれていたという。(ほんとに~?)

アーグラー城と略奪_c0067690_2362077.jpg

 ↑ 壁・天井画も金箔を貼っていたが、すべての金もはがされていた。ここの一角だけあるのは見本として張ったのかもしれない。
アーグラー城と略奪_c0067690_174439.jpg

↑ アーグラー城。アクバル大帝が築いた赤砂岩の堂々たる砦
アーグラー城と略奪_c0067690_17452713.jpg

↑シャー・ジャハーンはこの城からタージ・マハルを眺められるように廟の建設地を決定したという。


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by miriyun | 2006-03-02 17:01 | イスラームの工芸 | Comments(2)
Commented by charsuq at 2006-03-05 21:50
僕はアグラを訪れていないので写真以上にこの美しさを実感できませんが、実物は素晴らしいんでしょうね。開高健さんの「珠玉」という本に「満月をはさむ9日間は特に深夜12時まで公開される(中略)わざわざそういう規則を作ったくらいなのだからよほど卓抜な光景になるであろう」とあります。シャー・ジャハーンに想いをはせ、当時の工芸家・建築家・書家の技術に驚愕し、満月の夜に夜風に吹かれる。ふと空を見上げれば絨毯が飛んでいそうなシチュエーションかな?いや~毎日楽しみなブログです。
Commented by miriyun at 2006-03-05 23:47
charsuqさん、シャージャハーンの世界に飛んでいただいたようでありがとうございます。
 工芸品として取り上げているので、そういえばタージマハルのちゃんとした写真を取り上げてないです。で、実は途中でスコールは降ってくるし、中は見れなかったし、残念なことばっかりでいい写真は取れていないんです。建物はやはり朝夕に限ります。そして、タージマハルは満月の夜ですね。参考になりました。もう一度ア-グラーに行く機会があれば、是非満月の夜にしたいと思いました。


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