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2012年 06月 03日

哲学者*中村元という人

哲学者中村 元
 かって早朝まずはTVをつける習慣であった。大体天気予報に交通状況を見るのだが、時に早すぎて他のところを見ることもあった。するとおだやかかつ明瞭な声での宗教哲学・仏教の話のようなものが聞こえてくることがあった。
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 何気なくつけているだけで意識しているわけではないのに、暖かく慈愛に満ちた言葉、わかりやすく明瞭な語り口を通してなんだか、ずんずんと入ってくる言葉はすごいなと思ったものだった。

 その人がどういう人なのか当時の私は知りようもなかった。

ところが、例の鎌倉大仏のところの石碑を立て、印象的な言葉でジャヤワルダネ大統領を顕彰したこの中村教授について調べていったら、かってNHK教育で語っているのを見た人物だった。

 その語り口は次のようであった。




2.その思想・その人としての幅の広さ
  中村元教授は卓越したサンスクリット・パーリ語など語学力と思索力を持ち、インド哲学・仏教など東洋思想研究の世界的権威であった。スタンフォード、ハーバードなど米国の各大学で客員教授も務めた。インド・サンスクリット学会の「知識の博士」号や、デリー大から名誉学位を授与されるなど国際的な学者として活躍した。
しかし、偉大な不世出の哲学者でありながら、決して偉ぶらない謙虚な人物であったという。
東大教授を退官後、東方学院を設立、私財を投じて国籍学歴を問わず真に学問を目指す人のための研究の場とした。

あまりにも深い人物なのでそれを語るなどできないが、何も知らなかったものがまずは知ることができたプロフィールやエピソードををかいつまんで紹介してみよう。

1.昔から仏教研究は漢文からの訳が中心だったが、初めて原始仏典を現代語に翻訳した。
研究対象はインドから中国、日本の思想、そして西洋哲学・キリスト教へと広がった。幅広い分野をち密な論証で押さえ膨大な著作をのこした。


2.思想史は単なる文献ではなく現代まで生きているものなので、民衆のうめきを聞くものだと強調されたこと。

3.仏教の慈悲をおっしゃったが、自身がそれに満ち、晩年の著作にも限りないやさしさがあふれている。不世出の幅広い偉大な人格者だった。

4.インド哲学から仏教、死や老いといった現代人が直面する問題にまで幅広い関心を持ち、積極的に発言し続けた。生きる指針を提示するのも学者の仕事が持論

5.あくまで在家の立場を守り、特定の教団に肩入れすることはなかった

6.今の大学制度を後生大事に守っていては、本当の学問は育たないが口癖。専門分化した大学の「縄張り主義」を痛烈に批判し、「学問を人々のために役立てたい。いかに生きるべきかに悩んでいる人の指針、導きとなるような学問でありたい」と、東方学院での講義に晩年まで精魂を傾け、車いすになっても通って講義を続けた。  

7.仏教に「和顔愛語(わげんあいご)」という言葉がある。なごやかな顔とやわらかい言葉遣いのことで、仏教者はこうあるべきとされるがそれが難しい。ところが中村元教授は和顔愛語を生涯貫いた

 代表的著作20年を費やした「仏教語大辞典」の原稿を預かった出版社がその原稿を紛失してしまった。
    20年かけた著作が~!!
    普通の人ならあったら青ざめ、茫然自失?か、あるいは怒り心頭に発して真っ赤になって怒り出すだろう。
 しかし、中村教授はこの時でさえ、怒りではなく、翌日からの再執筆でこたえたという。その人柄はだれからも慕われ、尊敬された。

 この人物であるからこそ、あのジャヤワルデ大統領の釈尊の心を実行した寛容の精神を見逃さなかった。だからこそ顕彰の碑を建てたのであろうと納得できた。それとともに、これまで知らなかった、日本の輩出した偉大なる哲学者であり、比較思想学者である、西洋哲学に対する東洋哲学の根底を優しい言葉で語ってくれた謙虚なそして庶民目線を貫いた人物を知る機会になったことはとても嬉しいことであった。

 ・・・・・今年2012年は中村元教授の生誕100年にあたるという。

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by miriyun | 2012-06-03 06:02 | Comments(7)
Commented by ジョー at 2012-06-03 22:58
どの様な道を辿り、このような人当たりの良い人となりを得たのだろうか。
映像を拝見しながら、思いを巡らせておりました。
「和顔愛語(わげんあいご)」を貫かれたと言われているのにも頷いてしまいました。
父は楽しみにしているようでした。
Commented by ateliercinicini at 2012-06-03 23:47
かつて東洋思想を専攻していたころ、中村元教授の本をテキストに学んでいたことを思い出しました。
思想や哲学よりも傍らに描かれたインド細密画に惹かれて、現在に到ってしまいましたが、
中村教授の語りを聞いて、再度、仏教を学びたいなという思いが湧いてきました。
ご紹介ありがとうございました。
Commented by miriyun at 2012-06-04 07:33
ジョーさん、和言愛語とひと言であらわせはしても、喜怒哀楽があるのが普通であって簡単にできるものではありません。そう、怒らないといったらカメラマンの渡辺さんが怒り方を知らないと言っていましたが、その人でさえアフリカでカメラを奪われそのまま帰国になった時はそっと怒ったそうです。
中村教授って別格の人のようです。
Commented by 谷間のゆり at 2012-06-04 21:11
怒らない人に三通り有ると考えています。怒る心を元々持たない人。心では怒りを覚えても怒る態度を出せない人。怒りを覚えても態度に出さない人。
私は出せない部類です。年を重ねて居る内に怒りが早く収まる方法が上手になって来ました。
Commented by 谷間のゆり at 2012-06-04 21:38
一寸舌足らずの事を書きましたので追記です。
中村先生は怒りをもたない方なのですね。中村先生の事を知ったことで、心を静める手立てが進歩しそうです。
何方か忘れましたが、仏教が一番平和な宗教だと言っておられたのを聞いた覚えが有ります。
Commented by miriyun at 2012-06-06 01:39
atelierciniciniさん、テキスト使っていたのですね~!
中村教授そのものが気になってしまう・・・そういうところがあります。
Commented by miriyun at 2012-06-06 01:51
谷間のゆりさん、怒るのも人間の特性なのでしょうが、
怒りは何も生み出しませんね。
柔和な人の姿、お手本にしたいものです。


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