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2011年 01月 15日

チュニジア政変

 ベン・アリ大統領失脚 
 急なニュースに驚いた。
チュニジアのベン・アリ大統領は23年に及んだ政権を維持できなくなり、チュニジアから脱出し、サウジアラビアへ向かった。サウジアラビアは喜んで迎え入れる方向性を示し、事実上の亡命となった。
 2010年12月から高失業率と食料の高騰がきっかけでデモが起き、1月8日以降もチュニスと地方都市で治安当局と学生と市民との衝突が断続的に続いて死傷者が出ていたという。

14日にはチュニスで大規模な抗議デモが発生した結果、無期限の非常事態宣言(4人以上での集団の屋外活動禁止、午後6時から翌朝6時までの外出禁止、不審者に対する治安部隊による銃火器使用の許可)が発令される事態となった。現在、軍が主要施設周辺に配備されている状況にある。また、同14日には、チュニジア全土の空港が閉鎖され、国際線を含め航空機の離発着ができなくなり、旅行者はチュニスおよび近郊の町のホテルに宿泊しているという。(外務省情報のまとめ)

◆フランスからの独立を勝ち取った『建国の父』ハビブ・ブルギバ
近代チュニジアを作り上げたのは ハビブ・ブルギバ大統領だった。
1956年にムハンマド8世アル・アミーンを国王にする条件のもとで、初代首相にはブルギバが選ばれた。チュニジア王国はフランスからの独立を達成した。
 しかし、翌1957年には王制を廃止。共和制を採る「チュニジア共和国」が成立し若きブルギバ氏は教育・福祉などに画期的な考えを持って臨み、チュニジアを北アフリカでも教育の進んだ国にした。
 ところが年を経てからは専横政治に陥ってしまったために、1987年ベン・アリ氏による無血クーデターによってブルギバ氏は失脚した。

 年齢と政治的資質の低下によって失脚したが、それまでの功績は大きく、その名を称えて各地のメインストリートの名前や日本からも学びに行く人の多いブルギバ・スクールにも名を残している。
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 チュニスのメインストリート、ハビブ・ブルギバ通り。
東のチュニス湖から西のメディナに向けて一直線に通った道である。(途中でフランス門に近い方はフランス通りと名を変える)


◆ベン・アリ大統領とは
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                            ↑ ホテルのフロントなどあちらこちらでみるベン・アリ大統領の写真
 ベン・アリ大統領によってソフトイスラームの国として中東と欧米とのパイプ役となっていた。
ブルギバ氏を失脚させたベン・アリ氏であるがブルギバ氏への国民の敬愛を大事にし、演説の冒頭ではブルギバ氏を称える言葉を必ず入れるなどきを使っていたという。
 

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 ハビブ・ブルギバ通りは片道3車線の幅の広い道路であり両脇の歩道もゆったり広い。
さらに車道の中央に緑豊かな並木の連なる遊歩道があり、首都の道としてはダントツに清々しく歩くことのできるおしゃれな街である。 

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 しかし、8年ほど前のことであったが、この遊歩道をデモ隊が旗を持って行進する姿があった。
一応社会主義国でベン・アリ氏の専制でありながら、気楽な参加の感じでデモ行進ができるのは、やはりソフトなのだろうと思ったりしていた。
 
 ベン・アリ大統領に対する不満の大きなものは言論の弾圧であろうか。しかし、これはブルギバ時代に始まった原理主義の動きを抑えることから始まったとみられる。彼は日本でいうところの右派・左派・民族主義・自由主義などすべての批判勢力を抑えた。そのためには新聞規制も行った。治安面の取り締まりがどのくらいであったかは外部から見た自分にはわからなかったが、このことにより国民の息苦しさがあったはずだ。それに対して経済面で発展させ、アフリカでもっとも安定し、豊かに安心して暮らせる国づくりが行われた。
 ベン・アリ路線は言論の自由など国民の権利はじゃましていたが、過激なものは一掃し、ある意味その安定は国民にもヨーロッパ各国にも支持されていたはずだ。
 ところが、彼が1992年に現夫人と結婚、その親族が経済利権を独占し、一方せっかく高い教育を受けても仕事がないという高学歴無職の人材が増えていった。その結果としての貧富の差は不満としてくすぶったのではないだろうか。

 ベン・アリ氏の政権もブルギバ政権と同じく長すぎたようだ。各地に写真を飾り独裁的な傾向を見せる中、口には出せないが不満を抱えている人がいることは、数年前もうすでにチュニジア人の口ぶりから察することができた。当時、旅行者としての自分にはそれが何なのかまではわからなかったが・・・。
 また、失業対策はうまくいっていなかったようで、エンジニアが職がなくて運転士をしていたり、英語・フランス語・イタリア語などを使いこなす才媛が、本来の教師としての仕事にあぶれ仕方なくガイドをしているなどの現状を直接聞いて、驚いた覚えがある。

 ほんとうに突然のことで驚いた。
ガンヌーシ首相が14日、自らの暫定大統領就任を発表したかと思えば、15日には憲法評議会によってフアド・メバザア下院議長の暫定大統領就任を宣言したといい、政権の行方はどうなるのか迷走している。
 日本人は在住175名は在チュニジア大使館が居場所を確かめたということだが、旅行者は130名ほどいるそうで、現地での不安は大きいだろう。15日午前空港の閉鎖が解かれ、一部航空機の運航が予定されているというが、はたして日本人旅行者が東へ向けてドバイ経由なりパリ経由なりの航空機に乗れたのかはまだ不明である。そもそも航空チケットは空港封鎖などの理由で予定通り運航できなかった場合、運航し始めた時に、運休になった便の乗客を運ぶものだろうか。席に空きがあれば手配もするかもしれないが、この状態の時に入国者は激減し、出国者は空港周辺にあふれてしまうわけだから、順調に次々と航空機が動けばいいがそうでない場合、長く影響を残してしまう。
 新しいチケットを買うとしたならばそれはそれで手配しなければならない。いずれにしろ空港は大変な状況であろう。
 チュニスの中心地、ブルギバ通りも今は人がいない状況だという。

「チュニスでは、略奪者の放火の黒い煙がスーパーマーケットの上に立ち上り、主要なバザー近くの店も略奪された。ヘリは低空飛行して放火や略奪を抑えるための偵察飛行をしている。オレンジとバナナを売っている商人フェデラは民主主義を望むと言ったが、それが起こるかどうか心配していると言っていた。彼も混乱の中で店を閉鎖している。ベン・アリ大統領の出発に続いた不安は一般の人を怖がらせている。
 空港は土曜日に再開されたが、いくらかの飛行はキャンセルされている。何千もの観光客はまだ残っている。トーマスクック社のドイツの子会社は金曜日に200名をチュニジアから出国させたがまだ1800名は待っている。
 ベン・アリ氏による統治は市民権と言論の自由をがないものであったが、近隣の国よりもよい生活を国民に与えた。ベン・アリは経済を競争的にしてビジネスを引き付けるため改革をし、海外から賞賛を勝ち得た。経済成長は昨年度3.1%であった。失業率は14%、ただし、若者の間では52%だった。
 許可証なしで果物と野菜を売っていた26歳の教養ある青年が、警察にその果物等を押収され、彼は失業中の12月に自殺した。このあと、暴動は始まった。」 UAEのKhaleej Times  15 January 2011 より一部引用(ただし、意訳なので、詳細は本文で確かめてください)


 旅行社だけでなく、まずは日本の政府として希望者は無事に出国できるよう図ることが第一だろう。各国は自国の観光客等をいかに帰らせるか考えていることだろう。


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by miriyun | 2011-01-15 19:06 | Comments(2)
Commented by petapeta_adeliae at 2011-01-17 00:03
この件は昨日恭子先生宅(料理)で知りました。予定では今日から仕事で
チュニジアに渡航することになっていたのです。

専制政治はまだ存在していたんですね。
旅行で知り合った女性がチュニジアを旅行し、その際のガイドが5カ国語を
操ることが出来るのにも関わらずガイドの職に付いていました。
そのガイドが彼女を訪ねて来た時に、1度だけ合って片言の英語で
話たのですが、いろんな意味で豊な国というイメージがありました。
まだ、チャウシェスク、マルコス、カダフィ大佐が出てくるのでしょうか?!
オッと北の方にもいましたね。
Commented by miriyun at 2011-01-17 16:45
アデリーさんの先生は、ご予定が立たず大変だと思いますが、それでも出発前でよかったです。げんちはまだ混乱は続いていて、先が読めずに空港近くホテルで待機している邦人がおおいときいています。
アラブ圏の中では比較的に安定していると思っていたのですが若
者の就職率は低すぎますね。小さいけれど観光資源がいっぱいな国
なので政治的に安定することが何より大事なので、早く落ち着くことを願っています。
それにしても遠いせいか、日本のメディアの反応は薄いですね。


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