写真でイスラーム  

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2009年 01月 09日

疾走する4頭立て戦車・・・モザイク紀行(15)

 
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エル・ジェムには北アフリカ随一のコロッセオがある。紀元200年ごろにつくられた。

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石造り、高さ40mの3階建ての建築である。
 石によって光をさえぎられた階段を上る。
    その上にはまぶしいほどの光が見える・・・そして市民の歓声が聞こえてきたはずだ。 

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 客席へとでると、戦車競技が行なわれている。そんな様子を描いたこのモザイクはバルドー美術館に納められていた。明らかな長楕円形をしている。戦車は4頭だてで、御者は1人で立ちムチをふるって疾走させるのだ。
 モザイクによって2000年前の競技も細かい道具までわかる。

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 さて、実際のエル・ジェムの闘技場はというと、長径162m、短径118mとはっきりとした長楕円形をなす。円周は427mで3万5000人を収容する堂々たる建築だ。

 そして、ここで猛獣との戦い・剣闘士の戦いなど壮絶な格闘が好まれた。地下にはライオンが飼われ、いつでも登場させられるようになっていた。
 剣闘士が戦って、最後皇帝のほうを向く必要があるので方向性がわかりやすいようにこの闘技場は長楕円形なっているという。
 勝者は敗者を追いつめた時、皇帝の指示を見て命を助けるか、息の根を止めてしまうかを判断したという。基準は生かしておきたいような勇者でいい戦いぶりであったかだという。皇帝が親指を上に向けるか下に向けるかで、敗者の運命は決定した。
 
 3万5000人の民衆はそのスリルを楽しみ、歓声がこの闘技場を埋め、皇帝は讃えられた。
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                           ↑ 円形闘技場 石組みの通路

 その熱気がここにあったというのが不思議なような、現実と過去のハザマを歩くがごとき印象であった。

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by miriyun | 2009-01-09 03:41 | チュニジア | Comments(9)
Commented by ぺいとん at 2009-01-09 06:05 x
Ben-Hur!  
遠い過去があったというのが不思議な気がします。 
その頃にもブーゲンビリアは咲いていたのでしょうか。 
この花、以前のチュニジアのものですか?
Commented by mitra at 2009-01-09 13:02 x
新年のご挨拶が遅くなってしまいましたが、今年もよろしくお願いいたします。エル・ジェム、私も行きました!そして、バルドー美術館にも行ったはずなのに、なぜかこのモザイクの記憶が全くありません。残念!映画『グラディエーター』のロケ地ですよね(確か)。miriyunさんが撮影された(特に)通路の写真、素晴らしく美しいです。
Commented by orientlibrary at 2009-01-09 14:16
今年も日々が早く過ぎていきます。ご挨拶遅れましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。今年も更新を毎回楽しみに待ってます☆
石やガラスのモザイクも、古雅の空気というか、独特の風情がありますよね。質感がいいです。壁だけでなく床の装飾に使えるというのは魅力だっただろうなと思います。絵画的な描写もいいし、私は古い地図などが描かれているのが特に好きです。
こちらでまとめて見せていただくと、またその魅力に気がつきます。
Commented by miriyun at 2009-01-10 11:03
ぺいとんさん、ベン・ハー、大作でしたね。そして、ローマ帝国をイメージするのに随分役立ちました。とくに日本にはないコロッセオを
この映画の戦車競争の場面で知ったものでした。ちょっと整備すれば今でも競技ができそうなくらい残っています。
 ブーゲンビリア・・・前回ご紹介したのはタタウィンといってチュニジア南部のサハラに面した町でした。今度はエル・ジェムは北部にあたります。でも、チュニジアは全体にこの花があるようですし、石の家や白漆喰の家・青い扉などにとてもよく似合うのでとても印象的です。
Commented by miriyun at 2009-01-10 11:10
mitraさん、新年おめでとうございます。
 各地の詳しい事情、また、言語面からも興味深いお話が楽しみです。こちらこそよろしくお願いいたします。
 『グラディエーター』迫力があって良かったですよね。あれを見てから、エル・ジェムを見たのでイメージがわきやすかったです。歴史や過去の人々の声を感じながら見て歩くのが好きです。
Commented by miriyun at 2009-01-10 11:18
orientさん、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 大変な新年の幕開けで暗いニュースばかりが多かったですが、それにめげずに、書いていきたいですね。
 「古雅の空気」・・・さすが、いい表現ですね~!
最初、モザイクは何気なく見ていたのですが、この不ぞろいな石が集まってつくりだす雰囲気がとても好きになりおました。それを何と表現したらいいのか表現できなかったのですが、それだ!と思いました。
 言葉の表現が足りませんが、それを写真で補いながら、お伝えできればと思っています。
Commented by kiwidinok at 2009-01-10 14:41
私の思っている事が正確に伝わるかどうかわかりませんが...

世に有るもの全てが強い者の為に存在しているかのように、いつの時代でも「勝者は敗者を追いつめ」、「皇帝(=権力者)の指示を見て命を助けるか、息の根を止めてしまうかを判断する」ということなんですよね。基準は権力者に取って生かしておく価値があるかどうか...
そして、「民衆はそのスリルを楽しみ、歓声がこの闘技場を埋め、皇帝は讃えられた...」
余興として散々遊ばれた後虫けらのように殺される。それを見て民衆は歓喜するんですよ。人間というのはなんて残酷な生き物なんだろうと、ゾッとしました。
私は権力者というよりも、他人事としてスリルを楽しみ歓声を上げていた民衆の方により強い嫌悪感を抱きます。
Commented by kiwidinok at 2009-01-10 14:43
(続きです。すみません、長くなってしまって)

残酷極まりない歴史を刻んだ場所でも、権力(或はお金)さえあれば後世に偉業を残すことができ、訪れた人々を魅了する。
反対に、爆撃された難民キャンプのようなものはいとも簡単に取り壊され、跡形も無くなり、新しい時代が来ればそこに別の建物が建ち、そのような事実があった事すら忘れられる。
また、アウシュビッツ強制収容所のように、今も暗い過去を強烈に私たちに知らせる場所が存在するのにも関わらず、そのおぞましい経験を持つ人々でさえ、加害者になることを否定しない。被害者だと泣きわめく人たちも、やられるばかりではなく、報復の機会を狙う。

いつの時代でも人間というのは愚かな生き物だと、そんなことを考えながら、狂気の集団の宴会場にしか思えない、エル・ジェムの闘技場を拝見しました。
Commented by miriyun at 2009-01-15 03:41
kiwidinokさん実際、こういったものを喜ぶ中に残酷な気持ちが含まれていたでしょう。今現在でも人間というのはにこやかにしながら何て残酷なことをいえるのでしょうとリブニ外相の発言などから感じていました。
 さて、モザイク紀行の一環としての記事なのでおおざっぱな雰囲気だけを載せましたので、コメント欄に一端書いてみたのですが今見てみたら長くてわかりにくいので、別途記事として作成しました。ご指摘の通りの残酷さとともに別の一面も併せ持っているようなところがあります。
 また後半のガザについてのところは全く同感です。 
12月29日の記事 http://mphot.exblog.jp/10452931/
を見ていただけたら幸いです。
 ガザの人の命が大国の論理・選挙事情・駆け引きのうちでもてあそばれているのは苦渋以外の何ものでもありません。国連停戦決議のあとも次々と繰り返されている惨状は恐ろしい時代のはじまりかと思わせるものがあります。


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