写真でイスラーム  

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2019年 09月 09日

トンボサミット&フォトコンテスト

1.トンボの写真    
 台風が近づく昨日、一つは貴重な講演会を聴きに、一つはフォトコンテストの表彰式参加ということで忙しく移動していた。
小さなインスタフォトコンテストで気楽に出すことができるというので、人に勧められてトンボ写真をアップした。ほとんど写真の印刷をしなくなった昨今、データだけで応募できるのはいい。
そんなわけで、地元で撮影した写真を出していたのだ。

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『美しきテリトリー争い』

被写体は赤いショウジョウトンボと、青いシオカラトンボ。
この池はとても小さな池で、よくぞ、こんな住宅地の狭間でトンボたちが生息しているというような場所なのだ。

 周辺に田畑が多くカエルがゲコゲコないていた昔にはあちこちにこんな池があり、周辺のこどもたちがザリガニをとったりして遊ぶのは普通の風景だった。しかし、宅地化の波が押し寄せ、次々とこうした池や草地は消えていった。
 その中でこのちっぽけな池は奇跡的に残されたのだ。わずかな湧き水があるから人がはいらないように柵で囲い、かろうじて水辺を残してある。ここまで散歩するのが好きなのだが、池自体は一周するのに1~2分の本当に小さな池なのだ。そこには小さな生き物たちがわずかな水辺であっても命をつないでいた。

昔からの池が今も生きている。
水辺の生きものも元気だと人に知らせたいという気持ちで、ほとんど投稿したことがない休眠状態のインスタに載せたのだった。

 これに最優秀賞という賞をいただき、トンボにちなんだ賞品までいただいてしまった。ありがとうございます。



2.トンボ市民サミット
 これまで全く知らなかったのだが、全国トンボサミットというのがあって、トンボという環境の変化がすぐに絶滅につながってしまうデリケートな生物の環境を含めて市民レベルで毎年全国大会をしているという。
企画展・基調講演・分科会などがあり、そのあとに閉会式がある。
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 そこの会場に閉会式までに来てほしいということで急いでいたのだが、何とかたどり着くと、まだディスカッションのさなかだった。パネルディスカッションをしたり、小中学生による発表や熱い意見があったりした。官公庁主催ではなく市民レベルの熱心な活動に感心した。
関係者にお話を伺うとそっと捕獲したトンボの翅に印をつけて、どこまで移動しているかとか、生存している種を調べたりすることを継続して行ってもいるということだ。
来年は愛知県豊田市ということでこの会は閉会した。

トランプ大統領が地球温暖化を否定して以来、世界的に環境問題は推進力が弱まってきている。 
そんな中で久々に、環境をトンボという生物を通して真剣に考える地道な活動に携わる人たちがいて、こうして年に一回集まってくる人たちがいるということを知ることができた。

 明るい気持ちになって外に出たら、台風前とはいえ空は明るく広がって見えた。(夜は台風で大変な状態になりましたが・・)
                                                                                                                                                       
                                       
                                                    
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# by miriyun | 2019-09-09 22:16 | Comments(6)
2019年 09月 06日

ヒルエとは

1.Hilye-i Şerif ve Tesbih Müzesi 展示作品のカリグラフィーの形式    

 元シヤヴシュパシャのマドラサで、改修されて「高貴なるヒルエと数珠の博物館」となった博物館を紹介したが、トルコ語サイトまでいろいろ調べてもスッキリとはわからなかった「ヒルエ」。

コーランとハディースとカリフ名などからなり、一様に何らかの型があるようだとは想像しても、それが何なのかどこにも記載されていない。・・・と思っていたらアラビア書道家:本田孝一先生からのご指摘で「イスラム書道芸術大鑑」に記載されていることが分かった。
 

2.ヒルエとは   

イスラム書道の形式の一つであった。

日本語訳は「装飾書版」。
17世紀末、ハーフィズ・オスマンがハディース(ムハンマドの言行録)の中の伝承を使い、それを壁にかける板版に仕上げたのが最初といわれる。しかし板に張り付けられた作品は痛むことが多く、のちに大判の紙から厚紙を製造できるようになると装飾書版の制作も容易になった。19世紀には宮殿や家屋を飾る主要な装飾として人気を博したという。
  
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↑ 「イスラム書道芸術大鑑」をもとに説明用に作成。幅の設定などは大まか。


◆1~11の部分に何が書かれるのか要約してみる。
1.バスマラ(「慈悲深く慈愛あまねき神の名において」という聖句)だけが書かれる。
2.中心部分の円形(または楕円・四角形)。ここには伝承の文章。
3.三日月部分。金彩あるいは装飾文様。
 
*中心部分は太陽、三日月文様は月ととれる。
2と3を囲む四角部分は装飾書版ヒルエの中でも最も豪華な装飾で満たされている。

4~7 正統カリフ名 
8.コーランの章句
9.末尾部分。装飾書版の文章の続きで、「祈祷(ドゥアー)部分」と呼ばれている。書家はこの部分の終わりに名前と制作年月日を記入する。
10・11. 末尾部分の両脇は「コルトゥク」(肘掛け椅子、または肘の意)と呼ばれ装飾が施される。

一般的な形であり、常にその形というわけではない。
     (『イスラム書道芸術大鑑』〔編・監修〕IRCICA 〔訳・解説〕本田孝一 平凡社刊より要約、引用)


3.ヒルエがわかってから見ると・・。
わかりやすい!

例えば、先の「高貴なるヒルエと数珠の博物館」の作品で、この基本形に忠実な作品を見てみよう。
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上のヒルエの形式番号の位置と比べながら、
1.一番上にバスマラ、確かに・・・。他の作品も書体はいろいろだが確かにバスマラしか書いてない。
2・3.円形と三日月。文の意味は不明。三日月部分は装飾
4~7 確かに正統カリフ。しかも4~7の位置に正統カリフの1代から4代まで順番通りに置かれている。
8.コーランの文言。そういえば芸術大鑑にはここで使われることの多い章句の例が載っていた。
調べたら、ぴたりと一致。預言者の章107節「神があなたをお遣わしになられたのは万世への慈悲のために他ならない」

9.自分では読めないがドゥアー部分
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末尾に年号が見える。ヒジュラ歴だが、不鮮明で1421年か1431年か。
1421年とすると西暦2000年のころのこと。だから現代の作品が飾られていると分かる。

10・11.装飾 

一つの形式がわかるだけで、実に興味深くなるものだ。
美術館や宮殿でこうしたものを鑑賞の折りにはヒルエの形式を参考にしていただければと思う。

                                                                   

                                                                                                                                      
                                       
                                                    
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# by miriyun | 2019-09-06 10:59 | アラビア書道 | Comments(2)
2019年 08月 30日

キョウチクトウ

1.トルコにて    

カフェの脇にこれ以上ない満開状態のピンクの花が咲いていた。
思わず吸い寄せられるように何の花だろうかと見に行った。


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幹が思ったより細い。この細さに対して花の量がすごすぎる。

 

2. インド原産キョウチクトウNerium oleander var. indicum)  

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日本ではこのように細い葉のほうが目立ちその間に花が咲く。これにも八重咲はある。
街路樹としてどこの国でもよく植えられている。

.西洋キョウチクトウ( Nerium oleander)
しかし、トルコの八重咲のは西洋キョウチクトウなのか、花の咲きようが激しい。暑さが合うのか盛大な咲き方をしているのに驚く。
実際のところ、原産地の異なる2種のキョウチクトウに交配されたキョウチクトウも加わって、どの品種かわかりにくい。

それにしてもいずれの種も、暑さにも寒さにも排気ガスにも強い、干ばつにも強いという植物である。

それに対動物性の強さも持ち合わせている。
つまり有毒植物であることで、動物を寄せ付けない。ここまで強くある必要があったのだろうかと思わせるほどの強さを持つ。



スペイン、アンダルシアでもその繁茂ぶりを見てきた。
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↑ロンダ
スペイン語では、adelfaという。(以前にフォロワーさんに教わった)

横に広がり結構大きな木になる。
この大きさで花から枝から根まで全草毒だというのだから驚いてしまう。
そう考えるとこの木の下ではピクニックをして食事を広げるのは危なそうだ。

4.ベルベル語ではAlili
南西アジアやアフリカにも多い。中でも、モロッコのヴォルビリス( وليلي
‎,Walili)の街にもキョウチクトウ(ベルベル語でキョウチクトウはAlili)があふれ、その町の名になったともいわれている。

◆実に広範囲に咲いているたくましい花である。
有毒植物であることさえ注意しておけば、暑くて他の花が少ない時期にこれほど華やかに咲いてくれる植物は貴重ともいえる。
                                                                                                                                                                                                         
                                       
                                                    
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# by miriyun | 2019-08-30 15:43 | Comments(8)
2019年 08月 22日

詩人でもあったスルタンスレイマン

1.スレイマン1世は色々な呼び名を持つ    

 オスマン帝国の帝位は連綿と血筋において36代にわたって繋がりを見せるが、その長い歴史の中で長く人々の記憶に残っているのは、7代メフメト2世(1444-1446,1451-1481在位)と10代目スレイマン1世(1520-1566在位)と言える。

 ビザンチン帝国は、陸には長い城壁、海には船の侵入を大鎖で阻み外敵を寄せ付けない大国であったが、メフメト2世は1573年にオビザンチン帝国を滅ぼし、コンスタンティノープルをイスタンブールに改めオスマン帝国の礎を築いた勝利者でメフメトは「征服の父」「2つの海と2つの大陸の支配者」という称号を用いた。
 
 10代スレイマン1世の治世は46年間も続いた。13回の遠征を行い、軍事的に数多くの成功を収め、彼の時代はオスマン帝国の最盛期にあたる。
 壮麗王(the Magnificent)と呼ばれ、日本ではスレイマン大帝と称されることが多い。また、軍事面だけではなく、法典の編纂を行い、帝国の制度を整備したことで立法を行った皇帝という意味で「カーヌーニ」と尊称される。スレイマンという名は、オスマン皇帝の家系図にスレイマン2世をはじめ、皇族にその名が複数登場するが、カーヌーニというだけでスレイマン1世のことだと分かる。

 

2.スレイマンは才ある人を登用    

 スレイマン1世は長く治めただけではなく人を見る目が合ったと思われる。元の身分にかかわらず、優れた才能を愛した。

 スレイマン自身が皇子であったころにパルガ人で漁師の子であったイブラヒムを見出し、のちに大宰相に抜擢した。イブラヒムはのちにパルガル・イブラヒム・パシャと呼ばれる。
 軍事戦略で、工兵隊を使ううちに、ミマール・スィナンの困難な課題を次々とクリアして、戦勝に寄与する才能を見出し、スレイマンの治世で皇帝のモスクや廟建築もまかされ、それ以後5代にもわたってスルタンにつかえ、生涯を通してトルコの偉大な建築を作り続けた。
 海賊出身のフズル・レイスを海軍提督バルバロス・ハイレッディンとしてとりたて、その結果地中海の制海権を握った。

2.スレイマンは
オスマン帝国外伝で、スレイマンは日常的に金と宝石の装飾品を趣味のように作っていた。実際それをよくやる人だったのだろう。もうひとつ、ハレムの中で女性に対して詩の一節をささやいたり、一人で思考するときの言葉がとても詩的だったりする。
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さらに、スレイマンは、「おお ムヒッビー、かくも太陽に惹かれるならば~」とつづける。


このドラマを通してたびたび出てくる「ムヒッビー」という言葉。

更に、側室フィルーゼとのやり取りで
フズーリー、ルーミー、サアディ、シーラーズのハーフィズと女性がつぶやき、突然
「かの人の光の輝きに我を忘れ」とハーフィズの詩を唱え始めると、
すかさず、スレイマンが「恵みの栄光の酒杯より聖水を与えられた」とその続きの句を続ける。
そんな場面が先日の放送の中であった。教養ある人はハーフィズの詩などを暗記していて、ここぞというところで自然に出てくる。
これは日本でも平安貴族の恋の歌にも通ずる。そういった素養がないと気の利いた返歌も返せず恋も成就しない。国は異なってもそういう詩や歌を素養としているのだ。

しかし、スレイマンの素養はドラマのだけのことなのか。

実はこれは本当。
ムヒッビーは「恋する人、愛の人」のような意味で、その名前をもって詩を書いていた。

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↑スルタンスレイマンの詩集
(写真は「Three Great Civilizations in Turkey 」より引用)

それぞれの右上の装飾文様の中に、名前がある。
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花に飾られた枠の中。その最下段に、右から
スルタン スレイマン ハーン(このハーンはチンギスハーンのハーンと同じで、オスマン帝国では尊称の一部をなす)とある。
書いたのは書家と細密画家であろうが、スルタンスレイマンの詩集 ムヒッビーの詩集は現存しているのだった。

スルタンは厳格な軍人であり、統治者、法の支配者でありながら、
詩の心ももつ多彩な人だったと思われる。
                                                                                                                                                                                                           
                                       
                                                    
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# by miriyun | 2019-08-22 20:50 | トルコ | Comments(4)
2019年 08月 18日

氷艶を語る宮本亜門さん

「氷艶」いろいろお知らせ

1.演出家 宮本亜門さん、『氷艶』の舞台裏を語る。    

まずは、本日。宮本亜門さん、ご出演の
「バンキシャ!」8月18日(日)18:00~日本テレビ。
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この春、がんが発見された世界的演出家、宮本亜門さんが、手術後、復帰しての大作、フィギュアスケートと俳優と歌手が皆がアイスリンクに立ち、俳優と歌手はスケート靴で滑ることから、スケーターは滑りながらもセリフをもって演ずる。

この「氷艶」とは、フィギュアスケートと異種のエンターテイメントをを組むことで、日本を表現していく挑戦でもあった。
~~~~~~~~~
2017年5月、初めての氷艶2017~破沙羅は歌舞伎界とのタッグで、演出に市川染五郎(現松本幸四郎)を迎え、市川染五郎・高橋大輔・荒川静香をメインとして氷の上で大いにかぶき、代々木体育館で3日間4万人を動員し、各界の著名人も多数来場していた。それを見た観客は、優れた演出と歌舞伎人のスケートへの挑戦、高橋大輔の陸でのソロの踊り、スピード感が玉らに魅力の殺陣などに忘れられない感動を与えられた。(スケーターはスケートと動きで表現し、ほとんどセリフはなかったが、一部録音が使われた)
~~~~~~~~~

7/26-28の公演だったのだが、プログラムを手にして驚いた。(以下、プログラムを参照した。)

第1弾の好評を受けて、なんと2017年7月にはすでに第2弾への制作会議がスタートしていたのだ。観客がTV放送を切望し、8月末のNHK放送やそのあとのCS放送でますます氷艶熱が燃え上がり、再演やブルーレイ化発売を熱望している間に、すでにもう次が進展していたのだった。そして、その年の12月には第2弾の演出を宮本亜門氏に依頼していた。

宮本亜門さんは、第1弾も見に来ていて、代々木体育館の異空間を作り上げた公演を見ている。また、長年フィギュアという可能性をみていて、高橋大輔の前の選手時代の表現や空間を染める力を知っている。またクリスマスオンアイスにも来場して見ていたということだ。

 こうして、秘密裏に構想は進み、宮本亜門さんのイメージするところの源氏物語外伝構想が出来上がった。

宮本氏は演出を引きうけるにあたって、源氏物語を原作通りに描くのではなく、新たな源氏物語として展開したいとの意向も示された。
つまり、源氏物語の時代背景と登場人物を使いながら、
「私たちが描くのは、光源氏を通した平安貴族の光と影」であると。そして、タイトルは「月光かりの如く」と決定した。


主演の光源氏、高橋大輔を月のイメージで、兄弟でありながら敵対もする太陽のイメージの朱雀帝を宮本亜門さんたってのキャスティングの願いがあった。それは高橋大輔の競争相手としてしのぎを削り、のちには友人としてコラボもしているステファン・ランビエールこそ朱雀帝にということで依頼した。また、話の流れの中で大事な役割を持つ紫の上にロシアのリプニツカヤという、異色の配置を行い、これがまた妖精のようでよかった。

荒川静香・鈴木明子・織田信成・村上佳菜子という表現に卓越したスケーターたち、そしてナレーションと桐壺・藤壺として美しい歌声を響かせてくれた平原綾香、ダイナミックな歌いっぷりで広い空間を制したもと宝塚トップスターの柚希礼音、俳優陣では西岡徳馬・福士誠治・波岡一喜という強力なメンバーがスケート靴を履いても見事な演じっぷりで、ストーリーの要を抑えた。
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テーマ曲:B'sの松本孝弘さん、劇中曲に川井憲次さんを迎えた。脚本は前作同様に都部寸、振付・所作指導に尾上菊之丞、振付に宮本賢二、新海絵理子が世界観を着々と練り上げていく。
 また、チーム・ラボが前作同様、あるいはそれ以上のインタラクティブ プロジェクションを担当することで美しく、人の動きに合わせた動的な映像が、会場である、「横浜アリーナ」の大空間を平安時代の都や、雪の寺、大海原へと変えていく。


◆また、これだけの忙しいメンバーを揃えた上に、7月に3週間にも及ぶ合宿を行いながら、氷上練習・陸上でのけいこを重ねていった。その中で異業界のメンバーが互いに刺激しあい、磨き上げる中で強い絆ができ最高のチームになっていったのがわかった。これが公演当日における満席の会場の熱気と、演者と観客の感覚上の融合をもたらしたといえる。

このような「氷艶」第2弾、「月光かりの如く(つきあかりのごとく)」を演出した宮本亜門さんが、今夜その舞台裏を語るという。おそらくけいこ中の映像も流れるだろう。楽しみで仕方がないのだが、告知が昨日だったので、急遽このブログでもお知らせする次第である。

尚、このあと、9月・10月にはこの公演はTV放映されることが決まっているので、知らなかったという方はぜひご覧いただけたらと思う。

2、『氷艶~月光かりの如く』のTV放映
◆9月 1日(日)BS 日本テレビ 12:00~ 「氷艶」
◆10月5日(土)CS 日テレプラス 17:00~ 「氷艶完全版」

*新しいエンターテイメントの扉が開かれ、異分野の融合が、
演劇ではありえない広い空間で(観客席8000)結実し、絶賛されたものとして広く紹介したい。

ひとまず、番組のお知らせとして・・。

                                      
                                        
                                                    
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# by miriyun | 2019-08-18 16:58 | Comments(0)
2019年 08月 16日

夕刻のスレイマニエジャーミィ

1.夕刻明かりが灯り・・    

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夕刻になり、ジャーミィに明かりが灯る。イスラーム世界ではどの町も数限りなく塔が見えるが、イスタンブールもそこかしこにジャーミィがある。塔の数は様々であるが、スレイマニエだけはどの方角から見てもわかる。

なぜなら、4本の塔がある場合、普通はドーム屋根の周りの四方に建てられ、大きなドームの周りに高さのある塔がぎっしり囲んでいたりすると、建物が窮屈そうな印象になる。しかし、スレイマニエは再三紹介しているように4本の塔がメインドームを囲まず、高い塔(ミナレット)が2本、低い塔が2本という風に建てられている。

この丘に建てるにあたって、整地も資材の運搬も楽な海沿いの土地を使わなかった。スレイマン1世(尊称としてはカーヌーニ・スレイマン)のジャーミィがどこからも見えるような丘を使うことになった。ミマール・スィナンは起伏のある土地を扱うからこそ、整地と水平を取る作業を綿密に行った。そのうえで熟慮してスレイマンのためにモスクを建築した。

 

2.美しさの秘密    

 どこから見ても美しいのだが、それがなぜか言葉に表しかねていた。
最近トルコ語サイトを見ているうちに設計図または計測図のようなものが出てきた。

それによると、低いほうの塔をメインドームの高さに合わせていた。

さらに図を見て自分なりに感じたのは、
高いほうの塔の頂点と低い塔の頂点を結ぶラインと
メインドームの頂点と低い塔の下の建物を結ぶラインが並行しているように見える。
更にその斜めのラインと北に向かってなだらかに下る丘の形状が自然で調和しているのだ。
建築家でないと難しい計算はわからないが、見た目の美しさはわかる。

 青空のもとはもちろん、朝焼けの中でも夕闇であってもその姿が印象的であるがゆえに、見分けることが容易なモスクなのだ。
 このモスクは1550年に着工して、7年の歳月をかけて完成した。その後、1660年の火災後の修復、19世紀の修復、20世紀の火災と修復をしながらも、地震にも崩れることなく丘の上に在り、その姿を現在に至るまで460年余りも見せてくれている。

                                                                                                                                                
                                       
                                                    
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# by miriyun | 2019-08-16 15:35 | Comments(0)
2019年 08月 14日

旅とドラマと・・・「オスマン帝国外伝」

1.お知らせ「オスマン帝国外伝」第3集の放映    
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オスマン帝国外伝が2019年8/8から始まった。待望の第3集の始まりである。


思えば長いこと、待ち望んだトルコの大河ドラマ超大作
『壮大なる世紀*Muhteşem Yüzyıl』(トルコ語の原題)
を、ネット上でトルコ語版、英語字幕で見始め、日本でもぜひ世界的ヒットになったこのドラマの放映をと願ってはじめてその名を記したのが2012年だった。そして2017年8月に第1集が放映されることになって小躍りしたものだった。 
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↑第10代スルタン スレイマン1世役

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イブラヒムパシャ、


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↑皇女ハティジェ、

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↑ハレムを徹底して管理するアフィフェ

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↑漂流していた謎の女性フィルーゼ


ますます毎日見ないと気が済まない様相を呈している。
それに、前作から気になっていたヒュッレムの娘ミフリマーフのそばにリュステムが登場してきた。


CS放送、銀河チャンネルで放送中。深夜0:00~1:00 月火水木金の深夜(正確な日付で言うなら火水木金土)
~週に5話進むので見ごたえがある。(第2集はBSで再放送していたので、そのうちあるかもしれない。)



2.旅とドラマと    
今年、イスタンブールに少しだが行く機会があった。
自分なりにテーマは、オスマン帝国外伝と思って出かけた。古代ギリシアの時代から現代まで、イスタンブールの重層に重なった歴史の地では、見たいものが際限なくある。しかし、3泊の短い期間では漠然としすぎるのでオスマン帝国外伝と以前に行きそこなった痛恨の思いが残る場所に絞った。

ことにオスマン帝国外伝の16世紀の建築物には、スレイマンはもちろん、スレイマンに見いだされた建築家ミマール・スィナン、同じく幼少の時から従って頭角を現したイブラヒムパシャ関係もある。
おもしろくないわけがない。

そういえば、スレイマンが海を制覇するために海軍提督として迎える海賊出身のフズルが、現れた。
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↑フズル・レイス(HızırReis)このフズルが気になった。アルジェ、海の覇者と言ったらバルバロッサくらいしか知らない。調べたらその人だった。
フズル・レイスが本名だが、赤ひげが特徴なので、あだ名がバルバロッサ(赤ひげの意味)、スルタンからハイレッディンの名もいただいて、バルバロッサ・ハイレッディン提督のことであった。
中世社会では、海賊と呼ばれた階層が国力充実を図る専制君主によって海を制覇する役目を負った話はヨーロッパも含めて多い。
バルバロッサは今でも海を行く者にとって英雄的な名前になっている。

 イスタンブールを歩けば、登場する人物たちの名前に由来する建築物や道が次々と目にはいるので、ぞわぞわする。
歴史を実在の人物とできごとをもとにしたフィクションを通して身近に感ずる・・・それも旅の醍醐味の一つといえる。

                                                                                                                                             
                                       
                                                    
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# by miriyun | 2019-08-14 13:47 | Comments(4)
2019年 08月 08日

ステンドグラスの密なる表現…スレイマニエジャーミィ


1.精緻なステンドグラス
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ミフラーブ上のステンドグラスにおける表現が細かい。
作者は Sarhoş İbrahim と伝えられている。トルコ語として直訳すると「酔っ払いイブラヒム」となる。実際にそうだったのか、単にそう呼ばれていたのか、詳細はわからないが、優れた職人であることは確かだ。

中央の青パネルと4つの緑背景の中の花文様はいかにもトルコらしい文様だ。
中央パネルの上には、アッラーとムハンマド、右には正統カリフ1代アブーバクル、2代ウマル、
左には3代ウスマーン、4代アリーとある。そのほかにも文字がびっしりと配置された精緻なステンドグラスである。


2.窓の多いスレイマニエ・ジャーミィ
    
スレイマニエジャーミィは、建築家スィナン(シナン)がスレイマンの命を受けて、渾身の力で建設したものだ。
大きさこそ、まだローマ帝国の遺産であるアヤソフィアには及ばないものの、この時期のトルコ建築としては壮大華麗な建築だ。

しかもローマ帝国の建築物よりも窓を多く、陽光を取り入れた構造になっている。
そして、ミフラーブの方向には華麗なステンドグラスで彩っている。
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↓天蓋に近いところのステンドグラスは明るく白い部分が多い。
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↓ミフラーブの上、どこからでもよく見えるこのステンドグラスで、
最初に紹介したのはこの中央のガラスである。
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左右のステンドグラスは植物文様からくるイスリミ風。
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上にアッラーの文字。
下には四角張った図形のようなクーフィー書体でムハンマドと表している。


ミフラーブの両脇に一対埋め込まれた印象的な丸窓↓
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こちらの円形のステンドグラス。
8つの花弁のように組み合わされた文様の周りに4分割や8分割ではなくて、
大きさの異なる5分割の文様を2種類入れている。
そのため固定化を排除した美しい丸窓になっている。
                                                                                                                                                                                                           
                                       
                                                    
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# by miriyun | 2019-08-08 22:14 | Comments(10)
2019年 07月 23日

丘のスレイマニエジャーミィ

1.丘の上のスレイマニエ・ジャーミィ
   
建築家ミマール・スィナンがスレイマン大帝の命を受けてジャーミィを作るにあたって最も苦心したのはまず場所の選定だった。後々まで揺るがず、その偉業を伝えるようなジャーミィをどこに建てるか。
スィナンが選んだのは、丘の上だった。


イスタンブルの要衝、ボスポラス海峡からも金閣湾からもアジア側からもその姿が泰然たる姿を見せてくれる。まさしくそんなところに建てることにしたのだ。
丘であるからまずは広大な地域の水平を取らなければならない。そのための工事に苦心したという。

 そしてジャーミィを中心にスレイマニエジャーミィを中心とした、一大建築群を完成させ、現在もそのほとんどがそのまま残っている。

 

2.展望
なにしろ、4本の塔がよく目立つ。よくあるジャーミィの周りに等間隔に4本立っているのではない。
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なだらかな丘の稜線のように高さが調整してあるので、何とも優美だ。そういう形はないので、一目でスレイマニエということがわかる。そこを目指して、ふもとのエミノニュから坂を上がっていった。暑いが、それほどの距離ではない。
そして、汗をふきふきあがりきると、そこには素晴らしい展望が開ける。
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これには、トプカプ宮殿からの眺めに似ていて、それ以上の風の吹き抜ける爽快感と広がる視界の心地よさがある。スレイマン大帝もご満悦だったのではないだろうか。
    
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開けた展望に見とれ、涼やかな風に汗が引く。
そして振り返れば芝生の緑と壮大なジャーミィである。
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スレイマン大帝とその周辺を探る旅のスタートだった。
                                                                                                                                                                                                           
                                       
                                                    
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# by miriyun | 2019-07-23 14:09 | Comments(8)