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セリミエ・ジャーミィの光

1.壮麗  
  ミマール・スィナンがエディルネの地にセリミエ・ジャーミィを建築したのは、彼の晩年にあたる。

若くして目の前のアヤ・ソフィアという偉大なローマ巨大建築に圧倒され、自分の手でこのような建築を作りたいと思うようになった。
 それだけに振り回されたらただの夢想家で終わってしまうが、彼は堅実だった。
 スレイマニエ大帝に見出され、その期待に応える仕事を一つ一つ全力で打ち込んだ。
依頼主は大帝であれば、遠方からやってくる外国人たちがしの偉業を見上げて感嘆するような姿をつくり、皇女や重臣からの依頼にも常に新しい工夫を試しながらの477の建築だった。
依頼は幅広くハマムの建築にも本気で取り組みながら、3代のスルタンの信頼を得ての建築家人生。
晩年になっての大仕事に、アヤ・ソフィアを超えるジャーミィをつくったのは、彼の念願であるとともに、オスマン・トルコの悲願でもあっただろう。

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絨毯を敷き詰めたジャーミーの内部。
こここそは全体像を入れたいところだが、全体像は魚眼レンズでもなければ写しきれない。

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せめて床から天井までと思うが、これが限界。
カメラは諦め、中央に立ち、真上を向いてこの天井に向かって心を解放してみた。自分の身体がそのまま天井に向かって浮遊出来たらすばらしいだろう---と。

壮麗だが、アヤソフィアの重々しさは感じない。
スィナンが工夫した天井を支える柱、そして壁面は限界に近くまで窓となした。これらの窓が大建築の暗さや重さを一掃しているのだ。
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2.力学を考えたうえでの窓の多用 
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その窓の一部。形を見ると、ローマ水道橋を思い起こす。

 ローマ時代の水道橋は、力学的に重さを支える部分はもちろん頑丈な柱になっている。何層にも積み重なる水道橋の重量を緩和すべく、アーチの内側は空洞につくられる。つまり、重さを担わせる部分と、重さを軽減する部分がはっきりと分けられ、それが建築上の美にもなっていた。

 そのアーチの内側は巨大ドーム天井を支える役割ではないので、壁でなく窓にしていいわけだ。それを実に効率的にしかも印象的に美しい窓の連なりに運用している。

 窓がこれほどあり光があふれ、建造物としては力学的に計算されつくした安心感がある建築、そういう建築であり、アヤ・ソフィアを超える建築をスィナンは作ったのであった。


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by miriyun | 2016-06-07 07:02 | トルコ | Comments(8)

ミマール・スィナンとセリミエジャーミィ

ミマール・スィナン(1489-1588) 
 オスマン・トルコが東ローマ帝国を抑え、とうとう城壁内に入場したとき、そこに圧倒的なローマ建築としてそびえていたのはアヤ・ソフィアであった。イスタンブールに宮殿がつくられ、様々なモスクがつくられて言ってもアヤ・ソフィアの壮大無比な建築は維持し、イスラムの礼拝すべきところとして内装を変え、使われていった。

 スレイマン大帝は、ミマール・スィナンをみいだし、建築家としての才をいかんなく発揮させた。その結果として、丘の上にミナレットの並びも美しいスレイマニエ・ジャーミィが出来上がった。
 スレイマニエはイスラームの考えによるモスクがずっと維持していかれる仕組みをきちっと形にしたものでバザールやハマム・図書館などを含めた大複合建築として完成した。
 
 スィナンはその生涯においてモスク(ジャーミィ)・キャラバンサライ・ハマム・廟など実に477もの建築物をつくった。そのうち319はイスタンブールにあり、いくつかはこのブログでも紹介してきた。
 
 8つのアーチを4本の柱で支える様式をアヤソフィアから学んだだけではなく、様々な工夫を凝らしながら独特のオスマン様式の建築を極めた人物である。

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 その姿は、いまはもう使われていないトルコのお札にも表されている。彼が、生涯をかけてそれを超えることを目標にしたアヤ・ソフィアを越えた建築であるセリミエ・ジャーミィが彼の姿と共に描かれている。
 この札は初めてトルコを訪れたときの名残りで、しわくちゃになって机の中から出てきた。2005年には使われなくなってしまっているが、トルコが誇る偉大な建築家の絵柄が見れないのは残念に思ってしまう。

 
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 写真や絵では、4本の尖塔のオスマン様式の建築としかわからず、あまりこれまでの建築とは変わりがないように思ってしまうかもしれない。
 しかし、ブルーモスクが出来たのは17世紀で、この天才建築家が活躍したのは16世紀である。日本の戦国時代から本能寺の変あたりまでつくりにつくった建築群には、驚かされるばかりだ。


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by miriyun | 2016-06-05 18:32 | トルコ | Comments(0)

ハセキ・ヒュッレム・ハマムに見る修復の結果

1.新旧  
 イスタンブールの新旧比べ。
誰からも振りかえられずにいたハセキ・ヒュッレム・スルタンハマムが気になったのが2007年だった。

 
 自分ではそのさびれた写真しかないので、きれいになったハマムを撮ってきた。

では新旧比較を!
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 ヒュッレム(トルコの歴史ドラマ『壮大なる世紀*Muhteşem Yüzyıl』の主人公の一人)の名があるのだから気になっていたが、何しろ建物が汚い。このように煤まみれになっていたら、何十万にもやってくるアヤソフィアとスルタンアフメットモスク(ブルーモスク)の間にあるよと言っても気付かれないのではないかと思うくらいさびれていた。

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それが現在では、入り口の前には野外カフェ(ハマムの利用者がここで食事ができる)のようになっているし、かって煤まみれになっていた痕跡は探せない。上の写真と比べれば、落とし切れなかった煤汚れは若干あるだろうが・・。 

 1556年の歴史遺産であるから基本的なデザインは変えていない。ただ、建物が何であるかは以前は入り口の上に釣り下がっていたプラスチックボードに小さく見えにくい色で書いてあるだけだった。
 今は外側のアーチの下にぴたりと嵌め込んだ看板がついていた。
窓の木枠は白く塗っている部分もあったがそれを茶色にした。外の白い円柱もお化粧直しし。特に金の輪がはいり、玄関上の金箔の上の文字と調和している。

 なぜ、こんなに汚くなっていたのかは過去記事→ヒュッレムのハマム…風呂の話(7)
               

2.ミマール・スィナンの残したハマムがよみがえった。 

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 男女用有るので左右対称型に連なる大がかりなハマム。
トルコを知る人なら必ず目にするミマール・スィナンの名前。彼はスルタンの信頼を得た建築デザイナーであり、エンジニアであり現場監督でもあった。彼はスルタンの戦争に必要なものからハマムまでつくり続けた。98歳まで。驚異的な人物である。有名なモスクだけでなくちょっとしたところにも彼の遺作が残っている。まあ、よほど時間がないとまわれないので、自分でもいつそれらを見て回れるのだろうか、98まで見て回れるのだろうか(笑)

 *自分はとても自信がないが、毎回旅をする中で日本の戦中戦後をまたいできた人たちの強さに感嘆する。今回も80歳をゆうに超えているような杖を突いた男性の方が、洞窟の岩絵を見るような上り下りが急なところまで見て回っていたのに驚く。

◆ハマムの左右対称になっている全体像を撮ろううと思った。
 
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わ~ぉ、噴水で見えなくなった。
この噴水も変わっていた。もともと大きな噴水のある池ではあったが。これではない普通に地味な作りの池だった。しかし、現在はデザインされた地色が入り、ヘリにはライトアップ用のライトが埋め込まれている。池の周廻りの壁面は外側が斜めになっていて、そこにモザイクでイスタンブールの歴史遺産のある街並みを描いてあった。さらにその周りにアクリルの囲いもあって、モザイクの上にのってしまったり池には行ったりできないようになっていた。

人通りが多いが通路まで下がって全体像を
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 うん、美しい大小のドームがまっすぐに並んだ完全な左右対称だった。
間違えてはいけないのは、ミマール・スィナンは決してブルーモスクとアヤソフィアの真ん中に風呂をつくろうとしたわけではない。アヤソフィアがビザンチン時代につくられ、オスマントルコがそこをモスクに変え、トプカプをつくった。
 トプカプ宮殿から見て西に祈りの場であるアヤソフィアがあり、さらにその先にハマムはつくられた。ブルーモスクは17世紀に入ってから作られたのであるから、歴史的にはこのハマムの方が深いわけなのだ。


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by miriyun | 2015-09-05 16:03 | Comments(2)

ヒュッレムのハマム・・・風呂の話(7)

ハセキ・ヒュッレム・スルタン・ハマム 
 2007年11月のことだった。アヤ・ソフィアとブルーモスクの間をあわただしく歩いた時、ふと見えた建物、古びているし、スルタナハメットの巨大な二つの建物に挟まれているため小さく見えて見過ごしてしまいそうな建物が気になった。こんなすごい場所にあるならば何か意味があるはずだが、同行者がいたので何なのか確認する暇はなかった。
 そこで、ひとまず写真を撮っておいた。
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 その写真がこれだ。
地味な入口の前に青い文字で小さな看板が出ている。
「haseki hyurem sultan hamami」とあった。(最後は i となっているが、トルコ語では i は”u”と発音するのでハマムと読める。
 なんと、壮麗王スレイマニエ1世の奴隷から側妾、そして妻となり、跡継ぎの母にまでなった人だ。オスマントルコの歴史の中でも群を抜いている女性だ。
 そんな女性の名がついたハマムが名だたる名建築の間に埋もれるように存在していた。汚れ方から長年の粗雑な扱われ方がわかる。

 しかし、スレイマニエ大帝がヒュッレムのために建てたハマムであるならば、自分のお気に入りの建築士を使うはずだ。そう思って調べてみるとやはり、
 そう、まごうことなき、ミマール・スィナン(シナンと書かれることが多い)の建築であった。
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  この建築物は横から見ると75mに及ぶ長い建物で、実は男女を左右に分けて同じような設備が並ぶ最初のハマムであった。


ヒュッレムのハマムの歴史
 このハマムはスレイマン大帝の全盛期、1556年にスィナン(シナン)によって建てられた。アヤソフィアに近いこの場所には532年に崩れてしまったゼイクシッポスの浴場(テルマエ)があった場所であった。
 それまでは女性の日とさだめられた日だけが女性専用となったハマムであるが、このハマムの出現で男女とも専用の浴場があり、いつでもたのしめるようになった。屋敷に個人用の風呂を持つ上流階級の人たちも召使を連れてハマムを訪れ一日中そこで世間話や年頃の娘のうわさを聞き、我が家の嫁さがしをしたりと社交場としても重要なものだった。
 こうして1910年までハマムとして使われていたが、オスマン帝国の崩壊とともに閉じられた。その後、刑務所が一杯になったときにはあぶれた囚人を収監する場所としたり倉庫として紙やガソリンの倉庫となったことさえあった。1957年にいったん修復してからは国のもつ建物として、絨毯販売所になっていたりした。

 ◆2008年に修復を専門とする大学を中心に国家的プロジェクトとして元の伝統建築を損なわないように修復がはじまった。

 最初にのせた2007年11月に撮影した写真は、その修復に入る直前の姿だったのだ。

復活したハマム
2011年に修復を終えた歴史的建造物は現在、本来のハマムとしての機能を回復し、美しいまっ白な大理石をふんだんに使った内部構造で清潔感に満ちたハマムとして観光客に開放されている。
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水道のある大理石の水盤のある場所

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                    ハマムの内部写真はハマムのHPより引用
メインの部屋は高いドーム屋根になっている。男女別になるので2つの大きなドームを持つ建築である。


中でタオルにくるまってお茶やシーシャを楽しむことはもちろん、庭に出てから屋外で食事もできる。

 そんな複合施設がスルタナハメットにできたということなのだ。観光客相手なので高めの設定だが、それでもミマール・スィナンが手掛け、ヒュッレムの思い入れのあるハマムが本来の目的に沿ったものとして再生しているのは喜ばしい。

                             *ヒュッレムとは・・・どんな女性なのかは、次回紹介します。


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by miriyun | 2012-07-26 04:32 | Comments(8)

モスクと絨毯(3)・・・スレイマニエ・ジャーミー

 スレイマニエ・ジャーミーの絨毯     
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スレイマニエ・ジャーミーは5000人が礼拝できるとかいうが、その人数はどう割り出されるのだろうか。
天才建築家スィナン(シナン)のころの絨毯のままではないだろうが、オスマン朝のジャーミーは多くが一人あたりの礼拝スペースがだれにも分かるよう、その大きさを確保している。
 

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窓辺からも光が入る。
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赤いところは一色であるが、その周辺には植物文様が飾られたように織ってある。
次の列との継ぎ目はかさねてつないでいるようだ。

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*以前にありましたご質問への写真解答
 何年も前になるが、障害のある人はモスクで礼拝は許されないと聞いたことがあるがどうなのかという質問を受けたことがある。
その時に、そんなことはないと言葉で説明をした。ここでは、写真による答えが見つかった。車いすが用意してあり、だれでも使えるようになっていた。

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礼拝堂を支える大きな柱のよこは回廊のようになっており、そこもこのじゅうたんが敷き詰められ、人がいっぱいになる。

◆ 礼拝可能人数はモスクの大きさを約1平方メートルで割り算するとおおよその人数が出る。ここも5000人が礼拝できるといわれるが、それは中庭まで入れての人数である。
◆そして礼拝堂での礼拝可能人数は?
 このひとり分として織り込まれたスペースを表す赤い部分の数を数えれば正確な人数が出てくるのだ。


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この記事のコメント欄に、kitacounBIZ さんという方からのfacebook等を用いたプロジェクトについて
要請が来ています。興味のある方、ご自分の意志で参加したいと思う方は下記コメントをご覧ください。
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by miriyun | 2011-02-28 00:47 | Comments(10)

ランプと煙をどうするか?…スィナン建築探訪

 モスクといったらたくさんのモスクランプが巨大なドームから釣り下がり、明るく照らす。ことさら聖域ぶるわけではないからあえて暗くすることはない。できうる限り窓を多くして光を取込み、暗いときにはモスクランプが礼拝堂いっぱいに輝く。

☆スレイマニエ・ジャーミィ
主席建築家のスィナンはスレイマニエ大帝のためのこのジャーミィをランプで美しく飾り、昼間も夜も気持ちよく礼拝できるようにしたのは言うまでもない。
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 ミフラーブの上には、当時最高の腕を持っていたステンドグラス職人、イブラヒムの手によるステンドグラスとその前で光るモスクランプ。
 女性も非ムスリムもここに近づけないのが残念!はるか後方から無理に写した。  
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 しかし、ランプが多ければ多いほどそのオイルランプの煙によって美しいカリグラフィーもステンドグラスも大理石もすすけて汚れていくものだ。
 
 ランプの間に巣くうクモ対策(前出)していたスィナンは、ここでも一工夫している。
ミフラーブの反対側、出口の扉の上にしっかりとした円柱に支えられた回廊がある。
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 その回廊の奥にモスク全体のすすが含まれた空気が外へと流れ出ていくような排気口をつくったというのだ。
  世に豪勢さを競った建築物は枚挙にいとまがないが、完成後の使い勝手まで考えてつくったスィナンは本物の建築家だ。(当たり前だとトルコの人に叱られそうだが、改めて感嘆している)

 なお、現在は多くのモスクが電気を使っている。もちろん、モスクランプの形はそのままに耐久性のあるランプをはめ込んでいるのである。
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 ここ、スレイマニエも、じっと見ればこの通り電球がはいっている。もう、スィナンも心血を注いだモスクが汚れないか心配しないですむわけだ。

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by miriyun | 2008-04-05 14:20 | トルコ | Comments(6)

卵の意外な使い道…スィナン建築探訪

 ダチョウの卵は大きく頑丈なだけに使い道がいろいろある。
 有名なところではエッグアート。カットして真珠や宝石などで飾る王侯・貴族のためのアートだ。

 スレイマニエ・ジャーミィにはそのような飾り立てた卵はない。
ドーム下で目立つのは無数に飾られたモスク・ランプだ。たくさんのランプが鎖で下げられている。ランプはオイルランプであった。(今は電気)その間に黒いものが吊り下げられている
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 ランプの中央に吊り下げられた黒いもの。
黒いので目立ちにくいがたくさん釣り下がっている。
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  ↑ミフラーブの右カリグラフィーのところにも2つ・・。


 実はこれがダチョウの卵で、数種の薬草と香辛料とでよく煮込んである。煮込んだダチョウの卵で、このにおいがクモよけに効果があるとされている。寺でもモスクでも何百年も使うところはかなりクモ対策と清掃が必要なのだが、スィナンは薬草漬けのダチョウの卵を使っていたのだ。

 そして、ここイスタンブルが東西文明の交流点であり、また、物資の東西・南北との交易の中心地であったからこそ、ダチョウの卵も見かけるし、大量発注することもできたのだろう。
                         スィナンの工夫にワンクリックよろしくお願いします
by miriyun | 2008-02-14 07:08 | トルコ | Comments(2)

スィナンの工夫・・・スレイマニエ・ジャーミィの音響効果

 スィナンは1550年、スルタン・スレイマンの命によるジャーミィを建設しはじめた。

◆耐震性
それは3年もの間、基礎を深く掘り下げ、しっかりと基礎固めするところからはじめた。モスクとその周辺施設を建てるべき場所を6~7m掘り下げる基礎工事に3年をかけた。地震にあおうとも倒れないといえるだけのものをスィナンはつくり、その後の約500年の間に何度か地震にみまわれ、いくつモノ大規模建築が倒壊する中でスィナンのモスクは壊れなかったという。

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     ↑スレイマニエ・ジャーミィ内部。一つの広々とした空間として出来上がっている。

 
◆さて、スィナンがジャーミイの音響効果について工夫したことは何か。
                  ↓
 実は彼はこのスレイマニエ・ジャーミィに壁の間に133個もの素焼きの壷を埋め込んだという。上の写真をみてもそれがどこなのかはわからない。しかしこれによる音響効果は現在も生きている。
 イマームの声、祈りの声はもちろん、ひそやかな人々のささやく声さえ荘厳なドームの下では、よくとおるこえとなって押し寄せてくる感がある。
 必要以上に音が大きくなるわけではない。しかし、声や音が増幅されるというのだろうか。それも心地よい音として増幅されている。そのときはそれが何故なのかわからなかった。しかし133の壷と聞いてあることを思い出した。

 それは日本の伝統芸能である。能舞台や狂言舞台は松の木を背景に出入りの花道と舞台からなる。日本の伝統芸能はかなり足を使う。能も狂言も肩を揺らさないから、静の姿ばかりが印象的だが、ここぞというところではその足と謡と声が響かなければ印象は薄れてしまう。ましてやドームの下の宮殿や逆さ円錐形に高くなるローマ劇場のような座席があるわけではない。
 本格的な能舞台では観客は能舞台の外にいる。音についてはとても効率の悪いつくりをしている。
 しかし、そこは工夫上手の日本人。能舞台の床下にはいつの時代からなのかはわからないが備前焼の壷やら、素焼きの壷やらが置いてあるという。

 ☆音や声を増幅するという意味で同じ知恵を洋の東西で使っていたことになるわけだ。

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by miriyun | 2008-02-11 19:25 | トルコ | Comments(4)

4つの塔のスレイマニエ・ジャーミィ…スィナン建築探訪

  スレイマン1世は10代目スルタンにして、前スルタンのセリム1世が平らげた領土を相次ぐ遠征でさらに拡大していた。1550年、ハンガリーでの遠征から帰るとすぐにスィナンに建造を命じた。壮麗王といわれるスルタンはこのジャーミィ建築にひとかたならぬ意欲と望みを持ち、これまでにないものをと求め、建築現場にもたびたびやってきたという。
 
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 この当時、最高のジャーミィはビザンチンの教会をジャーミィに転用したアヤ・ソフィアであり、当時の建築家もスルタンもその1000年も昔の奇跡の建築を見ながら育っている。

 とくにオスマンを世界1の帝国とし、ヨーロッパ各国からおそれられながら、いまだアヤ・ソフィアを越える建築物をつくることができず、スルタン自身アヤ・ソフィアで礼拝をしていることに違和感を感じていたに違いない。ましてや、カーヌーニと称され、法の整備においても文化的にも、さらに富において負けることのない国を作りながら、歯がゆい思いであっただろう。

 スィナンはこのときまだアヤソフィアを超えるドームをのせるのは不可能としそのほかの部分で優れた建築とする。ここではそのミマール・スィナンならではのところに注目してスレイマニエ・ジャーミィを見ていこう。

◎外観・・・塔とバルコニー
 スィナンは、建築家であるので数字を大切にする。実はイスラームの建築はそのほかの建築以上に数学・図形学と関係する。建築の計算だけでなく装飾アラベスクが装飾そのものであるのだ。

 スレイマンのジャーミィをつくるにあたり、4本の塔を考えた。スレイマンはファーティフ・メフメットがコンスタンティノープルを陥落させてからイスタンブールを都とし、そこから4代目にあたる。最初にこの意味があって4本にしたのか、形状的に4本が美しいと決めてからそうする理由を決めたかはわからない。しかし、そうだといわれればなるほどと納得してしまう。
 
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しかし、このように数字にこだわるなら、スレイマニエの第10代スルタンという点を忘れてはならない。これをスィナンは4本のミナーレ(塔)のバルコニーに現した。2本のミナーレに各2のバルコニーをつけ、他の2本には各3のバルコニーをつけた。合計10のバルコニーをつけたのだ。これでしっかりとスレイマン大帝の10代であることを意義付けている。ただし、これは4本のミナーレのデザインの統一感・美しさを損なうことになる。
 
 しかし、スィナンは4本の塔を一般のジャーミィーのように同じ高さにしなかった。丘の上に立つスレイマニエジャーミィはドームに近いほうが高くバルコニーが多い。
 そしてドームから遠いほうのミナーレは低くしてある。まるで丘の稜線に平行になるように低くしているかのようだ。 
 
 丘の上のジャーミィがたぐいまれな美しさをめでられているのはこの4本の塔の高さと抜群の配置がとても優美だからだと思う。
    自分もイェニジャーミー前の雨にぬれる広場で、
        あるいはガラタ橋の上から夕焼けと共に、
               時に連絡船の上から
      ため息をつきながらその姿を見つめたのだった。


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by miriyun | 2008-02-03 19:11 | トルコ | Comments(6)

シェフザーデ・ジャーミィ…スィナン建築探訪

オスマンを代表する不世出の建築家ミマール・スィナン(シナン)が1538年オスマンの主席建築家となった。それまでの彼の人生はイェニチェリとしての軍人であり、才を認められてからも軍事行動中の坑道・橋梁・軍船づくりを専らとしていた。
 しかし、帝国の主席建築家となるとすぐに依頼に応じてジャーミーを次々と建築し始める。
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 シェフザーデ・ジャーミィは皇太子のジャーミィということである。ベヤズィットの北にスレイマン大帝が、愛するロクセラーナとの間の長子メフメットを悼んで作らせた。
 ジャーミィを建築し始めたのが1543年、1548年には完成している。軍事建築家であったスィナンは仕事が速く、建築場所をいくつも抱え同時進行で建築を進めていく手法をとっていた。
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高さ37m、直径18mの大ドームを4つの半球ドームが支えている。この半球を支えるには巨大な柱が使われており、この方式は後に弟子がスルタンアハメット・ジャーミィをつくる時に使われる。

 装飾はあっさりとしていて、アラベスクとカリグラフィー、色も赤・黒だけである。
 大ドームの中心はもちろんだが4つのペンダンデェッフにも円形のカリグラフィーが置かれる。
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 また、塔は2本。側面の彫刻がくっきりしている。組紐型と6ポイントスターが交互にあらわれる文様がきれいだ。

◆スィナン自身はこの初期の作品に満足していない。立派なモスクだが、日々工夫を重ね新しい試みをしていく建築家スィナンにとっては習作といったところだったらしい。

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by miriyun | 2008-02-01 16:58 | トルコ | Comments(6)