タグ:チュニジア ( 49 ) タグの人気記事

ミネラルウォーターが飛ぶ・・・アラブの街角

宙を飛ぶ水 

 日本では考えられないほどミネラルウォーターに頼る国々。乾燥した国では雨はなかなか降らず、川はワジ(枯れ川)ばかり。そんなところで命をつなぐ水はペットボトル入りの水になることが多い。

 飲み水は水道からでなくペットボトルから飲むのが常識なのだ。
c0067690_440440.jpg

大量の水はペットボトルとしてトラックに積まれ、街に入ってくる。
そのあと、当たり前に人々が歩く歩道の上をペットボトル6本の束が宙を飛び始めた。

日本なら、さしずめ6本ごとに段ボールに詰めたものを台車に乗せて運ぶのだろうが、ここではそんな準備はなく、ひたすら宙をとばした・・・。

 水は重い、それにペットボトルの薄さと言ったら考えられないくらいだというのに、なんともうまく投げ渡されていく。

 



                                                一日一回、ポチッと応援していただけると励みにもなります   

                                                                  
人気ブログランキングへ
by miriyun | 2012-09-12 04:52 | Comments(8)

街角の大作...ナブール

街角の大作  
c0067690_64377.jpg

 タイル画で60枚も費やしたというとどんな著名な作家のアートかと思いそうだが、これは市井の陶芸屋さんの看板代わりに工房の入り口に飾られたもの。

何しろ大きすぎて全体像を入れようとするとかなり見上げるようになる。
上には22枚のアラビア文字をいっぱいに入れた半円形、その上には何ともおおらかに魚の形の上にアッラーとムハンマドの名がある。

特に好きなのはおそらくここの店主をあらわしたのか、ろくろを回し土を練る職人
c0067690_6433197.jpg


頬を緩ませてにこやかに仕事をする。
この仕事がとても好きなんだろうなとうれしくなるような絵だ。
c0067690_6434297.jpg

中では実際ろくろが真ん中に置かれこんな実演もしている。


ナブールは陶芸の街 
c0067690_645093.jpg

街の入り口には濃い緑のドーム型屋根を持つ建築やオレンジを載せた明るいたいるそうしょくをした街のシンボルが飾られるナブール。
日常使いの陶器をたくさん作る。ナブールは瀬戸市と姉妹都市になっていた。
c0067690_6435728.jpg

c0067690_644498.jpg

絵柄はおおらかで何でもあり。

チュニジアの産業都市ナブール。
陶芸は楽しいよと街角の其処此処がつぶやいているような街だった。
                                                一日一回、ポチッと応援していただけると励みにもなります   

                                                                  
人気ブログランキングへ
by miriyun | 2012-09-10 06:49 | チュニジア | Comments(6)

ローマの風呂(1)・・・スベイトラ編

1.ローマ人と風呂   
古代ローマ人の風呂に関する気持ちは信じられないくらい熱く、それによってローマ市民を満足させることは皇帝にとって国を治めるにあたっての大事なことであったらしい。

 ローマの建築術は素晴らしく、その主たる技術の一つに水道橋があった。

その水道橋はもちろん高台の街に飲み水を運ぶのだが、飲み水だけでなく風呂にも使えるほどザンザンと流れる水を運ぶためだった。
そのため、ローマの街の遺跡には必ず風呂遺跡がある。


2.スベイトラ 
スベイトラはチュニジアの北から1/3ぐらいの位置にある街だが、1万人もの人が住んだローマの都市だった。

c0067690_1951959.jpg

そこに見られる風呂遺跡は広大だ。

c0067690_1953892.jpg

中でも貴重なのが温熱を通した床下が見えているこの遺跡。
ボイラーで燃やした結果の熱風を通し、床の上はサウナになる。
ろーまじんはこの上でゆったりと汗を流したわけだ。

c0067690_195411.jpg

ローマの風呂は温熱のサウナだけでなく水冷室やのんびり談笑する部屋があったり複合施設だ。
それらを仕切っていた煉瓦の部屋の基盤。

c0067690_1954362.jpg

洗い場にもつながら水道管。こちらは冷たい水だったのか、暖かいお湯だったのか・・・。

いずれにしろ、一つの街を見ただけでもその技術がわかる。

                                   

                                                       一日一回、ポチッと応援していただけると励みにもなります   
                                               人気ブログランキングへ
                      
by miriyun | 2012-06-30 19:17 | Comments(4)

ジャスミンの花売り

ジャスミンとは・・ 
ジャスミン・・・これはアラビアジャスミン。インド原産でサンスクリット語ではマリカー、中国に伝わってマツリカ(茉莉花)となった。
モクセイ科のソケイ属(ヤスミヌム属)の植物でJasminum sambacをいう。
英語ではアラビアン・ジャスミンだが、アラビア語・ペルシア語ではヤスミーンياسمينという。
アラビア語ではフッルفلのほうが通りがいいかもしれない。トルコ語でもフルらしい。
c0067690_16274733.jpg

 ジャスモン酸メチルという香り成分を持つ。その香気成分を有機溶媒で抽出し香水原料に利用する。花の重量の1/100程度のワックス状の香料原料が採れる。
 アロマの原料となるジャスミン、このジャスミンの八重咲き種の花を中国ではお茶に入れてジャスミン茶としている。


c0067690_15472024.jpg

   こちらは蕾や花弁のほんのりピンクがきれいな羽衣ジャスミン 撮影地:日本

ジャスミン革命
 「アラブの春」の発端になったチュニジアの革命は、長期政権にあったベン・アリ大統領を追い出して民主化を行うというものだ。
 これを、なぜジャスミン革命というのか。

 そもそもこの花はチュニジアの国を象徴する花であるからだ。
*(注)・・・英語サイトwiki/Floral_emblemでは、ジャスミンであるとされている。日本語のサイトでは国花一覧表でアカシアになっていた。しかし、チュニジアの国花はジャスミンと書いたサイトも多く見つかる。実は国花は正式に決めていない国も多いし、変更することもままある。結論はわからないが、ジャスミンもアカシアもチュニジアに多く、いずれもこの国を表す植物であることだけは確かだ。

 開花時期になると、街を歩くと馥郁たるジャスミンの香りに包まれる美しい街であると、アラビア書道の師からいつもお話を聞いて想像していたものだった。  


 赤い糸で束ね、花を売る    

c0067690_15242496.jpg

 チュニスはフランス文化の雰囲気のあるおしゃれな街だが、そこでチュニジアのエンジのフェルト帽をかぶった少年は花を売っていた。

c0067690_15271114.jpg

かごに毛糸で編んだドイリーを上と下から渡してつないである。
このかごの淵の二重になったヘリに華を差し込んでいる。
これは一つの花ではない。たくさんのつぼみを寄せて糸でくくったものなのだ。

c0067690_15244558.jpg

 作っているところを見せてもらった。
色は真っ白なつぼみとピンクがかったつぼみである。白い方がアラビア・ジャスミンと呼ばれるものだろう。ピンクの方は日本にある羽衣ジャスミンと似た色合いである。
 赤い糸で20くらいはありそうなつぼみのもとの部分に真っ赤になるほど糸を巻いていく。芯には藁のようなものがあるので葦か麦わらのようだ。そして、売られているのを一つ買ってみたら最後につぼみのまわりに一周赤い糸がかけてある。これはすぐに全部開いてしまわないようにするためだろう。こうして手間をかけて作られたつぼみ束をたくさんかごに刺せば販売準備完了だ。

 少年はかごを持って少年が道行く人や商店主に売るのだ。
チュニジア人なら誰でも親しみ、特に男性が耳にひょいと粋にさす習慣があると以前にも述べた。
c0067690_15515484.jpg

 買った時につぼみで小さくても次第に花は開いてかなり大きなものになる。それでも堂々とつけていると様になって、かっこいいくらいだ。
この粋な国民性をチュニジーは誇りにしているだろう。


◆ また、血を流さずに行った革命も香り高い花に模しているのかもしれない。
 10月の選挙結果についてはデモも起きて緊迫しそうな気配でもあった。しかしその後、第2党となった世俗、中道左派「共和国評議会(CPR)」の党首を務めた人権活動家、モンセフ・マルズーキ氏12月13日に暫定大統領に就任した。かれは、就任演説では、「全てのチュニジア国民のために尽くす」としてCPR党首を辞任したと表明した。党首を辞任、そしてすべての国民のため・・・そういう人権活動家であればこその暫定大統領だろう。
 大統領より実質的に権限が強くなるとされる首相には第1党のアンナハダのジェバリ幹事長が就任。23日にはジェバリ首相の新内閣が議会で承認され発足した。
比較的他のアラブよりも穏健に進んでいるのようだ。
      まずまず今のところは、この香り高い名前を維持しているといってよいだろう。


                                       人気ブログランキングへ
                 
                                                    一日一回、ポチッと応援していただけると励みにもなります   
                          
 
by miriyun | 2011-12-27 16:20 | チュニジア | Comments(10)

ヴィーナスの勝利・・・モザイク紀行(26)

 古代ローマのモザイクアート   
ブラレジアの続き。地下邸宅の一室に、まだ天井ものこり、明かり取りの窓からだけ日が射し込む部屋がある。そこに古代ローマのモザイクとして最高峰のアートとしてのモザイクが眠る。
c0067690_704426.jpg

                   ↑ ワンクリックすると大きい画像を見ることができます

 さほど広くない部屋の床に一面に絵画として描かれているかのようなヴィーナスである。
ヴィーナスはケンタウロスに乗り、トリトンが見守る。チュニジアの地下邸宅に見事にギリシア神話の世界が出現していた。
確かに立方体にカットされた大理石で作られているのだが、
このヴィーナスのくっきりしながらカクカクとかすることなく自然な肌合いになっている。
「ヴィーナスの勝利」は、古代のモザイク職人の大理石を扱う技術の勝利の作品だと感じている。                 

                                               人気ブログランキングへ
                      
                                                       一日一回、ポチッと応援していただけると励みにもなります   
by miriyun | 2011-11-07 07:03 | チュニジア | Comments(0)

ブラレジアの地下邸宅・・・モザイク紀行(25)

 アラブの春の先駆けとなったチュニジアのジャスミン革命からのその後、10月28日には選挙がおこなわっれ有権者の90%が投票し、非常に透明性が高い選挙だったと監視団にも評価された。
 その中で、穏健なイスラム政党のナハダ党が第1党になるようだ。

 まだまだこれからだが、混沌としたアラブの中で国民が平等感を感ずる安定した国として立ち直ってくれることを望む。それがまた、他のアラブ諸国の光明ともなればと思う。
 ジャスミンは、さいごまで清々しく香ってほしい・・・。

~~~~~☆~~~~~~☆~~~~~~☆

 さて、久しぶりにチュニジアの話。勿論、ジャスミン革命以前のモザイクについてである。
 地下邸宅のモザイク 
c0067690_18394567.jpg

 チュニジア北部のローマ遺跡であるブラレジアは、周囲は農村部で農牧業の土地である。日が照りつければ暑さは激しく夏でも雨が降ればうすら寒い感じにもなるし、冬は冬で寒い。
 案外過ごしにくいこの土地でローマ人は地下に快適な邸宅をつくった。
c0067690_18393545.jpg

   
c0067690_18433131.jpg

     ラテン文字が何を言っているのかわからないのが残念!
c0067690_18583480.jpg

   鳥や動物たちをらせんのつる草で装飾した文様。
    
c0067690_18432533.jpg

とくにこの文様は色が美しい。 貴重な水を振って撮影すると、本来の美しさが出てくるのだ。
c0067690_18431885.jpg

 これは地下ではない邸宅のぶぶんより。
 雨風にさらされているが、絵ではなく天然石の色なのでくっきりと残されている。人々の狩猟や食に関するものや沐浴場など豊かさがうかがい知れるものがモザイクとして豊富に残された地である。多くはバルドー博物館におさめられたが一部の邸宅のモノはこの地でひっそりと本来の形で残されている。
c0067690_12204085.gif

          
                                        
                     
                                                     一日一回、ポチッと応援していただけると励みにもなります   
                          

                         

 
by miriyun | 2011-11-06 18:50 | チュニジア | Comments(2)

チュニジア政変

 ベン・アリ大統領失脚 
 急なニュースに驚いた。
チュニジアのベン・アリ大統領は23年に及んだ政権を維持できなくなり、チュニジアから脱出し、サウジアラビアへ向かった。サウジアラビアは喜んで迎え入れる方向性を示し、事実上の亡命となった。
 2010年12月から高失業率と食料の高騰がきっかけでデモが起き、1月8日以降もチュニスと地方都市で治安当局と学生と市民との衝突が断続的に続いて死傷者が出ていたという。

14日にはチュニスで大規模な抗議デモが発生した結果、無期限の非常事態宣言(4人以上での集団の屋外活動禁止、午後6時から翌朝6時までの外出禁止、不審者に対する治安部隊による銃火器使用の許可)が発令される事態となった。現在、軍が主要施設周辺に配備されている状況にある。また、同14日には、チュニジア全土の空港が閉鎖され、国際線を含め航空機の離発着ができなくなり、旅行者はチュニスおよび近郊の町のホテルに宿泊しているという。(外務省情報のまとめ)

◆フランスからの独立を勝ち取った『建国の父』ハビブ・ブルギバ
近代チュニジアを作り上げたのは ハビブ・ブルギバ大統領だった。
1956年にムハンマド8世アル・アミーンを国王にする条件のもとで、初代首相にはブルギバが選ばれた。チュニジア王国はフランスからの独立を達成した。
 しかし、翌1957年には王制を廃止。共和制を採る「チュニジア共和国」が成立し若きブルギバ氏は教育・福祉などに画期的な考えを持って臨み、チュニジアを北アフリカでも教育の進んだ国にした。
 ところが年を経てからは専横政治に陥ってしまったために、1987年ベン・アリ氏による無血クーデターによってブルギバ氏は失脚した。

 年齢と政治的資質の低下によって失脚したが、それまでの功績は大きく、その名を称えて各地のメインストリートの名前や日本からも学びに行く人の多いブルギバ・スクールにも名を残している。
c0067690_8425821.jpg

 チュニスのメインストリート、ハビブ・ブルギバ通り。
東のチュニス湖から西のメディナに向けて一直線に通った道である。(途中でフランス門に近い方はフランス通りと名を変える)


◆ベン・アリ大統領とは
c0067690_18405269.jpg

                            ↑ ホテルのフロントなどあちらこちらでみるベン・アリ大統領の写真
 ベン・アリ大統領によってソフトイスラームの国として中東と欧米とのパイプ役となっていた。
ブルギバ氏を失脚させたベン・アリ氏であるがブルギバ氏への国民の敬愛を大事にし、演説の冒頭ではブルギバ氏を称える言葉を必ず入れるなどきを使っていたという。
 

c0067690_8425489.jpg

 ハビブ・ブルギバ通りは片道3車線の幅の広い道路であり両脇の歩道もゆったり広い。
さらに車道の中央に緑豊かな並木の連なる遊歩道があり、首都の道としてはダントツに清々しく歩くことのできるおしゃれな街である。 

c0067690_7584954.jpg

 しかし、8年ほど前のことであったが、この遊歩道をデモ隊が旗を持って行進する姿があった。
一応社会主義国でベン・アリ氏の専制でありながら、気楽な参加の感じでデモ行進ができるのは、やはりソフトなのだろうと思ったりしていた。
 
 ベン・アリ大統領に対する不満の大きなものは言論の弾圧であろうか。しかし、これはブルギバ時代に始まった原理主義の動きを抑えることから始まったとみられる。彼は日本でいうところの右派・左派・民族主義・自由主義などすべての批判勢力を抑えた。そのためには新聞規制も行った。治安面の取り締まりがどのくらいであったかは外部から見た自分にはわからなかったが、このことにより国民の息苦しさがあったはずだ。それに対して経済面で発展させ、アフリカでもっとも安定し、豊かに安心して暮らせる国づくりが行われた。
 ベン・アリ路線は言論の自由など国民の権利はじゃましていたが、過激なものは一掃し、ある意味その安定は国民にもヨーロッパ各国にも支持されていたはずだ。
 ところが、彼が1992年に現夫人と結婚、その親族が経済利権を独占し、一方せっかく高い教育を受けても仕事がないという高学歴無職の人材が増えていった。その結果としての貧富の差は不満としてくすぶったのではないだろうか。

 ベン・アリ氏の政権もブルギバ政権と同じく長すぎたようだ。各地に写真を飾り独裁的な傾向を見せる中、口には出せないが不満を抱えている人がいることは、数年前もうすでにチュニジア人の口ぶりから察することができた。当時、旅行者としての自分にはそれが何なのかまではわからなかったが・・・。
 また、失業対策はうまくいっていなかったようで、エンジニアが職がなくて運転士をしていたり、英語・フランス語・イタリア語などを使いこなす才媛が、本来の教師としての仕事にあぶれ仕方なくガイドをしているなどの現状を直接聞いて、驚いた覚えがある。

 ほんとうに突然のことで驚いた。
ガンヌーシ首相が14日、自らの暫定大統領就任を発表したかと思えば、15日には憲法評議会によってフアド・メバザア下院議長の暫定大統領就任を宣言したといい、政権の行方はどうなるのか迷走している。
 日本人は在住175名は在チュニジア大使館が居場所を確かめたということだが、旅行者は130名ほどいるそうで、現地での不安は大きいだろう。15日午前空港の閉鎖が解かれ、一部航空機の運航が予定されているというが、はたして日本人旅行者が東へ向けてドバイ経由なりパリ経由なりの航空機に乗れたのかはまだ不明である。そもそも航空チケットは空港封鎖などの理由で予定通り運航できなかった場合、運航し始めた時に、運休になった便の乗客を運ぶものだろうか。席に空きがあれば手配もするかもしれないが、この状態の時に入国者は激減し、出国者は空港周辺にあふれてしまうわけだから、順調に次々と航空機が動けばいいがそうでない場合、長く影響を残してしまう。
 新しいチケットを買うとしたならばそれはそれで手配しなければならない。いずれにしろ空港は大変な状況であろう。
 チュニスの中心地、ブルギバ通りも今は人がいない状況だという。

「チュニスでは、略奪者の放火の黒い煙がスーパーマーケットの上に立ち上り、主要なバザー近くの店も略奪された。ヘリは低空飛行して放火や略奪を抑えるための偵察飛行をしている。オレンジとバナナを売っている商人フェデラは民主主義を望むと言ったが、それが起こるかどうか心配していると言っていた。彼も混乱の中で店を閉鎖している。ベン・アリ大統領の出発に続いた不安は一般の人を怖がらせている。
 空港は土曜日に再開されたが、いくらかの飛行はキャンセルされている。何千もの観光客はまだ残っている。トーマスクック社のドイツの子会社は金曜日に200名をチュニジアから出国させたがまだ1800名は待っている。
 ベン・アリ氏による統治は市民権と言論の自由をがないものであったが、近隣の国よりもよい生活を国民に与えた。ベン・アリは経済を競争的にしてビジネスを引き付けるため改革をし、海外から賞賛を勝ち得た。経済成長は昨年度3.1%であった。失業率は14%、ただし、若者の間では52%だった。
 許可証なしで果物と野菜を売っていた26歳の教養ある青年が、警察にその果物等を押収され、彼は失業中の12月に自殺した。このあと、暴動は始まった。」 UAEのKhaleej Times  15 January 2011 より一部引用(ただし、意訳なので、詳細は本文で確かめてください)


 旅行社だけでなく、まずは日本の政府として希望者は無事に出国できるよう図ることが第一だろう。各国は自国の観光客等をいかに帰らせるか考えていることだろう。


                                                          応援クリックお願いします。
                                                                  人気ブログランキングへ
by miriyun | 2011-01-15 19:06 | Comments(2)

写真で綴ってきたイスラーム…100万アクセスありがとうございます。

 
写真でつづってきたイスラーム 

c0067690_14145970.jpg

  ◆チュニス夕景◆

  太陽が雲ひとつない空を赤く染めながらじわりと沈んでいく。
     沈むにしたがって、色はますます鮮やかになり、
        街はシルエットとなって昼間の喧騒を忘れさせていく


c0067690_1422357.jpg

     これだけ沈んでも太陽は蜃気楼が起こることなく、まん丸なままおリていく。        
         大気に水蒸気もなく、また空気の層の違いもないのだろう
     このあと、家々に灯がともされていく。
         太陽のきっぱりとした光から、家庭の柔らかな光へと変化していく。
         こんな光の変化を感じながらレンズの向うを見つめるのが好きだ。

            イスラームの都市の美しい夕景だった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
100万アクセス、みなさま応援ありがとうございます 


 この9月初めでページビューが100万アクセスを記録していた。
エキサイトのネームカードによるページビューがのるようになってからの累積だ。3日坊主覚悟で始めた「写真でイスラーム」なのでこんな数値になるまで続くとは夢にも思っていなかった。
 ちなみに何回見ても何ページ見ても一日一回だけカウントするのをユニーク数というのだそうだが、こちらは52万。いつもページビューの半分くらいである。このブログは見やすいように一回に9日分くらいまとめて表示されるようにしてあるが、それだけでなく他のページを見ていただいていたり、同じ日のうちにまた見ていただいているということなのかと思う。
  記事数も1300を越えた。一番新しい記事を見られている方ばかりでないのも特徴だろう。何割かは検索用語から調べてこちらにこられたかたが多いようだ。この2年間くらいでいつも多いキーワードは
 乳香・ラクダ・食の禁忌・なつめやし・民族衣装・アラビア書道・東京ジャーミー
 人物では、本田孝一氏、サヘル・ローズさんだった。
 (謎なのは星というキーワードで統計があるのだが、星なんていう漠然とした言葉でなぜここにはいってこられるのか不思議でならない。)

◆イスラームのメディアを通しての怖さばかりを伝える報道、
  そして、国際理解といいつつ、欧米社会ばかりを向いた日本
     それはちょっと違うんではないの・・・せめて自分の知っていることだけでも、メディアが伝えないことを伝えられたらと思ってはじめた。

今でも、イスラームの国名が出ると、「怖くない?」 「危ないよ」といわれることはある。興味のない人にはずっと埋まらない溝かもしれない。

 でも、通りすがりであっても、何らかの誤解を解く助けになったり、素敵な土地や人のぬくもりが感じられることがあったならうれしい。少しはそう思ってくれた人もいたかもしれないと思うようになった。
 そういう意味で、間違いだらけの文字変換が度々ありながら読んでいただけたことに、そして励ましてくださった方々に、ひたすら感謝なのです。
      
             ・・・・ありがとうございました♡                                         

                                                      応援クリックお願いします。
                                                                 人気ブログランキングへ  





           
by miriyun | 2010-09-18 15:10 | Comments(20)

石臼の話・・・マトマタ(5)

マトマタの石臼

c0067690_110932.jpg

マトマタでは、現代においても石臼で麦をすりつぶす。周辺が白くなっているのは製粉された粉である。
c0067690_1102474.jpg

その中心に麦を押し込めて、石と土台の石の間ですりつぶされるのである。
 まわすしくみと取っ手のある様子は日本でもそば粉や小麦粉をひく臼と作りは同じだ。

木材で取っ手が作られているので回しやすいとはいえ、石であるからかなり重い。
それをマトマタの女性達はじっくりと回しながら麦を製粉する。
c0067690_13825.jpg

穴居住宅の壁に使いやすいように穴を開けたかまどで、パンを焼くのだった。

                                    応援クリックお願いします。
                                                        人気ブログランキングへ                      
by miriyun | 2010-03-27 01:32 | チュニジア | Comments(0)

穴居住宅の人・・・マトマタ(4)

マトマタに住む人 
 ベルベル人は先住民族であり、12世紀におわれて山岳部、そしてこのマトマタにも住み着くようになった。山岳部よりは水の便もよく農耕地もある。山の斜面に村落は存在し、夏は涼しく冬は暖かい。

c0067690_4154632.jpg

マトマタ、穴居住宅に住む一家のお母さん、働き者で明るい。

 背後には穴居住宅の削ったあとがくっきりとしている。
上から裾までの長衣は文様があったり、無地だったりする。
マトマタならではなのはその長衣の上に縞の布地でゆったりとした貫頭衣のようにしている点だろう。
スカーフは頭全体にふわりと巻いたり、このお母さんのように働きやすいようにきっちりと頭頂部で結んだりしている。

他の穴居住宅の女性達もこの姿なので、このあたりいったいの民族衣装といえよう。

しっかりものお母さんは4人もの子どもたちをテキパキと指示しながら働いていた。

                                    応援クリックお願いします。
                                                        人気ブログランキングへ
by miriyun | 2010-03-26 04:11 | Comments(6)