写真でイスラーム  

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2009年 11月 17日

天井の美…

 天井といったらペルシア

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イスファハーンの世界の半分と讃えられた広場に面したアーリーガープー宮殿の最上階に音楽堂がある。
つぼ型にきざみの入っている造形は極めて特徴がある。音響効果がさぞ良かったのであろうから、ここの価値が最もわかるのは音楽を奏でた時であろう。ここでえんそうかいがおこなわれ、それがTV中継されるという企画はないものだろうか。交渉は難しいだろうが、そういう企画こそがTV局ができることで、しかも歴史的建築の検証にもなることなので、どこかの局がやってくれないものだろうかと常々思っている。
 なお、これと同じようなつくりの部屋はインドのジャイプールの宮殿にもある。

 音楽堂の全体像は、下記のを参照されたい。音楽室ではなく音楽堂といえるかなりの規模のホールであることがわかる。
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                                    ↑ 「世界遺産」 講談社より引用
 
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宮殿の内装は暖かみのある赤みがかった壁が多かったが、天井は青と金が基調となっている。
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こちらはつる草が左右対称に向かい合いながら円形に連なるゴンバディ文様である。


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by miriyun | 2009-11-17 09:01 | Comments(2)
2009年 11月 15日

ペルセポリスに見る楔形文字

 ペルセポリスは壮大な計画都市
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           ↑ 空撮写真(「メソポタミアの遺跡」より引用。ただし、間違って写真が左右反転して掲載されていたので、修正を加えた。)
 
 現在のシーラーズから60kmのところに、クーヘ・ラハマト、慈悲の山と称される山がある。この山の山すその西側にほぼ長方形に整地し、455×300mの大基壇を築き、そこにアケメネス朝の都を建てたのがダレイウス1世だった。アケメネス朝の3代目である。

 ダレイウス1世宮殿にその名をさがす
 ダレイウス1世が使節団を謁見したアパダーナと呼ばれる建築の隣にダレイウス1世宮殿(タチャラ)がある。そこに至るまでに壁画につぐ壁画や巨大な柱の残骸などを見続けているので、西中央にあるこのあたりに来ると、壁画に対してもさしたる驚きもなく、当たり前に眺めてしまうことが多くなる。
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 しかし、この壁面にこそ、アケメネス朝時代の楔形文字がくっきりと石に彫られている。
この中に、ダレイウス(ダリウス)の名はあるのだろうか。
短い時間ながら眺めわたすと、傷になっている部分はあるもののしっかりとその名が刻まれていた。
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 2500年の時を経て、人類の英知である文字がひとりの偉大な人物の名を今尚、しっかりと残していることに心から感嘆した。

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by miriyun | 2009-11-15 02:08 | Comments(2)
2009年 11月 03日

沈黙の塔…ゾロアスター教(3)

 ゾロアスターは拝火教

 ゾロアスターでは最高神アフラ・マズダが知恵の神であり光の神であるから火を神聖視する。だから神殿では絶えることなく聖なる火を焚き、神官がそれを守ってきた。それと共にゾロアスターの思想の中に古代からの火の神・水の神をしたがえ、また、アフラマズダは天と地、火・水・植物・動物・人間を創造した。

 こうしたことから、ゾロアスター教では火・水・土を清浄に保つために、火葬・水葬・土葬をきらう。
そのため、沈黙の塔(ダフメ又はダクマ)とよばれる塔で葬送するようになった。

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 ヤズドの沈黙の塔。このような荒涼とした大地にある。山の上まで坂道が続き、山の上には塔のように円筒形の塀が見られる。ゾロアスター教徒の葬儀ではここに死者を運ぶ。
 左の山だけでなく、右手に山すそがわずかに見えているがそこも沈黙の塔である。

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 一方の沈黙の塔から、もう一方の沈黙の塔を望む。
おそらく、ゾロアスター教徒が多かった頃は一つの沈黙の塔では葬送の場所が足りなかったのだろう。

 沈黙の塔・・・鳥葬
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 塀の外から中を見ると円筒形に見えたのは石の塀であり、中は平らになっている。塀だけ見ると表面がならしてあって薄いものに見えるが、この入口を見ると幅が1mもありそうな頑丈な石垣状であることがわかる。おそらく風が強いであろうこの地でも何百年も持ちこたえられるように作られている。
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 葬送の儀は、ここに屍を安置することから始まる。 石が中央の穴から放射線状に置かれている。
穴のほうに足を向かせて安置すると、一週間ほどで鳥がついばみ骨となる。いわゆる鳥葬である。
残った骨を遺族が中央の穴に入れる。(現地ガイドによる)

◇Web上では、中央の穴について、次のように記述されていた。
        ”あの世で再び誕生するため、創造と復活の舞台である井戸に投げ込まれるのである。”
                                    ↑(ゾロアスター教基礎知識鳥葬より引用)


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 鳥葬は、火も水も使わず、石畳にすることで土も使わず、鳥によって行なう葬送である。これによって汚さないという考え方と、もう一つは鳥の食料となることでこの世での最後の功徳になるということもあるのだった。

 なお、イランの中ではヤズドなど若干の地域でゾロアスター教徒がいる。かって世界宗教的な影響力があり、ササン朝では国教でさえあった宗教だったが、イスラム教が入ってきてから衰えていった。1930年にはパフラヴィー朝のレザー・シャーによって鳥葬も禁止され、以後はゾロアスター教徒も土葬となっている。
 それでも尚、ヤズドの人口30万人のうち約3万人はゾロアスター教徒であるといわれている。(参考:Wikipedia)

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by miriyun | 2009-11-03 08:20 | イラン(ペルシア) | Comments(4)
2009年 11月 02日

ゾロアスター教(2)

 ゾロアスターの名前

 アアフガニスタンのバルフの地でザラスシュトラ(ザルドゥシュト)が、インド・イランの古来の信仰に善と悪の対立をもとに論理的に組み立てていったのがゾロアスター教である。ゾロアスターは聖典アヴェスターではZarathushtra,現代ペルシア語ではZartosht,又はZardoshtといわれる。
 ちなみにペルシア語でゾロアスター教は,ディーネ・ザルドゥシュト(دین زردشت)という。ゾロアスター信仰という意味だろう。

 創始はB.C.1000年ともB.C.2000年ともいうし、B.C.7~6世紀ともいう。つまり時代が確定していない。

 ザラスシュトラが提唱した世界最古の預言者宗教であり、この中でユダヤ教・キリスト教・イスラム教に影響していった内容が多く存在するという。だからニーチェも思索したのだろう。高校時代に聞いたニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』という本が、ゾロアスターについて語っているとは夢にも思わなかった。しかし、今思えば、ザラスシュトラをアルファベットで書き、ドイツ語読みをすればツァラトゥストラになるのは一目瞭然だったのだ。

 ザラスシュトラは古来の信仰にもあるアフラ・マズダを創造主ととらえた。そして、アフラマズダに従う善の神スプンタ・マンユと悪の神アンラ・マンユが対立するなかで、世界が動いていくという。ゾロアスター信徒は信仰告白をすると共に最高神アフラ・マズタを信仰する。アフラ・マズダは功名心で生命・光・真理を表す。したがってこの宗教は火や光を崇拝する。
 これが、ゾロアスター教が、マズダ教、拝火教ともいわれるゆえんである。

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by miriyun | 2009-11-02 00:44 | Comments(2)
2009年 10月 29日

ゾロアスター教(1)

 ヤズドに見るゾロアスター寺院       
ゾロアスター教は拝火教ともいう。ペルシアを語るにはミトラ教と共に欠かせない。

 ヤズドには今でもゾロアスターの名残りが色濃い。
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まず、このような有翼円盤に人があらわされ、手に日輪を持つ姿がこの宗教の象徴である。
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ヤズドのゾロアスター教寺院。
ほぼこの街だけにこの宗教は残っている。それ以外ではインドのパールシーと呼ばれる人たちが、移住したゾロアスター教徒の流れに当たる。
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この寺院の中では1500年にわたって、聖なる火が燃え続けている。

 アケメネス朝とゾロアスター教       
 アケメネス朝はゾロアスターの徴を各地にお残している。
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   ペルセポリスの宮殿にある徴。
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  スーサの宮殿にあったという彩色されたレンガ。

このように、アケメネス朝からかなりはっきりと影響が出はじめているが決して国教ではなかった。国教になるのはササン朝からである。ダレイウス大王はゾロアスターを大事にしながらも、他の宗教も容認し、専ら現世における支配のほうに専念したようで、このようなしるしこそあれ、それ以上にこの宗教色を強めた形跡はない。

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by miriyun | 2009-10-29 07:14 | Comments(10)
2009年 10月 27日

山羊文様

 山羊の文様に文明の深さが見える       
もとより、家畜は文明の始まりと共にある。
農耕の始まり、そして、野生の動物を飼い、家畜としたことが人類の発展に大いに寄与する。したがって、人類が文明を築く中でその造形を取り入れていくことは至極当然のことであった。 
 中でも、アナトリアの金属による動物の鋳造は見事であった。

 ◆そして忘れてはならないのが古代ペルシアの動物文様である。
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                         ↑ イラン考古学博物館所蔵
まったり緩やかなカーブと赤土色の壷である。それに黒の山羊が並ぶ。

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                            ↑ 同 所蔵 皿
 並ぶだけではなく跳ね、走り、跳躍する。
こうした古代の文様の力は随所に見られ、しかもそれはそのまま消えてしまった力ではなかった。


◆その後、強大な王国、アケメネス朝が出現し、ダレイウス1世らが現れてくると建築物と共に工芸的作品も高度に発展していった。
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                          ↑ ルーブル美術館 像 ( 美術史より引用)
      
 これは有翼野生山羊像である。紀元前5~4世紀 銀製で一部金。
銀製の壷についている一対のとっての一方はベルリン博物館に、もう一方はルーブルに存在する。
 翼を大きく広げ、軽快なポーズと、顔の造詣の美しさが際立つ。
新しい文明の力とはつらつとした勢いを感じさせる造形で、見事としか言いようがない。


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by miriyun | 2009-10-27 07:12 | Comments(2)
2009年 10月 05日

ダレイウス1世はエジプトの王

 ダレイウス1世
  メディア王国を滅ぼしてアケメネス朝)を打ち立てたのはキュロス大王(キュロス2世)であり、その後さらに小アジアのリディア王国、メソポタミアの新バビロニア王国をも滅ぼした。その息子カンビュセス2世の代にはエジプトも併合してオリエントを統一していく。しかし、その後内乱やメディア人が力を握るなど不安定な時を経て、国としての力も弱まり、エジプトそのほかを失う。そこで正当な選択方法によって選ばれた人物に託して君主となす方法をとった。
 
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 そうして選ばれたのが、ダレイウス1世ということになっている。
そして、この王は各地を制圧し、アケメネス朝ペルシアを強大な国にしていった。

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                               ↑ テヘラン考古学博物館蔵 スーサの宮殿からの発掘
 さて、この王の彫像はペルセポリス等に数え切れぬほどあるのだが、その中で気になる彫像があった。
立像なのだが、上半身は壊れていて存在しない。しかし、これを見て重厚感といい、衣の彫りといい君主の像に違いないと感じるものだった。正面を向き左足を出した姿であり、左手に指揮杖をもつエジプトの王によくある姿である。
 長衣のドレープ部分には文字が刻まれている。長衣の右腕側のドレープには楔形文字が彫りこまれ、左腕側のドレープにはヒエログリフが彫り込まれている。
 これもまた、エジプトとメソポタミアの文明の折衷型というか、両文明の影響を顕著に表すものである。
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 帯にはさんだ短剣にはたいへん細かいメソポタミアらしい動物文様があり、それを帯紐には、カルトゥーシュ(エジプトの王名枠)まであったのだ。夢中で読んでみた。
 ダレイオスその人の名がここにあった。
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 その像の台座には、これまたエジプトの飾り文様がある。
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 さらにその台座の横を眺めれば、24もの民族がヒエログリフで表され、民族をあらわす人物像は両手を偉大なる王に向かってさしだしている。

 ペルシアを強大にしたダレイウス1世はエジプト王朝196代の王としても記録される王だったのだ。

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by miriyun | 2009-10-05 07:22 | イラン(ペルシア) | Comments(4)
2009年 09月 30日

高原の支配者

 パサルガダエ
紀元前6世紀、シラーズの北東のイラン高原に、創始者キュロス大王(キュロス2世)によるアケメネス朝最初の首都が造営された。それが「ペルシア人の本営」と呼ばれ、それが現在、パサルガダエ(パーサールガード)の名称となっている。

 
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ファールス地方の王キュロ ス2世(B.C.600頃~B.C.529)は、宗主国メディアを倒してイラン高原の支配者となり、BC559年 にアケメネス朝を起こした。キュロス2世はさらにリュディア、バビロニアを征服した。
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 キュロス2世の墓は切石を6段積み上げて、その上に切妻屋根をのせた墓であり、石灰岩でできている。高さ11m。200年のちにアレクサンダー大王が征服者としてやってきた時に、ここは墓の周りにいろいろな木が繁る美しい庭園があったという。広い空間の中央部にこの墓があり、周囲には円柱の回廊めぐらされていた。入口は1箇所だけであり、中には、黄金の棺、真紅の服・刀・装飾品などが収められていたという。もちろん、それらはアレクサンダーの軍が持ち去ったわけだ。 
 
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 のちに、イスラム勢力が入ってきたときに壊されないようにするために
ソロモンの母の墓廟であるといったという。また、アラビア語を刻み込んだとも言う。この文字が本当にその時代かどうかというと、もう少し検討を要する。

 二つの守護神

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 宮殿跡に、珍しいレリーフがある。片方の足は人の足だが、もう一方は魚になっている。半人半魚なのか。これはペルシアの伝説の中でカル魚、正式には魚のアプカルル(Fish-Apkallu)と呼ばれるもので、メソポタミア地方の伝説の中の生き物だ。半身は頭から背中にかけて魚をかぶったような姿をしている。知恵を授けた賢者の名を持つこの守護精霊であり、メソポタミア平原からこの地域に文明をもたらしたとされている。
アプカルルは、ヘレニズム時代のバビロン神官ベロッソスが著した『バビロニア誌』にオアンネス(Oannes)として現れる。オアンネスはペルシア湾から上陸してきて、ごく短期間に人々に文明を授けたといわれている。(Wikipediaより引用)


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 酷暑の中、いかにも粗雑な撮り方をして後悔した写真。
 なんと肝心な冠部分が入っていない。
 これはれっきとした人間型の守護神像。宮殿入口の門にあるレリーフで、翼が目を引く。
アッシリアの彫像各種につき物の翼と同じで、これもメソポタミアからの守護神といえる。

 このどうしょうもない写真の頭の上には大きな横広がりの冠と飾りがあり、それがエジプトの彫像と同じ形をしていたのだった。

  実は、メソポタミア地域に広がるメソポタミア文明の東西への広がりの様子や、エジプトからメソポタミアへの文明の影響が顕著に見られるのがイランのこの地域なのだ。
 今は干からびて、完全な廃墟にいくつかの巨石や柱があるだけなのだが、かって西からの文明パワーを次々にやわらかく受け止めて、使えるところは使っていった古代ペルシアが見え始めてきた。
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by miriyun | 2009-09-30 06:22 | Comments(2)
2009年 09月 29日

灌木の山

日本の山
 自然環境の違いは子ども達が絵を描いてみるだけですぐにわかる。まず山の色が異なる。日本では山は
緑で塗るのがほとんどだ。実際どこに出かけても山は緑である。あとは紅葉の色、茶色、雪が降れば白・・と、季節変化がある。

中東の山
 中東の山、ある程度降水量があるところでも、土は薄い褐色、であり、降水量が0に近づくにつれ、岩や赤い土だけの色になっていってしまう。

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                                 ↑ イラン中部 ↓

山と川、牛がテクテクと歩む。言葉でいうなら当たり前すぎる光景だが、よく見ると川の水の色が違う。川底の岩盤や砂の色が異なるのだろうか。
 そして山は丈の低い灌木はぽつぽつあれど、背の高い樹木はみあたらない。
 中東では夏は枯れ川(ワディ)になってしまう。だから放牧や遊牧がなされるのはほとんど羊や山羊なのだが、ここは川があるので珍しく牛が飼われている。

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 緑なす畑らしきものは見えるが他はやはり潅木あるいは草だけの山sであり、上のほうは山が形成された時のままのするどいラインをみせている。

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                                 ↑ ミニアチュールの岩山の部分のみ引用

 似たような気候の地域は、多かれ少なかれこのような光景になる。だから、絵にあらわされた風景は、山一つとってもまったく色が異なるのだ。 

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by miriyun | 2009-09-29 04:12 | イラン(ペルシア) | Comments(4)
2008年 07月 12日

ペルシアの象徴ホマ

 
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ペルセポリスの入口のいずれも111段という左右対称の大階段を上るとそこにはクセルクセスの門がある。
 その奥には早速列柱が並び立つのだが、ここの柱の柱頭は見慣れたパピルス型でもドーリア式でもない。柱の頂点には動物が乗っている。一つは雄牛であり、もう一つは伝説の動物である。
 その名は、ホマ。

1、ホマとは
 ペルシアのなかで、頭部は双頭の鷲という想像上の動物がいる。ペルシアでは幸福の鳥を意味する。この双頭鷲像の特色は、からだがライオンであることで、その点ではスフィンクスと同じような流れで権威を表すものとして作られてきたのだろう。
なお、ホマはヨーロッパではグリフィン(グリフォン)と呼ばれている。

◆柱頭に乗せられているのはかなり頭部も壊れたもののようだ。ここはいったん破壊された都市で、復元しても柱の上はほとんどが壊れている。しかし、鷲の顔の部分がしっかりと残って美しい一体は見えやすいように、3mほどの円柱の上にのせられていてまじかに見ることができる。そこの像は足元から顔の上までおおよそ2m。この巨大な彫像が長い円柱に載るとちょうど手ごろな大きさの柱飾りに見えてしまう。
 
2、ホマとイラン航空 
 この鳥は現在のイランでも象徴としていろいろな場面で登場してくる。

① 最も目につくのはイラン航空で、その尾翼についてくっきりしたマークは印象深い。

②  また、イラン航空はこうして伝統的文様を自社マークとして採用したが、実は自社の頭文字と一致するということでイラン航空そのもののこともホマと呼ばれている。(頭文字についてはWikipediaを参考とした)
              هواپیمایی ملی ایران
 このペルシア語表記のイラン航空の頭文字がホ【هو】 マ【مل】と読める。

③ イラン航空、毛布も深い青地にホマであるし、アメニティも何もかもホマで統一してある。毛布を売ってほしかったが、聞いてみたら販売しないという。
 でも、今気に入っているホマがある。
 それはイラン航空に乗ると配られるアメニティセットを入れるポーチ。大き目で長い筆も入れることができるので筆入れとして使っている。
 
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   ―――このペルシアの筆入れに入れたカラム(筆)を使って、
              ペルシアの文字を書く―――
     
          ホマに筆が守られているようで
                     なんだかうれしい・・・     
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by miriyun | 2008-07-12 11:43 | Comments(4)