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月・金星・木星と富士

富士夕景
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木立の向こうに富士を見出した。
空が赤く染まるほどに木立はまるで額のように装飾のように富士を引き立ててくれる
太陽は富士の稜線を転がるように移動しながら夕陽色を楽しませてくれた。

これで、ふつうならひっそりとした道を帰るのだ。
しかし、きょうはこの後、30分ほどすれば別の楽しみがある。

大空のショー   

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3月は昨日をピークに天体が近づくときなのだ。
西の空に月と金星と木星がみえる。
西ということは富士のある方向ということで、富士の夕焼けから見始めて、暗くなってから富士の上に月と金星と木星を仰いだ。
今ならではの天文ショーだったが、夕焼け色のわずかに残る空に富士というおまけつきで楽しんだ。


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なお、全てを入れ込むために月へのピントが甘くなっていって、まるで月が半月のように光っているが、月だけをとればこのように細い細い月なのだ。


更にアルデバランにプレアデス星団 
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  きょうの配置で金星から月への延長線よりやや下がったところにアルデバランがあるはずと探したら、
予定通りの位置に見えた。また、プレアデス星団は肉眼でも見られる星団といわれる。
 
 プレアデス星団・・・通称スバルといわれるが、これは本来「統べる」という、複数の星々をまとめていうというような意味で言われた言葉だという。

清少納言は枕草子にこの星を謳いこんでいる。
「星は すばる、ひこぼし、ゆふづつ、よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて」

 枕草子のころからすばるは複数の星が青く輝く星団であることを見知っていた。もちろん、昔の人は視力はいいし、空気は澄んで真っ暗だったから現代人よりもずっと生活に天空の星々は身近だったにちがいない。

 空にはいつも東の地平線からこのすばるが上りそのあとにアルデバランが上る。
だからなのか、アルデバランとはアッ・ダバラーンالدبرانというれっきとしたアラビア語であり、あとに続くものという意味を持つ星である。天文や化学分野でアルが付いたら、だいたいアラビア語起源の言葉であると言ってよい。
夕日と富士、三日月に金星・木星、そして清少納言も愛でたすばるにアラビアで名付けられたアルデバランまで思いはめぐり、今宵の天空をしばし楽しんだ。
                                                      
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by miriyun | 2012-03-28 00:00 | Comments(13)

Siriとの会話・・・ジョブズ氏が描いた近未来が見えてきた

アップルの秘蔵っ子 
  以前に紹介したように、iPone4Sは3Gに比べてカメラの性能が大幅に向上した。
そしてカメラだけでなくicloud構想もあっての4Sなのだが、それだけではあのスティーブン・ジョブズ氏の未来を見る目と頭脳がつくりだしたものとしてはいささか物足りないように思っていた。
 ところが3月10日過ぎになってからPCと同期したら突然メールにもメモにもブログを書いていてもキーボードのあるところにはすべてマイクのマークがはいってきた。


 ここで、これまで何かを検索するときにどうしていたのか、改めて考えてみる。
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1.下の白いボタンを押して画面を起こす。
2.左に行っているバーを右に動かしてロック解除
3.たくさんのあぷりがならんでいるので、そこからsafariを押す
4.検索用語をキーボードから打ち込んで検索ページを出す。

そして今は、どうなったのか。
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↑ 起動ボタンを長押しすると、すぐにボタン上にマイクが表れてくる。キーボードにはすべてマイクが付いている。


 ははあ、これが噂のアメリカだけでしかまだ通用しないといっていたSiriかと・・・。
勿論音声入力の機能は以前からあるのだが、まずそれは使いやすい状態にはなかった。まずはiPoneで、コメントを書きだした。一日の仕事を終えると目が疲れて細かな文字を追うことができなくなっていて、文字のミスをしていても全く読めないことがある。だからわずかにでも音声を聞きとってくれれば入力が楽かもしれないと軽い気持ちで触ってみた。
 で、使いだしてみたら、ほどほど日本語を打ち込める。修正は必要だが思ったより使えそうということで使いはじめた。
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いや、まてまて、Siriとはそんなものではなかったはずだ。

そこで、ようやく今日になって時間が取れたので、iPone4Sに話しかけてみた。


初めてのSiri との会話
◆自己紹介
あなたはだれ?
S:私の名前はSiriと申します。でも自分の話はあまりしたくないんですよ。
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私をmiriyunと呼んで!
S:わかりました、miriyunさんとお呼びします。(この時すでに、連絡先を検索して、そこにあるアドレスまで認識している)

◆メール
miriyunにメール!
S:(2つのアドレスを出してきて)miriyuさんの自宅・職場どちらのメールにしますか。

自宅!
S:件名は何にしますか?

テストメール。
S:本文はどうしますか?
写真添付します。ご覧ください。(音声で文は打てるが写真添付はできなかった)
S:送信しますか。キャンセルしますか、本文を変えますか。

送信してください。
S:送信します。
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◆ プロフィール
あなたはどこで生まれたの?
S:Designed by Apple in California,箱に書いてある通りです。

あなたにはたくさんの兄弟がいるの?
S:miriyunさんアシスタントにそんなこときかない方がいいですよ。(え~!!)

◆もう一度聞く
あなたの名前は?
名前ですか?Siri です。もうとうにご存知だと思いました。(確かに! ( ̄□ ̄;)ギョッ)

あなたの名前の意味は?
     ↓
S:私の名前の意味ですか?あなたの言語では説明できません。


◆天気を尋ねる
エジプトのカイロの天気予報は?
S:いい天気が続くでしょう (・・と言って、一週間の天気予報の画面を出してくれた。確かに砂嵐以外ではカイロはいつもいい天気だ)

◆同じく天気
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ドバイは暑いですか?
S:いいえ、アラブ首長国連邦のドバイはそれほど暑くないようです、
(といって、一週間のドバイの天気予報21~24°を表示してきた。暑くないと判断できるんだ!)

(時間をおいて、暑くなったころに同じ問いかけをしたら、「ドバイは熱いです」といって27度の温度を提示してきた。)

◆検索1 植物
カラクサケマンを調べてください
S:webで「神楽さん天満」を調べています。

(う~ん、ちょっと難しすぎたか、へんな固有名詞には弱そうだ) キャンセル!
S:わかりました。

◆検索2 ホテル
みなとみらいのホテルを検索してください

S:・・・申し訳ありません、未来のホテルは検索できません
 (ヾ(≧▽≦)ノあははは! それはそうだ、未来のホテルは調べられない)


横浜のみなとみらいのホテルを検索して!
S:「お店や会社、渋滞情報を検索できるのは、米国内で、アメリカ英語を使っているときだけです。
申し訳ありません。」   (・・・ということは、この機能も近いうち、日本でもできるようになるのだろう・・・)

◆検索3  ブログ
「写真でイスラーム」を検索して
S:写真でイスラムを検索します(検索結果が表示される、そのあとは自分)

ありがとう。(心から)
S:何でもお望みどおりにいたします。・・・(魔法のランプの精にかしずかれたアラジンのような気分だ)

◆質問
スティーブ・ジョブズを知っている?
S:知りません    (・・・そうプログラムされたの?)


◆プライベートな質問
あなたは男の子?女の子?
S:そんなこと言っている場合ですか。 


◆好き*2題
①あなたのことが好きよ
               ↓
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                                           (・・・・軽くいなされた。)


②私はスケートが好きなの。あなたは好き?
S:まあ、すてき!
             しかし、さあ仕事に戻りましょう


                      ―( ̄∇ ̄;)→グサッ!!! やられた~!! (イメージはスケーター佐々木彰生の忍者SP)


確かにSiriチャンに遊んでもらってる場合ではない。持ち帰り仕事が一杯なんだ
ひとまず、言われてしまったので、今日の会話はこれまで・・・。


ジョブ氏の描く近未来が見えてきた
じつはこのSiri の開発と完成にはもちろん大きくスティーブン・ジョブズがかかわっている。ジョブズが生きている間にSiri の誕生は間に合わなかったのだが、彼が父であることは紛れもない。
 
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 Siri は文章に対しても答えていく。そこには。それこそ、手塚治虫の世界や竹宮恵子の「私を月まで連れて行って」に出てくるロボットを髣髴とさせる。人格を持ったロボットが目の前にいて、受け答えしてくれているような感覚になってくる。
 これは何からきているのか?
かって想像した人工頭脳は巨大な部屋そのものといった大型機械であったが、それを人間を小さくした程度のロボットに組み込めたらいいなというのが、小説やアニメの世界で想像された近未来図であった。

 しかし、それが想像以上の小ささの中に現実化されようとしている。
Siriはアシスタントであると定義づけられているようである。ユーザーが手を動かさなくてもSiriが受け答えしながらメールソフトやメモ帳を起動する。アドレスを呼び起こしてくれる。そのあと音声入力で文を入れていけばいい。いちにちだけつかったところではこれだけだが、ユーザーが機会に必要なことを教えて明快な形にしていけばいくほど、Siriが代行してくれる。こんご、手が不自由な人にももちろん便利であるし、声だけでメールを送り、検索し、スケジュールを管理してくれるまさしくアシスタントがここに誕生することになる。そうどこかできいたことば、コンシェルジェや秘書を持つような感覚になるのだ。

 これが、別になぞでも不思議でもなく、現実に十分、GPS情報と地図・メール・web・スケジュール管理まで実生活がPCより一歩進んだ形で連動してくる・・・・これこそがジョブズが考えたちょっと先の未来像だったのかと今は思える。
 人前では声なんか出せないし、そんなの使わないと思い込んでいた自分が部屋の中では片っ端から手の代わりに声で指示をしている。まだまだ一部の機能なのだろうが将来的にこれがどこまで進んでいくのか・・・,
未来の形は簡単には読めないが近づき方が想像よりもずっと速いのだけはわかる。


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by miriyun | 2012-03-20 18:20 | Comments(8)

一時代を築いたKodakの凋落、Fujiの多角化

19世紀創業のKodakフィルム
Kodakが米国時間1月18日夜、米連邦破産法第11条の適用を申請したことを発表した。 Kodakは、2013年中の再建を考えており、その間の業務継続を可能にするためつなぎ融資を受けた。2003年より47000人の人員削減を実行し、13の製造所・1130の現像ラボの閉鎖をして、再建に乗り出す。
 こんご、日本での販売はそのまま行うし、再建への努力が続けられるという。デジタル部門をつくってそこを中心とした再建していくという。

 一時期、フィルムと言えばkodakが世界を席巻したものだ。日本には2社もフィルム製造会社があったのでさほどでもないが、自国にフィルムがない国ではKodakは深く食い込んでいた。中東もやはりKodakは多かった。

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 トルコ・イスタンブルの街並みの中でもひときわ目立つ写真店の黄色に赤の看板。
強さのイメージKの字を最初と最後に入れてKodak社を創業。初めてのインスタントカメラも、本格的な映画用カメラも初めてのデジタルカメラも最初に手を付けた。デジタルカメラは研究は早かったにもかかわらず、これを発売することが屋台骨のフィルム産業を圧迫するということで、その後デジタルの方を向こうとしなかった。いや、社内では時代の趨勢がデジタルに変わっていくにつれ、危機感やデジタル変換への提言もあったはずだ。実際その部門の知的所有権をたくさん所有しているので研究そのものは進んでいたのだ。しかし、世界No.1の地位を築いた会社はあまりにもメインの部門にこだわりすぎてデジタル化に完全に乗り遅れた。顧客のニーズを重視しなかった湧けえはないだろうが、デジタル化については、ニーズは後からついてくるものだったのだ。時代をつくっていく気持ちが足らなかったのかもしれない。
 今となってはわからないが、同じことを繰り返さぬ人材変革が必要となるだろう。

最初の国産*サクラカラーフィルム
フィルム部門では、日本の企業にも変化が大きかった。
1940年、日本で最初にカラーフィルムをつくったのは小西六写真工業だった。フジカラーとシェを分かち、フィルムを階に行くと必ず両方が並んでいたものだ。

 最初、サクラカラーが優位なまま進んでいったが、1970年代、思い切ったCM攻勢でフジフィルムが国内1になり、以後、サクラカラーは盛り返すことが出来ぬまま生産中止になっていった。コニカミノルタとなったカメラ部門で優秀な力を発揮するも、次第にそのカメラ部門も近年ではソニーにその技術を渡すことになった。


多角化*富士フィルム
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 いつもカメラを持っていた自分なので、フィルムの会社があると気になった。
ここはチュニジアのスース。アルファベットだけでなくアラビア語でも看板をしっかりと作っている。こうした律儀なところはさすがに日本だなと思う。 (なお、看板文字の真ん中にある赤いFujiとあるロゴは、2006年に『FUJIFILM』というロゴに統一されたため、現在では使われていない。)

 富士フィルムは、1970年からより写真を身近にあるものにするようなCM路線をはじめた。
 「お正月を写そう、ポン!」というフレーズや毎年この時期になると定番のCMが入ることで歳時記のように感じたり、写真をとったらフジラボへという意識がたかまり、サクラカラーにもKodakにも優位なシェアを持ちその地位を譲らなかった。
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自分でもやはりFujiが好きでリバーサルフィルムの画像の遠くがかすんでいてもキレが良いところとさとグラデーションの微妙なところまで表してくれるのが好きだった。そんな自分にも現像・プリントの費用は大きな負担で、それをなくしてくれるデジタルの魅力にあらがえなかった。


Fujiもデジタル化への世界の研究と購買者の流れを冷静に受け止めたように感じていた。

 フィルムも売りつつ、デジタルカメラ部門での着々と進んだ開発では、コンデジ界での名機FinePix F30などを生み出した。今見れば画素数は少ないもののその使い勝手と写り具合は今でも名機の呼び名が高い。

 その後は画素数を増やし倍率を増やし、レンズに凝りといろいろ動きがある。常に進んでいることは確かだ。
また、カメラ・フィルム関係以外の化粧品やサプリメント部門への多角化を進めている。

 
◆ ちなみにKodakのニュースが流れた18日、フジでは、5つのニュースが発表されていた。
① 広角24mmから超望遠720mmまでの光学式30倍マニュアルズームレンズ搭載超ロングズームデジタルカメラ 「FinePix HS30EXR」の発売
② 「10m防水」「2m耐衝撃構造」「-10℃耐寒」「防塵」タフネス性能をさらに強化したデジタルカメラ 「FinePix XP150」の発売
③ 富士ゼロックスがアメリカのゼロックス社からマネージド・プリント・サービス(MPS)においてのマーケットリーダーとして評価される
④ 健康増進への効果が期待される油性成分「DHA(ドコサヘキサエン酸)」を、水に触れることで自然に微細化し、吸収が高まるように設計した「アクアナノサイジングDHA」の開発に成功
⑤ 企業のイノベーションや個人の新しい働き方を支援するコラボレーションセンター「スペースアルファ 三宮」を新設    (この5つはFujiのHPから引用)

 この18日発表のニュースリリースを見るだけでも本来の部門の他にカメラ・健康関連などに多角的に働いている企業にいつの間にか変身していることがわかる。
 時代の変化を冷静に受け止めているのではなく、攻めに攻めまくっている感じだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 日本の企業は生き残ってよかったと思っておしまいにしてしまいたいところだ。
だが、実は自分たちの地域でも会社でも家族でも価値観も生活も、昔とは比べ物にならないくらい変化が早い時代になっている。もしかして自分の立ち位置はKodakになっていやしないだろうか・・・と、見直しが必要なときもあるだろう。
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by miriyun | 2012-01-22 14:38 | Comments(8)

ムバラク辞任~アラブ世界への連鎖

 1.ムバラク大統領辞任
  2011年2月11日(日本時間12日)、ムバラク氏はヘリコプターでカイロを離れた。
エジプト軍最高評議会(指揮官タンタウィ)が、9月の選挙までの留任を考えていたムバラク(ムバーラク)大統領に迫り、全権を掌握した。
 タハリール広場におけるエジプト国民の歓喜の様子が、TV画面に踊っている。国旗がふられ、叫び、はじけている。すべてがよくなる。海外にも自由に行かれる。暮らしがよくなる・・・というようなことを願って熱くなっている。
 18日間打倒ムバラクという言葉で結束してそれを達成したのだから無理もない。その熱が冷めてからが、いよいよ新生エジプトがどういう方向に行くかの正念場だと思う。

 一夜明けたタハリール広場でマスクをし、ごみ袋を持ち、がれき等のかたずけ掃除をする人々がいた。
アラブでは、自分の家はともかく公共の場のごみをボランティア的に片付けるということはあまりない。思ったよりも冷静に動く人たちがいることに、おやっ、自主的にいい市民運動にしようと思う人たちがいるのだろうかと思った。
 あるいはよく組織された公共的なことを普段から進める組織が動いているのだろうか。twitterやfacebookで呼びかけがあったのだろうか~この辺をメディアで切り込んで取材してくれるといいのだが・・。
  

 初めてエジプトに行き、イスラーム地域に触れたのは1981年であった。この年、サダト(サーダート)大統領がアレクサンドリアで暗殺され、ムバラク副大統領も手を撃たれている。
 その後、ムバラク大統領就任、1981年10月から2011年まで、確かに30年政権であった。
サダト大統領のキャンプデービット・ノーベル平和賞ときた中東和平路線を受け継いできた。ルクソールのハトシェプスト女王葬祭殿でのテロ以後の徹底した治安確保などが主なものとして思い出される。
 内政的にはどうであったかは知らないのでムバラク政権についていうことはできないが、若き頃は空の英雄、シナイの星勲章を授与され、老成してからは親米路線の代表的な人物として、中東の要になっていた。影響はチュニジアどころではなく全アラブへの影響があるだろうと考えられる。


 2.エジプトの今後     
 エジプト軍最高評議会はすべての国際条約を順守することと、この全権掌握は9月の選挙までの暫定的なものであると明言している。

 いわゆる血なまぐさい軍事クーデターと違って、最初から軍は市民相手に殺傷しなかったので、市民と軍の関係は良好である。また、アメリカとの関係も良好であり、今後もアメリカはエジプトを援助していくとオバマ大統領は明言している。そのため、この軍の言葉により、次の選挙を目指して運動の方向性は変わっていくだろう。

 しかしここからが難しいところだ。選挙への道筋、すなわち憲法改正して、だれもが投票し、立候補できる改正をして、正しい選挙の体制を整え、実施しなければならない。
 政党は選挙までのそれぞれの力を伸ばすのはもちろんだが、伸びきれなかった政党なり団体が、これまでよりは良くなるはずの言論によって、意見参加をしていくことができれば新生エジプトのスタートは心地よく始まっていくだろう。ここに暴力・テロが入ったりしてくるとエジプトもその他のアラブも大混乱をきたす。
 まだまだ前途は多難だが、エジプト人の持ち前の明るさで、よい国を作っていくんだという声がたくさん聞こえてくるのはとてもいい材料だ。

 3.諸国への連鎖・・・ただのドミノ倒しでは困る
 チュニジアからエジプトへ、そしてムバラク氏辞任によってさらに広がる気配を見せている。
そういう国はどこなのか?
 アラブでは、長期政権で、どちらかというと親米の方向性を持っている国において、デモが起こり政権に対する批判や打倒の動きが出ている。
 現在の動きを拾ってみる。

*イエメン・・・若者を中心にデモがおき、サレハ大統領は次の選挙に出ないことを宣言した。

*アルジェリア・・・デモがおきている。TV映像に移った商店街の絞められたシャッターには市民によるいたずら書きがあった。そこにはtwitterという文字も書かれていた。
 明らかにそういったものによって瞬時にして他国の民主化の動きを察知しているのだとわかる。

*ヨルダン・・・国民はこの名家の国王および王妃に対して敬愛の念を抱いていたはずだが、ベドウィンぞくたちがラニア王妃が浪費家であるという批判を提出している。ラニア王妃は女性たちの権利や仕事・子育てについて、自分の考えを持って活動し、対外的にもヨルダンにラニア妃ありと思わせる活躍をしている。無駄なぜいたくをしているようには思えない。アブドッラー国王も、情報の間違っている部分についてはきちんと伝えているようだが、首相更迭まで追い込まれても、まだデモはある。

*バーレーン・・・国王は、民主化の声を抑えるためか1000バーレーンディナールを各家庭に配布すると声明を出した。民主化デモを抑える意味がある。
  ひゃ~!お金のばらまき?! 日本円で22万円ぐらいだ、
          こんなにもらったら、政治的意図がとくにない人はデモにはいかないだろう。

*サウジアラビア・・・特にしめつけは厳しい方の国なので、今のところ収まっている。
     しかし、アブドラ国王の健康状態がよろしくないようで、皇太子もまた病気を抱えており、さらにたくさん いる王子たちの間では後継争いが激しいという。内輪でもめていると情勢を見損なうので、要注意だろう。

*長期政権と言ったらなんといっても40年を越したリビアがある。リビアのカダフィ大佐のところで何かがおきたら、それこそ、アラブは揺れるどころか激震になってしまう。

 建国以来の王国や、1970年代の軍事クーデター政権が揺れている。すべての政権を倒しそうな勢いだ。
ではどういう政治を願い、それを実現できるのは誰なのか、本当に倒さねば民主化はできないのだろうか
 新しい情報手段であるtwitterやfacebookが中東を揺らした。人々の情報収集にはよかったが、いささか、感傷的なもので動かされているところも目立った。
民主化に熱気は便利だが、冷静な頭脳と熟練も大事だ。
 
    ◆それぞれの国の民主化が平和裏に進まん事を願う        
              国は壊れるのは早いが、築くのは難しい・・・・・・・・ 

 

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by miriyun | 2011-02-13 10:16 | Comments(8)

チュニジア政変

 ベン・アリ大統領失脚 
 急なニュースに驚いた。
チュニジアのベン・アリ大統領は23年に及んだ政権を維持できなくなり、チュニジアから脱出し、サウジアラビアへ向かった。サウジアラビアは喜んで迎え入れる方向性を示し、事実上の亡命となった。
 2010年12月から高失業率と食料の高騰がきっかけでデモが起き、1月8日以降もチュニスと地方都市で治安当局と学生と市民との衝突が断続的に続いて死傷者が出ていたという。

14日にはチュニスで大規模な抗議デモが発生した結果、無期限の非常事態宣言(4人以上での集団の屋外活動禁止、午後6時から翌朝6時までの外出禁止、不審者に対する治安部隊による銃火器使用の許可)が発令される事態となった。現在、軍が主要施設周辺に配備されている状況にある。また、同14日には、チュニジア全土の空港が閉鎖され、国際線を含め航空機の離発着ができなくなり、旅行者はチュニスおよび近郊の町のホテルに宿泊しているという。(外務省情報のまとめ)

◆フランスからの独立を勝ち取った『建国の父』ハビブ・ブルギバ
近代チュニジアを作り上げたのは ハビブ・ブルギバ大統領だった。
1956年にムハンマド8世アル・アミーンを国王にする条件のもとで、初代首相にはブルギバが選ばれた。チュニジア王国はフランスからの独立を達成した。
 しかし、翌1957年には王制を廃止。共和制を採る「チュニジア共和国」が成立し若きブルギバ氏は教育・福祉などに画期的な考えを持って臨み、チュニジアを北アフリカでも教育の進んだ国にした。
 ところが年を経てからは専横政治に陥ってしまったために、1987年ベン・アリ氏による無血クーデターによってブルギバ氏は失脚した。

 年齢と政治的資質の低下によって失脚したが、それまでの功績は大きく、その名を称えて各地のメインストリートの名前や日本からも学びに行く人の多いブルギバ・スクールにも名を残している。
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 チュニスのメインストリート、ハビブ・ブルギバ通り。
東のチュニス湖から西のメディナに向けて一直線に通った道である。(途中でフランス門に近い方はフランス通りと名を変える)


◆ベン・アリ大統領とは
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                            ↑ ホテルのフロントなどあちらこちらでみるベン・アリ大統領の写真
 ベン・アリ大統領によってソフトイスラームの国として中東と欧米とのパイプ役となっていた。
ブルギバ氏を失脚させたベン・アリ氏であるがブルギバ氏への国民の敬愛を大事にし、演説の冒頭ではブルギバ氏を称える言葉を必ず入れるなどきを使っていたという。
 

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 ハビブ・ブルギバ通りは片道3車線の幅の広い道路であり両脇の歩道もゆったり広い。
さらに車道の中央に緑豊かな並木の連なる遊歩道があり、首都の道としてはダントツに清々しく歩くことのできるおしゃれな街である。 

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 しかし、8年ほど前のことであったが、この遊歩道をデモ隊が旗を持って行進する姿があった。
一応社会主義国でベン・アリ氏の専制でありながら、気楽な参加の感じでデモ行進ができるのは、やはりソフトなのだろうと思ったりしていた。
 
 ベン・アリ大統領に対する不満の大きなものは言論の弾圧であろうか。しかし、これはブルギバ時代に始まった原理主義の動きを抑えることから始まったとみられる。彼は日本でいうところの右派・左派・民族主義・自由主義などすべての批判勢力を抑えた。そのためには新聞規制も行った。治安面の取り締まりがどのくらいであったかは外部から見た自分にはわからなかったが、このことにより国民の息苦しさがあったはずだ。それに対して経済面で発展させ、アフリカでもっとも安定し、豊かに安心して暮らせる国づくりが行われた。
 ベン・アリ路線は言論の自由など国民の権利はじゃましていたが、過激なものは一掃し、ある意味その安定は国民にもヨーロッパ各国にも支持されていたはずだ。
 ところが、彼が1992年に現夫人と結婚、その親族が経済利権を独占し、一方せっかく高い教育を受けても仕事がないという高学歴無職の人材が増えていった。その結果としての貧富の差は不満としてくすぶったのではないだろうか。

 ベン・アリ氏の政権もブルギバ政権と同じく長すぎたようだ。各地に写真を飾り独裁的な傾向を見せる中、口には出せないが不満を抱えている人がいることは、数年前もうすでにチュニジア人の口ぶりから察することができた。当時、旅行者としての自分にはそれが何なのかまではわからなかったが・・・。
 また、失業対策はうまくいっていなかったようで、エンジニアが職がなくて運転士をしていたり、英語・フランス語・イタリア語などを使いこなす才媛が、本来の教師としての仕事にあぶれ仕方なくガイドをしているなどの現状を直接聞いて、驚いた覚えがある。

 ほんとうに突然のことで驚いた。
ガンヌーシ首相が14日、自らの暫定大統領就任を発表したかと思えば、15日には憲法評議会によってフアド・メバザア下院議長の暫定大統領就任を宣言したといい、政権の行方はどうなるのか迷走している。
 日本人は在住175名は在チュニジア大使館が居場所を確かめたということだが、旅行者は130名ほどいるそうで、現地での不安は大きいだろう。15日午前空港の閉鎖が解かれ、一部航空機の運航が予定されているというが、はたして日本人旅行者が東へ向けてドバイ経由なりパリ経由なりの航空機に乗れたのかはまだ不明である。そもそも航空チケットは空港封鎖などの理由で予定通り運航できなかった場合、運航し始めた時に、運休になった便の乗客を運ぶものだろうか。席に空きがあれば手配もするかもしれないが、この状態の時に入国者は激減し、出国者は空港周辺にあふれてしまうわけだから、順調に次々と航空機が動けばいいがそうでない場合、長く影響を残してしまう。
 新しいチケットを買うとしたならばそれはそれで手配しなければならない。いずれにしろ空港は大変な状況であろう。
 チュニスの中心地、ブルギバ通りも今は人がいない状況だという。

「チュニスでは、略奪者の放火の黒い煙がスーパーマーケットの上に立ち上り、主要なバザー近くの店も略奪された。ヘリは低空飛行して放火や略奪を抑えるための偵察飛行をしている。オレンジとバナナを売っている商人フェデラは民主主義を望むと言ったが、それが起こるかどうか心配していると言っていた。彼も混乱の中で店を閉鎖している。ベン・アリ大統領の出発に続いた不安は一般の人を怖がらせている。
 空港は土曜日に再開されたが、いくらかの飛行はキャンセルされている。何千もの観光客はまだ残っている。トーマスクック社のドイツの子会社は金曜日に200名をチュニジアから出国させたがまだ1800名は待っている。
 ベン・アリ氏による統治は市民権と言論の自由をがないものであったが、近隣の国よりもよい生活を国民に与えた。ベン・アリは経済を競争的にしてビジネスを引き付けるため改革をし、海外から賞賛を勝ち得た。経済成長は昨年度3.1%であった。失業率は14%、ただし、若者の間では52%だった。
 許可証なしで果物と野菜を売っていた26歳の教養ある青年が、警察にその果物等を押収され、彼は失業中の12月に自殺した。このあと、暴動は始まった。」 UAEのKhaleej Times  15 January 2011 より一部引用(ただし、意訳なので、詳細は本文で確かめてください)


 旅行社だけでなく、まずは日本の政府として希望者は無事に出国できるよう図ることが第一だろう。各国は自国の観光客等をいかに帰らせるか考えていることだろう。


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by miriyun | 2011-01-15 19:06 | Comments(2)

中村哲さん&アフガニスタンの砂漠に村を!

 アフガニスタン・・・武器ではなくて緑で平和を 

ペシャワール会の中村哲さんのこれまでやってきたことは紛争が激化するごとにつまずき、再考し、再び活動を開始ということを繰り返してきている。

◆ まずは医師としてアフガニスタンに赴き、活動する。そのためにペシャワール会を作り、その団体としての活動で医師と活動を長年続けてこられた。地元に溶け込み、地域の長老を訪ね納得させてkらの現地へ入ること、病人を診るために都市部にいるのではなくひつようとあればあの険峻な山々へと現地の服装と丸い帽子を身につけ、スタスタと山を歩いて診察に行く。

◆ ソ連侵攻以来の戦禍とそしてユーラシア中部に続いた干ばつの影響で食べていくことができないこの土地に逃げた農民が返ってきても水がなくて生きていくことができない。
 そこで井戸を掘ることをはじめて100もの井戸を掘ったのが第二段階。
しかし、戦争はアフガニスタン人のかかわりのない9.11の事件から激しくなり、一時撤退することにもなった。そのとく、「あなたがしてくださったことは決して忘れない」という長老の言葉と、中村医師の、「また戻ってくる」という言葉が忘れられなかった。

◆ そして、直接的な退避勧告が収まり。実際に中村医師は戻り、ボランティア的に入ってくる仲間も増え、、あらたな日本人スタッフも増えたのだ。そうしたときに医療では治療ということでやっていかれるが、根本的なのは食べていかれない人がたくさんいることだと考え、究極的に用水路を引くことで乾燥した砂漠や荒地しかないところを緑にすることが『武器を持たずにアフガニスタンを再生する』ために考え抜いたのが、地元の人の力で用水路を砂漠に引き、農地にし、緑の大地にすることだった。

 何年か前のTVで紹介されたのは、中村さんが選んだ土地に立ち、どのように何をするのか一人ひとりに指示する姿が見えた。

 中村さんの夢ともいえるような大計画
      ・・・・このような計画はお金持ちの国が巨額予算で遂行するアラビ半島や、旧ソ連時代の自然改造計画、リビアのカダフィ大佐による緑の計画に沿った大水道など、国の権力者や国家予算がたっぷりと使われたときにはじめてこういった大型プロジェクトはおこなわれるのであって、一人の医師の考えにより、お金も専門家もいないではじめたプロジェクトなどはこれまでなかった。これができたらすごいことだがどうなるだろう、というところで前回の報道は止まっていた。


 緑の大地!! 

今夜、NHKのETV特集で、その後が紹介された。
 そこで見たものは、想像以上に大きな溝が穿たれ、そこに立派な堰もできて管理されるようになり、きれいな水が流れる用水路の姿だった。
 そこから水が上流から下流へと流れ、あの白っぽい大地が一面、緑に変わっていた。植えた樹木は根を梁用水路の岩壁を強くしていく。用水路には魚もたくさん増えてきた。
 畑でできた小麦の穂が風に重そうになびく様子に心から感動を覚えた。感動なんて言葉を安易に使うのは好きではないが、きょうのこの映像には心から感動したのでそう書かざるを得ない。
 15万人の人が食べる量が産出されるようになるという。
農民は言う。「食べていくことができるなら、家族と共にここに住みたい。戦争はもうイヤだ。」
 中村哲さんが考えたのもそこなのだ。食べていかれない人がいる。アフガニスタン国民のほとんどがもともと農民である。農業をして食べて行かれる状況ができるようにすることが平和の道だと。
 
 そのためにはこのプロジェクトを成功させなくてはならない。中村さんがここにいなくなってもこの用水路や堰がしっかりと保守運営・修理されなければすぐに壊れて、もとの荒地に戻ってしまうのは確かなことだ。
 そこでこの用水路の下流に80戸の農民の住む村をつくり、長年共にやってきた人を中心に住まわせて、ここで用水路を保守点検しながら守っていく村を作ろうとしたのだった。日本の甘いスイ化もこの地にあった綿花もできている。実験農場を作って何の作物ができるかを探ってもいる。大根・蕪なども次々とできている。農民達の顔に生活できる安堵感が出てきた。
 本格的に村ができるのはこれからだが、この形が成功すればアフガニスタン全土で、民衆がこういうことをやる実験プランになるだろうという。

 今後、日本政府は給油活動にかわる援助資金を出すことは決めていてもそれを何に使うのかは決めかねている。いろいろな思惑の重なる中でそのメンバーの一人に選ばれた中村医師は苦悩する。

 食べて毎日を生きていく民衆に関する報道がない。戦争に自爆や双方の兵士の死など事件しか報道しない、一般の国民が生きていかれない、食べていかれない・・・・ということをなかなか理解してもらえない。日本のよう食糧自給率が低くとも、他の仕事がたくさんあってその給料で食べていくことができる国では、農業ができないことはすなわち飢える・・・ということが理解されにくい。
 そのため中村さんたちがすることもタリバンよりだ、アメリカよりだとかの政治的な話に翻弄されてしまうことが多く、アフガニスタンをよく知っている中村さんの提案も簡単には通らないようだ。

 アフガニスタン。中村さん自身もその地で共に活動していたスタッフであった伊藤さんを殺害されてからは、日本人スタッフを日本に返して、自分だけで頑張っていたようだ。
 そういう土地だからこそ、大地を緑にすることで農民を定着させ安心して家族と共に暮らせるようにしていこうという気持ちが切々として伝わってきたのだった。

  応援していきたい・・・。


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by miriyun | 2010-11-14 23:50 | Comments(2)

若者よ、海外へ!!

1. ノーベル賞受賞者よりのメッセージ*若者よ、海外へ!!
 10月6日の希望のニュースといったら、なんといってもノーベル化学賞である。北海道大名誉教授の鈴木章氏(80)と米パデュー大の根岸英一氏(75)の快挙であった。
 この中の根岸英一氏は、
 「日本はすごく居心地がいい社会なんでしょうけれど、若者よ、海外に出よ、と言いたい。たとえ海外で成功しなくとも、一定期間、日本を外側からみるという体験は、何にもまして重要なはず」と、奮起を促した。


  2.国際研究交流の概要
 それでは、実際は若者の海外への研究志向はどうなのか、調べてみた。

 文部科学省は、日本の国公私立大学・独立行政法人等と諸外国との年間の研究交流状況等を把握し、国際交流推進施策に関する基礎資料とすることを目的とした資料の中で、次のような結果を発表している。
・短期派遣研究者数は近年横ばい傾向で推移している。
・長期派遣研究者数については、欧米への派遣者数の大幅な減少を中心に、ピーク時の半数以下にまで減少している(平成21年度は微増)。
・今回から新たに調査した、1年(365日)を超える派遣研究者数は373人(全体の約0.3%)。
                                  文部科学省 10月8日報道発表より引用


平成21年度の結果だが、  
外国人研究者が日本にきた場合
受入れ研究者総数(平成21年度) 41,251人のうち、長期受入れ研究者数(1ヶ月以上) 13,381人いる。
1年以上の海外からの研究者受け入れはそのうち6343人と長期のうちの半分近く、全体の15パーセントを占めるものだった。

それに対して、
日本人が海外に研究に行く派遣研究者数(平成21年度)は一見 141165人と多いし、減ることもなく横ばい状態だ。しかし、そのうち、長期派遣研究者数は、3713人と、ピークだった平成12年度の7674人の半分にまで減ってしまったのだ。さらに驚くのは研究といったら導管あげても1年と以上やってこそと思うのだが、
1年以上日本人が海外で研究する人が373人、海外に出る研究者全体の、たった0.3パーセントなのだった。
 
思った以上に研究場所を海外に求めるのが低迷していて、根岸教授はこれのことを言っているのだと思った。

そして、さらに地域別の派遣者を見ると、アメリカへの派遣者も低迷し始めている。これが、先日哲学の教授の素晴らしい講義にも日本からの学生がほとんど見えないという事実とつながっている。
 ノーベル賞を受けた根岸教授もそれを言うのだ。いぜんは根岸教授のところにも日本人の学生がたくさんやってきて学んだ。ところが今はほとんど来ないというのだ。

日本はなんだかんだといっても豊かだから出て行かない。ハングリー精神なんて入らないのだ。小さくまとまってそれでいいという感じが大学生にもあるそうで、とても残念なことだと思う。
 人間は、体力の衰えとは逆に、知識を求め疑問を追及したい気持ちはどんどん高まる。どうして、そんなに時間があるのに学びに行かないのだと思ってしまう。

◆さて、中東はどうなのか?
もとよりマイナーな地域であるから、文部科学省発表の折れ線グラフの底辺で地をはっていたのが中東に出て行っている研究者数をあらわしていた。

~~~~~~~
中東は、気候風土の厳しさに加え、風俗も食べ物も生活環境そのものも異なる。「インシャアッラー(アッラーの意のままに)」「ブクラ(あした)」「マーレイシュ(しょうがない、まあいいさ)」というアラブのIBMになれる必要もある。
何しろ、体質が合えば取り付かれるが、多くはその厳しさを思うだけで引いてしまうのだろう。そういうところだから、なおさらじっくりと腰をすえて取り組む研究者が中東は少ないと思われる。吉村教授などエジプト学関係者やイラク・シリア方面の考古学研究者はかなりいるが、それ以外ではほんとうに少ないのだ。
 そうした中では、現地の国との間で企業人として働いた商社マンやオイルマン、文化面での交流者が大きな役目を果たすことになったのも容易にわかる。
 
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by miriyun | 2010-10-17 16:37 | Comments(4)

はやぶさの帰還

 いよいよ今夜!

もちろん画像はないからお祝い画像を作ってみた。中東のハヤブサ君の友情出演です。

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小惑星探査機『はやぶさ』が小惑星イトカワでの役目を果たし、故障・トラブル・行方不明と紆余曲折を経て、しかし、決してあきらめずにハヤブサの位置を探し続け、調整し、帰還の途につかせたスタッフの努力で、今夜初めて他の惑星の探査をした探査機が帰ろうとしている。

                 JAXA はやぶさ、地球へ!

* 史上初めての、仕事を完了しての探査機の帰還であり、これからの宇宙開発に大きな一歩を刻む帰還である。
大気圏再突入の時刻は
  ・6月13日 19時51分(JST)頃:カプセル分離
  ・6月13日 22時51分(JST)頃:カプセル再突入


 やはり、科学技術の世界は一番を目ざさなければいけないよね~!
JAXAやコンピューター開発の予算を削っては、日本の未来が見えてこない。
がんばれ、希望の星、『はやぶさ』!!


・・・・・・・・・≪追記≫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 帰還、おめでとう!!

翌6月14日、新聞の一面トップは久しぶりに科学の話になっていた。
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                                  ↑ 読売新聞

 小惑星観測機『はやぶさ』は最後の仕事、分離と地球の写真を送ってのち、予定通り大気圏突入で燃え尽きた。TV画面でも映し出された。7年という長い旅を終えたはやぶさは、見守る人々の瞳に青い炎となって焼き付けられた。
 そして資料が入っているはずの小さなカプセルはオーストラリアのアボリジニの聖なる地に落下した。小さなカプセルは大気圏を突入してきたというのに傷一つなく、無事に地上に着いた。 これを開封するのに2週間、その後解析に数ヶ月を要するという。

 中身が塵であろうと砂であろうと、
    3億km先のイトカワのその粉塵にさえ地球の歴史が刻まれていること、
 そして、月より遠くの惑星に出かけて、予測できない事態の連続下でも帰還させたという事実
    ・・・・世界で始めての快挙である。

この二つのことに、心からの拍手を送りたい。

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by miriyun | 2010-06-13 11:43 | Comments(8)

アイスランドの噴火と気候と食糧と

 冬のごとし!1

 「12月、やけに暖かい日が続いて、菜の花など先、ツクシも生じ、陽気は3月のごとし。
翌春、さあ、本格的な春で尚更暖かくなるだろうと思っていたが、
冬と入れ替わって寒気甚だしく、その上雨の降る日が多く晴れの日はがまれだ。
 さて、5月になれば暑気の季節になっていくはずだが、田植えのときになっても寒さがまだ消え去ることなく、
人は皆、綿入れを着て、火にあたる。」

・・・・これは、じつは1782年の12月から1783年の5月までの様子である。(『農喩』より、意訳して引用}

 冬のごとし!2
 かたや、4月の日本では・・・
 冬のコートを店頭に出すとよく売れる。春・夏服が不調で売り上げが下がったユニクロ。ドラッグストアではホッカイロありますか?と言う客が多いので急遽店頭にホッカイロを並べた。灯油を買いに行く人がいて。灯油代も値上がり気味。クリーニングにだしたコートやダウンウエアをもう一度引っ張り出した。植えた菜園プランターのトマトが枯れた。野菜が高い・・・などと言う話が、この2010年4月の話題だった。

 異常気象なんてものは長い地球の歴史からするとちょっとしたことで、異常異常と騒ぐほどのことではないかもしれないが、それが人間の生活や食糧に関係するとしたならば笑っていられる段階ではなくなる。花見の時期とゴールデンウィークが重なるかなどと言う段階ではなくなる。
 だから、大分前から気になっていた。

 アイスランドの火山噴火・・・エイヤフィヤトラヨークトル(Eyjafjallajokull)氷河
 そこへ今月、4月14日のアイスランドの火山噴火。大規模火山噴火で噴煙が8000mまで上がり空の便が火山灰のため大混乱している。すでに17000機が運休した。各空港の閉鎖によって家に帰れない・仕事にいかれない、ヨーロッパ旅行はどうなるの・・・多くの方の悩みはこういったことではないだろうか。
 噴火はアイスランドの南部、海岸に近いところでおき、その噴煙は南東に向かって流れ、北海上空に及んだ。そこからさらに風に乗ってイギリスはもちろんフランス・オランダ・ベルギー・ドイツ・デンマーク・フィンランド・スウェーデンなど22カ国に及んでいる。おそらく今後、物流にも大きな影響をもたらしていくだろう。

◆アイスランドの火山
 アイスランドは氷河が多いし、温泉が豊富で美しい国であると知られている。しかし、この国は火山学者にとっては特別な存在といっていいだろう。

 北米プレートとユーラシアプレートの境にある中央海嶺の真上にある国がアイスランドである。地球の割れ目にあたり、そこから大量のマグマが噴出する。
 人類が有史以来見てきた火山活動はローマ時代のポンペイや、神話の時代のできごとなど数え切れぬほどある。だが、人間が映像として残したもののなかで、とくに印象に残ったのはアイスランドの噴火であった。ヘリが飛んでいく先に一列にプレートの境そのもののように蛇のように連なるマグマの噴出口、あぁ、まさしく地球は生きていると思ったものだ。

 そこでまた、噴火が起きた。昨年の夏からの噴火だと言うが、ここへきて火山灰の量が激しくなったものである。数ある世界の火山の中でも不定期に大きな噴火を起こす火山、その規模はほかの火山の規模とは全く異なる。


 18世紀の冷たい夏・・・浅間山とアイスランドのラキ火山
 アイスランドの噴火、小さく載っていた浅間山の警戒度を下げたと言う記事、今朝横浜に降ったアラレ、
これは、自分にとって『農喩』記載の言葉を思い出させ、次のできごとを思い出させるに充分な刺激だった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆1783年、冷たい夏◆
寒くて冷害の予感に恐れおののいていた農民達にとっておどろくべきことがおきた、7月、いつもは小さな噴煙を上げている浅間山が数日に渡って大噴火をおこした。村を丸ごと溶岩が飲み込み火山弾が降りそそぎ、火山灰は高く高く吹き上げられ、太陽を遮り関東・東北に降りそそいだ。

 太陽を遮断されたことによって、寒い夏におびえていた人々は絶望を突きつけられる。イネは曇天の中、育っても稲穂の中身は空であった。
 ききんである。

 こうして始まったのが◆天明の大飢饉である。

 広域でのききんの怖いところは長期化することである。
 農民はふつう食べたくても種籾だけは残しておくという誇りを持っている。ところがこういう大きなききんでは命が失われるわけであるから翌年の事など考えられない。まず今を生きるために種籾も食べる。もちろんのやまや海の植物・昆虫・動物は食べつくす。ふだんは大事にして消しいて食べない馬だって畳だってござだって、革製品まで食らってしまう。
  東北を歩いていてたまたま見ていた学者がいる。「解体新書」の翻訳で名高い杉田玄白は『後見草』という手記に『食べられる限りのものを食べ尽し~』と言うように表現している。
 それでも餓死していったのである。
こんな状況であるから、翌年も人ではない、種籾はない、藩からの救いはないということで農村は疲弊したままで数年に渡ってききんは続いてしまう。歴史上悪しざまに言われる田沼意次の改革、新田開発・新しい外交と貿易の道はこれによって閉ざされ、失脚した。

◆ヨーロッパの冷たい夏
 浅間山と同じ1783年7月、遠くアイスランドのラキ火山が噴火した。
 この大噴火の規模は、まず噴火口が長さ25kmにわたり、そこから溶岩が噴出し続けた。それも8ヶ月もの長期に渡る。二酸化硫黄を含む火山ガスが高度10000mの成層圏まで達し、それがジェット気流に乗り北半球を覆った。
 太陽は覆われた火山灰やガスの向こうにうっすらと存在が確認できる程度で、しっかりと陽が当たることがなくなり、平均気温が下がり、農作物は壊滅的な打撃を受ける。アイスランドはもちろん欧州各地でききんとなり、フランスでは小麦の不足・高騰により、「われわれにパンを~!」という主婦や市民の運動になっていく。
王と王妃の処刑にまで及んでしまうフランス革命である。
     ・・・火山噴火は体制まで変えてしまうものなのだ。

 国民を飢えさせないこと
 天明のききんでもフランス革命でも、感じることは政治家は国民を飢えさせないために全力で戦わなければいけないということだ。使命感を持って、あらゆる障害を排除しても飢えさせないための対策を事前に重ねていかなければならない。

 天災はどうにもならない仕方がないことだと思ってはならない。信念を持った政治家は対策を練るものだ。ききん対策のために米保存を呼びかけた策はそのあとやってきた中・小規模のききんには役に立った。名君、上杉鷹山のひきいた極貧の藩は、農民から武士、そして君主まで粗食であったが、君主自ら作らせた野草の食べられるものを書き出させ農村に配布し、家の垣根には食べられるものを利用し、ききんにおいてその後、餓死者を出さなかった。  
 また、江戸時代全般にわたって幕藩体制の中で、物流への配慮と米を販売する商人への対策を積極的にやらなければならなかった反省点も残る。

 マニュフェストに縛られこね回し言い訳を考えるより、国民を飢えさせない、国民を守る――そういう確かな理念に基づく政策が今後求められる。
      長い歴史のある日本は、見習うべき史実に事欠かない・・・。

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by miriyun | 2010-04-17 09:33 | Comments(8)

インターネットと地域別在留邦人

一年前、Flag Counterを何気なく入れてみた。
2009年3月28日と導入した日付を入れておいた。それは1年間でどのくらいの国とネット上でつながっていくのか興味があったからだ。
 また、世界の在留邦人の数はどのくらいになっているのだろうか。統計的興味を持って数字を見た。

100万人を超える海外在留の日本人
 
 海外在留邦人は平成17年に100万人を超えて平成20年には111万人となった。そのうち、永住者は36万人に対して長期滞在者75万人である。

 その中で、外務省は世界をアジア・大洋州・北米・中米カリブ・南米・西欧・中欧東欧旧ソ連・中東・アフリカ・南極の10の地域に分けて統計をしている。
 
 平成19年と20年とを比較すると最もその邦人数が増えたのはどこか。前年比+10.28%の中東だった。ドバイやカタール・サウジアラビアなどの産油国の景気のよさに、仕事等で渡った人が多いからだろう。とくに邦人の伸び率が高いのはドバイであり、さもありなんと思う。ただし、ドバイショックはこの統計のあとなので当然その後はやや減少しているはずである。

 ところで、伸び率と実数は異なる。絶対数はまだまだ少なくて海外在住の邦人数のうち39%の43万人が北米に住む。 それに対して、伸び率は高いとはいえ、中東全体で9000人台である。まだまだ、中東の邦人は貴重な存在なのだ。   

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                                ↑ 外務省領事局政策課の海外在留邦人調査統計(H20.10.1現在)の数値をもとにmiriyunがグラフ作成

  ◎ここでのテーマとは関係ないが、南極が調査地域としなっているのは面白い。
    詳しく言うと邦人は29人である。
    これは南極観測の昭和基地とみずほ基地の観測隊員の人数であろう。
 

◆さて、国・地域別での在留邦人数の多い国を見ると
1.アメリカ    2.中華人民共和国   3.オーストラリア    4.イギリス    5.ブラジル
6.カナダ     7.タイ           8.ドイツ         9.フランス    10.大韓民国
11.シンガポール  12.台湾     13.フィリピン     14.ニュージーランド    15.アルゼンチン
16.イタリア    17.インドネシア   18.マレーシア    19.スイス       20.ベトナム
21.スペイン    22.オランダ     23.ベルギー      24.メキシコ     25.グアム
26.パラグアイ    27.アラブ首長国連邦          28.インド    29.ペルー     30.スウェーデン
31.ボリビア     32.オーストラリア   33.ロシア     34.チェコ      35.アイルランド
36.トルコ   37.ポーランド      38.南アフリカ   39.ハンガリー   40.コロンビア
41.デンマーク  42.フィンランド    43.チリ     44.北マリアナ諸島   45.サウジアラビア
46.カタール   47.エジプト     48.パキスタン     49.ドミニカ      50.イスラエル  

◆ これらの邦人が多い国50各国を並べてみるとイスラームの国はなかなか登場してこない。アラブ連盟加盟国では27位のアラブ首長国連邦が一番最初に登場してくる。やはりドバイに集中して邦人が増えた影響が大きい。

Flag Counterに見る世界ネット事情      
このブログでFlag Counter をおいて一年、2009.03.28~2010.03.29で、130カ国になっていた。

 日本語ブログであるため、日本人が多い国が多くなるとも考えられるが,数でいうなら北米・アジア・西欧中心になるものだ。
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 訪問者が多い順にのっている。
 日本・アメリカは当然として、3番目にアラブ首長国連邦、7番目にトルコ 8番目にマレーシア 以下、50番目までにエジプト・サウジアラビア・インドネシア・イラン・カタール・ヨルダン・アルジェリア・モロッコ・シリア・イエメン・チュニジア・バーレーン・クウェート・パキスタンと続く。
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51番目からあともほとんどのイスラーム国が入っているかなと思われるくらいにイスラーム諸国が多い。

 内容がイスラームであるために在留邦人の人数比どおりにはならなず、イスラーム国からの訪問が多いことが特色として現れてきた。

 また、インフラ整備の具合などがまだまだか国の間で影響しているのが見て取れる。さらに治安の悪化している国・国家的にインターネットが自由に動いていない国も登場してきにくい。

そして、たった1年間で、193ほどの世界の国(地域)のうち、130ヶ国にあたるところに在住の方と接することができるインターネット時代の潮流・・・それを、この小さなブログでさえ感じられる世の中になったことに驚嘆している。
 インターネットは確実に世界を輪の中に取り込んでいる。


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by miriyun | 2010-04-01 23:58 | 中東について | Comments(8)