タグ:◆イスタンブル歴史紀行 ( 113 ) タグの人気記事

見つめる目(2)

 見つめる 
                              ◆見つめる人たちを、こちらも見つめてみた。

c0067690_23301187.jpg

                               この女の子は、怖がることもなく、興味津々と見つめている。
                               ハトの動きをじっと見つめていた。
                               見つめる目と共に、右手の緊張感もかわいい。


c0067690_23304478.jpg

  
             おじいさんとおばあさんは、ハトの大群の中にいながらハトを見つめていない。

              彼らが心で見つめているのは
                              ・・・・・・ 孫だった。

     
       
                                                     ご面倒でしょうがポチッと応援よろしく!勇気づけられます        
                                                                 人気ブログランキングへ
by miriyun | 2009-10-01 23:35 | Comments(8)

見つめる目(1)

c0067690_7195488.jpg

気持ちに余裕があると、見つめる目が優しいな~!

 そう思って撮った、イェニ・ジャーミー前。
                                               ご面倒でしょうがポチッと応援よろしく!勇気づけられます        

                                                              人気ブログランキングへ
by miriyun | 2009-10-01 07:18 | Comments(2)

「涙の柱」を求めて

 イェレバタン・サラユの涙の柱
 
c0067690_6585663.jpg

 治水のためのイェレバタン・サラユ(地下宮殿)には、古代ローマの柱がびっしりと再利用されている。
その中で、とくに目を引くのが、涙の柱といわれるものだ。
 光っているのと、緑なのは常に水が上のどこからか出ていて柱がしっとりとぬれているためだ。
 
c0067690_6595826.jpg

 涙のような形で、しかもぬれているから涙の柱といわれている。
だが、よく見ると涙のドロップ型から出る筋の向きが涙の形としては逆さに見える。だからピーコック型ともいえる。すなわち、クジャクの羽根型である。
 しかし、地中海沿岸、いたるところにローマ遺跡はあるが、ローマの文様にこのような文様は見たことがない。 イスタンブルの歴史は古くローマ帝国以前から、いろんな民族がきている。しかし、これだけの柱を作るとなると、ギリシア・ヘレニズム系だろうか?

博物館での置かれ方
c0067690_701363.jpg

                      ↑ 周囲の建物も柱と同じ灰色で見にくいので、背景は淡色にしてある
 ローマ帝国以前のものであるというが、詳しい解説は本やWebでもなかった。

 そこで考古学博物館へ行ってみた。
館内に展示はなかったが、外で見つけた。なんと野ざらし状態で番号を付けられただけで置かれていた。
もちろん説明書きなどない。

街の中にも・・

c0067690_703065.jpg

 イェニチェリレル通りを西に向かっていったら・・・

あった!!
本来ここにあったものなのか、地下宮殿よりもずっと太い柱の残骸が残されている。

c0067690_70315.jpg

なかにはこのように柱が突き刺さっているのもあった。
しかも、涙文様(ピーコック文様)が逆さ!? 

こんな町の中にごろごろ、ローマ以前と思われる遺跡の柱がある。

 これこそが、イスタンブルのすごいところなのだと改めて感嘆した。
しかし、いまだこれがいつのものか確定できないのが残念だ。(なにか情報のお持ちの方がいらしたらどうぞよろしくお寄せくださいませ~!)

            ・・・・・・・なかなか真実を見せてくれない『涙の柱』紀行でした。

                                                  ご面倒でしょうがポチッと応援よろしく!勇気づけられます        
                                                                 人気ブログランキングへ
by miriyun | 2009-09-25 07:04 | トルコ | Comments(0)

朝日のスルタン・アフメット・ジャーミー

c0067690_1433781.jpg

                     ↑ スルタン・アフメット・ジャーミー(ブルー・モスク)朝景
 
◆イスタンブール・・・アジアとヨーロッパが交錯する町、どこから見ても絵になる町である。

 夜明け、太陽はアジア側の山からマルマラ海を照らしながら昇ってくる。
     それをヨーロッパ側のモスク越しに見ずにいられようか。
           
朝日はスルタンアフメット・ジャーミーのシルエットをくっきりと浮かび上がらせつつ、空の色を変化させていく。 
やさしい朝の色に感謝しつつ、一日が始まる・・・。

                                  応援クリックお願いします。
                                                       人気ブログランキングへ



                 
by miriyun | 2009-08-13 02:39 | 写真館 | Comments(0)

ステンドグラス&ランプの饗宴

 スルタンアフメット・ジャーミー
 スルタン・アフメットがたてさせたこのモスクは、一般にブルーモスクとよばれる。
壁一面に美しい青を基調としたタイルがあるからだ。しかし、タイルは遥かに上のほうで、見学者の入れる位置も限定されるため、実はあまりブルーを意識するほどタイルをマジかに見ることはできない。
 そして、一部撮影してみて感じたのは長い間に染み付いた汚れやキズがあり、さほどきれいだという印象にならなかった。もちろん、窓やミフラーブに近いところには見たこともないような見事なタイル文様が見られるのだが、何分遠い。

 また、柱が象の足と表現されるほど太いので建築としてうちから見渡すと、どこか無骨でなじめない。
 
c0067690_1745476.jpg

 それよりも260もの窓がそれぞれに彩られていることのほうに興味を覚えた。
こういうモスクランプとステンドグラスという異質の光の組み合わせであるが、とても美しいと思う。

 あまりにも巨大な空間なので全容がつかめないが、まだまだ、これから探求してみたいモスクの一つではある。

                                                 応援クリックお願いします。
                                                         人気ブログランキングへ



                  
by miriyun | 2009-08-12 16:24 | トルコ | Comments(2)

”ジャーミー”シルエット

c0067690_9464897.jpg


モスクは、近づいていくほどに外壁の文様・タイルや浮き彫りの外壁へと目は吸い寄せられてしまう。
また、たいていのモスクは大きすぎるので近くで見ると全体像の良さは見えなかったりする。見通しのいいところであるならば、かえってすこし離れて太陽がモスクの向こう側にある逆光のほうが姿の良さが浮かび上がる。

 ホジャ・パシャ・ジャーミー(イスタンブール)
 観光地ではないから、かろうじて詳細地図で名前を調べた。こうしたジャーミーもドームをのせた姿、すくっと建った塔の姿はやはり安定していて町を見守る大事なジャーミーだと感じさせられる。

 外壁がやや無骨なトルコのジャーミーはこうして全体のフォルムを見ていくのが好きだ。


                                    応援クリックお願いします。
                                                  人気ブログランキングへ




                          
by miriyun | 2009-05-08 23:04 | トルコ | Comments(2)

カレンデルハーネ・ジャーミー

 ビザンティン建築としては、いわずと知れたアヤ・ソフィアがあるが、他にもあるはずだ。
例えば、スレイマニエ・ジャーミーの南西にカレンデルハーネ・ジャーミーがあった。

カレンデルハーネ・ジャーミー 

c0067690_14125920.jpg


ここは、ローマ時代には浴場があったということが発掘でわかっている。その上に初期ビザンチン教会ビザンチン様式の教会だったといわれる。その後12世紀にここに修道院の教会が建てられたのではないかといわれているが名は断定されていない。
 その後13世紀には第4回十字軍によって占領されたため、ラテン王国に支配されていた間はここはカトリックとなる。
 15世紀、ファーティフによってオスマン朝支配になると、当然アヤ・ソフィア同様、ミナレットを付けられモスク(ジャーミー)になったものである。
 実はここは、バスを降りて、脇を通っただけで中を見たわけではない。しかし、立派な建築物であるが、様式が異なり、おやっと思った次第である。やはりただのモスクではなかったのである。

 ローマン風呂の跡に始まり、古代モザイク、キリスト教関連の壁画も発掘があり、たった一つの建物でもその変遷が街の歴史の一部を反映しているのであった。

~~~~~~~~~~~~
◆ なお、ボスポラス海峡の陸地側工事は遅れているが、それは請負会社の問題ではない。
掘れば掘るほど出てきてしまう古代や中世の遺跡や遺構によりその発掘をきちんとやってから出ないと工事を進めることができないという事実によるものだ。

 たしかにイスタンブールならさもあらんと思う・・・。



                             応援クリックお願いします。
                                                  人気ブログランキングへ
by miriyun | 2009-05-04 14:14 | トルコ | Comments(6)

ボスポラス海峡海底トンネルと日本の技術

 2008年の金融恐慌により日本の輸出産業・建築・不動産関連もあえいでいる。
ただし、20世紀の世界恐慌のときとは違って無策ではないとは思うので、そこがどうなってくるのかまだ希望が残されているところである。

 大成建設というゼネコンがある。
日本の公共事業の激減後の事を考えて、中東への進出を本気で取り組んだ。中東ではこれまでに石油・天然ガスプラントや積み出し施設・空港など多彩に展開している。
 さらにドバイとのつながりを強くしようとしていたがそこにこの恐慌で見直しと責任が問われつつあるという。

 このゼネコンについては以前にイスタンブルの海底トンネル建設で取り上げていた。そこはどうなっているのだろう。

ボスポラス海峡海底トンネルは今・・・・       

c0067690_1320455.jpg

イスタンブールのヨーロッパ側とアジア側をつなげる海底トンネルは、潮流の激しさから工事が困難な場所であるため沈埋トンネルといって、11に分けて幅15.3m、高さ8.6m、長さ98.5~135m の函体をつくっておき、それぞれを仕切って1個ずつ慎重に海底におろす。GPS およびマルチビームを使用して次の函体も寸分の狂いもゆるされず置かれて行く。そしてつなげた11個が一つのトンネルとして貫通する。
 
 海上ではこの写真のように工事用の設備が置かれているだけのものであり、海底でこのような高度で困難な世紀の工事が行なわれているとは想像さえできない。

 ここを昨年取り上げ、詳しく解説したNHKはさすがだと思ったし、よくぞ解説してくれたものだと喜んだ。NHKの役割は、冷静に世界や国内を見つめ事実を伝えるとともに、こうした日本が誇りに思って良い技術と仕事を伝えることでもあると思う。

 その後、沈埋工事は無事終わり、昨年のうちにボスポラス海峡の海底、約1400mはアジア・ヨーロッパが歩いていかれるほどにつながった。
c0067690_13263355.jpg

                                       (↑ トンネル写真はNHK沸騰都市より、引用)
 もちろん工事関係者でなければ歩けないし、向こう側の岩盤にたどり着いただけであり、そのまま地上に上れるわけでもない。今度は陸地の地下工事が延々と約9km超の距離を複線分なので、総延長19km行なわれ、鉄道がつながるまでにはまだ長い道のりがある。地下工事は日本が作り出した有名なシールド・マシーンが使われている。これの存在はユーロ・トンネルの掘削に使われた頃から知っているが、回転しながら土をかきだしながら進む、超高度なモグラ機械である。

◆西から東へ向けて鉄道は通る。
 イスタンブールの、今はさえない国鉄の続きとして建設される。カズリチェシュメ駅から地下に入り、イェニカプ駅をへてシルケジ駅にいたる。この駅を出てすぐにボスポラス海峡に入り、そこの沈埋トンネルを進む。最深部は海面下60mであり、そこからトンネルは上り傾斜であり、1400m進んでアジア側につき、すぐにウシュクダル駅にたどり着く。(参考:(社)土木学会岩盤力学委員会ニューズレターNo.7)
 さらにその先はどこにつながるのか。まずはアジア側都市の住宅地の人達が簡単に通学・通勤ができる。その先どこにつながるのかは聞いていないが、将来的には各地の遺跡も陶器の町へもそのままのっていかれたり・・・。もちろん物流の動きは一気に加速するだろう。

*不況下とはいえ、このようにすでに発注され進行しているものについては、相手国の支払いさえ滞らなければ予定通り進んでいくだろう。施主が国であるから、要らぬ心配だろう。
 トルコにとっては、確実に経済効果が高くなるトンネルであるし、ユーロ加盟への弾みになるかもしれない。

◆これらの高度な技を駆使して、日本の企業が3年後には又一つ、仕事を成し遂げるはずだ。
ボスポラス海峡海底トンネル・・・まさしく『地図に残る仕事』になるはずだ。(大成建設の宣伝を引き受けているわけではありません、ただ、この言葉は好きなので)
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆このような世界的なゼネコンであれ、下町の小さな町工場であれ、日本が誇りにしていい技術があって日本はのびて来た。
 恐慌といわれるこの何年かをいかに会社と労働者を生きのびさせ、技術を残させていくか、
そこにこそ政府の真の力量が問われてくる。

                             応援クリックお願いします。
                                                  人気ブログランキングへ
by miriyun | 2009-04-12 14:06 | Comments(10)

黄昏のガラタ橋

c0067690_658956.jpg

 ガラタ橋より黄昏のイスタンブル。
左からは2本の釣竿がのび、スレイマニエ・ジャーミィのシルエットに重なる。

c0067690_658298.jpg

ガラタ橋は昼も夜も、晴れも小雨も変わらず、釣り人たちが釣竿をずらりとならべている。

*昨年来の世界的恐慌は、日本同様にイスタンブルでも雇用に影響している。
普通は目に見えないリストラの影響が、ここガラタ橋の釣りをする人が増えていることにも現れているという。

c0067690_6584181.jpg

黄昏の中、今も運搬船・観光フェリー・釣り船が行き交う。

ボスポラスの黄昏には、
  古くからの歴史と、今を思う感傷と、
  海からのひたひたと押し寄せてくる力を感じさせられる・・・


                             応援クリックお願いします。
                                                  人気ブログランキングへ
by miriyun | 2009-04-10 07:15 | Comments(8)

金の泉亭・金のトゥーラ・・・モザイク紀行(19)

第997話
 トルコでは、有力者による泉亭の寄進は一般的で、宮殿・モスク周辺で案外簡単に見つかる。

スルタン・アフメット・ジャーミーの横の広場はかってはローマ帝国の戦車競技場ヒポドロームであった。そこは今はそぞろ歩きに適した細長い公園になっている。

c0067690_918377.jpg

 そのヒポドロームの東側に、この泉亭は寄贈された。


1.泉亭は、誰から誰へと贈られたのか?

c0067690_13331385.jpg

 近づくにつれ、モスクにおなじみのこの泉亭が尋常なものでないことがわかる。
とてもスルタンがオスマンの民のために作ったというような歴史ではないことが、その重厚さから伝わってくる。

c0067690_13334940.jpg

 中央の文様はイスラームの文様とは異なる。そして周囲には緑系と青系の2種類の装飾が交互に飾られている。このモザイク天井は金のモザイクをふんだんに使い、色の部分はガラスモザイクのようだ。まさに金を糸目をつけずに作らせた感がある。
 あまりにも豪華なつくりであるためか、中には入れない。外からかろうじてのぞきみる。
 この絢爛たるつくりにするのにはよほど財政が豊かな派手好きの支配者がいたか、あるいは相手を驚かせて、戦う気をなくさせて屈服させたい時である。

 オスマン帝国末期であり、オスマンはスルタンの力も弱まり、封建制度の矛盾が噴出し、ヨーロッパ諸国より産業・軍事など遅れがはっきりしていた帝国末期である。強敵がたくさん、同盟国も油断ならないそんな時代である。
c0067690_1337495.jpg

 王冠とつる草、Wは Wilhelm のW.Ⅱは2世・・・ヴィルヘルム2世をあらわす。このような円形のものをなんというのかわからない。ヴィルヘルム2世の紋章はライオンのがあったはずだ。日本と同じように普通の家紋、旗印などのように異なる印を持っているのだろうか。・・相変わらずヨーロッパの紋章はよくわからない。

c0067690_13371336.jpg

 そして、何よりはっきりとするのは、このトゥーラ(スルタンの花押)である。
「アブドゥルハミト ハーン ビン アブドゥルメジド アル ムザッファル ダーイマ」 とある。 
 アブドゥルハミト2世のトゥーラである。
もともと姿良くデザインされた、オスマン朝後期のトゥーラである。それだけでも美しいものを、金のモザイクで文字の部分を細かく表現している。それらのモザイク片の一つ一つが輝く。実に華麗なトゥーラである。
 モザイクとしては華麗であるが、本来トゥーラ(トゥグラー)は横広の長楕円形が基本で円に無理に入れてしまうと横への伸びやかさがなくなり、本来のカリグラフィーの美しさは出なくなる。 スルタンの花押はもちろん厳格に決まっていてトゥーラをこんなに横を狭くあらわすことはしないのに、なぜこんああらわしかたをしたのか。それはトルコ人の発注ではないからだ。

◆この泉亭はドイツの皇帝ヴィルヘルム2世から、トルコのスルタン、アブドゥルハミト2世に寄贈されたのであった。
 無理やり円に文字を押し込んでしまったのはきわめて西洋的考えであって、アラビア語として、アラビア書道的にはあまりよくない。

2.列強の侵入とスルタン・アブドゥルハミト2世

◇34代アブドゥルハミト2世◇
 1876~1909在位。
 彼は バルカン諸民族の保護を口実としたヨーロッパ列強の干渉を交わすためにミドハト憲法憲法を発布、議会政治も始めた。しかし、ロシアとの戦争を気に廃止し専制政治を行い、パン・イスラム主義をシンボルとした。
 ロシアに敗北後、バルカンの領土の大半を失い、イギリスフランスの侵攻を防ぐためにドイツに接近し、政治的独立を保った。しかし、経済的には、帝国内の特権を多くの外国企業に与えざるを得なくなり、経済的植民地になりつつあった。  (参考:平凡社 イスラム事典)            

◆ この泉亭を、ドイツ皇帝がトルコに寄贈する。相手のスルタンのトゥーラを金のモザイクで作成するということは相手に敬意を表しながら、ドイツ皇帝も金で飾り、友好国であること、そして、これほどの財力を持つ国であるとトルコ国民にアピールし続ける。そんな贈り物なのだ。

 これまで、スルタンはペルシアの贈り物もフランスの贈り物も見たくなければスルタンの宝物庫にしまってしまえばよかった。しかし、この贈り物はしまうことも移動することもできない贈り物・・・、まことに重い贈り物だったわけだ。
 ドイツとトルコは第一次世界大戦では同盟国ともなっているし、その前から3B政策を進行させていたドイツにとってオスマンを篭絡する必要があった。オスマンの領域内ではしばしばその遺構をが目にすることがある。

◆世界的紛争の起こる20世紀へあとわずかの1898年、
ドイツのヴィルヘルム2世からアブドゥルハミト2世への贈り物は、
    堂々たる柱と天蓋、金の天井にトゥーラを配した華麗な贈り物であり、
    列強に蝕まれつつあったトルコの重い歴史を感じさせる贈り物でもあった・・・・・。

                     応援クリックお願いします。

                                             人気ブログランキングへ
by miriyun | 2009-03-21 14:27 | トルコ | Comments(4)