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ミステリアスな写真とスルタンの兜

 オスマン朝では跡継ぎの王子が即位する時、そのほかの王子は命を絶たれてしまう。女性たちも誰が次のスルタンになるかで、権力のあるなしが決まってくる。だから、トプカプの400年には華麗な宮殿ならではの話のほかに血なまぐさい事件も秘められている。

 そんなことが頭をよぎった一枚の写真
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 スルタンの礼装用兜(かぶと)である。カリグラフィーがぐるりとめぐり、前たての菩提樹の葉のような飾りには「アラーの他に神はなし、ムハンマドは神の使いなり」の文字がある。兜の円周にもびっしりと金象嵌の文字がスルス体で入れてある。
 唐草のような植物文様も、極めて繊細に華麗にこの鉄の兜に刻まれ、金象嵌とルビーにトルコ石などの貴石象嵌で埋め尽くされている。

 そして、視線が兜に絡みつく。
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その兜の持ち主とお知り合いか?と尋ねたくなってしまう。
     実は、これ展示品に見入っていた見学者だった。
   展示ガラスに映る姿が美しくまた、ミステリアスだったのでシャッターを切っていたもの。
  
  しかし、もし中世のガウンなど着ていたなら、私もぞっとしてしまったに違いない。 
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by miriyun | 2007-07-23 23:20 | トルコ | Comments(2)

エメラルドの宝剣…トプカプの宝物

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  全長35cm。柄に3個の大きなエメラルド、鞘の先端に小さなエメラルドが1つ輝く。そして金の地に花のミニアチュールがエナメル七宝で描かれている。最初は気づかなかったがこの剣には更に細工がある。3つのエメラルドのついた柄の頭部分に時計が埋め込まれているのだ。贈り物として作られたもので、これ以上の工芸の粋を集めたものはない。 

 この華麗さを誇る剣は、オスマン朝のスルタン、マフムト2世(1730~1754)がイランのナーディル・シャー(1736~1747)からの贈り物に対して、返礼の贈り物としてつくらせた。

 〈サファビー朝の摂政だったナーディルはサファビー朝のシャーを退位させたあと、アフシャール朝を打ち立てナーディル・シャーを名乗った。ペルシア史の中の梟雄であり、第二のアレクサンドロスとも言われる。短期間にアナトリア東部からイラン、中央アジア、インドにおよぶ広大な領域を支配下にいれ、オスマン朝をも破り、ペルシアの力を示した。〉

 当時の情勢からすると、豪華すぎる贈り物には意味があったオスマン朝のスルタンにとって、豪奢な贈り物でその国力・高度な文化背景を見せつけることは、勢いのあるナーディル・シャーと戦争をすることよりずっと安上がりだと考えてのことだったと言われる。
 
 しかし、オスマンからの贈り物を持った使いがペルシアに向かって出発したあとで、ナーディル・シャーが直前に家臣によって殺害された。贈り物を渡す相手がいなくなったため、エメラルドの剣はトプカプの宝物殿に収められることになった。
 世界一の贈り物を受け取りそこなったアフシャール朝はこのあと衰えていった。

一振りの短剣が語る歴史がここにある・・・。
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by miriyun | 2007-07-23 01:40 | トルコ | Comments(4)

トプカプ宮殿…儀礼の門・カリグラフィー

 トプカプ宮殿(トプカプ・サラユ)は15~20世紀元まで強大な力を持ったオスマン朝の城として建てられた。

 イスタンブール(イスタンブル)は金角湾を挟んで南西に旧市街、北東側に新市街がある。
 トプカプ宮殿は、その歴史的遺産の残る旧市街の東の端の小高い丘の上に位置する。ボスポラス海峡とその先のアジア側の大地をもにらむ戦略上欠かすことのできない要害の地を占めている。

 400年間ものオスマン朝の支配の拠点であったため、その中に現在保管・展示されている宝物から鍋に至るまで目を引かないものはない。

 そして、近世の城塞都市はいずれも大砲を備えていたのだが、この丘の上にあり東西交易および軍の戦略上の要衝のち地であった宮殿にはもちろん大砲が備えてあって、列国を威圧していた。
 このことから、トプ(大砲)・カプ(門)・サラユ(宮殿)と呼ばれるようになったといわれている。
 
◆儀礼の門
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第一庭園と台に庭園の間にあり、この門の手前で入場券を買う。八角形の塔を左右に置いたオスマン様式の門である。
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この門をくぐる時に上を仰げばこのようなカリグラフィーに早速遭遇する。
   上はラー・イラーハ・イッララー・ムハンマド・ラスール・アッラー
    (アッラー以外に神は存在しない。ムハンマドはアッラーの使徒である)

  その下と左右にトゥグラー(トゥーラ)と呼ばれるスルタンの花押が飾られている。

 なお、イスラーム国家であるオスマン朝は、言語はトルコ語であったが、文字はアラビア語を使った。また、クルアーンはアラビア語で伝えるというものであったため、コーランの語句はそのままアラビア語で表記している。
 また、単語の中にはアラビア語から来たものがかなり多く取り込まれたようで、今でもオヤッ、おなじかなと思うものがある。
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by miriyun | 2007-07-22 14:03 | トルコ | Comments(2)