写真でイスラーム  

mphot.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2005年 11月 24日

イエメン・・・ワディ・ダハールの少年

 アラビア半島にありながらイエメンは山岳国家である。首都サナアは標高2300mある。2日間高山病でよく眠れずしかも吐き気に襲われた。最初だけでその後は慣れてしまったが高山であることは忘れてはならない。
 
 国土は多くがワディと山又は侵食し始めたばかりにできるテーブルマウンテンのくりかえしだ。ロックパレスもワディ・ダハールにあり、上から見ると深い谷のようになっている。

A 少年たち  レンズ:200mm
c0067690_1493218.jpg

B ワディ・ダハールと少年  レンズ:28mm
c0067690_1495324.jpg

同じ場所で2枚。以前カメラの質問もあったのでタムロンの28~200mmのレンズで撮影したものを並べてみた。参考になるかわからないが自然の雄大さは広角がいい・・・でも詳細に見たいものもある。
 旅行のカメラ選びは難しい。最近はだんだん重いものは敬遠するようになってきた。デジタルのズームはアナログと比べてどんな風に見えるのだろう。将来的にはほとんどデジタルになっていくんだろうと思いつつ・・・

   シャッター音だけは絶対にフィルム一眼レフがいい!!

応援クリックお願いします。  


# by miriyun | 2005-11-24 13:41 | イエメン | Comments(0)
2005年 11月 23日

イエメン・ロックパレス城壁・・・ドロ修復の職人技

 ワディ・ダハールのダール・アル・ハジャル(通称ロックパレス)1930年、イマーム・ヤヒヤが夏の別荘として建築。そこへ行く途中の城壁修復作業をしていた。

1.一輪車で材料を運んできて日干しレンガと同じようによくこねる。下でこねた泥を一かたまりにして、中段の若者に投げる。
c0067690_864311.jpg

2.若者は上段の老人にタイミングを見ながら投げる。時々上手く投げられなくて叱られながらも励んでいる。
c0067690_824463.jpg


3.老人はその泥を迷いなく目指すところに貼り付け、すばやく手のひらで整形していく。
c0067690_882498.jpg


 型ナシで決められた形に土を盛り上げていくのは目指す形を見失いやすい。乾くのが早い土地である。迷いなくやっていくにはやはり熟練を要する。この修復をしていた上段の人が一番の修復職人で、かなり気を使ってタイミングを計っている若者は跡継ぎか、一番弟子か?

   ・・・老人の雄姿がなぜかうれしい・・・


興味をもったら一日一回ポチッとお願いします。

# by miriyun | 2005-11-23 12:20 | イエメン | Comments(3)
2005年 11月 22日

世界遺産シバーム・・・家のつくり2、 伝統と変化

 世界遺産シバームはサユーンから18km、8世紀からこの地に石と日干しレンガ・しっくいで町がつくられはじめた。5~8階建てで高さ30メートルに達する。
 狭いところにぎっしりと高層日干しレンガ住宅を建てることによって外敵から身をまもろうとしたまちであるから、モスクの前以外はほとんどゆとりはない。
c0067690_11121276.jpg

↑レストランの中の掲示写真を撮った。そこに①~④の撮影の場所と方向を入れてみた。

 上の写真をみると建物と建物はぎっしりとひしめき合い連続してつながっているものが多いことがわかる。また、壁もあることはあるが、低いので家自体が高い外壁がわりになっている

1 .シバームの6つのモスクのうちもっとも大きいのは、金曜日のモスクだ。脇の路地から見たものなので画面が狭いが、正面は、シバームとしては珍しくゆとりを持たせてあってわずかな広場風になっている。そこでは露店を出していて子どもたちが雑貨を買っていた。
c0067690_1623384.jpg
c0067690_2232170.jpg

















2.ドアは浮き彫り彫刻と金属で飾られている。浮き彫りはよく見ると繊細な花の文様もある。また、脇の模様部分ははドアを明けるためのオープナーのしくみを持つ。
c0067690_9303240.jpg
 
3.外敵を防ぐためであるから、門は1つしかない。大きい門は本来家畜やらくだに乗ったままはいれるようにつくられ、脇の小さい門が歩行者用であった。また、門内には護衛と税関の仕事をするものの部屋として常備されていた。
  シバームの町の中から門をみる。外にはテーブルマウンテンが見える。 ↓
c0067690_1539879.jpg

4.壊れた土の高層住宅
 かなり遠いところに車を止め、そこから西壁を概観した。その中には危惧したとおり、メンテナンスを怠ったのか、たびたび発生するワジの鉄砲水で基盤が緩んだのか不明だが、壊れたまま放置された建物があった。
c0067690_9572689.jpg


 伝統的な建築物は、常に伝統を残しいい見学地であってほしいという外部のものの気持ち、そして暮らしやすい環境にしたいという住民の気持ちの間で維持・管理の問題が発生する。
 だれもが、伝統は残したいとは思うが、そこに住む人もテレビは見たい。アンテナを屋上に載せ、建物に今までになかった負荷をかける。町中にめぐらされた電線やあちらこちらの路地におかれた車を見ても1000年以上の歴史を持つこの町が伝統と便利さとの間で揺れ動き始めているのがわかる。

 住民が世界遺産をまもりつつ暮らしやすくなるためのノウハウなどはユネスコは伝授しているのだろうか、それとも世界遺産に指定するだけなのだろうか?

興味をもったら一日一回ポチッとお願いします。

# by miriyun | 2005-11-22 14:24 | イエメン | Comments(6)
2005年 11月 21日

家のつくり・・・シバーム

 世界遺産であるシバームは東西500m、南北400mの城壁の中に建物が500棟、人口7000人、モスク6、門は1つという町だ。世界最古の摩天楼都市として知られている。
c0067690_249472.jpg

この町の建物も屋上・雨の当たる下部を中心にしっくいが使われている。
 
c0067690_2320920.jpg

 石灰は日本でもしっくいとして昔から使われてきた。ある程度水にも強いので、イエメンのように雨季があるところでも使われ、家の装飾・および窓辺の防水をかねて使われる。それが何百年にもわたって続いているので、まるでおとぎ話のお菓子の家のような様子になったわけである。 ただし、値段が高いため、経済的にゆとりのある家ほど白の漆喰が多く使われる傾向があるという。
 サナアなどはしっくいは窓装飾中心で、シバームは雨と洪水対策が多い。装飾は木彫りのドアや窓に特色がある。

 伝統的な素材を使うとどうしても値段が高くなる。これは日本だけではなく、イエメンでも日干しレンガが高価なためコンクリートで建築される場合もあるそうだ。しかし、それには問題はあるという。
 
 イエメンはアラビア半島の南端に位置する国で暑さの厳しい国である。日干しレンガは60cmでそれを積み上げるから、最低でも壁の厚みが60cm以上の天然素材の家ができる。家の中は10℃~15℃涼しくエアコンの必要はない。それに対してコンクリート建築ではエアコンがないと暑くて生活できなくなる。
 
 また、日干しレンガの家は誰も住まなくなると元の泥に戻るので、産業廃棄物にはなりえないわけである。
 
 日干しレンガは環境的に考えれば、いいところばかりであるが、それを維持するのは毎年の修復作業が欠かせない。シバームの都市群も必ず、雨で溶けた分を削りもう一度泥をのせて修復する。

↓いったんしっくいを剥がしたところ。
c0067690_23231252.jpg

しっくいをはりなおすのだが、この高さとロープを見るとたいへんな作業だとわかる。

 世界遺産・・・この作業を繰り返して今がある。どこの国でも伝統的なものには、人々の愛情と手間がかかっている。


興味をもったら一日一回ポチッとお願いします。

# by miriyun | 2005-11-21 02:08 | イエメン | Comments(2)
2005年 11月 20日

家の材料・・・イエメン風しっくいの作り方

次にイエメンの家々の窓を白く飾り、また、屋上や土台に近いところにも使うしっくい(ヌーラ)はどうやってつくるのか?

そもそも材料は?ーーー答えは日本にもたくさんある石灰岩だ。 石灰岩は炭酸カルシウム[CaCO3]を主成分とした堆積岩である。

しっくいのつくりかた
1.石灰岩は砕いて石灰石とする。
c0067690_17434866.jpg

2.生石灰(せいせっかい)焼成
   露天の釜で廃油を使って石灰石を焼いて、生石灰とする。廃油は、少し釜から離れたところに作られた小さめなプールに蓄えられている。釜の中に、廃油を投げ込む荒っぽいやり方である。
c0067690_17522086.jpg

3.消石灰(しょうせっかい)加工
  焼きあがった生石灰となった石を熱いまま地面に置く。作業員さんがその場で水をかける。
4.灰色の石はパチッ・パチッ・パーンと音をたてて割れ、その一部をはじけとばし始める.
c0067690_1531745.jpg

みるみるうちに内側の白いブロックに割れる。

作業員はしばらくするともう一度水をかける。さらに細かく分解し、結局hotな石灰は粉になっていく。まさしくチョークの粉になってしまうのだ。
c0067690_1541120.jpg

田中石灰工業さんのHPから化学式を引用する。 
  石灰岩 CaCO3 焼成→CO2 ↑揮発
      ↓      
    生石灰 CaO    
      ↓      
      消 化(水和)←H2O 加水    
      ↓      
    消石灰 Ca(OH)2

*日本では焼いて水処理をして種類別に袋づめするまで工場で行うわけだが、イエメンでは屋外で豪快に燃やしてつくっていたが、やっていることはまさしく上の化学式にあらわされたことをやっていたわけだ。
 
        


興味をもったら一日一回ポチッとお願いします。

# by miriyun | 2005-11-20 01:43 | イエメン | Comments(2)
2005年 11月 19日

家の材料・・・イエメン・日干しれんがの作り方

 乾燥帯の国で家を作るには日干しレンガが必要。
では、日干しレンガ材料は何か?

イエメンの場合で説明してみよう。
c0067690_0144627.jpg

★材料・・・左のざるにきざんだ麦わら    *右のざるに土

日干しレンガのつくり方
1.水のあるところで、上の2つに水を入れてよくこねる。
c0067690_0293112.jpg

2.どろどろになったら一輪車で運ぶ。
c0067690_031865.jpg

3.木枠の中に泥を入れ、手で均一にならす。
c0067690_0332125.jpg

4.木枠を上に持ち上げてはずす。
c0067690_0364450.jpg

5.乾いてきたら、立ててさらに日干しする。
c0067690_0401018.jpg

    これで、アドベと呼ばれる日干しレンガ、ができあがり!!


興味をもったら一日一回ポチッとお願いします。

# by miriyun | 2005-11-19 00:12 | イエメン | Comments(2)
2005年 11月 18日

イエメン・・・おとぎの国よ! 

 イエメンの世界遺産であるサナアやシバームは都市遺産である。首都サナア
c0067690_0503750.jpg
 
c0067690_051656.jpg

 町全体が日干しレンガと石でできているが、窓枠などは、白く枠を囲っており、さながらお菓子の国に迷い込んだかのような印象を受ける。 


興味をもったら一日一回ポチッとお願いします。

# by miriyun | 2005-11-18 00:09 | イエメン | Comments(2)
2005年 11月 17日

東京ジャーミー(7)・・・カリグラフィーを読もう

 女性用バルコニー席のカリグラフィーを読もう
c0067690_15533494.jpg

 女性だけが入ることができるバルコニー席にいくつかのカリグラフィーがある。その中の正面の壁の右寄りに一見アラベスクのような繰り返し文字がある。上には例によってアラベスクのステンドグラスの青が印象的に効果を与えている。

きょうはこれを読んでみよう。

書いてあるのは次の文字だ。
يا    ・・・ヤー     (写真の青の文字)  ↓
ودود  ・・・ワドゥードゥ (写真の緑の文字)   ↓
c0067690_4332519.jpg

アッラーの属性の1つとしてよい意味・・・愛情ある・愛を与えるfavorably,disposed,attached,
devoted,friendlyなどの意)をあらわす。

 円の1/8の枠にぴったりにこの文字をアラビア語のカリグラフィーをデザインし、それを8面に繰り返したものである。
 デザインの方法としては、アラベスクのデザインと同様の方法であり、文字でありながら図形のようでもある。

# by miriyun | 2005-11-17 10:56 | カリグラフィーを読もう | Comments(2)
2005年 11月 16日

CBR・・・昔の日本と今のシリア

 帰国後、日本のテレビ放送の中で、障害のある女性がすごく生き生きと前向きに挑戦して生きている姿が放映された。 そのとき、突然、夫が思い出して私に話したことを書こう。

  夫が子どものころ、友達の家に遊びに行くとその友達のお姉さんが遊んでいるところにきて、一生懸命話しかけてくるというのだ。聾唖者であったそのお姉さんが、不自由ながら、ことばとジェスチャーで一生懸命話したがるのであった。でも、その人の親はできるだけ人にあわせないようにしていた。友達も自分の友人に姉をできるだけ部屋から出そうとするのだった。
 夫はそのお姉さんのことが子供心にもかわいそうだったという。後に、若くして亡くなったということもあって、なおさら心に残ったそうだ。障害がなければ、弟の友達に必死に話しかけることもなく、青春を謳歌していただろうに・・・よほど寂しい生活だったのだろうというのであった。
 
 シリアでCBRプロジェクトを見させていただいてきて帰国したばかりで、まだ自分の経験してきたものについて話もしてないうちにその話を聞いた。家庭内にだけで暮らしいろいろなチャンスを与えられていない立場について、しみじみと考えさせられたのだった。ずっと以前の日本のことのようだが、そんなに前のことでもない。日本も長い間こういう状態だったのだ。
  
 1981年に、国連決議により、国際障害者年(International Year for Disabled persons)が定められ、障害がある人のことが考えられ、社会が変革し、教育の場面でも扱われるようになったことによって、障害のある人たちが、街中に出かけ、仕事をし、交流することができるようになった。でもそれは長い歴史の中でつい最近のことなのだ。
 国際障害者年のテーマである「完全参加と平等」は、障害者であるが故に社会から疎外されがちな人々が、みんなと同じように社会の一員として生活し、幸福になることを願って作られた。
c0067690_1455172.jpg
 
c0067690_14543643.jpgc0067690_1381677.jpg





 日本で国際障害者年が刺激剤となって動いたように、シリアという国のひとすみがJICAによって動いていく。そんな動き始めの貴重な場面を見させてもらってきたことを忘れてはならない。  

# by miriyun | 2005-11-16 23:23 | シリア | Comments(0)