らくだのまつげに注目!

 砂漠の砂嵐の時、らくだは身体が埋まりそうになっても、じっと座って嵐が過ぎるのを待つ。らくだのまつげは砂よけのためだろうが、二重に生えた長いまつげをしている。耳も毛だらけで砂よけになっている。
 
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 ちょっとわかりにくいので、目だけアップにすると・・・
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この目のせいか、イラストにしてもぬいぐるみにしても目がキラーンとしてなかなか格好がいい。ほんとの性格とはちがって愛嬌があるようにも見えてくる。

     
 ”あんまり見つめないでよ、らくだくん”

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# by miriyun | 2005-11-04 02:35 | 自然(砂漠・ラクダ・蜃気楼) | Comments(4)

らくだの足裏をみたことありますか?

 私はらくだがとても好きだ。
らくだの立ち上がりと座りの順番さえわかると後は大きなユサユサというゆれに任せてどこまでも行きたくなる。
 
 そんな生活がいつもできるわけではないし、一生の生活になったらそれはそれで困るに違いない。でも、山のような仕事に追われ、時に追われてずっと暮らしていると地平線がみたくなる。らくだの背に乗りたくなる。
 
 私たち人間が歩くとさらさらの砂に靴が沈んで埋もれて歩きにくいことこの上ない。とても長時間砂丘を歩き続けるなんてできない。その点、らくだはその砂にも対応できる足なのか。らくだは座っていても足をしまいこんでいることが多く、足裏を見る機会が少ない。

 そういう中でようやく撮ったのが下の子らくだの足裏だ。
 
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 らくだの足裏は足袋のように二またに分かれていて可愛らしい。足に脂肪が多く、ポヨポヨした感じだ。脂肪は熱を通しにくいので、熱い砂の上を歩くことができる。らくだは自分の体重だけでも重いのに更に荷物を載せる。重さで脂肪分のところが広がって、重さを分散し、雪の上をかんじきをはいて歩くがごとく、砂の上を沈まずに歩いていくのだ。

 らくだはこの足で足音をさせずに歩く。
           ―――ただ砂音だけを残して歩く

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# by miriyun | 2005-11-03 01:12 | 自然(砂漠・ラクダ・蜃気楼) | Comments(8)

東京ジャーミー(4) ドームを見よう・カリグラフィーを読もう

東京ジャーミーのドームを見よう。
1、外から見たドーム・・・内側から見ると?
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2、ドームの頂点のこれは何だろう?

☆これは
 金を使って仕上げたカリグラフィーだ。
 
☆ではどこから読むのだろう 

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 よみかたはは1~5の順番。ラインが重なっているのはデザイン上で文字を重ねているためだ。

写真の番号にそって記載する・・・(下記の意味はジャーミーで購入してきた解説書から引用させてもらう)
 クルアーン112章 『純正』の章(スーラトゥル・イフラース)
1、慈悲あまねく慈悲深くアッラーの御名において。
2.言え、 「かれはアッラー、唯一なる御方であられる。
3.アッラーは自存され、
4、御産みなさらないし、御生れになられたのではない、
5.かれに比べ得る、何ものもない。」
 
 アラビア語はデザインの都合で上にものせるし、特に輪になったデザインでは入り組んでいる。まずはどこから読むのかというのを探さなければはじまらない。 
 ①バスマラ(ビスミッラーラフマーニ、ラヒーミ ~~)があれば、そこがまず最初だろう。この写真の場合もそこからわかる。
 ②章句がわかっていれば、クルアーンを見ながら文字を照らし合わせる。
 ③なお、中心部は組みひも風にした文様とアリフなど縦長の文字をつなげて文字をデザイン化している。どこまでが文字でどこからが模様かわかりにくいところでもある。よくこんなにデザインできるものだと感心してしまう。

***最後に写真のなかの年号について***

アラビア数字(アラブではインド数字という)で1420と書いてある・・・これはイスラーム暦(ヒジュラ暦)の年号で西暦に直すとおおむね1999年である。
   
 東京ジャーミーが1419~1421(1998~2000)にかけて建築されている。
 トルコの職人さんによる内装が後半に入って、そのために書道家がデザインとしたとするなら1420年まさしくそのデザインができたときと考えることができるのではないだろうか。

 カリグラフィー・・・ちょっと見上げて年号を読んでみよう。
# by miriyun | 2005-11-02 11:51 | カリグラフィーを読もう | Comments(0)

シリアCBR・・・子どもたちのダンスと窓にはりつく子ら

 学校の教室の1つを借りて、障害児と健常児の統合活動としてダンスをやっていた。
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 大きい子どもたち達のダンスが最初にあり、移動・輪作りなど細かくおそわりながら一生懸命に踊る、ボランティアの先生たちも夢中で声をかける。
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 次に小さい子達のダンスに移る。なれていないのでまだぎこちないところもあるが、小一時間も練習するうちに、みんなくだけた表情になってくる。 


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 車椅子の子もそれを押して踊る子も、輪を作って踊った子達もみな瞳が輝いていた。子どもたちは障害のある子どもたちと踊ることができる、楽しく踊れるという新しい体験を積み重ねたのだ。
 
 このダンスに参加したのは障害のある子達と一緒に活動しようと言われてすぐに参加してきた子達らしい。後になって参加したいと思ってももう人数と練習の関係で参加できないわけだ。
 しかし、このダンスに参加したいと思っている他の子たちが狭い教室に入りすぎて踊りにくくなってしまった。そのため、彼らは先生たちに教室から出されてしまった。
 
 すると今度は外に回って、外側から窓枠に足をかけてよじ登り、大勢の子どもたちが窓ガラスに顔をはりつけてみていたのだ。これがとても印象的であった。

 踊っている子どもだけでなく、まわりにいる子どもたちも一緒に何でもやっていくことができるんだ、そしてやっていきたいという気持ちを認識しはじめた・・・・・・そんな一瞬を見させてもらったわけで、私にとっても幸せな体験であった。
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# by miriyun | 2005-11-01 11:11 | シリア | Comments(0)

CBRプロジェクトを語る

 Syria JICAのCBRプロジェクトを推進する専門家の方にプロジェクトについて語ってもらった。
 以下、T氏の語ってくださったことを自分なりにまとめさせてもらった。(表現が適切でないところがありましたら、書いている私の責任であります。)
 
シリアでは、ダマスカスのような都市では障害者教育や理学療法などの訓練、障害者職業訓練が行われているが、農村部では障害のある子どもや重複した障害者はこうしたサービスを受ける機会がまったくなく、家庭内におかれることが多い。
 それで、ボランティアを募り、障害者問題に関するトレーニングを、それぞれの村の中で、教育・リハビリ・医療などの支援を行うことで、地域社会におけるCBRのきっかけとしていく。 
 なお、企画して試験的に行っているものであり、シリア側からの国家的な予算はほとんどない。3つの村でパイロット実践を通して、その結果をセミナーで発表していくという。
 
  訪問した時、ちょうどこのセミナーで発表する子どもたちのダンスの練習がおこなわれていた。健常児と障害者が教育の場で共生する経験がなかっただけにこの村では画期的なことである。
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 このダンスは、CBRプロジェクトの中間報告であるセミナーで関係者に見せる。CBRの成果をみせ、それによって認められ、大きなプロジェクトになると本格的な予算がつくという。JICAも現場で人に認めさせるアピールをしないと仕事を発展させていくことができない。

 これによって認められると本格的にこのプロジェクトが始まり、周囲の認識が高まり、国家的な体制も整備され配置の可能性が広がるという。

***その後、このCBRプロジェクトはどうなったか?*****
 後に、中間発表セミナーで成功を収め、本格的に予算もついて始動した。その様子はCBR Project in Syria というHPに表されている。 現在はサマークラブも拡大、多くのじぶんのむらに誇りを持つボランティアが村ごとに競うように頑張って、障害者が外に出て行くことができる環境を作っている。実際のところは、専門家を中心に青年協力隊の方たちの日々いろいろな困難を乗り越えながらの実践であったと推察するが、CBRプロジェクトは理念にそって素晴らしい発展を遂げている。今後も継続して見させていただきたいと思っている。


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# by miriyun | 2005-10-31 23:56 | シリア | Comments(2)

シリア・・・ある少年の自慢のもの

 食事をさせていただいた民家の中庭は例によって広かった。
その家の少年が何か見せたいといって私を呼ぶ。

 呼ばれた先には、土でできた山があった。
かたく固められており、しかも穴が等間隔に開いている。
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 何だろうと不思議に思い、近づくと中からヒナが出てきた。

 これは、少年が自分で作って鳥のヒナなを育てている鳥小屋だった。

 彼は、この鳥の管理を任されてから、この仕事を誇リとしているのだろうということが感じられた。

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# by miriyun | 2005-10-30 00:52 | シリア | Comments(2)

アル・ヒージャーネ村の民家・・・食事と論議

 ボランティアの家のマフラージに招かれる。ここでお茶をいただいているうちに家族の居間のほうに昼食を用意してくれた。。家庭料理は一般的なシリア料理と思われるが、やはり家庭料理はおいしい。わざわざ鶏肉まで用意してあったのが、来客だからと無理したものでなければいいがと気になった。でも、何しろおいしくてたっぷりいただいてしまった。「ごちそうさまでした!」
 いたく感激した私だったが、他の人はあっさりとしたものでこれが普通という様子で特に特別に感謝のことばを言うわけではない。どうももてなしを当然と考えるイスラームらしいところのようだ。ここは必ずことばで表す日本との違いだろう。
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 来客はCBRのボランティアをしている人たちで、セカンダリースクールの先生が多かった。
 昼食後、マフラージでCBRプロジェクトにおける今後の予定などを検討していた。
こちらの訪問した理由を話すとせっかく来たのだから大いに質問してくれと言う。
① CBRはボランティアとして始めて成果が上がってきている。

② シリアの教科書は政府から支給され、使い回しであるので自分のものではない。

③ 学校の授業で日本のことは教えているか?・・・日本について旧教科書ではアメリカ・中国・イギリス・フランス・ドイツとともに1単元となっていた。新教科書では1レッスンで人口・生産などのナショナルインフォメーションを教えている。一般的にはやはり工業国として、また原爆にあいながら、復興したことの印象が大きい。
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 広いマフラージで離れて話していたが、教育・メディア・国際問題談義となって、丸く輪になって熱い議論となるが、しかし、話し方は礼節を心得ている。
 
 シリア在住の日本人に聞いたところによると、シリア人は交通事故などを起こした双方が口論するが、決して手を出すような荒っぽいことになることはなく、しばらく自己主張をすると双方あきらめて引き上げるという。
 
 だから、福祉やボランティアの話からだんだんパレスチナ問題に言及するようになり、熱い話になっても話し方はいたって紳士的である。ただ、一般の外国人はみなパレスチナのことをちっともわかっていないという意識で話してくるので熱くはなってくる。アラブの人がパレスチナを語ると長くなるし、相手がまったくわからないと熱くなってくる。
 
 まずパレスチナのことを基本的なことだけはきちんと歴史認識していることをわかってもらうのに少し手間取った。歴史と現状についておおよそ認識しているとわかると落ち着いていろいろなことについて、双方充分に話せた。しかし、最後に、自衛隊のイラク派遣の話になっていって、これによってこれまでの日本の認識が大きく影響をうけたことをまざまざと知った。
 
 話題がCBRプロジェクトからそれてしまい通訳してくださっているJICAの方に迷惑でないかと心配になってきたのでそろそろ話をおさめなければならない。

 「どの国にも、国としての立場、そして、国民それぞれのスタンスがある。それを100%すべてどちらかの方向に引っ張るのは不可能だし、そうあるべきでもない。ただ、知っていて欲しいのは、私たち、多くの一般国民は物事を正しく見て、平和になる方向へと進みたいという考え方を強く持っている。」そういって、CBRから離れすぎたこの日の議論を納めた。
 
 国が異なれば、思考の背景となる歴史認識も直面する問題も異なるので、十分満足する話であったかはわからないが、こちらの考え方や私という人間をある程度理解してもらえたように思う。
 熱い議論もあったが、シリアの人と充分に話せてよい一日だった。

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# by miriyun | 2005-10-29 22:13 | シリア | Comments(6)

ジュダイダ・アルハース村・・・民家を訪問

 ジュダイダ・アルハース村民家を訪問させてもらった。
 この村は水利権を持っているので前出の村より緑があるが、雨が少ない年は農村が困ることに変わりはないようだ。ある民家に着くと、隣人たちが出てきて挨拶を交わす。まわりの家同士のつながりが強い。イスラームではコミュニティーのつながりが強いのだ。
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  家はイスラーム特有の壁で囲まれた家である。壁の一部に狭いドアがあり、ドアを開けて一歩入るとそこは緑のブドウ棚が涼しげな中庭で、その奥にアル・マジュリスと呼ばれるリビング・ルームがある。
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    なかなか良くできている歩行器↑

 その家のA君は4歳であるが、言語および歩行に若干の発達の遅れが見られる。母親も姉もやさしく、いかにもイスラム圏の家族愛というものが感じられる。しかし、その発達遅滞にたいしてどうしたらいいのかという助言は公的機関から得られないので、家族でひたすら養育するばかりである。そこで、ボランティアの人とCBRにかかわる日本側スタッフが時々訪問し、しばらくA君と遊んで動きを見て、その時々に最も適した訓練方法についてアドバイスしているという。

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 話は変わるが、この家のお母さんが中庭で採ったブドウでもてなしてくれた。これが実に甘くておいしく、渇いたのどにまさしく『甘露』であった 
 ブドウはやはり西からシルクロードを経て日本へきたのだと、本からの知識ではなく、味でもって納得してしまった
# by miriyun | 2005-10-28 17:21 | シリア | Comments(2)

アル・ヒジャーネ村の学校にて

アルヒジャーネ村の学校の一室でサマースクールが行われていた。先生はCBRプロジェクトに賛同したボランティアである。
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 黒板には次のようなことが書かれ、それぞれの力の応じて学習する。
・3 = 2  + 1(本当はアラビア数字だが、PCでその文字がまだ見つけることができない)
・アラビア語のアルファベット
・単語練習
クルアーンの暗唱
  
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   左上から・・・ バカラ(牛)・ ヒサーン(馬)
   左下から・・・ ハルーフ(羊)・ジャマル(ラクダ)
 ↑手書きの絵とアラビア語ににていねいに色鉛筆で色を塗った教材で、ずっと使えるようビニールでカバーがしてあった。 

 年少の子はアルファベットを書いている段階なので、ほとんど絵を見て答えているのだろうがその中で徐々に文字に親しませようとしている。また、ノートにアラビア語でクルアーンの句を書いてきたものを先生が熱心にみていた。私のもとにも頑張っているでしょうと見せにくる。ボランティア要請で最初に障害者への教え方などを教えたそうであるが、この村のボランティアはとくに熱心である。  
 目に意志の強さが表れている先生は全体のリーダーとして働いていた。黒いヒジャーブをかぶっている人は目がやさしくおとなしい感じ。写真撮影をしていいかと聞くと快く応じてくれた。 同じイスラム圏でも女性の服装も考え方も様々である。
 
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 子どもたちはどんな様子か。背の高い24歳の女性はまっすぐな気持ちで精一杯練習している。書くのはゆっくだが、難しいクルアーンの章をみごとに暗記している人もいる。
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 二人の女の子は愛嬌があってかわいい。Uという男の子は人懐っこく、人と触れ合うことを喜んでいて別れを残念がっていた。
 大柄でニコニコ笑っていた男の子などいろいろな子がいたが、共通していたのは、障害によって学校にこれなかったこの子たちが、はじめてのサマースクールを楽しみ目がきらきらと輝いていたことである。
# by miriyun | 2005-10-27 11:35 | シリア | Comments(2)