<   2012年 11月 ( 8 )   > この月の画像一覧

モザイクアートプロジェクト   
 NHK杯に行ってきた。
その時見たものの中で、海外の方やフィギュアに興味のない方にもお知らせしたいなと思うことがあった。

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 開場の入り口脇に写真でつくられたモザイクアートがあった。
観音像のようであり、しかし、普段見ている観音像のシルエットとは異なり形がユーモラスに感じた。何か違和感のある姿が中心にあり、そのまわりに感謝を表す言葉が囲む。
 たくさんの人が列をなし混雑する中で遠目に見て通り過ぎたので、いくつかの感謝の言葉からなるということはわかったが、それの意味するところが分かるのは後になってからだった。 

EX フィナーレにて
 氷上というのは実にきれいで幻想的なキャンバスになる。
NHK杯フィギュアスケート国際大会のフィナーレでアイスリンクに描き出されたのは、

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1万枚以上の写真が集まっていく。
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     一人一人の思いのこもった写真だ。

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東北復興支援の歌、『花は咲く』。優しいメロディとともに、氷上に描き出されたのは東北の地図。
そこから徐々にフェイドインしたのは、会場の外に飾られていた写真によりモザイクアート。
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ここにきて、「あっ!」と思った。
あのちょっと変わったシルエットの観音様に見えたのは東北の地図の姿をした女性像だったのだ。

☆日本の選手たちが白い花を一輪もち、シュプールを描いていく。
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 この大会最も感動を呼んだ演技をした鈴木明子選手。
    中央にはひらがなで「ありがとう」の文字が浮かび上がる。

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 苦手なイーグルでシャボン玉の周りを回ってくれた高橋大輔選手。
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    その時、通り過ぎたシャボン玉の上に描き出されたのは、
         ポルトガル語でオブリガード、
          アラビア語のシュクラン・・・
   3.11東北大震災に際しての 世界の人々の心への感謝の言葉がいろいろな文字でつづられる。
      
        ↓ 
      動画をお借りします
◆EXフィナーレの様子 



◆外に出て、今度はしっかりとモザイクアートを目の前で見てきた。
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東北を模した微笑む女性像の周囲に今回出場選手(11.12現在のアサイン)の国の言葉でありがとう!
左側:メルシ(フランス)
グラツィエ(イタリア)
グマドロプト (グルジア)・・・グルジアの文字って可愛い丸文字だと初めて知った。
スパシーバ(ロシア)・・・・2011世界選手権において、日本の震災への励ましのフィナーレの振り付けと日の丸をリンクに映し出した演出に心が熱くなった。(日本の某民放はそれをカットして、いらないものばかり入れていたが・・・。)
シェシェ(中国)

右側:グラシャス(スペイン)・・・ナンデスくん、いい青年だね。
   ダンケ(ドイツ)・・・ドイツもドイツ公用語の国もNHK杯アサインがないように思うのだが・・?
            でもね、いつもユーロドイツ語放送のアナと解説者さん熱い解説ありがとう!
   ありがとう
    Thank you!

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そして周囲に散らした桜の花は、世界の国旗をイメージして作られている。
60余りの桜の花が国旗イメージの色で咲いていた。


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こうして見ると、人々の思いのこもった一枚一枚の写真から出来上がっていることがわかる。

それぞれの感謝の思いを込めた写真が,
        一つの東北像になって微笑んでいた。

            「世界の国や地域のみなさん、ありがとう!」・・・と。
               

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by miriyun | 2012-11-30 06:29 | Comments(6)

 

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↑ ワンクリックすると大きい画像をご覧いただけます。

朝、分厚い雲が天をおおっている。
だが、東には上る太陽が見える空間があいていた。
何の変哲もないビルが神々しく見える時間・・・


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厚い雲は太陽の光を遮り、
海に向かってその光を集め、もう一つの太陽を描き出していた。

                            *ここは仙台の地。海のまわりには民家が見えなかった・・・。
                                          


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by miriyun | 2012-11-28 02:19 | Comments(8)

水辺のアヤソフィア

夜の姿 

  ――アヤ・ソフィア

    ビザンチンの皇帝たちの思いを込めて建造し、
       メフメット2世が勝利した日にアッラーに感謝の祈りをささげ、
           アタチュルクはどの宗教の人も入ることができる博物館と位置付けた


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    長い歴史の重みを感じさせるアヤ・ソフィアの姿がそこにあった。


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by miriyun | 2012-11-14 06:11 | Comments(6)
第1次世界大戦の中東戦線
第1次世界大戦の中のトルコが関係する中東戦線は、日本ではあまり知られていない。一つはトルコがドイツと組んだことによりアラビア半島でハシミテ家のファイサル王子らが英国からの顧問T.E.ロレンスとともに起こすアラブ独立戦争がある。
 もう一つがダーダネルス海峡を攻め入らんとする英仏からの攻防戦、ゲリボルの戦いがある。


ゲリボルの戦い(ダーダネルス戦役・ガリポリの戦い)   

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                     ↑ ワンクリックすると大きい画像を見ることができます。

 トルコの地図を見ると、戦略をたてたくなるような地形をしている。

 トルコの要となるのは地中海からマルマラ海へと入るダーダネルス海峡、それと、マルマラ海から黒海へと向かうボスポラス海峡だ。この2つを制したらもうトルコは何もできない。いや、マルマラ海に入られた時点でのど元に敵の刃が迫った状態になる。
 左下のピンクのところがゲリボルでダーダネルスのイスタンブルへの海峡の出口にあたり、戦略上大事なところである。右奥のところにイスタンブル。イスタンブルはボスポラス海峡と金角湾とマルマラ海に面している。
城壁はあるものの大型大砲の時代になると、その射程内に軍艦が入るということは致命的なものになる。
 
◆陸・海・空3軍の総力を結集した大規模上陸作戦

 そして第1次世界大戦でこのダーダネルス海峡のゲリボルの高地を狙ったのがチャーチル(当時は海軍大臣)だった。1915年、連合国側の作戦が始まった。この高地をめぐって2度にわたる総力戦があり、最後は英仏も大軍を擁しての上陸作戦に出た 世界大戦での連合国の大規模上陸作戦としてはノルマンディー上陸作戦があるが、実はゲリボルの戦いが世界初の上陸作戦だった。

 オスマン軍は上陸先を予測し厳重に防御線を構築していた。その中でケマルは前線に自らたち、銃弾をかいくぐりながら奮闘し、ついには高地を先取し、英仏軍に撤退を決意させた。


 英仏連合軍は、当時すでに「ヨーロッパの病人」と呼ばれ末期症状であったオスマン帝国軍を軽んじて短期決戦を想定しての戦闘準備であった。しかし、オスマン帝国の予想外の頑強な抵抗にあって多大な損害を出して撤退、作戦は失敗に終わり、チャーチルはこのために失脚した。

 そして、この時、チャーチルをして甘く見過ぎたと後悔させた相手はケマル・パシャ・・・すなわちのちのケマル・アタチュルクなのだ。

 日本ではあまり知られていないがオスマントルコが新しく生まれ変わり、しかも植民地にされないために実に重要な戦いだったと言える。


オスマン帝国の崩壊とトルコ共和国の建国・大統領へ
 大戦でオスマン帝国が敗北し、その解体が決定された後、1919年5月19日、ムスタファ・ケマルが黒海沿岸のサムスン港に上陸。外部勢力に対する抵抗運動をここから始めていった。(ちなみにトルコでは、ケマルがサムスン港に上陸した5月19日を祖国解放戦争開始の記念日としている)

 抵抗運動の盛り上がりに驚いた連合軍が1920年、首都イスタンブルを占領すると、首都を脱出したオスマン帝国議会議員たちアンカラで大国民議会を開いた。彼らは大国民議会議長に選出されたムスタファ・ケマルを首班とするアンカラ政府を結成した。
 西からはギリシャ軍がアンカラに迫っていたが、ムスタファ・ケマルは自ら軍を率いてギリシャ軍をサカリヤ川の戦いで撃退した。

 1922年、、11月1日に大国民議会にスルタン制廃止を決議させ、更に1923年には総選挙を実施して議会の多数を自派で固め、10月29日に共和制を宣言して自らトルコ共和国初代大統領に就任した。

1926年には大統領暗殺未遂事件発覚を機に反対派を一斉に逮捕、政界から追放した。これにより、ムスタファ・ケマルは党首を務める共和人民党による議会の一党独裁体制を樹立した。
(この過程も、不思議とフランス革命の延長線上でナポレオンが暗殺未遂事件にあい、その後終身皇帝の座に選挙でなっていった過程と似ている)
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 独裁状態になったケマルは、急速にトルコの近代化を行った。

◆政教分離と欧化政策
 1928年、憲法からイスラムを国教と定める条文を削除し、トルコ語の表記についてもトルコ語と相性の良くないアラビア文字を廃止してラテン文字に改める文字改革を断行するなど、政治、社会、文化の改革を押し進めた。
 男性の帽子で宗教的とみなされていたターバンやトルコ帽(フェズ)は着用を禁止(女性のヴェール着用は禁じられなかったが、極めて好ましくないものとされた)され、スイス民法をほとんど直訳した新民法が採用されるなど、国民の私生活の西欧化も進められた。1934年には創姓法が施行されて、西欧諸国にならって国民全員が姓を持つよう義務付けられた。「父なるトルコ人」を意味するアタテュルクは、このときムスタファ・ケマルに対して大国民議会から贈られた姓である。
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 *文化財についても、政教分離は影響し、アヤソフィアはモスクとして使っていたのを、博物館として位置づけられた。そのおかげで、ビザンチン時代のキリストの絵柄のモザイクも、コーランの言葉を表したミフラーブも、私たちは今それらをいっぺんに見ることができるのだ。

 ◆ほとんどラテン文字で一部点が二つ付いたトルコ語独特の文字があるがほとんどがラテン文字であるため、地名なども読みやすいトルコ文字はアタチュルクの改革でおこなわれ、そのため文盲率はぐっと減ったという。かたやジャーミーに書かれた文字は一部のアラビア語を学習している人や書道をやっている人でないと読めないということもおきている。
 日本では、第二次世界大戦で敗北したときに、文学者や新聞社が漢字廃止論を唱え、また、連合国軍最高司令官総司令部によってよばれた教育視察団が学校教育における漢字弊害やローマ字の利便性を指摘された。漢字廃止はしなかったが、当用漢字などの制定に影響していった。


*エルトゥールル号の義捐金を届けたのち、日本語教師としてトルコに住みついた山田寅次郎は、敵国となってしまった第1次世界大戦のときは一時帰国したが、その後も長く日本とトルコの礎として働き、日本の中のトルコ大使館創設にも助力するなどして、90歳の生涯を全うした。

 また、エルトゥールル号が遭難した場所に建てられた石碑を天皇が手を合わせたことを知ったケマル・アタチュルクは串本町にトルコ式の慰霊碑を建てた。

 アジアの東の果ての国を西の果ての国が見詰めていた。
 今回、アタチュルクについて、とくに名前について押さえておきたいと書きはじめてみたが、
その中でも日本とのかかわりや、影響というものも見えてきた。

◆ケマル・アタチュルクの手法は一党独裁で自分が動きやすいよう、改革が通りやすいように合法的に積み上げているものだった。手法としては初期のカダフィー大佐などと近い面もある。

 もし、彼が100歳までも生きて、子孫が多く、一族で利権を支配したなら、今のようなトルコ国民の敬愛を一身に集める存在にはならなかっただろう。

 彼は、実子を持たず、戦争孤児を養子にした。
          そしてたった58歳で執務中に逝ってしまった。
しかも、それまでの病人のようなオスマン帝国からも先進国の支配からも抜け出させ、前進し、成功させた共和国を作っている最中に逝ってしまったのだった。

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by miriyun | 2012-11-11 15:20 | Comments(8)
アタチュルクの日    
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このシンプルだが美しい剣は誰のものか。

一見、装飾から身分あるオスマンの重臣の持ち物のようにも見えるかもしれないが、くっきりと刻み込まれたトルコ共和国の国旗と同じ月と星の印がそれを否定する。

そう、これは
ケマル・アタチュルクの持ち物である。

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 11月10日はケマル・アタチュルクのなくなった日である。毎年11月10日はアタチュルクを追悼日とし、なくなった時刻である9時5分には空砲を鳴らし、一斉に1分間の黙とうをささげる。また、11月10日から1週間をアタチュルク週間として定めたりもしている。

◆アタチュルクはトルコ建国の父として世界史上名だたる人物である。
 晩年 ドルマバフチェ宮殿に執務室を構え、トルコ共和国の屋台骨のすべてを背負い、軍隊から義務教育普及のための地方まわまでり、忙しい生活を粗食と4~5時間の睡眠とラクとでのりきっていたアタチュルクは58歳という若さで執務中に脳卒中で倒れた。
 それが9時5分であり、そのため、トルコ建国の父である彼の敬愛するトルコでは、この宮殿のすべての時計を9時5分で止めたままにしてある。


彼の生い立ちから1938年11月10日に亡くなるまでを知ると実に才能あふれ、頑固なほどの信念とともに行動したユニークな人物として浮かび上がってくる。

彼の名前
彼の本名はムスタファであるが、学校時代に同じムスタファの名を持つ先生が素晴らしい数学的才能を持つ彼に幼年期の生徒を教える助手をやらせ、その時に同じムスタファ先生では困るので、ケマル(完全な)という名を与えたと言われている。

 公式に残っている名前では尉官までは、ムスタファ・ケマル・エフェンディ 、佐官時代は、ムスタファ・ケマル・ベイ 、将官時代 (1916年以降)は、ムスタファ・ケマル・パシャ、1921年9月19日以降は、ガーズィ・ムスタファ・ケマル・パシャ、1934年以降、ムスタファ・ケマル・アタチュルクと呼ばれた。

 なお、アラブと同じく、トルコも姓というものがない。生まれたときにつけられた個人名の後に親の名・祖父の名などをつけて認識しているにすぎないので、一人の人物が場面が異なると別の呼び方をされるなんて言うのは特別珍しいことではなかったのだ。
 なお、現在のアタチュルクは『トルコの父』という意味だ。

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彼の名前は、私たちがトルコに行ったときに最初にお目にかかることになる。アタチュルク・エアポートに航空機が降り立つからだ。


彼の才能
 彼の得意なのは数学と歴史で、他は得意でないのに、この2つについては群を抜いていたらしい。
(フフッ、かのナポレオンもそうだったのはあまりにも名高い事実である。)
やはり、数学ができるのは明晰に理論立てて先を考えられるのだろうか。

 普通の学校を嫌がったムスタファが選んだ道は自らの石で陸軍士官学校に入ること。なんと、正規の志願年齢よりも若い11歳で志願してしまった。
 
 数学的才能の他に、後にわかってくるのは語学的才能、
士官学校時代にドイツ語とフランス語、日本語まで学び、ドイツ語を喋り原語のフランス民権思想書を読み、片言の日本語と英語もできた。
 この日本語を学んだのは、エルトゥールル号難破事件後に、民間人でありながら奔走して義捐金を集め、トルコまでやってきた山田寅次郎が教えた士官たちの間に彼がいたことを、後のアタチュルクがいっており、山田の方がそれに驚かされたという。
 日本についてはトルコ全体として、エルトゥールル号以来親密な国として感ずるとともに、アジアの東の果ての国ながら、アジアで唯一近代国家としての返還の成功した国として意識的に見ていたようだ。とくに明治維新における数々の改革はケマル・アタチュルクの意識の中にこのころおさまったのであろう。

オスマン末期における動き
 灰色の目の眼光鋭いケマルは陸軍大学にいたころから将校としての時代に、「祖国と自由」を仲間とともに設立、後にサロニカで単独世それのマケドニア支部を作る。後にこれは青年トルコ党に吸収され、エンヴェルと出会い1909エンヴェルとともに反革命の暴動が起きたのを鎮圧し、暴動の責任を負ったアブデュルハミト2世は退位し、メフメット5世にその座を譲った。

◆若きリーダーの考え方の違い
エンヴェル・・・中央アジアからバルカンにいたるテュルク系諸民族をオスマン帝国の旗のもとに大統一するという汎トルコ主義の理想とし、汎イスラーム主義を唱えてイスラーム世界の団結を呼びかけ、イランや北アフリカで連合軍に対する抵抗を起こさせ洋ともしていた。
ケマル・アタチュルク・・・トルコ半島とトルコ民族で納める民族子㏍なお設立を理想とする。
このような違いのなか、ケマルはエンヴェルとは目指すものが異なるということで、結局袂を分かっていった。

 こうした中で、オスマン朝の弱体化、列強が国土を分割せんと圧力がかかってくる。まるで日本の幕末と同じような状態が出現するのである。実際のところは幕末と同じにいろいろな勢力が複雑に動いている時期なので、、こうしたときにこそ、下級武士が活躍し、ケマルやエンヴェルが出てくるのだった。。


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by miriyun | 2012-11-10 23:41 | Comments(4)

中国杯*高橋大輔

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中国杯   
 情報が少ないので、今回は珍しくtwitterやFacebookまで見に行ってしまった。
グランプリシリーズは朝日なので朝日の記者のツイートが詳しい。
時系列で拾ってみた。

◆加藤泰平です!男子の公式練習が終わりました!高橋大輔選手は、今日も4回転で少し苦労していました。ただ、曲かけでショートの演技を披露したんですが、始まった瞬間から“かっこいい”!そして、ステップや表現力はやはり、次元が違います!まさに圧巻、他の追随を許さない素晴らしいものでした!
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◆加藤泰平です!男子公式練習が終わりました!その様子を撮影していたカメラマンが興味深いことを話していました。ステップを撮影する時、高橋大輔選手の時だけ、カメラを上下させながら撮らないと画面に収まらないそうです!それだけ、全身を大きく使ってステップを踏んでるんですね!!
・・・ただし、これにはそういう撮り方ではなくて引いて撮るべきでしょうというツイートあり。

上記の内容については、高橋選手の見えないような速さでの上下動があることを以前確認していたので至極納得。映像は競技映像はどこが撮っているのか不明。国際大会だからテレビ朝日ではないように思うがどうだろう。


SP/FS/Ex 
動画主さま、お借りします。
◆SP ロックンロールメドレー イタリア語翻訳版

速いアップ、速い翻訳に感謝しつつ・・・。
まず衣装が変わった。赤の細身のジャケット風。
そして、もっと驚いたのが振付が変わっているということ。どこでどのような変え方をしたのか、発表がないのでわからないが、大幅な変更で元の姿が見えにくい。キュイーンというところが一つのアクセントになっていたのが、ここには大きな振りがなくなってしまった。

◆FS直前の6分間練習
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宋選手とリッポン選手がぶつかった。激突した時に音がしたという。 そのあとリッポンが手を握って引き起こそうとしたが、宋くんは立てなかった。
笛がなって、6分練習は中断。一旦リンクの外へ全選手が上がるようにということに。関係者がリンクに入り、宋くんを抱えるようにしてリンク出口へ。
そして、タンカで運ばれて病院へ。彼は競技には戻れず棄権となった。大きな怪我でありませんように!
(追記:後に、脳しんとうで怪我はなかったとわかりほっとした)


リッポン選手激突直後に二人の前を高橋が滑っている。
以前に高橋選手が曲がけ練習中にぶつかられ、長いこと不調が続いた。あのときのトラウマを思い出してしまわないか気になっていたが、リンクから非常事態ということで出された時も宋君を運び出す時に目の前で出口への場所を譲っていた。
 それにしても、その時の事故から書いていたと思うが、高速化、複雑化した演技と4回転を2回も入れるような演技を本気で練習する選手が多くなった今、リンクに6人もの選手がぐるぐる回るなんて言うのは危険なのは確かだ。ISUが改善策を打ち出さないのは如何かとおもう。

◆FS 道化師 Japan Openとの比較動画 イタリア語翻訳版

コンビネーションすべておかしい。3-2-2はとばしていてあとからとんだ3Lで転倒、音楽がほとばしるのではなく音楽においていかれている。
どうしてしまったのだろう。途中で解説者も何かおかしいと言い出している。スケート靴だろうか。たいちょうだろうか。
 (もうひとつこの比較動画でわかったこと。あまりにもカメラワークが今回はひどいということ。演技の全体像が正しく見きれないことがわかる。)

◆中国大会、久しぶりの谷底感があるが、歌子先生は、いつものように穏やかだ。本人も歌子先生も何が問題かわかっているようにみえる。
本人インタビューでも2位によくとどまれたと言っているくらいだった。
それにしてもいつも変わりなく泰然としてしかもあたたかく見守ってくれている歌子先生のいることの安心感よ!^_^
大ちゃんは精神的なコーチと言っていたが、それを見ているファンにとっても安心感をもたらしてくれている。

◆EX ブエノスアイレスの春

ExはやはりCaOIのように完璧とは言えなかったが、それでも十分に「魅力的な演技になっていた。

高橋を越えて金メダルに輝いたのは町田くん、もともと町田君の表現力がすきでみていたし、目が出てくるのは時間の問題と思っていたが、今大会での町田君のSP/FP/Exすべてが充実していた。

グランプリファイナル出場はいかに?
これらに小塚・織田・羽生がそれぞれすでにメダルをとっている。町田君もここで優勝し、』グランプリファイナルへの出場者第1号となった。
 いや~、日本男子の充実度と言ったら恐ろしいほどの絶好調振りだろう。
もう、この際、グランプリファイナルは5人とも行っちゃおう!

 *グランプリシリーズ途中結果集約
     それぞれの試合で、次の点が与えられる
    【 1位ー15点  2位ー13点 3位ー11点 4位ー9点  5位ー7点  】
   複数の選手が同点で並んだ場合は最高順位の高い選手が、
   さらに最高順位も同じだった場合はスコア合計の高い選手(組)が出場資格を得る。

これを基に現在(2012.11.05)の集計では、
    1.町田  樹 26点・・・グランプリファイナル決定
    2.J.フェルナンデス15点
    3.小塚崇彦  15点
    4.羽生弓弦  13点
    5.P. チャン 13点
    6.高橋大輔  13点
    7.織田信成  11点
    8.S.ボロノフ 11点

     このあと、グランプリシリーズはロシア大会(11.9-11)・フランス大会(11.16-18)・NHK杯(11.23-25)がある。 
   
   *日本勢・・・すごい。全日本もこのメンバーが競うかと思うとすごいことになる。     
世界が引いちゃいそうではあるが、それほどの実力者ぞろいの日本男子シングルなのだ。
これまでも言われてきたが、今はもっと本気で世界選手権へは5枠ほしい!

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また、ツイッタ―から
◆加藤泰平です!中国から帰国しました!今回印象的だったのは、試合後のインタビューで一番明るかったのが高橋大輔選手だったこと!2位でしたが、下を向いてなかったです!逆に優勝した浅田選手・町田選手は、優勝したけど、全く満足はしていなかったです!ある意味、一番理想的な状況ですよね!

 こんな状況の中でもいい笑顔でいられる高橋選手。
すごいなあと思う。これまで難しい局面を乗り越えてきた選手であるからこそなのだろう。
いま、何らかの難関を乗り越えてNHK杯ではまた違う面を見せてくれるよう応援していく。
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by miriyun | 2012-11-05 03:39 | Comments(4)
アラビア書道展  
於:川崎アートガーデン   
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 10月24日から10月28日まで開催された砂漠の薔薇2012が終了した。
第4回アラビア書道生徒作品展「砂漠の薔薇2012」・・・この作品展は、本田孝一先生と山岡幸一先生のご指導の下でアラビア書道を学ぶ生徒作品を中心にペルシア書道など他のお稽古場でされている方との合同作品展である。

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◆作品展の歴史
 アラビア書道作品展は始まってから14年を経ている。

 横浜ACCから始まった作品展は、JACA(日本アラビア書道協会)発足とともに横浜・東京共催となり、更に全国の教室の合同展へと発展してきた。

 1998年 第1回西からの風 あーすぷらざ
 2000年 第2回西からの風 あーすぷらざ
 2002年 第3回西からの風 あーすぷらざ
 2004年 第4回西からの風  あーすぷらざ
 2006年  第1回砂漠の薔薇、東神奈川かなっくホール、
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       アラブ・イスラーム学院でのJACA発足記念本田孝一・生徒作品展
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       当時のサウジアラビア大使・学院長とともにテープカット(2006年11月18日)

 2008年 第2回砂漠の薔薇 東神奈川かなっくホール
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 2010年 第3回砂漠の薔薇 東神奈川かなっくホール
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 2012年 第4回砂漠の薔薇 アートガーデンかわさき
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◆今年度のアラビア書道作品展砂漠の薔薇2012(於:川崎アートガーデン)   
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川崎駅前タワー・リバークに向かうと2階のテラスサイドに作品展の垂れ幕があった。この垂れ幕を見ながら、エスカレーターをあがる。

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奥のエスカレーターで3回まで来るとそのまま会場が目の前という好立地。
受付を手伝ってくださった方に感謝。
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 今年度はこれまでで最も多い107点の作品が展示されるにいたった。
また、川崎駅ビルアトレの隣のビルということもあって、完全な空白ができることなく常に盛況となり、また、他の展示を見に来られた方もこんな作品があるのかと見に来られる姿があった。

 また、ひとたび足を踏み入れると、あまりに日本書道の味方とは異なるあまりにも多彩な書の表現と、装飾の多様さに驚き魅入る人がほとんどであった。中には一人の方が2時間・3時間と見つめている方もあり、この作品展だけでかなり深めていらっしゃる方もいたり、書道の盛んな国の方も見えて、深く鑑賞してくださっていた。

 個人的にも、アラビア書道の作品展をずっと見てきているが、いつも全ての作品を見ることを心から楽しんでいる。自分のを出品できるかという瀬戸際のドキドキ感が終わると、今度は出品作品を見るドキドキ感が嬉しい。こちらのドキドキはどんな斬新な手法やデザインが出てくるかという楽しみであり、これについてはほんとに飽きることなく楽しんでいられる。また、見に来られた方とのお話もとてもたのしい。どんな思いを込めてどのようにしてつくられたのか伺うと、それぞれの作品の個性の表し方が何とも楽しい。
 

 盆石と言って白い石の粉で山を描いて背景とした渋いけれど、若い方が長いこと趣味としてたしなんでいらっしゃったり、ビーズを何百も使って文様通りに埋め込んだ作品、銅板にアラビア書道、刺繍でアラビア書道、
エブルにトルコ細密画、古代エジプト絵画、絵画、イラスト・和紙・スカーフの生地・金銀の紙・そしてマットの工夫・額に直接に色と文字を書くなどちょっと書いてみただけでこんなにある。
 何を盛り込んでくるのか特技や個性があらわれてくるアラビア書道作品、最高に楽しい!

 また、詳しくは後日紹介したいが、nippon.comという日本を海外に紹介するwebsiteが取材に来ていた。
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 ◆ご参加の皆様、作品を楽しんでくださった皆様、ご来場ありがとうございました。
     良い作品展でした。
         また、2年後にお会いしましょう。
      
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by miriyun | 2012-11-04 15:46 | アラビア書道 | Comments(6)

小さな秋色

ご挨拶  
 突然、お休みしまして、PCを触らないでいました。
その間においでくださった方や、ご質問をいただいた方もいらしてお返事遅くなり申し訳ありませんでした。
 ようやくいくつかの山を乗り越えて、やっとほっとして眠ることができました。
とてもブログを書ける状態ではなかったので、お許しください。

 これからゆっくりと再開して行きますのでよろしくお願い致します。

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◆いつのまにやら、暑い10月が終わって、秋らしくなったので、小さな紅葉・小さな実を探してみた。
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名前も知らない小さな木の小さな身であるけれど、その存在感のある赤に惹きつけられた。

季節感 
10月が終わってみて感じたこと。それは日本で昔から言われている季節感がずれてきているということ。華の時期は地域差があるので、感覚が異なってしまうが、例えば関東で彼岸花はちょうど秋の彼岸に咲いていた。ピッタリとほぼ彼岸に咲くので、なるほど花の名が納得と思っていたものだ。しかし、昨年と今年はずいぶんと遅くで場所によっては10月に咲いていた。残暑がいつまでも続いていたからだろう。

 また、10月1日と6月1日に行われる習慣に、衣替えがある。歴史をたどれば平安時代からあるという衣替え。みやびやかな人々が着物や裳を夏冬総入れ替えを行ったのだろう。
 それが鎌倉時代には、着物だけでなく調度品まで夏物・冬物をすべて入れ替える習慣ができたという。
明治以降、洋装になってからも上着を着るかどうかで衣替えの習慣は現在に至るまで残っている。

 日本列島は南北に長いのに、6月1日と10月の1日というのも大雑把なものだ。南西諸島はさすがに5月1日と11月1日を衣替えとしているそうだ。
 
 そんな衣替えという言葉にとくに不思議は感じていなくて、なんとなくその頃にタンスの整理もしようと思っていたものだ。しかし、この10月も暑かった。半袖をしまうどころか毎日半袖が基本でそれに朝夕上着を着る感じだった。
 10月でなくて11月でやっと衣替え気分になった。

 こんなに季節感が変わってくると自然の中でも昆虫やら動物やらも影響が大きいだろうなと漠然と感じている。
 以前から言われているのは亜熱帯化することにより、蚊を媒介とする病気(マラリア・ナイル熱など)も考えられる。魚や両生類だって固有種よりも外来種が強くなってしまうだろうことはもう現実問題にもなっている。

 漠然と不安を感じているだけで確固とした統計資料があるわけではないけれど、季節感の微妙な変化を感じている。



 (*久しぶりにあちらこちらのブログにおじゃましています。今、gooブログさんへのアクセスができなかったり、おもかったり、また、コメントを書いて送信を押したところでつながりませんと出たりしています。
 自分のところだけの現象なのかもしれません。自分のPCの重いデータのためか、なにか設定が足らないのかわかりません。ときどき繋がることはあるので、根気よく挑戦してみますが、何か皆さんの状態や対策をご存知の方はおしえて頂ければ嬉しいです。)


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by miriyun | 2012-11-04 09:43 | Comments(6)

*写真を使って、イスラーム地域や日本の美しい自然と文化を語ります。日本が世界に誇る人物についても語ります。フィギュアスケーター高橋大輔さんの応援ブログでもあります。


by miriyun