<   2012年 07月 ( 12 )   > この月の画像一覧


    
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 木々の間を流れ、集まる
      舞い上がったかと思えば谷を下る
          消えたかに見えて消えてはいない
 
      涼をもたらすが、油断もできない・・・・それが山の霧

湧水
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       静かな水面ががわずかに震えはじめ、
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         突然、プルルッと震えた後、水が湧きあがる
                      ・・・・そこに山の鼓動を感じる

 ・・・*・・・・・・*・・・・・・*・・・・・*・・・・・*・・・・・・   
  暑中お見舞い申し上げます
  暑いですね、遠くロンドンではスポーツの祭典オリンピックが始まりました。
  スポーツの熱い応援は人を元気にしますが、日本列島の暑さは体調にも心配なほど。

        皆様、お身体大切に、
              暑さに気をつけてお過ごしください。


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by miriyun | 2012-07-28 16:01 | Comments(12)
ハセキ・ヒュッレム・スルタン・ハマム 
 2007年11月のことだった。アヤ・ソフィアとブルーモスクの間をあわただしく歩いた時、ふと見えた建物、古びているし、スルタナハメットの巨大な二つの建物に挟まれているため小さく見えて見過ごしてしまいそうな建物が気になった。こんなすごい場所にあるならば何か意味があるはずだが、同行者がいたので何なのか確認する暇はなかった。
 そこで、ひとまず写真を撮っておいた。
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 その写真がこれだ。
地味な入口の前に青い文字で小さな看板が出ている。
「haseki hyurem sultan hamami」とあった。(最後は i となっているが、トルコ語では i は”u”と発音するのでハマムと読める。
 なんと、壮麗王スレイマニエ1世の奴隷から側妾、そして妻となり、跡継ぎの母にまでなった人だ。オスマントルコの歴史の中でも群を抜いている女性だ。
 そんな女性の名がついたハマムが名だたる名建築の間に埋もれるように存在していた。汚れ方から長年の粗雑な扱われ方がわかる。

 しかし、スレイマニエ大帝がヒュッレムのために建てたハマムであるならば、自分のお気に入りの建築士を使うはずだ。そう思って調べてみるとやはり、
 そう、まごうことなき、ミマール・スィナン(シナンと書かれることが多い)の建築であった。
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  この建築物は横から見ると75mに及ぶ長い建物で、実は男女を左右に分けて同じような設備が並ぶ最初のハマムであった。


ヒュッレムのハマムの歴史
 このハマムはスレイマン大帝の全盛期、1556年にスィナン(シナン)によって建てられた。アヤソフィアに近いこの場所には532年に崩れてしまったゼイクシッポスの浴場(テルマエ)があった場所であった。
 それまでは女性の日とさだめられた日だけが女性専用となったハマムであるが、このハマムの出現で男女とも専用の浴場があり、いつでもたのしめるようになった。屋敷に個人用の風呂を持つ上流階級の人たちも召使を連れてハマムを訪れ一日中そこで世間話や年頃の娘のうわさを聞き、我が家の嫁さがしをしたりと社交場としても重要なものだった。
 こうして1910年までハマムとして使われていたが、オスマン帝国の崩壊とともに閉じられた。その後、刑務所が一杯になったときにはあぶれた囚人を収監する場所としたり倉庫として紙やガソリンの倉庫となったことさえあった。1957年にいったん修復してからは国のもつ建物として、絨毯販売所になっていたりした。

 ◆2008年に修復を専門とする大学を中心に国家的プロジェクトとして元の伝統建築を損なわないように修復がはじまった。

 最初にのせた2007年11月に撮影した写真は、その修復に入る直前の姿だったのだ。

復活したハマム
2011年に修復を終えた歴史的建造物は現在、本来のハマムとしての機能を回復し、美しいまっ白な大理石をふんだんに使った内部構造で清潔感に満ちたハマムとして観光客に開放されている。
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水道のある大理石の水盤のある場所

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                    ハマムの内部写真はハマムのHPより引用
メインの部屋は高いドーム屋根になっている。男女別になるので2つの大きなドームを持つ建築である。


中でタオルにくるまってお茶やシーシャを楽しむことはもちろん、庭に出てから屋外で食事もできる。

 そんな複合施設がスルタナハメットにできたということなのだ。観光客相手なので高めの設定だが、それでもミマール・スィナンが手掛け、ヒュッレムの思い入れのあるハマムが本来の目的に沿ったものとして再生しているのは喜ばしい。

                             *ヒュッレムとは・・・どんな女性なのかは、次回紹介します。


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by miriyun | 2012-07-26 04:32 | Comments(8)
1.アルジェリアのハンマーム     
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                                            ↑ 小さい画像2枚は、BS6をそのまま撮影したもの

ハンマームの中の写真はないから何かないかなと思っているとき、たまたま見たBSでアルジェリアのガルダイアが出てきた。砂漠大好きなので見ているうちにあかすりでごしごしこすりあっている和気藹々とした叔父さんたちが出てきた。
 これだと思ったのだが、一瞬であかすりの風景は消えてしまったが、雰囲気だけはわかった。
 

2.ダマスカスの壁画に見る  
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さて、あかすりだが、それは男性用のハンマームでは男性のあかすり専門のあかすり師(日本でいうところの三助)がいて、女性用には女性のあかすり師がいるものだ。また、時代や地域によって一定ではないが、腰布を巻きつけていることが多い。歴史上は全くまかなかった時期もあるようだが、現在はまかずに入ることはないので、日本の銭湯とは異なるので注意が必要だ。

 このセルセラハンマームの看板にローマンバスとあり、明らかにローマ式公衆浴場と考えて使っていることがわかる。イスラームでは正統カリフ時代に入浴しはじめているので、アラブ人による公衆浴場ハンマームとしての発展はダマスカスに始まるのではないだろうか。
 
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 このハンマームの外には看板の他にハンマームであることを示す壁画がある。
それを見ると、あかすり師が手にあかすりグローブを使ってあかすりをしている姿が描かれている。

 脇にはハンマームですっかりあかをおとしたあと、シーシャ(水タバコ)を吸ってくつろぐ人が描かれている。
また、たっぷりと砂糖を入れたカフア(コーヒー)やシャーイ(茶)を飲みながら他の客との会話を楽しんだ。近所の人同士の社交場でもあったのだ。

 ここは、ウマイヤド・モスクにほど近い路地にあるハンマームだった。



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by miriyun | 2012-07-25 01:04 | Comments(10)

朝霧の草

朝霧の中で      

高原の植物は、夜中の雨に打たれ、朝の霧にまかれても、
   冷え切った空気の中でしなやかにたち続ける
            
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     朝霧が通り過ぎれば   
           

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        草に宿った小さな光の一粒一粒がさんざめく

              その銀の粒が音楽を奏でそうな朝の光景が・・・ 好きだ。


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by miriyun | 2012-07-24 06:20 | Comments(2)
◆ローマの風呂文化はイスラーム地域につながった・・

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                              ↑ チュニジア*ローマ帝国のスベイトラ遺跡の前にあった案内板の石

 そこには、テルメスとローマ字語源の言語の他に、現在の地元の言葉、アラビア語でハンマーム(風呂)と解説を入れてある。


◆2000年も前に高度に発達した風呂文化はローマ帝国の広い領土にわたってつくられ、じゅうぶん西アジア・ヨーロッパ・北アフリカに定着したかに見えた。
 だが、結局この風呂の形式が一般庶民も楽しむ公衆浴場として定着したのはイスラーム地域が中心だった。
 それが、イスラーム地域におけるハンマームحمامなのだ(地域によっては、ハマムという)。むろん、今でもローマ帝国の領域だった地域ではヨーロッパのかなり北部でもその時以来の石造りの浴場が残っていてそれがハマムとして残っているところがある。

 しかし残っているというていどであって、それ以上に庶民が入ることができる公衆浴場を積極的につくってはいない。
 それに対して、モスク建築と一緒にハンマームとスークをともに作り、そこから上がる収益の一部をモスクの運営費を出す仕組みを作り上げていたイスラームでは、積極的に新しいハンマームを作ることが文化として定着したのだった。


イエメンのハンマーム 
 
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日干し煉瓦造りの家並のあいだに、白い煙がもくもくしているところがある。ハンマームがここにあるのだ。
 イエメンにも各地にハンマームがある。
女性と男性は入湯できる日がかえてあるということなので、日本の温泉宿で大浴場を男女の入る日を交代制にしているのと同じようだ。

チュニジアのハンマーム
チュニジアの北部の大モスクが多いところは当然だとは思っていたが、ひなびた南部のベルベル系の人が住む地域ではどうか。
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ここはマトマタとトゥージャンへの道。
日干し煉瓦としっくいの家が丘に並ぶ小さな町が見える。

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そばには変電所のような建物もあるが、そちらから民族衣装を着た女性が日射しと風が強い中歩いてくる。

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 彼女が目指すのは道よりも下にあるこの建物らしい。ただ見ただけでは何かわからないが、屋根の上にはちゃんと表示板があった。ハンマームとはっきりと書かれている。

 荒れ地が広がっている中に堂々たる建物。周りは塀と鉄条網で囲ったしっかりとしたつくりになっていた。
このようなハンマームは、ローマの残したものではなく、イスラームでつくっていったものなのだ。

 そして、なぜ風呂に入るのかは、イスラームならではの理由もあった。
イスラームにおいては礼拝の前に身を清めなければならない。清潔にしてから祈る習慣はハンマームにはいる習慣や、それを有力者が寄進したりする大いなる理由になったはずだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~
 なお、本日よりラマダン月に入った。
「ラマダン・カリーム!」

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by miriyun | 2012-07-21 23:05 | Comments(10)

続・7月の色

     

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 シオカラトンボの色が好き!
    そして、トンボの翅の造形といったら、なんてすごいんだろう・・・

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by miriyun | 2012-07-20 07:01 | Comments(8)

7月の富士

     

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                                                ↑ ワンクリックすると、画像を大きくしてご覧いただけます。

いつもの富士をいつもの場所から見ても、毎日違う顔がある。

   霞か雲か、
      水蒸気を含んだ空気の層があるとき
            富士は淡い色のうす衣を身にまとう・・・


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by miriyun | 2012-07-18 07:06 | Comments(12)

7月の色

やさしい気持ちになる色風景    
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by miriyun | 2012-07-15 16:50 | Comments(8)
古代ローマ以前から使われたこれは何だろう?      

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カルタゴの遺跡出土。青銅製。測っていないが10~15cmくらい。

ヒント*このような方たちが使う

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テオドシウス帝

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テルマエロマエのルシウス役でイタリア人にもローマ人のようだと受けていた阿部寛さん。

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高橋大輔さん、時代も形も違うけど、この方も毎日必要としている。
ちなみに織田信成さんは1ヶ月は使わなくていいということだった。

????さて、これは~?(^_^)☆

3.答え
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いちばん先端の写真。鳥のくちばしに模した形。
うん、片方だけといである

 答えは装飾付きカミソリ。カルタゴでは副葬品としてこの装飾月の剃刀が出土している。ポエニかみそりという。(カルタゴ博物館)
 そのカルタゴを滅ぼしたのはローマ帝国であるが、やはり剃刀はスキピオ将軍も使っていた。
ただし、ローマは実用文化を重んずるので、剃刀ももっと装飾を亡くした実用本位だっただろうと考えられる。

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by miriyun | 2012-07-11 06:59 | Comments(14)

高橋大輔の軌跡(1)

天才と呼ばれた少年*スケート人生のスタート 


 スケート環境は恵まれていたわけではなくて、近所にリンクができたので始めたのが8歳だというから、こうした世界一を狙う人としては遅いスタートを切る。スケート教室の先生やスケートを教えてくれた近所のお姉さんに基本を教えてもらいつつ、やりたいことをこつこつと積み上げた。
 1998年に、長野オリンピックがあり、その時TVでみたアイスダンスなどを見てやりたいと思ったことは、難しくてもリンクの片隅で黙々と真似てみたらしい。だが、このスケートで踊りたいという気持ちを理解する人に出会うことがなかった。仕方なくコーチがつかず一人で黙々とジャンプも振りも練習した。

  普通はそれぞれのクラブとそこにつくコーチがいて、そのコーチや協会が主催する合宿などに呼ばれる。
主なコーチがいない大輔君はそのまま倉敷のスケート愛好家として埋もれてしまった可能性もあった。
 後ろ盾もなく倉敷でひたむきに自己練習していたのだったが、日本のジュニア大会に出るようになって、実力だけでスケート関係者の目に留まり、倉敷にいい子がいるらしいという噂がたつようになった。

運命の出会い
 そこで呼ばれていった東北の合宿で、振り付けを見てもらうことになっていた先生が急用ができてかえることになり、代わりに長光歌子先生が急遽、振付けることになった。
 長光先生は音をとらえた踊りができることに注目した。なぜなら、男が踊るなんて?という風潮が強かった時代であったが、長光先生は技術とスピードがある男こそ踊るべきだと思っていたコーチだったのだ。

 
 1999年の夏、中学2年の踊りたい高橋大輔と、踊らせたい長光歌子先生の運命の出会いだった。その後、長光コーチのいる大阪へ週末に通うようになる。それでも平日は一人で練習していたのだ。トップスケーターとなった人で中学時代にこれは珍しいのではないだろうか。
其の1999年のうちに初めての国際大会トリグラフトロフィーのノービスで優勝した。2000年と2001年の2月に全中学校大会を2連覇する。

 このころに、インタビューに答えて、夢は、オリンピック3位以内に入ることと語っていた。・・・・・今は3位はもうとってしまって、オリンピック金メダルを目指して進化中!


世界ジュニア選手権へ・・・日本人男子初の優勝    
◆2002 World Jr 高橋大輔 SPではウエストサイドストーリー
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                                          ↑ 最後の決めポーズ


リンク→【ニコニコ動画】2002 World Jr 高橋大輔 SP

 ウエストサイドストーリーの超有名な曲だ。誰もが知っているだけに曲に送れると目立つ。中盤で、一瞬音がなくなり、チャチャチャとはじまるところ合わせるのがピタットできている。まだ思い切った腕ののばし方とか表現はしていないが音とりはできていて、音を聞いてからの動きではないのがもうわかる。

 キスクラで恥ずかしがっている。普通の15歳。しかし、滑りはジュニアではないような滑りをしている。表現したいのだけれども遠慮がちにしているような感じだ。


◆2002 世界ジュニア選手権 FS 「ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調」

リンク→【ニコニコ動画】高橋大輔 2002 世界ジュニア選手権 FS

 「ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調」の調べにのせてきれいな滑りをしている。
しかし、つい先日、濃い大人の演技を見たばかりなので初々しい少年の演技から見直すと、その変化が歴然とみてとれる。
 

◆2002 世界ジュニア選手権 Ex 「マリア」+アンコールはSP最初の3A

     


シニアデビュー*苦難の時代 

◆グランプリシリーズでシニアデビュー・・・ドイツで緊張11位
◆第2戦NHK杯  SP 自分が緊張しているのかどうかもわかりませんでした。翠松高校2年生

   リンク→【ニコニコ動画】2002 NHK Trophy 高橋大輔 FS
前半で、4回転は失敗、アクセルも万全のアクセルとは言えない。
後半、小気味よい音に合わせて勢いが出てくる。そしてスピードにものって素晴らしい。
前半と後半が別人のよう

音楽に合わせての動き、天性のものです(アナ)とはいわれたが、ジャンプの不安定さなど、緊張など、シニアでは3年も目がでず、天才といわれても自分ではそう思えなかった高橋の苦悩のときは続いた。
 そうしていても期待だけはかけられるから、海外の武者修行的にいろいろな習うため4か国もまわって修行時代を過ごしたのだ。相変わらず行き来しながら岡山の高校を卒業する。

 ほんとに苦しくて今でも思い出すのが嫌なロシア時代を除けば、あとになっていろいろなところで習って幅を広げたことは生きてきているのだろう。
 また、歌子先生はこの子はどこで習っても可愛がられてきたという。天性のものがあったし、礼儀はしっかりと歌子先生に叩き込まれていたから今の高橋があるのだろう。勿論子供のころに教わった近所のお姉さんがきちんと礼儀を教えてくれたことも生きている。

 苦しくて目が出ない時期、これがなくて順風満帆な天才として楽な人生だけを歩んでいたら、あの大怪我とそのあとの長くて痛くて苦しいリハビリ期間をのりきれなかっただろう。そのあとのむち打ち状態の治療時代にも耐えられなかったかもしれない。

 苦しい時を乗り越える経験もいつかは役に立つ。
しかし、苦しくてもまた立ち上がればできるんだと伝えてくれるのは、まだずっと後になる。
残念ながらまだこの当時は苦しいことばかりだったようだ。

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by miriyun | 2012-07-08 00:12 | Comments(4)

*写真を使って、イスラーム地域や日本の美しい自然と文化を語ります。日本が世界に誇る人物についても語ります。フィギュアスケーター高橋大輔さんの応援ブログでもあります。


by miriyun