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4本の塔・・シェイクザーイドモスク(17)

塔を中心に   

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シェイク・ザーイド・モスクの大理石の中庭には、たくさんのドームと列柱、そして4本のマナーラ(ミナレット )が聳える。
どれも真っ白なので、うっかりしてしまいそうだが、塔こそはもっともオリジナリティの高いところ、見逃すわけにはいかない。
壮大ながら、緻密なこのモスクの塔はいかなる物か?

まず最下段はマグレブのモスクの塔のように四角な塔である。あぁ、しかしマグレブほど骨太などっしりしているわけではない。クアラルンプルのマスジド・ネガラの塔の下部に似たシャープな四角柱である。そこに二段にアーチ型窓がありアクセントになっている。

☆マナーラの構造

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二段目は八角形の塔だ。モスクの外壁の一部として存在し、四角柱から八角柱が立ち上がっているものとしては、古くはウマイヤドモスクの西の塔があった。マムルーク様式であった。

さて、その上、三段目はトルコにもおおい円柱型である。

4段目は円柱の変形バージョンで小さな古代型円柱8本が装飾的円柱として使われている。
その上には金の尖塔でその上にさらにイスラームの月がある。
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金の尖塔は、金とガラスによるモザイクになっている。 


◆ この5段に及ぶ真っ白で先端が金色の塔は、高さも107mある。
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                                                          ↑ (クリックすると大きくしてみることができます)

それが4本建っている。マレーシアのシャーアラムのブルーモスクの塔の高さには及ばないものの、シャーアラムは幾何学的要素が強く男性的であるのに対して、シェイク・ザーイド・モスクのデザイン性は豊かで優雅でもある。


そして、これだけの高さの塔が飛び抜けることなくしっくりとシェイク・ザーイド・モスクの全景の中に馴染んでいる。
これこそが、全体の規模が如何に大きく、建築美を追求し尽くしたかがわかる事である。

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by miriyun | 2011-05-31 07:51 | U.A.E. | Comments(10)

ガラスの扉・・・シェイク・ザーイド・モスク(16)

 このモスク、長く中断してしまったが、ようやく再開するきもちになれた。

金とガラスとの扉    
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モスクのオープン礼拝室と主礼拝堂の間のガラスのドアは幅12.2メートル、高さ7メートル・約2.2トンの重量がある。枠は金で、ガラスはテーマの花をイメージした装飾ガラスである。
扉の奥がミフラーブで、主礼拝堂に入りきれずにこの礼拝室にいても、この扉を通した向こう側にミフラーブが見える。

上から下まで見渡せば

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イタリア白大理石と象嵌花のデザインがガラスの扉の周りを華やかに飾る。

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床には日本にもなじみのある朝顔のなびくさままで、ずっと連なっていく。
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by miriyun | 2011-05-30 07:17 | U.A.E. | Comments(6)

復活*アラブチャリティバザー in オマーン大使館

アラブチャリティバザーが戻ってきた! 

 2011年度の4月にカラヤン広場で予定されていた第13回アラブチャリティバザーは、震災の影響下で中止になり、アラブ文化愛好家にとっては残念であった。
 しかし、ようやく各国大使館も通常業務に戻りつつある中で、時と場所を変えて、あのチャリティバザーがオマーン大使館で復活する。

  もともとのバーレーン大使館サイトではなく、今回はシリア大使館サイトで掲載されていた。

                 *アラブチャリティーバザー 日本復興支援 開催* 
日時: 2011年6月11日(土) 11~17:00
場所: オマーン大使館 
     東京都渋谷区広尾4-2-17
アクセス: 東京メトロ日比谷線 広尾駅下車(3番出口)徒歩3分
問合せ: オマーン大使館 03-5468-1088
入場料: 無料
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                                   (↑ シリア大使館HPより引用させていただきました)

 開催場所してくれるオマーン大使館、並びにこの情報を広報してくれたシリア大使館に感謝する。

 アラブ諸国は大昔はともかく今は地震に関係なく暮らしているところが多いだけに地震のショックは大きかったものと思う。あっという間に即日国外退去された方も多かっただろうが、それも仕方がないと思って、せめて来年は復活してくれたらと願っていた。
 そうしたら、なんと6月の開催となったわけで、しかも入場料は不要ということなので、せめてアラブ物産を買うことで参加したいものだ。そして、どんな素朴なものでもいいから、できるだけ、made in arabの物を置いてほしいと思っている。

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by miriyun | 2011-05-29 11:03 | Comments(11)

オマーンの援助の形*南相馬市

 東日本大震災と津波・原発事故・・・三重苦の日本
 三重苦の日本を世界は見つめて、実は現在までに実に157か国からのメッセージ・救助隊・援助金などが日本に寄せられている。
 それぞれの国力や民意に応じた援助の申し出や募金活動・チャリティ・など、額の大小にかかわらず世界の温かい心に胸が熱くなる。アフガニスタン・カンダハルからのメッセージや、ケニヤの飢えに苦しむ村からの唯一の産物であり、、貴重な主食でもある豆を受け取ってもらえるかと打診があったことなど、心の中に涙雨が降り注いだ。

 さて、いよいよ復興へとのりださねばならないところで、各地で牡蠣の養殖の準備をはじめたり、保険の降りるまで壊れた家屋をほおっておくなどできないと再建を自分たちで行おうとするなど、復興への歩みをわずかながらはじめている。
 そうした中で、かろうじて家が残った人も避難所生活の人も一刻も早く仕事に戻りたいと願っている。人はやはり与えられているだけでは希望を持てないものだ。
 

 南相馬町    
  復活と仕事を待望する南相馬町・・・この町に従業員たった16名の浄水器の工場があった。落合工機という。
 ここはもとより、オマーンと小型浄水器の取引のあるところなのだが、今回の東北大震災で従業員の家も流され、惨憺たる被災地となった。
 
 オマーンというアラビア半島南端にイエメンと並ぶ国がある。カーブース国王がおさめる落ち着いた国である。その国の王族の会社が日本の復興支援のために義捐金を送ろうかという話になった。
 しかし、取引のある浄水器の会社に発注をした方が本当の復興につながるのではないかということで、総額26億円分の大型浄水器及び小型浄水器の発注を4月の初めにすでに行ったという。

 これは確かに被災した工場・従業員・その家族に希望の光と復興の力強い原動力になるばかりでなく、そのための従業員宿舎の建設による他の産業への後押し、新たな従業員の雇用まで影響は広がる。
 こういう形での復興支援・・・紹介しておきたいと思った。


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by miriyun | 2011-05-29 10:10 | Comments(2)

ラクダの足(2)・・・側面と足裏

ラクダはゆく  

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後ろに蹴りながら走っている。側面から見ると足裏の扁平なのがよく見える。

ほんとは、こんな固い道路を歩くには向いていない。


砂漠をゆく足裏 

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無骨なひずめの姿であったが、裏から見るラクダの足は何とも可愛らしい。
以前に座っているラクダの足裏は紹介したが、今回は歩いているラクダの足裏を初公開!

 ラクダに乗って砂漠を行くと大荷物を載せているというのに足音はほとんどしない。
  ただ、かすかに、ほんとにかすかにパフパフッ、とした音にもならない音のようなものをかろうじてとらえることがある。 それがこれだろう。
 足を後ろに蹴り上げたとき、わずかに上がる砂。底面積が広い足裏で砂にのるが、体重がある割に人が歩いているときほどにも砂は巻き上がらない。
  砂丘のときにはさらにその足の力が発揮され、砂に潜ってしまうことなく進みゆく。

 ラクダの足に興味は尽きない!



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by miriyun | 2011-05-27 04:02 | 自然(砂漠・ラクダ・蜃気楼) | Comments(4)

ラクダの足(1)・・・蹄は2本指

ラクダのひづめは2本指?! 
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砂漠の中を横断してきたラクダ
  道路を渡るラクダというのはあまり似合う姿ではないが、足元は見やすかった。

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脚がきわめて細い。大型哺乳類であるのに華奢なつくりだ。骨の上に皮があるだけなのかと思うくらいに細い。それに対して足先は幅広で大きい。
蹄(ひずめ)は2つに分かれている。もと5本あった指がラクダとして進化する中で中指と薬指だけが大きく発達し、残りは退化してしまった。
その結果、2本のひずめが大きく幅広の足になったのだ。
思ったよりも無骨なひずめであった。
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by miriyun | 2011-05-26 07:14 | 自然(砂漠・ラクダ・蜃気楼) | Comments(0)

油ヤシ農園が続く

ヤシの畑は弧を描き  
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地形に沿ってうねる木々。
何の木かと思えば、やはり南国。ヤシの木が連なる。
同じイスラームの国とはいえ、気候が違えばヤシの木も異なる。
イスラーム地域で中東・北アフリカではナツメヤシが主たるヤシであるが、東南アジアでは油ヤシやココヤシが目に付く。

こちらは油ヤシ畑。
油ヤシは西アフリカ原産のギニアアブラヤシが現在マレーシア中心に栽培される。果肉と種子から油脂が採れる。単に面積当たり得られる油脂の量は植物の中でとくに高い。
果肉から採れるパーム油が食用油や石鹸の材料としてとして古くから使われてきた。
マレーシアの油ヤシはモノカルチャー・プランテーションの代表的なものとして発達してきた。今もその名残りなのか大農園に見える。経営はマレー人農園主がやっているのだろうか。
日本は短年性作物である米などを栽培する耕地は430万haの土地に対して、コーヒー、ゴム、ヤシ、茶などぼ永年作物は十分の一もない。
だが、マレーシアは短年性作物のための割合は耕地は180万haしかないのに、永年作物地は580万haと耕地の3倍以上がこのようなプランテーションになっている。
(数値は総務省統計局の世界の統計2011より引用。具体的統計年度は2008年の数値である)

食糧と商業作物をどのような割合で栽培するかはその国の事情によるが、東南アジアの中でもとくにその割合の高い国である。

諸事情を考えずにただ見れば、空からみるヤシの畑はとても美しかった。


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by miriyun | 2011-05-25 07:54 | Comments(4)

ランプの間 in イブン・バットゥータ・ゲート・ホテル(2)

3階から臨む   
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ランプが不規則乱数のように点在するさまが美しい。

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真鍮のランプシェードの文様も映える。

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アル・バホウ(Al Bahou)から見あげるランプの数々
Al Bahou、アラビア語で「邸宅の中心」という意味のホテルのグランドホール。なんと90m×30mの巨大なホールで、88ものランプ(英文ではランタンとなっていたが、日本ではこれはランプというイメージなのでランプと表現した)が下がる。ここから、6つのレストランなどへつながる確かに中心となるホールなのだ。
 見上げると天井がとても高い。中東のホテルに定番のテントも設置されている。

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が、しかし、最も美しいのは床の大理石にランプがそっくりに写る姿だろう。

 ☆ う~ん、ランプを堪能 ☆ ☆


ここでは、床の大理石から伝わるひんやり感を心地よく感じながら、
        中世のイブン・バットゥータの旅に心を遊ばせるのがいい。

 彼が行ったイエメンのコーヒー豆にインドのカルダモンを入れてもらおうか・・・
     ミントの葉をたっぷり浮かべたシャーイを入れてもらうのもいい・・・
                     まったりとするのがいい静かな空間がここにあった。

 

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by miriyun | 2011-05-23 16:38 | U.A.E. | Comments(10)

11万7000kmイブン・バットゥータの旅

 モンゴル帝国の領土と旅  

 中世のユーラシア大陸や地中海世界を見渡すと、モンゴル帝国以前とモンゴル以降とで世界観が違ってくる。もちろん、あらゆる分野に関係することなのだが、旅ということをここでは考えていきたい。

 モンゴル以前なら唐とインド間に限定されるが、記録を残した玄奘三蔵法師だっていた。
また、国家規模での交流ははるか2000年近く前からあった。A.D.97年、甘英が大秦国(ローマ帝国)をめざし、地中海まで目にしながら海を渡らず引き返した(『後漢書』西域伝)。166年には、秦国王の安敦が使者を洛陽に送り、象牙や犀角などを献じた」(『後漢書』西域伝)。「続資治通鑑長編」には、1071年にはセルジューク・トルコから使者が来て、1081年には東ローマ帝国から使者が宋にやってきたことが記されている。
ユーラシアをアジアの東までしっかりと旅をし、しかもそれを記録に残したというのはマルコ・ポーロからである。もちろん、彼が最初の旅人というわけではない。彼の父親と伯父の方が先に元のフビライ皇帝に謁見を許され、さらに自分の国にまで帰り、もう一度息子を連れて訪れているのだ。

 他にも名もなき人の移動はたくさんあった。

 だが、使者ではなく民間人で記録を残したというと、かなり限定されてくる。もちろん内容は信じることができないような内容も時にはあったり、自分の目で確認したわけではない伝聞を基にしたものもある。だから、完全な資料ではないが、かといって他にグローバルにしたためたものがない以上、その当時の地誌や町の人々の様子などを生き生きと描いた貴重な資料であることは確かである。

 大陸横断して大旅行をした人物、そして記録(いずれも口述筆記)を残した人・・・
      *13世紀の旅人はもちろんマルコ・ポーロ
      *14世紀の大旅行家はイブン・バットゥータ  である。

 この二人に共通するのは大変な距離を移動しているということである。そして、それがモンゴル帝国といういくつものハン(ハーン)国に分かれているとはいえ、元を宗主国とするモンゴル帝国の緩やかな連合となっており、共通のモンゴルという枠の中で、安定し、かつ強権で、その中でかってないほど東西の物資は動き、文化も宗教も、もちろん人もその枠の中ではこれまでなかったほど安全に移動できるようになったのだ。

 イブン・バットゥータの11万7000kmの旅  
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                                            ↑ミニアチュールの中のイブン・バットゥータ (パブリック・ドメインの画像)

 1304年、モロッコのタンジール(タンジェ)に彼は生まれたベルベル系アラブ人。タンジェはモロッコの中でも最北端の突き出したところにあり、イベリア半島を臨み、海越しに他の土地へ興味をわきたてられそうな位置にある。

 21歳の時、イブン・バットゥータは動き始めた。
最初のきっかけはイスラム教徒としての当然の動機から始まる。マッカ(メッカ)への巡礼である。モロッコからであるから旅は東へ東へと続く。エジプトのアレクサンドリアからシナイを越えてダマスカスに入り、そこからメッカへ入り若くしてハッジとなる。それでふつうはモロッコに戻るものだが、彼はここからペルシアへ渡る。

 それはなぜか?
この時、ペルシアはイルハン国となっている。
 イスラーム的見地からイル・ハン国を知る上で押さえておきたいのが7代君主のマフムード・ガザンと、次の8代のムハンマド・オルジェイトゥである。ガザンのときにイスラームに改宗し、そのためにペルシアの各部族もこれに従い、イル・ハン国はイスラーム王朝となった。宰相ラシードゥッディーンに『集史』を編纂させた。
 8代オルジェイトゥは、兄ガザンの方針を受け継ぐ。イスラームの仕組みを取り入れつつ。歴史編纂を含めモンゴルとしての再認識も行う。首都を現在のテヘラン近くのスルターニーヤ(ソルターニーイェ)として、そこを中心に、君主自ら指令することによってすべての学問・建築・工芸が隆盛した。
 こうして、8代君主のときに隆盛を極め、東西交易が隆盛してイルハン朝の歴史を通じてもっとも繁栄した時代を迎えた。

 イブン・バットゥータが渡ったときには9代君主に変わっていただろうが、まだその繁栄の様子が残るイル・ハン国に、青年が惹かれて渡っていったのはわかる気がする。そして、イル・ハン国内のシリア地方まで旅をし、更に・小アジア・黒海を経て北のキプチャク・ハン国、東へ向かって西チャガタイ・ハン国、すなわち中央アジア(チャガタイは東西分裂して弱まり、群雄割拠に近い状態なのであまり記録はない)に入る。これらのハーン国を民間人が渡り歩くことができる・・・これこそがモンゴル以後の旅の恩恵だった。
 30代になるとトゥグルク朝のインドのデリーに滞在し、カーディー(法官)に任命された。その後インド西海岸をずっと南下し、セイロン島をめぐり、更に東南アジアのスマトラ島ベトナムをめぐり、船で福建省の泉州に上陸、陸路をの大都まで行く。
 

 1354年にいったん故郷のタンジェに戻るが、更にその旅心は彼をとどまらせず、海を渡ったイベリア半島のアンダルシア、アフリカに戻り南下してサハラ砂漠をトンブクトゥーなどをめぐる。

 あまりにも広範なその旅は11万7000kmとされる。実に地球3周に近い距離である。

 口述筆記による大旅行記 

 ◆マリーン朝の君主アブー・イナーンはこの旅に注目。書記官であるグラナダ生まれの文学者イブン・ジェザイイに命じて口述筆記させた。こうして完成したイブン・バットゥータの旅行記が
『諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物』
(تحفة النظار في غرائب الأمصار وعجائب الأسفار‎ )   
Tūhfat Annathar Fi Ghara'ib Al-Amsar Wa Aga'ib Al-Asfar)である。

 イブン・ジェザイイは言う。
「私は彼が述べる逸話や未知の情報に類することについては、すべてを記し、その記録内容の信憑性についてはあえて詮索したり、選択したりはしないことにした」

 おそらく、この学者は見たこともない土地について語るイブン・バットゥータの話を取捨選択して載せようとしたのではあるまいか。ところが取捨選択は書く方も対象となるものをを知っていて、その中で基準を設けてはじめて選択できるのであって、全く知らない土地の不思議な話ばかりがあると、全く選択ができず、そのまま載せるということをせざるを得なくなり、その代りこうしたことを述べたのに違いない。

 このように他に誰も知らないようなことというのは、ともすれば、いう方は大言壮語になるかもしれないし、反対に事実のみを言っているのにほら吹きやうそつき呼ばわりされることもある。学者はそのようなことがないように証拠を積み上げ採集しながらいくのだろうが一般人や商人の記録はそういう意味では不完全になってしまうわけである。
 マルコ・ポーロも「100万のポーロ」と陰口をたたかれた。日本風にいうと大風呂敷の嘘八百のポーロというような言い方だ。 だが私は、うそを創作し続けるというのはとても難しいと思う。

 マルコ・ポーロもイブン・バットゥータも、もっと深く検証し、その中から現れる真実を大事にしていきたいものだ。



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by miriyun | 2011-05-23 09:50 | Comments(0)

イブン・バットゥータ・ゲート・ホテル(1)

 イブン・バットゥータ・ゲート・ホテル   
ドバイのアブダビよりに、メトロの駅、イブン・バットゥータ駅がある。
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この名に惹かれて降りて見ると、駅からほど近くに巨大なホテルが見える。
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大き過ぎるホテルは近いようで遠い。しばらく暑い中を歩くとホテルのロゴが大きく見えてきた。
上半分がイブン、下半分はバットゥータと表し、円の中に収めている。
アラビア語はロゴにはとても向いている文字で、いろいろな表現が出来る。
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最初に出会ったのはこのラクダくんの目であった。
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そのラクダの先にはしっとりと落ち着いたノスタルジックな空間。

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そして、上を仰ぎ見れば名前の由来のその方が・・・。

バットゥータ
中世にアジア・中東・北アフリカを行き来した人物である。



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by miriyun | 2011-05-19 07:15 | U.A.E. | Comments(12)