写真でイスラーム  

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2010年 11月 30日

絵地図は教えてくれる--蛇の柱

 絵地図は教えてくれる   
ナスー・アス・シラヒ・アル・アトゥラキの『二つのイラク(アラビアとペルシアのこと)におけるスルタン・スレイマニエ1世遠征戦記』の写本挿絵を見ていた。
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これはその一部。イスタンブール旧市街の1537年当時の俯瞰図である。俯瞰とはいえ、地図といってよい正確さであらわしているという。
             

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デルフィのアポロン神殿に建てられていた蛇の柱だが、コンスタンティヌス大帝の命でここに運び込まれた。
その後、十字軍によって乱暴にもちぎられたといわれる。このちぎられた先がどのようなものであったのか、今の私たちは見ることができない。 

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⇧地図は「大系世界の美術」学研より一部分を引用
これを先ほどの図で探してみると、ミドリの中で、ヒポドロームにいくつもの柱がたっている。
時代があとなのに何故ここに見えるのかという疑問はある。復元したものを置いていたのか、伝承の通り描いてこの都を華やかに彩ったのか真相は不明ながら、真面目に正確に描いてある地図上に渦巻状の黒い柱のが確かにありその上には蛇の頭がのっているのだった!
 3つの蛇頭というデザインを絵が教えてくれたのだ。たかが絵地図といってはいけない。日本の屏風などでも描かれた街の絵にたくさんの情報が眠っている。




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by miriyun | 2010-11-30 06:27 | Comments(6)
2010年 11月 28日

柿の名は?

 トルコの八百屋で柿を見る    

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11月末なので、もう大分熟しきっているかのようだが、甘いのが好きなトルコ人はこのくらいのが好きなのだろうか。ペルシアでも熟しきったのが好きだと聞いたことがある。日本人はコリコリした柿派と甘くて柔らかい柿派にはっきりと分かれる。ちなみに私はコリコリ派である。

 さて、名前であるがHURMAとある。

◆何かに似ている。
そういえばペルシア語で خرمالو 「ホォルマ」という言葉があった。
それはただし、ナツメヤシの実のことだった。
確かにデーツは最も似ているものは何かといったら柿に似ている。
未熟だと渋があるし、熟すとあまくて乾燥したら干し柿そっくりだ。
そう思うと、ペルシア語のデーツがトルコで柿をあらわすことがただの偶然ではないような・・・。
 トルコ語のこの言葉はどこから来たものなのだろうか。

追記
柿の名の疑問に対してありがたい情報をお寄せいただいたので、ここにまとめる。
トルコ語ではデーツも柿もHurma(フルマ)
ペルシャ語ではデーツは خرما  Khoruma(ホォルマ)で、柿はKhoruma-luである。
トルコに伝わって一緒になってしまったのだろう。--------atelierciniciniさんより


 柿の原産地と伝播
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 中国の長江流域の地域が原産といわれている柿。「柿」は奈良時代に中国から日本にわたったといわれている。
 そして、この柿というものは欧米にはなかったらしい。
実はペリーが日本の柿を持ち帰りそれによって欧米にひろがった、
英語ではpersimmonあるいはKAKIが使われているという。


 アラビア語では柿の名は?

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そのまま「カキ」となっている。
كاكيまたは、تين شتويを使っていて、アラブでもまたカキで通ずるものとわかった。

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by miriyun | 2010-11-28 13:53 | Comments(18)
2010年 11月 26日

八角燈篭のライオンたち・・・・ライオン紀行(26)

 獅子像 in東大寺八角燈篭 

東大寺の八角燈篭その3
 八角燈篭火袋の透かし彫りはまことに見事なもので一部に金彩の名残りも見えていた。(前出)


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その音声菩薩の透かし彫りの面と観音開きの扉の面全ての下部に獅子像がある。 その中でも秀逸と思うのがこれだ。この像は八角の各面の下部のワンポイントとしてなのでごく小さい浅浮き彫りである。
 しかし、小さくて薄いものであるのにモモのあたりの肉感もあらわしており、たてがみも細かくなびく。そのために勢いを感じさせる。


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東大寺前の八角燈篭は小さく見える。
現在、これは光明皇后1250年ということで、上野の国立博物館に来ているという。
このことから東大寺にこの秋行かれた方からはいつも気にも留めていなかったのに、無くなって初めて寂しさを覚えたということを聞いた。
また、博物館に行かれた方はきっと大仏殿の中庭では感じられなかったの八角燈篭大きさを感じられたのではなかろうか。自分は博物館に見に行っていないのだがそれは想像に難くない。

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 八角燈篭の中では観音開きの扉には雲間を飛ぶが如き獅子像をみいだすことができる。
 これは他の国では見たことのない面白い意匠である。格子型の透かしの上に平面の獅子像が4体。
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雲の間から頭の部分だけをもたげたかのような立体表現。そしてその顔の鋭さ、外の生物ではあらわせない風格。
 それが実用扉であることを越えて造形していった職人魂を感じさせられている。


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八角燈篭は博物館での展示が12月12日まで行なわれその後、修復に入るという。何故修復が必要なのか、目に見えてわかる画像としてここに紹介する。
こうなると雨や空気の中の物質が破損部分から奥深くへと影響を与えて、2000年記念どころか1500年記念も迎えられなくなってしまうのだ。
定期的なメンテナンス、時に大掛かりな修復を重視し、予算を付けられるかはその国の文化度が問われる。


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こちらは同じデザインで壊れていない獅子像。
◆雲間の獅子と一番最初に紹介した獅子とともに、8世紀中頃の天平の時代につくられた。
後の世に流行った座った姿でにらんでいる狛犬とは一線をかくすものである。ライオンなど見たこともない日本でシルクロードを経て変形していった姿であるが、ライオンの咆哮や王者の風格というものが現されている。
ライオンというものの本質が捉えられていて、ユーラシア東部のライオン像の中では特に価値ある像であろう。

       

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by miriyun | 2010-11-26 01:13 | Comments(4)
2010年 11月 24日

空ゆく

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白鷺が川面をついばむ
まだまだ餌は足りなかったのか
もう仲間たちはいないというのに----


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夕映えに気づき
ようやく飛び立った白鷺よ
早くお帰り、きっとみんなが待っている


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by miriyun | 2010-11-24 19:42 | Comments(6)
2010年 11月 23日

ユルドゥズ宮殿の緑の扉

 タクシーも迷うユルドゥズ宮殿 
 宮殿というのは豪奢な門扉が国民を排除しているような印象が強いが、スルタンのこじんまりした私邸といった風情のユルドゥズ宮殿はとても雰囲気がよい。
 新市街のメイン道路の一つバルバロス通りはかなり急な坂だ。そこを上っていく。さらに細い道を行くとその坂の上におちついたたたずまいを見せている。ちょっと通り過ぎただけでは宮殿と気づかないかもしれない。
 実際タクシーに乗ってユルドゥズ宮殿といっても通じないことが多く、日本人ならトプカプ宮殿かドルマバフチェ宮殿に行くのではないかと聞かれるくらいだ。

 
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坂の上に見えてきた門。もちろん中は警備はきびしいが、外に歩哨が立っているような物々しさはない。


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緑が多く気持ちのよいゆったりした敷地である。
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 唯一、真っ赤に染まったツタが白い壁を張っている姿は美しい。

 そして、この敷地には日本人にはなじみのいい木造の建築物が爽やかな水色で並ぶのだが、一番奥に石造りの建築物があった。
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水盤と水の出口があるので、サビールを含む複合建築だろうか。重厚なつくりと黄色の壁が印象的だ。

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壁沿いに廻るとまだ黄色の壁は続く。スルタンが作った建築である、なぜかアタチュルクの名があり、なにか言葉が掲げてある。

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補修工事中なので中はわからないが、門が半分開いたままになっていた。
時を経てかなり傷ついてはいても、門扉の深い緑はとても美しく、こころの奥にしっとりと残っている。
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by miriyun | 2010-11-23 11:23 | Comments(4)
2010年 11月 21日

天平のマエストロの作品*音声菩薩・・・東大寺八角燈篭その2 

1.天平のマエストロが作り出した  
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 東大寺のあまりにも広い大仏殿の敷地内に入り正面に立つと、あまりの大仏殿の大きさと中におわします大仏に圧倒されて、4.6mの高さの八角灯篭を見もせずに通り過ぎてしまう観光客も多い。
 しかし、足を止めてじっと見たならぐるりと回ってみたくなる。
八角燈篭の火袋の面のうち、固定の4面は、楽器を奏でる音声菩薩像(おんじょうぼさつぞう)があらわされる。これこそは天平のマエストロの作品といってよい。


2.天平の調べを奏でる音声菩薩

A:横笛を吹く菩薩
・・・八角燈篭の南西側  ↓
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 横笛の穴を押さえる左右の手指もくっきりと表されている。
足元の三重の飾りもとても細かいきざみや花びらからなっている。




B:縦笛を吹く菩薩
・・・北西側  ↓
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 笛のややしなったような表現がいかにも外へその音を響かせようとするかのようである。
あごの下、笛の下は空間が空いているのだろうか。立体感があって影ができている。その姿は風格がある。




C:鈸子(ばっし)をもつ菩薩
・・・北東側  ↓
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両手で鈸子(ばっし)を持ち、微笑みながらそれを上下で軽く打ち合わせる。ちいさな金属のシンバルをもつ菩薩である。


D:笙(しょう)を吹く菩薩・・・南東側 ↓
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 ふくよかなお顔の頬がふっくらとして目はあくまでもやさしくほっとするようなお顔だ。衣の豊かに流れひだがたっぷりと重なる様や腕の質感髪の毛など、天平とはなんと豊かな古代ギリシャのような時をつかまえていたものか・・・。
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                                            ↑ 現代の笙(鶴ヶ丘八幡宮にて撮影)
 笙とは17本の竹を組んでつくった奪木だ。現在ではこの写真のようにリードではなく直接この楽器の根元に口をつけて響かせる。
 ところが音声菩薩はややしなった長い吹き口を通して吹いているのがくっきりとあらわされている。正倉院に保管されている笙もこれと同じ長さとカーブのある吸い口であるから、この形が本来の形であるといってよい。現在ではもう中国にもこの長い吸い口の笙はなくなってしまったという。

大仏を鋳造するくらいだからこのころの日本の技術がj高度であることはわかっているが、石や木を削るならともかく青銅でこれだけ細かくたおやかに表現できるとは・・・。


3.盗難・・・どれがレプリカか?
 この八角灯篭は燃えたことはないが、現代になってから残念なことに盗難にあった。金属をどうやって盗むのか。菱形の格子の部分を無理やり道具を使って引きちぎるような荒っぽい盗みにあっている。
 国宝であるから泥棒もとても売ることはできないし、この菩薩の姿に魅せられてしまったおろかなる者なのかわからないが、結局盗まれた菩薩像は帰ってきた。
 ところが引きちぎられた金属は元に戻せない。そこでその盗まれた部分はそのまま保管され、それにそっくりに作ったレプリカがはめ込まれているのだ。

          ◆どれがレプリカか?

いつも骨董収集家や鑑定士になったつもりで見てみることを同行者に勧めると一様に見方に力が入り思わず身を乗り出し4面を見回る熱心さが嬉しい。いいものはそうやってじっと見て良さがわかる。
国宝の中でも八角灯篭は本物とレプリカの比較ができる稀有な存在なのだ
 なお、日のあたり加減や撮影の状態で色やピントが様々なのは自分の腕が悪いのが原因なのでご勘弁を。

           ◆答え◆・・・Cの鈸子(ばっし)をもつ菩薩である。時代を感じさせないつるっと新しい感じが否めない。
 なお、東大寺八角燈篭は全体を金で鍍金していたのであるから、創建当時は大仏殿の前で輝いていたのだった。 今こうしてみるとAとBには若干色が微妙になっている部分がある。断言はできないが、かすかな鍍金がのこっていて、光のあたり具合で色が異なって見えている可能性もある。


 ◎最後に自分が見てきた中でもっとも鈸子(ばっし)に似ていたものを紹介しよう。
レバノン山脈の町のおじいさんが奏でてくれたこれだった。
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フィンガーシンバル。ベリーダンサーやこのおじいさんのように踊りながら使うこのように両手に2セット持って踊る。音楽家達がオーケストラや軍楽隊で使う場合は一組だけ使う。片手に一枚ずつ、親指と人差し指で紐をつまみ、円の縁を打ち合わせるのだ。
 この使い方は鈸子(ばっし)をもつ菩薩像と一致する。オスマン帝国の軍楽隊メフテルでは、標準装備の楽器として用いられている。
 これも東西で同じようなものが使われているのが興味深い。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 この文明においても楽器は自然に発生して人々を楽しませる。聖武天皇のころにもいろいろな楽器がはいってきているが、それを奏でる菩薩像がこれほど指の動きまで確かに表されているというところに感じ入った。
 天平の時代、国際的になり、当時のすすんだ文化のペルシア・ローマ・インドそして中国の進んだ文化が一斉に入ってくる。それと共に鮮烈な文化の洗礼に目覚めた人たちの中から意匠・工芸に優れた人たち、今風に言えばマエストロたちが現れ、天平の文化が香り高く花開いたのだ。


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by miriyun | 2010-11-21 18:23 | Comments(3)
2010年 11月 21日

東大寺八角燈篭に見る宝珠

 ユネスコの無形重要文化財であられたストゥク・オルチャル氏(尊称ストゥク・ウスタ)が15日なくなられた。
 トルコの陶芸界を新風を入れつつキュタヒヤの伝統も守ってこられた方だ。お会いしたことはなくてもその作品がわが家にあったということと、最近ブログ仲間をとおしてお人柄や素晴らしい作品群を知ることができて喜んでいた矢先のことであった。
 何よりも穏やかなお人柄と後進の育成に力を注いだ氏のことを、ほかにも陶芸について関心をお持ちの方、たまたまよく知らないままに氏の作品を持っている方やトルコで知り合った方にお伝えしておきたいと思った。

 また、よくチンタマーニ文様(宝珠文)を描かれていたので、つながりのある日本の宝珠を紹介することでせめてもの氏への追悼としたい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 東大寺八角灯篭が国宝である理由
 東大寺大仏殿の前に南からまっすぐに伸びる参道上に八角灯篭がある。

 これは国宝である。

 なぜならば、大仏殿と大仏は何度も燃えては再建されたものであるのに対して、この八角燈篭は創建されたそのときの素材とデザインそのもので焼け落ちることなく残されているからだ。二度の修繕と一部にレプリカは入っているもののほとんどそのままなら残っている。だから奈良の都の勢いと工芸の力をそのまま感じとることができる貴重な灯篭である。
 奈良に行くと大仏と周辺の様子も感じ入ってみるが、この灯篭はとくにその工芸力につくづく見入ってしまう。

 地上4.6mの灯篭の上の宝珠
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                             ↑ 東大寺八角燈篭の屋根の上
 東大寺の八角灯篭は他の寺にあるものより大きい。高さが4.6mもあり、天平の壮大な大仏殿の前におくのにふさわしいものであった。
 高い位置にあるので見上げてもなかなか見えにくいが、見える位置まで下がって見る。ふんわりとした宝珠とその周りをかこう炎型の釣り合いがよく美しい。
 酸性雨が騒がれる現代にあって、多くの銅製の鋳造物が危険にさらされている。しかし手入れがいいためだろうし、緑青も皮膜となって守っているのだろう。



 楽器に見る宝珠文
 こちらは東大寺に関係しないふつうの雅楽器の「楽太鼓(がくだいこ)」
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                                   ↑ 鶴岡八幡宮にて
楽太鼓は子のように太鼓の上の炎の文様の中に宝珠が3つおかれていることがほとんどだ。
ここには三宝珠という約束事があるのかもしれない。雅楽器なのでやはり古くから使われた文様なのだろう。

 じっと周りを見つめてみるとトルコのチンタマーニ文様、日本の宝珠文、思っている以上に見かけるものだ・・・。


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by miriyun | 2010-11-21 13:29 | Comments(2)
2010年 11月 17日

ムクドリたちの空

 ムクドリたちの空     
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夕刻になると何処からともなく集まってきて数百羽の集団になって電線にとまり出す。そういうスズメより少し大きい鳥たちがいたら、ムクドリだ。空にはムクドリの集団の気が発されているかのような雲が現れ、夕陽に染まり始めた。

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はるか彼方の鳥たちズームしてみれば一羽一羽は可愛い大きさであることがわかる。だが、群れが次第に大きくなるに連れて声は賑やかさが増し、空の一角が飛ぶ鳥によって動く雲の如くになる。

インドならマハラジャ宮殿の上でも群れをなして飛ぶし、ヨーロッパであれ中東であれ、彼らの食するものがあれば、彼らは群れ飛ぶ。時には数万羽もの群れとなり空を埋め、騒音と糞の公害にまでなり、新聞を賑わす事もあるのがこの鳥だ。皆さんの街では如何だろうか。

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一斉に飛び立つ瞬間を待った。
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こうして、日暮れどき電線から電線を飛び、空に群れの存在を誇示してからねぐらへときえていくのだ。





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by miriyun | 2010-11-17 07:13 | Comments(10)
2010年 11月 15日

世界一高価なめしべ

 サフランの真紅のめしべ 
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 花がさいた。黄色の部分と真紅の部分がある。真紅のほうが一見細長くて雄しべのように見えるがこれがめしべ。この真紅のめしべは3本に見えるが下部は一つになっていて途中から3本に分かれている。

 真紅のめしべを慎重に手で摘む。栽培は難しくはないが、花の時期をずらすことができないので長くても2週間のうちにいっせいに摘まなければならない。この時期寝る時間も最小限で交代制で誰も彼もを動員してひたすら収穫と乾燥を要するたいへんなスパイスなわけだ。
 乾燥するには、風通しのよい室内で陰干しにする。収率が低いため貴重で、1gあたり500~1,000円程度と最も高いスパイス(香辛料)となっている。最大の産出国はイランでホラサーン地方中心に世界の半分以上を産する。カシミール地方も名高い。1haあたり2~3kgしか採れない貴重なものだ。 
 
 
◆この乾燥させた真紅のめしべを香辛料や生薬として用いる。
 
 めしべは、独特な芳香と鮮やかな黄色の着色性が特徴である。昔から香料や染料として使われていた。原産地は小アジア。独特の香りと水にはいると鮮やかな黄色の色素を出す。南ヨーロッパ、南アジア北部、中央アジア、西アジア、北アフリカにかけて料理の色付けや風味付けのための香辛料として使用される。
ブイヤベースにパエリア、ミラノ風リゾット

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インドのサフランライス

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北アフリカのクスクス・・・砂漠の何もないところでなんともいえないおいしさだった。

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サウジのカプサの下にしかれるサフランライス

 こうした料理に使われる。ちょっと見た目にはサフランなのか、ターメリックなのかわからない。違いは独特な芳香があることだ。そういえば同じ黄色のライスもただなんとなくたべてしまっったときとなんとも爽やかな風味があっておいしいなと感じながら食べたことがあった。きっとその風味があったときがちゃんとした「サフランを使っていたときだったのだろうと思う。



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by miriyun | 2010-11-15 21:40 | Comments(10)
2010年 11月 14日

中村哲さん&アフガニスタンの砂漠に村を!

 アフガニスタン・・・武器ではなくて緑で平和を 

ペシャワール会の中村哲さんのこれまでやってきたことは紛争が激化するごとにつまずき、再考し、再び活動を開始ということを繰り返してきている。

◆ まずは医師としてアフガニスタンに赴き、活動する。そのためにペシャワール会を作り、その団体としての活動で医師と活動を長年続けてこられた。地元に溶け込み、地域の長老を訪ね納得させてkらの現地へ入ること、病人を診るために都市部にいるのではなくひつようとあればあの険峻な山々へと現地の服装と丸い帽子を身につけ、スタスタと山を歩いて診察に行く。

◆ ソ連侵攻以来の戦禍とそしてユーラシア中部に続いた干ばつの影響で食べていくことができないこの土地に逃げた農民が返ってきても水がなくて生きていくことができない。
 そこで井戸を掘ることをはじめて100もの井戸を掘ったのが第二段階。
しかし、戦争はアフガニスタン人のかかわりのない9.11の事件から激しくなり、一時撤退することにもなった。そのとく、「あなたがしてくださったことは決して忘れない」という長老の言葉と、中村医師の、「また戻ってくる」という言葉が忘れられなかった。

◆ そして、直接的な退避勧告が収まり。実際に中村医師は戻り、ボランティア的に入ってくる仲間も増え、、あらたな日本人スタッフも増えたのだ。そうしたときに医療では治療ということでやっていかれるが、根本的なのは食べていかれない人がたくさんいることだと考え、究極的に用水路を引くことで乾燥した砂漠や荒地しかないところを緑にすることが『武器を持たずにアフガニスタンを再生する』ために考え抜いたのが、地元の人の力で用水路を砂漠に引き、農地にし、緑の大地にすることだった。

 何年か前のTVで紹介されたのは、中村さんが選んだ土地に立ち、どのように何をするのか一人ひとりに指示する姿が見えた。

 中村さんの夢ともいえるような大計画
      ・・・・このような計画はお金持ちの国が巨額予算で遂行するアラビ半島や、旧ソ連時代の自然改造計画、リビアのカダフィ大佐による緑の計画に沿った大水道など、国の権力者や国家予算がたっぷりと使われたときにはじめてこういった大型プロジェクトはおこなわれるのであって、一人の医師の考えにより、お金も専門家もいないではじめたプロジェクトなどはこれまでなかった。これができたらすごいことだがどうなるだろう、というところで前回の報道は止まっていた。


 緑の大地!! 

今夜、NHKのETV特集で、その後が紹介された。
 そこで見たものは、想像以上に大きな溝が穿たれ、そこに立派な堰もできて管理されるようになり、きれいな水が流れる用水路の姿だった。
 そこから水が上流から下流へと流れ、あの白っぽい大地が一面、緑に変わっていた。植えた樹木は根を梁用水路の岩壁を強くしていく。用水路には魚もたくさん増えてきた。
 畑でできた小麦の穂が風に重そうになびく様子に心から感動を覚えた。感動なんて言葉を安易に使うのは好きではないが、きょうのこの映像には心から感動したのでそう書かざるを得ない。
 15万人の人が食べる量が産出されるようになるという。
農民は言う。「食べていくことができるなら、家族と共にここに住みたい。戦争はもうイヤだ。」
 中村哲さんが考えたのもそこなのだ。食べていかれない人がいる。アフガニスタン国民のほとんどがもともと農民である。農業をして食べて行かれる状況ができるようにすることが平和の道だと。
 
 そのためにはこのプロジェクトを成功させなくてはならない。中村さんがここにいなくなってもこの用水路や堰がしっかりと保守運営・修理されなければすぐに壊れて、もとの荒地に戻ってしまうのは確かなことだ。
 そこでこの用水路の下流に80戸の農民の住む村をつくり、長年共にやってきた人を中心に住まわせて、ここで用水路を保守点検しながら守っていく村を作ろうとしたのだった。日本の甘いスイ化もこの地にあった綿花もできている。実験農場を作って何の作物ができるかを探ってもいる。大根・蕪なども次々とできている。農民達の顔に生活できる安堵感が出てきた。
 本格的に村ができるのはこれからだが、この形が成功すればアフガニスタン全土で、民衆がこういうことをやる実験プランになるだろうという。

 今後、日本政府は給油活動にかわる援助資金を出すことは決めていてもそれを何に使うのかは決めかねている。いろいろな思惑の重なる中でそのメンバーの一人に選ばれた中村医師は苦悩する。

 食べて毎日を生きていく民衆に関する報道がない。戦争に自爆や双方の兵士の死など事件しか報道しない、一般の国民が生きていかれない、食べていかれない・・・・ということをなかなか理解してもらえない。日本のよう食糧自給率が低くとも、他の仕事がたくさんあってその給料で食べていくことができる国では、農業ができないことはすなわち飢える・・・ということが理解されにくい。
 そのため中村さんたちがすることもタリバンよりだ、アメリカよりだとかの政治的な話に翻弄されてしまうことが多く、アフガニスタンをよく知っている中村さんの提案も簡単には通らないようだ。

 アフガニスタン。中村さん自身もその地で共に活動していたスタッフであった伊藤さんを殺害されてからは、日本人スタッフを日本に返して、自分だけで頑張っていたようだ。
 そういう土地だからこそ、大地を緑にすることで農民を定着させ安心して家族と共に暮らせるようにしていこうという気持ちが切々として伝わってきたのだった。

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by miriyun | 2010-11-14 23:50 | Comments(2)