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2010年 04月 30日

陽光のハナミズキ

陽光にはずむハナミズキ

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一気に空を埋め始めた。
総苞も花も枝も葉も、勢いを持って空をうめる。

すっかりハナミズキらしく上を向いて咲いている。下から見上げる。

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先日、20日に氷雨に震えていた花の枝を探し出した。
10日を経て色は明るくなり、葉も健やかに伸びだしている。花のつぼみを守るかのように総苞が覆いかぶさっていたのが、いまは総苞も花も伸びやかに展開している。

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4弁の総苞の中心に花が開き始めていた。
黒ずんだ紫色だったつぼみが、今は春色の黄色になっている。

◆ 例年なら、サクラが散るとともに一気に咲いたハナミズキ。
だからつぼみの時期なんて意識してみる間もなかった。それが寒さで、花つぼみは黒いまま、総苞は色素を散らすことなく停滞、そこに氷雨でもう真っ赤に見えたのだった。

 その濃い色が陽光によって溶かされたように解きほぐされてきている。
それでもまだ、例年よりもずっと色が濃いようだが、まずは、春がやってきた・・・


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by miriyun | 2010-04-30 22:22 | Comments(0)
2010年 04月 29日

色が違うよ!ハナミズキ

 2010年、日本はとても冷たい雨の4月を過ごした。その間で気になったことがあった。

氷雨にうたれるハナミズキ

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  冷たい雨のそぼ降る中、ダウンコートを着てカサをさして歩いていた。どうしても気になった花があった。そしてあえてバッグからカメラを出す。左手にカサを持ち右手にコンパクトカメラ。その手を高く伸ばして震えながらかろうじて花にカメラを近づけて撮影した。(撮影日:2010.04.20)
 この花に宿る水滴と花の色を撮りたかったのだ。

 これはハナミズキ。そうは思えない色だが、ハナミズキだ。

★ハナミズキとは・・・
 ハナミズキは、北米産。1912年日本からワシントン、ポトマック川の岸辺に贈った3000本のサクラの返礼に1915年アメリカから贈られた花だという。 
 なお、花弁に見える4枚は実は総苞で、中心の塊のまるでおしべかなと思わせられるのが本当の花のつぼみで、これが順次小さく開花していく。
 ミズキはのなかでは特にその花がとても目立つのでハナミズキという。


本来のハナミズキ

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 こちらは昨年までのハナミズキ。中央部が白くて、4弁の花びらに見えるところの外側から薄紅が刷毛で掃いたように入っている。(撮影条件は、これは4月15日花曇で昼間、今年は4月20日、雨の中で夕刻と異なる。カメラは同じ機種を使用。)
 薄紅色でサクラのあとすぐに咲き出し、天に向かってぐいぐい枝を伸ばし花を向けて咲かせる。そのため、なかなか真上からこの花を撮影できず、こんな風に下から撮る。

一青窈が歌う名曲に『ハナミズキ』という歌がある。その歌詞の中にも、
 「薄紅色の可愛い君のね
 果てない夢がちゃんと
 終わりますように
 君と好きな人が
 百年続きますように」
とあるように、ハナミズキは、白または薄紅色なのだ。

 色ははたしかに薄紅色だった。名前はベニバナハナミズキというのだが、白に比べてうっすらと総苞の外側からピンクになるのでこう呼ばれるのだ。ここ数年、同じ木にさくハナミズキを見てきたがいつもこの色だった。
少なくとも昨年まではそうだった。





枝も伸びきれないハナミズキ
もう一度今年のハナミズキに戻って・・・
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 昨年までともう一つ異なるのは、枝が伸びきっておらず例年よりも低い位置で花が咲いていたことだ。したがって腕を伸ばせば花に近づくことができた。また、花は真上を向いたものばかりでなく、傾いて咲いているのもあったので見やすかった。
 そしてごく近くで見ると濃いピンクだが遠くから見ると強い赤に見え、ハナミズキの赤い道のようになっていて風景がまったく違って見えた。

 これは寒さの影響だったのだろうか。昨日から急に20度を超える陽気になった。この花はこれから例年の色に変わっていくのだろうか・・・。 

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by miriyun | 2010-04-29 06:02 | Comments(8)
2010年 04月 28日

オリーブの実る丘

 中東には砂漠が多い地域があることはたしかであるが、緑豊かな地域も多いものだ。まず、チグリスやユーフラテスの流域は農耕の発祥地であるし、ナイル側沿いには農産物はたわわに実り生長する。小麦の生産地として北アフリカで栄えた地域もある。

1.丘に続くオリーブ園
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そして、忘れてはならないのがこの木。一定の間隔で植えられた樹木で枝をよく張り出しているのはオリーブの木であり、こうした樹木が延々と連なる光景は南ヨーロッパと中東のあちらこちらでみることになる。
ここはチュニジア北部。ブラレジア等のローマ時代に栄えた街はこのようなオリーブ産地を背後にひかえ潤沢な収入はこうした地域を潤した。

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 ギリシア・ローマ帝国では過去においても現在でもオリーブの産地のほとんどは地中海沿岸の国々である。スペイン・イタリア・ギリシャ、そしてマグレブ(西の地域、北アフリカをさす)・マシュリク(東の地域、イラク・シリア方面)の国々、そして沿岸ではないがイランが産地の一つである。
 チュニジアにあるエル・ジェムの大闘技場もオリーブ・オイルの輸出で栄えた利益からつくられたといってよい。


2.オリーブはいつから? 

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パルミラの乾燥した大地にもオリーブは実をたっぷりとつけていた。

 オリーブの原産は中近東であり、紀元前3000年には地中海沿岸において栽培されるようになった。

旧約聖書のノアの箱舟の話の中で、箱舟に乗って大洪水が治まるのを待っていたノアがハトを放ち、ハトがオリーブの「葉をくわえて戻ってきたころによって洪水の終わったことを知ったとある。 ハトとともに平和の意味を持ち、国連の旗にもオリーブが描かれるようになった。
 また、旧約聖書に登場することから、パレスチナ地域は古代からオリーブの栽培地であった事がわかる。
現在でもパレスチナ人はオリーブの栽培を主なよりどころの一つとしている。

 ギリシャではオリーブは女神アテナの力と勇気の象徴とされる。そのため、オリンピア競技において勝利者を讃えて、 オリーブの枝の冠が最高の栄誉として与えられた。

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 オリーブは、果実をそのまま食べるほか、オイルを採る。オリーブの果肉の15~30%はオイルであり、オリーブオイルと実は地中海沿岸の地域の料理にはなくてはならないものである。保存用にも不可欠なものでアンチョビーやオイルサーディン、乾燥トマトのオイル漬けなど枚挙に暇がない。

 オリーブの木はイスラームにおいても聖なる木とされ、アラビア語におけるザイトゥーン(オリーブ)は各地でその名を見ることになる。チュニスにはザイトゥーナモスクがあり、クルアーンにはイチジクとともに、オリーブにおいて(誓う)と表現されているのだった。

~~~~~~~~~~~~~
 つまり、オリーブは古代ギリシャ・ローマ帝国、イスラーム諸国、南ヨーロッパのキリスト教諸国など、時と地域をまたがって貴重な樹木であり続けている。

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by miriyun | 2010-04-28 07:14 | Comments(2)
2010年 04月 24日

アブダビ空港のオアシス…モザイク紀行(24)

 オアシスイメージのアブダビ空港       

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中東の中で最も中東イメージを打ち出した空港はアブダビだった。巨大な空港ではないし、あくまで通過点であるので空港の形をさほど意識しない。だが、ここは長く心にとどまった。
 乗り継ぎに使っただけでこれほど印象に残るというのも珍しい。

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                                 ↑ この空港全体写真はこの空港で唯一買ってきた絵葉書より引用
中央の丸い部分にへそがあり、そこが上の中央部のへこみにあたる。
現在は2007年に第3ターミナルまでできているので全体像はもっと拡大している。

 現代のモザイク風建築

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そして、登場客が待つ待合のところで座れば中央にこのタイルのヤシの木のような広がりを眼にするようになっている。

 この表面・・・光り方を見るとつるっとした滑らかな状態でないことがわかる。ガラスも使ったモザイクであろう。空港の壁ではなく中心ホールそのものをモザイク建築にした大胆なデザインである。
 この文様は大きな亀甲文でその中の白い部分の面積を段階的に変化させることで広がり感を出している。
 
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さらに下をのぞけば、免税店は他の国とは異なる高級品ばかりが置かれ、白いトウブを北人たちがなにやら金色の商品を眺めている。

 このデザインはパリ空港公団のデザインだが、施工は竹中工務店であった。

 各地日本ゆかりのものに出会う。それだけでも日本人として誇りに思う。(尚、この工務店は日本国内では関西国際空港、海外ではマレーシア・クアラルンプール、バリ・デンパサル空港、シンガポール国チャンギ国際空港などで空港建設の実績を持つ。)

 ◆つまり中東のイメージをヨーロッパでデザインし、技術の確かな日本が施工した・・・ということだ。
そして、その材としてガラスモザイクを思いっきり使ったそんな建築なのだった。ローマの時代とはひと味異なるモザイクが存在していた。
 
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by miriyun | 2010-04-24 14:57 | Comments(10)
2010年 04月 24日

祝いの日の街角(2)

城に住んでいた村人 
 ここの村の人たちは、以前はクラック・ド・シュバリエの城の中に住みついていたという。
明け渡しを求められ、現在の丘の中腹に移ってきたらしい。
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喜びの日は誰の心も浮き浮きさせる。

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近隣の大人も子どももこぞって結婚の祝いのために集まってきて、
いつのまにか屋根の上も人が増えてきた。

日本と異なって乾燥帯の屋根は平らで、そこに人は乗るのはごく当たり前のことで、雨の降らない時期、そこにソファーを置く家もあれば、お茶の道具を置いたり、暑くて寝苦しい夜は、屋上で寝ることも多い。
だから、こんな時、屋上へというのはごくふつうのことだ。

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by miriyun | 2010-04-24 08:39 | Comments(4)
2010年 04月 23日

祝いの日の街角(1)

城のふもとの村をいく
狭い道路がうねる中にその小さな町はあった。シリア、カラアトゥ・アルホスン(クラック・デ・シュバリエ)の城の近く、である。
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喜びの日らしい。
青いドアから子ども達が出てきた。
その顔を見ただけで今日は何か喜びの日であることがわかる。

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人々があちらこちらから、わらわらと集まってくる。

そんな、『こぞって』・・・という感覚が結婚の祝いにはいいものだ。

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by miriyun | 2010-04-23 07:19 | Comments(2)
2010年 04月 19日

アラブでバスケットボール 

イスラーム地域でスポーツと言うと、圧倒的にサッカーの話であるし、子どもたちも各地でサッカーに興じているのを見てきた。サッカーはボールさえあれば遊ぶことができるので、砂地でも草原でもできるのだ。

 そのほかのスポーツはどうかというと、あまり見かけない。設備が必要なので、街中では無理なのだ。
学校等で設備が整っていれば、どんなスポーツも楽しむことができる。
 
 バスケットボールもゴールさえあればできる。
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訪ねたシリアの小学校のグランドでは子どもたちにバスケットボールに興じていた。JICAから派遣された日本人指導者がついて教えていたのだった。

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ゴール!! 

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女性達も楽しむ。民族衣装を着たままなので動きにくいだろうと思ったが、普段の姿なのでその範囲で楽しむ。明治・大正期の女性達は着物だった。その中でたすきで袖を持ち上げて働き、またはかまをはくことで自転車に乗った女学生が現れたりりしながら活発に動き出したものだ。
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笑顔がこぼれ、明るい掛け声やさんざめく笑い声が心地よく聞こえた。


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by miriyun | 2010-04-19 06:54 | Comments(10)
2010年 04月 18日

サクラ散る・・・

桜も戸惑う
 ずっと暖かくて桜の見頃はいつもより早く3月末と思われた。
確かに、蕾はぐんぐん膨らみ開かんとしていたが、その後の寒さに動きが止まったかのようだった。ちょっとづつ開いたり、まだ蕾のままだったり、そこへソメイヨシノの葉がどんどんと伸びてきたりした。そのため遠くから見てもいつもの桜の山や桜並木でない感じを受けたものだ。

 横浜みなとみらいは先週の日曜が満開だった。随分と遅い満開になった。
開花から満開、散るところまで、桜はふつうは一気に進む。
しかし、今年はじわじわと進んだ。寒かったためにサクラも随分と戸惑ったことだろう。


桜散る
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そして、サクラが散る時期を捉えてみた。

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幹から直接生えた小さな枝のところにもけなげにも咲く花。冷たい雨にぬれて、ほほを赤くした少女のようだ。
散った花びらは幹に張り付いていた。
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吹き寄せられた花びらがサクラの根を囲むように集まる。
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ほんのわずかな晴れ間に散る花の下であわてて写真を撮る人も。でも足元もとてもきれいだ。

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草の上にもはらはらと落ちる花びら。これほど一枚の花びらに接近してみたことはなかった。

おやおや、花びらにはこんなヒゲがついているんだね。ほんとうは何というのだろう。
 やさしい色と触覚をもった虫が葉に止まっているようにも見えた。

 今年のサクラの時期が終わった・・・。自分自身のことでもサクラは散った。
   今年流の楽しみが終わった。 また、次を楽しみにしているからね!


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by miriyun | 2010-04-18 08:54 | Comments(2)
2010年 04月 17日

アイスランドの噴火と気候と食糧と

 冬のごとし!1

 「12月、やけに暖かい日が続いて、菜の花など先、ツクシも生じ、陽気は3月のごとし。
翌春、さあ、本格的な春で尚更暖かくなるだろうと思っていたが、
冬と入れ替わって寒気甚だしく、その上雨の降る日が多く晴れの日はがまれだ。
 さて、5月になれば暑気の季節になっていくはずだが、田植えのときになっても寒さがまだ消え去ることなく、
人は皆、綿入れを着て、火にあたる。」

・・・・これは、じつは1782年の12月から1783年の5月までの様子である。(『農喩』より、意訳して引用}

 冬のごとし!2
 かたや、4月の日本では・・・
 冬のコートを店頭に出すとよく売れる。春・夏服が不調で売り上げが下がったユニクロ。ドラッグストアではホッカイロありますか?と言う客が多いので急遽店頭にホッカイロを並べた。灯油を買いに行く人がいて。灯油代も値上がり気味。クリーニングにだしたコートやダウンウエアをもう一度引っ張り出した。植えた菜園プランターのトマトが枯れた。野菜が高い・・・などと言う話が、この2010年4月の話題だった。

 異常気象なんてものは長い地球の歴史からするとちょっとしたことで、異常異常と騒ぐほどのことではないかもしれないが、それが人間の生活や食糧に関係するとしたならば笑っていられる段階ではなくなる。花見の時期とゴールデンウィークが重なるかなどと言う段階ではなくなる。
 だから、大分前から気になっていた。

 アイスランドの火山噴火・・・エイヤフィヤトラヨークトル(Eyjafjallajokull)氷河
 そこへ今月、4月14日のアイスランドの火山噴火。大規模火山噴火で噴煙が8000mまで上がり空の便が火山灰のため大混乱している。すでに17000機が運休した。各空港の閉鎖によって家に帰れない・仕事にいかれない、ヨーロッパ旅行はどうなるの・・・多くの方の悩みはこういったことではないだろうか。
 噴火はアイスランドの南部、海岸に近いところでおき、その噴煙は南東に向かって流れ、北海上空に及んだ。そこからさらに風に乗ってイギリスはもちろんフランス・オランダ・ベルギー・ドイツ・デンマーク・フィンランド・スウェーデンなど22カ国に及んでいる。おそらく今後、物流にも大きな影響をもたらしていくだろう。

◆アイスランドの火山
 アイスランドは氷河が多いし、温泉が豊富で美しい国であると知られている。しかし、この国は火山学者にとっては特別な存在といっていいだろう。

 北米プレートとユーラシアプレートの境にある中央海嶺の真上にある国がアイスランドである。地球の割れ目にあたり、そこから大量のマグマが噴出する。
 人類が有史以来見てきた火山活動はローマ時代のポンペイや、神話の時代のできごとなど数え切れぬほどある。だが、人間が映像として残したもののなかで、とくに印象に残ったのはアイスランドの噴火であった。ヘリが飛んでいく先に一列にプレートの境そのもののように蛇のように連なるマグマの噴出口、あぁ、まさしく地球は生きていると思ったものだ。

 そこでまた、噴火が起きた。昨年の夏からの噴火だと言うが、ここへきて火山灰の量が激しくなったものである。数ある世界の火山の中でも不定期に大きな噴火を起こす火山、その規模はほかの火山の規模とは全く異なる。


 18世紀の冷たい夏・・・浅間山とアイスランドのラキ火山
 アイスランドの噴火、小さく載っていた浅間山の警戒度を下げたと言う記事、今朝横浜に降ったアラレ、
これは、自分にとって『農喩』記載の言葉を思い出させ、次のできごとを思い出させるに充分な刺激だった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆1783年、冷たい夏◆
寒くて冷害の予感に恐れおののいていた農民達にとっておどろくべきことがおきた、7月、いつもは小さな噴煙を上げている浅間山が数日に渡って大噴火をおこした。村を丸ごと溶岩が飲み込み火山弾が降りそそぎ、火山灰は高く高く吹き上げられ、太陽を遮り関東・東北に降りそそいだ。

 太陽を遮断されたことによって、寒い夏におびえていた人々は絶望を突きつけられる。イネは曇天の中、育っても稲穂の中身は空であった。
 ききんである。

 こうして始まったのが◆天明の大飢饉である。

 広域でのききんの怖いところは長期化することである。
 農民はふつう食べたくても種籾だけは残しておくという誇りを持っている。ところがこういう大きなききんでは命が失われるわけであるから翌年の事など考えられない。まず今を生きるために種籾も食べる。もちろんのやまや海の植物・昆虫・動物は食べつくす。ふだんは大事にして消しいて食べない馬だって畳だってござだって、革製品まで食らってしまう。
  東北を歩いていてたまたま見ていた学者がいる。「解体新書」の翻訳で名高い杉田玄白は『後見草』という手記に『食べられる限りのものを食べ尽し~』と言うように表現している。
 それでも餓死していったのである。
こんな状況であるから、翌年も人ではない、種籾はない、藩からの救いはないということで農村は疲弊したままで数年に渡ってききんは続いてしまう。歴史上悪しざまに言われる田沼意次の改革、新田開発・新しい外交と貿易の道はこれによって閉ざされ、失脚した。

◆ヨーロッパの冷たい夏
 浅間山と同じ1783年7月、遠くアイスランドのラキ火山が噴火した。
 この大噴火の規模は、まず噴火口が長さ25kmにわたり、そこから溶岩が噴出し続けた。それも8ヶ月もの長期に渡る。二酸化硫黄を含む火山ガスが高度10000mの成層圏まで達し、それがジェット気流に乗り北半球を覆った。
 太陽は覆われた火山灰やガスの向こうにうっすらと存在が確認できる程度で、しっかりと陽が当たることがなくなり、平均気温が下がり、農作物は壊滅的な打撃を受ける。アイスランドはもちろん欧州各地でききんとなり、フランスでは小麦の不足・高騰により、「われわれにパンを~!」という主婦や市民の運動になっていく。
王と王妃の処刑にまで及んでしまうフランス革命である。
     ・・・火山噴火は体制まで変えてしまうものなのだ。

 国民を飢えさせないこと
 天明のききんでもフランス革命でも、感じることは政治家は国民を飢えさせないために全力で戦わなければいけないということだ。使命感を持って、あらゆる障害を排除しても飢えさせないための対策を事前に重ねていかなければならない。

 天災はどうにもならない仕方がないことだと思ってはならない。信念を持った政治家は対策を練るものだ。ききん対策のために米保存を呼びかけた策はそのあとやってきた中・小規模のききんには役に立った。名君、上杉鷹山のひきいた極貧の藩は、農民から武士、そして君主まで粗食であったが、君主自ら作らせた野草の食べられるものを書き出させ農村に配布し、家の垣根には食べられるものを利用し、ききんにおいてその後、餓死者を出さなかった。  
 また、江戸時代全般にわたって幕藩体制の中で、物流への配慮と米を販売する商人への対策を積極的にやらなければならなかった反省点も残る。

 マニュフェストに縛られこね回し言い訳を考えるより、国民を飢えさせない、国民を守る――そういう確かな理念に基づく政策が今後求められる。
      長い歴史のある日本は、見習うべき史実に事欠かない・・・。

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by miriyun | 2010-04-17 09:33 | Comments(8)
2010年 04月 16日

サウジアラビアの乾燥デーツ…ナツメヤシの話(9)

ク乾燥デーツ!    
サウジアラビアは、デーツの産出の種類も様々、
その中でもとくにおいしかった完熟乾燥デーツ。                    
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ちょっと色からいうと微妙。
黒光りしたおかしがたデーツに比べてやや黄土色がかった色をしておいしそうとはいえない。
固くて、シワシワ。
割ってみると中の種も乾燥して実と完全に分離していてポロッと取れる。

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そして、果肉も乾燥して薄くなっているが、じつは絶品デーツだった!
砂漠地帯で、しっかり天日干ししたのだろう。噛むほどにおいしい!っとつぶやきたくなる。

大きければいいというものでもない!
色がよければいいというものでもない!
まだまだ見分け方がわかるわけではないが、食べるほどに違いが見えてくる・・・。

   まだ一歩を踏み出したばかりだが、
            どうも奥が深そうだ、デーツの世界!!!

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by miriyun | 2010-04-16 01:47 | Comments(8)