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2009年 04月 29日

謎のトゥグラー・コイン

 それは、某インドカレー屋から始まった。
インドカレー屋で、なぜかスーダンの話。
      もっともスパゲッティ屋でも蕎麦屋でもアラブの話はするが・・・。

1.スーダンのコイン?! 
 アラビア書道をしておられる方がスーダンにいったお話、いつも楽しく聞かせてもらっている。さらになぜかお財布に入っていたスーダンコインが2つで、さらに盛り上がる。
  1つは10、そして、スーダーンは読み取れる。 

◆だが、ふと興味を持ったのは、5のほうだ。
 それは見覚えがありすぎるトゥーラの3本のたてのラインや弧や右へのびるラインを持つれっきとしたトゥーラ、いや、アラブなので、『トゥグラー』デザインだったのだ。
   *(注)トゥグラー・・・トルコのアラビックカリグラフィーのスルタンの署名。トルコ語ではトゥーラという。独特の形にデザイン化された。のちには、この形でjコーランの言葉を書いたり、名前を書いたりすることが行われるようになった。

 スーダンはさほどアラビア書道国とも聞いたことがない。それなのに、コインにトゥグラー、珍しいものだと感心してコインの写真を撮らせていただいた。 写真はこの文の最後に掲載。                             

◆帰宅後、早速トゥグラー入りのコインを読んでみたらスーダンの文字はない。

 それどころかジュムフーリーヤトゥ・ミスラトゥ・アラビーヤではエジプトではないか。でも所有者はスーダンに行って、その時のお釣りとしてもっていたのだからスーダンのはずだ。混乱する。古代エジプトの時代ならスーダン北部まで力を伸ばしてエジプトの一部であったこともあるが、近年ではないはずだ。トゥグラーの読み方を間違えているのかと見直す。思考はさまよう。

 そうしているうちに、共に興味を持ち写真を撮ったY氏からエジプトでしたねとメールをいただいた。あぁ、やっぱりそうだったのか、と納得。( ありがたいメールに感謝!)
 ナイル川上流であるスーダン、エジプトコインが流通しているのだろうか?


2.エジプトのコインから歴史を見る

 ではエジプトのコインはどうなっていたのか?
                 ・・・・・比較してみよう。
*エジプト近代史
1882~1922までイギリス領。
1922~1953年 エジプト王国(ムハンマド・アリー朝)
1953~58年 エジプト共和国

そして、いよいよ複雑な他国との連合・連邦の時代がやってきた。
① 1967年のコイン
1958~1971 シリアと連合してアラブ連合共和国となる。
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                              ↑ 1967年発行の10キルシュと5キルシュ

 大きい数字の下は単位のキルシュ。
数字の上に弧になっている文字が国名である。 

 الجمهورية العربية المتحدة 

Al-Jumhūrīyah al-ʿArabīyah al-Muttaḥidah となる。
 訳すとアラブ連合共和国
シリアと連合を組んだエジプトは1958~1971年までこの名を名乗る。ミスルというエジプトをあらわす語句はないので日本語にもエジプトという語句は出てこない。以前に国旗の問題で複雑な克明の変遷とシリアの関係について述べたが、それがここにも関係していたわけだ。


②1972年のコイン
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                                       ↑ 1972年発行の10キルシュと5キルシュ(台紙が異なるので色が明るくなってしまったが、本来は①と同じ色)

 一見、上と同じように見える。これまで同じだと思い込んでいたが、今回のスーダンからの硬貨の件でじっくり見比べたら、こちらにはミスルとある。

 جمهوريّة مصر العربيّة 
Jumhuriya Misγr al-‘Arabiya エジプト・アラブ共和国となる。
1971年の途中から、現在のエジプト・アラブ共和国になったので、コインもミスルという文字が入ることになる。

③ 1984年のコイン
 では、この謎のトゥグラーデザインのエジプト5キルシュはどうして発行されたのだろうか?

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                   ↑ Jさん所蔵。スーダンにあった1984年発行エジプト5キルシュコインの数字側
 これは、オスマンのスルタンの署名であるトゥグラー型にデザインしているが、書いてあるのは②と全く同じことばである。
 جمهوريّة مصر العربيّة 
Jumhuriya Misγr al-‘Arabiya エジプト・アラブ共和国
 この語句を下から上へと積み上げている。

同じ国であるなら、なぜこの1984年に全く異なるデザインのコインを作らねばならなかったのだろうか?

◆一応現在のエジプトの硬貨を調べてみたが、ここまでにのせたコインはのっておらず、すでに過去のコインとなってしまったようである。
エジプトの現在のコイン

・・・・トゥーラコインについてこれ以上わからないので、次回は裏面の絵に注目してみよう。


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by miriyun | 2009-04-29 14:46 | エジプト | Comments(5)
2009年 04月 28日

バルドーの大モザイク・・・モザイク紀行(21)

バルドー美術館には、語りつくせぬほどのモザイクが展示されている。それぞれに解説があったらいかに2000年前の生活が豊かであったかわかるだろう。


大きめモザイクとデザイン       

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 「天使たちのぶどう園」・・・という題名がついていたわけではないが、自分でかってにそう呼んでいる。これは大きいので床にあった。そして二階から見たものである。細かなモザイク片できっちりとぶどうつる草と天使を描いている。

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 天使がぶどうを摘む様子。その右では小鳥がぶどうをついばんでいる。わずかに白モザイクの細かさがわかる。

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 固定的なくりかえしパターンを用いたモザイクもローマンモザイクには多い。
 円の中に動物を1頭ごとに入れている。
 
 これでは大きさがわからないので、水色のバーを入れた。この高さが約2mと考えよう。
 ほとんどの人が身長はこれ以下であるのでこの前に立つとこのバーより低い位置から見ることになる。そうやって見て臨場感を感じていただければ幸いである。

 動物は各種の肉食獣のほかにダチョウもウシもイノシシも見られるのだった。
なお、バルドーで見た限りで狩りで捕まえている動物ナンバー1は何か。
 それはなんとイノシシであった。

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by miriyun | 2009-04-28 23:44 | Comments(8)
2009年 04月 27日

ネプチューンの勝利・・・モザイク紀行(20)

 バルドー美術館は巨大なオスマン朝総督の邸宅を用いているので天井はとんでもなく高く、本来は大広間などの床にあったであろう見事なモザイクを壁に展示することができる。そして床だと全体像を見ることはほとんどできなくて、歩くにしたがい部分的に見えてくる感じだが、壁にあればほぼ全体像を見渡すことができる。

 どういう形で見せるかは賛否あるだろうが、見学者の立場で言うなら、やはり壁にあるのは見やすいし、うっかりつまずいて貴重なモザイクを蹴飛ばしてしまう恐れがなくてよい。
 (遺跡にそのまま置くのは、どのような家にどう組み込まれたのかがわかっていい。しかし、うっかりつまづくものもいるだろうし、組織的な盗掘もある。また絵と違って頑丈な大理石造りとはいえ水害・塩害などの自然災害に合う不安もある。)

バルドーの傑作*ネプチューンの勝利

さて、バルドーには広壮なローマ邸宅を飾っていたであろう巨大モザイクがたくさんある。
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 その中の一つがこれである。
中央の円の中には四頭立ての戦車に乗ったネプチューンが。右上から時計回りに葦と女神、ライオン、甕を運ぶ人、(?・・・綿花のような気もするが確定できない)と女神、犬、農作業する人、オリーブと女神、イノシシ、天秤棒を担ぐ人、ぶどうと女神、ひょう、麦畑と籠に物をつめる人というように、大事な植物と働く人間、それに動物を配している。

 これがたかさ6~7mはあろうか。モザイクとしては壮大な大きさで作られていて、しかもほとんど右上の枠の部分を除いては残っている。
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そういう意味で、すごいものであるし、民衆の生活や植物の様子もわかる貴重な資料である。またこれだけのモザイクを作らせることができる富裕な人々がローマ時代にこの北アフリカに多数いたということになる。

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by miriyun | 2009-04-27 23:31 | Comments(0)
2009年 04月 26日

アシュラフィーヤ・モスクのツインタワー

 ツインタワーとしては世界で最も高いクアラルンプールのペトロナスツインタワーを特集している間、
いつもあたまの片すみで何かが引っかかっていた。
 
 モスクの塔に似ている、
      とくにある古いモスクの塔の画像が意識されていた。

アシュラフィーヤ・モスクの塔      
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 そう!この形。ずんぐりしているけれど存在感のある高さが同じ二つのミナレット。

イエメンのアル・アシュラフィーヤ・モスク(Al Ashrafiya Mosque)である。

 1295~97年にアシュラフィーヤ1世が、1376~1300年にはアシュラフィーヤ2世が建築したといわれる。現在でもコーランの学校として使われている。

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 タイズは首都サナアとアラビア海の要衝アデンを結ぶ重要なルートにある70万人というイエメン第2の人口を有する都市である。

 イエメンを占領・支配した初めての外国の王朝のアイユーブ朝(1173-1229)が、1175年にここを首都とした。
 ☆アイユーブ朝とは・・・サラディン特集で以前に書いた通り、アイユーブ朝をエジプトに打ち立てたサラディンは兄トゥーランシャーをイエメンに派遣して占領させたのだった。

近年では1948年から1962年まで首都として政治の中心なったこともある町である。
 南にけわしいサビル山があり、そのふもとのタイズも標高1400mで一年中春のような過ごしやすい気候が続く。新市街は急速に発展し、現代的な街に変わりつつあるが、南側の旧市街には古い建物がたくさん残っていて、新旧の対比を見せてくれる。

 町の中でひときわ目に付く白い二つの塔。これがアシュラフィーアモスクのある位置で、この周辺が旧市街ということになる。
 そして旧市街だけでなく町中のいたるところから白い塔をみわたすことができ、心のよりどころともなっている。
 こういったところもまた、クアラルンプールのペトロナスタワーと近いものがある。ペトロナスの設計者はイスラムの塔をイメージして設計したということだが、このような世界のいろいろなミナレットを参考にしたのだろうか・・・。

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by miriyun | 2009-04-26 01:34 | イエメン | Comments(10)
2009年 04月 24日

ペトロナスタワー&モスク・・・ペトロナスツインタワー(8)

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ペトロナスタワーとモスク

 KLCC公園から東に向かっていくとモスクとタワーの光の競演に出会うことができた。雨が次第に大粒になり始めるときだったが、それでも存在感のあるタワーである。

 光というものは、何と人へ強い印象を与えるものだろう。これから建築界でも芸術面でも光というのは大きくクローズアップされてくるに違いない。

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by miriyun | 2009-04-24 07:03 | マレーシア | Comments(12)
2009年 04月 22日

死海(2)

1.エステな死海・幻想の死海       
 死海には、たくさんの川から流れ込んだミネラル成分がいっぱいである。そのため、死海の泥パックがかなり以前から行なわれている。
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 いまや湖岸の高級ホテルのエステルームで行なわれている。
しかし、別にぷかぷか気分を味わったその場で自分たちでパックすれば同じだ。
 この若夫婦も楽しげにおしゃべりしながらパックを楽しんでいた。
 
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                                          ↑ ヨルダン大使館観光局のカレンダーより引用
 浮く場所は比較的泥のところで、このような結晶は見られないが、湖岸にはこのようなところがある。白の結晶は時間によって幻想的に変化するはずである。カメラマン的にはそそられる対象であり、いつか浮くためではなく撮るためにおもむいてみたい場所でもある。

2.死海の水位低下の意味するもの       
 先日、新聞で死海の水位が低下し、湖の面積が7割にまでなっていると書かれていた。
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                          ( ↑ 2009.04.14読売新聞夕刊より)
 その文は浮こうとしてお尻がついてしまわなければいいが・・・というしめくくりになっていた。

◆ まあ、そこまでは深さがあるのでならないが湖岸のホテルによっては今後の行方次第で死活問題にもなる。

◆ そしてもっと問題なのはこの水の減少の原点は何かということだ。
 そこには当然ヨルダン川の使い方、取水をしている側の使い方、取水制限されている側の悲哀がある。
 力がある側が考えなければならないのは何か?
 弱いものにはやらないという姿勢ではなく、いかに人間として共存し、川そのものを大切にしていくかを民族を超えて話し合う時期に来ている。
     
◆またこの問題の奥には、世界的に水不足になってきている現実が見え隠れしている。

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by miriyun | 2009-04-22 07:15 | ヨルダン | Comments(10)
2009年 04月 19日

死海の塩分濃度

死海* البحر الميت
アルバフル・ル・マイイトゥ ・・・アラビア語でもろに死んだ海という命名である。

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 首都アンマンから55km。海抜400mの地上の最低地点である。
海水の塩分濃度が約3%であるのに対し、死海は23~30%の濃度を有する。湧水の発生する1ヶ所を除き、魚もすまないことから死海(英語*Dead Sea)として知られている。ただし、緑藻類のドナリエラや高度好塩菌の生息は確認されている。


 内陸部でどうしてこんなに低いのかというと、アフリカから連なる大地溝帯がヨルダン川が通るところであり、盆地状に山に囲まれたこの地に川から水は流れ込む。あとからあとから流れ込むがここが最も低いのだから出口はない。
 ミネラルも塩分も何もかもがここにたまっていく。日本ならどんどん湖が大きくなっていって、どこかで出口を見つければそこから川となって海へと向かう。

 しかし、ここは中東。乾燥し雨は少ない。湖があふれるどころか、次々と蒸発が進む。その結果、ここは塩分の濃さで名をはせる湖となったわけである。


◆ 真夏の8月で、日かげで高さ1.5mくらいの風通しのいいところで41℃という気温の日であった。日なたで45℃、ここは湿度が高い。砂の温度は61℃である。
 ハエが飛んで入るのだが、その力は弱々しく、なんとヤシの葉葺きのビーチパラソルの下だけで飛んでいる。日なたには絶対出まいとするかのように確実に日かげだけを選んで飛んでいる。狭い日陰に人も虫も集まるのでイヤでも目の前に遭遇してしまうのだった。

◆塩だけが濃いわけでなく、マグネシウムもカルシウムも何もかもが濃度が高いのだが、塩は結晶するから目立つ。
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                                ↑ ヨルダン観光局のパンフレットより引用
人が泳ぐ場所は普通の砂浜に見えるが場所によって、塩はこうなる。こういう状態は2000年以上前も同じだったようで、旧約聖書で塩にかえられてしまった人という話はここを舞台にした話である。
                            

◆ ウキウキ(浮き浮き)体験
 死海は濃度の濃い塩水であるからモノが浮く。

*卵は水に沈むが、塩をどんどん水に入れ濃度を高めていくと、そのうち卵が浮き始める。
 これと同じ現象が起こるから、波を抜きに考えればプールより海のほうが浮きやすいし、それが死海くらい塩分が濃くなると浮くまいと思っても浮いてしまう。

 死海で浮いてみるのは、学校時代に地図帳で死海を見かけて以来の願望でもあった。
まずざっと眺めたところ、だれも泳がずおとなしく浮いている人ばかりである。
水しぶきを上げてクロールや平泳ぎしている人もいない。何故だろうか。

◆ 実はこの湖に入る上での注意は、2つ。
1.塩分が濃すぎるから、15分以内に!
   ・・・・塩漬けのきゅうりのように体内の水分が出て行って塩分付けの漬物のようになっていくのだろうか。
    リアルにしなびた人間を想像したら、気持ち悪いので15分を守るようにした。
2.目や耳に塩水が入らないように!
   ・・・・目や耳に入れないためには必然的にもぐらず、水をはねず、結果的におとなしくしていることになった。

 全く泳げないかなづちと呼ばれる人も浮く。
この言葉を頼りに入ってみる。まず感触は、サラッではなく、ヌルッに近い。濃度が高いからだ。
?ここで疑問が生ずる?
 雨がなくて蒸発も多いのだから夏のほうが冬よりも濃度は高いのではないだろうか・・・。

 さて、まずは塩水をなめてみる。まずなめるあたり、子どもと同じだ。痛いような刺激がある塩水だ。

◆「足がフワフワする!」
そんな感じで、湖に入ったときから足が浮きたがっている感じである。
 座ったとたんにふわりと浮く。
しっかりと強烈に浮いてしまう。沈みたくたって浮いてしまうという感覚だ。これならお盆にグラスを置いて飲むことも本を読むこともできそうだと思いつく。

 そのとき思い出した。よく死海の写真には新聞を読む人が写っていたっけ。新聞読んでみたいと思った。するとそう思って準備した人が多いらしいことが岸辺に置き去りにされた新聞がたくさんあることでわかった。それをもってもう一度入ると、
 あらら~不思議、浮いたまま新聞読めてる~。
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                                   ↑ 観光局パンフレットより引用 
 
 名古屋でかって開かれた愛・地球博でヨルダン館はこんな空間を出現させて、死海体験を日本でできるようにしていた。
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湖水を運ぶなんてなんて大変なことをするんだろうと思ったが、これで体験できた人も多いだろう。浮くというのは体験してみる価値のある体験である。

◆さて、上ってからのこと、
シャワーを浴びるところまで、ほんの少しの時間にぎらぎらの太陽に照らされて肩からどんどん水が蒸発していく。するとそこから光り始める。
 なんだ、なんだ!?
そんなに死海の水は肌がきれいになるのかと思って喜ぶまもなく、
それが塩そのものだとわかる。それが太陽光でひかっていたのだ。

 大いなる自然は塩を残しての蒸発実験を人間の身体の上でやって見せてくれたのだった。

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by miriyun | 2009-04-19 15:57 | ヨルダン | Comments(14)
2009年 04月 18日

ヘンナ&美しい手

 ヘンナ(ヘナ)という名で紹介してきているが、お祝い事にもつき物のヘンナ、それを廻るひとの表情はどうなんだろうか。

1.あざやかに描き出されるヘンナの模様 

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ヘンナを入れたチューブから手馴れた動きで自由自在に描き出される模様。

 このような腕から手の甲・中指の先までのヘンナは若い女性の好むところであり、華やかで手指を美しく演出する。
 一度指先までやってみたいが、仕事を持つ身ではかなわない。中東を歩いている時ならおもいっきりやっても大丈夫だが、日本ではさすがにやりにくい。


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 アラブの女性が指先から腕にかけて描くのが一般的だ。
それにたいして日本ではどこにヘンナをするか?
                ↓
日本女性はこのように腕にやってもらう人が多い。
これなら長袖で隠れるので仕事に支障ないからだろう。


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 ティーンエイジャーのとあるアラブ・・のお嬢さん、あまりに可愛いので撮影させてもらった。だいぶ乾いてきてヘンナが落ち始めると明るい赤茶の文様が見えてくる。

 なんとも可愛らしい!!
ヘンナ専門家は、たくさんのレパートリーから相手の雰囲気にあわせて描き出しているようである。

 もちろん、絵を見せながらこんなふうにと注文を出す人もいるが、プロの感性にお任せしてやってきてもらうのもいい。

2.ヘンナと家族と・・・                           

 ヘンナはお祝いであり、ファッションであるが、こうした伝統のものが残っているのにはそれなりの背景があると思う。

 幼い3~5歳くらいの子どもたちも、ヘンナをやっているときはその描き出される文様をじっと見て動かない。
出来上がったあと、お母さんやお姉さん達はもちろん互いの文様を見せ合いうっとりと眺めあう。
 お父さんも乾いていないヘンナにはふれないようにしながら上手に抱き上げて、なんて素敵に似合っていることか、とっても可愛いよと褒めたたえる。

 ヘンナから最高の笑顔が生み出される!!

 これならヘンナを誰もがする気になるし、生活習慣の中で嬉しいこととして位置づけられていくだろう。
家族の中でのヘンナの意味をあらためて感じたのだった。

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by miriyun | 2009-04-18 08:25 | Comments(14)
2009年 04月 15日

モノクロで見るモスク

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                                   ↑ 夜のモスク

 MASJID ASY-SYAKIRINというモスクである。

色鮮やかな写真が盛んな今でも、時にモノクロ写真のほうがしっくり来るものもある。
クアラルンプールのKLCC公園の宇宙船のような形のマスジドである。マレーシアらしい幾何学ドームと武田菱を縦型にしたような窓をもつ。そして階段を上った上にこの柱が林立しする礼拝場所があり、この柱が上部を支えている。
 

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by miriyun | 2009-04-15 05:32 | マレーシア | Comments(10)
2009年 04月 12日

ボスポラス海峡海底トンネルと日本の技術

 2008年の金融恐慌により日本の輸出産業・建築・不動産関連もあえいでいる。
ただし、20世紀の世界恐慌のときとは違って無策ではないとは思うので、そこがどうなってくるのかまだ希望が残されているところである。

 大成建設というゼネコンがある。
日本の公共事業の激減後の事を考えて、中東への進出を本気で取り組んだ。中東ではこれまでに石油・天然ガスプラントや積み出し施設・空港など多彩に展開している。
 さらにドバイとのつながりを強くしようとしていたがそこにこの恐慌で見直しと責任が問われつつあるという。

 このゼネコンについては以前にイスタンブルの海底トンネル建設で取り上げていた。そこはどうなっているのだろう。

ボスポラス海峡海底トンネルは今・・・・       

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イスタンブールのヨーロッパ側とアジア側をつなげる海底トンネルは、潮流の激しさから工事が困難な場所であるため沈埋トンネルといって、11に分けて幅15.3m、高さ8.6m、長さ98.5~135m の函体をつくっておき、それぞれを仕切って1個ずつ慎重に海底におろす。GPS およびマルチビームを使用して次の函体も寸分の狂いもゆるされず置かれて行く。そしてつなげた11個が一つのトンネルとして貫通する。
 
 海上ではこの写真のように工事用の設備が置かれているだけのものであり、海底でこのような高度で困難な世紀の工事が行なわれているとは想像さえできない。

 ここを昨年取り上げ、詳しく解説したNHKはさすがだと思ったし、よくぞ解説してくれたものだと喜んだ。NHKの役割は、冷静に世界や国内を見つめ事実を伝えるとともに、こうした日本が誇りに思って良い技術と仕事を伝えることでもあると思う。

 その後、沈埋工事は無事終わり、昨年のうちにボスポラス海峡の海底、約1400mはアジア・ヨーロッパが歩いていかれるほどにつながった。
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                                       (↑ トンネル写真はNHK沸騰都市より、引用)
 もちろん工事関係者でなければ歩けないし、向こう側の岩盤にたどり着いただけであり、そのまま地上に上れるわけでもない。今度は陸地の地下工事が延々と約9km超の距離を複線分なので、総延長19km行なわれ、鉄道がつながるまでにはまだ長い道のりがある。地下工事は日本が作り出した有名なシールド・マシーンが使われている。これの存在はユーロ・トンネルの掘削に使われた頃から知っているが、回転しながら土をかきだしながら進む、超高度なモグラ機械である。

◆西から東へ向けて鉄道は通る。
 イスタンブールの、今はさえない国鉄の続きとして建設される。カズリチェシュメ駅から地下に入り、イェニカプ駅をへてシルケジ駅にいたる。この駅を出てすぐにボスポラス海峡に入り、そこの沈埋トンネルを進む。最深部は海面下60mであり、そこからトンネルは上り傾斜であり、1400m進んでアジア側につき、すぐにウシュクダル駅にたどり着く。(参考:(社)土木学会岩盤力学委員会ニューズレターNo.7)
 さらにその先はどこにつながるのか。まずはアジア側都市の住宅地の人達が簡単に通学・通勤ができる。その先どこにつながるのかは聞いていないが、将来的には各地の遺跡も陶器の町へもそのままのっていかれたり・・・。もちろん物流の動きは一気に加速するだろう。

*不況下とはいえ、このようにすでに発注され進行しているものについては、相手国の支払いさえ滞らなければ予定通り進んでいくだろう。施主が国であるから、要らぬ心配だろう。
 トルコにとっては、確実に経済効果が高くなるトンネルであるし、ユーロ加盟への弾みになるかもしれない。

◆これらの高度な技を駆使して、日本の企業が3年後には又一つ、仕事を成し遂げるはずだ。
ボスポラス海峡海底トンネル・・・まさしく『地図に残る仕事』になるはずだ。(大成建設の宣伝を引き受けているわけではありません、ただ、この言葉は好きなので)
 
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 ☆このような世界的なゼネコンであれ、下町の小さな町工場であれ、日本が誇りにしていい技術があって日本はのびて来た。
 恐慌といわれるこの何年かをいかに会社と労働者を生きのびさせ、技術を残させていくか、
そこにこそ政府の真の力量が問われてくる。

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by miriyun | 2009-04-12 14:06 | Comments(10)