<   2009年 03月 ( 15 )   > この月の画像一覧

アラビア書道の真髄を語る

第1000話
 近年、本田孝一先生は、アラビア書道家として文字の形とラインに思うところがあり、それをサウジアラビアやマレーシアでの講演のテーマにもされている。 
 思考が常に発展型の本田先生は一箇所にとどまることを知らず、お会いするたびに新しいことに目を輝かせて語られる。

 ☆これまでに聞いた言葉や講演からアラビア書道にせまる。

1.「アラビア書道は点から始まり、点に終わる」
 アラビア書道を数年習った頃に、教室仲間と言い合ったことがある。「まだ全然書けないけれどアラビア書道の見る目だけはできたようだ。」・・・と。
 今、それと似た感触を先生の言葉を聞きながら感じている。つまり、弟子としてそれを充分実技に生かして書けるかというとまだまだできないのだが、先生が言われていることの意味するところはわかる。

☆☆☆「アラビア書道は点から始まり、点に終わる」
 筆を紙につける一瞬に、一点からはじまり、最後には一点に収束していくということなのだ。その間で文字のひねりがある場合にそこで一点になるまでの形を完成させて、そこからは書体によって異なる。

 この言葉はナスタアリーク書体を書くものにとっては書道の真髄であるとして、自分の掲げる目標として心に刻んでいた。目を見開かせられた思いがあった。これを意識して作品を書くようになった。

 しかし、ナスヒー書体が苦手な自分が他の書体におけるこの語句の重要性を感じとったのはそれから一年4ヶ月もたった今日である。
 ナスヒー書体では例えば縦から横へと文字の曲がるところは重なっている。したがって点になって収束しているようには見えないのだが、実は点から始まり点に終わっている。
 その上で、収束させた線の上でルクア体ならば筆の幅目いっぱいに重ね、ナスヒー書体ならば、一部を重ねる。自分がいつも書いているナスタアリーク書体ではそれこそ、一点に収束したその点からまた新しい線が生み出される。

 いつも言われていたはずなのに、意味がわかっていない。それを理解しないで形だけ真似ていたのが愚かしい。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・その短い言葉にアラビア書道の真理とも言うべきものが込められていた。


2.たゆまなく変化し続ける文字

 アラビア書道をされたことのない方は不思議に思うかもしれない、あの硬い竹のペン(カラム)から生み出される文字が優雅にリズミカルに脈打ちだす様を。
 弟子達が一生懸命かいてもそうはならないのには、文字の生命力を生み出せないからだ。

 先生はよく言われる。「一瞬たりとも同じ幅ではありえない。」常に変化し続けるのがアラビア書道で、同じ幅で平坦に書いたら、当然生命力なんて生まれようがない。難しいがその言葉を念頭において書いていきたいものだ。


3.アラビア書道の真髄・・・マレーシアのレスト財団での講演(2008.11.)
 レスト財団には、広い講義・講演用の部屋があり、半円形のローマンシアターのような形で講演を聴いたり、スクリーンを見るのに最適な部屋がある。女性が多いので全体像は遠慮したが、本田教授のアラビア書道についての特別講演については写真記録に残した。

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                   スクリーンには青い『祈りのピラミッド』の作品

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                 ↑ アラビア書道の文字の形はあるがままの自然の造形物と一致する。
 私のいた周辺にはマレーシアの女性がたくさんいたが、う~ん、なるほどという感じで、講演を熱心に聞き、また写真を撮るにも熱心な様子であった。
              
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    ↑ メビウスの輪理論。アラビア書道の文字の動きはメビウスの輪の動きにも似て収束・展開をくりかえしつつ元に戻っていく。

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 実演となると、一斉にその手元を見たい人たちがそばにより、じっと見つめはじめた。後ろにスクリーンもあるのだけれど、やはり直に見たいのはどこの国の人も同じだ。TVカメラもぐうっと近づいていく。

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  難しい線の書き方を説明する。      

*自然のもつ形との一致点、メビウスの輪・美の黄金比率などについて、実演も含めながらの講演であった。この講演は現在マレーシアで講演集として英語でまとめられているという。

4.美の黄金比率

 なお、このところ先生はアラビア文字は黄金比率であることについて言及されている。
☆黄金比率とは、1:1.6180339~という比率のことで、この比率で配分された構成が最も美しく、アラビア語のバーの一つとっても規準線と接する位置が、黄金比率になっているということだ。

 これについてはいろいろな本が出ているそうで、昔から建築・美術・数学の世界で黄金比率が語られる。
その本の一部を見させていただいた。すると、宇宙の展開もひまわりの芯の小花の配列も、実はこういった数学的配列だということだ。
 見る前にはあまり興味がなかったが、先生おすすめの本はパラパラとところどころめくってみただけだったがすごくおもしろい世界が展開されていてぐっとひきつけられた。その数学的なおもしろさと、18世紀のイギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの言葉が心に沁みた。

       一粒の砂にも世界を
        一輪の野の花にも天国を見、

          君の掌のうちに無限を
            一時の中に永遠を握る
                             (「黄金比はすべてを美しくするか?」より引用)

 一粒の砂・一輪の野の花を、一筆のなす点と線とにおきかえて言うなら、
書道家本田孝一、その人のことをいっているかのように感じたのだった。


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by miriyun | 2009-03-28 23:44 | アラビア書道 | Comments(8)

春来たり(3)

第998話
 
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  ミモザってこんなに励ます色だったとは・・・、
               旅立ちに勇気が欲しい人へ            


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               光射し、透きとおった花冠は、
                   3月に誕生日のあなたに・・・。

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              ふんわりはなびらは
                    癒しを求める世の中の人々へ
                    
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     そんなふうに、一人で花と話しながら歩いて裏山まで行ったら、
           池の噴水に虹がかかり、水の動きに合わせて風にそよぐように動いていた。

 ◇ 自然からのごほうび・・・ありがとう!
              そして、たくさんの人に希望の春でありますように!
                 (そういえば、イランは20日にノウルーズを迎えた、おめでとう!)                  

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by miriyun | 2009-03-22 11:31 | Comments(11)

金の泉亭・金のトゥーラ・・・モザイク紀行(19)

第997話
 トルコでは、有力者による泉亭の寄進は一般的で、宮殿・モスク周辺で案外簡単に見つかる。

スルタン・アフメット・ジャーミーの横の広場はかってはローマ帝国の戦車競技場ヒポドロームであった。そこは今はそぞろ歩きに適した細長い公園になっている。

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 そのヒポドロームの東側に、この泉亭は寄贈された。


1.泉亭は、誰から誰へと贈られたのか?

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 近づくにつれ、モスクにおなじみのこの泉亭が尋常なものでないことがわかる。
とてもスルタンがオスマンの民のために作ったというような歴史ではないことが、その重厚さから伝わってくる。

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 中央の文様はイスラームの文様とは異なる。そして周囲には緑系と青系の2種類の装飾が交互に飾られている。このモザイク天井は金のモザイクをふんだんに使い、色の部分はガラスモザイクのようだ。まさに金を糸目をつけずに作らせた感がある。
 あまりにも豪華なつくりであるためか、中には入れない。外からかろうじてのぞきみる。
 この絢爛たるつくりにするのにはよほど財政が豊かな派手好きの支配者がいたか、あるいは相手を驚かせて、戦う気をなくさせて屈服させたい時である。

 オスマン帝国末期であり、オスマンはスルタンの力も弱まり、封建制度の矛盾が噴出し、ヨーロッパ諸国より産業・軍事など遅れがはっきりしていた帝国末期である。強敵がたくさん、同盟国も油断ならないそんな時代である。
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 王冠とつる草、Wは Wilhelm のW.Ⅱは2世・・・ヴィルヘルム2世をあらわす。このような円形のものをなんというのかわからない。ヴィルヘルム2世の紋章はライオンのがあったはずだ。日本と同じように普通の家紋、旗印などのように異なる印を持っているのだろうか。・・相変わらずヨーロッパの紋章はよくわからない。

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 そして、何よりはっきりとするのは、このトゥーラ(スルタンの花押)である。
「アブドゥルハミト ハーン ビン アブドゥルメジド アル ムザッファル ダーイマ」 とある。 
 アブドゥルハミト2世のトゥーラである。
もともと姿良くデザインされた、オスマン朝後期のトゥーラである。それだけでも美しいものを、金のモザイクで文字の部分を細かく表現している。それらのモザイク片の一つ一つが輝く。実に華麗なトゥーラである。
 モザイクとしては華麗であるが、本来トゥーラ(トゥグラー)は横広の長楕円形が基本で円に無理に入れてしまうと横への伸びやかさがなくなり、本来のカリグラフィーの美しさは出なくなる。 スルタンの花押はもちろん厳格に決まっていてトゥーラをこんなに横を狭くあらわすことはしないのに、なぜこんああらわしかたをしたのか。それはトルコ人の発注ではないからだ。

◆この泉亭はドイツの皇帝ヴィルヘルム2世から、トルコのスルタン、アブドゥルハミト2世に寄贈されたのであった。
 無理やり円に文字を押し込んでしまったのはきわめて西洋的考えであって、アラビア語として、アラビア書道的にはあまりよくない。

2.列強の侵入とスルタン・アブドゥルハミト2世

◇34代アブドゥルハミト2世◇
 1876~1909在位。
 彼は バルカン諸民族の保護を口実としたヨーロッパ列強の干渉を交わすためにミドハト憲法憲法を発布、議会政治も始めた。しかし、ロシアとの戦争を気に廃止し専制政治を行い、パン・イスラム主義をシンボルとした。
 ロシアに敗北後、バルカンの領土の大半を失い、イギリスフランスの侵攻を防ぐためにドイツに接近し、政治的独立を保った。しかし、経済的には、帝国内の特権を多くの外国企業に与えざるを得なくなり、経済的植民地になりつつあった。  (参考:平凡社 イスラム事典)            

◆ この泉亭を、ドイツ皇帝がトルコに寄贈する。相手のスルタンのトゥーラを金のモザイクで作成するということは相手に敬意を表しながら、ドイツ皇帝も金で飾り、友好国であること、そして、これほどの財力を持つ国であるとトルコ国民にアピールし続ける。そんな贈り物なのだ。

 これまで、スルタンはペルシアの贈り物もフランスの贈り物も見たくなければスルタンの宝物庫にしまってしまえばよかった。しかし、この贈り物はしまうことも移動することもできない贈り物・・・、まことに重い贈り物だったわけだ。
 ドイツとトルコは第一次世界大戦では同盟国ともなっているし、その前から3B政策を進行させていたドイツにとってオスマンを篭絡する必要があった。オスマンの領域内ではしばしばその遺構をが目にすることがある。

◆世界的紛争の起こる20世紀へあとわずかの1898年、
ドイツのヴィルヘルム2世からアブドゥルハミト2世への贈り物は、
    堂々たる柱と天蓋、金の天井にトゥーラを配した華麗な贈り物であり、
    列強に蝕まれつつあったトルコの重い歴史を感じさせる贈り物でもあった・・・・・。

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by miriyun | 2009-03-21 14:27 | トルコ | Comments(4)

インド水塔・・・モザイク紀行(18)

 第996話
 古来、泉や水道施設は絶対的な価値を持つものであり、為政者がそれを民のためにあたえたりするのはもちろんのこと、イスラームにおける豊かなる者や、ゆとりあるものが設備をモスクに寄進したり、広場に備えたりするのはよく行なわれることである。
 そして、あのインドという国でも巨大な地下水道設備があることでわかるようにたいへん大事なものとして考えられている。
 
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横浜、山下公園の北側にドーム屋根と石で築かれた塔がある。そばによって見ると異国の雰囲気が漂っている。これはインド水塔と呼ばれる。

◆インド水塔の由来
 横浜は、1858年に日米修好通商条約で開港が決まり、翌年1859年に開港した。だから今年2009年は『横浜開港150周年』なのである。開港以来、イギリスを始めいろいろな国の人々が行き交い居住していた。しかし、考えてみよう。今の日本とは異なり、明治・大正・昭和前半における日本は開港した港で何を商いしたのか。 
 貿易品目は、もっぱら繊維製品であった。横浜の開港からわずか4年後には今の山下公園付近に「在浜インド商協会」を置き、インド人が商売していた。

 初期にはイギリスが関税自主権のない日本に綿織物を持ち込み、日本の綿織物は壊滅状態になっていく。日本から売ることができたのは、生糸・絹織物・茶といったところであった。だから、今でも山下公園のすぐそばにシルク博物館なるものが当時の生糸の動向を歴史として残しているのだ。

 ところが、それにあきたらぬ気概のある人物が現れてくる。以前に紹介したインドのJ.N.タタと日本のと呼ばれる渋沢栄一である。彼らが考えたのはイギリスに支配されているインドからイギリス船が間に入って綿花を運んできて日本に売る。これを直接インド航路を開き、日本の船が直接取引をすれば安く綿花を仕入れることができるようになる。
 こうして、日本の産業革命の立役者であった渋沢栄一と、インドの現在のタタ・グループの祖であるJ.N.タタによってインド航路が開かれた。

 それ以後、横浜でもこれまで以上にインド人商人が増えてくる。わたしたちが知っている以上に、インドと横浜のつながりは深い。

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 そこへ1923年9月1日の関東大震災がおそった。
街そのものが焼け野原となり、横浜に当時住んでいた116人のインド人のうち28名が震災で亡くなった。横浜市は街の復興とともに被災した在日インド人への援助にも力を注ぎ、住宅地などの手当てを行うなどした。
 
 震災による瓦礫で山下公園を造成したのだが、その山下公園の一角に 1939年(昭和14年)、インド・コミュニティが9月1日の大地震の犠牲者を悼む記念碑として、また震災時に手助けしてくれた横浜市市民に使ってもらう感謝の心として横浜市に贈ったという。
 
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 中央のモニュメントが置かれているところはかって、水道があって、誰でもその水を飲むことができた。
現在は、衛生上の問題のため、残念ながら水道は市により止められモニュメントとしてだけ残されている。

◆モザイク天井

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 実はここの天井が、とてもきれいでいつか紹介したいと思っていた。
近代になってからのモザイクはローマン・モザイクと異なって、材料は多彩である。
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ここでは、ステンドグラス用の味わいのあるガラスのあいだにところどころに、ダイヤモンドカットのガラスも見ることができる。
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単純な四角い背景用モザイクもよく見ると柔らかな色を何種類も使い、金をはめ込んだ金のガラスも使われている。

 実に手の込んだ近代モザイクだったのだ。
天井の細工を見ながら日本とインドの歴史をふり返ってみた。

 なお、タタ・グループなど、いくつかのグループが横浜においてさらに発展的経済関係を築こうとしている。もっとも、現代では綿花と綿織物ではなく、IT関係及びインド産低価格車での進出になるが・・・。

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by miriyun | 2009-03-20 15:24 | 日本 | Comments(10)

サンシュユ・・・春来たり(2)

ちょっとしたミスが元で、PCが止まっていた。
 その間、仕事もメールもこのブログも気になるばかりで何もできなかった。

 季節の変わり目にはとくに一日一日に変化が激しい。空も雲も、そして花も変わっていく。
そう思うと尚更、今だけ見ることができる花々が愛おしい。回線が復活したら、すぐに季節の輝きを見せるものを載せようと思っていた。

第995話
◆サンシュユ

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 別名ハルコガネバナという名の通りに一つ一つは小さいながら、はじけんばかりの黄金色が空に映える。
 学名Cornus officinalis。
Cornusは角(葉の細さから角【つの】という)、 officinalis(薬効がある)。
秋の初めには赤いグミのような実がなり、これに薬効があるのだ。

 早春、梅やボケなどの赤系の花の咲く低木はあるものの、黄色系はほとんどないときに葉が出る前に咲きそろうため、思わず近寄ってみたくなるし、また日本を代表する木となっている。

 本来中国から伝わったのであるが、享保年間に、かの徳川吉宗が目安箱の中の有益な提言に基づいて作らせた小石川の養生所の薬草園で始めて栽培された。

 サンシュユ(山茱萸)の実は、糖類・リンゴ酸・酒石酸が含まれ、甘酸っぱい。一般にはそのまま煎じて、滋養強壮、腰痛、めまい、耳鳴りなどに用いる。漢方薬では、八味地黄丸などに使われるれっきとした薬効植物である。

 日本でも早春の花として好まれ、、お茶席での早春の茶花としても季節をあらわす大事な役目を持っている。

◆ さて、この花、中国原産は確かなようなものだが、東アジアだけなのだろうか。サンシュユという名前だけでは出てこないが、雨も降り、山もあり、草木の多いトルコだったらもしや、このような効果のある植物があるかもしれないと調べていった。

 すると、やはり同種のものが西南アジアと南ヨーロッパに存在した。英文Wikipediaより。
European Cornel (Cornus mas) という。西洋サンシュユ、コーネル・チェリーとも呼ばれる。
花の形状は東のサンシュユとそっくりで、その実は熟すと赤黒い。ヨーロッパではドゥレンキといい、シロップやジャムにすることが一般的である。
 トルコでは、クズルジュックと呼ばれ、やはりシロップ・ジャムのほかに夏のスナックとして塩をふって食べることもするそうだ(枝豆のような感覚?)。薬効については、一般的に腸によく、腹痛もこれでおさまるといわれている。

◆ 同じ種の植物サンシュユが、春には洋の東西を明るくいろどり、秋には人にとってありがたい薬効のある実をつけるとわかったのだった。


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by miriyun | 2009-03-19 23:40 | Comments(4)

サウジ・アラムコ・ワールド誌の取材

 サウジ・アラムコ・ワールド誌の特約記者による取材が入った。
場所は、横浜朝日カルチャー。
日本でのアラビア書道の状況の取材ということで、アラブ・イスラーム学院から横浜朝日カルチャーへと熱心な取材が続いている。

1.サウジアラムコとは
Saudi Arabian Oil Company
أرامكو السعودية

 サウジアラビア王国100%出資の国営石油会社。保有原油埋蔵量、原油生産量、原油輸出量は世界最大。
歴史からいうと、1933年、アメリカの会社が、サウジの利権を得たことに始まり、California Arabian Standard Oil Companyがテキサコと合弁、2年後にペルシア湾に望むダンマンで油田を発見、1944年にはArabian American Oil Company(アラムコ)を名乗った。

 OPEC結成後の1962年サウジアラビアのヤマニ石油相がアラムコ4社(ソーカル、テキサコ、エクソン、モービル)に呼びかけ、政府によるアラムコへの事業参加についての交渉が行われ、1973年12月、政府の25%経営参加に合意する「リヤド協定」が成立し、1980年には、政府の100%事業参加(実質的な完全国有化)を実現した。
1988年、サウジアラビア政府は旧アラムコの操業権利・資産などを引き継ぎ、国営石油会社「Saudi Arabian Oil Company」(サウジアラムコ)を設立した。主な事業内容は石油・ガスの探鉱、開発、生産、販売などであった。
 国内石油精製事業と石油製品を販売していたサマレックを吸収合併したため、石油事業のほとんどすべてが同社によって実施されている。

 この結果、アラムコはすべての石油事業を手がける世界最大手の一貫石油操業会社となっている。
                                  (参考:Wikipedia及びサウジアラビア大使館資料)

2.『サウジ・アラムコ・ワールド』

 まず、記者に見せられたのはサウジアラムコの冊子である。
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 隔月刊で発行されており、75万人に無料配布されているという画期的な冊子である。希望すれば、無料購読者にもなれると書いてある。 
   ⇒サウジ・アラムコ・ワールドのWeb

隔月刊でかなり詳しい特集を組むので取材も徹底している。
記者は、はるばるカナダから日本にやってきて、日本中どこへでも行くことができるJRチケットを購入して飛び歩く。

3.日本におけるアラビア書道の現状

 サウジ・アラムコ・ワールド誌の特約記者であるシェルダン・チャド記者は日本におけるアラビア書道の現状を取材に来ている。そのため、来日後、まずは本田教授への長時間の取材、そしてIRCICA受賞者へのインタビュー、教室見学とインタビューとつながる。

まずは、講師控え室で二人が取材を受ける。
 表面的なものでなく、動機やアラビア書道に対する思い、仕事との関係など、かなり深く掘り下げてくる。内容については取材中のことであるので書かないが、よく研究してきて突っ込んだ質問をしてきている。
 私も、アラビア書道への思い・イスラームの文化の集約・「写真でイスラーム」記載との関係など、言うべきことはたくさんあった。しかし慣れない英語取材に固まっていて、充分言い表せないところがたくさんあった。
 観念的な言葉がたくさん出てきて何を意味しているのか迷うような内容も多かった。もう1人の取材された方が的確な通訳をしてくださったので助かった(感謝です)が、それにしてもむずかしい。最後は気を取り直して、自分らしく表現するしかないと考えた。作品の写真を示してどのような思いで書いていったのかなどと説明。質問に対して的確だったかどうかはわからないが、背景で表現したかったもの、そして文字で表現した意味、そのつながり、作者の思いはわかってくれたようでその作品が気に入ってくれたのは幸いだった。

 書道の教室が始まる。いつにもまして出席が多く、机が不足して次々と予備の机を出すことになった。

教室にはユニークな人材はいっぱいいる。記者が取材するのに充分魅力を感じたはずだ。時間いっぱい取材をし続けていた。

 *実は、私はこのアラビア書道教室がもう16年も続き、現在も常にいっぱいなのは、3つの理由があると思っている。
一つには何といっても人柄が穏やかでユーモアがありやさしく、しかし書道については厳しい本田先生、
二つめに生徒のための細やかな配慮で常に紳士と評される山岡先生、
三つめにアラビア書道に集まる人たちの個性とそれぞれの背景の多彩さである。
 たくさんの職業・学んできたものの違い・経験してきたことの違いが様々であるけれど、それを認め合いながら楽しく過ごせる空気がここにある。私はこの多様性そのものを愛す。

 *こういったことも、ほんとはチャド記者に伝えたかったことの一つだったと今はわかる。 

4.熱い取材に夜もふけて

 食事をしながらも、チャド記者は雑談の中でもこれぞというときには双方向集音ミニマイクを持ち出して取材に怠りない。
 会話に熱が入り、時の立つのも忘れて話している。英語だけの会話についていかれないのが悲しかったが、話の中の最も言いたいこと、双方の会話の熱の入れようはわかる。 
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 左から本田教授・山岡先生・シェルダン・チャド記者
 
◆ 自分はこのブログを通してはイスラーム地域の素晴らしい面を紹介しているし、またアラビア書道という芸術を通してはその文字の持つ魅力とそれをはぐくんだ地域を理解したり表現していきたいと常々思っている。
 だが、この取材でいろいろな質問をされているうちに、日本をイスラームの人々に理解してもらうことにもなり、それも大事なことだと思い始めた。
 ここらでそろそろ相互理解の一歩が踏み出せたらと思う。

 このアラビア書道の取材を通して、チャド記者に日本のアラビア書道の魅力を感じ取ってもらえただろうか。
どんな記事ができるのか楽しみである。
            ・・・刊行は夏だと聞いている。




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by miriyun | 2009-03-15 02:09 | アラビア書道 | Comments(4)

石碑の中のトゥーラ

トプカプ宮殿のディワンの塔(通称・ハーレムの塔)の塔のそばに立派な石碑が建っている。
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   塔をバックにして建つ石碑。時代を経て渋みが出ていてなかなかよい。

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   枯れ葉が一葉落ちているのも風情があってよい。なお、トゥーラの脇にはつる草文様が入っていてトップの飾りとともに風格を感じさせる。

◆トゥーラの読み方と意味
アブドゥルハミド ハーン ビン アブドゥルメジド アル ムザッファル ダーイマ

アブドゥルメジドの息子、 永遠の勝利者、スルタン アブドゥルハミドの意味である。これは、34代スルタンアブドゥルハミド2世のことである。在位1876~1909。
 
◆なお、このトゥーラはIRCICA(イスラーム歴史芸術文化センター)のあるユルドゥズ宮殿のトゥーラとおなじスルタンのものであり、同時代のものであることがわかる。

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by miriyun | 2009-03-12 14:02 | Comments(0)

春来たリ(1)

 慶び事の多い春・・・卒業・就職・入学、それぞれの旅立ちを祝うがごとき花々のなかに、春の色を見つけた。

 いろいろな失敗もあり、友への別れへの思いもあり、そして世の中は経済不況もあり、厳しい世界が待っている。
それぞれ旅立とうとするわが子へ、そして世界中のたび立つ若者達へ・・・

◆まずはお祝いの紅白の梅で・・・おめでとう!
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  こまったら、天を仰げ、青空がきっと応援してくれる

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  思いっきり手足を伸ばし、のびのびと開花せよ

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 人にやさしく

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     そして、清々しく・・・

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 大地にも目を向けて
       それぞれの場にしっかりと根付いていこう。


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by miriyun | 2009-03-11 11:07 | 日本 | Comments(10)

トルコの宝珠文様

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 オスマン・トルコは世界を相手に長く幅広い貿易を行なってきた。その中で、文様は元のローマ帝国領土意外にもペルシアや、中国までも互いに文化の影響しあうところが多かった。
 その中で、中国由来だろうといわれている雲文様については以前に書いたが、気になる存在があった。それは、宝珠文様といわれるもので富と幸福をもたらす宝珠は玉葱型の上がちょっとだけつんとした形であらわされることが多い。その形は、身近なところでは橋の欄干の飾りに見られる。

 この宝珠文様がトルコに影響したといわれているのがトルコの宝珠文様、「チンタマーニ文様(Çintemâni )」である。「チン(Çin)」とは「CHIN 」であり、「CHIN」の歴史をたどれば紀元前の強大なる「秦」までさかのぼる名である。この円を組み合わせたような文様が中国の宝珠が変形したという明確なものがあるわけではないが、いずれも福をあらわす文様であり、好まれる。


1.一宝珠

  東京ジャーミーの1階部分はトルコ文化センターとなっており、トルコ文化に親しんだり、イスラーム世界に触れる行事を行なったりしており、門戸が一般の人に開かれている。
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  部屋の奥に飾られた色鮮やかなタイルのミフラーブ。
これを背に結婚式やいろいろな式典が行なわれているが、イスラム行事で人が多いときにはここでも礼拝するのだろう。
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この中の文様は一つの円と一つの波のような文様が交互に現れる一宝珠の文様になっている。


2.三宝珠文様
3つの円が同じところに向き合うように作られている文様のほうが一宝珠よりもよく目にする。

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これも、トルコ文化センターに飾られた大きな装飾タイルである。いつもは脇役的な三宝珠を主役にして実に立派な装飾となっている。そういえば、この福・富・権力をあらわす「チンタマーニ文様」の服はスルタンしか着ることができないときいている。

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左は小さめの赤系の三宝珠
中央は、糸杉にトルコならではの花文様が半夜かに絡む。
右は、大きな三宝珠

☆ ところで、この宝珠文様はトルコのお守り、ナザール・ボンジュに酷似しているような・・・。これもどこかで影響しあっているのかもしれない。
 

 さて、東京ジャーミィーにあるものはもちろん現代の作家者であるが、歴史上はどのように使われていたのか捜してみた。
 ◆イスタンブールのリュステムパシャ・ジャーミィー
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 トルコブルーの鮮やかな三宝珠変形型の文様が、リュステムパシャのすばらしい花文様を尚更鮮やかに飾っていた。


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by miriyun | 2009-03-10 04:40 | トルコ | Comments(8)

ヤマアラシ&竹

1.アラビア書道の筆の材料
 マレーシア、レスト財団の展示室には、アラビア書道の筆にできうるいろいろな素材が置いてあり、イランの葦も含めて展示されていた。その中でとくに珍しいものにヤマアラシの針毛(トゲ)がある。
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               (↑ ヤマアラシの針毛 NHK「ダーウィンがきた」のTV画面を撮影して引用)

 ヤマアラシが防御や攻撃に使う針毛は白黒や白茶のまだらの色をしている。これが筆になるという。ふだん、アラビア書道には竹を使っているものにとって、あまりにもヤマアラシの針毛(トゲ)は意外なものだった。
 『 竹 』と『ヤマアラシの針毛』では、形状も材質も異なりすぎてとても同じ用途にできるとは思えないというのが実感であった。 
 2枚目の写真は一見、ペンで書いているような見え方だが、実はヤマアラシの針毛がいかに強くて敵を寄せ付けない力があるかの実験風景であって、分厚い発泡スチロールをこの針毛が一瞬で突き抜けてしまうということをやっていた。それほど、強い素材であるということがわかる。
 ペンになるかどうかも自分で実験してみたいものだが、こればかりは川や山にいけばいいものではない。動物園などで、落ちた針毛をもらいに行くなんてできないものだろうか・・。

2.ハリネズミ・ヤマアラシのレコード針・・・TVより
 『世界の果てまでいってQ』という番組がある。
疑問に思うことを世界の果てまででも出かけて確認しようという番組である。
 その中で、ある日、「ハリネズミの針でレコードは聴けるのか?」というテーマがあった。

 インドネシアまで出かけてハリネズミを捕獲。ただし、抜くわけではなく巣穴に落ちている抜けた針を使うところはほっとした。こうして、ハリネズミの落としていった針毛(トゲ)を1本手に入れ、細工していった。
 とうとうレコードにハリネズミ針をかけると、かすかに弱い音がして曲には聞こえない。針先は磨耗して曲がっていた。ハリネズミの針が弱すぎたのである。

 ★音は空気の振動でつたわる。レコードから音が出る原理は、レコード盤に波打って掘られた溝によりプレーヤーの針が振動して、その針の振動を空気の振動に変えて音を発生させるものだから、弱くて先の折れ曲がった針は、レコードの溝から振動を伝えられなかったのだ。

 こうしてこの日の企画は没になるところだったが、現地の人がハリネズミよりも硬い針を持つヤマアラシがいると提言。早速ながら捕獲に行き、やはり巣穴で抜け落ちた針を一本手に入れた。
 そしてこれを針にして装着。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が、インドネシアのパングンジャム村のジャングルの中の寺院で鳴り出した。シャーシャーという摩擦音とともに・・・。
                                     
 なかなかやるではないかヤマアラシ!と見直した。

3.レコード針その2
 ヤマアラシのレコード針にいたく感心していたら、うちのおじいちゃんが話しにのってきた。

 戦時中は、物が不足して、レコード針がなくなってしまった。

 そうしたときは竹ででつくった針でレコードを聴いたそうだ。
ただし、磨耗が激しくて一回レコードを聞くともう使えない、一回限りの使い捨てのレコード針だそうだ。鋳物のレコード針はレコード3枚くらい聞くことができたらしい。

 そういえばレコード針って、サファイヤ針とかダイヤモンド針といっていたから、細くて磨耗が激しいのでそういった硬い石が使われたのだろう。しかし、材料がないから竹で作るという発想はすごい。
 お年寄りの話は聞くものだ!

★ レコード針になった 『 竹 』と『ヤマアラシの針毛』・・・偶然知ったこの話から考え直した。
このように用途が一緒のものがあるのなら、この二つには同じような強さや弾力があるに違いない。
ならば、まだ触れたことのないヤマアラシの針毛であるが、きっとヤマアラシペンも書き味がいいのだろうと思うようになっていた。

 普段は考えたこともない素材について考えさせられたひと時だった。
筆の材料がなければ何でも試してみて、物資がなければそれなりに代用品を作ってしまう。これこそが人の柔軟さであり、これがあるから、人はいろいろな困難にあたっても進んでいかれるんだとつくづく考えさせられたのだった。

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by miriyun | 2009-03-08 00:01 | Comments(4)