写真でイスラーム  

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2006年 05月 31日

カフェ・デ・ナット

シディ・ブ・サイドの丘を登っていくとその頂点に建っているのが カフェ・デ・ナットだ。さらに階段を上ると入口になっている。
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 このカフェのなかでは靴を脱ぎ、赤や緑の色も使ったござが敷かれた床上で思い思いにくつろぎながらお茶を飲み、水パイプを吸う。
 靴を脱げるというところが、日本人向けでもあり、とてもくつろげる。
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 インテリアはなんとも不可思議・・・赤と緑のらせんを描いて柱を包み込んでいる。

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by miriyun | 2006-05-31 02:46 | チュニジア | Comments(2)
2006年 05月 30日

松の実シャーイをいかが?

 シディ・ブ・サイドでおいしいのは、カフェ・デ・ナット(Cafe des Nattes )のお茶。しっかりとした味のシャーイはやみつきになる。
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↑ 浮いているのが松の実。濁っているところが旨みの証拠。松の実には特別の味がないだけに紅茶の本来のおいしさのじゃまをしない。それでいて、ナッツ特有の食感と風味が濃いお砂糖入りの紅茶と妙にあう。地中海の風を感じながら、まったりとすごす。極上の時間を持てる場所・・・

シャーイを捜して
 *チュニスのメディナを歩いていたら、なにやらカフェ・デ・ナットとよく似たインテリアの店を発見。入ってみると、同じ松の実シャーイがあった。もちろん同じ味。同じ経営者が作ったカフェの可能性が強い。

 *また、愛・地球博で楽しみにして、チュニジア館に行った。シャーイを注文したら、松の実ではなくて砕いたアーモンド入りで、味も薄くてまったく物足りないものだった。
 あれを飲んでアラブの味と思ってはいけない。
 
 *自分の家でも、松の実を買ってきてつくってみたこともある。でもこってり甘いお茶は乾燥帯にむいているのかもしれない。その場で飲んだような感動は味わえないでいる。

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by miriyun | 2006-05-30 18:35 | チュニジア | Comments(2)
2006年 05月 29日

黄色の扉

 ふつうなら、黄色の扉などありえないと思った。そんなのが似合う家なんてないだろうと思っていた。
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 あぁ、でもやはり、『百聞は一見にしかず・・・』 であった。シディ・ブ・サイドの家である。


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by miriyun | 2006-05-29 18:23 | チュニジア | Comments(2)
2006年 05月 28日

チュニジアン・ブルーの町

 イスラームの国では、民家の多くは入り口のほかは周りを壁で囲まれている。入り口から中へと入れば中庭があり、ぶどうなどの緑にあふれ、家族の憩いの場となっている。
 外からはそれはうかがうことはできずないので、家をめぐる土壁が無味乾燥な印象を与えがちである。しかし、チュニジアのシディ・ブ・サイドでは、チュニジアン・ブルーといわれる明るい青の扉で町並みがとても印象深い。
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 扉の多くはイスラーム独特のアーチ状をなす。そしてそこには金属の鋲をデザインにそって打ち込んであって楽しい。そして、何よりもその青がよい。真っ白な壁にチュニジアン・ブルーがこれほど美しいとは・・・。
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 さらに、ブーゲンビリアなどの植物が彩りを添える。背景には石畳の坂があり、地中海がある。こうして、この町の景観が出来上がる。


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by miriyun | 2006-05-28 11:33 | チュニジア | Comments(0)
2006年 05月 27日

先生と生徒

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 ↑イスファハンのイマーム広場で解説中の先生とそれを聞く生徒たち

 言葉は通じないが、先生がこの広場の歴史を解説していることはわかる。生徒たちはその歴史に目を輝かせているのか、自分たちに向けられるカメラに目を輝かせているのか・・・
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 ↑先生も生徒もサングラスの使用が多い。先生はカメラも持っている。
 通りすぎようとしている私を呼び止め一緒に撮ろうといったのもこの先生である。先生も生徒も他の国からの訪問者に興味津々・・・積極的に話しかけてくる。

 こんなとき、「話とは語学ではないんだなあ」とつくづく思わされる。
 話したいと思い、ふれあい、ともに仲良く写真を撮ったりすれば、笑顔があふれる。まちそのものの印象がすっかり変わる瞬間である。

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by miriyun | 2006-05-27 12:58 | イラン(ペルシア) | Comments(4)
2006年 05月 26日

門の両腕のタイル装飾

 マスジェデ・イマームの門は広場に向かって両腕を広げて迎え入れるように展開されている。
この迎え入れる両腕にあたるのが、門の脇の二階立ての回廊建築である。広場を囲むほとんどの回廊はむき出しのレンガそのものである。だが、モスクの一部であるモスクの両脇は、装飾の一覧場所かと思うほど多彩な装飾方法を示している。

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  左上:ムカルナス装飾       右上:ドーム天井を思わせるようなゴンバット風装飾
  左下:透かしの入った窓枠    右下:らせんと生命の木を中心としている。

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左側もこのとおり。ほぼ左右対称に並んでいる。

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by miriyun | 2006-05-26 01:36 | イラン(ペルシア) | Comments(6)
2006年 05月 25日

彩色タイルの花

 マスジェデ・イマームの彩色タイルによる造形を見てみよう。
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 彩色タイルは繋ぎ合わせていくとどこかで文様のつなぎ目でずれが生じてしまう。この技術が優れたモスクでもそれが見えてしまう。
 だが、七色の釉薬による彩色タイルに描かれた絵はやわらかい表情を生み出す。

 このモスクはタイル装飾のそれぞれの長短をよく知った上でより効果的になるよう組み合わせて使っている点が興味深い。

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by miriyun | 2006-05-25 01:32 | イラン(ペルシア) | Comments(2)
2006年 05月 24日

繊細な花のモザイクタイル

 イマーム・モスクマスジェデ・イマーム、もとの王のモスク)の建築美をこれまで見てきた。しかし、これまで紹介しただけでとても語りつくせたとは言いがたい。まだ、不足があるはずという思いがあるので、このモスクの記事完了を言えないでいる。
 
 そこでタイル・カリグラフィーをさらに見つめていく。
まずはファイアンス・タイルの優れた造形を二つ。
 一つ目は、イマーム・モスクの門の入口上に一対あるパネル状のもの。目に入りやすい明るい青の上に花とらせんが繊細に表現されている。モザイクタイルのl緊張感をもちながららせんの繊細さをあらわすぎりぎりのところまで追求した作品といえよう。
 
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 二つめは、主礼拝堂のキブラ上の文様。やはりらせんがあらわされている。ただし、太くて力強い造形。壮大な主礼拝堂のキブラの上の文様である。かなり高い位置にあるので、下から見てもこれが見えるよう、白の大理石に太いらせんでくっきりとした文様をはめ込んでいる。青と黄をメインカラーとした礼拝堂において、ここの白が際立って求心力となっている。
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 ☆いずれもこれまで紹介したものに劣らず美しい。

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by miriyun | 2006-05-24 23:04 | イラン(ペルシア) | Comments(6)
2006年 05月 23日

ラクダ模様のキリム

 キリムには動物文様が多く見られる。生活に密着したものの柄が多いので当然その地域性が反映されるし、それぞれの部族らしさもでている。
  
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 これはゴーチャン産のキリムで、織りが細かいわけでもないし、珍しいものでもない。だが、動物文様が愛らしくこの長い廊下敷(見えている部分は半分弱)が5つのパネル状になっていて、そこに鳥や山羊・ラクダなどがちりばめられている。見ていると楽しく、明るい気持ちにさせられるような色と柄なのだ。
 その一部を見てみよう。
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 あまりきりっとしないラクダがいたりする。

 ぼくだっているんだよと小動物たちが自己主張・・・・・キリムは語りかけてくる。

こちらは「お前さんは何でふたこぶなんだい?ラクダの下の人は何をしているの?」と問いかけてみたくなる。そんなキリムがおもしろい。


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by miriyun | 2006-05-23 08:40 | 絨毯・キリム | Comments(6)
2006年 05月 22日

白瑠璃の椀とペルシア

 白瑠璃椀(はくるりのわん)は大仏に奉献されて正倉院に納められてから1250年、当時の姿をとどめている。高さが8.5cm、さし渡し12cmほどのこのガラス器は、その歴史をぬきに見たらなんら感慨をもたらさないかも知れない。意識して想像力を持ってみていかないとその魅力はわかりにくい。

 色は淡い褐色で透明なカットグラスである。厚手につくったガラス椀の表面は底も含めて全面にカットを施している。のちの日本ではこのような細工を切子と表現している。底部には中心に大きな円形文その周りに7個の円を配している。側面には四段、72個の円形文を配している。合わせて80の円形文をその段に応じて均一に削りだしている。
 しかもこの円形のカットが互いに周辺部が接しているために、亀甲文のようになり、よりいっそう華麗で完成した姿になっている。1つのカット部分に写る亀甲文様を見れば、ここに飲み物が入ったり、陽光やろうそくの明かりがあたれば見事にきらめいただろうと思いあたる。。
 カットといっても電動グラインダーがあるわけもなく一つ一つ回転するやすりで固いガラスを削りだしていくのだが、確かな技術がなければここまで端正な姿にはならない。
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 テヘランの国立博物館蔵のカットグラスは、白瑠璃の椀と形状が酷似している。
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 ギーラーン州出土のカットグラスで、6世紀のササーン朝ペルシアではこれがさかんにつくられた。だが、土に埋もれていたため、このようにガラス質そのものが変化してしまう。どうもガラスは変質しやすいものらしく、ガラスの含有物によっては銀化という美しく趣のある変化をすることもあるが、多くはこのように土色になってしまう。
 
 劣化してしまったが、よく見るとこれもかなり精巧にできており、亀甲文のようになっている。椀のカーブも類似しており、このつくりのものがシルクロードをとおり唐の国を経て日本に伝来している。吹きガラスで作った繊細な白瑠璃の瓶も正倉院には伝わってはいるが、どちらかというと輸送に耐えるこの厚手のカットガラスが遠方へ運ぶには好まれたという。

 アーブギーネ博物館にも下記のようなカットグラスがある。
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 このように、数は多く出土しているが、いずれも劣化の度合いが激しい。形状は正倉院とテヘラン博物館のものが緩やかなカーブをなしているのに対して、これはカーブが急で湯飲み状に垂直になっているので広がり感がなく。こじんまりした様子になっている。カットは三段で、当然円形文の総数はずっと少ない。左は亀甲文になっているように見える。右の椀はそれぞれの円を離して削ったため亀甲文にはなっていない。

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             (日本のもの2点は「日本美術全集 正倉院 」学研より引用
 模様の置き方がアーブギーネの右と似ているのが、安閑天皇陵から発見された白瑠璃椀である。上の二段は円形が離れて置かれ、下の2段は亀甲文になっている。
 安閑天皇の陵は6世紀前半に作られ、そこに副葬されていたものである。(東京国立博物館蔵)

 正倉院解説には正倉院の椀と安閑天皇陵の椀は同時に作られ一対をなして伝来した後、それぞれ伝わったのではないかとあるが、それには疑問を感ずる。
 同時に作られたとするにはあまりにも技術の違いが感じられるからだ。すなわち、正倉院のほうがこれ以上はないくらいまでのカットの素晴らしさを見せているのに対して、安閑天皇のほうは透明感は素晴らしいのだがカットのほうは過渡期であるように見えるのだ。

★日本へ伝来したものを見なければ、その透明感とカットがあることによる美しさはわからない
 赤いぶどう酒などを注いだ時のテーブルに、日を透かして赤みを帯びたカットが模様となって映し出されたであろうなどとは想像さえできない。上のモノクロ写真にできた影を見るとその中にカットが写っていることがわかる。ここにその美しさを想像する断片があるのだ。

★なお、何百・何千とつくられたガラス器が一つとして前の姿でイランで発見されないということから、いかに保存が難しいかということがわかる。民族の興亡の激しいシルクロード沿いはとくにそうだ。文化遺産の建造物が破壊され、略奪が行なわれるなかで、金製品は常に次の権力者が持ち出したりするが、ガラスはのちに美しいガラスも次々と作られるようになったから、いたみはじめたカットガラスに興味を示さなかったのかもしれない。割れる・傷つく・燃える・劣化するということが多かっただろうことが考えらる。

☆ それに対して、日本は島国であり異民族支配がなかった。正倉院に目録とともにきちんと保存され、明治政府が正倉院を開け文化財として確認するまで火災にもあわずよくぞ残ったものだと思う。正倉院の建物としての保存性の素晴らしさと、文化の交流のあとを見事にあらわしている。そういう価値を考えさせられるわかりやすい事例といえよう。
  
 源流としてのペルシア文化と残された正倉院御物を比較することによって、語り尽くせぬ魅力が見えてくる・・・・・

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by miriyun | 2006-05-22 23:37 | イラン(ペルシア) | Comments(6)