<   2006年 02月 ( 28 )   > この月の画像一覧

タージマハル(2)…カリグラフィーと大理石

 タージマハルカリグラフィーはすべてクルアーンの章句である。ふつう、場所にあわせてそれぞれの章の一部、時には1節の一部をデザイン化することが多いが、ここのカリグラフィーは1つの章を1つの場所にきっちりとおさめるように作っている場所が何箇所もあるという。
c0067690_10294370.jpg
 
↑外側と内側にカリグラフィーの枠がある。きっちりとおさめるには相当のデザイン力がなければならない。
 
これらのみごとなカリグラフィーを書いた書家はアマーナト・ハーンである。この書家の本名はアブドゥル・ハックといい、ペルシアのシラーズからインドにやってきて4代皇帝ジャハンギールに仕えた。5代皇帝シャー・ジャハーンは1632年にみごとな書をかく彼にアマーナト・ハーンの名を与えた。(「タージマハル」岩波書店発行 より引用)
 イスラームの世界で,は、書家はカリグラフィーを書くことで神の言葉を再現していくという崇高なる仕事をするため、たいへん尊敬されている。このタージマハル建設・装飾にあたった当時の最高の知恵と技術をもった多くの人々のうち、タージマハルに署名を残すことを許されたのはこのアマーナト・ハーンただ一人だったようだ。彼の署名は南のイーワーンの文字群の最後のほうに記されている。

 
c0067690_183004.jpg

       ↑内側の枠
 タージマハルで使われている大理石はマクラーナ大理石といわれている。ジョドプールのマクラーナ村の石切り場から切り出された乳白色の石で、そのため、ただの無味乾燥な白ではなく光のあたり具合で変化していく乳白色なのである。白大理石にくっきりと黒い文字が浮かび上がる。
c0067690_1826129.jpg

 ところで、この文字の黒は何でできているのか。これはもちろん黒大理石を白大理石に象嵌しているのだ。優美な曲線でできているこのたくさんの文字をこれだけ美しく象嵌している建築を見たことがない。
 シャー・ジャハーンは自らの廟はヤムナー川をはさんだ向かいに黒大理石で建てるつもりだったと伝えられるが、その黒大理石はすでにここで使っていたのだ。

 シャー・ジャハーンは自分の黒大理石の廟のカリグラフィーに白大理石で象嵌して対比させるつもりだったのではないだろうか・・・・
  

興味をもったら一日一回ポチッとよろしくお願いします。
blog Ranking
 
by miriyun | 2006-02-28 18:05 | イスラームの工芸 | Comments(0)

タージマハル(1)・・・空間の使い方

 タージ・マハルムガル帝国の皇帝、シャー・ジャハン(1592~1666年)が最愛の后を亡くしたことにより、帝国の財力をかたむけて建築した廟である。
 后の名は「ムムターズ」という。ムムターズはアラビア語では{優れた・素晴らしい}を意味する言葉であるが、実はムムターズ・マハルはペルシア語で、「宮廷で選ばれし者」という意味があるという。このムムターズ・マハルが、タージ・マハルに変わってきたのだ。

≪追記*タージ・マハルの名について ≫
・シャー・ジャハーン時代の史家たちが、ただロウザ(墓)とよんだこの廟は、やがてタージ・マハルとして歴史に残るようになる。タージ・マハルはムムターズ・マハルの変形であり、・・・・
(タージ・マハル・岩波書店より引用}
・タージ・マハルの名のいわれは、ムムターズ・マハルの変形したものだといわれている。しかし、現地のガイドたちは、タージは「王冠」、マハルは「宮殿」の意味であると説明している。仮の墓をとりまく壁が王冠の形(八角形)をしていることを考えるとガイドの説明が正しいような気がする・(インド・○○出版、忘れてしまった・・・失礼!)

 一般に広がっているのはムムターズがタージになっていったという説で、現地から聞こえてくる声が王冠の宮殿説という。確定するような現地資料が見つけられなかった。結局はっきりしていないという状態なので、今後も注目していこうと思う。

c0067690_23245728.jpg

 この廟の建築美はまた別の機会にして、まずはアラベスクに注目してみる。 
つる草の文様は数多くあるが、絵でもなくタイルでもなく貴石の象嵌によるものなのでその微妙な色合いの石を組み合わせたアラベスクはほんの一部をみても見事な工芸品である。

c0067690_193184.jpg

 カリグラフィーもこのインドのところでこれほどのアラビア語カリグラフィーが象嵌で作られているとは思ってもいなかった。もちろんペルシアの職人をはじめ各地の材料・職人を集めての業績だ。
 各地の技術を駆使しているとはいえ、他とは異なる美的空間を演出している。それは壁の白い空間である。この写真の場合では文字の下の白い空間は格好のデザイン場所であり、トルコ・ペルシア・アラブいずれでもここに文字または文様をいれるだろう。しかし、ここでは壁のすべてを文字と文様と色タイルで埋め尽くすことをしていない。

 結果的にはこの白さが生きて、遠くから見ると真っ白に輝く廟であり、また、近づくにしたがって、繊細華麗なアラベスクが見えてくる。更に近づけば花びらのひとひらさえ鑑賞にたえうる美しさをたたえている。
 同じく、中ほどからみても入り口の枠にしか見えなかったものがじつは文字であり、近づくにつれアラビック・カリグラフィーであらわされたクルアーンがイスラームの世界へといざなう。
 
 白い空間があることによって、アラブ・ペルシアとは異なる芸術に高めた、そんなムガルの栄えたころの建築家と職人たちとの清新な息吹を感ずる。



興味をもったら一日一回ポチッとよろしくお願いします。
blog Ranking
 
by miriyun | 2006-02-27 19:00 | イスラームの工芸 | Comments(7)

イスラームの埋葬と墓地

 研究会があって、多文化共生をめざす中でのイスラームの埋葬と墓地問題について発表があった。これまでこの問題については、イスラームでは土葬であることは知っていてもそれ以上考えたことがなかったので、再認識すべきことがたくさんあった。 
 イスラームではクルアーンとハディースがすべての生活規範でもあり、その中で最後の審判のあと行くべきところとして天国・地獄についての記述がある。そして、地獄とはその身を焼かれる地獄として描写される。また、ムスリムは「大地から生まれ、大地に帰っていく。神から生まれた魂は神の元へ帰る」ということを望む。そして、火葬されることは完全にムスリムの意思に反するものであるという。

 また、日本は世界の中でも際立って火葬の多い国であるため在日ムスリムにとって、安心して死ぬこともかなわないという問題になっているのだ。そもそも日本でも土葬であったし、今だってなくなったわけではない。ただ、一部の条件がそろったところでだけなのだ。発表者の許可を得ていないので具体的なムスリムの数などは表記しないが、実際には詳細な調査数字を挙げた研究発表だった。
 具体的に聞いてみると知らないことばかりで、また、日本在住ムスリムの方々の切実な思いも知ることができた。


☆ さて、イスラームの国々では墓地や埋葬についてどのようになっているのだろう。この分野については意識して資料収集をしたことはないが、わずかながら写真を探し出した。これを手がかりに自分の学びとして墓地と墓石についていくつかまとめてみることにしよう。

1、埋葬向き 
 いずれの墓地でも墓は同じ方位を向いている。
 日本の墓地では背中合わせに区画を分けて使用するので向きはさまざまになりやすい。しかし、礼拝の向きを重要視するムスリムの場合は、当然のごとくマッカを向いて眠りにつく。体の右側を下にして横たえ、顔がマッカに向くように埋葬する。だから、墓は同じ向きにつくられることになる。


2、遊牧民の場合
 遊牧民の場合、埋葬は実にあっさりとしたもので墓石も用意しない。たとえ、用意しても砂漠やワジが氾濫をおこす土地では石など埋もれてしまう。中央アジアなど敵の多い民族興亡の地では、なおさら墓の標識などおかない。その代表がチンギス・ハーンではないだろうか。あれほどの世界帝国を築きながら、その墓地の痕跡を残そうとしていない。
 
 儀式や埋葬方法もあっさりしたものだといわれている。


3、定住民の場合
① イエメン
c0067690_12255774.jpg

イエメン中部の墓地。手前のほうは並べた石が散乱している。したがって時代が奥よりも古いと考えられる。奥は、整然としており、最近の墓地と考えられる。

・古いほうの拡大画像↓
c0067690_13474640.jpg

 遺体を埋葬したあと土をかぶせ、その周りを石を四角く囲うように並べている。
更に拡大すると、ざっくばらんで石以外に装飾がないのだが、中に黄色の花が左右に咲き並んでいる墓もある。
 石は並べても自然の力で、位置がずれ、割れてちらばる。結局古い墓はどこまでが誰の墓という輪郭線はわからなくなる。すると、土地の再利用の可能性も出てくる(実際は土地が十分あるうちは再利用しないが・・・)。

・新しいほうの拡大画像↓
c0067690_134811.jpg

大きな墓石を並べてあり、等身大の大きさのものに更にプレート状墓石を乗せてある場合もある。

② チュニジア 
・海岸地方の墓地 ↓
c0067690_12272560.jpg

真っ白な墓石がまぶしい。石が豊富な地中海沿岸ならではの墓地といえよう。

・シディ・ブ・サイドの土手の上の小さな墓地↓
c0067690_12285512.jpg

 チュニジアの埋葬事情は知らないが、ここは小さな墓地で数箇の墓があるだけだった。景色のよいところなので故人の希望に沿わせたのだろうか・・などと想像した。また、墓標の変わりにクルアーンの形の石をのせてある。右ページ1行目には「慈愛あまねく慈悲ぶかきアッラーの御名において」、左ページには「アッラーは偉大なり」という語句から始まっている。敬虔なムスリムとしての思いから、言葉を選んだのかもしれない。また、1921~2000という生年・没年をあらわしている。マグリブはフランス語圏で文化的にかなり西洋風になっていることが多く、年号もヒジュラ暦より西暦を使っている。

③ レバノン
・パレスチナキャンプ内の墓地
c0067690_1229757.jpg

狭い土地に大勢のパレスチナ人が密集して住んでいる地域である。まわりに見える家も壁が墓地に接している。きれいな墓石にクルアーンの語句や名を刻んでいる。
 周辺事情は厳しく、狭い路地、窓の少ない家が続く町並みにはふつう、花がみあたらない。難民の家には生花はなく、造花のみ飾られる。そういう環境の中、花のある墓地は、ことのほか美しく見えた。
 
 ただし彼らがほんとに葬られたいのは、パレスチナのふるさとの村だったにちがいないが・・・



興味をもったら一日一回ポチッとよろしくお願いします。
blog Ranking
 
by miriyun | 2006-02-26 06:37 | イスラーム全般 | Comments(13)

イエメンの男たち(2)

c0067690_7403862.jpg


イエメンはサナアの若手商人たち・・・イエメンは2000年以上前から現在に至るまでアフリカとの交易や人々の移動が多かった。そのため、アフリカ系・アラブ系の顔が混ざっている。それぞれに魅力ある3人の目がいい。

 この1000年の歴史の街で物にふりまわされることのない生活・・・・私たちが考える豊かさはないかもしれないが、「豊かさって何だっけ??」とふりかえさせる国にであった。


興味をもったら一日一回ポチッとよろしくお願いします。
blog Ranking
 
by miriyun | 2006-02-25 00:59 | イエメン | Comments(2)

イエメンの男たち(1)

 イエメンの男たちは老いも若きも味がある。
c0067690_18503721.jpg

  ハダラマウト地方のアル・ハジャレイン村.
ひげが白くなってきているが、この人は何歳なんだろう。目は生き生きと輝いているし、歯並びのよい歯は真っ白に光っている。この歯は、例のミシュワークで磨いたのだろうか?はるかに見渡す限り一軒の店もないこの場所で、プラスチックの歯ブラシがあるわけもないか。ほんとにうらやましいような白さだ。

c0067690_1919423.jpg
 
 一方、こちらは首都サナアのカート・スーク。午後のためのカートを買い付けた男たちがもうゆったりムードになりだした時。表情に心のゆとりが出ている。

c0067690_1941420.jpg

家の前でもお年寄りがくつろぐ姿がどこでも見られる。
朝も夕も、あくせくしている姿をみることがないって、どうして?


興味をもったら一日一回ポチッとよろしくお願いします。
blog Ranking
 
by miriyun | 2006-02-24 18:18 | イエメン | Comments(2)

食事の禁忌&機内食

1.禁忌
 食事に関する禁忌は古代日本をはじめ、世界の諸地域にある。日本の場合は、675年、天武天皇による肉食禁止令が出たことで、牛・馬・犬・猿・鶏の肉を食べてはならないとされた。

 これは、すでに唐の公地公民や税のしくみを取り入れて、中央集権国家として成り立つために邁進していたころの話だ。当然、禁忌とされた馬・牛については農民が農業生産に欠くことのできないをやたらと食べないように・・・という意図が見える。もちろんこの5つの種類の肉と決めた背景には仏教思想がある。
 この後もたびたび禁止令が出されたことにより、禁忌が徹底はされていなかったということになる。また、鹿や猪・山鳥についてはお構いなしなのだ。また、兎はいつの間にやら、一羽二羽と数えて鳥扱いにしてしまっている。うるさいようで、抜け道のある日本らしさが見えてくる。
 ましてや、明治維新後の肉食解禁以後は禁忌なんてことはなかったかのように食べ続けている。 
 
 インドで生まれた宗教は原則殺生禁止だ。古代の仏教・バラモンからヒンズー教まで、牛肉を中心とした禁忌が存在する。さらにジャイナ教などはもっと徹底した殺生禁止により、虫さえ殺さないように生活するという努力を重ねている。
 だが、禁忌をなくしてしまった日本人は他国の禁忌を意識することが苦手で、本格インドカレーとなうって平気でビーフカレーを売っていたりする。

 また、一神教の仲間であるユダヤ教・キリスト教・イスラームはの禁忌をはじめ、共通項が多い。ただし、その後の運用で本気で禁止か、緩んでしまったかというところが異なってくる。
 キリスト教においては、特別な宗教行事のときだけ肉食を避けるのみとなった。
 ユダヤ教は頑固なまでの禁忌へのこだわりを残し、もちろん豚肉も食べないし肉類と乳製品をあわせて食すことも禁じている。すると、たっぷり牛乳をつかったホワイトソースのシチューも食べられなくなるわけだ。

  そういえば、過去にこういうことがあった。Y市の青年会議所が世界各国の青年を招いて大きなイベントを行った。この青年会議所は、地域の子どもや世界の青年にまで視野を広げ毎年意欲的な取り組みをしていてたいへん素晴らしい団体だと思う。
 そのイベントですべての参加者に対して弁当が配られたのだが、ある外国青年がその弁当に使われている食材を尋ねてきたのだ。それは豚肉を使った料理だった。それを教えると彼は悲しそうな顔で礼を述べて去った。彼はその後どうしたのだろう。別のところに食べに行ったのかどうか・・・、このイベントに参加したことをどう思ったのか・・・。

 身近に見なければわからないことがある。主催者はもちろん悪気はない。良心的団体であることは間違いがない。でも、気配りは足らなかった。以前から日本Pクラブだとか、学術団体とかの国際会議でよくこういうことがおきるという。

2.狭くなった世界をこうした禁忌を守る人々が行き来する。その中でどのような工夫がなされているのだろう。
① これはトルコ航空の機内食についてくるマークで、「この食事に豚肉は入っていない。」ということをあらわしている。つまりアテンダントにいちいち聞かなくてもムスリムが安心して食べることのできる食事になったいるわけだ。↓
c0067690_2332393.jpg


② もっと、広くいろいろな人にも対応できるサービスを行っている場合もある。
 エミレーツ航空の場合、次のような特別食サービスを宗教及び健康上の理由のある人は24時間以上前に予約することができる。
c0067690_157190.jpg

 たとえば、とくに厳格なベジタリアン向けのジャイナ食ではたまねぎ、しょうが、ニンニク、ジャガイモ、にんじんなどの根菜類、動物性食品と添加物が含まれない食事となる。
 また、モスレム・ミール豚肉アルコール・戒律に従って処理されない肉を含まない食事となっている。エミレーツの機内食は、原則、戒律に従って処理された肉が出るようになっている。
 これだけ、多彩に揃っていれば食に不自由な思いはしないだろう。

③ 最後に、最近読んだイギリスの元下院議員であり小説家であるジェフリー・アーチャーのノンフィクション「獄中記」から・・・
白いカードはその中の受刑者が英国国教会の信徒であることを示している。赤いカードはカソリック教徒、黄色いカードはイスラム教徒、緑色のカードはユダヤ教徒。食事に関する制限や、官房にいなければならない時間内に礼拝に参加していることを示すためのものだ。

囚人の収監されている部屋の外に色ちがいの名前カードが張られていているという。これが宗教をあらわし、配布する食事をムスリム食・ベジタリアン食・イギリス国教会食などと間違いなく渡すためのカードになっているというわけだ。

 こういった食の禁忌を何億人もの人が意識している。異文化理解への第一歩は食がいい。 



興味をもったら一日一回ポチッとよろしくお願いします。
blog Ranking
 
by miriyun | 2006-02-23 21:54 | 食べ物・飲み物 | Comments(10)

イスラームらしい標識

 イスラームならではの標識がある。
標識とは簡略化した絵であらわした場所や行動についての注意をあらわしたものといえよう。簡略化した絵というと昔の絵から発生した絵文字などはそのまま標識になりそうだ。例えば、ヒエログリフの歩くという単語は歩く姿の足で表している。子どもでも他の国の人でもある程度想像できるもの、そのおかげで生活しやすくなるものとなり、また、人々の生活にインパクトを与えることにもなる。他の国で見かけて、自分の国でもこれは使えると思うものもある。
 
 また、意味はわかるけれど微妙に習慣が違うから自分の国では使えないというものもある。その例として次の表記がある。
c0067690_164698.jpg

 WCの入口だが、ただ、標識であらわしている。日本でも男女をスカートの人物とズボンの人物図であらわす。しかし、ここカッパドキアではこの印だけで表している。左のひげが男性をあらわし、口紅を塗った口が女性であることは誰でもわかるので、この標識でなんら問題はない。
 しかし、これがそのまま日本などで使えるかといえば・・・使えない。なぜなら、日本人男性にとってひげを蓄えることは習慣ではないからだ。だから、この標識が珍しく感じられたのだ。

 イスラームの男性にとって、ひげは成人男子の証しであり、伝統でもある。グローバル化のなかで、ひげを剃る習慣に変えてしまった人もだいぶ見られるようになったが、割合からするとまだまだ圧倒的にひげの男性が多い。日本の場合は古くは聖徳太子から、近代では天皇から伊藤博文・板垣退助など、ひげの人物が活躍する。しかし、それは全体の傾向というわけではない。ところが、イスラームの場合は口ひげがないのはとても珍しいことなのだ。
 日本人でも、仕事で長期に渡ってイスラームの世界で働いている人はひげを生やす習慣にすることが多いようだ。
 日本人であごひげを蓄えてイスラームを旅行した人がハッジと間違えられてしまったということを聞いたことがある。これは、口ひげを生やすのは当たり前でも、あごひげは当たり前ではないということだ。若いのにあごひげを伸ばすことは許されない。あごひげは、長老格の人・尊敬される知識人・そしてハッジ(巡礼をした人)だけが認められるのだ。だから、若輩者があごひげなどはやすと・・・背伸びしすぎと笑われてしまうことになる。
 


興味をもったら一日一回ポチッとよろしくお願いします。
blog Ranking
 
by miriyun | 2006-02-22 16:44 | トルコ | Comments(2)

ヨルダン…砂漠の警備隊

c0067690_811822.jpg
 
 かれはワディ・ラム近辺の砂漠地帯の警備隊員。この制服姿がなかなかいい。ガラベーヤとクーフィーヤ(kufiya)も、装い方次第で印象がかわってくる。
 クーフィーヤはヨルダンでよく見かける赤の千鳥格子のほかに、パレスチナ人によくみられる黒のの千鳥格子、湾岸の白など色柄にも違いがある。また、これらの大きい被り物は通常のかぶり方も人により様々で自分らしいかぶり方で自己主張する。年齢の差・流行にも左右される。故アラファト氏は後ろに跳ね上げたカフィーアを重ねて頭の上で三角形にとがったようなかぶり方を常として、完全にアラファト風という形ができていた。
 
 後ろの文字は、右から 「アッラー、祖国、王」となっているが、ひとまとめにするとどう表現すべきなのだろう。(どなたか教えて~!)
 この砂漠の警備隊の人は、剣や帯・房飾りなどによって国王の下の警備隊の誇りある姿をあらわしている。しかし、腰にまわした大きな赤い房飾りはらくだの房飾りをおもいださせる。らくだに乗って警備をするのでちょうど一体感がでる。ラクダ好きにはたまらなくかっこよくうつる。

 ――隊員&ラクダの颯爽とした姿がワディの赤い砂に映えた・・・

 
興味をもったら一日一回ポチッとよろしくお願いします。
blog Ranking
 
by miriyun | 2006-02-21 22:11 | ヨルダン | Comments(2)

トルコ絨毯(2)…トルコ結びギョルデース

 アナトリアの絨毯は14世紀頃から、トルコ民族によって発展した。羊毛を年とった女性たちが紡ぎ、男たちが染色し、そして若い娘たちが自分の結婚後の家を飾るための絨毯を丹精込めて織ったといわれる。
 今でも、絨毯の織り手は若い女性である。若くて指が細くなければ細かいノットの絨毯は織れない。目も良くないと間違えてしまうので、視力が落ちたらこの仕事を止めなければならないのだ。
 ヘレケの場合はスルタンのハミット2世が絨毯スクールを創設し少女たちに絨毯作りを学ばせた。しかも、そこでは、ブルサ産の上質のシルクを使って絨毯を作るために尚更、細やかな動きのできる指が必要だったのだ。
c0067690_063461.jpg

                    ↑ カッパドキアの絨毯工房
 働く時間については、ウールの絨毯の場合は、一日中できる。シルクの絨毯の場合はきめが細かくて目が疲れるので一日に3時間しか織らない。また、シルクの絨毯は才能ある織り子さんでないと織れない。大きいサイズのものは2~3人でいちだいの織機に並んで織る。シルクの絨毯の優れたものは小さくとも3年かかるものもある。

 「世界で一番強いのはトルコのヘレケの絨毯である。」と工房の人は豪語した。シルクがウールより強いとは思わないが、世界のシルクの絨毯の中では強いかもしれない。トルコの自慢はトルコ結びギョルデース)という絡め方にある。
                 ↓ トルコ結び
c0067690_07138.jpg

 1㎝四方に10×10、すなわち100ノットをこえる物は絨毯はタペストリーとする場合が多い。


絨毯のよしあしは、このパイルの打ち込みの細かさ、糸の質、染色のよさ、デザインなどに左右される。もっとも、使うものであるから、使う部屋に似合い使う人が気に入ることが一番ではあるが・・・
c0067690_074367.jpg

    ↑ 生命の木のデザイン、周囲に中国由来の雲のリボン文様もある。

興味をもったら一日一回ポチッとよろしくお願いします。
blog Ranking
 
by miriyun | 2006-02-20 14:51 | 絨毯・キリム | Comments(6)

砂漠化…家をのみこむ

 チュニジアはかなり前から砂漠化に脅かされている。
国家予算の中から、多くを砂漠化防止策に当てる。それでも、着実に砂漠は進んでおり、やしの木や日干しレンガの家をのみ込みつつある。
c0067690_11222398.jpg

 ここにあった村の人々は何を思い、そして移動したことか?
チュニジア政府は、これを防ぐために新しい井戸を掘り、ナツメヤシを植えることを奨励して、実践者を表彰している。
 
 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 
 ちょうど地球温暖化についての警鐘となるTV番組をみた。
今後、温暖化が進むに従い、ますます砂漠化・海水面の上昇など激しくなってくる。日本も、りんごの生産地はみかんを栽培するようになり、マラリアやデング熱罹患の可能性が高まり、北海道を除いては農産物の収穫量も減少していく。

 とくに熱帯雨林のアマゾンの巨大な河床が出現するほど、雨が降らない現象が起きていたのには驚かされた。
 島国が水没するばかりか、永久凍土の土地で氷が解け、そのために土地が波によって浸食されていく。地中海周辺の砂漠化も進むという。昨年度はスペインの渇水で、水問題が顕著だった。これまで想定していなかったところについて新しい警鐘がならされたのだった。
 水がたくさんある場所は大丈夫というイメージが覆され、危機感はますます強まった。水・食料・紛争・・・今、イスラームの地域で悩んでいることは他の地域でも問題になっていく。

 砂漠化の写真をもう一度見てみよう。
 砂漠が自分の家の戸口まできてから、どんなにスコップで砂をどけても砂漠化をとめることはできない。砂漠の砂がやけに高く舞うようになったと気づいたところで、植林なり土壌改良なり、生活手段の改善などをするべきだったのだろう。
   警鐘はもっと前からあったのに・・・。いろんなことに気づきだした。


興味をもったら一日一回ポチッとよろしくお願いします。
blog Ranking
 
by miriyun | 2006-02-19 16:33 | 自然(砂漠・ラクダ・蜃気楼) | Comments(0)