カテゴリ:イスラームの工芸( 12 )

煌くハータム・カーリー

☆ペルシアの寄木細工・・・ハータム・カーリー 
 ペルシアには寄木細工に当たるハータム・カーリーという。ただし、日本の寄木とは明らかに異なるのが色合いが金色を含めて華やかであること、また、一つ一つの文様パーツが小さいことである。
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 金色に見えるところは真鍮(宮殿のものは金だろうが・・。)・白はらくだの骨・象牙・貝、そして各種の木の色が使われている。
 概して箱根の寄木よりも細かい文様である。ほとんど幾何学的文様、三角形の形を使ったものを組み合わせている。
具体的に見ていこう。

①筆箱 
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 ハータム・カーリーの具体例を探してみようと思ったら、今回は目の前から出てきた。筆箱だが、
インクと筆を何本かいれ、使っている途中で筆をちょっとかけておくのにも使いやすいので愛用していたからだ。
 ここの上はミニアチュールがざっと書かれているが、横・裏・もすべて装飾してある。イスラーム工芸の特色はすべて装飾という点にある。
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 中を開けてみよう。律儀にふた裏まですべて、すべてハータム・カーリーとなっている。筆入れのふちの白い直線部分はらくだの骨である。さわった感触がプラスチックの多い現代社会に生きているとこうした骨や木でできている感触がとてもよい。
  
②額縁 
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 大き目の額縁は二重に、かの文様が廻り、側面には異なる控えめな文様が並ぶ。


この装飾はいろいろなものに多様されていて、何にでも飾ることはできる。額縁の場合、周りがこれだけ細かいとあまり間が抜けたものを入れにくい。写真もあわなそうである。やはり合うのはこれかな?
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                                            ↑ ミニアチュールを入れたハータム・カーリー
細かいもの同士だが、中のミニアチュールが細かさで負けていないのでよくあっている。

この寄木は小さな面にたくさんの部材が使われている。一説によると1cm四方に100以上のパーツでできているという。それは多すぎるのではないかと、検証してみた。
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  これは、縦横とも実寸約1cmにトリミングして拡大表示したもの。
ちょうど中央に金色の6ポイントスターがある・・・・1
その周りに赤が1×6・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6
金と黒で     4×6・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・24
白と赤で     3×6・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18
*すでにここまでの小計で67のパーツがある。
ここからは一部だけ含まれていたりするところがあるので、厳密には数えられない。しかし、一部でもこの枠に入れば一応数えてみようとして数えたら、43にもなった。一部不鮮明なところもあるし、一部だけのももあるので、それを勘で差し引いても110~120は充分にあるかなということで、伝説の100パーツ説は実証できた。                                                     

 さすがは、手先の細かい仕事が得意なペルシアの工芸である。これまで、ミニアチュールの細かさでも圧倒的な細かさであったが、ここでもまた、ペルシアの工芸を見直したのだった。



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by miriyun | 2009-08-18 23:49 | イスラームの工芸 | Comments(0)

木象嵌も中東からはじまった

木を用いた象嵌は、エジプト・メソポタミアの昔から始まっていた。

 さて、まとめて木象嵌とテーマに書いたが、製法がまったく異なる2種類ある。正確には寄木細工系と、木材で絵や図形を作り、木地も形どおりに掘り下げはめ込む木の象嵌とがある。いずれもしっかり埋め込まれているので判別しにくい。
 単純図形文様で同じような文様が連続しているようなのは寄木細工だろう。オリジナルな絵柄は木象嵌だろうとしかわからない。実は複雑な文様もまとめて作ってのこぎりで輪切りにして作っている可能性もあるし、寄木に見えても、一つ一つ埋め込んだ場合もあるかもしれない。
 見分けがつかないものもあるので、ここではまとめて木の象嵌の種類として取り上げる。 
 

 1.ダマスカスの寄木細工

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 基本的な木象嵌。 中でもウマイヤ朝の首都でもあったダマスカスでは、ダマスクならではの象嵌細工が始まり、小さなものからインテリヤまでその利用は広がった。
 寄木は種々の色合いの木を細く切り文様に重ねて接着しておいてそれを削いで装飾に用いていく。
 
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 いわゆる寄木細工なのだが、ここのはさわると、その模様の段差がわかる感触がある。
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 ウード工房で見させてもらったウードも最低限の装飾としてもふち飾りはやはりこの寄木であった。
そして、その実用的なごりとしては楽器・小物入れ・各種ボード、壁などに残っている。こんなに単純な筆立てしか家にないのでこれをのせたが、実際のダマスカスの技術はこんなものではない。かっての宮殿や邸宅にはこれらの寄木細工と木象嵌で部屋全部を飾ったような部屋もある。
 
 *寄木細工は、日本では箱根の寄木細工が知られている。寄木細工やさんによると箱根で寄木細工が確立したのは江戸時代19世紀のことであった。そういうもののつくりそのものは平安末期にもあったらしいともいう。
 
2.その外の地域の木象嵌

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単純文様であるがこういった交互に色が変わる筋状の象嵌は日常生活用品によく用いられている。
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 コーラン台はさすがに精巧なつくりで、大きな文様として木をはめ込んだ木象嵌と考えられる。東京ジャーミィ所蔵。白いのは貝による象嵌、螺鈿である。
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  イエメン人が惹いているウードも文様が入っていた。
アラベスク、そしてアラビア文字も木象嵌で行なわれている。
 でも、ウードも気になったけど、おじさんの笑顔のほうがもっと心が和んで素敵だった!


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by miriyun | 2009-08-16 06:26 | イスラームの工芸 | Comments(0)

メフメット2世の教科書

 メフメット2世は苦しい少年スルタン時代、不遇で荒れた時代、征服欲に燃えて躍進した時代とあり、19歳からは誰一人として逆らえないような力を持った。
 驕慢で自己満足に陥ってしまいそうな年齢と権力であったが、彼がいつも冷静に学ぶ気持ちや、アレクサンドロスやカエサルなどの人物をめざしていたことは、自分なりの基準を持ち続けたということが言える。

 歴史はローマ帝国史などを毎日、自分のためによませたというし、また彼のための教科書も作製されていた。
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そしてその一部をじっと見ると・・・
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 左上の円形の中にメフメット2世のトゥーラが入っている。これはメフメット2世のための数学の教科書であり、15世紀の工芸品としてもさすがにうつくしい。
 また、権勢を極めたメフメット2世が常に学び続けたという点が、やはり違うんだなあと感じさせられた。

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by miriyun | 2008-06-19 07:10 | イスラームの工芸 | Comments(8)

金属ランプの透かしの美

 木彫でも金属でも、イスラームでは透かしがよく用いられる。その中でも金属の透かしはランプなど光を通す物に多用されながら発達してきた。

 
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       ↑ イランの伝統的ランプ(イラン考古学博物館蔵)

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      ↑ヨルダン シャンデリアの透かし 青い部分はランプ。
ヨルダンのホテルに4階からの吹き抜け天井があり、そこから大きなシャンデリア型ランプが吊り下げられていた。豪胆でありながら繊細で見事な細工だ。中央部をよく見るとアッラーと刻まれ、上から見ると月と星の装飾がトップに飾られいかにもイスラームの細工らしい。


 日本にやってきた大型透かしもある。愛・地球博では、イスラーム諸国はそれぞれが得意とする工芸を見せていた。例えばトルコならタイルというようにだが、ランプを得意とするモロッコはそれを発展させた大がかりな作品を持ち込んだのだった。
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               ↑ モロッコのパーテーション
繊細で優美な文様、この細さがモロッコの真骨頂
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                      ↑ドームとともに一つのデザインをなす巨大な透かしランプ

 
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by miriyun | 2007-04-27 00:08 | イスラームの工芸 | Comments(0)

ペルシアのミニアチュール

 ペルシアの物語や歴史はミニアチュールにあらわされることが多い。その物語の中に「シャーナーメ(王書)」とよばれる話がある。その中の王はどのような雰囲気で書かれているのかを見てみよう。ムガルの王とはどこが違うだろう。
 
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↑ 『The Shahnameh of Ferdosi』 Soroush Press より細密画の一部を引用

 この絵の物語をひも解くと、次のような一場面がここにあらわされていると思われる。

 ペルシアを善政で700年おさめたジャムシード王の治世にかげりが見えた頃あらわれたのがザッハーク王。ザッハーク王はジャムシード王を中国の海辺まで追いつめて殺してしまう。こうして、ザッハークはペルシアの城・財宝・王冠ばかリでなくとジャムシード王がいつくしみ育てた二人の娘、シャフルナーズ姫とアルナワーズ姫もとらえてしまう。ペルシアの王族の血を引くファリードゥーンがザッハークの王座を奪うべく宮殿に入り、二人の姫を救い出した。 
 ↑『ペルシアの神話』 岡田恵美子 筑摩書房 を参考にまとめた

 
  ・ミニアチュールは、まず遠近法を使わない。
  ・写実的に書こうとしているのではなくはなく、美しく描こうとしている。したがって、必ずしも実在の植物や天幕や絨毯の柄を描いてはいない。
  ・手の表現が弱い。
  ・金を使ってメリハリをつける。
 このような特色がここでもあらわされている。ファリードゥーンという王が中央にいるが、手の表現は弱く感ずる。しかし、背筋の伸びた姿に風格がただよう。

 さて、インドのミニアチュールとのふでづかいの細かさを比べてみたいが、上の絵はプリントされた本なので、拡大するとドットの集合体になってしまうだけで、筆の運びや細さは見えない。

 そこで、実際のミニアチュール(細密画)を見ていくことにしよう。クリックするときれいに大きく見える。↓
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 この絵はらくだの骨に描かれたものである。ポロの様子を描いたみやげ物の一種である。シャーナーメのために描かれた風格ある絵と違って』顔の表現がまだまだという気がするが、筆の細かさは確認できるだろう。
 インドと同じ定規を使って見ることにしよう。
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 絵の筆遣いだけを見るならば、インドで目だけを書いていた1.3㎝の範囲で人物と馬の一部を描いている。しかも、この馬は白馬ではない。薄いぶちが入っている。0.4mm以下の幅のぶち模様なんて書けるものではない。
インド以上に細かい描写がペルシアで現在もなされている。



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by miriyun | 2006-03-05 02:50 | イスラームの工芸 | Comments(4)

リスの毛で描くミニアチュール

 ミニアチュールの定義が今どうなっているのかは知らない。だからここでは自分の感ずるままにかきとめていこう。
 ミニアチュールはじっくり見ると、風俗・人物・物語はもちろん、天幕の模様から生えている草木にいたるまで、絵が語りだす。絵のみならず、使われている絵の具や筆づかいのひと筋まで気になってくる。

 それを次々と見つけながら進むのは、いまでいうなら、「ウォーリーを捜せ」という本の1ページに見入って、細部まで描かれた町の絵の中からウォーリーという人物を探そうとする子どもの気持ちに近いかもしれない。

 ミニアチュールを見るようになってから、日本の絵巻物もよく見るようになった。日本の絵巻物のじっと見ると面白い。もっと見たいのに本物を見る機会が少ない。また、一番みたい筆の運びまでわかるような展示はしていないところが残念でならない。

 さて、インドには、ヒンドゥー教の神に関するものと、ペルシアからの影響を受けて始まったイスラームの世俗的な王や暮らしを表したムガル風のものがある。
 ジャイプールで描かれたムガルのシャー・ジャハーンの絵を見てみよう。
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この絵から、ムガルの王の衣服・ターバン・宝石・習慣など見えてくる。壁の装飾・カーテンの様子までわかる。
 更に、ミニアチュールならではの細かな表現を見てみよう、インドのミニアチュールは、とくに細かくあらわしたいところにリスの毛を使うと、かの山田和氏の『インドミニアチュール幻想』にあった。その後、旅の中で、確かにリスの毛の2~3本かあるいは1本で描いたと思われるミニアチュールに出会った。それが上の絵だ。
 では、目の周辺の横幅1.3cmを取り出してみる。
                           
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 しかし、このまま眺めていてもそれはわからない。ここで愛用のレンズを通してみることにする。
 
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 この目の部分の上にある目盛りは1目盛りが1㎜を表す、すると横幅は1.3㎝ということだ。すると、シャー・ジャハーンの額の毛の生え際のあらわし方、また、まつ毛や眼球をみてみよう。1㎜の中にいかにたくさんの線が引かれていることか?
 
 リスの毛一本の超極細の筆・・・・納得してしまった。


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by miriyun | 2006-03-04 16:57 | イスラームの工芸 | Comments(6)

タージマハルの花

 タージ・マハルの霊廟内には八角形の墓室がある。中央にムムターズ・マハル、その隣に大き目のシャー・ジャハーンの仮の棺がある。(本当の棺は多くの廟と同じように地下にある。)部屋は、八角形の大理石の透かし彫りのついたてに囲まれていいる。そして棺の周りは素晴らしい植物文様が貴石で象嵌されている。
 
 この墓室は見ることが許されていなかった。いつもそうなのか、特別な日に見ることができるものなのか知りたいものだ。何しろ期待していただけに見れないのはざんねんだった。そこで、岩波書店版『タージマハル』から、一枚の写真のほんの一部を引用させてもらう。↓
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 この花は、歴代皇帝のインド動植物への傾倒に、ヨーロッパから持ち込まれた写実的植物のかきかたが影響し、ペルシア・インドのパルチーン・カーリーが高度に発達して作られたものといわれる。そして、このような花々が数知れず装飾されている墓室を想像してみてほしい。
ムガルの皇帝は自分の帝国にどれほどの貴石がとれて、どれほどの国から金やラピスラズリやヒスイを集められるかを熟知していたのだろう。物を作るには、どんな材料をどれだけ使えるか、技術者がいるか、維持管理できるかが大事である。少なくとも、傷心のシャー・ジャハーンは悲しみの中でもそれらを把握しきっちり指示できる力を持っていたことになる。

 ☆どんな貴石を集めてどこに使ったのかをはっきりあらわしている資料はみつからなかったが、貴石の名前だけはいくつかの資料に少しづつ載っている。
 そこで、それらの貴石の色を調べ、どこに使われたかを想像して材料名を入れた画像を作ってみた。 
 
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 色から推測するにおおむねこのような材料だっただろうと推測する。このほかにトルコ石・紫水晶・しまめのう・玉髄・ブラックストーンなどの名があげられている。

 この花をしばし眺めて、ムガル帝国の力と、そしてムムターズへのシャー・ジャハーンの思いに触れてみようか・・・。
                  
                   (参考・・・「タージマハル」岩波書店・「インド」・「地球の歩き方」)


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by miriyun | 2006-03-03 21:32 | イスラームの工芸 | Comments(0)

アーグラー城と略奪

 ムガル帝国は初代バーブルが北インドのローディー朝を破って築いた。ムガルは前半、ムガルの建築と工芸がみごとに発展していった。とくにアーグラー城やタージ。マハルは所有する宝石・貴石をふんだんに使い、皇帝の意図を汲んだ完璧なまでに工芸技術が高まった。
 しかし、1707年7代皇帝がなくなると、諸州の独立が相次ぎ、、皇帝は統制力を失い、一時はマラータ王国によって、アクバル以来のアーグラー城を略奪されている。日本で言うなら、戦国大名の群雄割拠した時の足利政権とのようなものである。
1代 バーブル 
2代 フユマーン
3代 アクバル・・・インドのほとんどを征服。アーグラー城を建設
4代 ジャハンギール
5代 シャー・ジャハン・・・タージ・マハル建設
6代 アウラングゼーブ
・・・以後群雄割拠、皇帝は力を失う。
   *マラータ王国・・・アーグラー城占拠・略奪

17代 バハードゥール・シャー2世・・・1857年インド大反乱(独立戦争?セポイの反乱?)
                ・・・アーグラー城略奪

 こうして、インドはイギリスの支配下に置かれ、アーグラー城とタージマハルは当然のごとく略奪を受けていったのである。現在、タージマハルは貴石は修復してある。したがって、略奪のあとは大理石への無数の細かな傷やひびまで見ないとわかりにくい。

 しかし、アーグラー城は違う。
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↑これは宝石が象嵌されていたのが無理やりこそげ撮って言った後である。花のデザインであるだけにそのうつろさが寂しい。

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 ↑ 指で指し示した大きな穴は巨大なダイヤがはめ込まれていたという。(ほんとに~?)

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 ↑ 壁・天井画も金箔を貼っていたが、すべての金もはがされていた。ここの一角だけあるのは見本として張ったのかもしれない。
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↑ アーグラー城。アクバル大帝が築いた赤砂岩の堂々たる砦
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↑シャー・ジャハーンはこの城からタージ・マハルを眺められるように廟の建設地を決定したという。


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by miriyun | 2006-03-02 17:01 | イスラームの工芸 | Comments(2)

現在のパルチーン・カーリー(貴石の象嵌)

 インド、アーグラーにはタージ・マハルで最高の技術までいった貴石の象嵌技術が生きている。現在はみやげ物中心だろうが、世界の富裕層はシャー・ジャハーンの頃をおもい、特別注文で邸宅をこの技法で飾っているところもあることだろう。
 
① 大理石の表面に色を染める。
② その上に図案を描く。
③ 図案にきっちりとそって一定の深さに削る。ここを雑に行うと緻密な作品はできない。
④ 図案にあわせた色の貴石を幅・長さ・カーブ・厚みに気をつかいながら機械で削る。けずる  機械といっても砥石代わりであって、どんな厚み・カーブというのはすべて手作業であり、よい目とよい腕と勘がなければできない。↓
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⑤ 大理石の彫ったところにこの貴石を張りつけていく。接着は何でやっているのか質問したが、「これだけは企業秘密で、答えるわけにはいかない」ということだった。
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張りつけると、やや表面より浮き出るくらいに作ってあるので、それを大理石部分と水平になるまで削っていく。
⑥ 全部できてから、さらに仕上げの削りをして、最初の染を落として出来上がり。
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*こうして、貴石を象嵌する技術をパルチーン・カーリー(貴石の象嵌)という。




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by miriyun | 2006-03-01 14:02 | イスラームの工芸 | Comments(0)

タージマハル(2)…カリグラフィーと大理石

 タージマハルカリグラフィーはすべてクルアーンの章句である。ふつう、場所にあわせてそれぞれの章の一部、時には1節の一部をデザイン化することが多いが、ここのカリグラフィーは1つの章を1つの場所にきっちりとおさめるように作っている場所が何箇所もあるという。
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↑外側と内側にカリグラフィーの枠がある。きっちりとおさめるには相当のデザイン力がなければならない。
 
これらのみごとなカリグラフィーを書いた書家はアマーナト・ハーンである。この書家の本名はアブドゥル・ハックといい、ペルシアのシラーズからインドにやってきて4代皇帝ジャハンギールに仕えた。5代皇帝シャー・ジャハーンは1632年にみごとな書をかく彼にアマーナト・ハーンの名を与えた。(「タージマハル」岩波書店発行 より引用)
 イスラームの世界で,は、書家はカリグラフィーを書くことで神の言葉を再現していくという崇高なる仕事をするため、たいへん尊敬されている。このタージマハル建設・装飾にあたった当時の最高の知恵と技術をもった多くの人々のうち、タージマハルに署名を残すことを許されたのはこのアマーナト・ハーンただ一人だったようだ。彼の署名は南のイーワーンの文字群の最後のほうに記されている。

 
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       ↑内側の枠
 タージマハルで使われている大理石はマクラーナ大理石といわれている。ジョドプールのマクラーナ村の石切り場から切り出された乳白色の石で、そのため、ただの無味乾燥な白ではなく光のあたり具合で変化していく乳白色なのである。白大理石にくっきりと黒い文字が浮かび上がる。
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 ところで、この文字の黒は何でできているのか。これはもちろん黒大理石を白大理石に象嵌しているのだ。優美な曲線でできているこのたくさんの文字をこれだけ美しく象嵌している建築を見たことがない。
 シャー・ジャハーンは自らの廟はヤムナー川をはさんだ向かいに黒大理石で建てるつもりだったと伝えられるが、その黒大理石はすでにここで使っていたのだ。

 シャー・ジャハーンは自分の黒大理石の廟のカリグラフィーに白大理石で象嵌して対比させるつもりだったのではないだろうか・・・・
  

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by miriyun | 2006-02-28 18:05 | イスラームの工芸 | Comments(0)