写真でイスラーム  

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カテゴリ:日本( 13 )


2012年 01月 09日

新春のMt.Fuji*精進湖の子抱き富士

初めての富士
 富士山はいつも遠くから山の上や住宅地の屋根の上に小さく見るものだった。先日はみなとみらいからビルの隙間に頭だけの富士山が見えただけでとても嬉しかった。

 そんな見え方の富士山で満足しているか?
     いや~、もちろんそばで見てみたい。これまで富士山のそばでじっくり見たことがないのだ。

・・・ということで行ってきた。富士山こそはプロもアマも撮りつくしている素材で、富士山初心者の自分は準備から困った。
暑くて乾燥しているところでいつも撮っているので、寒さ対策のためにダウンウェアを買うところから始めるようだった。

 カメラは時々動かなくなるPentax K20。液晶もよく見えなくなって、不安は抱えながらも、まだまだ使えると持ち出す。ほんとにフィルム式と違ってデジタルは古いのに愛着を持って10年以上なんていうのは通用しない。PCと同じで消耗品だ。砂の多いところで使うので傷みやすいのは承知しているので、本体が強いのを選んでいるつもりなのだが、液晶がだめになるというのは想像外だった。 まるでフィルム式のように撮ったあとの確認はできずに使っている。寒いところの一番の心配はバッテリーの消耗だ。暑いところではほとんど心配したことがないが今度はそうはいかない。実は動かなくなるのもバッテリーが弱ってきていたからと思われるので1本買い足した。寒い所なりの支度というのは大変だ。

 富士山の初心者が日帰りミニトリップで、まともに撮れるのか?

  でも、バスツアーのベテラン勢に教えていただきながら楽しんでくることができたので、それもいい思い出になった。富士山の周辺の雲は想像以上に速いスピードで動き、一瞬の差で見えなくなったりもする。
その中でいくつか見え、また富士周辺の空気感を楽しみいい一日が過ごせた。

  精進湖の子抱き富士
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                ↑ (ワンクリックして大きい画像でご覧ください。もう一度クリックすると元に戻ります)


 他手合浜から見える富士は、大きな富士山の手前に小さな大室山という山が重なって見えることからこどもを懐に抱いたようなので、「子抱き富士」と呼ばれている。
 富士五湖最初のホテルをこの地に建設した英国人ホイットォーズが推奨した絶景だという。


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  この冬も富士山にとっては暖かいのだろう。
雪が極端に少なくて、山頂まで地の色が見えそうだ。



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昔は氷を割ってワカサギをつったという湖も山の北側の影になっているようなところだけが薄く氷が張る程度だった。(西湖)
 雪もたまに振っているようだが、道路わきにわずかに痕跡が残っている程度だった。 

     
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  冬空に清々しい富士、
          日本はなんと美しいのだろう・・・。

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by miriyun | 2012-01-09 23:32 | 日本 | Comments(8)
2011年 11月 25日

彩り・・・秋雲

   雲追い人    

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雲一つない青空も良いが、
気流の走りがあり、様々な雲が行き交う・・・
その変化し続ける一瞬をきりとってみたくなる


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光と風のなすゆらめき・きらめき

ありふれた日常の中にも
ずうっと雲を追ってみたいような美しい時がある

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by miriyun | 2011-11-25 07:05 | 日本 | Comments(4)
2011年 11月 23日

彩り・・・雨の日

 雨の日は色を感ずる日     


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 やさしい赤の小さな檀(ニシキギ科マユミ)
      枝さえも赤らむ秋風情


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大きな雨だれ、
   輪郭に金柑色が写り込む
薄い皮の上にも雨粒がレンズのように張り付く
    粒々のまわりは黄緑色に皮が透けるよう


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葉の色ならば
    何よりもツタの色変化

 雨の日にこそ、植物の色は語りだす・・・。
  
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by miriyun | 2011-11-23 12:26 | 日本 | Comments(4)
2011年 11月 12日

秋空の富士

 たなびく雲・連なる山々 


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                               ↑ ワンクリックして大きい画像でご覧ください。

 失ったコメントを夜明けに復元できてほっとしたところでふと外を見る。空は澄んでいるし、雲はほどほどに出ているのを見てカメラを持って出かけた。
 やはり、秋の空、そして富士山が見えるだけでなくそれに連なる山々まで広~い風景が見渡せた。
 

    秋の雲は高く、低く、何層にもたなびいたりする。
      少し筋をひきながらもわずかに反り始めた雲がきょうのお気に入り。

 
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                       ↑ 正倉院の盤龍鏡の文様
 
 これって、隋・唐時代の雲文様に近いかもなんて思いながら
秋の空を楽しんだ。

 
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by miriyun | 2011-11-12 11:03 | 日本 | Comments(12)
2011年 10月 30日

秋の風物詩

 ヒヨドリ      
ピィ~ヨ、ピィ~ヨ!となく声がにぎやかで何事かと思えば柿の木にやってきた鳥たちが鳴いている。鳴いては食べ、食べては鳴いていそがしい!
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黙って食べれないたちなのか何しろ賑やかな鳥だ。これがヒヨドリだ。
今年はヒヨドリの当たり年だ。中東でも日本でもヒヨドリを見ることが多かった。
決して鳥や動物に詳しいわけではないけれど、姿と名前が一致してくると俄然面白くなってくる。
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全長27.5cm 
青い灰色で、頬は茶色。だから英語名はブラウン・イアド・ブルブル(Brown-eared Bulbul)。
ドバイのホワイト・チーク・ブルブルと同じ名のつけ方だが、だいぶ雰囲気は違って、しかもブラウンの日本の方が大きいヒヨドリだ。

とくに尾が長いので細長く見える。
腹部は白灰の水玉模様、尾の内側付け根は白灰マーブル模様があるが、ホワイト・チークほど色は目立つところはない。

ヒヨドリは一年中いるが、秋の木の実がなるころ、ヒヨドリたちはにぎにぎしく甘い実のなる柿の木の間を行き来する。
 そのためか、ヒヨドリは秋の季語になっている。
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   「 ひよどりのこぼし去りぬる実のあかき 」・・・与謝蕪村       

 おぉ、確かに秋の情景が色彩とともに一挙に脳裏に浮かぶ・・・。

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by miriyun | 2011-10-30 13:15 | 日本 | Comments(2)
2011年 10月 06日

秋香

秋を感ずるとき
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         色と香りにはっとさせられた、
             やっとあの暑い夏を抜けたのだな~と。
          イチジクのジュレ、
             実の柔らかさとほどよい酸味がジュレとよくあう。(ツバメグリルにて)
      

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                                                ↑ キンモクセイ
                     見えなくてもわかるよ
                          夜にはわかるよ
                              君が花を咲かせたことは・・・。

                 *********************
      
                もうすぐ十三夜の月・・・10月9日です~  (いつもお世話になっている『こよみのぺーじ』さんより)
                      
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by miriyun | 2011-10-06 04:46 | 日本 | Comments(6)
2011年 09月 11日

夕空を泳ぐものたち

 イルカの泳ぐ夕空 

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イルカだろうか、 はたまたカジキマグロだろうか、
右向きで大きな体を悠然と浮かべている
その下にはま真横からみたエイが行く
左上には下からのぞいたクジラさん、
小さなイカもその近くに

この時、雑踏の中にいたにもかかわらず、その音は遠のき、喧騒を忘れて自分の世界に浸れた。
いつも夕景にかんしては一眼を持っていないときにばかり素晴らしい光景にであう。
残念であるがこんな風景を見せてくれる大自然に感謝だ。

それはちょっと楽しいフォトライフとしてタグにしてみようかと・・・


なお 空は魚たち以外にも多様な雲をおき、あらしの後の空を演出していた。
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             ↑ 色がすごいけれど、撮影したままで、何もいじっていないそのままの色。

その中のこれはちょうど沈んだ太陽の光をちょうどいいか感じに受けていたのだろう。水滴の含み具合も抜群だったのか、この雲だけで美しいと思わせられるクモがいくつもがそれぞれに存在感を示していた。

 太陽の力ってなんてすごいのだろう。
何の変哲もない水蒸気の塊をこのように様々に彩らせるのだ。


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by miriyun | 2011-09-11 08:42 | 日本 | Comments(4)
2010年 05月 30日

高橋大輔・・・世界に認められたるもの

 芸術・技術について書いているうちに以前より何かに敏感になってきている。
イスラームに限らず、日本に限らず、いいものを見ることが増えてきた。

1.怪我を乗り越えて・・・高橋大輔     
 もともとフィギュアスケートを見るのは楽しかったが、ことに2月のバンクーバーと3月の世界選手権ほど心を捉えたものはなかった。
 2008年に高橋選手は右膝の前十字靭帯断裂と内側半月板損傷という大ケガをし、選手生命が危ぶまれた。それを乗り越えての高橋選手のオリンピックと世界選手権でのすべりと芸術性、あくまで4回転に挑戦していった勇気を見るに及んで、これまでにないほどの高まる気持ちと、偉大な日本人が現れたことに対して心から賞賛したくなったのだ。


◆2010世界選手権 フリープログラム・・・高橋大輔 『道』  イタリア版日本語字幕つき
 今回ほどyou tubeがありがたかったことはない。
誰かが外国版をアップし、誰かが翻訳をつけてくれている。感謝である。


このプログラムを前にするとライサチェクやプルシェンコがいないことを忘れてしまう。
☆技術を磨きつつ、観客と感情を一体化する・・・これがフィギュアスケートです!
(得点が出る前に)
「日本人が優勝する瞬間です!」   (以上、イタリアのアナウンサー・解説者の語句より)

他国のTVは観客席の音を絞っていないのか、会場の盛り上がりがよく伝わってくる。そして、よいものはよいと絶賛しているのだった。

 俳優にも歌手にも、スポーツ選手にも入れ込むことはなかった自分なのに、フィギュアについてはこの2月から6月にならんとする今日までいまだ感動覚めやらぬものが続いている。


2.道
私は、むかしから音楽だけでは何かを感じることが苦手な完全なビジュアル人間だった。
おそらく、ニーノ・ロータのラ・ストラーダ(道)だけを聞いても、ちょっと寂しくてきれいな曲だとは思ってもその曲が印象深く残ることもないだろう。
 しかし、画像・映像などビジュアルなものと一緒になったときは、音楽は私にとってもぐっと身近なものになる。

◆ニーノ・ロータの曲も映画も知らなかったが、今回あまりにも素晴らしいプログラムを見たためにその曲を聞くとそれにあわせて高橋大輔のプログラム『道』の場面ごとの動きが脳裏に再現されるようになった。

 ついにはガマンできなくなって、レンタルショップに行って映画『ラ・ストラーダ(道)』を借りてきた。なんとも古いモノクロ映画であるのに、借り手が多くて、さがしに行ってから二週間待ってしまった。
 貧しいイタリア農民の娘が旅回り芸人に買われて、芸人兼女房としていくが、その娘の貧しさ・純真さが胸を打つ。旅回りサーカス団にも入り、綱渡りの若者との確執もある中で、芸人はその娘を捨てていく、のちに死んでしまった娘を思って慟哭する芸人・・・という現代の映画に比べればシンプルそのものの内容なのだが、ニーノ・ロータ作曲のジェルソミーナの曲が全編を貫いて哀愁漂うものだ。
 粗野な芸人をアンソニー・クイン(アラビアのロレンスのアウダ・アブ・タイ役をしていた俳優。粗野な感じを出すことでは天下一品)が演じていた。粗野な人間だけに最後の慟哭がものをいう。    
 フェデリコ・フェリーニ監督のこの映画は、戦後間もない日本で、一からげにもってこられたイタリア映画のひとつでしかなかったのに、敗戦・貧しさ・身売りなどの背景を持つ日本人の心にもこの曲が染み渡ったようで大きなヒットになったという。
 もちろん、この曲はイタリア人の心はもちろん、当時の多くの国の人々の心に残った。

 ニーノ・ロータはイタリアきっての作曲家であり、尊敬される音楽家であるので、この人の曲は世界選手権で、他の選手も使っている。使うのはどの選手でもできるが、どこまで表現できるかだ。

 素晴らしい曲はどの選手だって使っている。技術は皆が得意とするものを持っている。プルシェンコの4回転で8年間転んだことがないというのはもう超人の域だ。ランビエールの50秒にも及ぶスピンはスピンの王者としての風格と美しさがある。ドイツ人の選手は4回転ー3回転ー3回転というすごいコンビネーションを跳んだ。小塚も4回転をクリアした。

 しかし、曲とは関係なしにひたすらスピードをつけて回ったり助走ばかりが長かったりすると、せっかくの曲も技術も一体化されずにギクシャクして終わってしまう。
 技術はあるんだけど、4分半、あきるなあ~、とかすごいけどあまり印象が残らないというばあいだ。それはなぜだろうか。規定の技術で滑るのがせいいっぱいで、表現までたどり着けないのだ。さすがにどの大会でも最終グループくらいになると表現力に磨きがかかっていて、個性もあって素晴らしい。が、どこまで観客と一体化できるかというと、やはり音楽性が生きてくるかどうかということだろう。

 高橋大輔は表情が曲想にあわせてつぎつぎと変わる。手は指先までもやわらかく動き、それとともに足は複雑なステップを踏む。
 会場もTV視聴者もyou tube視聴者も、
『 eye 』のラテンのリズムと情熱あふれる全身の動きときれのよさににしびれ、
『 道 』では映画を知っている人も知らない人もその情感豊かな世界へのいつの間にか入り込み一言もしゃべらず見入ってしまう。
 怪我をして、手術にリハビリをしている間にも刻々とオリンピックは近づき、つらい月日をただスケートへの思いをためにためて耐えた。それをスケートを滑る喜びとして開放していった。
 それが演技としての表情に加えてスケートを滑る喜びをこめたその表情となり、これによってなおさら観客は高橋と一体化していった。


3.賞賛は国を越えて

 残念ながら、今回は某テレビ局が放送権をもっていたが最後のせっかくのメダル表彰式を写さなかったし、男女とも日本人が金メダルを取ったと言うのにエキシビジョンは放映しない(衛星放送ではあったかもしれないが)し、満足の行くものではなかった。
 インタビューはどの局も同じようなことを繰り返し聞いていたが、イタリアのプリマヴェーラで、日本の応援団が垂れ幕や日の丸を持って応援しているのは当たり前だが、それ以外の観客や世界の国の放送が何をいっているのかということは全く伝えていなかった。

◆◆◆ そこで、スポーツで、競技であるとはいえ、この芸術姓は他の国の国民や解説者にも理解されているのだろうか、それとも日本人だけがいいと思っていて、他の国は冷ややかなのか・・・
 そこに焦点を置いて、4月からyou tubeを調べ始めたのだった。

その結果のうち、日本語訳がついたものだけをお伝えしたい。淡々と語っているだけのように感じたが、訳がついてみると全く想像以上のことをいっていたのだとわかったのだ。

◆スペイン版 ショートプログラム 『 eye 』


いや~!スペインの解説者の言葉、味わってください!
なお、演技終了後の部分的繰り返し映像の中で、歌子コーチの前を通り過ぎる直前の足元のアップをみると、なんとフィギュアスケート靴のつま先だけでステップしているのが写った。トゥシューズでおどるバレリーナを見るようだ。  

 『 eye 』は、宮本賢治振り付け、曲は世界的アコーディオン奏者kobaによるもので、ほとんど外国の有名振付師を使うことの多いフィギュアスケート界で珍しく純日本製の、しかも名プログラム!高橋の音楽の捉え身体の切れのよさが生かされている。

なお、高橋はこのショートを演ずる時にひげを伸ばしている。大人の男っぽさをあらわし、粋で印象的な衣装も実によく似合う。髪型も大人になった。(以前は今に比べるとちょっとやぼったかった)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そして、『 道 』では、曲想に合わせて、サーカスのピエロをイメージする衣装、柔らかでやさしくって、ちょっと悲しい、そんなイメージにあわせてひげもそっている。やるねぇ、大ちゃん!

◎上のイタリア版とあわせて,『道』は3ヶ国を載せるので、
お時間のある方は解説の比較をどうぞ!

◆スペイン版  『 道 』



静かで、低い声でジャンプの解説をしていたスペイン版、途中から何も言わなくなってしまった。
最後のほうでこういった。
 「ただ、だまって見惚れてしまったわ!」(スペイン解説者)・・・:わっ!なんて、正直!(miriyun)



◆ロシア版  『 道 』

(演技終了したとたんに、)
新しい世界チャンピオンです!
 100回目の世界選手権で新たなナンバー1スケーターが誕生しました。
  その名は高橋大輔!
~~~~ 高橋大輔こそが最も強く優勝するにふさわしかったことに疑問を持つ人はいないでしょう!
                                   ( ロシアのアナウンサーor解説者)

 
4.高橋大輔のスケート技術と音楽性    

 あるコリオグラファー(振付師)はいう。
高橋大輔は打楽器の音さえひろって表現する。ピアノの曲ならピアノらしく表現するスケーターだと。

         <追記>
               歌子先生が「この子は音楽の強弱の表現が自然に出来る子でフォルテの時は強く、
               ピアニシモの時は弱くすべる事が出来ます、
               これは教えてできるものではありません、天性のものです。」
               と語っておられた。
               (えるだおばばさまのコメントより追記させていただきました。ありがとうございます!)

そうやって見ていると、外国TVの解説者も全ての音を高橋は表現していると語っていた。
また、世界の人々は、何で日本人である高橋がラテンをあんなふうに踊れるのか(ショートプログラムのeyeのこと)と首を傾げたという。

彼はクラシックはもちろん、ヒップホップさえもスケートで踊ってきた。ありえないようなリズムをスケートで踏むのを人々は信じれないような気持ちで見つめた。大陸選手権ではフリーで2回も4回転ジャンプを成功させて、世界の中の最高得点記録をいまだ保持している。

 そして、今回の世界選手権での世界の評価は?と気になったのだが、イタリア・スペイン・ロシアの放送の様子を知ることができ、ほんとうに高橋大輔は世界ナンバー1だと名実ともに認められているのだとわかった。
 スケートが盛んでない国に在住の方にも見ていただけたら嬉しい。

 世界選手権は今年100回目の大会であった。第100回世界選手権の勝者が初めてヨーロッパ人でなく日本人になった記念すべき大会になった。
 政治・経済であまりにも寂しい話題ばかりの昨今の日本である。
この中で怪我の回復を待って、半回転さえ怖いという昨年の春からの練習を初め、世界への挑戦を雄々しく戦い、優雅に舞った。まだ、手術で入れたボルトが膝にある状態で(何ということだ!)。
 今後は、高橋のようなステップのすべりを世界中が目指してくるだろう。追われる立場になるのだが、しかし、高橋はまだ、これからもさらなる音楽を全身で表現していってほしいものだ。
 
 彼は、単なる選手という言葉ではあらわせない。
 まれに見る天性の感覚を持ったスケートと音楽の表現者だ。

 そして飽きることなく毎日でもその演技を見て心から日本人はここまできたのかとため息をついて一日を終える。そんな一服の紅茶を楽しむかのように深夜に高橋の演技を楽しんでいる。


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by miriyun | 2010-05-30 12:14 | 日本 | Comments(16)
2009年 06月 04日

新緑*しだれ桜

6月・・・雨降りの時期、空はどんより
そんな中でも、日本らしい美しさも紹介していけたらと思う。その中にはひょんなところでイスラーム地域とつながる植物や工芸が出てくるかもしれない。

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  二条城庭園、 庭の小道につつじが咲く6月の古都

            枝垂れ桜の枝が風にそよいでいた・・・ ・ ・
                           
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by miriyun | 2009-06-04 22:59 | 日本 | Comments(0)
2009年 03月 20日

インド水塔・・・モザイク紀行(18)

 第996話
 古来、泉や水道施設は絶対的な価値を持つものであり、為政者がそれを民のためにあたえたりするのはもちろんのこと、イスラームにおける豊かなる者や、ゆとりあるものが設備をモスクに寄進したり、広場に備えたりするのはよく行なわれることである。
 そして、あのインドという国でも巨大な地下水道設備があることでわかるようにたいへん大事なものとして考えられている。
 
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横浜、山下公園の北側にドーム屋根と石で築かれた塔がある。そばによって見ると異国の雰囲気が漂っている。これはインド水塔と呼ばれる。

◆インド水塔の由来
 横浜は、1858年に日米修好通商条約で開港が決まり、翌年1859年に開港した。だから今年2009年は『横浜開港150周年』なのである。開港以来、イギリスを始めいろいろな国の人々が行き交い居住していた。しかし、考えてみよう。今の日本とは異なり、明治・大正・昭和前半における日本は開港した港で何を商いしたのか。 
 貿易品目は、もっぱら繊維製品であった。横浜の開港からわずか4年後には今の山下公園付近に「在浜インド商協会」を置き、インド人が商売していた。

 初期にはイギリスが関税自主権のない日本に綿織物を持ち込み、日本の綿織物は壊滅状態になっていく。日本から売ることができたのは、生糸・絹織物・茶といったところであった。だから、今でも山下公園のすぐそばにシルク博物館なるものが当時の生糸の動向を歴史として残しているのだ。

 ところが、それにあきたらぬ気概のある人物が現れてくる。以前に紹介したインドのJ.N.タタと日本のと呼ばれる渋沢栄一である。彼らが考えたのはイギリスに支配されているインドからイギリス船が間に入って綿花を運んできて日本に売る。これを直接インド航路を開き、日本の船が直接取引をすれば安く綿花を仕入れることができるようになる。
 こうして、日本の産業革命の立役者であった渋沢栄一と、インドの現在のタタ・グループの祖であるJ.N.タタによってインド航路が開かれた。

 それ以後、横浜でもこれまで以上にインド人商人が増えてくる。わたしたちが知っている以上に、インドと横浜のつながりは深い。

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 そこへ1923年9月1日の関東大震災がおそった。
街そのものが焼け野原となり、横浜に当時住んでいた116人のインド人のうち28名が震災で亡くなった。横浜市は街の復興とともに被災した在日インド人への援助にも力を注ぎ、住宅地などの手当てを行うなどした。
 
 震災による瓦礫で山下公園を造成したのだが、その山下公園の一角に 1939年(昭和14年)、インド・コミュニティが9月1日の大地震の犠牲者を悼む記念碑として、また震災時に手助けしてくれた横浜市市民に使ってもらう感謝の心として横浜市に贈ったという。
 
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 中央のモニュメントが置かれているところはかって、水道があって、誰でもその水を飲むことができた。
現在は、衛生上の問題のため、残念ながら水道は市により止められモニュメントとしてだけ残されている。

◆モザイク天井

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 実はここの天井が、とてもきれいでいつか紹介したいと思っていた。
近代になってからのモザイクはローマン・モザイクと異なって、材料は多彩である。
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ここでは、ステンドグラス用の味わいのあるガラスのあいだにところどころに、ダイヤモンドカットのガラスも見ることができる。
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単純な四角い背景用モザイクもよく見ると柔らかな色を何種類も使い、金をはめ込んだ金のガラスも使われている。

 実に手の込んだ近代モザイクだったのだ。
天井の細工を見ながら日本とインドの歴史をふり返ってみた。

 なお、タタ・グループなど、いくつかのグループが横浜においてさらに発展的経済関係を築こうとしている。もっとも、現代では綿花と綿織物ではなく、IT関係及びインド産低価格車での進出になるが・・・。

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by miriyun | 2009-03-20 15:24 | 日本 | Comments(10)