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カテゴリ:文様の伝播( 26 )


2008年 04月 15日

正倉院御物の中のライオン…ライオン紀行(22)

 ライオン像は百獣の王として好まれ世界各地でいろんな意味合いを持って使われたが、正倉院御物の中にも見つけ出すことができる。
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  正倉院にはこのような写実的なライオン像も見出すことができる。これは毛彫りと透かし彫りで彫られた銀細工である。金属に彫った線というのは筆で絵を描くのとは異なって、線を生き生きとさせるには余程の技術が必要とされる。ライオン像と唐草紋様が実に見事にデザインされ、彫り込まれている。

                             全体像は↓
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  銀薫炉。中で香を焚き、その上に衣服をのせて、香を焚きしめるための道具である。内部の火炉には常に水平に保たれるためのしくみが施されている。
  唐時代の遺跡から類似の薫炉が出土しているため、中国で作製されたものと考えられている。中央部の線があるところで開ける事ができ、上下をあわせるところに「合」という漢字に見える文字が彫られている。尚更、中国来歴ということがはっきりとする。

 しかし、ライオンが生息しない中国・日本からすると紋様そのものは西からの風を強く感ずる。

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               ↑曝布彩絵半ぴ(写真3点はいずれも『日本の美術 正倉院 』より引用)
 一方、これは、大仰に二足で立ち、まるで見得を切ったかのように草木(ブドウ)をくわえる獅子像は、非写実の世界であり、想像の産物であり、ライオン像からは別格の獅子像になっている。

  しかし、実在のライオンを知らない日本ではこちらのほうの獅子像が主流となって、その後の日本ならではの狛犬や獅子像につながっていくのである。

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by miriyun | 2008-04-15 06:01 | 文様の伝播 | Comments(8)
2008年 01月 19日

ブドウ唐草…パルミラ~日本

 ブドウ文様は東にすすみながら、次第に唐草文様を形成していく。

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  ↑ インド ファティープルシクリの宮殿 后の部屋
 インドでは赤砂岩での建築が基本である。西からきた花嫁のためにブドウ文様ややしの木などの文様がここにはある。丁寧に作られているが、植物の生命力を感じさせるまでは至っていない。
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  ↑パルミラのバアル(ベル)神殿
 ☆ブドウ唐草のレリーフとしてこれは傑作だ。葉と実はもちろん、ツルまで詳細にあらわしている。デザイン的にも美しいし、いきいきとしている。
 だが、なにぶん野ざらしであるため痛みが激しい。消えてしまいそうな姿であるからこそ、いつかここで紹介したいと思っていて、ようやくアップすることができた。 
 2000年弱の年月、強い直射日光にさらされ、寒暖の差の激しさと砂嵐、雨・雪にさらされてきて、損傷がこれだけというのもよく考えたらすごいことで、よほど頑丈な大理石にレリーフしたとのだと考えられる。屋外に当時のままにありながら保存する方法があればいいのだが・・・。


◆いよいよ日本へ
 
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    ↑正倉院御物 紫地鳳唐草丸文錦(日本美術全集 正倉院 より引用) 
 中央は鳳凰、周りにブドウ唐草が円形にめぐらされている。東西の文様が唐において融合された代表的な例。その文様が日本にも貴重なしかも瑞祥を表す文様として伝わり、唐で完成した文様を日本で織ったのではないかといわれている。
 大仏開眼供養にも、縁起物のこの布は使われたという。
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薬師寺金堂 薬師如来須弥座の葡萄唐草文
    (『世界文様事典』  創元社刊 ブドウ文様の1パーツをもとに作成。もようを見やすくするため周囲を彩色した。)  
 実際の色は、背景も模様も同じ黒。余程文様を意識しないとこの唐草文様の完成された姿に気付きにくい。実がついた唐草文は葉だけよりも文様化しにくいものであるが、これは洗練された姿になっている。仏教では通常釈迦の背景に菩提樹、足元にハス、台座などにはスイカズラが多用され、葡萄は一般的に使われることがなかった。しかしなぜか薬師寺だけは台座に使っている。

 その後はしばらくこの模様の進展はなくなる。9世紀には手本としていた唐から法律・文字・紙・仏教・建築方法などすべて学びつくしていた。そして唐はこのころ衰え国は乱れていた。航海の危険を冒してまで唐に行く必要性がなくなり遣唐使が廃止となったのだ。
 それによって日本独特の文化の発展となったのは喜ばしい。しかしシルクロードから西の文物に接する機会はしばらくなくなる。

 やはり日本にとって天平の時代こそが文化的に特別に高揚し、優れた感覚で次々と新しいものを取り入れ、作成していった時期だったのだ
 そして、エジプトから見てきたブドウ文様の流れも奈良の薬師寺の葡萄唐草の優美な姿を見て終了としたい。
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by miriyun | 2008-01-19 19:28 | 文様の伝播 | Comments(6)
2008年 01月 18日

ブドウ今昔

ブドウは約2000年前の地中海沿岸地域で盛んに生産されたものであり、その姿はモザイクばかりでなくレリーフにも登場する。
 一方、そのブドウの栽培は現代においても変わらず豊かに実る。レリーフ画ある同じ場所で時を隔てても変わらず芳醇な香りをただよわすブドウから、古代の姿やローマの豊かさを感じてみよう。

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  ↑ バールベック
 レバノン山脈とアンチ・レバノン山脈の間のベカー高原のほぼ中央にバールベックの遺構がある。標高1000m。フェニキア人が最初に豊穣神を祀った。紀元前1世紀から200年をかけてローマが大神殿群を建てた。
 その中にはローマ由来の卵型・花形の文様が多いがよく見ればブドウを菱形の中にデザインしたものが見つかる。
 ブドウは近くの高原のブドウ。

 なお現在、豊穣の地ベカー高原はワインの産地として知れ渡っている。

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   ↑カルタゴに残るローマ彫刻。
 カルタゴは豊穣そのものがテーマのような彫刻である。女性がたくさんの果物を持っている像であるが、他の丸い果実が何であるのか判別しにくいが、ブドウこそは誰もがわかる形で表すことができる。その豊穣の印であるブドウを全面に押し出しその上にブドウの葉もくっきりと刻んでいる。
 チュニジアの北部は穀倉地帯であると共にブドウの大産地でもある。

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   ↑シリア、ボスラーの遺跡。
 巨大なアーチが崩れもせず残っている。さて、そのアーチには特に文様は刻んでいなかったのだが最も高い位置・頂点にだけこのブドウ文様が刻まれていた。頼もしく思えるほど太いツルがこのアーチ天井から湧き出でて交差する。そのあとつる草は左右対称にのびていく。その間に実るブドウ・・・象徴としての文様だろうから粒は数個であるが、おそらくこの地もブドウがあふれていたのではないだろうか。
 右はボスラーの住民からいただいた、この地の太陽と水の恵みをうけたブドウである。

☆シルクロードも中東も、また北アフリカも日差しの強いところは本当にブドウがおいしい。皮が気にならない。甘みが強く香りが豊かである。気候の違いが日本とは異なるものに感じさせるのかもしれない。
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by miriyun | 2008-01-18 23:50 | 文様の伝播 | Comments(2)
2008年 01月 17日

天使はブドウを摘み神は飲む…モザイク紀行(5)

 地中海沿岸はブドウの栽培に適し、ギリシア・ローマの時代にはワインを飲む習慣と共に、豊穣の印であるブドウは頻繁に彫刻やモザイクに登場するようになる。

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    ↑天使がブドウを摘む様子2点
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       ↑ブドウの棚の下でワインを飲む

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           ↑豊かなブドウ文様を手のかかるモザイクにめいっぱい取り込んでいく。

 ★チュニジアのバルドー博物館はローマ時代のモザイクの素晴らしい収集が館内いっぱいに展開されている。そのなかからとくにブドウ文様の傑作を紹介させていただいた。
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by miriyun | 2008-01-17 07:15 | 文様の伝播 | Comments(4)
2008年 01月 15日

ブドウ文様1…エジプトとシドンのテーマ

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葡萄は日本の山葡萄のような野生種も
含めればさまざまあるが、人が意図的に
栽培した葡萄はいつごろからあるのだろうか。



 ★葡萄文様から探る。






1.エジプト

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                              (現地購入の絵葉書より引用)
 まずは、文様ではないが、エジプトらしい写実的な絵から。これは紀元前1500年前後のエジプト第18王朝時代のナクトの墳墓内の壁画である。
 エジプトらしいのはブドウの本来の向きなど関係なく何しろ横からの描写を行い、収穫というこの目的に関係しない葉やツルはできうる限り省略し、目的に合わせて必要なところだけを明確に表現している。ここでは収穫とぶどう酒作りがテーマであるからブドウの実だけが強調されていることになる。
 エジプト人がワラカイナブやヤプラック・ドルマスを中心に食する人たちであったなら彼らはきっと葉をもっとくっきりと描写したに違いない。

 さて、これにより葡萄がぶどう棚状に意図的に栽培されていたこと、それを足で踏んでぶどう酒を造っていることまで明らかになる。新王国時代の農民と農作物の扱いがよくわかるありがたい絵がこの墳墓にはたくさんある。
 
 エジプトの絵は必要なこと以外はそぎとって、きっちり表現したいことだけを誰にもわかるように表現する。情報伝達の『 技あり!』の絵だといつも感嘆している。

2.シドン
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 次に、こちらはブドウの葉だけを連続文様としてレリーフしている。これはアレクサンダーの石棺と呼ばれるシドンの王家の棺の周辺装飾の一部である。
 このように装飾としてのブドウはその特徴的な葉を飾りとして見立て連続模様として棺を一周する装飾としている。同時代の他の棺には、ブドウの実が入っているものもあるが、ブドウの実に注目しているわけでなく、あくまでも連続する文様としてのブドウつる草が表現されているのだ。

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by miriyun | 2008-01-15 23:58 | 文様の伝播 | Comments(0)
2007年 09月 17日

太陽とライオンと…中間報告

 中央アジアには謎がたくさんある。その一つを追った。

◆太陽とライオン 
 カリグラフィー&ミニアチュールの一部を見てもらおう。
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          ↑イラン芸術博物館蔵。19世紀「Golestane Khial」より引用
 
 ワーゥの文字の中に、中央アジアで見かけたものがある。
        ↓
   それは、ライオンと太陽だ。

 以前に紹介したシールダール・マドラサやナディール・ディワン・ベギにはイスラーム地域には珍しい絵がある。とくにモスクに人面は珍しすぎる。
 しかし、サマルカンドとブハラの2箇所で人面の太陽が見られる。いずれにも人面太陽があり、一方にはライオンが他方には孔雀が描かれている。時代は同じ17世紀で不仲で争っていたサマルカンドとブハラの君主が対抗意識を持って作らせたという説がある。

 サマルカンドの場合はシールダール(ライオン)のマドラサという名がついている。

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以前にまとめたように見た目はトラ模様に表のヒョウのようなテンの模様もあり、タテガミもついている。
 トラのメドレセといってもよさそうなのにシールダールというには何か理由があるのだ。これにかかわるものはないのか調べてみた。

◆広がっていったミトラ教
 ミトラ信仰が古代のペルシアや中央アジアにあり、これがインドやローマ帝国にまで広がっていた。ミトラ神はライオンと同化する姿で描かれ、その周りをへびで囲う姿の彫像があるという。
 
 太陽信仰であるため太陽の生まれる時冬至を祝う習慣はイスラームになっても残り、シャベ・ヤルダーという名で今でもスイカやざくろなど赤いものを食べながら、一晩お話などを聞きながら家族で過ごすという行事だった。
 この冬至の祝いにあわせて決めたのがクリスマスだといわれている。アジアの西端ヨルダン川のそばで生まれたイエスの正しい誕生日はわからないという。しかし、当時のローマ帝国内で最も栄えていたのはミトラ教であり、その影響で冬至のあとにクリスマスを持ってきたといわれる。

 ミトラ教はローマ皇帝も信仰していたが、その後ミトラ教とキリスト教のどちらかを国教としようというあらそいを経て、キリスト教のほうが国教となったのは周知のとおりだ。

◆ミトラ信仰の残されたもの
  こうして、シルクロードからローマ帝国まで幅広く影響を与え続けたミトラ教は徐々に衰えていくのだが、消えたわけではない。
 ゾロアスター教の中に組み込まれた部分もある。
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なんとよくみればゾロアスター教のしるしには日輪が含まれているではないか。

 また、民衆の生活感の中にも残っている可能性がある。何よりも、暦の問題がある。アラブ圏はヒジュラ暦を使っている。ヒジュラ暦は太陰暦である。だから、ラマダンなどでも、伝統的方法で物事を決まるときは月を見る。
 しかし、文化の異なるイランではヒジュラを基にした暦とキュロス王建国から数えるイラン暦を用いており、それ太陽暦である。一年の初めを春分からはじめる暦なので、新年を祝うのは3月21日なのだ。(王政のときと、ホメイニ政権になってからでは異なる。大変複雑なので、ここでは深入りしない。太陽暦をイランではもともと使っていたということだけをおさえておきたい)

◆セルジューク朝のタイル

 このように、太陽というもので見ていくと関連するものがシルクロードにはまだ出てきそうだ。
トルコ民族はシルクロードを東から西へと移動していった民族なのでその精神に、こういったものが残る可能性があるのではないかと探してみた。

 するとセルジューク朝のタイルにそのあとがあった。

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↑13世紀 制作地カシャーン又はダームガーン『世界美術大全集イスラーム』小学館発行より引用 
 セルジュークのものだが、産地はイランなので文化としてはその影響下である。

 この高度な技術で焼き上げたタイルは有名なものだが、その中の一つに注目してみた。
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 エイトポイントスターのタイルの中央に、捜し求めていたライオンと人面太陽があった。話はそれるが、このライオンのチロリンとこちらを見る目がミョーに可愛いくて気に入ってしまった!!
 
 制作は13世紀なので、シールダールのメドレッセより3世紀前にはこの文様はペルシアで確立していたということになる。     
 すると、サマルカンドの人がライオンを想像して初めて作ったわけはなく、昔からある柄として取り込んだということだ。
 
 この太陽とライオンの起源はミトラ教から派生した民間信仰からきたものではないだろうか―――  
            ・・・これを中間報告として、さらに追ってみたいと思っている。

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by miriyun | 2007-09-17 11:17 | 文様の伝播 | Comments(6)
2007年 07月 29日

ミニアチュールに見るライオン…ライオン紀行(20)

 そもそもライオンのたてがみってどうなっているのか・・・気になっていた。
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 なぜならサマルカンドのシールダールのライオンが頭の後ろだけに巻き毛の鬣が描かれていたからだ。
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 しかし、ペルシアのミニアチュールで同じたてがみを見つけた。

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                     ↑「The Shanameh of Ferdosi」 1991より引用
 ペルシアのシャーナーメ「王書」の中の一節。
 Yazdgerd王がなくなった後、ペルシアの王冠をかけて二人のペルシアの王子BahramとKhosroが二頭のライオンと戦うことで争った。Bahramが牛の頭の形の鉄槌でライオンを倒し、王冠を手に入れたというお話であった。
 中央の玉座の上にあるのが王冠。ライオンは一頭ずつロープでつながれているので、いっぺんに2頭が王子を襲うことはない。重臣たちはあれやこれやといいながら隣と話し、次の王について意見を交わしている。
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 そのうちの1頭をさらに拡大!
顔の特色、尾の細長く先端がやや丸みを帯びるところ、ネコ科の脚、ここまで自然体のライオン像なのだが、たてがみはサマルカンドでオヤッと思った後ろたてがみだけになっているのだ。

 なぜ、実際にライオンのいたペルシアでこのような図になるのか、資料が見つかったら尚更謎が深まった感がある。なお、他のページのライオン狩りも同じようなたてがみであった。

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by miriyun | 2007-07-29 09:33 | 文様の伝播 | Comments(4)
2007年 07月 29日

チベットとスリランカの国旗の獅子…ライオン紀行(19)

チベットのライオン 
 透明感のある優れた感性で世界を感じていらっしゃるぺいとんさん(ぺいとんの小さなおうち)から、チベット亡命政府の旗に獅子像があるというコメントをいただいたので、国旗の中の獅子像について調べてみた。
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 1949年に中国によってチベットが占領され、ダライ・ラマによって1959年インド北西部に中央チベット行政府を樹立した。そこの旗が↑である。

  この旗の株に一対の獅子像がくっきりと描かれている。
これの歴史は古く7世紀にチベット国王のソンツェン・ガンポが国を統治していた間、強大な軍隊を所有しており、各連隊は、それぞれの軍旗に、向かい合っている1対のスノー・ライオンや直立した1頭のスノー・ライオンなどをそれぞれ描いていた。
 このような歴史から、チベット亡命政府は、ライオン像に次のような意義付けをして旗を定めた。
1対のスノー・ライオンの勇ましい姿は、チベットの精神的、および世俗的な方策が完全な勝利をおさめることを象徴している。
ライオンが支えている3つの輝く宝石は、3つの源(ブッダ、その教えである法(ダルマ)、そして僧侶たち)に対する尊敬の念を象徴している。ライオンが持つ、円形で2つの色が塗られているものは、自律を意味する。――ダライ・ラマ法王日本代表部事務所HPより引用

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☆このライオン像で最も分かりやすいのは、尾がふさふさである点である。先日のネパールとは近い地域であるが、姿はすっかり変わっている。すでにもう実際のライオンからはかけ離れた想像上の動物になっている。たてがみはあごまで達している。また前脚にもふさふさしたした毛がびっしりと生えている。これは日本に伝わった唐獅子系のライオン像とよく似ている。

スリランカのライオン
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1948年にセイロンとして独立した時には、古代カンディ朝の旗を基にしたものを採用した。その旗は、赤地に金のライオン(「シンハ」=シンハラ族のシンボル)と剣が中央にある。1951年に緑と橙色の帯が、少数派であるイスラム教徒とヒンドゥー教のタミル人を意味するものとして付加された。1972年に国名がセイロンからスリランカに変更された際、多数派の仏教徒を意味するものとして4枚の菩提樹の葉が付加され、1978年にそれが公式に採用された。(Wikipediaより引用)


 ☆この旗は宗教の融合を象徴していることが分かる(実際は旗のように並べたら平等というわけではないようで争いは続いている)。
 さて、ライオン像だが、尾は細身ながらネパールの唐草文様の経過型になっている。ライオンの生息するインドに近いことが分かる造形である。たてがみも巻き髪はなく、ギザギザの線で表している。このギザはタイのトゲトゲたてがみにつながるかもしれない。

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by miriyun | 2007-07-29 08:00 | 文様の伝播 | Comments(2)
2007年 07月 28日

ネパールの木彫ライオン…ライオン紀行(18)

 タイのライオンは胸までのたてがみがなくなっていて、その代わり?になるのか、前垂れがかけてあった。つまり頭の周りのたてがみはだいぶかたちが異なるが、前垂れのところは日本の狛犬にぐっと近づいてきた。

 しかし、仏教でも建築や文様でも海沿いの国と山側のシルクロードの近いほうでは全く様相が異なる。
 ネパールのライオンはどんな姿なのか?
 
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これは、ネパールの木彫を奈良市の奈良町で見つけたものである。

 まず、このライオンは胸までのたてがみが存在するのでライオンらしい・・・といいたいところだが、もうライオンの伸びやかさ、ネコ科の俊敏さなどが想像できる部分はなくなっている。やはり、標高は高く実際のライオンを見る機会はほとんどなかった地域であるだけに、タイとは違う形の想像の世界に入ってきている。

 想像であるといえるその証しとなるのは尾の形である。尾の形が本来のライオンの尾ではなく、かといって日本の狛犬キツネの尻尾のようにふさふさして、しかも渦を巻いているというのとは明らかに違う。
 この尾は唐草文様のシルクロードを伝わっている時の形であり、このカーブやひねられた形が、後に東の果てで渦を巻いた尾になッ他という可能性も考えられる。

 ただし、ネパールのライオンが皆そうであるかは分からない。来歴やネパール全体がこのタイプのライオンであると一般化できるわけでもない。あくまで一例としての紹介である。

                            ◆ライオンはどのように狛犬になっていくのか?調べていきますので応援よろしく!

by miriyun | 2007-07-28 13:11 | 文様の伝播 | Comments(4)
2007年 07月 09日

タイにもライオン像…ライオン紀行(17)

ワット・プラケオ(エメラルド寺院)
1782年ラーマ1世がチャオプラヤ川対岸から現在の地に遷都して以来の王室関連の建物が国家行事に使われている。
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 きらびやかな黄金色の王宮の中で、ライオンは狛犬にぐっと近づいたような姿となっていた。ことにたてがみの様子がとげとげになっていること、あごからしたの鬣はなく、その代わりに前垂れをしていることが大きな特色といえよう。
                                    ポチッとワンクリックお願いします。  

by miriyun | 2007-07-09 07:15 | 文様の伝播 | Comments(2)