カテゴリ:インド( 35 )

王の名を持つ樹・・ロンギフォリア(アショカの木)

 ごく普通の樹のようなのだが気になってしまうものがインドにあった。

ポリアルティア・ロンギフォリア
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ジョドプールのシティパレスの庭にすっきりとした姿でたち、葉の色が何とも言えず綺麗だった。
その時は名がわからなかったが、紡錘形の葉で周辺が波打ってわずかに色があるこの葉は印象に残った。


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ひとたび意識すると、人の目はそれを勝手に見分けてくれるものなのだろうか。ウダイプールのサルたちをレンズで追っていてもふとそのわきにもこの樹が見えてきたりする。

これはポリアルティア・ロンギフォリアという樹高は15~20mになる樹だった。バンレイシ科ポリアルティア属の常緑樹である。枝が枝垂れて円柱形になる。幹はぐいぐいと真っ直ぐにのびる、宮殿のは地面を敷石で固め剪定もしているようだったが幹はすっきりと気持ち良く伸びたいい幹だった。そのため、帆船のマストに使われたことから、マストツリーとも言われる。

アショカツリー(アショカの木)

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インド・スリランカに分布するこの樹はまた、アショカ(アソカ)ツリーともいう。2200年以上遡ったアショカ(アソカ)王の名をいただく。
熱帯のこの樹は街路樹として植えられる他、「デーオダール」(神の樹)と呼ばれ、ヒンズー教徒にとって尊い樹とされる。
街の十字路のところで女性はこの縁が波うつ葉を長く結び合わせて飾り物を作っていた。
なるほど、気になってしかたのなかったこの樹は、
誰もが神聖さをかんじさせられてしまうような樹であったようだ。

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by miriyun | 2012-01-19 07:06 | インド | Comments(6)

カリグラフィーを読もう…グワリオールにのこるイスラーム

1.グワリオールから眺めるインドの歴史 
 インドへイスラームが入ったのはトルコ系・アフガン系のデリー諸王朝の時代であり、その最初の奴隷王朝が「イスラムの力」と名づけられた壮大なモスクとクトゥブ・ミナールをつくった。
 この奴隷王朝の後にデリーに首都を置いたのはトルコ系といわれるハルジー・トゥグルク・サイイド朝が続き、さらにアフガン系のローディー朝が続いた。
 さて、壮大なグワリオール城塞を持つラージプートの王も16世紀にはイスラームのローディ朝の支配下に入った。

 そのころ中央アジアのフェルガーナの小王であったバーブルが、王国を失いさまよった末、アフガニスタンのカーブルを占領した。1526年バーブルはローディー朝の大軍を破ってデリーとアグラを占領し、ムガル朝がここに開かれた。2代目までは政権が安定しなかったが、3代目のアクバルはヒンドゥー教徒の娘を後宮に入れ、どの宗教にも寛容・理解を示した。ラージプート族の多くは軍事力を持って皇帝を援助するようになり、17世紀はじめにはアフガニスタンからインド北部はグワリオールも含めてムガル朝の勢力下に入った。

 壮大なグワリオール城塞を、アクバルは牢獄として使用したといわれている。また、ここ出身の音楽家ターンセンを重用した。

 ムガル朝はアウランジーブ帝の時には財政的な衰えをみせ、皇帝はラージプート族の領地を取り潰していこうとした。そのためラージプートの反乱が起こり始めデカン西部のマラータ族が抵抗し、1700年以降はムガルの城塞を一つ一つ奪い返しはじめた。グワリオールも1751年には、マラーター王朝シンディア家の支配下に入る。

 その後、インド第1次独立戦争期(1857年セポイの反乱からの数年間)には、イギリスや隣国ジャーンシーの支配下に入ったが、1886年には、再びシンディア家の手に戻る。以降、同家の下で、グワリオールはインド独立まで、藩王国として続いた。

2、カリグラフィーを読もう・・・イスラームのなごり
 現在も古い城郭の保存状態は良好でまた、新宮殿や離宮もしっかりと使える状態に残されている。新宮殿には、グワリオールの歴史を感じさせる遺物やシンディア家の生活を表す展示がおかれている。その中に、ムガル朝時代の遺物もあった。
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  中央にアッラーがおかれ、その右にあるのが本来のカリグラフィーで、読み方は
「スブハーナ・アッラー」 (分かりやすくあえて単語は分けて読んでいる)
アッラーを讃えまつるという言葉である。
 左側は右の文字を鏡に写したように反転させて書き、左右対称に作ったものなのだ。このようにアラビア語のカリグラフィーでは安定した形をつくるために左右対称型がよく使われる。
 
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by miriyun | 2007-11-06 06:38 | インド | Comments(4)

青のグワリオール城

 「写真でイスラーム」ではインドのこともたびたび取り上げる。インドは誰もが知るヒンドゥー教の国であるので、不思議に思われるかもしれない。
 しかし、インドはヒンドゥー教徒ばかりでなく いろいろな宗教を包括する国でもある。そもそも仏教の盛んな国でもあったし、ペルシアですたれたゾロアスター教がいま尚残っている国でもある。ましてや、長くムガール帝国がマハラジャたちをおさえていた時代があり、ヒンドゥーとイスラームが共存や文化的に影響を与え合ったものも多い。
◆インドは10億数千万人、世界2位の人口を擁する。
(ヒンドゥー教徒 80.5%、イスラム教徒 13.4%、キリスト教徒 2.3%、シーク教徒 1.9%。、仏教徒 0.8%、ジャイナ教徒 0.8%、・その他 0.6%(ゾロアスター教他)

 こういった理由で割合は少ないが人口で言うと1億4000万人といわれるイスラームを含むインドを一緒に考えていくようになる。
 しかも、ヒンドゥーと混ざっていたり、隠れていたりする中でふとそれが出てくることがある。そういったものをインドの文化を見ながら探してみる・・・そういう意味でここに掲載している。
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インド、デリーから南南東へ約200kmにアグラがあり、そのアグラから更に150km南に行ったところにグワリオール城がある。
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 平坦な街が広がる中、ここだけがぐうっと高くせりあがった丘になっており、その上に延々と城郭の続く巨大な、本当に巨大なグワリオール城が建つ。実は街と城郭を広角レンズでも一緒に入れることができなくて、2枚の写真をつなげているのが上の写真だ。空の色が不自然なのはそういう理由でご勘弁を!

 525年には丘の上に寺院があったといわれ、10~12世紀には、ラージプート族の勢力下に入った。
 14世紀のトーマラ族というラージプート勢力のとき、大いに栄え、現在のグワリオール城の形はこの勢力のマン・シンという王が築いた。マン・シン・パレスは、ラージプートのマン・シンの治世期の1486~1516年に建てられたと言われる。
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 インドでは砂岩建築が一般的でここでも砂岩が使われている。しかし、それだけでなくそこに見事なタイルをはめ込んでいるのが特色だ。ターコイスの色はつややかに空と緑と砂岩に映えてマハラジャの力を遺憾なく示していた。王は優れた王で芸術にも造詣が深かった。
 インドの歴史上有名な音楽家のタンセーンは、この時代に音楽を学び、のちにムガル皇帝アクバルに仕えたという。そして、この建築群の中に墓がある。 
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 塔の部分の模様をじっと見てみよう。
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 ターコイズ・ブルーで彩られた中に、砂岩のレリーフが浮かび上がる。そのレリーフの文様を支えるのはヒンドゥー教の聖なる動物である象を表していた。

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by miriyun | 2007-11-04 19:14 | インド | Comments(14)

世界は踊る3…インド

 インドの数ある仕事の中でも幼少期からの練習を要するのが踊り。インドは広いので一様には語れないが、地域ごとに素晴らしい舞踊がある。子どものころから出場できる舞踊コンクールもあるという。

 インドの舞踊はまず、印象的な眼に圧倒されるところからはじまる。
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 踊り手の目がまるで自分を見てるかのようにそれぞれが感じてしまうほど印象的な大きな眼をしっかりと見開いて踊りに目を生かしきる。形は異なるが歌舞伎の眼の重要さと同じくらいインド舞踊に眼は大切だ。 
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 次に、リズムをはだしで踏みつつ、足首につけた鈴を効果音としながらスピード感ある踊りを展開する。このスピード感もいい。
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 また、手先だけ見ても凛としたものを感じて美しい。

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その手の表現が思う存分堪能できるのがこの踊り。前後に重なり、おのおの異なる腕の位置と指の形で、これを見ると千手観音をイメージしてしまうのは自分だけだろうか。

 インドの舞踊・・・眼力と手指の表現力に圧倒される。 

*注)イスラーム地域としてインドも取り上げているが、踊っているのはヒンドゥー教徒の少女達である。
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by miriyun | 2007-10-19 13:31 | インド | Comments(2)

インドの幾何学アラベスク

 インドはアラビア数学の父である、8~12世紀に黄金期を向かえ、アラベスクも幾何学を元に厳密に計算されつくした文様として成立した。
 ではインドではどうなのか。より具象化した文様が好きであるし、ヒンディーでは禁止される偶像もない。だから数学が高度に発達した地域であるが、イスラーム地域に比べると幾何学アラベスクは少ない。しかし、ときにはさすがはインドと思わせるものがある。
 
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 グワリオールのウシャ・キラーンパレスのテラスの文様。この地域の歴史あるマハラジャ家の離宮に、何種類もの幾何学アラベスクが見本帳のように並んでいた。

 イスラームのアラベスクとの違いは、イスラームは求心力のある感じのものが多くまたほぼ星型が浮かび上がっているが、ここでは半数にわずかな星型が見えるだけである。
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by miriyun | 2007-06-27 06:41 | インド | Comments(4)

軽やかに華麗に復活…レイクパレス(15)

レイクパレスの危機

ところが、
ここがTAJグループの経営であるということを忘れていた。タタの精神、このブログでテーマとして取り上げていながら、忘れていた。

 なんと、この客も減り、苦しい状態の中で、レイクパレスはかってない大改装をしていた。外観を帰る塔やテラスなどは変えないが、歩く床の大理石模様をもっと大胆にし、ともすれば伝統はあるが暗い感じがした部屋をぐっと明度が高い部屋にしていた。

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↑左は、自分が撮ってきた写真。透かし彫りを通して庭からの光が入ってきて美しいので、このReading roomが好きだった。ただ、イスが古めかしくて座り心地がしっくり来ないと思っていた。そこの本来のアーチは変えず、床デザイン・テーブル・イスをすべて変えて明るくなっている。ただ、大理石の透かし彫りがなくなっているような・・・。それは残念!
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↑以前に紹介した一般の部屋。やたらと広くてゆとりがあるがインテリアは地味だった。
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↑現在の部屋。やわらかなピンクで女性が喜びそうな内装。せっかく素晴らしい景色が消える窓辺もこのように外を見ることを意識した配置になっている。以前のエコノミーな部屋と現在のこのDeluxe roomと呼ばれる部屋が料金が一緒かどうかはわからないが、何しろ内装は大がかりに変えたことが明らかだ。
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 ↑クーシュマハルという部屋の入口。泊まってはいないが、こういう有名な部屋は、空いている時は見せてくれることが多い。

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↑上の写真が以前に見た配置。下は改装された現在の様子(改装後の様子はレイクパレスのHPより引用 )
 変わらないのは部屋に入ると中央にデーンと吊り下げられたブランコ。真鍮製のゾウの飾りがたくさんついた王侯貴族用ブランコ。インド人はブランコが好きなようで、ミニアチュールなどでもブランコが書かれているのを見たことがある。また、ガラスパネルが太陽光線を色の万華鏡に変えて、部屋全体を華やかに彩る。このブランコと光の色で有名な部屋であるので、それだけは変えず、そのほかのベッドやソファーなどを変えた。また、床の大きすぎる黒大理石の模様もうすい茶色で小さいパネルにしたために以前より広く見える効果もある。
 この変化を見て改装のコンセプトは、もとからのよさは生かしながら、できる限り大胆に明るくつくるということなのだろうか。                     

◆~・~・~・~・2階も見てみよう~・~・~・~・
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中央部Open to the Skyは、百合の池と庭園の上で吹き抜けになっているということだ。だからどちらを向いても風のそよぎを感じることができる。部屋の大きさ向きは様々ながらそれぞれに眺めはよい。とくにそれぞれの角にはスイートがあり、すべて異なるつくりである。

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↑たくさんあるスイートの中でSajjanと呼ばれる部屋の改装を見てみよう。上は改装前。1874-1884の間でマハラーナ Sajjanシンによって建設されたSajjan Niwasスイートはガラスモザイクの象眼・鏡張りのドアが伝統的重厚だが、重苦しい。
 しかし、基調色をピンクとして変えたために明るい。
 かたや、 ヒンズー教徒神クリシュナについて飾り付けをされたスイートの寝室はフレスコ画法を用いている。フレスコ画で部屋中囲まれている緑の寝室はイスラームではありえない。 なお、この部屋はジャグマンディル島をはるかに見下ろす位置にある。

◆湖が枯れ、お客の来ない間に大改装。改装したからといって、乾季の水不足がどうなるかはまだわからない。しかし、だからといってこれほどの宮殿を、古めかしいままに朽ちさせていくことはない。
              
 タタ(TAJグループの創業者)は逆境にあおうとも、タダではおきあがらない。そんな精神をかいま見るようだ。


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by miriyun | 2007-06-23 11:55 | インド | Comments(8)

湖の枯渇に泣いた宮殿…レイクパレス(14)

 ピチョーラ湖はこの地に都を移したマハラーナ、ウダイ・スィン2世がつくった数多くの人造湖の一つである。もともとラジャスタンはインドの中でもパキスタンに近い西の地域であり、降水量が少ないことを為政者はどうするのかという対応をせまられる。
 その中で山に囲まれたウダイプールでは、山に降った雨も行って気も無駄にせず、湖へ呼び込み、湖は隣の湖とつながり水量を調節するようになっている。16世紀、水利の模範ともなるこの湖灌漑により、長く繁栄してきたのがウダイプールなのだ。
 
ピチョーラ湖が近年乾季に干上がるということがおきている。
その理由は、降水量が年間600~700mmであったのが、200~250mmに減ったことや、道路建設や森林伐採で山の保水力が低下したことによる。これによって、2005年にはもっとも深刻な水不足となり、さしものピチョーラ湖も完全に干上がった。 この渇水対策で州政府が新たに二つのダムを建築した。しかし、皮肉なことに2005年9~10月には大雨が降った。喜ばしいことであったはずが、下水道の汚水が住宅の排水溝に逆流するなどの被害が出た。2006.07.25の朝日新聞より一部抜粋して引用)
  
 慢性的な水量不足から地下水脈の枯渇や汚濁にもなった。だから、この時期にウダイプールを訪れた人は湖の中の白鳥のような宮殿ではなく、青い草の生えた中をてくてくと歩いてわたるしかないレイクパレスを見ることになった。 
 
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上は、レイクパレスのある島とその上に建つ宮殿の様子(2002年度の部屋割り)だがである。島いっぱいに宮殿がきっちり建っていることがわかる。

 この時期、渇水と汚水・悪臭によって、湖の宮殿は悪評惨憺たる状態だったようで、ホテルとして立ち直れるのだろうか、あたらラージプートの名宮殿もこれまでかと内心、とても心配していた。(2007年6月現在、水はある)

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by miriyun | 2007-06-23 11:20 | インド | Comments(0)

夕闇せまる湖の城…レイクパレス(13)

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 白亜の宮殿にも夕闇がせまりくる。部屋には明かりがともり、食事やお茶を楽しみ、その後は民族伝統芸能を楽しむ人たちがテラスに集う。
 そのレイクパレスは明かりが増えるにしたがって、湖の中で独特の存在感を示し始めるのだ。
やはりこの湖での水に映るということがなんともいえない情感を生み出す。

**ここでちょこっと日本のこと*********
 ふり返ってみれば、宇治の平等院鳳凰堂も鹿苑寺金閣も池がなかったなら、人々をこれほど驚嘆させることはないだろう。池に映る朧な姿と共に楽しんでこその景観なのだ。そして、今私たちはその建造物の中で朝に夕にどう変化し、平安や室町の人が楽しんだかをうかがい知ることは、無粋な見学時間というものに縛られて見ることがっできないようになっている。そこをもう少し改めたり見せる工夫をしたならば、大宮人の行き交う空間というものを感じとれるのではないだろうか。
 余談だが、故モナコ王妃グレース・ケリーは金閣の中に案内され、そこの1階の欄干から池を通した景観を楽しむのが気に入られたという。もちろんそうだろう。実際に居住する1階の空間は禅寺の様式で金を張っていない落ち着いた空間であり、もちろん最高の風景が見られるようにつくってあるのだから。足利義満の視点はやはり中に入らなくてはわからない。

 しかし、歴史的建築で、中に入ってしかも美しい朝夕の様子を見ることができる建築はほとんどないのだから、本当のよさを感じることは非常に難しい。
 ***********
 インド・ウダイプールに話を戻そう。
 
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                               (レイクパレス備え付けの絵葉書より引用)
 レイクパレスでは、特別な時には、花火も上がる。そのときにはまさに着飾った貴婦人のように変身する。個人的には上の写真くらいで充分だが、これはこれで美しい。

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by miriyun | 2007-06-19 07:02 | インド | Comments(2)

シティパレスとレイクパレス…レイクパレス(12)

レイクパレスの船着場から本城シティ・パレスを見る。 

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マハラーナー ウダイ・シンが建てさせ、歴代のマハラーナーもまたここを増築・改築を重ねていった壮観な城が目の前にある。

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 レイクパレスは2階建て、それに対して岸辺のシティ・パレスは5階建て。レイクパレスの屋上から見るとそそり立つ壁のようである。

 レイクパレスの部屋はそれぞれ外に向かって湖を見渡す。しかし、この本城に向かい合った部屋になったお客はそそり立つ壁に驚き、がっかりするという。

 ところが・・・

 夜になるとその印象は一変する。ウダイプールの町とシティパレスに灯がともり、素晴らしい光のページェントとなるのだという。

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★もちろん、逆にシティ・パレスのほうから、このレイクパレスを眼科に見下ろすことができる。シティ・パレスは今でもマハラーナーが住んでいる。その居住区と一般公開している博物館になっている部分・レセプションや大宴会も行うホテル業を営むところに分かれている。
 一般にはその博物館として公開されているところを見てまわる。それぞれの窓や透かし彫りの格子からレイクパレスを見ることができる。

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 観光できている人がたくさんいる中で、気力なく撮るとこんな感じになる。

 しかし、圧巻はなんといっても湖ごと染まっていく夕景だろう。
 初めての方はこちらをどうぞ

レイクパレス・夕景
これは、腰をすえて撮ったお気に入りの一点である。それにしても、建物があるという財産より、美しいものが見えるということはすごい財産だと思う。
 日本でもようやく街によっては景観重視のための建築制限もでてくるようになったが、実はとても大事なことだと思わされる。

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by miriyun | 2007-06-17 23:58 | インド | Comments(2)

島の宮殿を眺める…レイクパレス(11)

 ようやくExciteのメンテナンスが行われ、動くようになりました。思うように写真も映らない中、それでも多くの方が訪ねてくださったようで、ありがとうございました。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・

 ピチョーラ湖の中の島は主なもので3つある。その一つであるジャグ・マンディル島を同じく島にあるレイクパレスから眺めて見よう。
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 プールの向こうに装飾アーチが連なり、その先に島の宮殿が見える。

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 屋根つきのあずまやでは、真夏の酷暑の中でも日差しを避けながら湖をわたる涼風を感じられる。そこでマサラ・ティーなぞ味わいながら、シャー・ジャハンも滞在したという島の宮殿を眺めれば誰でもロマンチストになってしまいそう・・・。

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 そのあずまやを、二階の透かし彫りの手すりから眺める。島から島へとわたってくる鳥たちにとってもここは天国のようなところだろう。

レイクパレスは1700年代半ばこの地域のマハラーナー(マハラジャよりさらに上の尊称)によってつくられた夏用の宮殿だ。この宮殿からは、山の宮殿モンスーンパレス、島の宮殿、そして今後紹介予定の陸の本城シティ・パレスのすべてを眺めることができる。しかも間には湖の水があるがために、どこから見ても絵のようであるし、また、いかに眺めるかを計算しつくしているように思う。
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by miriyun | 2007-06-15 14:57 | インド | Comments(4)