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カテゴリ:イスラーム全般( 13 )


2007年 04月 22日

キブラを表す矢印

 ★クイズ★
 ムスリム以外のためのイスラーム理解クイズです。
いったいこれは何でしょう?何のためにあるのでしょう。

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        ↑ ① ヨルダンにて
 イスラームの国々でホテルなど公共のところに行くとこのような額に入っていることもある。
しかし、一般的なのはシールになっているものだ。
 ◆では、いろいろな国のものを見てみよう。形や色や文字が異なっても、目的はすべて一緒なのだ。
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      ↑② シリア 部屋の角のところにあったが、ちょっとピントがあっていないのはご勘弁を!。
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             ↑③チュニス アブナワスチュニスホテル

≪ヒント≫ 文字が書いてある。ムスリム・ムスリマの旅人には必需品。毎日必要なので、旅先必需品と呼ぼうか。ただし、これは自分の家には必要ない。
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                   ↑④  イエメン
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             ↑⑤   ヨルダン モ-ベンピックペトラの引き出しの中
 絵だけ見ても判断できるようになっている。

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                  ↑⑥   イエメン  ここからは英文も表記されている。
 昔はキャラバンサライにも、これに近いものをおいたであろう。                  
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                        ↑⑦ イエメン

 以上7枚の異なる表記であるが、答えは次のようになる。

≪答≫ いずれも祈りの方向(キブラを表記している。つまり、キブラシールといってよいだろう。

 イスラームに於ける祈りの向きは最初聖地であるアルクッズ(エルサレム)に定めていたが、ムハンマドはある理由からマッカ(メッカ)に変更した。以後マッカへ向かっていのるようになり、モスクはもちろん、祈る方向をミフラーブとして壁をうがち、各家でも祈る部屋と方向を定めている。
 そのマッカの方角をキブラといって表現しているのがこのシールなのだ。ホテルにとって小さいが必要不可欠であり、ムスリムにとっては大事な情報なのだ。
 なお、絵はマッカのカーバ神殿。文字は①はキブラーフだけだが、②jからは定冠詞アルがついている。さらに③からは方向をあらわす語句も入って表現している。

 こうしてムスリムは、部屋で方向を間違えることなくゆっくりと祈ることができるのだ。

 ☆したがって、①の額の絵や文字が曲がっていると感じても、親切にもまっすぐにしてあげようなどと思ってはいけないわけなのだ。 親切な皆さん、ご注意を!!


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by miriyun | 2007-04-22 14:50 | イスラーム全般 | Comments(8)
2007年 04月 15日

第500話 お茶の話

 いつの間にやら今日で500話になりました。文を書くのは不得手ですが、写真に助けられて、イスラーム諸地域の素敵な人々・優れた文化・美しい自然・日本との関連などを書き綴ってきました。これだけ続けてこられたのは、読んでくださっている皆様の応援あってこそと感謝しております。

 イスラームのお話『アリフ・ライラ・ワ・ライラ(千一夜物語)』にちなんで、1001話まで書けたら嬉しいなと思っています。シェヘラザードのように上手な話し手ではありませんが、あちらこちらのイスラームの話題を続けていきますのでよろしくお願いいたします。

~☆~~☆~~☆~~☆~~☆~~☆ お茶の話 ☆~~☆~~☆~~☆~~☆~~☆~ 
  イスラームでは基本的にお酒は飲まない。そのためかお茶やコーヒーを知り合いと共におしゃべりしながら、ゆっくりと何杯も楽しむ。仕事の合間の休憩にもお茶は必需品。かといって日本のようにコンビニでペットボトルや缶入りのお茶を買うわけではない。都市の中心ならともかく、農村部や砂漠ではどうしているのだろう。

☆チュニジア・・・どこでもお茶 
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                              ↑チュニジア スベイトラ遺跡にて
 このスベイトラ遺跡の庭師の人たちはこのような炭と急須と水を持っていて、仕事の合間にお茶を沸かして飲んでいた。「ちょっと飲んでいきな」とご相伴にあずかった。広大な遺跡歩きで干からびはじめた身体に、お砂糖たっぷりのその甘みがとても自然に感じられた。

 また、さらに砂漠で野営の時にベドウィン持参のお茶道具もこれだった。
自然の中で、満点の星を見ながらゆったりシャーイを楽しむ。至福のティータイムをこのお茶道具が作り出す。

☆ペルシア風お茶の「つきもの」 
 お砂糖といえば、ペルシアにもお砂糖は”つき物”。文字のとおり”つき物”であって、お茶とは別に角砂糖がつけられてくる。
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ペルシアのお茶のいただき方
 角砂糖・・・といっても日本のほど大きくもない。また、かならずしも 完全な立方体とも限らない。そして何よりも固い!何故固いのかというと、この砂糖を口に含みその上に砂糖なしのお茶を飲む。固い砂糖は日本のようにすぐには型崩れしないのでゆっくりと溶けて口に甘みが広がるのを楽しみながらお茶を楽しむのだ。
 
 慣れると癖になる飲み方で、この固いペルシア風角砂糖を見つけるとついつい買い込んでしまう。味も日本のほどきつい甘さでなくて、この砂糖だけでも口に含んで楽しむことがあるくらいだ。

☆ 各地のお茶
イスラームといえどお茶の種類も入れるものもは様々だ。
◆中央アジア・・・シルクロードのどの地域にもチャイハナと呼ばれる茶店があり、誰もがゆったりとお茶を飲んでいる。旅人が来れば飲んでいきなさいと誘う。
 シルクロードのお茶は紅茶のところと緑茶のところがあった。地域にもよるだろうが、緑茶に砂糖を入れているところもあり、常識と思っていたことが覆された思いだった。
◆マサラ・ティー・・・インド。紅茶をミルクに煮出してカルダモン、シナモンなどの香辛料と砂糖をたっぷりと入れて楽しむ。カレーにはこれが何と行っても最高!
◆松の実シャーイ・・・チュニジアの一部の店の代表的な飲み物として売れている、松の実を浮かして、香辛料とたっぷりな砂糖の味で楽しむにごりのあるお茶・・・本当においしい。忘れられない味!
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◆アップルティー・・・トルコ。船に乗っても、バスに乗っても、お店に寄ってもまずはお茶をと出されるのがお茶。アップルティーがとくに多いような気がするが、種類は数知れず。珍しいところでは菩提樹ティーがあった。

☆ お茶と砂糖 
 イスラーム諸地域で、お茶を楽しむときに必需品はといえば、やはり砂糖だ。砂糖なしのお茶など考えられないだろう。
 こんな話を読んだことがある。トルコで地震が起きた際、救援物資を世界各地から運び入れる。当然、テント・医療品派もちろんだが、希望に応じて小麦などの食糧も運び込まれる。ところが非イスラームの国の人たちは、山と積んだ砂糖を見て、「なんで、こんなに砂糖がいるんだ?」という疑問が持ち上がったという。(月間雑誌JICAより引用)

 お茶にドプドプッと砂糖を入れ、一日に何杯も飲む習慣を知らない人たちには大きな疑問であったという。もちろんイスラームの国々はそんな疑問を持たなかったはずだ。

☆お茶のカップも様々 
 都市生活ならともかく移動の激しい生活では陶器は少ない。以前なら金属・今ならガラスというところが多い。
◆モロッコ・・・色ガラスのカップ&銀のポット・銀の砂糖入れ
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最後に美しいティカップ&ソーサーを紹介しよう。
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↑色ガラスのとってのついた美しいガラスと銀製のカップ (バハレーン) 
 受け皿部分も丁寧に打ち出し模様が入っていて、柔らかな輝き方をする。

 ★ヨーロッパのティーセットとは異なるが、それとは別の非常に美しいティーセットをつくり出す文化がここにある。
 そして、お茶をじっくりと楽しむ人々の生活がイスラームにはある。

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by miriyun | 2007-04-15 17:10 | イスラーム全般 | Comments(8)
2007年 01月 20日

様々な女性の服装と変化

 ★イスラームの中でのヒジャーブについてはどういうことにもとづくのか?
預言者ムハンマドによって美しいものをあえて見せるなということは言っている。がそれがどこまでを言うのかは地域によってとらえ方が異なるようだ。

 イスラームではヒジャーブ・アバヤを使うには宗教的な理由のほかに、厳しい自然環境もある。男女ともに紫外線と乾燥した風・砂をよけるに布は必需品だ。実際中東やサハラを歩くとこれらの布が如何に便利かを感じさせられる。

 そして、もう一つ歴史・地理的要因もあるのではないだろうか。大きな視点としては島国の日本と異なり地続きで長い歴史の中で東や西の異民族の来襲や国々の興亡、個人の視点としてもキャラバンや遊牧で留守することの多い中で、女性たちをできるだけ隠すという考え方があったのではないだろうか。

 もちろん、地域によって要因は異なるだろう。
 だからはっきり言って語りつくせるものではない。そもそも服装なんてものはみな異なるのだし、日本の服装についてだって、とても語ることなんてできない。日本では洋装がほとんどだが着物を着るときもあると言う程度のおおざっぱな解説と思っていただければと思う。

①国が違えば服装も異なる
◆湾岸諸国(サウジアラビア・カタール・クウェート・UAE・イエメン・オマーンなど)は、ほぼ全身を覆うアバヤまたは黒のドレスにきっちりとしたヒジャーブ姿。そして前出のように男性の前では目だけ見える、あるいは目も見えない・・・というかなり厳格な場合が多い。
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◆チュニジア・・・都市部は洋風の生活になっている。農村部は昔ながらの伝統的にすっぽり被る場合があるが色は白。
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②トルコ・・・政教分離以後、服装もヒジャーブもアバヤ(トルコ語ではなんと言うのだろう?)も、強く言われることがなくなり、柔らかなイスラームということですすんできている。しかし宗教界の巻き返しから、以前よりヒジャーブ姿は増えている。


③同じ民族でも異なる。
パレスチナ・・・伝統的生活を重視もするが、生活に応じて適応力も強い。生活面ではコミュニティがしっかりしておりよく助け合い、長老を大事にしている。服装は各個人の判断に任されているのか子どもも大人も自分で選択しているようだ。だから、仕事によってヒジャーブを被らない場合もよく見かけるが、信仰心が篤い・薄いとは関係しない。ヨルダンのラニア妃もヒジャーブを被らない。しかしお年寄りを見舞ったりする時には被っていたりする。
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④宗派でも異なる
イスラームもいろいろだ。ある宗派はヒジャーブで髪をかくさない。だから、キリスト教地域に住んでいてもわからない。

⑤時代とともに変化も。
 買い物にもほとんど男性が行って、女性一人ではまず出かけないというサウジアラビアでは上から下まで真っ黒なのが普通だ。しかし、それも変化はでてきている。
 ヒジャーブやアバヤはそれをやりたいから身に付けるのであって、顔をみせることもそれぞれの判断であると言っている詩人がいる。彼女自身は顔をみせることを日常としている。そして、サウジアラビア人も変化してきていると・・・。
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詩人 ニマー イスマイル ナウワブさん。
 彼女の衣装の袖に注目アラビア文字をデザイン化したアラブ服であり、伝統と新しい生活と女性の生き方を示した彼女にふさわしくよく似合っていた。

 思うがままに服装についてあらわしてみたが、これらは広いイスラームのほんの一端であることをご承知おきいただきたい。

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by miriyun | 2007-01-20 12:24 | イスラーム全般 | Comments(6)
2007年 01月 19日

ヒジャーブに似たる被り物

 イスラーム諸地域でのヒジャーブやアバヤを被る習慣を不思議に思う日本人は多いが、日本の中でもそれに似たものはある。

★日本で見かける被り物
1)日本では、出家得度して尼になるとどうするか?本来、584年に初めて尼になった善信尼から現在の瀬戸内寂聴さんまで剃髪してしまえばそのすがたのままである。しかし、中世以来貴族や身分の高い人を中心に、夫がなくなると肩のあたりで髪を切り、ゆったりした白絹で髪を覆うということをしていた。

 最近、またよくTVや映画で登場し始めた江戸時代の大奥の話では、桂昌院とか天璋院とか呼ばれるようになった人の姿もそうである。
 尼将軍としてけん制をふるった北条政子もまたしかりである。

2)キリスト教修道院の修道女は必ず被っている布・・・あれを何と呼ぶのか知らないが、年齢に関わらず被っているものだ。
 マザーテレサの姿を思い起こしてもらえればいい。
 映画「サウンド・オブ・ミュージック」では、実在の主人公マリアは修道女としての見習いであるが被り物を外しては歌を歌って、叱られていた。

3)青年海外協力隊員の話・・・かんちゃん日記より引用
  日本の動画の中で東北地方の農村の女性を見たシリア人が「な~んだ、日本にもムスリマがいっぱいいるじゃないか」と言われた。
 何かと思ったら、農村の女性たちが農作業する際、風呂敷?などで髪を隠していることを言っていたというのだ。

4)スカーフそのものは、日本でははやっていた時もあれば被ることはせずアクセントとして使うときもある。

5)時代劇を見ていると、頭巾を被って目だけ出している姿がある。顔を見られては困る身分を隠したいご家老であったりするが、これも江戸時代にはさほど不思議なものではなかった。

6) 御高祖頭巾で首の周りまできっちりと小豆色や紺色でまいた頭巾などを見るとヨルダンのヒジャーブのまき方を思い出してしまう。
 津和野踊りにでてくる男性の黒い御高祖頭巾の上から白鉢巻といういでたちはパレスチナのデモ行進の中でよく見るような姿とちょっと似ている。

◆ 案外、湿気の強い日本でも被り物の例はあるものだと書きながら思った。修道女は明らかに異なるがそれ以外は、イスラームから見るとムスリマがいると見えるのかもしれない。
 いずれにしても被り物というのはどこの国でも多かれ少なかれあるものだ。


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by miriyun | 2007-01-19 09:40 | イスラーム全般 | Comments(0)
2007年 01月 18日

ヒジャーブとロングコート

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←ペルセポリスで出合った女学生。茶色のコートの人もいたが、この黒のそろいの人が最も多い。バッグも黒のショルダーバッグを肩にかけている場合が多い。

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                                  女学校の先生 →
子どもも含めて、思ったより多くサングラスをかけている人がいた。サングラスの眼の奥にある目がしっかりとこちらを見すえている。


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ペルセポリスでであった母子。グレーのコートがよくにあっている。真夏なのに涼しげに着こなしている。
 イランではこのようなコートにヒジャーブ、それもイランならではの被り方をしたり、普通にスカーフ風にまいたりしている。

★日本人が旅に行く場合は長ズボンかロングスカートに腰まで隠れるコートや上着にスカーフが定番。要は髪と体の線が隠せればいいということだ。
 航空機でイラン上空に入るともうその格好になることを指示される場合が多い。

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by miriyun | 2007-01-18 22:15 | イスラーム全般 | Comments(0)
2007年 01月 16日

ヒジャーブのいろいろ

 頭に被るヒジャーブにはもちろんいろいろな色・柄があるのだが、中近東・アフリカでは、やはり一番多いのが黒、次に白だろう。
 では、まず白のヒジャーブから。
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左:シリア・・・白のヒジャーブがよく似合う笑顔が素敵な人。
中央:トルコ・・・警察官の奥さん。年齢によってもまき方が異なる。
右:ヨルダン・・・顔のまわりをきっちりとまいているのが特色。理知的な雰囲気

次に模様入りや黒のヒジャーブ

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左:シリア・・・スカーフ型にしてまきつけている。
中央:カタル・・・薄手のヒジャーブを顔のまわりにまきつけている。
右:シリアのモスクで出合った母娘・・・やはり若い娘は白であることが多い。


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by miriyun | 2007-01-16 22:52 | イスラーム全般 | Comments(2)
2007年 01月 06日

手のひら&手の甲のヘンナ染め

★ なぜ、ヘンナ染めをするのだろうか・素朴な疑問が生じてくる。

① 髪染め、白髪染め、トルコの店の主人も髪やひげを染めるんだとトルコ語とジェスチャーで教えてくれた。

② 二つめは薬効があると考えられていることと関係ある。
殺菌効果や消炎効果をもち、やけど切り傷・打撲・皮膚の炎症に塗る。また暑い地域では体温を下げる効果により涼しく感じるという効果もあるそうだ。

③ ファッション
 天然成分で身体に無害であること。そしてアートを手足に簡単に施すことができ、約二週間で消える。
もっと長く持たせたり、色鮮やかにしたい場合どうするのか?
                     ↓
☆ 「ヒンズー語ではありません」のek-japaniさんからいただいた情報
インドとかでは肌の上に塗った後ライムの絞り汁を垂らしてペーストの湿った状態を2~3時間はキープするのだとか。なんでも、自然乾燥ですぐ落としてしまった場合よりも模様が断然くっきり鮮明に出てくるらしいです。

                     ↓
         う~ん、なるほど!なぜライムとかを用意するのか謎が解けた。

④ 幸運をもたらすということで祝事にはよく使われる。花に芳香があることや赤い色・薬効からも縁起物として考えられているのだろう。
「トルコ~スパイシーライフ」のyokocanさんからいただいたトルコ情報・・・トルコの女性にとっては、とっても縁の深いものですね。結婚式前夜の『クナ・ゲジェシ』という、手のひらにヘンナを染めつける儀式や、毛染め剤として使ったり。

                   ↓
               おぉ~っ、トルコの結婚式情報が嬉しい!            
*クナ・ゲジェシとは何か。
KINA GECESI と書く。ここで、KINAに注目!これは見覚えがある。KINAはヘンナのトルコ語、そしてGECESIは夜の意味。したがって「ヘンナの夜」という意味だ。結婚式前夜くなに女性たちが集まり、花嫁の手のひらを染めたり、指先を染めたりする。

★では、宗教の影響はどうなのだろうか。

*インドではヒンディーの神が好むものという考え方もありしっかりと手や足にていねいに模様を入れる。

*イスラームにおいてはどうだろうか?
使い方などはインドと全く同じような使い方をする。ただし、ひとつ異なることがあるようにおもう。
それは手のひらと手の甲では染め方が異なることだ。
 
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  ↑ 手にヘンナアートをすることが最も多いが、手の甲には好みのアラベスクや護符、花模様などをかたどり美しく装う。
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  ↑ 手のひらについては、模様を付けている人も全くいないわけではないが、主に手のひらをべったり濃く塗りつぶしたような染め方が多い。

 *これはなぜだろう。

 イスラームに見られるということは、なにか宗教と関係するのだろうか?

例えば、
 手のひらをキブラに向ける祈りの姿勢タクビールがある。神の言葉に耳をかたむけるという意味で、両手のひらを耳の脇で前方に向かって開く。こういったときに具象をさけて、あえて絵を描かないのかも知れない。

 イスラームといっても東南アジア・中国から北アフリカまで広いのですべて一概にいうことはできない。だが、このように手の甲と手のひらで染め方を変えているところは確かにあるのだし、何らかの理由があるはずだと思っている。

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by miriyun | 2007-01-06 23:45 | イスラーム全般 | Comments(4)
2007年 01月 05日

世界あちこちヘンナの使い方

 ヘンナはミソハギ科の低木で、インド~アフリカまでの乾燥地に自生するし畑で栽培もする。
 また、家の中や垣根代わりにしていれば、使いたいときにちょっとつまんで持ってきて使うことのできる。葉に含まれる色素と花の芳香が好まれる。
 ヘンナはアラビア語ではヒンナ(ァ)
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 ヘンナは古代エジプト文明のときから使われている。ヘブライ語ではコフェルにあたる。そして、キプロス島のキプロスはコフェルを由来とする。

 ★前出のトルコの店に山積みだったものがヘンナの葉を細かく砕いて粉末にしたものだ。天然色素であり、手足の爪や甲、手のひら、腕、髪の毛、髭を染める。また、染料であるから布や糸を染めることにも使われる。

1、日本
 日本は低温多雨のため、温室でないとヘンナを栽培できない。
 
 日本ではツリフネソウ科のホウセンカが「爪紅(つまくれない)」「指甲花」とよばれ、爪を染めたりするのに使われていたという。もちろん、これとヘンナは異なるし、日本のミソハギという花が大きい植物とも異なる。
 つまり染めるということについて何らかの植物は使っていたが、いわゆるヘンナはなかったということだ。 

2、カタール
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              ↑カタールの伝統文化としてのヘンナアート
 搾り出し袋に入れたヘンナを様々な文様にして搾り出す。いくつものパターンが頭の中に入っているのだろう。求めに応じていろいろな模様がえがかれる。なお、もとは緑のこの粉も水で練って黒っぽい色になる。

 ・これまで見てきたのは、すべてこの搾り出し袋でのアートだったが、モロッコでは注射器型が主流らしい。確かに、銀粘土細工を注射器でやっているのを見ていると、ヘンナで細かな模様を描き出すには、それもありかなとは思う。だが風情には欠けるかも・・・。


3.インド
 インドは大量にヘンナを使う国だ。漫画家の流水りんこ氏が著書「インドな日々」で、結婚式前のヘンナ描きが手足合わせて3時間に及んだと書いている。インドのヘンナは細かな模様が細かくびっしりと描かれるのだ。
 しかも両手・両足に施してしまうとトイレにも行かずに乾くまで待たなければならない。

 ちなみにこのヘンナというものは肌の上にのせれば当然人肌でじわじわと水分が蒸発していく。そして完全に乾いて土くれ状態になると自然に滑落していく。そうしたら出来上がり!なのだが、わずかな模様で30分、りんこ氏のように盛大に花嫁飾りをすると3時間は動けないという。つまり、あわせて6時間の苦行になる。

4.U.A.E.
 ヘンナをしてくれる人の腕のよしあしはやはりあるもので、慣れていない人がやると何の模様かわからなくなるし、たとえ泥のようになったヘンナを絞り袋でおいていっても、うまい人の場合はそのおいた状態がすでにきりっとしている。
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                ↑ 
   ヘンナの達人。迷いなくサッサッとやりながら、しっかりした文様を描き出す。
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                ↑
   足にも花の文様。描き終ったばかりのヘンナがのった状態
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                ↑
  一週間経過すると、さすがに色が薄れてくる。(入浴好きの日本人はとくに消えやすい)
なお、色合いは100パーセントヘンナであるか、混ぜものがあるか?温度、体温などに影響され、赤茶・栗色・黒などだいぶ差がある。また、汗をかくような掌のようなところのほうがより発色がよいといわれている。

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by miriyun | 2007-01-05 12:45 | イスラーム全般 | Comments(10)
2006年 12月 29日

◆続・イスラーム暦と新月

イスラームの暦の目視・実測について。

 実は筆者は月の動き・天体をロマンを持ってみるのは好きだが、知識は全然である。そこで、言葉としては新月と知っていても何が新月で、イスラームではラマダーンや犠牲祭に当たっては観測するというが、いつどこの方向を見てどういう状態を見るのちっともかわからない。

 そこで、こよみのページのかわうそさんに伺ったら、すごくわかりやすく説明してくださった。天文学がわかる方がいらっしゃるとほんとうにありがたい。
 とても分かりやすい説明だったのでまとめさせていただく。

★新月の目視について
1、『新月』とは・・・。
「月は太陽の光を反射して光っている訳ですが、新月の場合は、太陽の光を受けていない部分(影の部分)を地球に向けた状態ですので、通常は見ることが出来ません。
これが見える場合としては、「日食」を起こすとき。つまり、新月が太陽を隠すことによって始めて、「あ、月があるんだな」と解る訳です。」 


2.では、新月を観測するというイスラームでは何も見えないということを見ていることになってしまうが、実際は何を見ているんだろうか?
 「イスラームにおける新月とは天文学で言う新月の後の、「初見の月」の意味です。日本風に言えば大体「二日月」と呼ばれる頃の月と言えます。」  
                        ↓
ほ~っ、そうなんだ、天文学上の新月は見えないものだから、イスラームの新月を観測というのはその後のかすかに見える月を探すということなのですね。

3、では、実際はどの方向にどんな形で見えるものなんだろう。
「この状態の月は、太陽が沈んだ直後に西の空の低空に細く輝いている状態で見えます(細い月なので、「繊月」なんて呼び名もあります)。このとき光っている側はどちらを向いているかというと、概ね「下向き」です。右か左かと言う話をすれば、日本など北半球では大体、真下よりやや右側の部分が光って見えます。天文学的な新月の瞬間から15時間以上経過していれば、肉眼で細い月を見つけることが可能となるそうです。」(以上、「 」内はかわうそさんの解説から許可を得て引用させていただいた) 


★こんな風に見つめるのだが、実際各国では、月を見つめてその月の始まりを告げる担当者がいるのだろう。あるいは気象庁のように国の機関にその仕事が割り振ってあるのかもしれない。
 いずれにしても、月の満ち欠けを目視で行うのであるから、実際はたくさんの要素が関係してくる。気象や砂の舞い上がりぐあいといった自然に関するものから、観察者の目の健康状態や宗派による考え方の違い、時には国としてどこの国に揃えようとか、別の日にしたいという極めて人為的なものまで、影響する余地がある。
 したがって、国によって1日、時に2日異なることがあるのは毎回当たり前のことであり、それが不合理とは言わない。日本ならどうして同じでないのか、同じにそろえてしまおうとなってしまうと思うのだがムスリムの世界では異なるものは異なるままでよしとしている。
 
★ だから、天文学的に言って、来年のラマダーンは何日というのはわかっている。例えば、
*ラマダーンの場合、
2006年 9月24日
2007年 9月13日
2008年 9月2日
2009年 8月22日
2010年 8月11日
           となるだろう。(・・・実は11日ずつ引いているだけ)
 そうすると、ラマダーンはずんずん真夏に近づいているわけで、その頃に日本とイスラーム諸国で共同プロジェクトを打ち立てても、順調に仕事が進まないことは目に見えている。食べていない・飲んでいない(オォーッ、真夏に水がないということは想像するのも恐ろしい)状態では仕方がない。ましてや、会食をしながらあるいはお茶を飲みながら打ち合わせをなどといっても、ムスリムが何も手を付けられないところでの話は落ち着かないし、気が引けてしまう。

 こういうことは、仕事の上から言っても早く知っておきたいものだ。しかし、実際は目視が重視されるので、旅行者のパンフレットや大使館のHPなどにも、「おそらく~日あたりでラマダーン」という書き方になっているのだ。実際にはその国、あるいは地域でも異なることがある。1日・2日は違いのうちではないというくらいの気持ちでいるとちょうどよい。

◆ 今年のイード・アルアドハーは、30あるいは31と言われ、年末からだが、西暦の新年にもかかる。お祝いが重なるというイメージになるのか、関係ないのか?西暦の新年のとらえ方は国により様々のようだ。

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by miriyun | 2006-12-29 14:28 | イスラーム全般 | Comments(2)
2006年 07月 14日

モスクランプの並びが美しい

 モスクのつくりの中に偶像はもちろんない。その代わりに大理石の自然の色を用いた柱やモザイク、壁のカリグラフィー、タイルによる装飾がある。窓のマシュラビーヤ、キブラなどへのアラベスク、仰ぎ見て飽きないドームの装飾が異教徒さえもほ~っとため息をつかせるような空間を構成している。
 
 そして、その中にもう一つ、大ドームからつりさがるモスクランプも欠かすことのできないものである。ランプはもちろん暗い時のための実用に供するものだ。しかし、それ以外にも空間の広がりをよりいっそう感じさせる効果もある。

 エジプトのシタデル・・・サラディーン(サラーフッディーン)の造った城塞は、その後王朝・支配者が変わっても長くエジプトの政治の中心であった。そのシタデルの中でもとくに壮大なモスクがムハンマド・アリー・モスクで、そこのランプがとてもいい。

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 ★このやわらかい明かりとシャンデリアを中心にのびのびと円形に広がるランプの並びがとてもいい。落ち着いて座って見上げたくなる。ランプの柔らかな曲線もその雰囲気をつくっている。

 ★この建築はミナレットこそ2本であるが、ドームも柱も実に豪快である。後にトルコのモスクを見てからわかったのだが、このムハンマド・アリー・モスクをつくるにあたってトルコのモスクを手本とし、トルコの建築家を招いてつくらせていたのだ。

 では、なぜトルコ風建築としたのであろうか?マムルーク朝はエジプト様式のモスクを数多く建築しており、当然必要な建築家もエジプトにいたはずだ。

 ムハンマド・アリーはエジプト最後の王朝ムハンマド・アリー朝の創始者である。

 実は彼は、1801年のナポレオンのエジプト遠征の折に、オスマン朝によって傭兵将校としてエジプトの派遣された人物である。その混乱から市民の支持を受けてワーリー(総督)に任命され、オスマンはこれを追認した(在位1805~1848)。このようにもとよりトルコに雇われた人物であり、トルコの建築を知っていた人物であったから、このモスクだけがエジプトにありながらトルコ風なのだ。(生まれはマケドニアだが、民族はアルバニア人かともいわれるが明らかではない。)

 なおムハンマド・アリーは、文化面ではトルコを範としたが、灌漑設備と綿花栽培を奨励するなど殖産興業に努め、エジプトの近代化に貢献した王といわれる。

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by miriyun | 2006-07-14 10:20 | イスラーム全般 | Comments(10)