写真でイスラーム  

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カテゴリ:レバノン( 22 )


2009年 10月 25日

地形の不思議(4)

 レバノン山脈の間に
レバノン山脈とアンチレバノン山脈との間の巨大な溝がある。

 レバノンは中東の中でも小さく、ふつうの地図帳で見ればアラビア半島の北側にシリア・ヨルダン・パレスチナ自治区・イスラエルが固まっている一帯が見える。そこに国名・都市名が書き込まれると文字だらけになって国の形もわかりにくいほど密集しているので、大きな国ほどにはレバノンの形・位置などをきちんと把握できにくい。

 しかし、小さな国というイメージとは異なって、実はレバノン山脈を行き来すれば、このように神が台地を裂いたかと思わんばかりの地形や、山のありよう空の色など、幻想的な光景が次々と現れてくる。     
 
☆数々の創世の物語が耳元でささやかれたような気になった光景は2箇所ある。
 ヨルダンの王の道と、このレバノン山脈中の道からの光景だった。 

 
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 中央に巨大な溝があり、巨大な溝は両側に絶壁となっており、上下の行き来はとても困難だろう。

 それでも山のきわには、張り付くように家が立ち並ぶ。この辺の家は豪邸が多く、大きい家構え、りっぱん門、何台かの車を見かけることが多い。ここでは車がなければ買い物さえできないだろう。

 岩山の上から見る。川による侵食なのか、大地が裂けたのだろうか。大いに想像力が刺激される場所だ。
          ・・・(ちなみに地形の不思議(3)で紹介した写真は、この渓谷の右側から見た図である。)

 がけの左側には小高い丘があり、その上には変わった岩が見られる。


 林立する岩

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 この岩が石灰岩を多く含むものであれば水による侵食であり、そうでなければ火山活動とも関係するのだろう。いや、両方の可能性もある。すなわち火山活動で異なった地質の地層ができていき、そこが侵食される時に水に弱いところだけが侵食される可能性もあるからだ。

 アフリカからヨルダンにかけての大地溝帯の延長線上にあるので、ここは地溝帯の続きにあたる可能性が高いのではないかと思っている。
 
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by miriyun | 2009-10-25 09:49 | レバノン | Comments(0)
2009年 08月 14日

世界は踊る*レバノン

 レバノン北部トラブルス近郊。なにやら賑やかな音がしてきた。楽器や歓声が聞こえてくる。
近くの学校でなにやら真夏の行事をやっている。
 入口はチェックはあるものの、外来者もどうぞといわれ、なんの集まりかもわからぬまま、近隣の人たちとともに入っていった。

 校庭にステージがしつらえられてそこで子どもたちの朗読や、踊りをやっていた。もうそろそろ終わるというところだったが、かろうじていくつか見ることができた。
 
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 にわか仕込みの踊りだったらしく、少女達の視線の先を見たら、前列の端で、女性の先生が動きをやってみせていた。

 それでも、踊りは楽しく気持ちは華やぐ。
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 二色の布と思いきや、よくよく見ると青と白と銀色の三色の布で編みこみをして外側のヒジャーブ(スカーフ)をきっちりとおさえている。内側のピンクのヒジャーブとドレスは同じ色で可愛らしい。
 二重にヒジャーブ(ヘジャブ)を巻くのは今はやりだが、無限の組み合わせがあり、そういう意味でこれも参考になる巻き方である。

 先生の動きを追う瞳と、先生の一生懸命な大きなふりがほほえましかった。

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by miriyun | 2009-08-14 06:38 | レバノン | Comments(2)
2009年 07月 16日

ベイルートの出会い

1.キリマンジャロ 

 先日、TV番組「世界の果てまでいってQ~」という番組で、珍獣ハンター・イモトアヤコが、キリマンジャロに登頂した様子を放映していた。
 この中でキリマンジャロに登山の援助のガイド・ポーター数人やTV局スタッフ・カメラマンなどの一大パーティを組んで登頂した。番組のディレクターやベテランの登山ガイドまで高山病で倒れてしまった。その中で、女性芸人イモトが酸素吸入もしながらも登頂しきったのはたいしたものだった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

◆これを見ながら、あるバックパッカー氏のことを思い出していた。

 キリマンジャロは5896mのアフリカの最高峰であり、特別な登山技術はいらないといわれてはいるが容易ならざる高さではある。5日間に渡って歩き続ける体力と高山病に負けない力が必要なのである。

 彼はこのバッグパッカーの長い旅の途中でケニアに立ち寄った時に、キリマンジャロにあっさりと登頂してしまった。もちろん、地元の登山ガイドとともに登山したのだが、この時も地元のガイドが高山病でダウンしてしまい、最後は自分だけで登ったのだという。頂上からは雲海を見下ろし、雲の上に来たという感慨は素晴らしかったという。

 高山病にはならなかったという。体質なのか、アンデスの高地をじっくり廻ってきた結果なのかどうかわからない。
 地元ガイドより強いバッグパッカーと、とても印象に残ったのだった。赤銅色にやけた身体で、ほとんど荷物も持たずにひょうひょうと歩く。爽やかで礼儀正しい。

 そんな彼をKさんとよぼう。
Kさんとはベイルートで出合った。


2.ベイルートの出会い 
 
 ある夏のこと、私はダマスカスからの路線バスを乗り継いで、ようやくベイルートにつき、目指すホテルに入った。T.ジャイーダというホテルだ。ここは早くからホームページをもっていたので予約を早めにしておいた。
 宿の主人がいる3階の狭い一角が受付になっていて、イスが壁に沿っていくつか置かれ、チェックインするもの、PCを借りるもの、など行き来している。

 チェックインを待っていると、時を経ずして自分のすぐあとにやってきた若者がいた。近くにシャール・ヘロウ・バスセンターがあるため、各地からのバスが着く地域なのだ。彼は、予約なしできたので個室は空いていなかった。3$のルーフトップなら空いているとのことでそこに宿泊した。

彼、Kさんは同じシリアからだが、北のホムスからレバノン入りしたという。あす、どこに行こうかと、互いに宿泊者が書き残した情報ノートを見ていた。

 長くバックパッカーをしてきた彼は、バールベクに行くべきかどうか迷っていた。自分はジェイダとナハル・エル・カルブにいくつもリだったので方面は同じ方向だということで、共に検討し始め、ローマ遺跡はたくさん見てきたというのでジェイダ方面へ一緒にいくことになった。

 そのため、ひょんな出会いから、バックパッカーの若者とにわかバックパッカーの自分という世代の差が激しい凸凹コンビで見知らぬ土地に出かけた。自分にとっては頼もしい限りである。
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                                                 ↑ 地中海を望むナハル・エル・カルブにて

 同じシリアから来たということから話し始めたのだったが、よくよく聞いてみると実にいい旅をしている。

 そもそもが、ニューヨークに渡りファッション・マーケティングを大学で学んでいた。
それを生かすためにヨーロッパ方面で仕事に就くつもりでいるのだが、その前に卒業旅行に出たという。   

 ニューヨークから陸路南米8カ国を回った。
そして南アフリカ共和国からナミビアなどアフリカの東側を通りながら旅を続け、ケニア・エチオピア・スーダン・スーダン・エジプトと北上し、さらにヨルダン・シリア・レバノンと回ってきたという。
 この後の予定を聞くと、再度シリアのラタキアに入り、トルコに行く。その後シルクロードからインド・チベットと行きたいという。ヨーロッパは仕事に就いてからいくから今は行かないという。
 ここまでで一年ぐらいの旅になる。リュック1個に寝袋一つというたびである。旅をすでに数ヶ月も続けている。しかもその間に航空機を使ったのは一回だけということになる。 アルゼンチンから南アフリカへは航空機でなければいかれない。

 そしてその他は確かに陸路で行くことができる。ふだん日本から一歩でも出るには航空機が絶対に必要であるわけだからどんなに短い旅でもたびたび航空機を使うものだと思っていたので、数ヶ月で一回だけ航空機を使ったというのは不思議に感じた。

*長く旅をしていながら、旅にだれたり、通った国の数だけを誇り、何も見ていないような旅人ではなかった。もともとの独立心があったからこその留学であったのだろうし、旅をしているのも学生から社会人になる前の自分に課した旅であり、見るべき世界を見てやろうという気概があるせいだろうか。

              ☆世代は違えども、気持ちよくさっぱりとした若者だった。
                    ☆同じ物を見て語り合える深みのある若者であった。
                          ☆一人旅だからこそ、めぐり合えた頼もしい日本の若者であった。

 そんなKさんもいまはもうびしっとスーツを着こなして、世界を舞台に仕事をしているのだろうなと感慨深い。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*いまや、海外雄飛も夢見もしない、こじんまりとした自分の周辺しかみない若者が増えているという。
 一時代を築いた明治の若者、戦後の若者、そして比較的最近まで積極的に歩いていた人たちは、それをとても残念なことと思うだろう。

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by miriyun | 2009-07-16 23:12 | レバノン | Comments(0)
2007年 10月 17日

世界は踊る1…民族の心

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  パレスチナの子供たちが踊る、踊る
    
   踊りの中に
        泉の水
           畑に羊
              穏やかな村の生活
   ――本来あったはずの故郷が表現される     

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by miriyun | 2007-10-17 23:20 | レバノン | Comments(4)
2007年 09月 14日

地形の不思議(3)

 
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 レバノン山脈とアンチレバノン山脈も南北に平行して連なっている。その間には大地が切り裂かれたかのように細くて深い溝が存在する。
(この溝の向こう側に見える隣人の家に行くにはクルマで何十分かかけて回り込んでいかなければならない。すごいところに家があるものだが、これらの家は門や壁も大掛かりな豪邸だった。)

 アフリカを南北に連なる大地溝帯(グレート・リフト・バレー)はジブチから紅海を通り、ヨルダン地溝帯であるヨルダン渓谷へとつながっている。

 地溝帯は溝であるからそこには川も流れる。それがヨルダン川であり、死海はー418mの世界1の深さであり、ティベリア湖(ガリラヤ湖ともいう)はー209mという深さである。また、世界3番目に深いアッサル湖(-153m)はジブチにあり、世界の中で深さ1~3位がすべてこの一連の地溝帯にあるということになる。

 この地溝帯はヨルダン渓谷でふっと消えているわけではなく、山がちなレバノンの中にも深く食い入っているように思える。調べてもレバノンから先の地溝帯についての明快な資料は得られなかった。しかし、地溝帯はトルコまで続いているという記載はある。

 ここも大地溝帯の延長線上にある可能性は十分であり、今後の研究が待たれる。ただし、多くはパレスチナ紛争地帯・昨年のレバノン戦争・イスラエル占領地帯をまたいでいるために物理的に調べることが難しい。また、旧約聖書に表される問題と絡むことがあるので多国間の共同研究ともできない難しさがありそうだ。

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by miriyun | 2007-09-14 07:12 | レバノン | Comments(4)
2007年 07月 08日

フィンガーシンバルおじいさん

おじいさんのフィンガー・シンバルが軽快なリズムを刻みだす。

 ここはレバノン。レバノンはとても平地が少ない。山をぐんぐん上りアンチレバノンの中腹の町まで出かけ食事をし音楽を楽しむ人々もいる。 
 
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淡々と打ち出したおじいさんの垣間見せる笑顔がとてもいい。
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 おじいさんのフィンガーシンバルの音が確かなリズムを刻み始めると、人々はそのリズムにまず聞き入り、音が激しくリズムを打ち出すと共に心も弾み、そしてついには踊りだす・・・。
 中東の暑い一夜のことだった。
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by miriyun | 2007-07-08 08:48 | レバノン | Comments(2)
2007年 05月 27日

難民と中東問題

 そもそもここまで、砲撃する必要はあるのだろうか。ナハルは人口4万にもが住む町なのだ。過激派が何人いるのか正しい情報がないのだが、難民キャンプでなくてトリポリのレバノン人居住区であっても、モスクも住宅も砲撃してしまうのだろうか。他の方法や、年寄りや子どもを逃がす手段、あるいは戦闘になる前に食糧・医療品などの準備などができなかったのだろうか。、

 また、日本のNGOがナハル・エル・バレドに建設した子どもの家センターも今回の砲撃で全壊したという。日本が力を要れ、援助の足がかりとして有効に使っていたところが吹っ飛んでしまう。子どもたちへの支援基盤も、情報も、働いていた人の拠り所も何もかもが一瞬で消えてしまう。
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   1990年に設立された日本とパレスチナのセンターであることを壁に張ってあった。
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この後の建物が全壊したという。
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 近年パレスチナ自治区でもアフガニスタンでも国連・NGO・メディア・クルーが安易に狙われ、また、援助国からの建物も砲撃対称としてしまう。今回もナハルに食糧を運び入れようとした国連車が砲撃され半壊し、食糧を受け取りに来た人が亡くなったという。
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◆◆転送メールによる情報◆◆
パレスチナ子どものキャンペーン によるレポート・・・(現在の状況とパレスチナ難民問題を多くのお知り合いに広めてください。このレポートは転送、転載自由です。)との依頼文により、掲載。
-------------<バダウィからのレポート>-------------------
●5月25日
  バダウィには津波のように人が押し寄せている。避難して来た 人々、老若男女が住民の間に少しでも居場所を探そうと押し合い 圧し合いしている。
 パレスチナ難民の古くて新しい悲劇が、再び次の世代に引き継がれた。被害と痛みから自由なものはいない。これは私たちパレスチナ人の文化遺産とも言うべき唯一の相続 財産なのだろう。
 一息をついて計画を考えたり、将来への展望をたてようとする間もなく、わが同胞は家を追われ、破壊、死、欠損・・・祖国を持たない私たちの子どもは平和につつましく生きることさえかなわないのだ。

●病院で
  難民キャンプの赤新月社の病院で、13歳のアラは負傷した兄の横に座っていた。13歳といえば他の場所ではほんの子ども、楽しいことを満喫しているというのに、パレスチナの子どもは大人でさえ負いかねる責任を背負わされている。
 砲撃が始まり家に砲弾が当たったときに、アラは食べ物ではなく怪我をした兄をどうしようと考えなければならなかった。兄を担ぐことは出来ないので、赤新月の救急車まで引きずって行ったのだ。

 「幸運にも僕たちは助かったよ。でも家は誰が直してくれるのだろう?」と無心に言うアラはまるで家族のことを心配する父親のようだった。

  10歳のユセフはベッドに横たわっている。その美しい目は涙でいっぱいだった。傷が痛むからではない。父親から怪我をしていた母親が息を引き取ったと聞かされたからだ。
 ユセフは父親を硬く抱きしめると、驚いたことには成人のように父親を慰めた。
 「お父さん泣いては駄目だよ。神様の思し召しだから。人は誰も死ぬ定めにあって、僕たちにはどうにもならないんだ」

●国連の診療所で
  マリアムの場合は少し違っている。70歳の彼女は慢性の疾患にかかっていて、薬はとても高価だ。家から急いで避難したので、その薬を置いてきてしまった。国連の診療所の前で、彼女は助けを乞うていた。みな彼女の病気を分かっていたが、薬はそこに無かった。彼女は待つしかない。 しかし死は待ってくれるのだろうか?老いたマリアムは外に出て、人が尊厳と人間性を失わされる日を呪っていた。

  同じ診療所で、ジェナは両手いっぱいの薬を大事そうに抱えていた。彼女の3人の子どもはひどい下痢になっていて、衛生状態の悪さから悪性の細菌にかかったのではないかと彼女は心配していた。
 子どもを残して行方のわからない他の家族を探すことなんて出来やしない。隣人のファドワもジェナを助けてやることは出来ない。ファドワもまた障碍のある親戚を探し回っていたからだ。

●学校で
  学校は「最後の審判」の日のようにたくさんの人々でいっぱいだった。わがパレスチナ同胞にとっての審判は常に不公平に出来ているように思える。犠牲者であるにもかかわらず常に代価を支払わなければならず、常に手ひどいレッテルを貼られるのはパレスチナ人なのだ。

  10歳のシャディアは、「ファタハ・イスラム」について何も知らないし、なぜ軍隊がキャンプを砲撃しているのか理解できない。彼女が望んだのは一切れのパンだったが、食料を積んだトラックが キャンプに入ったとたんに標的にされ、多くの人々が殺され負傷してからというもの、パンも食料も憎しみの対象になっている。「私がいま望むのはシャワーを浴びて、汚れた服を変えることよ」

 5人の子どもに1枚のマットレス。ミルクもオムツも足りない。国連は動き出しているが大変にのろいと人々は不平を言っている。新しい世代も1948年を再体験しているようだ。
 ナハルエルバレドに戻ろうと考えている家族さえいた。
 一口の食料を乞うくらいなら。尊厳の中に死にたいというのである。

 わが同胞はシェルターからシェルターへ逃げ惑う生活に疲れきっている。59年間の逃亡生活と、国連など救援組織へ山のような申請書を書き、調査やアンケートの対象として質問攻めにあう生活に飽き飽きしている。
 国際社会の署名運動と口先だけのパレスチナ国家建設の約束と、多くの圧倒的に多数で決まった決議が決して実現されないことにうんざりしているのだ。
<以上、転送メールより>
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 ☆数々の中東の問題の根源は、歴史を知るものならわかっている。パレスチナ難民が村を追われ、家を追い出され、行く先々で困難と貧困と、時に命の危険にさらされる。これでもかこれでもかとおそいかかってくる事態に、恐れ、疲れ、絶望していく。周辺諸国はアラブの難民について助けるべき立場でありながら、発展のためにはアメリカとほどほどの関係を保ちながら、時に自分らしさを主張する技を身に付けながらすすんでいる。
 これからどうなっていくのか、この問題が解決しないままの中東の安定はありえないと思う。
 ・・・現に目の前に難民がいて、彼らを住まわす国がそこにあるのだから。そして、人として誰もが自分の家で安心して子どもを育て職を得て働き普通に暮らしをしていきたいのだから・・・。
 
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by miriyun | 2007-05-27 17:23 | レバノン | Comments(2)
2006年 12月 17日

レバノン杉2…木の力

 森林が失われると人間も困るけれど、小さな生物たちも住いを失っていってしまう。
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↑レバノン杉の森の住人登場。この森がなくなったら彼らの居場所もなくなる。

 レバノン杉のなくなった山はどうなるのか。対比できる写真を見てみよう。
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↑手前が世界遺産の森。右奥が、かってはこの木が自生していたのにいまや裸の山になっている山である。
 
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  枯れた木だけれど、このツヤを見て欲しい。
 これがレバノン杉の特質である腐食に強くつやがありというところをあらわしている。このツヤは木が持つ油脂であり、まるでチーク材のチーク油のように油としての価値があり、フェニキア人の貿易品の一つともなっっていた。

☆ 中近東や地中海地域というと、日本など東アジアとは異なって大理石や砂岩・玄武岩などの石材建築とばかり考えているし、また遺跡でも石だからこそ2000年以上昔のものでも残っているんだと感心してきた。

 つまり、これまで石材建築としてのみ注目してきたのだ。

 しかし、その建築物も作成過程で柱を立て梁を組み、型を作ってから丹念に石を積んでいくのだ。また遺跡では屋根はなくなってしまっているのだがいずれも材木を使ったのであり、忘れてはならないことだ。
 こうしてふり返ってみると、古代文明やギリシャ・ローマ・ビザンチン・イスラームとずっと建築家はレバノン杉に頼り、その見事な材木を使いこなしながら大理石やレンガの建築をつくってきたのだということになる。

 ☆ レバノン杉・・・歴史を支えてきた木の力に感服!! ☆

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by miriyun | 2006-12-17 11:53 | レバノン | Comments(9)
2006年 12月 16日

レバノン杉の森は文化遺産!?

 レバノン山脈には3500mを越す山もある。その山脈中には、カディーシャ渓谷というところがあり、そこにはわずか1200本にまで減ってしまったレバノン杉がかろうじて残っており、今は厳重に保護されている。
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  かっては、トルコ西部からレバノン・シリアなど中近東の山岳部に自生していたが、人類が有史以来使い続けて、本来レバノン杉があった山並みも一面木が見当たらない山になってしまっている。

 それほど使われたレバノン杉とは何だろうか。
レバノン杉(Cedrus libani)はマツ科ヒマラヤスギ属の針葉樹であり、標高1900mを越すような土地でないと自生しない。杉といいながら松科であり、まっすぐに伸び、材質は緻密で水分で腐りにくく頑丈である、また虫がつきにくい芳香があるという特質を持つ。

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レバノンはこの貴重な木を自分たちのシンボルとし、国旗にもこの木を中心に置くほどである。
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 最も古い記述は『ギルガメシュ叙事詩』にあり、この木材が欲しいがためにギルガメシュはこの地に攻め込んだ。また、ギリシアのパルテノン神殿ではこれを屋根材としている。
 ピラミッド建設に際しても大量につかわれ、その痕跡はクフ王のピラミッド脇から2隻発見されている太陽の船がほとんどレバノン杉で作られていたことにもあらわれている。また、ツタンカーメンの人型棺もこの木でできている。
 さらにはソロモン王の宮殿に使った。また、フェニキア人はこの木材から船を作り、地中海を行き来し、この時期の地中海貿易を牛耳った。 マアルーラに4世紀に建造された聖サルキス教会の梁もこの木材を使用している。このように歴史上枚挙に暇がないほどである。

 おそらく、中近東の巨大建築は、調べてみればどこかしらでこの木材に負っているに違いない。そしてその伐採はずっと続き、前回述べたようにヒジャーズ鉄道の枕木にまで名前がでてきて、そこで、壊滅状態になったのである。 

 
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↑巨大なレバノン杉があった跡が残っている。
     高さ40m、幹周り10mにもなるという木なのだ。

☆そして、この残されたレバノン杉の残る町・・・カディーシャ渓谷と神の杉の森は世界遺産に登録されている。
 ただの森であるなら自然遺産に入るものだが、このレバノン杉については異なる。古代からの遺跡に必ず使われてきた貴重な木であり、遺跡・文明に使われてきたそれぞれの文明の証拠ともなるべきものであるため文化遺産としての登録になったという。 


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by miriyun | 2006-12-16 01:47 | レバノン | Comments(4)
2006年 08月 31日

こんなことがあっていいのか?…不発弾10万発

案じていた以上の数のクラスター爆弾の不発弾が・・・・!

 UNの地雷対策調整センターはレバノン南部を調査した結果を発表した。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe4800/news/20060905i105.htm

 クラスター爆弾が使われたレバノン南部の359箇所を調査した結果が出た。10万発もの不発弾が残されている可能性があるという。瓦礫化した町や農地の片隅で、いつか人間がそれをゆりうごかすまで、ひっそりと隠れ続ける爆弾。その数だけの手足やいのちが失われていく可能性のある爆弾が・・・である。

 しかもこれらのクラスター爆弾の90%は8月11日の停戦予定日の最後の3日間につかわれたのだ。戦争をやめようということが話し合われ、あとわずかというところで、激しく攻撃したということになる。
 UNの人道問題担当者は、このイスラエルの道義に反する行動を非難した。

 レバノン復興支援会議を開催するスウェーデンでは、各国からの支援金をもとに短期集中型の復興をさせたいという5億ドルにのぼる計画を発表した。
 だが、勢いよくはじまりだした復興も人道支援も、社会資本への投資も、この10万発の不発弾の散乱する地域では、家の一軒ごと・道端・畑もすべて目視で探していかなければならない。5cmほどの子爆弾は小さな子どもこそが、思わず拾ってしまう大きさであり、子どもを中心とする被害が南部ですでに出ている。
 これらの不発弾除去に何年を要するかわからないという。
・・・・・・ばら撒くほうは3日で撒いたというのに!

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by miriyun | 2006-08-31 22:36 | レバノン | Comments(4)