カテゴリ:イラン(ペルシア)( 43 )

光と暗闇

 ペルシアで感じた光と暗闇

 ゾロアスターの事を考えながら、車で移動した。
パサルガダエからイスファハーンへの道筋で、こんな景色を見ていた。

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 例によって、風土と雲と空の色を楽しむ。
 やや暗くなり始めているものの、すっきりとした山の形にくねくねとうねる道、美しいものだなと見ている。

しかし、天候は下り坂。天空を真っ黒な雨雲が押し寄せてきた。それもあっという間のことである。

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かろうじて日が沈む方向はまだ雲がないところがあり、鉄塔と電線の合間に太陽が周りをオレンジに染めながらその存在を見せていた。

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さらに移動していくうちに、車も雨に打たれ始めた。
 黒ずんだ大地と真っ黒な雨雲の間で、太陽は地平に沈み始めた。

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その太陽は、扁平になりながら怒っているかのように輝きだけは増しながら沈み込んでいった。

 まるでアフラマズダのもとでの光と暗闇、善と悪の神の対立を、見させられたかのような気になった。
古代の人々はそれこそこのような大地でこのような色の対立を見たら、神の世界に思いをはせてしまうだろう。

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by miriyun | 2009-11-04 06:37 | イラン(ペルシア) | Comments(6)

沈黙の塔…ゾロアスター教(3)

 ゾロアスターは拝火教

 ゾロアスターでは最高神アフラ・マズダが知恵の神であり光の神であるから火を神聖視する。だから神殿では絶えることなく聖なる火を焚き、神官がそれを守ってきた。それと共にゾロアスターの思想の中に古代からの火の神・水の神をしたがえ、また、アフラマズダは天と地、火・水・植物・動物・人間を創造した。

 こうしたことから、ゾロアスター教では火・水・土を清浄に保つために、火葬・水葬・土葬をきらう。
そのため、沈黙の塔(ダフメ又はダクマ)とよばれる塔で葬送するようになった。

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 ヤズドの沈黙の塔。このような荒涼とした大地にある。山の上まで坂道が続き、山の上には塔のように円筒形の塀が見られる。ゾロアスター教徒の葬儀ではここに死者を運ぶ。
 左の山だけでなく、右手に山すそがわずかに見えているがそこも沈黙の塔である。

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 一方の沈黙の塔から、もう一方の沈黙の塔を望む。
おそらく、ゾロアスター教徒が多かった頃は一つの沈黙の塔では葬送の場所が足りなかったのだろう。

 沈黙の塔・・・鳥葬
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 塀の外から中を見ると円筒形に見えたのは石の塀であり、中は平らになっている。塀だけ見ると表面がならしてあって薄いものに見えるが、この入口を見ると幅が1mもありそうな頑丈な石垣状であることがわかる。おそらく風が強いであろうこの地でも何百年も持ちこたえられるように作られている。
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 葬送の儀は、ここに屍を安置することから始まる。 石が中央の穴から放射線状に置かれている。
穴のほうに足を向かせて安置すると、一週間ほどで鳥がついばみ骨となる。いわゆる鳥葬である。
残った骨を遺族が中央の穴に入れる。(現地ガイドによる)

◇Web上では、中央の穴について、次のように記述されていた。
        ”あの世で再び誕生するため、創造と復活の舞台である井戸に投げ込まれるのである。”
                                    ↑(ゾロアスター教基礎知識鳥葬より引用)


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 鳥葬は、火も水も使わず、石畳にすることで土も使わず、鳥によって行なう葬送である。これによって汚さないという考え方と、もう一つは鳥の食料となることでこの世での最後の功徳になるということもあるのだった。

 なお、イランの中ではヤズドなど若干の地域でゾロアスター教徒がいる。かって世界宗教的な影響力があり、ササン朝では国教でさえあった宗教だったが、イスラム教が入ってきてから衰えていった。1930年にはパフラヴィー朝のレザー・シャーによって鳥葬も禁止され、以後はゾロアスター教徒も土葬となっている。
 それでも尚、ヤズドの人口30万人のうち約3万人はゾロアスター教徒であるといわれている。(参考:Wikipedia)

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by miriyun | 2009-11-03 08:20 | イラン(ペルシア) | Comments(4)

ダレイウス1世はエジプトの王

 ダレイウス1世
  メディア王国を滅ぼしてアケメネス朝)を打ち立てたのはキュロス大王(キュロス2世)であり、その後さらに小アジアのリディア王国、メソポタミアの新バビロニア王国をも滅ぼした。その息子カンビュセス2世の代にはエジプトも併合してオリエントを統一していく。しかし、その後内乱やメディア人が力を握るなど不安定な時を経て、国としての力も弱まり、エジプトそのほかを失う。そこで正当な選択方法によって選ばれた人物に託して君主となす方法をとった。
 
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 そうして選ばれたのが、ダレイウス1世ということになっている。
そして、この王は各地を制圧し、アケメネス朝ペルシアを強大な国にしていった。

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                               ↑ テヘラン考古学博物館蔵 スーサの宮殿からの発掘
 さて、この王の彫像はペルセポリス等に数え切れぬほどあるのだが、その中で気になる彫像があった。
立像なのだが、上半身は壊れていて存在しない。しかし、これを見て重厚感といい、衣の彫りといい君主の像に違いないと感じるものだった。正面を向き左足を出した姿であり、左手に指揮杖をもつエジプトの王によくある姿である。
 長衣のドレープ部分には文字が刻まれている。長衣の右腕側のドレープには楔形文字が彫りこまれ、左腕側のドレープにはヒエログリフが彫り込まれている。
 これもまた、エジプトとメソポタミアの文明の折衷型というか、両文明の影響を顕著に表すものである。
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 帯にはさんだ短剣にはたいへん細かいメソポタミアらしい動物文様があり、それを帯紐には、カルトゥーシュ(エジプトの王名枠)まであったのだ。夢中で読んでみた。
 ダレイオスその人の名がここにあった。
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 その像の台座には、これまたエジプトの飾り文様がある。
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 さらにその台座の横を眺めれば、24もの民族がヒエログリフで表され、民族をあらわす人物像は両手を偉大なる王に向かってさしだしている。

 ペルシアを強大にしたダレイウス1世はエジプト王朝196代の王としても記録される王だったのだ。

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by miriyun | 2009-10-05 07:22 | イラン(ペルシア) | Comments(4)

灌木の山

日本の山
 自然環境の違いは子ども達が絵を描いてみるだけですぐにわかる。まず山の色が異なる。日本では山は
緑で塗るのがほとんどだ。実際どこに出かけても山は緑である。あとは紅葉の色、茶色、雪が降れば白・・と、季節変化がある。

中東の山
 中東の山、ある程度降水量があるところでも、土は薄い褐色、であり、降水量が0に近づくにつれ、岩や赤い土だけの色になっていってしまう。

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                                 ↑ イラン中部 ↓

山と川、牛がテクテクと歩む。言葉でいうなら当たり前すぎる光景だが、よく見ると川の水の色が違う。川底の岩盤や砂の色が異なるのだろうか。
 そして山は丈の低い灌木はぽつぽつあれど、背の高い樹木はみあたらない。
 中東では夏は枯れ川(ワディ)になってしまう。だから放牧や遊牧がなされるのはほとんど羊や山羊なのだが、ここは川があるので珍しく牛が飼われている。

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 緑なす畑らしきものは見えるが他はやはり潅木あるいは草だけの山sであり、上のほうは山が形成された時のままのするどいラインをみせている。

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                                 ↑ ミニアチュールの岩山の部分のみ引用

 似たような気候の地域は、多かれ少なかれこのような光景になる。だから、絵にあらわされた風景は、山一つとってもまったく色が異なるのだ。 

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by miriyun | 2009-09-29 04:12 | イラン(ペルシア) | Comments(4)

アケメネス朝の有翼スフィンクス…ライオン紀行(8)

  アケメネス朝ペルシアは、B.C.550~330に栄えた。建国したのはキュロス王で、その後その血筋から権力を簒奪したのがダレイオス1世とされる。
 ダレイウスは権威付けのためにペルセポリスの都でライオンを使っている。

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    ↑メソポタミアの流れ、王がライオンを立った姿で捕まえている。
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      ペルセポリスは広大な遺跡だがその中でもとくに目を引く巨大なライオン頭部像。
    ↑  
紀元前525年、アケメネス朝ペルシア王カンビュセスのエジプト征服、支配。 ダレイオス2世のB.C.404までエジプトを征服しており、そのためファラオを兼ねていた。
 その影響だろうが、このようなスフィンクス像が残されている。ただし、有翼スフィンクスなので、頭部が王であることはエジプトの影響で、有翼であることはメソポタミアの流れである。
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 尚、アケメネス朝ペルシアの王たちはゾロアスターに帰依しているので、上にはゾロアスター教のしるしアフラ・マズダーがある。大地を支配する者には、中央の丸い輪は太陽を意味する。 
 なお、中央のこの印の起源は何か。征服した先にはエジプトには鷹の翼を広げた印がある。そこを征服していたのであるから影響があったとも考えられる。
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by miriyun | 2007-06-05 05:26 | イラン(ペルシア) | Comments(4)

◆ミラーワーク2 イラン編

 ミラーワークにも覚えがあった。それはテヘランの北の山にパフラヴィー家の夏の離宮がある。広大な敷地の中に宮殿の建物が散在する。その中のサアダーバード宮殿の中のグリーンパレスに、鏡の間があった。部屋全体が鏡でできていて、まばゆいばかりに乱反射する。
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 ↑ グリーンパレス入口。この中に鏡の間があった。
中は一切撮影できない(残念!)    

  写真が撮れないということはその工芸を忘れてしまうので、イランのミラーワークを手に入れておいた。それがはじめて役に立つ。
 では、一枚の鏡がいったい、いくつのミラーに分解されているのだろうか。 
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 この鏡は一辺12cmの正方形であり、数えてみると28ものパーツに分かれていた。それが微妙な角度で反射し、そこの景色や明かりがそれぞれのパーツに映し出されたりする。

 これが部屋一面にあったら、王様喜んで客をもてなしながら、自慢しそうだ。

  *********************
 写真撮影での記録がないと、その記憶がみるみる薄れていっている。このままでは忘れてしまいそうというときにダマスカスのルカイヤ・モスクを見ることができ、これだと思ったのだった。
 
 つまり、この鏡のペルシア工芸もまた、ルカイヤ・モスクへ伝わったことになる。


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by miriyun | 2006-09-16 23:30 | イラン(ペルシア) | Comments(2)

ヤズドの華麗なアラベスク

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 14世紀に建てられたという金曜日のモスク(マスジェデ・ジャーメ)はヤズドを代表するモスクであるばかりでなく14世紀から15世紀にかけての建築と装飾を見させてくれる。高さ52mというメナーレと装飾タイルの多彩さはイスラーム建築の中でも秀逸なものである。

  6つの角を持つ星から12枚の花弁を持つ外枠まで」きっちりとデザインしたアラベスクである。5色しか使っていないのだが、実に印象的な整った文様をなしている。 
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 モザイクタイルは手間のかかることタイルを思い通りにカットすることの難しさもあり、大変なことである。傷もかなりあるのだが、手の届く低い位置のタイルであり、時代もイマームモスクよりずっと古いということで仕方がないだろう。
 文字はモザイクなのできりっとしているが、残念ながらペルシア語が混ざっているのか、うまく読めない。ただ、右側にはマスジド・アクサーとあり、聖なるモスクを示している。
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塔から下までびっしりと多様な文様で覆われている。じっくり見れなかったのが残念だ。それに実は暑さでくらくらしていたので、すぐの日陰の内部に入ってしまったのだ。
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 その一部だけ見てみよう。門のアーチの上部には細かい文様がちりばめられ、その上にはアッラーフ・アクバル(神は偉大なリ)の言葉がある。

★一番好きなのを紹介★
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このアラベスクのライン、そしてその中の細かな細工・・・これがあってこそ美しいのだが、よくぞここまで徹するなとうなってしまう。
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  さらに大きくしてみてみよう。
      ―――さすがはペルシア!

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by miriyun | 2006-07-09 17:37 | イラン(ペルシア) | Comments(6)

多彩な建築史マスジデ・ジャーメ

 イスファハーンの金曜日のモスクはたいへん歴史のあり、建築史の中の特色を数多く見ることができる。ペルシアの建築史900年間の変遷がこの建物のどこかしらに残されているというのだ。セルジューク朝の建築を基盤として、騒乱・破壊を経ても修理をすることで耐えてきた建築物である。

 セルジューク朝は、11世紀に中央アジアから西アジアへ移住してきたトルコ系の王朝である。スンナ派であり、シーア派のブワイフ朝をバグダッドから追い、アッバース朝を保護し、1055年にトゥグリル・ベクはスルタンの称号を受け、当方イスラームの支配者としてお公認されるに至る。また、セルジュークは当時ビザンチン帝国の領土であったアナトリアに侵入したため十字軍を引き起こす一因ともなった。

 セルジューク朝の君主はスルターンを名乗り、3代目のマリク・シャーは若くして即位した。官僚制を整え、ペルシア人の名宰相ニザーム・アルムルクの補佐でアフガニスタンからビザンチンまで支配権を広げ、名君と呼ばれるようになった。
 
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このモスクの中庭は60m×70mでその周囲を4つのイーワーンが囲む4イーワーン方式である。イーワーンとイーワーンの間は2層の回廊がめぐらされている。
 奥には主礼拝堂があり、イーワーンの後ろに11世紀のドームがある。マリク・シャーの名がそこにのこっているという。イーワーンとアーケードはファイアンス(彩釉タイル)で飾られ美しい。なお、主礼拝堂と西北イーワーンには大きなムカルナスで装飾されている。
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 花びら型の池がしつらえてあり水道がある。そこで手を清めから礼拝をする。一回の礼拝は何分という決まりはない。見ている感じでは20~30分といったところか。それぞれが来たい時にきて、思い思いに祈って帰っていく。あるいは日陰でゆったり休んでいってもいい。
 ただし、集団礼拝のある金曜日は話も聞くし、普段より長くなる。礼拝堂の中には入れれば日陰なので過ごせるが風もなく直射日光に照りつけられるこの石畳の上での礼拝は厳しい。
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 ↑そういった場合は、何と地下で礼拝を行うそうだ。シャンデリアと絨毯のある夏用礼拝室なのだ。

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 ↑東北部のドーミカル・ヴォールト。12世紀の建築された。
☆レンガの組み方で注目するなら、イーワーンの間のヴォールト部分を見ると実に多彩なレンガの積み重ねを行っていることに気がつく。
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 ↑さらに見ていくとアーチの上にムカルナス状の装飾で持ち上げて言ったり、アーチネットといわれる交差も見られる。この詳しい構造は専門家に委ねるしかない複雑さである。
 
 ただ、面白いと思ったのは6月26日づけで紹介したヤズドの廃屋のレンガの積み重ねの複雑さとタイル上の四角いレンガを張っている点が共通している。この古いモスクと共通点などないだろうと思っていたのだが、妙に似ているのが気になるところである。残念ながらその廃墟がいつのもので何だったのかを聞いてこなかったので、わからぬままなのが心残りだ・・・。

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by miriyun | 2006-06-30 12:00 | イラン(ペルシア) | Comments(2)

日干しレンガの積み方

 日干しレンガの積み方は様々だ。  ヤズドの建物を使って見てみよう。
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 壊れたところというのは構造が見えやすい。偶然壊れてしまったところは普段見えない技術の様子を見ることができる。
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  レンガの組み方も曲面は難しい。その曲面もマジかに見ると、どう組んでいるかわかる。ここでは下から組んでいき、そこに立てていくような形で、他の曲面をのせている。 
職人さんた、定規で測ったようにレンガのゆがみも誤差もなく中心部から三分割された曲面を構成していく。

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 近くの廃墟となった建物は天井までの構成に何種類ものレンガの組み方がしてあった。正方形のものは一見すると、タイルのような使い方をしている。

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by miriyun | 2006-06-26 22:19 | イラン(ペルシア) | Comments(4)

家(1)…バードギールは風の取りこみ上手

 広いイランには雪と寒さの厳しい山地から熱暑の地域まである。想像以上の暑さの地域の工夫にバードギールがある。
 
 風塔とか風採り塔とかいわれる塔とその下のしくみで暑さ対策をしている。ペルシアの伝統的住宅の一つといえる。どこに多いかといえば照りつく太陽と熱風のヤズドなどイランの砂漠気候のところである。
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 ↑これは人が住んでいない放置されたものであるだけにつくりを確認できた。

① バードギールは円形のもの・方形のものがある。この写真は方形。
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  こういう塔を作って簡単に風を取り込めると思ってはいけない。 まず風はどちらからでも吹いてくる。だからどの向きの風も取り込めるようにしなければならない。そういう意味では、やはり円形のほうがよさそうだ。
 また、素直に風が下にいくわけではない。風は入ったら目の前にある出口に抜けてしまうものだ。上の写真でAやBの風は向かい側の日干しレンガの穴からそのまま出て行ってしまうのが落ちだ。

② 風が日干しレンガのすきまから入るとそれはどう動くのか。塔の中を下からのぞいてみる。
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 それは塔の中は対角線上に仕切りがあり、風の道は4つに分かれているのだ。4つの面から入った風はそのまま逃げてしまうことなく、用意された4つの道で下に向かう。

③塔の下を見ると、
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風はさらに下に進んでそこから曲がって進んでいき、送風口から家の中へ入るのだ。

 ただし、そのままだと車の窓を開けて熱波の地域を走るように、熱風が吹きあれる家になってしまう。当然そこには一工夫がある。
 部屋の入る前に貯水層など水のあるところを風が通るしくみになっている。すると、気化熱が奪われ、風が冷たくなる。

 家中に涼しい風が吹きわたる。・・・となるのだ。なお、こういった熱さの厳しいところでは夏の住居部分と冬の生活部分を分けている。夏は地下にあたる部分でしかも庭の南側にある部屋を使って日の差し込むことがない部屋で生活するのだ。

☆ 自然の力を利用した素晴らしいしくみだと思う。ただ、ここでも水は不可欠で余分な水がなければこのしくみも稼動しなくなってしまう。
 また、日干しレンガ造りであるから、たゆまぬ修復が必要なのは他のレンガ建築と同じである。
 最近はこういった伝統住宅が少なくなってきているという。残念である。この風にあたってみたいものだ。

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by miriyun | 2006-06-25 13:54 | イラン(ペルシア) | Comments(4)