フルーツ・・・意外な産地の意外なおいしさ
![]() 見てのとおりの八方へのびる枝葉 幹にびっしりとなっているのはパパイヤ! タイなどでよく見たので、どうも東南アジアなどをイメージするが、 意外な産地も知ることになった。 ![]() それは、高地も平地もあって、険しい山となだらかな海岸があって、砂漠もあれば、夏でもスコールが降る国、 アラビア半島のイエメン、 高地では、リンゴにブドウ 平地はバナナ・マンゴー・パパイヤ 東南アジア並みに、いやそれ以上かもしれない果物のおいしい産地だった。 今のところの経験上、最高においしいのはここのマンゴーだった。頬っぺたが落ちそうな美味だった。 バナナは他の産地に負けるが、写真右のパパイヤの大きさは只者ではないし、おいしさもしかり。重さをてんびん秤りではかって売るのもこれほどの大きさのばらつきをみれば、なるほどと納得だ。 街の通りの真ん中でカートを噛みつつ売っているのが、いかにもイエメンらしい。 フルーツの産地としてはあまり思いつかないアラビア半島南端の国でフルーツがいけてるという話でした。 ![]() ↑ 一日一回、ポチッと応援していただけると励みにもなります
小さな町の小さな市場で
![]() イエメン。南の小さな街で。ちょっとした路地ではあるのだけれど、そこは街の大事な市がたつ場所。 少年たちも思い思いのモノを持ってきて売っている。 屈託ない笑顔が最高! イエメンまだ落ち着かないかな? 誰でも落ち着いて普通の生活がしたいよね。 イエメンも日本も ![]() ↑ 一日一回、ポチッと応援していただけると励みにもなります
アシュラフィアモスクと生き生き子どもたち
![]() (撮影地イエメン・タイズ) 一番見たいものは何だろう 元気いっぱいの子どもたちの目 どこの国でもそれがあることが国の精神的豊かさのあかし・・・ ⇒ ⇒応援クリックお願いします。 ![]()
ツインタワーとしては世界で最も高いクアラルンプールのペトロナスツインタワーを特集している間、
いつもあたまの片すみで何かが引っかかっていた。 モスクの塔に似ている、 とくにある古いモスクの塔の画像が意識されていた。 アシュラフィーヤ・モスクの塔 ![]() そう!この形。ずんぐりしているけれど存在感のある高さが同じ二つのミナレット。 イエメンのアル・アシュラフィーヤ・モスク(Al Ashrafiya Mosque)である。 1295~97年にアシュラフィーヤ1世が、1376~1300年にはアシュラフィーヤ2世が建築したといわれる。現在でもコーランの学校として使われている。 ![]() タイズは首都サナアとアラビア海の要衝アデンを結ぶ重要なルートにある70万人というイエメン第2の人口を有する都市である。 イエメンを占領・支配した初めての外国の王朝のアイユーブ朝(1173-1229)が、1175年にここを首都とした。 ☆アイユーブ朝とは・・・サラディン特集で以前に書いた通り、アイユーブ朝をエジプトに打ち立てたサラディンは兄トゥーランシャーをイエメンに派遣して占領させたのだった。 近年では1948年から1962年まで首都として政治の中心なったこともある町である。 南にけわしいサビル山があり、そのふもとのタイズも標高1400mで一年中春のような過ごしやすい気候が続く。新市街は急速に発展し、現代的な街に変わりつつあるが、南側の旧市街には古い建物がたくさん残っていて、新旧の対比を見せてくれる。 町の中でひときわ目に付く白い二つの塔。これがアシュラフィーアモスクのある位置で、この周辺が旧市街ということになる。 そして旧市街だけでなく町中のいたるところから白い塔をみわたすことができ、心のよりどころともなっている。 こういったところもまた、クアラルンプールのペトロナスタワーと近いものがある。ペトロナスの設計者はイスラムの塔をイメージして設計したということだが、このような世界のいろいろなミナレットを参考にしたのだろうか・・・。 ⇒ ⇒応援クリックお願いします。 Tags:#ミナレット(マナーラ)
![]() テーブルマウンテンを背にアル・ムフダール・モスクの真っ白な尖塔がすくっと立つ。高さ50mといわれイエメンきってのミナレットである。ハダラマウト地方の中心タリムの町にそびえる。材料はほかと同じ日干しレンガであるが、総漆喰であるところが一般の家とは異なる。 この岩の色を背にしたミナレットの細身のきりりとした姿がいい。 ◆このミナレットは珍しくモスクの中心にある。一般にミナレットは1本の場合モスクの中庭に面した一隅にミナレットが立つことが多い。4本なら四隅にたつ。 アル・ムフダール・モスクは一本のミナレットをモスクの中心に置き、それを中心に左右対称のモスク建築となっている。そしてそのモスクが50mという高さであるから、よほどバランスよくつくらなければならない。 つくりを見ると左右にインド建築のようなチャトリをのせその中央に6段に積み重ねた塔がありラインは直線的に伸び細くなっていく。上から2段目には変化をつけそのうえのは白い柱がドームを支えるチャトリとなっている。このしっかりとしたラインを基本線にところどころ変化をつけたところがいいのだろう。 テーブルマウンテンと実によく合うミナレットであった。 ⇒ ⇒応援クリックお願いします。
北イエメンのイマーム・ヤヒヤは国を鎖国状態に置くことで支配を確立したが、1948年反対派によって暗殺される。しかし、ヤヒヤの息子イマーム・アフマドがすぐにその権力を引き継ぎ専制政治は継続した。かれは、国を徐々に解放。1950年代にはイギリス・アメリカ・エジプト・ソ連などと外交関係を結んだ。
![]() ↑1962年クーデターで、イエメン門にいまだに残る砲撃のあと 1962年、イマーム・アフマドがなくなると軍人グループが革命(軍事クーデター)を起こし、ついにザイド朝が崩壊した。 そしてイエメン・アラブ共和国が成立するが、イマーム・アフマドの息子ムハンマド・アルバトルはイエメン北部の山岳地帯にこもって抵抗した。イエメン・アラブ共和国はエジプト・ソ連の援助を受け、アルバトルはサウジアラビアやイギリスの援助を受けた。こうして、北イエメン内戦が勃発した 1970年、8年続いた内戦は共和国の勝利で終結し、サウジアラビアもこの年に共和国を承認した。 ◆それに先立ち、アデンでは北のイエメン・アラブ成立後から対イギリス植民地抗争としてのゲリラ戦が始まった。 ◆南イエメンの独立 イギリスは独立させることを約束し、イギリス指導の下の独立をはかったが、2つの勢力に分裂。社会主義系NLFとエジプトの支持を受けたFLOSYが争ったが、イギリス軍撤退後、NLFが支配し、1967年アラブ社会ではじめての社会主義国としてのイエメン、後にイエメン人民民主共和国へ改称した。ソ連の援助で社会主義を推し進めたが政情は安定しなかった。 ◆南北イエメンの国境を確認してみよう。 ![]() 北イエメンでは再三にわたるクーデターが続く。南イエメンでは経済状態が破綻に直面していた。1970年代には2度にわたる南北間の内戦を経験した。この国境を挟んで、厳しい闘いの日々が続いたのである ◆南イエメンの首脳陣ははソ連の崩壊をきっかけに北イエメンとの合併を決意する。それとともに雪解けムードが生まれた。 1990年ベルリンの壁が崩壊すると同時に南北イエメンは、南北統一を果たし現在のイエメン共和国となった。 ◆南北の派閥争いが深刻化し、1994年に旧南側勢力が再独立を求め、イエメン内戦が勃発。だが、南側勢力は国際的な支持を得られず、約2ヶ月で鎮圧される。 それ以後は大統領の選出、海外との交流などすすんでいく。 ![]() 首都サナアの旧市街をぐるりと城壁が取り囲む中世と変わらぬ都市である。この城壁を挟んで1962年の革命も、南北の内乱もあった。しかし、今では城壁が不要とされ、都市の拡大とともに城壁や門の多くが取り払われた。 その中でバーブ・アル・イエメン(イエメン門)はいまだ、中世の香りを残す門として唯一残された門である。ここの門扉の一部に冒頭に掲載した大砲のあとが残されている。 この砲撃の後をそのままにしておくことで人々は、平和であること、一つの国であることの意味を思い巡らすのかもしれない。 ◎こうして1つのイエメンとしてイエメン共和国は安定していった。 ここまでの長い南北分断の歴史・植民地支配の歴史に苦しんできた。内戦についての火種は消えたかに見えるが、もとの国境の周辺はいまだ警察が旅行者の車に付き添うことがあるし、 そればかりか歴史を背負った政府軍と反政府組織の争いはまだ一部の地域に残っている。 イエメン人の気持ちに反して、外からのアルカイダの拠点のひとつが山岳地帯にあるとも言われている(真相は不明。) 隣のサウジアラビアとのあまりにも大きな経済格差に愕然としている出稼ぎイエメン人の姿が見えてきている。出稼ぎによる家族制度やコミュニティーの崩壊もこれから問題になってくるであろう。 ![]() イエメンの素朴な人々は今、何を祈っているのだろうか。 <イエメン略史*完> ⇒ ⇒応援クリックお願いします。
自由建築のきわみ、日干しレンガの家。
気候風土にあってこその家であって、しかも少しでも雨が降るなら毎年の修復が必要になるが、建築の自由さは抜群! ![]() 上方下円の家、四角い部分が出っ張っているのもほほえましく、こんな風に自由デザインの家を一生に一回くらいはつくってみたいものだ。 ![]() 屋根のツンのところも、この家の主のこだわりがでている。 あの窓辺に座って外を眺める・・・そんな気持ちになってごらん下され! 応援クリックお願いします。 ![]() 日本車は世界で抜群の信用がある。 地元ドライバーも嬉しそうに言うし、実際こういう車を運転していることに誇りを持っている。技術もたいしたものだと思う。運転免許をとるしくみがあるのかどうかは知らないが・・・。 さて、山また山、時に砂漠、なんていうところを走っていると、すぐにエンストする。 そういったとき、いわゆる日本における工具のようなものは彼らは何も持っていない。誰でもできるわけではないようだが、ベテランのドライバー、例えば写真の左の人物は、いつでもよく切れない刃のないジャンビーアですべて直していた。なにやら部品の一部を切ったり叩いたりしてあっという間に直して、仲間にエンジンをかけさせてみる。 エンジンの元気な音が響き、仲間のドライバーに笑みがこぼれる。 いまだにこのアナログな直し方、すごいなあと思う。 たしかに道具がなければないで、それでも経験を積み重ねてやっていくしかない時はあるものだ。 以前には日本でもあたりまえだった時もあったに違いないが、今はそういう生活もしなくなって久しい。 それにしてもトヨタの4WDって、そんなにアナログな方法が通用する車だったんだ~! 応援クリックお願いします。
****イエメンの歴史をちょっぴりまとめている****
1.異民族の侵入 紀元一世紀以後になると、まずはローマ帝国やエチオピアがたびたびこの地域に侵入したが、長期支配にいたったものはなかった。 2.イスラーム化 628年、当時地域を支配したペルシア出身の王はイスラム教に改宗し、彼にしたがってすべての部族がイスラム教徒となった。 ☆この時代に建立されたモスク ![]() タイズ近郊のアル・ジャネット・モスク。 国内に3つ残る預言者ムハンマドの時代に建てられたモスクの一つ。伝道者の一人、モアッド・イブン・ジャバルによって628年建立されたという。 ![]() 子どもたちが声を合わせてコーランを読誦していた。 ![]() また、このモスクの中庭の中央に背丈ほどの支柱があり、これが何を意味するのか不明。(大きな日時計の可能性もある) 正統カリフ時代、イスラームの一員として聖戦に従事した。 イスラームの発展期、ウマイヤ朝のダマスカス、アッバース朝のバグダッドと帝国の首都は北になり、このアラビア半島南端の地には支配の力は強く及ばなくなった。そこでいくつかの部族が独立に近い状態で王と名乗るものもあった。 3、ザイド朝 ザイド朝が9世紀に半島南部をほぼ勢力化に収める。指導者はシーア派のイマーム。 *ザイド朝とは――― シーア派の一派。アリーの曾孫ザイド之名に由来。ウマイヤ朝から政権をシーア派に奪取しようと企て、740年にクーファで反乱を起こしたが鎮圧される。その後、ザイド朝はカスピ海沿岸とイエメンという辺境地域に存続した。イマーム論ではアリー以前の3人のカリフを認め、教義はスンナ派に近いほうである。 ☆アフメド・ベン・イーサーの墓 ![]() 11世紀にメッカからイスラームを広げるためにやってきた人物の墓である。がけにへばりつくようなつくりであるが、白とイエメンのグリーンで、美しい。 では、シーア派だけの国であったのか。更に歴史をたどるとスンナの影響も見えてくる。 ☆1173年にはアイユーブ朝をうちたてたサラディン(サラーフッディーン)により兄弟が派遣され、この地はアイユーブ朝に制圧された。アイユーブ朝はスンナ派。しかし第7代のサーリフの時、マムルークのクーデターによって1250年アイユーブ朝は滅んでしまう。これにともなってふたたびイエメンの王朝は独立した。 4、アデンをめぐる攻防 1513年 ポルトガルがアデンを攻撃するが、敗退。 1514年 マムルーク朝がアデンを攻撃するが城壁に阻まれ、敗退。 1547年、マムルーク朝を征服したオスマントルコが侵攻。アデンを含む南部一帯を支配。 1636年、ザイド朝のイマームが復位し、オスマントルコから独立する。 ◆南北イエメンに分かれたことや。イマームのことがすんなりわかりにくいので歴史を順にたどっている。ザイド朝は出てきた。次には3C政策まで関係しそうだが、早く現代までたどり着きたいものだ。 資料は少ないし、わかりにくいところが多いが、現代を知るにはこうしてみる時間も必要かなと思っている。 応援クリックお願いします。
1.幸福のアラビア
![]() イエメンが最も栄えていた時代には、ここは「幸福のアラビア」と呼ばれていた。アラビア半島において、国土は山岳により守りが構えがかたく雨が降り緑が豊か、そして紀元前と紀元後で交易ルートは変わるがヨーロッパから見て燦然と輝く国だったのだ。 2、ダムの建設と繁栄 シバ王国は交易キャラバンから通行税をとることによって莫大な税収があり、それをもとに栄え続けていた。イエメンは雨が多い。7~8月は思った以上に雨が降る、しかし、乾季は乾燥するから、水の確保が重要なことはほかの国と同じだ。 マーリブは交易ルートと好位置にあったが、やや低地の砂漠地帯であったので、増える人口を支える食糧生産をおこなうには水が不可欠であった。では紀元前800年ごろに、当時としては』世界最大規模の公共事業をおこなっていた。高さは16mにも達する巨大ダムで長さも680mあったという。 これによって農地の灌漑を行ったため、この後シバ王国はもちろん、王国が衰え、他の支配となってからもダムが壊れると補修してマーリブの水を確保し続けた。 (*なお、マーリブなど国土の北部・東部などの一部は依然、安全が確保されていない) 3.交易の変化とアデン 紀元1世紀になると大きく変化したことが2つある。 さしもの乳香を中心とする交易ルートも航海術の発達と共にアデン港、更に紅海、ナバテア人のペトラからガザ、あるいはエジプトへのルートに変化してくる。 ローマ帝国の時代となり、民族や文明を超えて便利なルートがとられだしたのだ。 また、宗教的にも乳香を大量に生じする在来の種々の宗教からキリスト教に変化してきて受容は減少し、ナバテア経路で十分に足りるようになってしまったのだった。 これによってマーリブは急速に衰え、歴史から姿を消していった。次々と外敵がやってくる中、570年にはダムも崩壊して、今度は修復されることもなく住民も離散して言った。 一方新しい交易の中心地になったアデンは水確保の公共事業でも活況を呈した。水確保のタンクがアデンで作られている。 ![]() ↑アデン・タンク 1世紀にアデンに作られた18の貯水池のうちの1つ。3層の濾過装置も付いていた立派なものであり、4500万tの水を蓄えるようになっていたという。長いことゴミ捨て場になっていたのを19世紀、イギリスがこの地に勢力を伸ばした。イギリス人サールーン・バートが発掘して、現在はこの歴史的タンクを見学できる公園のように整備されている。 ![]() アデンはこの後、海のシルクロードの要として、常にアフリカ・インドをつなぐ船が行き来することとなる。鄭和の艦隊もここに来ているし、また今でもアフリカの舟など停泊して荷おろししている様子が見られる。 応援クリックお願いします。 < 前のページ次のページ >
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